2018/09/04

■虚実のあわい 『カモメの日の読書』それ自体が詩であること

小津夜景『カモメの日の読書』(2018年6月/東京四季出版)の構成の妙については、全体をどうこうというより(なにしろ40章もある)、最初の2章なんです、要は。

「1 カモメの日の読書」は、書名と同一タイトルで(LP、CDでも目にするかたち)、この本の趣旨を伝えながら、内容はというと、いかにも日常かつ随想。家族も登場して、出来事としてはリアル。

ところが、続く「2 うりふたつのたましい」では、冒頭、「知り合いに妖精っぽいひとがいる。/妖精っぽいそのひとは、たまに妖精のプリントTシャツを着て、待ち合わせ場所にあらわれる」とあり、すぐれて虚構的な肌合い。

ひとまず漢詩紹介本のかたちをとるこの本の散文部分(エッセイ風の散文部分)が、リアル(ノンフィクション)なのかフィクションなのか、読者は軽い目くらましに遭う。

それはいわば「おもてうらの判別しがたい布みたいに、真と偽とが爽やかにシステムエラーを起こしている」(2 うりふたつのたましい)みたいなのだ。

この本に書かれるのは、作者/著者の日常生活のリアルなのか、作者/著者の想像・虚構なのか。そこのところは明示されない。

虚と実の、真と偽の、間(あわい)を行くよ、とでも宣言するかのようなのだ。はじめの2章でもって。

しかしながら、考えてみれば、詩的であるとは、虚実のあわい、真偽のあわいに在ることにほかならないのではないか。

かくして、この本は、1冊として詩、どこを切っても詩、といった稀有な全体像をもつにいたるのであります。

ラヴ&ピース!


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