2014/06/30

■くにたち句会、無事終了

食べ物はよく覚えていないが(万事覚えていない。いわゆる恍惚状態。加齢といえ、ちょっとボケるのが早いと思う)、チラシ寿司は、台所で私が散らしたので、覚えている。

ピーちゃんは、ちっこい2匹に負けじと甘えるし、ムクとモモも、まったく人見知りしない。人間でごった返し、怒号と嬌声渦巻くなか、勝手に足元でじゃれたり、お客様の膝によじ登ったりしていた


  雨がちに水森亜土の夏休み  10key

席題7題。「水」というお題がでました。これ(↑)は無点句を若干改稿。 



2014/06/27

再掲■くにたち句会〔6月〕のお知らせ

2014年6月29日(日) 14:00 JR国立駅改札付近 集合
句会場所:いつものキャトフィッシュ

席題10題程度。句会後の飲食は拙宅にて(会費アリ)。


参考資料画像

■日本のW杯が終わりましたね

私自身はあまり好きなチームではなかったのですが(理由のひとつは、多弁な選手、入っちゃってる選手が嫌いなんです)、ひとつでも多く勝ってほしいなとは思っていたのです

というわけで、ネット上のW杯ネタを私的にまとめておきます。

【悲報】ワールドカップのこれのせいで3時間上司に罵倒されたんだけど…
http://blog.livedoor.jp/eitake0002/archives/39375278.html

これ、かなり好きなネタ。短い点も良。

ナイジェリアGK、メッシに入れられたFKを…
http://hamusoku.com/archives/8430609.html

これはキュート。

その朝のスポーツ新聞一面
http://livedoor.blogimg.jp/nanjstu/imgs/2/1/21874216.jpg

スポーツメディアがひどかった。むりやり盛り上がって、負けると、コレです。デイリースポーツの見識がひときわ輝いた朝でした。


これから決勝トーナメントが始まりますが、どこが勝ち抜いていくのが、見当がつきませんわ。




2014/06/26

■ひとつの暮らしに

ウラハイで紹介されている竹村翠苑句集『摘果』


鏡餅鏡餅もて割りにけり  竹村翠苑

電子レンジ十秒蝗しづもりぬ  同

このふたつが、ひとつの暮らし、ひとつの厨にある可笑しさ。


簡単にいえば、伝統的なものと現代的なものの併存なわけですが、私たちの暮らし自体、そうなわけで、となると、句集というのは、併存を備えて豊かになるという側面がありそうです。


「電気もガスもないとこでお暮らしのようですね」 と言いたくなるような伝統的モチーフばかりの句集は、虚構として楽しむぶんにはいいが、それ以上の感興はない。一方、今日的な素材をウリにしたかのような句集も、ウケ狙いに過ぎること多々。

私たちも私たちの暮らしも「均質」ではないのだから、それを「異質」を素直に並存させるのが、いちばん、かもですね。


2014/06/25

■「ーっと」

宮崎斗士句集『そんな青』(2014年6月/六花書林)を、もう少し。

承前≫ただごとではない
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2014/06/blog-post_18.html

ここで「ーっと」という、音引+促音含みのオノマトペに触れ、「あまり見かけない」と言いましたが、言ったそばから一句発見。

緑陰がずーつと続き出口見え  岸本尚毅(『俳句界』2014年7月号)


流行の兆し?



ま、それはそれとして、『そんな青』は、上記のようなオノマトペ(音引はともかく促音含みはわかりあい多い)が、口語的な、というより、ふだんの生活のなかから自然に口をついて出たような味わいを句に与えているようにも思います。

句意は全体に追いにくく、季語も「なぜその季語なのか」がわかりにくいケースが多い句集ですが、日常生活というのは、きほん理由がないことが多いし、そんなにわかりやすく説明はできない。コトバが「ぽろっ」てな感じで発生する、その感触がそのまま句になっているのかな、とも思ったですよ。


参考かも(≫こちら

2014/06/24

■姉弟

…なので当然ですが、遊ぶときも食べるときも寝るときも、ずっと一緒です。


2014/06/22

■祝婚

某日、某句会(はじめての参加)へ。持ち寄り+1ラウンド終わってからの席題。

新婚ホヤホヤ(これって懐かしい言い方?)の人が参加することがわかっていたので、挨拶句も一句。

蜜豆にしやう結婚おめでたう 10key

「やう」とか「たう」とか旧仮名遣いのわざわざ感というか、日ごろ目にしない感というか、それを面白がれた。

席題は「教養」などというヘンテコリンな題も出た(こういうの好き。季語を席題にするのは嫌い、というか、よく理解できない。題にしなくても、使いたいとき使うでしょう? 季語なら)。

来週はくにたち句会。



あっ、あらためて。

イコマくん! 結婚、おめでとう! お幸せに

2014/06/20

■身体感覚〔承前〕

前記事「幽霊の身体」

女性のつくる俳句には一般に「身体感覚」のモチーフが頻繁に登場する。それらの多くが身体を「我」に(しばしばベタベタに)引き寄せた処理である(…)

という部分に、某所で、「身体性の句、なぜ男性には少ないんですかねえ?」との反応をいただき、「みみたぶのほてり、とか、男が言ったら気持ち悪いでしょ? おっさん、なにゆうとんねん! 気でも狂ったか、ということになってしまいます」 とお答えする。

「女性にはなぜ身体性の句が多いんでしょう?」との反応には、「句会で爺ィが喜ぶから、じゃないですか」とお答えする。

イイカゲンなこと、テキトーなことばかり言っている自分がコワいです。

2014/06/19

■幽霊の身体

あまがへる眉間にあふれやまず咳 小津夜景(以下同)

ここはまだすこしすずしい指がとぶ

パセリかと刎ねたらなにものでもない顔

「天蓋に埋もれる家(後)」より。
http://sengohaiku.blogspot.jp/2014/06/ozuyakei27.html

身体部位のモチーフ。



女性のつくる俳句には一般に「身体感覚」のモチーフが頻繁に登場する。それらの多くが身体を「我」に(しばしばベタベタに)引き寄せた処理であるのとはかけ離れた「天蓋に埋もれる家(後)」の句群。

崩壊感覚。崩壊して「我」から遠くへと、所在を喪失していく。

もう予想がついてるかもしれないけど実は/実は私はこの家の幽霊なの/広すぎるやうな、狭すぎるやうな、すべてを呑んでしまつたやうな、じぶんの重さで天 蓋に減り込んでしまつたやうなこの家の幽霊なの/ここがすべてを呑み込むせいで、私は世界の外をうしなひ、私は孤独な世界になつた/けれど、どこまでも開 かれた袋小路にゐる私には、もはや出てゆく場所がない(小津夜景・同)



「天蓋に埋もれる家」というタイトルからして、たいそう魅惑的なのですよね。いまさらながら。


付け加えるに、〔魂の容れ物が身体〕という多くの身体感覚モチーフの捉え方と大きく異なり、〔魂=身体の容れ物が「世界」〕。

だから前篇・中篇で、場面設定に丹念に(逡巡しつつ)句数が割かれているのかもしれません。で、後篇で一気に身体=魂の崩壊にまとめあげた、と。

自分勝手に、とても楽しませてもらった連作でした。

2014/06/18

■ただごとではない

母親と握手したことは、あるだろうか? 私は、ない。


したことのある人は手を挙げて。

(手が挙がらない)



母と握手ふつうの握手かたつむり  宮崎斗士

しかも「ふつうの握手」ですよ。

で、なぜか、かたつむり。

 

この句にある「ただごとではない」感。その組成とは、まずもって、母と握手するという「なぜに?」感、背景や事情の不思議さであり、「ふつうの」という念押しの反転的な働きであり(特別な握手ならともかく、ふつうの握手をするなんて、どう考えてもふつうじゃない!)、「かたつむり」という季語への展開(もしくは俳句でいわれるところの取り合わせ、斡旋)。それらすべてが、なんとも微妙な不思議をもって並んでいる。

俳句というのは、だいたいは季語というものがどこかに入る。季語がその一句においてどのように働くかは句によってさまざま。

かたつむりはご承知のとおり、夏の季語。この句の場合、上五・中七で述べられていること(母とふつうの握手をしたこと)に単に季節の限定を加えるということであれば、まあ、淡々と読める。それはかたつむりの出る季節、すなわち夏だったのだ。

けれども、「かたつむり」とある以上、かたつむりが登場してくる。

まさか握手した手の上をかたつむりが這う、なんてことではないだろうから、 握手している二人のかたわらか? かたつむりが樹上から母子の握手を見下ろしているようも見える。それはすんなり読者に了解できるようでいて、よく考えると、なんだか奇妙な状況だ。

いったいこの「かたつむり」は何なのだ?と考え始めると、何が何だかわからず、アタマがかたつむりになってしまいそうなのです。



 

掲句は宮崎斗士句集『そんな青』(2014年6月/六花書林)より。ほか、気ままに何句か。

すーっと春わが洗面器わが水面

《秋の蛇書棚一列さーっと見る》《鮫すーっと動いてたっぷりの夜かな》など、「ーっと」というオノマトペは、この句集(この作者)の特徴でしょうか(あまり見かけないですよね)。


寒鯉やどこかもやもやした脱稿

この寒鯉も不思議な季語の置かれ方です。

サンバ止む隣りに羽抜鶏一羽

飄逸。

治虫忌や抜歯のあとの青い空

…は切なくノスタルジック。



2014/06/17

■モモ(♂)とムク(♀)

ムクのほうが活発でカラダも少し大きい(上写真がモモ)。




2014/06/12

■ゼリーとクラゲ

プネウマ pneuma は息とか風とか空気。見えないけれど、見えるものが「そう在る」ことの根拠、というか、土台というか。

霊気と解してもかまわないのだろうけれど、そうすると神秘感が強すぎる。神秘は神秘なのだが、モノ的に、気息や風と考えるほうがしっくりくる。

まなざしはゼリーぢーつとしてゐると  小津夜景「天蓋に埋もれる家(中)」より

小津夜景さんの近作を読んでいると、ふと、そのプネウマを感じることがあるのです。


くらげみな廃墟とならむ夢のあと  同「天蓋に埋もれる家(前)」より

触診のラジオはいつも嗄れている  同「ハラペーニョで人類を」より

あしのうらぽかんと眠るとき他人  同


ゼリーは夏の季語として定着しているらしい。そういえば、クラゲ(これも夏の季語)は jellyfish ですね。

ただの余談です。




2014/06/11

2014/06/03

■はがきハイク:第9号

出ました。

業界最小最軽量、制作費最安・郵送費最安の俳誌。

第8号は去年の12月でしたので、半年ぶり。消費税アップで切手代が上がって以来、最初の号です(ぺたぺたたくさん切手が貼ってあるのも一興、とご寛恕ください)。


「なんだ、それ? 見てやるから送れ」という方は、tenki.saibara@gmail.com まで送付先をお知らせください。




2014/06/02

■牛の鼻

牛の鼻には、カメラを向けたくなる。私(たち)を惹き付ける何かがあるのでしょう。


これ(↑↑↑)は相模湖あたりの小さな牧場。

  夏草や風に乾かぬ牛の鼻  鈴木牛後

夏草も何もかにも、風に乾いている。牛の鼻だけが乾かずに(乾いたらダメなんじゃないか、と思います)、濡れている。ややこしいこと、むずかしいことは何も言わず、色や温度、湿度だけが、ここにあります。

掲句は『暖色』(2014年5月/マルコボ・コム)より。