2018/12/31

■2018年にこのブログで書いた句評・句集評

一句について、句集について、前の記事で『週刊俳句』関連に掲載したものを並べましたが、このブログでも書いています。

記事を書こうと思い立ったとき、それを週俳関連に載せるか(載せてもらうか、そうではなく自分のブログに載せるか。これはかなり悩みます(皆さんが想像する以上に悩んでいるかもしれない)。同じネットでどちらの場所を選ぶか、その判断に確たる基準はないのですが、なんとなく、自分のブログのほうが気楽に、カジュアルな気分で書ける。週俳も、そういう気分で行きたいのはやまやまなのですが(寄稿を思い立った方にとってのハードルを下げるという役割を、私の記事は担っていると信じていることもあって)、でもやはり、どうしても、そうは行かない。家で音を出すのと、外(ライブハウス)でやるのと、やはり違うわけで。

で、時間が過ぎてから、「やっぱりあっちにしとけばよかった」と後悔することもあります。例えば、2018年に読んだ句集で。特に印象に残ったものをいくつか挙げよ、と言われたら、八上桐子『hibi』はまちがいなくそこに入るのですが、週俳関連では取り上げていません。

輝くほどに 八上桐子『hibi』より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/03/hibi.html

欠損・欠落がもたらすもの 八上桐子『hibi』の二句
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/03/hibi_28.html

どちらもこのブログ。この2つ以外にももっと書きたい気持ちはありましたが、これがやっとでした。〈好き〉と〈それについてなにか言える〉とは別物なので。

というわけで、けっこう悩みながら、後悔しながら、やってるんですよ。

以下に、備忘録的に、2018年に、このブログで、句について、句集について触れたものを拾っておきます。

〔1月〕

ネジのこと、雨のこと
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/01/blog-post_88.html

並ぶ 『舞』第85号より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/01/85.html

昆布のこと 『晴』創刊号より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/01/blog-post_53.html

炬燵の風景 北大路翼編『アウトロー俳句』より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/01/blog-post_8.html

〔2月〕

感覚器 『オルガン』第12号の宮﨑莉々香
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/02/12.html

空は 『円錐』第76号の宮﨑莉々香
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/02/76.html

『オルガン』第12号の鯨
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/02/12_17.html

指先 『円錐』第76号の今泉康弘
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/02/76_20.html

父は 海地大破の一句
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/02/blog-post_25.html

花独活そぞろ読み01:リアルにイナカその他
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/02/01.html

〔3月〕

花独活そぞろ読み02:棄景
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/03/02.html

妙味 『円錐』第76号の山田耕司
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/03/76.html

飲食の陰と影 『川柳木馬』第155号・きゅういちの60句
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/03/15560.html

〔4月〕

スプリングボードのこと 『翔臨』第91号の小山森生句
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/04/91.html

火と人間 『鏡』第27号より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/04/27.html

〔6月〕

不思議 『季刊芙蓉』第116号より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/06/116.html

香水のこと 伴場とく子句集『ふくらんで』
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/06/blog-post_84.html

1年が過ぎるの、早い 『豆の木』第19号の話
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/06/119.html

土曜日は…… 『なんぢや』第41号より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/06/41.html

〔7月〕

紫陽花 『舞』第90号の一句
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/07/90.html

クーラー句
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/07/blog-post_12.html

そのこころは? 『里』7月号より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/07/7_21.html

幽霊と給水塔 『オルガン』第14号より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/07/14.html

〔8月〕

入れ歯のこと 『翔臨』第92号より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/08/92.html

抱く 週刊俳句・第583号の八鍬爽風句
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/08/583.html

走れ禿頭 『塵風』第7号の井口吾郎
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/08/7_11.html

エビフライその他
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/08/blog-post_29.html

〔9月〕

羊羹をどこで切るのか 一句の中の句読点
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/09/blog-post_22.html

〔11月〕

梨のひとっきれ 『無心』創刊号より
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/11/blog-post_30.html

〔12月〕

「もう帰るね」「じゃあまた」
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/12/blog-post_22.html

轢かれた現場 福田若之との散歩
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/12/blog-post_18.html

■2018年に『週刊俳句』で書いた句評・句集評

もっとたくさん書きたかった、なぜ書けなかったのか、と反省しきり。

読むのが追いつかなかった(特に2018年後半)こともあるし、なかなか記事にまとめられなかった。

来年はもうすこしがんばろう。

のうのうと暮らす 野口裕句集『のほほんと』の一句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/01/blog-post_28.html

趣向と無造作 黄土眠兎『御意』の二句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/02/blog-post_4.html

【転載】二〇世紀の成熟 岡野泰輔句集『なめらかな世界の肉』
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/02/blog-post_41.html

瞬間と永遠 山田露結『永遠集』の二句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/02/blog-post_81.html

バナナと西瓜とマスカット 西村麒麟『鴨』
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/02/blog-post_79.html

美の存在 上田信治『リボン』を読む
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/03/1.html

上田信治句集『リボン』で「や」「かな」「けり」を数えてみた
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/07/blog-post_45.html

書物という世界 岩淵喜代子『穀象』の二句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/03/blog-post_25.html

その手足 日原傳『燕京』の二句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/03/blog-post_11.html

チンドン屋のゆくえ 飯島章友『恐句』の一句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/06/blog-post_36.html

海月の光景 花谷清『球殻』の一句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/07/blog-post_29.html

蝶にふれ 木本隆行句集『鶏冠』の一句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/08/blog-post_0.html

ふくらはぎ 柘植史子『雨の梯子』の一句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/09/blog-post_2.html

別の場所から別の句が 岡田一実『記憶における沼とその他の在処』の食べもの句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/10/blog-post_7.html

なめらかな夜に 飯田晴句集『ゆめの変り目』の一句
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/10/blog-post_5.html

on ウラハイ
【裏・真説温泉あんま芸者】津田このみ句集『木星酒場』はなぜこんなにも人名が多いのか(ただし正答を結論したわけでも回答を求めるわけでもないWhy構文)
http://hw02.blogspot.com/2018/10/why.html

2018/12/29

■みんなひらがな

表音文字であるひらがなの連なりから意味を読み取るとき、いくつかの候補があがることがあります。

ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん  阿部完市

この句、

みんな離れてゆき謀反

と読み取るのが一般的のようですが、

みんなは慣れてゆき謀反〉とも読めます。

あるいは、

〈みんな離れて雪謀反〉〈みんなは慣れて雪謀反〉。雪が挟まるのはちょっと無理があるけれど、可能性としてゼロではない。

どれが《正しい》のか、妥当なのか、私には判断がつきません。だから、悪いとかまずいとかという話ではなくて、みんなはどう読んでる? って話。

これと同じことを思うのが、『えーえんとくちから』という書名。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい  笹井宏之

と作者が解読済みですが、この歌を読むまでは、

永遠と口から

なのか

永遠解く力

なのか、どっちなんだろう? と思っていました。

もっとも、これ、「えーえん」という表記に、〈永遠と口から〉と《誤読》させるような意図も感じられないこともない(つまり漢字の宛て方や意味をわざと確定させない)。

口から漏れる語としての永遠、というのも、単独のフレーズとしてかなり魅力的に思うのですが。

ラヴ&ピース!


2018/12/27

■歳晩のあれやこれや

性懲りもなく(誤用)ピクルスを漬け込んだり。


新しくおいでになったクルマがちょっとやんちゃだったり(ホイールやタイヤの扁平率が若い)。


嫁はんに教えてもらいながら、リベールタンゴのギターコードを書き留めておいたり(ザクザクは弾き方。本式のものではありません。音を出してみて合わなければ変えていく、という素敵にイイカゲンなもの)。


ひさしぶりの数時間自転車の途中に買った革手袋(ハードコアだぜい。その手の作業はしないけど、冬の自転車には必要なのね)が450円、ベルト(綿パンやジーンズには革のなんて要らない。この手が便利)が299円で、しめて749円(税込み)。ワークマン、えらい! つうか、近年わが国においてはモノの値段がおかしい。


そんなこんなで2018年が終わっていくわけであります。

ラヴ&ピース!

2018/12/24

■赤い

10年前の年の暮、どこで何をしていたんだろう、と、ふと思い、写真フォルダーを開けてみると、なかなかに赤かった。



下は、有名かな? 巣鴨の赤い下着の専門店。

そういえば、今夜はクリスマス・イヴ。色的には、それっぽい、と言えなくもない。

2018/12/22

■「もう帰るね」「じゃあまた」

忘年会のシーズンですね(とっくに)。

貰ひたるコルクの湿りコート着る  中山奈々

ワインのコルク栓を客に渡すというのは、西欧流のきちんとした店側のマナーなのかどうか知りませんが、これはとうぜん湿っている。乾いていたら、よほど管理が悪いってことです。

この句は、高級フランス料理店での出来事でもいいのですが、昨今は、居酒屋でもワインくらいは用意してます。

コートを着たのは、もう帰るから。

省略を効かせて、この季節のワンシーンをあざやかに、かつしっとりと描き出す。

掲句は『セネレッラ』第17号(2018年12月20日)より。

それはそうと、この一年を忘れるための酒宴とは、なんと手軽な(いい意味です)、またちょっと虚無も感じる慣習ではあります。

日本では、一年で水に流す。そういう文化です。除夜の鐘が鳴れば、不浄や悪徳は水に流されて、きれいな身心で一年を迎える。西欧では1000年かかるところを(千年王国思想)、わが国ではなんとその1000倍の素早さです。

ところで、この年齢になると、ほうっておいてもぜんぶ忘れてしまうので、忘年会の必要性はまったく感じません。悲しいのか嬉しいのかわかりません。

ラヴ&ピース!

2018/12/18

■轢かれた現場 福田若之との散歩

「ここがその現場なんです」と福田若之。

「その」とは、この句の出来事。

ベンツに轢かれてごめんなさいごめんなさいごめんなさい  若之『自生地』(2017年8月)

JR国立駅の北側をぶらぶら、「自生地」の舞台をたどる、というわけではないが、若之とふたり散歩した。なんの変哲もない住宅地の角にさしかかったとき告げられたのが、冒頭のセリフだ。

ほぉ、実話だったのか。

あはは。悲惨。

実話だろうが、ありがちなネタだろうが、どっちだってかまわないようなものだが、まぎれもなく事実だったことにはそれなりの意味がある。

自伝小説のようなあの句集『自生地』に、フェイクはなく、正味の自伝であること、ひたすらに一人称の俳句群であることには、それなりの意義がある。

いない姉は金魚に唄わない死なない 同

虚構の材料として伝統的に頻繁な「姉」(妹はさらに)は、いないのだから、歌も死もない。ここに虚構はいっさいない。この句集の途中、虚構めいたシークエンスもまた虚構ではなくしっかりとノンフィクションなのだと、小さな声で宣言するかのように。

その午後の散歩は、エックス山までは足をのばせず、彼がよく通った児童館の前を通り過ぎ、いまは別の家族が住んでいる生家(育った家?)をしげしげと眺めた。

こんどは自転車があるといいね、若之くん。もうすこしだけ遠くまで行こう。





2018/12/16

■こういう人・こういう句

ライザ・ダルビー『芸者』(1985年/入江恭子訳)にこんな一節があって、

「粋」であるとは、世なれているがすれっからしではなく、純情ではあるがうぶではない、ということなのだ。

こういう人になれたらいいし、こういう句がつくれたらいいな、と。

2018/12/13

■分解


100円ライターを分解。

というか、ただぶっ壊した、ということなんですが。

目的はフリント(発火石)の回収。clipper の石が切れたので、交換のため。

100円ライターってガスは切れても(すぐに切れるよね)フリントは消耗しきってないという読み。

フリントは得られなかったけれど(形状が違う? どれがフリント? ようわからん)、あんがい部品が多い(!)ってことがわかった


2018/12/10

■ライザ・ダルビー『GEISHA』ほか

電車に乗るのに本を持つのを忘れて、キオスクで湊かなえ『ポイズンドーター・ホーリーマザー』を買ったのは、作家名を目でおぼえていたからでしたが(テレビドラマの原作とか?)、あらま、どす黒いどす黒い。楽しみました。

で、次、何を読みましょうか? と本棚を眺める。はじっこにあったライザ・ダルビー『芸者 ライザと先斗町の女たち』(1985年/入江恭子訳)は、ずいぶんと昔に古本で入手、ずっと読まずに放ってあった本。米国の若い文化人類学者が芸者の研究のため、みずから芸者になるという参与観察。

読み始めると、これが、おもしろいおもしろい。

人類学者のレポートだけれど、学術の退屈はまるでない。ストーリーテリングの能力に秀でた人なんでしょうね。

奇しくも、女性という存在の、いろいろな側面を読書したことでしたよ。

ラヴ&ピース!

2018/12/08

■菓子とタンゴ

某日。友人夫妻来訪。某ミセス・タカムラも来訪。手ずから製作のパン・デビスなる美味なる菓子を携えて。


ともにタンゴを奏でる(≫こちら)。曲の終わり方を決めずに始めたせいで空中分解もまた楽しからずや。

2018/12/07

■眠らない木


JR国立駅から歩くと自宅まで30分以上かかるのですが、たまに、バスもタクシーも使わずに、散歩気分で帰宅したりします。

大学通りの駅に近いあたりは毎年この時期、イルミネーションで飾る。銀杏の落葉は昔に比べると遅くなったみたいで、黄葉がまだ残っているのに電飾を掛けちゃう木も。ちょっとかわいそう。

友人の植木職人によると、木も夜は眠るそうです。葉の有る無しにかかわらず、これでは夜遅くまでまぶしくて眠れないのでは? と心配になります。


【お知らせ】12月のくにたち句会

2018年12月29日(土)14:00 JR国立駅改札付近集合

  いつもは最終日曜日ですが、今月は異例の土曜日となります。

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2018/12/02

■極月マーチ

某日。「月天」句会年末恒例の無臍忌(山本勝之の忌日)法要および団体戦。わがチームは惜しくも優勝を逃す。

 やってきてやおらふところから鯨 10key

イベントなのでイベント的な句を用意。

風邪気味なので忘年会は欠席。帰ると、一泊で温泉(長野・別所温泉)に行っていたyuki氏はすでに帰宅していた。

旅先から、メールを送ってきて、文面に「真田ゆき」とあったので、添付画像は想像がついた。はたして、想像どおり、顔ハメ看板の真田幸村にご満悦でおさまったyuki氏。


なお、メモ的に、山本勝之にまつわる記事を。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2014/04/blog-post_2396.html

この記事は、小津夜景『カモメの日の読書』(2018年6月/東京四季出版)にも収められている。

今夜、喫茶「鍵」で会いましょう


あと、山本勝之(山本土壺名義)が加わった1983年(私が彼と出会うはるか以前)の「タコ」のアルバムも、ちょっと長いけど貼っとくね。





某日。くにたち句会、無事終了。後半のダンスタイムは、汗をかいたし、凝ってた上半身がほぐれた。

つくった句。

  総武線いつしゆんむささびの匂ひ 10key

某氏、某受験のため、頭の中が東京の地名だらけ。その影響がこちらにも及んだ。



某日。みしみし来訪。職場がウチの近所で、その職場もあとわずかの期間、ということで来訪。飲食かつ楽器を鳴らす。楽しからずや。



某日。yuki氏、予定していた元生徒さんとのランチが流れて、それじゃあ、ディーラーに行きますか、買い替えの時期だし、ということで、相談したり、見たり、試乗したり。次のクルマは「歳取るほどにしだいに小さく少しずつヤンチャに」の原則に則って、半日で決め、事前の書類まで夜には済んだ。めでたしめでたし。



某日。新宿・世界堂へ紙を買いに。ついでに来年の手帳も買う。ちょっとコーヒーでも飲もうかと、立ち寄った喫茶店がどこも満員。なんという人出だ? どういう日本だ? 帰宅して、ああ平和。

ラヴ&ピース!

2018/11/30

■梨のひとっきれ 『無心』創刊号より

爪楊枝だらけの梨が一つ切れ  浅沼 璞

みんな爪楊枝を使わずに手で摘んで食べたのでしょう。で、最後、いわゆる「遠慮のかたまり」たるひとっ切れに、あまった爪楊枝が針山のごとく刺さっている。

と、経緯を想像するのは、読みの余分。たんに、皿の一景として読むべきなのですが。

掲句は『無心』創刊号(2018年10月1日)より。


ところで、梨は豚肉と合うそうなので、機会があれば(来秋か?)、いっしょに炒めてみようと思います。

2018/11/27

■業界最小最軽量「はがきハイク」第19号

第19号を投函しました。そろそろ皆様方のお手元に届く頃です。

ご興味のある方は、tenki.saibara@gmail.com までお知らせください。すぐにお送りします。郵送代etc一切無料。

送り漏れも多々。「あれ? 届かない」という方も上記メールアドレスまで。

なお、はがき全体の画像をインターネット/SNSにアップするのはご遠慮ください。なにしろ小さいので全文転載になっちまいます。



2018/11/23

■冒頭集:アメリカの発見

 ぼくらの周囲であらゆる種類の変化が急速に進展してきている。社会上の、政治上の、文化上の、その他どういうふうに呼んでもいいが、とにかくさまざまな変化が起きている。その変化のエネルギーの中心になっているのがロックン・ロール音楽である。そういう信念のもとに『ローリング・ストーン』誌は発刊された。そして、今もその信念に変りはない。実際のところ、第二次世界大戦以降に育ってきたぼくらの数多くの者にとっては、ロック・アンド・ロールは、ぼくらが一体何であり、この国でどういう位置にあるのかということを初めて革命的に見通す目を与えてくれるものであった。ぼくらは、おとなたちに教えられてきたプラスチック製のアメリカ神話の背後に本当のアメリカ合衆国があるのだということを、あのアイゼンハワー/ウォルト・ディズニー/ドリス・デイという表面の背後に本当のアメリカがあるのだということを、初めて知ったのだった。ファンキーで、荒々しく、深く分裂し、絶望的で、意気揚々としていて、豊かな歴史のある伝統に根ざしており、多様な人種から成る本当のアメリカを発見したのだった。(…)
ジャン・ウェナー「まえがき」:『ローリングストーン・インタビュー集1』(三井徹・菅野彰子訳/草思社/1974年)

2018/11/21

■外階段:la nuit

タイトルをちょっと気取ってみました。どこで撮ったかは忘れました。


2018/11/18

【お知らせ】11月のくにたち句会

2018年11月25日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2018/11/10

■外階段:四谷左門町あたり

承前


散歩散歩散歩。


2018/11/09

■読むことは〈そこ〉に出かけること

読むことは、それ(作品でもテキストでも呼び方はなんでもいいのです)が在る/生起する〈そこ〉へと足を運ぶことであって、読者がいる〈ここ〉にそれが届くということではなかったりします。

届くなら、それは伝達。そうしたたぐいのことばも世の中にはたくさんあるのですが、すくなくとも、ここで言おうとする句やら作品やらテキストには、伝達という「用途」が課せられているわけではありません。

ちょっとだけ流れていけば虹二本  清水かおり

〈そこ〉に行けば見えるものがあるわけです。

(逆に言えば、〈そこ〉に行かなくても見えるものなら、読む必要もない)

ところが、読者のなかには(例えば俳句といった伝達とは程遠い分野の読者のなかにさえ)、みずからの立つ「ここ」から動けない人、動こうとしない人が多いようです。

例えば、俳句世間で、「わからない」という文言が気軽に、あるいは尊大な口調で発せられたりするのは、動こうとしないから、〈そこ〉に出かけようとしないから、だと思うのですが、どうなんでしょう。季語の本意がどうの諸品詞の用法がどうのと、みずからの知識の枠内から一歩も出ない批評や評価も、同じように、〈自分〉にとどまっているせいかもネ。

自室の窓から目だけ出して、外を眺めているような読み手は、きっと不幸。

読む愉悦は、みずからを捨てて、自室を出て、〈そこ〉に足を運んではじめて得られるものだと思うのですが。

ラヴ&ピース!

掲句は『川柳木馬』第157・158号(2018年10月)より。

2018/11/04

■たまねぎとか

某週末、岳父の家庭菜園に夫婦して畝をつくり(恥ずかしながら生まれて初めて)、たまねぎを植える。隣のおじいさんが親切にいろいろ教えてくれる。シロウトまるだしだったから、言わずにおれなかったのだろう。

さて、成るのかな?

まずまずすこやかに暮らしております。


2018/11/02

■消息とか石鹸とか

カッターナイフで石鹸を切る、ひたすら切る、というアカウントをフォローしたり。

https://twitter.com/cuttingvids

ウラハイに句集のことを書いてみたり。

http://hw02.blogspot.com/2018/10/why.html

まずまずすこやかに暮らしております。



2018/10/29

■消息とか

≫なめらかな夜に 飯田晴句集『ゆめの変り目』の一句https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/10/blog-post_5.html

≫〔週末俳句〕本をひらく
http://hw02.blogspot.com/2018/10/blog-post_28.html

俳句関係で何か思いついて書いたとき、それをどこに載せるか/載せてもらうか。いちいち悩むわけですよ。週刊俳句かウラハイか自分のブログか。振り分けの原則は、あるようで、ない。


2018/10/25

■デュシャン2018

デュシャンの名を口にすることには、ちょっと複雑というか軽い恥ずかしさがある。

若い頃、デュシャンは〈知的にオシャレ〉の最強アイテムだった。世代によるものか、少なくとも時代にはよるものだろう。それは、知的ぶる、オシャレぶる、といった見栄やスタイルや背伸びを、場合によってはたぶんに含むものではあったので、今となれば、恥ずかしいのだ。

けれども、デュシャン自体が、そうした軽薄な文化流行であるわけではない。きっと、何十年・何百年経とうが色褪せない知性でありモード(オシャレ)であるはず。

というわけで、東京国立博物館で開催中の「マルセル・デュシャンと日本美術」へ。

空いてると聞いていたが、実際、空いてた。

展示品は約150点と多い。初期の油彩があるわ、階段を降りる裸体があるわ、大ガラスがあるわ、泉もある、グリーン・ボックスもある、写真も豊富、よくこれだけ並んだなあ、というくらい。

なのに、空いてる。平日とはいえ、かなり空いてる。

空いててうれしいけれど、これも時代なんだろうなあ、と。


で、大ガラスは、想像していた以上に、大きかった。

階段を降りる裸体は、色合いに時代の機微がある(ような気がした)。

グリーンボックスetcに収められたメモ書きの筆跡は、あんがいふつーだった(オーラや唸るほどのスタイリッシュさは感じられない)。

これもあのデュシャンの泉かじかめり 10key(句集『けむり』)





2018/10/24

■ピクルス日和

5日前に仕込んだピクルスを小さく切って、カテージチーズと混ぜ、オリーヴオイルをかけてレモンを絞る。

美味&ピース!


2018/10/22

■チキン・シャクティとか週俳600号とか

無印良品のレトルト・カレーはだいぶ前から、たいそう人気のようなのですが。

…と、食べものの話ばかりしているようなのは、このところ、食べものに気を使っているからで、でも、ご心配には及びません。検査結果によると、良い方向に向かっています。

で、カレーの話。無印カレーの数あるラインナップのなかで、チキン・シャクティというのが、大のお気に入りだったのですが、生産中止らしい。ああ、残念。でダントツに好いていたのに!

話は変わるのですが、週刊俳句が第600号。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2018/10/60020181021.html

麒麟さんと若之くんの動画とか、まったりしてて、いいですよ。



それにしても、外はいいな、と。

というわけで、散歩がいいです。外がいいです。このあいだもひとり浅草で、昼ごはん、どうしようかということで、お弁当を買って、隅田川を見ながら、気持ちよく食しました。

外がいいし、川辺もいいですよ。

ラヴ&ピース!

2018/10/19

■ピクルス、またもや

材料の下準備、完了。




パプリカとエリンギは火を通さずにナマなので、先に袋に入って、待機中。

ラヴ&ピース!

2018/10/18

■冒頭集:高橋お伝逮捕の報

「サァサァ皆さんお聞きなさい深い意趣遺恨のあるでもないに只お金を貸さぬばかりの事で男を殺害したる前代未聞無類飛切りともいうべき女の大罪人が出来ました。……」
 大道香具師の呼びこみめくが、これがレッキとした新聞記事である。要点を抽出し、誇張すべき点を誇張していて、キャッチ・フレーズとしての正統派と私は思う。
 右は、高橋お伝捕縛の記事の書きだし。一八七六年(明治九年)九月一二日付の東京新聞の雑報である。
小沢信男『定本犯罪紳士録』(ちくま文庫/1990年)

「いうべき」は当時なら「いふべき」なのでしょうが、そこ(旧仮名・新仮名)にこだわることもない。


2018/10/17

■TAMA RIVER

来る10月21日、週刊俳句は第600号。


記念企画の撮影のため、某日、若手ふたりと多摩川へ。

すてきな動画が撮れました。乞うご期待。

多摩水道橋。神奈川側は登戸駅、東京側は和泉多摩川駅。

2018/10/16

■電池の寿命

抽斗の奥から出てきた腕時計は、以前おみやげにもらったスウォッチ。sydney 2000 とあるのでシドニー五輪の年、2000年ということか。ずいぶん昔のものが出てきた。

でも問題はそこじゃない。驚いたことに、いまだに針が動いている! 18年間! 


1999年製造と印字があるので、19年間かも。電池を換えた覚えはない。使った記憶がないから、電池を換える必要もなかった。

時計の電池って、そんなにもつものなの?

 電車より電池長生き秋の風 10key(dedicated to Toshio Mitsuhashi)

秒針がないので、消費電力が少ないのかもですね。

ラヴ&ピース!

2018/10/13

■外階段:雨の螺旋〔いただきもの〕

小林かんなさんからいただきました。ありがとうございます。



2018/10/12

■スペイン人、ナイス!

売っているのをあんまり見ないのですが、clipper というスペイン製ライター。良いところがたくさんあって。

1 色がかわいい。

2 炎のかたちがいい。わたくしパイプを嗜むのですが、きれいにボウル(タバコ葉のあるとこね)に入ってくれる。

3 中が見える。これはめずらしくはないんですが、BIC等は中が見えなくて最悪。いつガス欠になるのかわからない。

4 100円ちょっとという使い捨ての値段なのに、使い捨てじゃない。つまりガスが入れられるんです。


clipper を知ったのは、じつは最近で、もう、これは、痛恨。バカ、バカ、なんでもっと早くに出会わなかったのか!

この3色のほか、赤とオレンジがあります。

ガスボンベ、でかい。300mlですってよ。

2018/10/09

■鉄の夢見・石の夢見

多田智満子歌集『遊星の人』(2005年/邑心文庫)より。

六連發ピストルのなか輪になりて六つの夢のあやふく眠る  多田智満子

象徴作用や隠喩、過剰なドラマを招きやすい「ピストル」が、読者の掌中に収まるかのように確固たる事物として伝わるのは、ムダのない文体が硬質を構成/構造するからでしょうか。

夢が眠る、という言い方は、ごくふつうのようでいて、じわっとおもしろい。


こんな歌もあります、この本の94頁には。

石に眠る大イグアナのまぶたふるへ千年の夢さめゆくごとし  同

マヤ遺跡での一首。

2018/10/07

■四谷左門町あたり

裏側ラヴと球体ラヴと外階段ラヴの3つを受け止めてくれる一区画。


この日の散歩については、こちらにも。
http://hw02.blogspot.com/2018/10/blog-post_7.html

2018/10/05

■冒頭集:No Woman No Cry

 ピサの斜塔は完成する前から既に傾き始めていたという。よくみれば塔の上部は辻褄をあわせるように少しずつ角度を変えて、なんとかまっすぐにみせようとしてある。
 建設に際し、多くの思惑が交錯した結果だろうか。それとも、携った誰もがあまりにも何も考えなかったゆえの産物なのか。
 おそらくは後者だろうと睦美は思う。根拠のないのに思うのは、そうであってほしいという期待があるからだ。
長嶋有『泣かない女はいない』(2005年/河出書房新社)

2018/10/04

■続・ぴくるす

できた。


2018/10/03

■ぴくるす

この1か月ほど、わけあって、食事に気を使う毎日。甘い物は断っていたのですが、そんなに禁欲的になるのもよくないので、さっき、世界一キュートな最中をひとつ食しました。

で、話は変わるようで、変わらない。昨晩、知人とともに飲食を共にした久しぶりのビストロ。そのピクルスがあまりにおいしかったので、今晩は、ピクルスをつくりましょう。ってことで、セロリ、きれいな色のピーマン、エリンギetcを買いました。人参はあるはず。大根は、入れるかどうか、あとで考えます。


ひらがなで「ぴくるす」と書くと、なにかの同人っぽい。

あ、バンド名に良いかも。

友人と遊んでいるバンド名、以前に候補としてあがったダイアビーティース(Diabetes)も音はカッコいいけど、ネガティヴじゃないですか。

「ぴくるす」と聞いて、どんなメルヘンチックなバンドが出てくるのかと思ったら、その平均年齢としぶすぎる(いい言い方!)ルックスに吃驚してもらえるかもしれません。

ラヴ&ピース!

2018/09/30

■ふたつの謹撰とか散歩のこととか

週刊俳句の「10の質問」コーナー。そこで立て続けに謹撰10句をさせていただきました。

山田耕司さんへの10の質問

岡田一実さんへの10の質問

どちらも素敵な句集。そこから10句を選ぶ(なおかつ、こうして他人様の目に触れる)のはなかなかにハードな、しかしながら楽しい作業でありました。

こうした謹撰は、句集の魅力を伝わるような、しかもヘンな、できれば自分(選んだ私)らしい選、なおかつ選んだ意図を邪魔にならない程度に含ませて、という欲張りで野心的な目論見。前者、山田耕司『不純』から10句については、この句集の一筋縄ではいかない素っ頓狂とオシャレが、後者、『記憶における沼とその他の在処』については、作風の幅の広さが伝わる選を心がけましたぜ。

週俳関連では、最新・第597号のトップ写真を担当。

ここから話題は散歩へと移るのですが、知らない場所を歩くのは、ほんとうにおもしろくて、地下街を歩くにも天井の表示版を眺めながらだし、線路脇の道をどんどん歩いていくと、工場に突き当たり、どこにも抜けられなくて、引き返したり。

この日もずいぶん歩きました。

帷子川と京急。車窓のむこうに赤い車輌が見える。
すれ違ってるんですね。

外階段にはやはり目が行きます

小さな鉄橋をくぐる

京急と外階段

あっ! 今回の謹撰(選句、あるいは句集を読むこと)とね、散歩とはね、かなり似ているかもしれない。

ラヴ&ピース!

2018/09/29

【明日のくにたち句会は中止】

急なことであいすみません。颱風の心配もありますので、中止とさせていただきます。

2018/09/28

■アナログ+デジタル

レンズアダプターというものがありまして、サイズや機構の合わないレンズとカメラ本体とをつないでくれるもの。これを2000円台で購入して、むかしアナログカメラで使っていたマクロレンズを現在のデジカメOM-Dに装着。


自動焦点ではないので、パシャパシャとは撮れない。ピンボケも多発。これはしかしデジカメでは味わえない苦労や失敗の楽しみ。

そして、重い。そうとうに重い。むかしのレンズは「工業製品!」な感じ。腕がすぐに疲れるほど重い。ちょっと鍛えないと。

とりあえず大好物をクローズアップで撮る。



どちらも朝の喜び。

ラヴ&ピース!

2018/09/27

■独特で、無造作で、優雅

巣の造形は、鳥ごとに、豊かな違いがあります。そしてどれも独特で、無造作で、優雅です。
小津夜景「鳥の巣について」
http://yakeiozu.blogspot.com/2018/09/blog-post_26.html

《独特で、無造作で、優雅》。これって、モノや作品や人におけるひとつの理想・最高ですよね。

2018/09/24

■いまだ湯豆腐にあらず

秋らしくなってきたとはいえ、まだ暑い。湯豆腐には到らず、本日も我が家は冷奴。


ご覧のとおり、私は、木綿豆腐派。

ちなみに、好きな薬味ベスト3は、

1 みょうが

2 すりごま+七味唐辛子

3 おかか

であります。

2018/09/22

■羊羹をどこで切るのか 一句の中の句読点

句をどこで区切って読むのか。判然としない句があります。

切れ字「や」はその点、読みを明瞭にしてくれる。でも、そうじゃない句のケース。「切れ」というより、句読点の話に近いのですが、例えば、

春はすぐそこだけどパスワードが違う  福田若之

ふつう、

A 春はすぐそこ。だけど、パスワードが違う。

B 春はすぐそこだけど、パスワードが違う。

C 春はすぐそこだけど。パスワードが違う。

受け取る意味はほぼ同じ。だけど、感触が違う。リズムや口調・口吻が違うせいですね、きっと。

BとCは句点と読点が違うだけだけど(つられて「だけど」が多くなる)、Cは「すぐそこだけど……」と言い差しあるいは省略の要素が入ってくるから、やはしすこし違う。

と、ここで、もうひとつの区切り方。

D 春はすぐ。そこだけど、パスワードが違う。

かなり無理筋とは承知しつつ、ないわけではない。

この「そこ」は例えばモニター画面のパスワード入力部分。後半がセリフのように響き、

D’ 春はすぐ。「そこだけど、パスワードが違う」

といった趣。


俳句はときどき〈六方が開いた箱〉みたいに出入り自由に開かれているので、こうした〈読みの遊び〉も許してくれる。

ラヴ&ピース!


なお、区切り(切れ)が揺れるのは、掲句のように、いっけんすらっと〈一文〉になった句とは別に、終止形と連体形が同型の口語体、句の途中の名詞が前後の用言のどちらに掛かるか決定できないetcのケースでも起きる。実際は、これらのほうが頻繁。

2018/09/17

■外階段かつ小さな休暇

連休は葉山に遊びに行っていました。友人夫婦と私たち夫婦4名。ほぼ恒例化。

で、ですね、葉山に行っても外階段にレンズが向くのであります。



2018/09/14

【お知らせ】9月のくにたち句会

2018年9月30日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2018/09/13

■ガーデンパーティ

いい空気、というのは物理の空気ではなくて、人がみな不安なしに、人と人が良い距離感で、安らかにすこやかに時間を共にするということで、それはふたりでもおおぜいでも同じこと。

2018/09/12

■冒頭集:葉真中顕

 その部屋には、死の海が広がっていた。

 国分寺駅の南口から、徒歩一〇分足らず。住宅街の一角に建つ、五階建ての単身者向けマンション『ウィルパレス国分寺』。近年流行りの落ち着いたデザインで、外壁には白を基調にダークブラウンをアクセントとしたサイディングが施されている。
 奥貫綾乃が四人の男たちを率いてそのエントランスに到着すると、オートロックのスライドドアが内側から開けられた。
葉真中顕『絶叫』(2014年/文社)



葉真中顕は、この名で作家デビューする以前、ネット上にエンターテイニングかつ明晰な記事を書いていた頃からのファンです。

『ロスト・ケア』(2013年)は面白く読んだ。続く『絶叫』は最高に面白かった。『ブラック・ドッグ』(2016年6月)は途中そうとうきつかったが、なんとか最後まで読んだ。『コクーン』(2016年10月)は途中で投げ出した。これらは、各作品の出来栄えよりも、私との相性が大きいのだと思う。

今年8月には新刊『凍てつく太陽』が出た。これまで、◯→◎→△→☓、と来ているわけで、「もういい」という選択肢もありますが、やはり買って読もうと思っています。

ラヴ&ピース!


2018/09/08

2018/09/04

■虚実のあわい 『カモメの日の読書』それ自体が詩であること

小津夜景『カモメの日の読書』(2018年6月/東京四季出版)の構成の妙については、全体をどうこうというより(なにしろ40章もある)、最初の2章なんです、要は。

「1 カモメの日の読書」は、書名と同一タイトルで(LP、CDでも目にするかたち)、この本の趣旨を伝えながら、内容はというと、いかにも日常かつ随想。家族も登場して、出来事としてはリアル。

ところが、続く「2 うりふたつのたましい」では、冒頭、「知り合いに妖精っぽいひとがいる。/妖精っぽいそのひとは、たまに妖精のプリントTシャツを着て、待ち合わせ場所にあらわれる」とあり、すぐれて虚構的な肌合い。

ひとまず漢詩紹介本のかたちをとるこの本の散文部分(エッセイ風の散文部分)が、リアル(ノンフィクション)なのかフィクションなのか、読者は軽い目くらましに遭う。

それはいわば「おもてうらの判別しがたい布みたいに、真と偽とが爽やかにシステムエラーを起こしている」(2 うりふたつのたましい)みたいなのだ。

この本に書かれるのは、作者/著者の日常生活のリアルなのか、作者/著者の想像・虚構なのか。そこのところは明示されない。

虚と実の、真と偽の、間(あわい)を行くよ、とでも宣言するかのようなのだ。はじめの2章でもって。

しかしながら、考えてみれば、詩的であるとは、虚実のあわい、真偽のあわいに在ることにほかならないのではないか。

かくして、この本は、1冊として詩、どこを切っても詩、といった稀有な全体像をもつにいたるのであります。

ラヴ&ピース!


2018/09/02

■コンパクトな配置 桜木町あたりを歩く

横浜・桜木町駅。新しい大型商業施設やら遊歩道が整備された海側と対照的に、山側(陸側)は、古くからの繁華街・野毛。ここでちょっと盛り上がったあとは、目と鼻の先の、さらにディープな遊びが用意された伊勢佐木町やら黄金町へ…ということなのだろうか。よくは知らないが、少し歩いただけでも、この界隈のコンパクトに凝縮された「悪場所」感がひしひし伝わる。素敵ですね、桜木町の旧市街。


2018/08/29

■エビフライその他

宇治金時タワーマンションがいっぱい  樋口由紀子

ミルクがない点、オトナっぽい(≫参照)。

と、そんな話ではなくて、「樋口由紀子さんへの10の質問」の後ろに並んだ10句がとてもおもしろくて、

クリップとゴムの間が汗臭い  同

クリップの金属臭、ゴムのゴム臭、汗の匂い、この3つはそんなに遠くない。細かい箇所で、3つの匂いが交叉する。

九州と四国の間にエビフライ  同

豊後水道で海老が穫れるのはあたりまえだろうけれど、エビフライはやはり異様な景色。巨大なエビフライが1本横たわっている。


ところで、この「10の質問」シリーズ、もともとは、週刊俳句で大昔にあった「ハイクマシーンに10の質問」。最近になって、ひょんなことから復活した。

俳人・柳人が続々登場する予定でありますが、樋口由紀子さんの次は、柳本々々さん

じつは、「10の質問」の相手先として、シリーズ開始当初から私のアタマのなかには柳本々々さんの名があがっていたのですが、回答をお願いするのがずいぶんと遅くなりました。理由は、ただひとつ。

「10の質問」と柳本々々さんは、俳句で言うところの「つきすぎ」だから。

あまりに一直線に付くので、躊躇していたのでした。

象 忘れ物をしてまた出会うこと  柳本々々

ともかく、これからも「10の質問」にご期待ください。

ラヴ&ピース!

2018/08/23

■前提を変える

風邪は一日も早く治ったほうがいいのですが、「この風邪は長引く」という前提へと、考え方を変えると、ラクに過ごせるようになりました。

いわゆるデフォルトの身心レヴェルをすこし引き下げる。アタマはすこし重いのが普通で、身体全体がいまひとつすっきりしないのが、いまのところの、そしてとうぶんの、日常、というふうに切り替える。

一方、ふと気づくと爪が伸びている。不調を理由に、何かに気づくことにあれこれ怠慢であったかと、大いに嘆き(大げさ!)、爪を切るくらいは、こんな状態でも出来るので、切りました。

ラヴ&ピース!

夏風邪やひよつこりひようたん島に崖  大石雄鬼

2018/08/20

■卓球20句 『We』より転載

このあいだね、イコマくんが突然やってきて、みなですき焼きを食べたりしたんです(暑いさなかのすき焼きってちょっとオツでしょ?)。そのとき、「あ、そうそう、イコマくんの句をつくったんだよ」と言って、掲載ページを見せた。



『We』第5号(2018年3月)より転載
(『We』のご厚意により転載を許可いただきました)

まとめたのは去年の12月。発行日に合わせて春から夏。タイトル「卓球」は、なにかヘンなタイトルないかな? 俳句ではあまり付けないようなヘンなタイトル、ということで付けた。

イコマ記念ということでなくとも、このさき、自分にとって愛着のある連作になるといいなあ。

2018/08/19

■たくさんの時間やページ数や言葉数の愉悦

昨日の記事で引いた、
みんなみんな、なんでそんなにたくさんの時間やページや言葉数を費やさないと、何かが伝えられないと思っているんだ。(山田航)
これはきっと違う。少なくとも私にはそうではない。この物言いだと、時間やページ数が手段・方法。手間暇をかけないと、目的(何かを伝えること)が達せられない、ということになる。そうではなくて、時間やページ数こそが、私が享受する、悦ばしく享受するものにほかならない。

たとえば、クルマが目的地に達するためだけのものなら、乗っている時間は短いほどいいし、燃費がいいほうがコスト安。あるいは誰かが運転してくれるほうがラク。でもね、クルマがナイスなら、目的地はどこだっていいのです(うひゃあ、ヘタなたとえ)。

分厚い本の愛おしさ、6時間も続く映画の気持ちよさ。それがあるから読むんだし、観るんですよね。


2018/08/18

■冒頭集:桜前線開架宣言

困る。本当に困る。何にって、ぼくが根っからの文学青年だと思われることだ。知っていて当然かのように小説の話などを振られるのは困る。名作といわれている小説なんてろくに読んだことがない。映画も苦手だ。なんで二時間以上もあるんだ。ずっと一カ所に座っているのは嫌だ。漫画ですら長いものは読む気にならない。週刊少年ジャンプを生まれてこの方読んだことがない。みんなみんな、なんでそんなにたくさんの時間やページや言葉数を費やさないと、何かが伝えられないと思っているんだ。
(山田航『桜前線開架宣言」まえがき)

2018/08/17

■追悼アレサ・フランクリン

アレサ・フランクリンが亡くなった。昨日、76歳。

声を張る箇所ではなくとも(つまり小さく低く優しく歌う箇所でも)、あるいはアップテンポではなくスローでも、すべてがシャウトの圧(あつ)をもって、メロディーと感情が伝わる。どの箇所もこちらの胸がいっぱいになる。

(技巧的にはよくわからないが、呼吸は常に100パーセント、ぜんぶを声として響かせない箇所は、息を逃す。そんな感じ。ソウルの歌唱ではめずらしくない)

好きな曲、好きな歌唱はたくさんあるけれど、「ブランド・ニュー・ミー」を、ニューポートでのライヴで。

2018/08/13

【お知らせ】8月のくにたち句会

2018年8月26日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2018/08/11

■走れ禿頭 『塵風』第7号の井口吾郎

『塵風』第7号の映画館特集がすごいという話をして、もはや俳句雑誌ではない、と言ったんだけれど、やはり俳句雑誌ではあるわけで、ぱらぱらめくると、随所に美味。

例えば、井口吾郎「飼育二課」は例によって回文俳句ばかり10句。タイトルがまず、いいですよね。飼育二課。どんな会社なんだろう。

蟹食いし絆頷き飼育二課  井口吾郎

なんだか、いい会社っぽい。

うそ寒のテレビくびれて呑む誘う  同

なんだか、暮らしが見えますよね。技法的には軽い「て」切れのあと、終止形ふたつの畳み掛け。

禿頭逃げ行く湯気にまた揚羽  同

笑えるんだけど、笑って済ますには美しすぎる景。

ほんと、よく出来てますわ。


問い合わせ先:西田書店
http://nishida-shoten.co.jp/

2018/08/10

■宇治ミルク金時というゴージャス

某日、かき氷界のロールスロイスとも称される宇治ミルク金時を謹んで食す(白玉まで付いてた)。

ミルク増量、金時増量というオプションがあったら、なおよかったが、贅沢は言えない。


2018/08/09

■抱く 週刊俳句・第583号の八鍬爽風句

三毛猫を蛆ごと抱きて石を売る  八鍬爽風

三毛猫ではなかったけれど、猫を蛆ごと抱いたことがあります。

猫は、死に場所を人間に見られないように死んでいく、といいます(真偽の程は不明)。

家から出さずに飼っていたら、それはムリでしょう。実際、前にうちの猫が最期を迎えたときは嫁はんの腕の中で息を引き取りました。

けれども、むかしむかし、病気でほとんど動けなくなったはずのご近所の猫が、縁の下に横たわっていたことがあります(なんとかそこまでたどり着いたんですね)。まだ息はありましたが、蛆が大量に湧いていました。あいつらは、死を待たずに湧いたりするのでしょうか。ともかく、からだを床に寝かせて、知人がひとつひとつ蛆を指で取っていきましたが、キリがありませんでした。

だから、何が言いたいのかというと、この句の景色、痛々しいような凶々しいような景色は、一読、想像のたぐいと読む人がいるかもしれませんが、きわめて現実的な事象なのですよ、ある人々(私を含む)にとっては。

下五の「石を売る」は間テクスト性を狙ったものかもしれませんが(つげ義春)、このように別の行為へと句が移っていくよりも、その場に立ち尽くす句であってほしいと、私個人としては思ったのでした。

掲句は、週刊俳句・第583号〔2018年6月24日〕掲載・八鍬爽風「そうふうのはいく」より。

2018/08/08

■『カメラを止めるな!』、あるいは、なにも止めるな!

映画館の満席とは、左右の端っことか最前列とか、「そこって映画観る場所じゃないでしょ」という席まで埋まるということで、そんな異常事態が軒並み、それもどの時間帯にも起こっているという『カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督)。

やっとこさ観てきました。池袋ロサ。40年くらい前にビリヤードの試合で来たなあ(プロじゃないよ、アマの試合だよ)。当時から場末感みなぎるビルでしたが、さらにディープに。

で、映画なんですが、評判に違わず、最高!!!です。

で、なにを言ってもネタバレになるので、なにも言えない。

でもちょっとだけ言えば、トリュフォー『アメリカの夜』。いや、ヴィム・ヴェンダース『ことの次第』か? ぜんぜん違うんだけど、じわーっとね。『アメリカの夜』なんだよなあ、と。


ところで、ひょんなことから、上田慎一郎監督のおとうさんのフェースブックを知って、これがまた途方もなく素晴らしいのですよ。『カメラを止めるな!』のバックステージものというのでもなく、スピンオフでもなく、でも、それらと無縁でもなく。

上田慎一郎 カメラを止めるな



『アメリカの夜』や『ことの次第』を持ち出したけれど、『カメラを止めるな!』は、映画って素晴らしい、にとどまらず、なにかをするってことは素晴らしい、さらには、死なずに動いているだけで素晴らしい、と、どんどんとんでもなく一般へと広がって、観ているこちらの胸がいっぱいになる。

『カメラを止めるな!』という映画を観ることは、『カメラを止めるな!』という出来事に出会うことなのかもしれませんよ。

ラヴ&ピース!

2018/08/06

■常温派

桃は冷やさず常温派。なんなら窓辺であっためて。

さらには西瓜もまた、近年、常温でいいや派に。

 まよなかをゆきつもどりつ冷し桃  八田木枯

 蛇取は西瓜喰ひ喰ひ秋の風  会津八一


2018/08/05

■江戸川花火大会へ

花火見物なんて何年ぶりだろう? 関戸橋の花火以来です。

打ち上げ開始の1時間前の市川駅は人でごった返し、プラットフォームから人がこぼれそうなほど。階段付近の行列が動かない。それでも嫁はんとなんとか落ち合い、駅を出る。会場近くの混雑を避け、市川橋へ(嫁はんは職場から近いので土地勘がある)。

市川橋。旧名・江戸川橋。全長399メートル。連続鋼桁複合橋形式。橋に出逢えばとりあえず渡る「橋ラヴァー」としては、花火よりもこちらがメインになりそうです。

橋の途中でカメラの三脚を立てている人もいて、シャッターのタイミングを見ていると、総武線の列車がメイン。花火をバックに狙っている。鉄道ラヴァーも、今夜の江戸川花火大会に来ているんですね。

(つまり、花火は花火なんだけど、それよりも鉄道、はからずも橋、って人もいるんです)

ぶらぶらと小岩側まで歩いたのですが、なにしろ全長399メートルです〔*〕。かなりあります。で、土手に腰掛ける。人出のまばらさも花火までの距離も、いいかんじ。


▲市川橋の途中から。ビル陰の花火。長いレンズを持っていなかったので、写りが遠い。小さい。

▼土手から見る市川橋。みな花火を見ている。



▲花火会場から距離を置く人々。


この夜、発射場の近くで真上に花火を見ていた吾郎さん(回文大王)からのメールによれば、市川側40万人、小岩側100万人が集まったそうで、どれだけ花火が好きなんですか、みなさん!

 東京に水にほふ夜の花火かな 10key(『けむり』2011)

はんぶん東京じゃないけどね。東京の端っこだけどね。

ラヴ&ピース!


〔*〕歩いて渡った橋の長さでは自分史上第2位かもしれません。第1位はダントツで新富士川橋の1553メートル。これはほんと長かった。