2013/09/30

■句会後の夜

じゃがいもに、庭に生えてきた(というのは私視点、妻視点では、育てた)ローズマリーを散らして炒める。これがめっぽうおいしい。じゃがいもののほかにベーコンとかを入れてみたくもなるのですが(って言うと私が料理しているみたいだけれど、違う)、入れない。じゃがいもだけ。これがいい。

…と、この話とはまったく関係なく、これを食べたわけでもなく、日曜日の句会は無事終了。

この句会は、句会後に、コアな話ができるので(俳句関連ではありません、そうじゃない分野のコアな話ができるので)、大好きです。

いやはや(死語)、すごくコクのある話がたくさん聞けました。

皆様、お疲れ様でございました。

2013/09/27

■批判? 論争? 記憶にないんですよね

あのですね。

筑紫磐井さんの記事 【俳句時評】紙の時代

ここに、かなり唐突に、私の名前が2箇所に出てくるんですが…。
私も「俳句空間―豈weekly―」の終刊号で、ウエッブサイトはその時盛り上がっても何も残らない、消え去るのみだ、と書いたところ、「週刊俳句」のさいばら天気から批判を受けたのだが(…)
(「さいばら」と昔の俳号のままなのは、まあ、どうでもいい)

「異論」を唱えたことはあるような気がします。異論と批判が違うか同じかは別にして。

「インターネットは、残念ながら(あるいは喜ばしく?)、いつまでも残ってしまうものなのではないですか?」といったことは申し上げた気がします。

(例えば、自分でまるっきり忘れてしまったような書き込みに、google検索のついでに出会ってしまうことって、よくありますよね)

(あるいは、誰も長らく手を入れていない廃墟のようなウェブサイトが数限りなく残り、それがある日、思わぬ読者に出会うこともあります)

でも、これは「残る」の意味が筑紫さんと私で違う、ということのようです。「その時盛り上がっても」という書き方からすると、ね。でも、これは今になってみればの話。

当時は、たくさんの皆さんが「消える」「消える」とおっしゃっていて、それを眺めながら、「この方たちは、パソコンの画面から消えたら、その記事は消えてしまうとでも考えていらっしゃるのだろうか?」と、「それならラクだけれど、残っちゃうからいろんな問題が起こったりするんじゃないのかなあ」と。


で、もう一箇所は、次の、
それが、さいばら天気とウエッブサイトと雑誌の関係の論争をしたときから気になっていた点である。
こちらは、困ったことに、まったく記憶にありません。ボケボケの記憶力。

どのようなやりとりだったのか、この記事には、要約も、当該記事へのリンクもないので、たどりようも確かめようもありません。

何かの事情や顛末に言及するとき、最低限の要約が要りますね。あるいは、リンク(という便利な機能)。

なので、現時点では「論争なんてありましたっけ?」とだけ申し上げておきます。


ちなみに、今回の記事には無関係なのですが、わたし、「紙」が大好き。紙もインクも、もう、フェチシズムも込みで、たまらないくらいに好きです。

2013/09/23

■くにたち句会〔9月〕のお知らせ

2013年9月29日(日) 14:00 JR国立駅・改札を出たところあたり
句会場所:いつものキャットフィッシュ(予定)

よろしければ句会後の飲食も御一緒に(会費アリ)。


2013/09/21

■金原まさ子、菊地成孔

キャプチャーしといた。


金原まさ子さんと菊地成孔が並んだ歴史的瞬間。

2013/09/19

■福島忌?




《ふざけんな》《どす黒い》

これがノーマルな感覚、ふつうの反応だろうなあ。

2013/09/18

■バート・バカラック

「はじめて買ったレコードは?」という俳句関係にしては意表をついた質問をもらいましたが、これは、自分の小遣いで買ったという意味に解して、ディオンヌ・ワーウィック「恋よ、さようなら」(Dionne Warwick: I'll Never Fall In Love Again)です。


当時ずいぶん流行り、ラジオからしょっちゅう流れていました。400円のドーナツ盤(シングル盤)。LP盤が2000円前後で、高価な贅沢品でしたから、1枚買うにも悩み抜いて、です。

ロックよりも先、ビートルズより先に、バカラック。

バート・バカラックの音は、いまでも好きです。というか、以降の趣味を決定づけたというか。音楽の趣味だけではなく、、例えば、俳句もね。

バカラック・サウンドのような句を作ろう、というのは、いつも思ってきましたね(って、いかにも俳句関係っぽく)。





2013/09/13

■おもしろい

週刊俳句・第333号のトピックは、俳句甲子園特集。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/09/333201398.html

紹介されている句を眺めると、おもしろい句、ありますねえ。

東京家政学院高校2年の内田遼乃さんの10句「前髪ぱっつん症候群」も掲載。うまく連動した。

こちらがまたとてもおもしろい。8句目「陸でしか」はちょっとマトモなこと言い過ぎていて退屈ですが、それ以外はぜんぶおもしろいと言っていいくらい、おもしろい。

むちゃする俳句、というのは、とても貴重。というか好み。

2013/09/11

■東京五輪



落札」の2文字が、シブい。

ちなみに「大友君の予言」というのは、これ。
https://twitter.com/sivariyathomas/status/376454655544287232/photo/1



  七輪と五輪のちがひ秋刀魚焼く  10key

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2009/12/blog-post_6937.html

2013/09/08

■オクンチ:9の付く日の…

…メール句会「オクンチ」が、この9月9日(リアルに「おくんち」)で323回を数えます。

http://www3.ezbbs.net/03/0123/

この句会にはファクス時代もあって、それを合わせると、439回。単純計算で、146カ月余り、12年以上続いていることになります。

めでたい。

取りまとめの当番は、吾郎さん(第323回は逆から読んでも323回。回文吾郎さんにもぴったりの回ですな)、私、それと、何人かのメンバーが順繰りで担当しています。

 

ファクス時代も思い出深く(私が俳句を始めて約1年を経過した1998年9月19日に始まり、2002年3月19日まで続いた)、その期間に出会った(スペシャルな)句に触れた、次の記事をリンクしておきます。

彼はことばがわからない:ウラハイ 2008年7月23日


オンライン(ファクス・メールetc)の句会は、面と向かってやる(リアルの)句会とは違って、誰が投句しているかわからない。メンバーはだいたいは定まっていますが、いつ新しい人が登場するか予測がつかない。そこがおもしろいところです。

 

ちなみに、第1回(1998年9月19日)に私が投句したのは次の3句。

  栗の実のかたちした菓子栗の味

  空ばかり見てブースカが芋畑

  秋気澄む壁の恐竜ひだり向き

2句目は句集『けむり』にも入っていますし、1年目も現在も、作る句はあまり変わっていないともいえる(これは悲しむべきことなのか。いや、いいことか)。

ともかく、この頃は、俳句を作ったり読んだりするのがとても楽しかった。句は変わってなくても、やはり時間は経過しているわけで、きっと自分も変わっている。どう変わったかは、いろいろ。

俳句が楽しくなくなる、というのが、いちばんさびしいことなので、そうならないようにしないといけませんね。

2013/09/07

■巣鴨から大塚

某土曜日。って、今日なのですが。

巣鴨駅から染井墓地へ。周辺のお寺を含め著名人の墓多し(≫参考)。ぐるっと回って巣鴨地蔵通りに出て、ふたたび巣鴨駅近くへ。

例によって吟行の散歩部分だけ一緒させてもらいました。

皆さんは句会場へ。私はそこでお別れしまして、ほぼ山手線沿いに大塚駅までぶらぶらと。

巣鴨から大塚へは、かなり「下り」です。というか、染井のあたり、かなり高台です。江戸/東京が坂だらけなのはよく知られるところですが、それを体感してきました。

気持ちのいい散歩でした。明るいうちから句会なんかやってる場合じゃないです。いや、ほんと。


▲駒込あたりの、カッケー、アパート。

2013/09/01

■上京悲話




『鏡』第二号(2011/10/01発行)より転載。

私が『鏡』に参加したのは創刊号とこの第2号のみ。2号だけで抜けるというのは、いかにも身勝手でしたが。

俳句の下に短文・雑文を載せる、というのは『豆の木』も同じだったのですが、これが困る。だいたい何も思いつかない。ところが、あるとき、日記の断片(mixiとかに書き込んだもの)を並べれば、スペースが埋まることに気づいてからは、この方式をよくやる。いかにも緩いが、まあ、それはしかたないとあきらめた。

この10句が実際の「上京悲話」、すなわち自分が19歳のときの出来事や気分とどの程度重なり合っているのか。そこのところは適当。だいたいにして、その当時、ドンキホーテなんてなかったと思う。調べてみると、府中市に「ドン・キホーテ」1号店(甲州街道沿いのあの店が1号店か。ちょっと吃驚)ができたのが1989年。ほらやっぱり。

多摩市和田の仁さんところの栗のご相伴にあずかったのも、もちろん上京のずっとあと。

つまりこれは、上京と上京以後の長い長い時間についての14句ということです。