2018/03/31

■冒頭集:今晩は。

 今晩は。
 話に入る前に、ちょっとカーテンを開けていいですか。
 桜の散るのが見たいもので。
 きれいだな。
 ついでに窓も少し開けさせてもらいますね。
 おや、満月だ。
 わたくしはこの月が好きなんです。とても好きなんです。これから欠けてゆくばかりの満月、というのがね。
 でも、
 花吹雪に満月なんて。ちょっとやりすぎですかね。そうでもないですかね。
小林恭二『電話男』1985年/福武書店

2018/03/29

■消息:「卓球」20句と短文

『短歌・俳句 We』第5号(2018年3月25日/編集発行:加藤知子+西田和平)に、「卓球」20句を寄稿。

手元に1部、残部があります。ご希望の方は tenki.saibara@gmail.com まで。

3月刊と聞いたので、春→無季3句→夏という構成にしました。短文は、俳句と無関係の話題を見つけるが難しい。いつもながら難しい。絵でも描かしてくれればいいのに(描けないけど)。

ラヴ&ピース!


『短歌・俳句 We』(頒価926円+税)
twitter:https://twitter.com/tanka_haiku_We


2018/03/28

■欠損・欠落がもたらすもの 八上桐子『hibi』の二句

句集を読んでいて、離れたページに収められた二句あるいは数句がセットになって心に残ることがある。

歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ  八上桐子

脚だけのマネキン デモに行く明日  同

人形とマネキン。ふたつの欠損/欠落部分はたがいに異なる。欠け具合も異なる。けれども、擬=ヒトという点で、リカちゃんとマネキンに繋がりが生まれ、歩いたことがないので歩けそうにないリカちゃんにかわって、脚だけが電車に乗り、議事堂前へと、首相官邸前へと(時事に影響を受けた想像)歩いていく。

喪失というと、詩的な/文学的な/叙情的な湿度を帯びる。それはこの句集にはそぐわないので、欠損・欠落の語を用いた。

句集『hibi』はみごとにその種の湿度を免れた句集。そのせいにちがいない。前者に、感傷が希薄、後者に、メッセージ性が希薄。

加えるに、後者の「明日」の一語が醸す虚ろな感触。

欠損・欠落のモチーフと明日というものの不確定がもたらす軽さ、自由極まりない不安定が、なんだかとても気持ちいい。「デモ」という政治用語を用いて、これほど美しく軽い句をほかに知らない。

(ま、デモの句って、あんまり知らないんだけどね)


というわけで、『hibi』についてはもうすこししゃべりそうです。

ラヴ&ピース!



≫輝くほどに 八上桐子『hibi』より
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2018/03/hibi.html

2018/03/25

■輝くほどに 八上桐子『hibi』より

噴水に虹 赤ちゃんの名が決まる  八上桐子

輝くほどに悦ばしい一瞬。というのは、噴水に虹がかかる瞬間をいうのではなく、赤ん坊の名前が決まった瞬間をいうのではなく、この句において、ふたつの出来事が重ね合ったその瞬間のこと。

些末な技術論をいえば、句なら、川柳にせよ俳句にせよ「赤ん坊」としてしまいそうなところを「赤ちゃん」。ここは決め技。

掲句は八上桐子『hibi』(2018年1月24日/港の人)より。

この句集、掲句のような120%ポジティヴってかんじの句ばかりじゃないです。というか、それは主成分じゃない。かなりのお気に入り句集なので、また取り上げますね。ここ(このブログ)か週刊俳句か。そこは迷いどころ。


2018/03/22

■飲食の陰と影 『川柳木馬』第155号・きゅういちの60句

『川柳木馬』第155号(2018年1月)は巻頭の「作家群像」で、きゅういちを特集。自選60句(「影のSHOW」「影のSHOW」2篇より成る)を一読して思うのは、食べもの/飲みものにまつわる句の多さ。

そば屋、レモンソーダ水、スムージー、ハム、生牡蠣と、2句目から6句続けて登場。その後、角砂糖、マシュマロ、雲呑、秋刀魚、重湯、いんげん、焚く、卵白、ペペロンチーノ、牛乳、鯨ベーコン、煮戻す、ラーメン鉢。

60句中18句(30%)に飲食関連の素材が出てくるというのはかなり特異な傾向と見ていい。

ここでの飲食物はみな美味しそうではない。というより、おいしい・まずいという飲食の脈絡にはない。

角砂糖与えて姫を落ち着かす  きゅういち(以下同)

サーカスの獣よろしく手なづけの道具であったり。

雲呑を握り人間界へ行く

天上界からの携帯物であったり(雲の字による関連付け、形象の連想)。

お七夜のキミはマシュマロしっぱなし

行為(マシュマロする!)そのものであったり。

ざっくりいえば(ざっくりはいつでも退屈な総括なのですが)、飲食という全人類が共有する日常は、その日常的脈絡から「はずす」「ずり落とす」のに格好の素材とも言えるのでしょう。

そして、ある品は、拒絶や不具合のサインとして、爆発的な映像ともなります。

牛乳を吹き出す近畿一円に


〔関連過去記事〕ことば崩し
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2014/11/blog-post_5.html

2018/03/18

■このところの週俳関連

本誌に句集レビュー3本。

美の存在 上田信治『リボン』を読む・その1 ≫読む

その手足 日原傳『燕京』の二句 ≫読む

書物という世界 岩淵喜代子『穀象』の二句 ≫読む


ウラハイで週末俳句。

http://hw02.blogspot.jp/2018/03/blog-post_75.html

2018/03/16

【お知らせ】3月くにたち句会

2018年3月25日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

ラヴ&ピース!

2018/03/15

■花独活そぞろ読み02:棄景


「近景」(p6-27)を引き続き。

この記事のタイトル「棄景」は、ある廃墟写真集のタイトルなのですが、ここでは廃墟というだけでなく、棄てられれたモノの景色という意味でも使いますね。

枯田にて卓袱台に乗る古タイヤ  関悦史(以下同)

ビニール傘もフェンスも枯蔓に呑まれ

国道に立つ数十の冷蔵庫

このように、棄てられれたモノがしばしば登場します。消費社会・消費の世紀の排泄物のような景が、すこし田舎(サバービアというよりももうすこし田舎)に展開される。都市が消費の盛り場・中心とすれば、この句らの場所は、周縁の、波打ち際で水が泡立っているかのような場所。

広告塔塗られて白し秋の暮

機能しないモノも、打ち捨てられた印象を纏います。次の広告を待つまでのあいだの白い塗りつぶし。

今日のおすゝめ定食サンプル全面雪

モデルハウスは夜を照り秋蟬「チ」と一声

サンプルやモデルハウスにも、〈機能〉の皮肉なズレ、つまり「こう使ってくださいという使われ方」が見出せます。これらの奇妙さ、心の中での収まりの軋みのようなものは、俳句的事物(雪、秋蟬)との組み合わされることで、いや増します。

それにしても、「モデルハウス」句の韻律のグルーヴ感。

月光がガソリンスタンド跡地にゐる

霧を行けば工場どもの遺跡ぶり

跡地・遺跡はカジュアルな廃墟。それにしても、前者、「月光が」「ゐる」という言い方の生々しさよ!

ぬひぐるみぎつしり詰まる秋の家

家ぢゅうにぬいぐるみが溢れている、句のとおり詰まっている、という事象ですが、ふつう他人の家には入らないので(また、関さん家がこんなふうだとは思えないので)、よく目にするのは、出窓に積み重ねられた光景。

ぬいぐるみは棄てられているわけではありませんが、他の「棄景」と対照的というよりむしろ同列に感じるとは、いったいどうしたことでしょう。

以上、棄てられたモノという脈絡で話を進めましたが、最後に、「近景」中、心に残る一句。

岡山や沢庵の付くオムライス

洋食屋ではなく、軽食・定食のある喫茶店でしょう。卵の薄いやつ、私がこよなく愛する伝統的オムラスですね。

ラヴ&ピース!



2018/03/13

■昨日の記事の補足

俳句の賞にはいっさい応募しないという態度は何年も(あるいは10年以上?)続いている。一句単位でも連作でも。

最後は、いつぞやの豆の木賞の20句かもしれない。それももうずいぶんと昔(記憶漏れがあるかもしれないが)。

理由は、ないことはないけれど、説明するほどの理由ではなく、ただ、億劫というだけかもしれない。

(億劫が似合う句をつくっていたい。これは本音)

なので、ビバ!ユキオ俳句賞への応募は例外中の例外。なぜそんなことをしたのかといえば、ネーミングセンスに惹かれたから。あと、審査員の構成かな?(参考:募集要綱

2018/03/12

■「ふは賞」を受賞!

ええっと、その、「ビバ!ユキオ俳句賞」ってのがあってですね(芝不器男俳句賞じゃないよ、為念)、応募したところ、「VR部門・ふは賞」を受賞いたしました。

http://d-mc.ne.jp/blog/575/?p=2024

めでたい。

受賞なんて、小学校のとき写生画で銀賞をもらって以来だと思いますよ(いくつか記憶が飛んでるかもしれないけど)。


2018/03/09

■メモ書き

今日ふと気づいた。落書きではなくメモ(備忘録)な模様。yuki氏(同居人。妻ともいう)の行動はかなり予想外。



2018/03/08

■自句自解は恥ずべきこと?

はい。自句自解は、恥ずべきこと。

では、自句自解本(例:ふらんす堂「シリーズ自句自解」)はどういうことかというと、恥ずべきことをやって、その代償として何かを得ている。

句会等での自句自解には、代償がありません。


cf ≫岡田由季:古ひひな
http://michikusa-haiku.blogspot.jp/2018/03/blog-post_7.html

2018/03/05

■勝手に組句:ウルトラマン

ウルトラマン勝って頭に枯尾花  加藤知子〔*1〕

ウルトラマンを脱ぎ捨てて俺栗の花  佐山哲郎〔*2〕

季節は逆行だけど、仕事の過程として。

ウルトラマンの「中の人」(スーツアクターと呼ぶそうです)を調べてみると、古谷敏。ここでの演技が認められ(?)、次シリーズ「ウルトラセブン」では、顔出しの隊員としてキャスティングされたそうです。

【おまけ】

着ぐるみの覗き穴から去年今年  石原ユキオ


〔*1〕加藤知子『櫨の実の混沌より始む』(2017年12月/ジャプラン)
〔*2〕佐山哲郎『じたん』(2001年9月/西田書店)

2018/03/04

■消息と温室


温室があればとりあえず入る。温室ラヴァーではあるわけですが、土曜日の新宿御苑はもう春の盛りのような暖かさ。それでも身なりはすこし冬をひきずっているものですから、温室内は暑い! そそくさと出てきたですよ。




週刊俳句・第567号に《美の存在 上田信治『リボン』を読む・その1》を寄稿。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2018/03/1.html

書きようが難しかったのですが、「つづく」として、気ままに書こうと思います。次回は季語の話かな?(さらに難しい)


2018/03/02

■妙味 『円錐』第76号の山田耕司

贔屓の咄家を聴いているような安心感。

しばらくは文鎮たるも烏瓜  山田耕司

俳句を落語と並列に論じるのは、どちらを軽んずるわけでもない。ネタ(話題)の興趣、語り口のよろしさ。それらは双方に共通する美徳であり、好悪の判断基準。

人間に便所のありて鳥渡る  同

年ゆくや原子炉にドアそしてドア  同

消化と排泄。ヒトも物理もエネルギーもダイナミックかつ滑稽。以下は視線にまつわる2句。

冬の日や牛は去りつつまだ見えて  同

寒鯉をみてゐるわれのふと動く  同

掲句は『円錐』第76号(2018年2月15日)・山田耕司「蠅の秋」15句より。