2013/06/30

■ヘースブック、その後

プロフィールに、現住所と出身地を書き込もうとしても、書き込めない。操作がむずかしい。「アンティグア・バーブーダ出身」などと(例:ミクシィのプロフィール)書き込むわけではない。ふつうに府中市と書き込もうとして、反映されない。

「友達になってください」と言えない。であるから、到来する申請に向かってクリックするだけ。ところが、存じ上げない方からもたまに申請が来たりして、困ってしまう。どんな接点があるのか伝えてもらえれば、喜んで「はい」なのだが、それがないとなると、どう対処していいかわからず、当方、フリーズしたまま。

クローズドの備忘録としては、ミクシィより使いやすそうです。でも、じつは、こういうことをするためにあるんじゃないのかも、です。


2013/06/27

■トニー谷主義 tony-tanisme

ライブ映像は、貴重。



ソロバン、むちゃくちゃ巧い!

過去ログ:トニー谷主義宣言

2013/06/26

■庭仕事 それから『異熟』のこと

某日、昼過ぎ、斉田仁さん宅へ。ずいぶん前から預かっているパネル(『異熟』出版祝賀のとき使ったもの)を届ける。

立ち話で「草取りがたいへんでねぇ」との仁さん。

仁さん家の家庭菜園はりっぱで、夏に入った今の時期、若干草ぼうぼう気味ではあるのだろうが、いかにも美味しそうな野菜・果実が実りそう。

  春夕焼までのヘッセの庭仕事   斉田仁『異熟』


帰途のクルマの中でyuki氏曰く、「酔っ払ってる仁さんしか見たことがないので、昼間の仁さんは新鮮」。


【追記】
句集『異熟』のあとがきを読むと、幾人かが選句を手伝ったとあり、そこに私の名も入っているが、それはちょっと違っていて、たしかに句集制作前に、仁さんの句をごまんと読ませていただき、チェックを入れて返したが、それが今回の『異熟』に役立ったということはない。どなたかの尽力でこの句集は為った。

当時、この件で仁さんに申し上げたかったのは2点。

「仁さん、自分でやらなきゃダメですよ。責任として」

「仁さん、なんで他人にやらせるんですか? 選句って、句集をつくるときいちばん美味しい醍醐味じゃないですか」




2013/06/25

■ヘースブック、はじめました

ところが、何をすればいいのやら(何もしなければいい)、どこに書くのがいいのやら(現在は「ノート」という機能を使用)、皆目わかりません。

非公開(クローズド)に設定(しかるに、実際にお会いしたことのある方、オンラインである程度存じ上げている方と「友達」関係を結ばせていただいています)しているつもりですが、そうなっているのかどうかも不安。

「こうしたらいいよ」というのがあれば、こっそり教えてください。

■本日はマイケル・ジャクソン忌

アップテンポの曲でマイ・フェイバリットは、I Want You Back(1969)。




バラードだと、La La Means I Love You(1970)。


2013/06/24

■句会無事終了

日曜日、近くの小学校で都議選の投票後、句会の飲食の準備のため、日野の角上水産へ。手巻き寿司(ニューヨークからぽぽなさん来訪なので和風が良かろうという安易な判断)の材料を購入。いったん帰って、国立駅へ。yuki氏はその足で仕事へ(生徒さんの演奏会かなにか?)。紀ノ国屋へ寄ってワイン購入(プロの呑兵衛・うさぎさんに選んでもらう)。

席題6題と飲食しつつの袋回しで、計20~30句(参照www≫おまいら、ちょっと、俳句つくりすぎ)。

席題で「次元」が出たので、The 5th Dimension のCD(ジャケットが気に入って買ったベスト盤)をかけたりも。

句会原則「悪魔のように句をつくり悪魔のように飲みかつ食う」が実現したかどうかはわからないが、今回も無事終了。次回は通常の最終日曜に戻って、7月28日の予定。





2013/06/23

■おまいら、ちょっと、俳句つくりすぎ

…などとは言いにくい。感じが悪いし、そんなことは大きなお世話、それぞれつくりたいからつくっているのだから。

一方、「どんどん俳句をつくりましょう」。これは、感じが悪いなんてことは、ない。ただ、そんなこと言われなくても、どんどんつくるのが俳人/俳句愛好家の性(さが)であり、「つくるな」と言ってもつくるのが彼らです。

ところで、35年前。
いまの俳壇は、多くの凡庸なるものたちが、もっぱら数を頼んで、次々と俳句形式に恥辱を与えている時代である。しかも、いちだんと悪いことに、これほど俳句形式を汚辱にまみれさせながら、それについて何も気づいていないのであった。むしろ、それを時に気づかせるかもしれぬような批評の存在を、つとめて忌避してきたのである。
(『俳句研究』1978年2月号・編集後記)
『円錐』第57号(2013年4月31日)の「特集・高柳重信」にある横山康夫「批評の精神と表現の一回性」から、高柳重信の一文を、誠に恐縮ながら孫引きさせていただきました。

ここで「数に頼んで」いるのは、「俳壇」にある人たち、という色合いが濃く、ある種選ばれた「俳人」「作家」に向けられた感が強い。少なくとも、町の公民館で句会を楽しみ、新聞や雑誌への投稿をがんばっている俳句愛好者たちに向けられた感じはありません。

ところが、35年を経過して、(同じ『円錐』同号の「アンケート・この30年で変わったこと変わらなかったこと」、山田耕司の回答と照応させるなら、80年代のマス化の波をくぐり向けたそののちの現在)、俳壇は俳句世間へと融解し(俳句世間の「俳壇」化)、俳人も俳句愛好者も、作家もシロウトも、それは自称に過ぎないでしょうと、という状況。言い換えれば、「汚辱」は、選ばれた作家だけでなく、俳句に関わる人すべてに無縁ではない、ダイナミックな状況が、いま、というより、本来、当時も、いつの世も、それがあったと、いうことなのだと思いますが。

ただし、私自身は、俳句の「易きに流れる」部分は、否定しておらず、むしろ、そこを逆手にとって豊かにしていくしかないんじゃあないの、という思いもある。「凡庸」な人を排除すれば、「俳壇」は素晴らしいものになるかというと、それはブンガク的、ゲイジュツ的な理想主義でありすぎる感(凡庸な人が、凡庸じゃない句をつくってしまうかもしれないのが、俳句ですから)。

だから、俳句をつくりたい人、つくろうとする人には、「おきばりやす」と、関西風にイイカゲンなことを申し上げるのを常としています。

で、この午後、まさにこれから、私は、自分がお世話している句会に参加し、10や20の俳句はつくるつもりなのですよ。ここは(笑)で占めるべきところ。


ひとつ但し書き(というか言い訳)がいるのは、これまで「つくる」という語で言っているのは、発表、他人の目に触れさせることを含んでいる。発表の場が増えていること(インターネット普及、同人誌の大量発生等々)は、人がひとり俳句を(大量に)つくることとは、かなり事情が違い、いわば大量に供給されるこの状態が、まさに、ということ。

つまり、生産と供給は、違う。

言い換えれば、つくることと、それを読ませる(読んでもらう)ことは、違う。

それを含めての話。


ところで、上掲『円錐』の「特集・高柳重信」にはおもしろい記事が多く、例えば、山田耕司さんの
「婚活のようなポエムを繁殖させるために彼は叫んだわけではない」
なんて、タイトルだけでそそられるものがあるじゃないですか?

「ポエム」という語はいつからか罵倒語のポジションを獲得しているのですね。そのへんの事情にも、この記事は触れています(「歌う」という語の記事内での設定には、すこし抵抗がありましたけれども)。

ここで、「供給」という語の関連語として「繁殖」が加わったわけです。

「おまいら、ポエムを大量に繁殖させてんじゃねえよ」というわけで、これもまた感じの悪いセリフなので、気軽に言ってはなりません。

なら、どうするか?

とりあえず、ちょっと、落ち着きましょうか。

「物資がなくなるんじゃないか、いまのうちに俳句をつくっとかないと」 てな感じの、オイルショック後のトイレットペーパーか、俳句か、わからないような焦燥感(あるいはヤル気満々)は、ムダだし、不要ということで。

2013/06/20

■「ビッグマックとナイキがあれば満足という人が99パーセントを占める世の中なんて絶対に認めたくない」という女の子

…が主人公の映画『ゴーストワールド』(2001年/テリー・ツワイゴフ監督)がとてもおもしろかった。

人気コミックの映画化だそうで、この映画、まったく知りませんでしたが、当時、アメリカにも日本にも熱狂的なファンがいたのだろうなあ。

アメリカの田舎町。高校卒業後、いわゆる進路もなく、世の中と自分のミスフィット(不適応)をギシギシ軋ませながら、SPレコード蒐集家の中年男性(スティーヴ・ブシェミ!)という違ったタイプの不適応者に関心を寄せる主人公役のソーラ・バーチという女優が抜群にいい。のちに大人気女優となる友人役、スカーレット・ヨハンソンがかすんでしまうほど、いい。

世の中とうまく折り合いをつけられないとくに若い子の魅力。その時期、身体的・性的にも自分を持て余して未整理な感じが、主人公のファッションも含めてよく映像化(イコン化)されている。

昨今よく言われる「こじらせ」というのとは違う(こじらせは内的な感じが強く、年齢的にはもうすこし上からの症状・現象?)。いわば「軋み」「軋ませ」。

ああ、いやだいやだ、わたし、どうすればいいんだろう?という、世の中や人生のとばぐちに立ったときのあの感じは、時代にかかわらず青春物語、青春映画だなあ、と。


2013/06/19

■金原さんのTV出演




予約録画しておいたはずが、デッキの時計がなぜか30分狂っていて、「さあ、これから」という絶妙なタイミングで録画が終了。

(泣


2013/06/18

■樋口さん

日曜某日、樋口由紀子さん(@金曜日の川柳)が東京にお見えになりました(某句会に出席)。句会が終わる頃合いを見計らい、おじゃまして、ご挨拶がかないました。川柳事情、俳句界隈の話題やら、ご主人との馴れ初めをうかがったりで、実り多き宴会でございました。


2013/06/17

■乾季に雨乞いをする人はいない

これ、むかし社会人類学の講義か何かで、もっとも感心したこと、なるほどと得心したことの一つ。

雨乞いという儀礼が乾季におこなわれることはない。だって降らないんだもの。雨乞いをやってもムダ。

呪術は、「知っていること」の上に成り立っているという意味で、科学と対立するものではなくて、呪術と科学は親しい関係にある。


と、こんなことを書くのは、「河童の雨乞」句会というものに、今月末に参加する予定だから、であります。



2013/06/16

■三島ゆかりさんが惜しい


週刊俳句・第321号の表紙。もうすこしできれいなスロープを描くところだった。

この号には、ひさしぶりに「真説温泉あん芸者」。句会について書まかせてもらっています。例によって大した話はしていません。おまけに、少しずつ書き足していくという横着ぶりです。


追記:そうこうするうち、藤幹子さんまで惜しいことに。


2013/06/14

■おニュー

携帯電話を落とす(某結婚パーティー会場での出来事であった)

落ち方が絶妙で、本体は無事、液晶がヒビだらけに

画面が見にくいが、ヒビ割れ具合がとってもアートな感じなので、使い続ける

ある日、携帯が出てこない(どこに行ったんだろう?)

探すが、出てこない

3日経っても出てこないので、あきらめて、通話をストップ、新しいのを買うことに

ショップへ行く

みんな持ってるスマフォか、ガラケーかで迷う

後者を選択

現在、在庫は3機種のみ、ということで、 どれにするかすぐ決まる(ラク)


というわけで、携帯電話が新しくなり、電話番号の登録もまっさらに。

仕事関係は住所録から登録していけばいいわけですが、お友だち関係は携帯電話に入れていて、それが失われたわけです。

かかってきたら、その番号を登録していけばいいかな?と考えているのですが、なかなかかかってこないものですね。



2013/06/13

■くにたち句会〔6月〕のお知らせ

013年6月23日(日) 14:00
JR国立駅改札あたり集合

句会場所 いつものキャットフィッシュ(予定)
席題10題程度

よろしければ句会後の飲食も(会費あり)

※最終日曜が原則ですが、今月は第4日曜日です。

2013/06/11

■風琴

ジャズというよりファンク、ファンク・オルガンとでも言うべきものが、むかしあってですね。




ウラハイで、山田露結による新シリーズが始まりました。
レコードジャケットで一句

これ、投句するらしいですよ。


でね、ジー・スミスなんかも、ジャズというより、ファンク、R&Bオルガンというべきシロモノ。

2013/06/07

■備忘録:世界の廃墟

英・デイリーメールが選ぶ、世界の美しい廃墟たち。
http://www.gekiyaku.com/archives/28842894.html

2013/06/03

■備忘録:自由律俳句 あれこれ @F_set さんと @musashinohaoto さんによる

http://togetter.com/li/512826

 


■刹那主義


朝の5時から大盛り上がり。

1日で首位陥落するかもしれないのに…。



http://blog.livedoor.jp/nannjoy/archives/27864828.html


いや、今日だけかもしれないから、こそ、か。