2020/05/31

■貧乏でリンボー

正月のビンボーリンボーダンスなり  広瀬ちえみ

正月にオカネがなくて、リンボーダンス?

悲しい。可笑しい。

雑然とモノにあふれて汚い六畳間(妄想です)。売っ払えばいいのになギターが1本壁に(妄想です)。女房には逃げられて(妄想ふくらんでます)、することもなく、ひとりリンボーダンス。あのパーカッシヴなBGMも脳内で鳴る。

あらためて、悲しい。可笑しい。

なお、limbo は辺獄の意でもあるそうな。ジミー・クリフ「シッティング・イン・リンボ」は、こっちの意味かな? ようわからんけど。

掲句は広瀬ちえみ句集『雨曜日』(2020年5月30日/文學の森)より。


ところで、雨曜日ってなんだろう? と検索してみると、こんなMVが。



鶴というバンド名とアフロ、雨曜日。統一感のなさが素敵です。

2020/05/30

■両耳に

両耳に音楽ぶらんこを漕いで  近江文代

音は耳で聴くものでですが、この句の場合は、耳孔で鳴る音楽、イヤホンかヘッドフォンでしょう。

思いきり高く漕げば、音の位相に変化が生じるかもしれません。いや、それはないか。

いずれにせよ、音楽って、いいものです。いつも身近にしていたい。

ただし、私個人は、ふだん音楽を愉しむのにイヤホンやヘッドフォンは使わず、空気を鳴らすタイプ。だからどう、というのではなくて。


掲句は『猫街』創刊号(2020年5月)より。


2020/05/28

■おうち食:保存系

出来上がりが手軽に買えるものでも、じぶんちで作るほうが美味しいことがよくあって、辣韮とか生姜とか山椒とか、素材を手に入れて、処理をほどこす。といっても、おおかたは嫁はんの発案と作業。私はちょっと手伝うだけ。

辣韮は鳥取産が出回るまで待って、入手。包丁で頭と尻を切り、手で皮を剥く。塩漬けの手順は省かないほうが、美味しい甘酢漬けが出来る(塩漬けの段階で食すという愉しみもあるしね)。


新生姜をスライスして甘酢漬け。アントシアニンが酸化してピンク色になるそうですよ。きれい。


辣韮も生姜もたいへん美味。

山椒の実を茎から外すのはなかなかに時間がかかる。けれども、ちまちましたルーティン作業が好きだから、苦にならない。音楽を聴きながら数時間(この分量だと小一時間?)。

ラヴ&ピース!


2020/05/27

■歌人と俳人

社会集団が違えば、文化も異なる。

あのう、この記事、短歌とか俳句が出てくるんですが、文芸・文学の話ではなく、社会学的なことです。

まず、この記事。

短歌時評155回 歌人を続ける、歌人をやめる 千葉聡

これを読んでまず思ったのは、俳句世間とちょっと違うな、ということ。「俳句を続ける/やめる」とは言うが、「俳人を続ける/やめる」という文言は聞いたことがない。もちろん管見の限り。

上記記事は、「短歌を続ける/やめる」ではなく「歌人を続ける/やめる」。

で、少し読むと、「歌人」がたんに短歌を作る人・書く人ではなく、なんからのステイタスであることがわかる。有り体にいえば「ヒエラルキー」の上位=歌人。裾野には「短歌愛好家」がいるのだろう(呼称は知らない。俳句では「俳句愛好家」の語を使う)。

この説明(↓)を読めば、そのことがもっとはっきりする。



誰でも歌人を名乗っていいわけではないらしいのです。

んんん、これはしんどい世界ですね。

俳句では、どうでしょう?

これも管見の範囲となりますが、「俳人」という呼称やカテゴリーに、それほどの価値やステイタスはないと思います。「俳人」「俳句愛好家」「俳句作家」etc、自分でしっくりくる呼称を選んでいるような感じです(呼称が必要な場合は、ですが)。

俳句にも「俳壇」とか俳句世間(社会集団)はあって、そこで自らがいかなる存在感を築けているのか、他の俳人からどう目されているのか、といったことを気にする人は少なくない。そのうえで、俳句を続けるかやめるかに悩むことはあっても、俳人を続けるとか俳人をやめるとか俳人でなくなるとか、そういうケースには立ち会ったことがない。

「歌人を続ける/やめる」と「俳句を続ける/やめる」。言い方の違いにすぎないとおっしゃる向きもあろうかと存じますが、どうもそれだけではない気がする。

ノリというか、文化が、短歌と俳句では違うのだろうと、想像するのですよ。

「俳壇」のことをよく知らないで言ってますが。

で、何が言いたいわけでもないのですが、俳句のほうが、いいかげんでふわふわしたかんじでもオッケーな感じ、それで許される土壌・風土があるような気がして、ラッキー、自分、俳句でよかったぁ、と呑気に思うわけです。

ラヴ&ピース!

2020/05/26

■お家で映画 『ハーフ・オブ・イット』

映画館が閉まっていることもあって、ネット配信のドラマや映画を観る人が増えているそうです。私も、『全裸監督』見たさに Netflix に加入。すでに何本か見ました。やたら長い韓国ドラマに睡眠時間を削られたり(新味も刺激もないけど面白いんだわ)、米国のノンフィクション『タイガー・キング』がたいそう面白かったり。

そんななか、5月1日配信開始の『ハーフ・オブ・イット』(アリス・ウー監督)がとても良かった。

舞台は米国の片田舎、ハイスクールの3人(中国出身の女の子、学年一美人の白人、冴えない善良な男の子)の物語。最終学年と来れば、もう王道青春モノで、代筆が鍵と来れば、古典的ラブストーリー。なんだけれど、ちょっと違う。

映画レビューっぽいことはさておき(つまり粗筋やらキャストがいいとか)、映画って(映画に限らず)細かいところがピリッと巧いと、ほんとに愉しめるものだなあ、といまさらながら。それは、もろエンターテイニング志向でも、そうじゃなくいわゆる文芸的でリリカルな映画でも変わらない。

例えば、この『ハーフ・オブ・イット』だと、タコス・ソーセージがどんなに美味しいかを、セリフいっさい無しで、頬張る様子と表情で伝えるとか、ビデオを観る数秒の表情で男の子の善良さやイノセンスを伝えるとか(基本ちゃあ基本だけど、やたらセリフで説明するポンコツ映画も多いのでね)、主人公の女の子がキッチンで父親と並んで会話を交わすその後ろ姿で、ジーンズの右だけちょこっと中途半端にロールアップになっているとか(偶然か意図かはわからない)、もろもろ。ことばが重要な要素になっているだけに、そのへんの出来の良さが、ピシピシとこちらの快感に届く。

そうした細部が積み重ねられ、ラスト近くのキス、さらに車窓の別れへと、映画は進む。これねえ、ほんとに美しいキスシーン。そして、車窓の別れは、映画前半の伏線が効いて、出色。乗り合わせた乗客たちの(なにげない表情だけの)演技がそれぞれ最高の部類という、作りのていねいさ。

素敵な映画でした。


2020/05/22

■実物大 ~『豆の木』第24号より

目の前の実物大のシクラメン  上野葉月

「実物大」というのだから、これはシクラメンそのものではなく、模型か何かなのか。いやいや、これはシクラメンであり、どんなシクラメンも実物大である、ましてや目の前にあれば、と、脱力するほどの「真理」を言うのみなのか。

いずれにせよ、俳句は、たいてい、この《目の前の実物大のシクラメン》から始まって/を背景にして、何かを言う・述べる・表現するものだろうから、その手前に存する、シクラメンという厳然たる事実・確固たる物質から一歩も出ずに断固としてとどまりつづけるこの句は、対俳句的に批評的であり、ものごっつい虚無でもありましょう。

スタイリッシュな句ですね。

掲句は『豆の木』第24号(2020年5月)より。



2020/05/19

■インクのこと:海の青と月夜の青

ウラハイに《使いきる》を書きました。
http://hw02.blogspot.com/2020/05/blog-post_17.html

この〔週末俳句〕というコーナー、ひさしぶりで、前回は2018年11月。また始めようと思い立ち(さしたる理由はナシ)、書いたわけです。

ウラハイ記事にある明るいブルー系(商品にある色の名は South Sea Blue)。使い終えて、洗った。


次のはもう買ってあって、LAMYのLT52ターコイズ。どんな色味か、たのしみ。


インクは上記のほか、パイロットの「月夜」というのを使っています。壜に入っていると明るく見えますが、書くと暗めのブルー。もう二壜目か三壜目です。


2020/05/18

■盛大に二十日大根

岳父の家庭菜園(区画借り)を引き継いだ話はしましたよね。去年の秋頃でしたか。

これ≫http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/11/blog-post_4.html

で、この春、また畝をつくり、いろいろ蒔いたり植えたりしたわけですが、まず、二十日大根がどんどん出来てきて、サラダで食べるだけじゃあ追いつかず、嫁はんが酢漬けに。


なお、葉っぱは細かく刻んで炒める。これも嫁はんの担当。

ラヴ&ピース!

2020/05/17

■砂と睡眠

砂男(sandman)の伝承(幼年期のファンタジーにせよ怪奇にせよ)からすると、砂と眠りの関連は、西欧出自のようにも思えるが、いまやすでに広汎に、私たちの想像力を覆っているとみていいでしょう。

私も《春眠の砂の流るる斜面かな》(『けむり』所収)とつくってみたりしているし、最近も、

春眠やボトルシップの中に砂  黒岩徳将〔*〕

を読んで、あ、いいな、と思ったのでした。

ボトルシップの中にはたしかに、安定させるための砂が敷いてあったりするもので、この中七・下五には、いろいろな季語がくっつくのだろうけれど、春眠を持ってきたことで、《砂と眠り》のモチーフ的広がりへと、読みが連結されるわけです。

船だから海の開放感を呼び、なおかつボトルだから、密閉感も召喚され、そこがまた眠りへと結びつく。

なにげないけれど、機微を備えた句だなあ、と。


〔*〕『つくえの部屋』第5号(2020年4月)



2020/05/16

■続続・散歩

亀島川水門・工事中。


2020/05/15

■続・散歩

永代橋は、このあたりに数ある橋のなかでも一等好きな部類。


2020/05/14

■外階段:魔法瓶あるいは70年代ファッション

鉄砲洲を起点に数々の橋を渡り、佃やら越中橋あたりを散歩。ひさしぶりに川ラヴァー・橋ラヴァー的散歩。

途中、むかしの魔法瓶のような花柄のマンション。



2020/05/08

■硬度

表紙が良くなった『オルガン』第21号(2020年5月5日)。


結晶になるまばたきの多い雉  田島健一

硬質が句のアタマからケツまでを貫いて、気持ちいい。

ラヴ&ピース!

2020/05/07

■流れる

音楽が流れる。ここに「流れる」という動詞が用いられることに、ふと気が行ってしまって、ふうん、という気持ちが続いている。べつに不思議なことではないのでしょうが、ああ、流れる、か、と。

英語でも flow は使われるみたいだし、《音》は《流れる》ものなんですね。鳴ったり、響いたりだけじゃなくて。

そういえば、動画も、流れる、流しておく、という言い方をする。

前記事■動画

《流氷》はそれこそ流れるものだし、《バター》も溶けて流れ出す。どちらの句も、動画の内容に、ある程度の必然があるわけだ。



ところで、以前、友人が、あるサンバかなにかについて、その音(曲調・サウンド)を、水の流れの表面で光がきらきらと跳ねるとかなんとか表現していて、とてもしっくりしたのですが、音の流れの中になんらかの粒立ちを感じる音というのは確かに合って、ここまで来ると、前に触れた句の話から離れてしまうのですが、大昔、映画『イージーライダー』の挿入歌。川の流れの中に光の粒をはっきりと感じたことを思い出しましたよ。



ストリングスが水の流れ、生ギターのリズミカルなアルペジオが光の粒。この曲は、十代の私にとって、ほんと強烈で大きな体験だったなあ、と。それがその後に生かされたかというと、んんん、悲しくなるんだけどね。

ラヴ&ピース!

2020/05/06

■動画

通勤快速バターが溶けてゆく動画  八上桐子〔*1〕

朝という、意味の括り、あくまで緩い括り。そこに併置される電車とバター。

意味とは別に速度感のようなものを、主に前者が後者に作用する。

それよりも間接性が、なんだか近代、というか現代なのだろうか。すなわち、通勤という目的をサービス側が供して、駅を飛ばし飛ばしに運行するという、付加・修飾をまとった電車の間接性だとか、バターの描写ではなく、その動画という間接性だとか。

ところで、動画といえば、

流氷動画わたしの言葉ではないの  田島健一〔*2〕

を思い出すわけですが、こちらも、間接性が鍵的なような気がします。とりわけ後半は、言葉という間接から。さらに否定によって間接化される。

違いは構造か。

桐子句が併置、譬えるなら二分割画面であるに対して、流氷という具体と言葉にまつわる抽象・観念が、線的につながるかんじ。譬えるなら、カットインあるいはフェードイン。


〔*1〕『川柳ねじまき』#6(2020年1月)より。
〔*2〕田島健一『ただならぬぽ』2017年1月/ふらんす堂

2020/05/03

■《ページ数》祭り

フェースブックに【7日間ブックカバーチャレンジ】というイベントがございまして(新コロナ巣籠りの流れ)、知人から指令(おめえもやれ)があり参加いたしました。

7日間・7冊の本のカバー(外観)をアップロードしていくということなんですが、ただ7冊と言われても困ってしまいますので、ページ数が多い本・分厚い本というテーマを自分で勝手に設けました。ただし、辞書・事典、二巻本(複数刊)、地図、資料的刊行物などは除きました。

時間はたっぷりある、電車じゃないので分厚くて重くても支障ないでしょう、ということで。

フェースブックには1点ずつの写真しか載りませんし、厚さは伝わらないので、記念撮影的に、ここに。

(8冊ありますが、うち1冊は次点的)


2020/05/01

■自転車に乗って♪

自転車でからだ動かすわけですが(ごめんなさい、不要不急です)、街なかよりも多摩川土手のほうが人が多い。

反省。もう土手には行きません。



なお、かつてないほど一家団欒している家族も多い模様。

あとね、多摩川は、昭島あたりでちょっと変わる。ガキンチョが裸で水遊びしてた。川崎~立川には、ない景色。