2021/06/28

■またまた過去のこの日 若之的・家具的

前にも書きましたけれど、フェイスブックの「△年前のこの日」という機能(突然現れる)、ふうん、そうだったのかということで、面白い(振り返るのは年をとった証拠ですね)。

7年前のこの日(6月28日)、こんなことを書いてる。
今夜、若さま(福田若之くん)がお越しになる予定。週刊俳句の当番をやってもらうのに、手順やら何やらをPC見ながら説明するのナイト。(OB諸君はみな、このイニシエーションを経たのですよ)

ご飯食べてから作業なわけだが、何にするの?と嫁はんに訊いたら、「パスタと、それから子どもだから(若いという意味)海老フライ」とのこと。子どもだとなぜに海老フライなのか。そこは謎。
若之氏、週俳の当番を務めて7年になるのですね。ずいぶん長い気もするし、もっと前からやってたような気もする。

で、6年前のこの日は、居間のテーブルと椅子を換えるので、青山のショウルームに出かけた(購入は別ルート)。ショウルームのサイトを見ると、そのおよそ9ヵ月後に閉店してた。諸行無常。



2021/06/25

■螺子のはたらき 『豆の木』第25号より

釣堀を固定している無数の螺子  田島健一

わたしたちの文明は螺子に支えられているといっても過言ではないので、何を固定していようが、驚くにはあたらない。

けれども、あの、人がいたらいたで暇そうな(人も場所も)、人がいなければいないで暇そうな釣堀というものを、螺子が固定しているのかいないのか(エンジニアリング的に、詩的に)。

固定といいながら、するする、ふわふわと逃げていくような景であること、まったくもって不思議です。

ラヴ&ピース!


2021/06/20

■変異・変容 『豆の木』第25号より

火曜日のたぶん紫陽花だつたもの  鈴木健司

火曜日というものがどんな曜日かというと、私にとっては、燃やすゴミの日であり、鳥たけさんの定休日。どの曜日も特別といえば特別だし、特別じゃないといえば特別じゃない。これ、あまり勧められない暮らし方です。

さて、紫陽花には似ても似つかないものなのだろう、目の前にあるのは。

「紫陽花だった」と断言できないところが、この世の難しさであり面白さにちがいない(この暮らし方はお勧めできる)。

作者は併載の短文によると、物理学に携わる人。この人だからこそ、「たぶん」と類推できるのだろうか。それとも、誰にでも可能な類推なのだろうか。














掲句は『豆の木』第25号(2021年5月)より。

2021/06/17

■スリッパの不思議 『豆の木』第25号より

朧夜へスリッパ置いてきたりけり  高橋洋子

スリッパという、まあ、おおむね「室内用」の履き物でもって、朧夜(という、おおむね外をイメージする場所・空間・時間)まで出かけて、そこに置いて帰っていたというのだから(裸足で、か)、ちょっと不思議な行動。読者には、不思議な後味が残る。

靴だとこうはならないし、ただ置いてあるという観察でもこうはならない。「スリッパ」であり「置いてきた」という行為であるからこその読後感だろう。


掲載の高橋洋子10句作品「夜盗虫」の表題句、《恍惚と壊れてゐたり夜盗虫》は、句そのものの話ではないのですが、「恍惚と」という部分、名詞+「と」で副詞用法となっているのを見て、「悄然と」「毅然と」となど「~然」の例はあるものの、そのほかに思い浮かばず、面白い用法だな、と。

従来的・正統的な文法/用法に、ちょっとした捻じれや曲げを加えている。それを面白がらずに、「誤用誤用」(御用御用のダジャレみたいになっちゃった)と口やかましい向きもあるのでしょうが、私は、ほら、ラヴ&ピース!な態度ですので。

掲句は『豆の木』第25号(2021年5月)より。




2021/06/16

■過去のこの日・再

承前

〔7年前のこの日〕

嫁はんが、テレビで、SNSのターゲティング広告の番組を観て、訊いてきたので、自分のFBのそれを見せる。

車買い取り
オーガニック美容室
アン・サリー コンサート

いつもは、強壮剤・バイアグラ系のも多くて、加齢の悲哀(モニター上のね。為念)を味わっているのですが。

しかしなぜ美容室?

〔4年前のこの日〕

ハービー・ハンコックのエレピが好きなので、嫁はんには、ハンビー・ハン子になってほしくて、YouTubeのURLをメールしたりして刺激を与えようと試みるも、なかなかそちらに意識が向いてくれない。私がコーネル・デュプ男になるよりは100倍可能性が高いと思うのですが、世の中、ままならない。夫婦での居間ジャムもとんとごぶさたのまま。

ちょっと怠けていた(興味が薄れていた)自転車にも徐々に復帰。走ると、夏、というかんじです。暑かったり雷雨があったり。
われわれ東南アジア系日本人としては、自分たちの季節がやってきたわけで。

労働して、走って、弾いて、読んで、聴いて、寝て、食べて。今年の夏も、それでほとんど埋まる。ほかに望みはないし、すこやかにほがらかに暮らせそうです。

〔2年前のこの日〕

ライブ完了。

ご来場いただいた方々、ありがとうございました。

由季氏は「すごい」といろんな人から言われてた(まあ、あれだけ弾けばね。実際すごい。本人は失敗も多く残念がってたけど)。

私はMCのこと、選曲のこと、それからギターの色(グリーン!)のことを言われた。夫婦でずいぶん違うものだ(役割分担)。

おもしろい偶然は、4年前のこの日、嫁はんにファンク方面を焚き付けようとしてままならない旨、記し、そのちょうど2年後のその日、ライブ(動画はこちら)が実現。4年前には想像もしていなかった。

なお、バンド名のハザコは、ハーヴィー・ハン子ならぬ、ダニー・ハザ子から。

ちなみに、去年6月、今年6月と、コロナ禍でライブは中止(延期)。世の中、いつになったら平穏を取り戻すのでしょうね。


2021/06/14

■夏は


昨日と同じように見えるかも知れませんが、こちらはポトフ。

ラヴ&ピース!

2021/06/13

■夏が



2021/06/12

■過去のこの日

フェースブックが勝手にむこうから、「×年前のこの日」、何を書いたかを知らせてくれる機能がありまして。

〔1年前のこの日〕

俳句について書くときは、仕事のようには書かない。

(いろんな稼業であるところのみなさんも同じだと思う。例えば、会社の報告書みたいには書きたくないでしょう? 俳句について書くのに)。

で、近年、ますます、できるかぎり変則に、気ままに、書きたい。自分のブログでも週刊俳句でも、またどこかの媒体からの依頼でも同様(居住まいやスタンスや心持ちが多少違うが)。

散文の決まりごとは、守りたいところは守り、破りたいところは破る。べつに何かどこかからの要請があって書くものではないので、勝手に書かせてもらう。なんだかむちゃくちゃな書きようであったとしても、それは、自分のそのときの精一杯のむちゃくちゃ。言い訳っぽいが、ほんと。

〔4年前のこの日〕

白石加代子はずるい。『ひよっこ』、ちょっと微妙だったんだけれど、白石加代子を見るために続けて見そう。なお、時代考証的にはちょっと難ありのところも多いようですが、ドラマだし。


5年前のこの日〕

結社についての原稿を書き始めたが、自分の書いていることがつまらなさすぎて、悶絶。

こういうときはさっさと切り上げるのが良策。書いた400字ほどはきれいさっぱり捨てて、次ののチャンスを待つ(って言っても、そんなに時間がないぞ)。

7年前のこの日〕

「投句もおもしろいのではないか」と、ふと思い立って始めた「麦」(むかし所属)への投句。1年限定のつもりが、半年の3期目(2年目)に突入。半年分の会費(6000円)の振込用紙を眺めていると、「まあ、付き合いも大事かな」と延長してしまった。

以前は悩み抜いて7句を書いていたが、それじゃもたないので、〆切ぎりぎりに(10日締切を10日投函)テキトーにイイカゲンに。


すっかり忘れていましたが、結社誌に投句していたんですね、1年半ほど。気まぐれにもほどがある。

が、投句、ちょっといいな、と、いま、2021年6月、あらためて気まぐれに。

ちょっと検討してみよう。

ラヴ&ピース!

2021/06/06

■ブツブツコーカン

収穫が始まりました。ぼちぼちです。

で、某日。

タカムラ家(yuki氏のご友人)の庭の枇杷の実+ヤングコーン
↓↑
我が家の赤玉葱+ジャガイモ

…という物々交換。

なんか、非対称にウチの恩恵が大、のような気も。