2018/07/30

■くにたち句会、無事終了

句会場所のロージナ茶房でお茶とか名物プリンとか。

お題「大」で。

  巨大なるビキニの干してありにけり 10key

拙宅での飲食は、ミートソースと各種野菜のグラタン、パエリアほか。

ダンシングタイムは、もっぱらツイスト(compiled by Yukiga Furu san)。イタリアン・ツイストからジャパニーズ・ツイストという流れ。

2018/07/28

■タダチマコな朝

鈴懸は何科ならむと植物の圖鑑開けばスズカケノキ科

イギリスの槲の木(オークツリー)はわが國のヨーロッパ楢すなはちナラ科

多田智満子『遊星の人』(2005年/邑心文庫)の冒頭は、こんな2首。

ちょっと奥村晃作っぽくもある。

すると、やがて、

唇に子音の泡をふやしつつ語りてやまぬアラブ靑年

意味不明ながらたのしむさわさわと子音母音の波のたかまり

音/声の出来事/風景への展開があったり。

ページをめくる指と読む眼球のすこしの力で、自分のなかにいろいろなことが起きる。本って、すごいですね(って、ものすごくあたりまえのことをゆってる)。

ラヴ&ピース!


2018/07/25

■幽霊と給水塔 『オルガン』第14号より

むかし、上田信治さん、榮猿丸さんと、給水塔の話をしたような気がして、調べてみると、もう10年も前だった。

≫サバービアの風景・前篇
http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/06/blog-post_8970.html

そんなことを思い出したのは、『オルガン』第14号(2018年7月21日)をめくっていて、

いうれいは給水塔をみて育つ  鴇田智哉

という句があったから。

この句はサバービアの脈絡にはないけれど、と、いったん書いてから、いや、そうでもないかな? と考え始めた。

それはさておき、幽霊という過去/異界を表象する事物が、「育つ」という現在あるいは未来に関連付けられ、「給水塔」というきわめて〈この世〉的なものと強い結びつきをもつ、その唐突と不思議。

「育つわけないやろ!」と突っ込んだ、そのあと、そうでもないか、と思い直す。奇妙な実感が身体の奥にふつふつと沸き起こる。

生い茂る夏草もやがて見え、すると、「My Life in the Bush of Ghosts」という、「そういう意味じゃないんだけどね」なタイトルも想起され、給水塔のあるこの世の暮らしが、がぜん、あやういものへと透明化・軟化してくる。

いいな、この句。

2018/07/21

■そのこころは? 『里』7月号より

〈前〉を受けての一句、という句がある。

そのこころ灼つく喉一つもつ  田中惣一郎

文字どおり「その心」の意なら誤読になるが、やはり謎掛けの「そのこころ」と読みたい。何と掛けて何と解いたのかはわからない(考案は可能だけれど)。〈前〉に何があるのかは不明。

前後左右を絶ち一句としてすっくと立つ句が称揚されるのはわかるが、そればかりでは息が詰まる。すっと身を交わして軽みを遊ぶ句もすてきです。

掲句は『里』2018年7月号より。



2018/07/18

■遊星の日々

某日。シャツ2枚ぶん汗をかき(この暑さ、外を歩くなら着替え必携)、築地・布恒更科で冷やしすだちを食し、帰宅すると、古書店から多田智満子の涼しげなことこのうえない歌集『遊星の人』が届いていた。

素晴らしい日、と言ってさしつかえない。


なお、シェーアバルト『小遊星物語』のことをふと思い出してから、連想ゲームのような事態が続いている。すだちは、それとは無関係なようでいて、そう遠くない。

ラヴ&ピース!


■わかる程度にシンプルに/飽きぬ程度に複雑に

「銀河ヒッチハイク・ガイド」(ガース・ジェニングス監督/2005年)、おもしろいっすよねえ。好き。

その脚本家の至言。



これ、俳句をやっている人・やっていない人に置き換えてもオッケーが気がする(むりやり話題をそっちに)。

俳句をやっている人にもわかる程度にシンプルに。

俳句をやっていない人が飽きぬ程度に複雑に。

自分がわからないからといって、俳句をやっていない人もそうだと思うのは誤りだ。


 Stop making sense! (David Byrne)



《過去記事》
■俳句やってる人vsやってない人、読むという点でどうなの? という問題

2018/07/17

■2018年のシェーアバルト

シェーアバルトなんて名、ひさしぶりに思い出して(≫前記事)、あ、そうだ、別のものも読んでみようということで。


『虫けらの群霊』1900年(鈴木芳子訳/未知谷/2011年)を読み始める。どこかの惑星の奇妙に機械化された超マクロなページェントのなか、虫けらどもが、神にならんむと、天空へ、って、でも、これって、お盆、盂蘭盆会ですよね、という展開。あはは、どうなっちゃうんでしょう。

2018/07/15

■日曜の朝、7月中旬の



I'm easy like Sunday morning♪ てな感じで、のんびりしてますが。

昨日のこと↓
ピアノ発表会の会場に出かけたら、嫁はんが歌の伴奏をしているところだった。ロビーのテレビ画面をちょこっと録画。ロビーにいた子供の声のほうが大きい。
https://www.facebook.com/tenki.saibara/videos/885357341648043/


波と風がつくる音楽の話。


これを聴いて、シェーアバルト『小遊星物語』(1913)に出てくる風の音楽も、この音と遠くないんじゃないかと思いましたよ。

シェーアバルト『小遊星物語』種村季弘訳/桃源社1978

今日も明日も暑いのかな?

暑いからこそ、自転車に乗りましょうかね。

あ、そうそう。冒頭の「Easy」。映画『ベイビー・ドライバー』で掛かってましたね。

ラヴ&ピース!

2018/07/14

■つながっている

ワールドカップ決勝を前にして、左ふくらはぎが攣った(めっちゃ痛い)。寝苦しくて悪い夢を見たせいか。

嫁はんはきょう生徒さんのピアノ発表会なので、家でギターを弾いていることにする。


サッカー選手がピッチを走り、私は夏布団のなかで痛がる。子どもたちが鍵盤を叩き、私は弦をはじく。

世界中で、いろいろなものがつながっているという話。

ラヴ&ピース!

2018/07/12

■クーラー句

ウラハイ掲載のクーラー3句。

http://hw02.blogspot.com/2018/07/blog-post.html

どれも好きな句で、バランスもいい。

面白さがわかりやすいのは《クーラーに認識されてゐるらしき・えのもとゆみ》だろうか。昨今のクーラーには、人の居場所を感知して冷気を送ってくれるものがある模様。その現代的事情を、さりげなく。

詩的なのは《クーラーのきいて夜空のやうな服 飯田 晴》。美しい比喩(けっしてわかりやすくはない)は、四季を通して通用しそうだが、「クーラー」の冷気のなかに置くと、質感がそれなりに限定され、ブツ感が際立つ。

不思議なのは《クーラーのしたで潜水艦つくる 大石雄鬼》。凝った措辞も奇妙な事物もないのに、仕上がりが不思議。この作家の真骨頂でしょう。潜水艦をそのまま受け取ると、大きな景(造船所?)。とはいえ、虚構っぽい。私はプラモデルと受け取った。そのほうが、虚構から離れ、むしろ不思議さが増す。作っている人は夏痩せです(雄鬼句をご存じの方にはわかるはず)。


なお、クーラーはあまり得意ではありません。眠るときはつけないし、昼間もつけっぱなしにすることはあまりない。クルマでも、窓をあけるほうを選ぶ。

ウラハイのこれ(句の詰め合わせ)って、記事をあげるのが愉しいんですよね。「やってみてあげようか?」という奇特な方がいらっしゃったら、連絡をください。

ラヴ&ピース!

2018/07/11

■自分を数えてみた 「や」「かな」「けり」の頻度

ただただ、ひたすら数える。「気の利いたこと難しそうなこと言えない書けない無能なら無能でアプローチの方法はあるぜ!」というわけです。

≫上田信治句集『リボン』で「や」「かな」「けり」を数えてみた
http://weekly-haiku.blogspot.com/2018/07/blog-post_45.html

ほかの句集もいずれ数えてみようと思ってるんですが、待てよ、自分はどうなんだ? と。

そこで、『けむり』(2011年/314句収録)を数えてみました。

「や」 15句 全体の約4.8%

「かな」 34句 同10.8%

「けり」 10句 同3.2%

3つの合計 50句 同18.8%


3つの合計(18.8%)は、上田信治『リボン』(19.5%)と近いのですが、内訳はずいぶん違う。数える前から「かな」が多そうと予想していましたが、そのとおり、10.8%と多い。「や」が4.8%と少ない(『リボン』の約半分)。

「や」の少なさは波多野爽波「鋪道の花」(3.6%)、高浜虚子「七五〇句」(4.9%)に近く、「かな」の頻度は、〈昭和30年代生まれ俳人〉10人の平均とほぼ同じです。

これでなんらかの傾向が見出だせるかというと、そうでもないのですが、成果がないところもまたこのシリーズ〈数えてみた〉の醍醐味です(どこが?)。

ひとつ、思ったのは、頻度も用法も、かなりフツーだな、ということ。現在はどうなのか、2011年までとはちょっと違うかもしれないし、同じかもしれない。


そんなところですが、こんどは、いかにも切字が少なそうな句集(かつ口語がウリではないもの)を数えてみたいところです。「これ、数えてみて」というがあったら、言ってください(あるいは、自分で数えてみてください)。

ラヴ&ピース!

2018/07/10

■紫陽花 『舞』第90号の一句

硝子器に生け紫陽花の茎みじか  山西雅子

そうそう。花が大きいので、茎がさらに短く感じる。もともと茎を長く剪るのはムリだし。

うちではよく台所の出窓に、コップに挿した紫陽花が置いてある。

嫁はんは、紫陽花が好きなようで、近所の小さな公園の隅に、以前、勝手に挿した紫陽花が、いまでは巨大化して、通るたびに、にんまり楽しんでいる模様。

掲句は「生け」とあるので、ただ挿したのではないわけで、硝子器は、コップとかの間に合わせではなく、きちんと花器、のような気もしますが、頭のなかに広がる景色は、そう変わらない。

掲句は『舞』第90号(2018年7月10日)より。

2018/07/09

【お知らせ】7月のくにたち句会

2018年7月29日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

ラヴ&ピース!

2018/07/08

■地下鉄銀座線のこと

地下鉄銀座線に踏切があることを、この日まで知りませんでした。



日本最古の地下鉄・銀座線は、いまはもうきれいになったのかな? 以前は各所に「最古」を思わせる傷み・経年感がありました。通路の天井とか低かったしね。

私が東京に出てきた頃は、途中、1秒間ほど車内の照明が消えることがあって(配電システムの都合上?)、それがなぜだか妙に感傷的でね。

 地下鉄にゐると金魚になつてゆく 10key『けむり』(2011年)

ふたたび灯りがともったときには、自分が別のものになっているような気がしましたよ。

さて、この踏切は、上野駅入谷口からすぐの場所。この日、ここを過ぎ、合羽橋本通りの七夕祭やら、入谷の朝顔市を見物したですよ。西日本は大雨の被害でたいへんだというのに、東京は陽も出て、暑い一日。その模様は、ウラハイの「週末俳句」に。

http://hw02.blogspot.com/2018/07/blog-post_8.html

ファインダーを覗かず、首からぶら下げたままテキトーにシャッターを押したのも数葉。そっちのほうが構図がよかったりします。ヘタクソは狙わないほうがいい。これ、なんにでも言えることでね。

ラヴ&ピース!

2018/07/06

■巣

ハンガーのはみ出している鴉の巣  あべあつこ

そうそう、ハンガーを集めてくるんですよね。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO85383840X00C15A4TBQ000?channel=DF130120166056

掲句は『ににん』第71号(2018年7月1日)より。

ちなみに、青いものを集めてくるアオアズマヤドリってのもいて、それはむかしコム・デ・ギャルソンの冊子で知った。



オシャレな鳥。求愛行動らしい(≫参照)。

ラヴ&ピース!

2018/07/05

■あの夕暮れの遊園地で

物置の奥のダンボール箱から、カセットテープが出てきた。ちょっとした考古学の発掘ですね(大袈裟か?)。カセットの記載からすると、驚くべきことに40年以上前に友人とふたり録音した音源が入っていると思しい。カセットデッキなんてとっくの昔に処分したので、聞く術がないとあきらめたが、手のひらサイズの声録用のものならある。鳴らしてみた。



友人のキーボードと私のギター、おそらく2回入れている。どうやって多重にできたのかは不明。憶えていない。

この曲、オリジナルではなく、ハリケーン・スミスの「Getting to Know You」。歌もののリフとメロディーを借りている。最近これを聴いた人も言っていたけど、遊園地で鳴っていそう。音の割れ具合もね。

その友人とは同じくらい昔に、今はなき横浜ドリームランドにも、たしか行った。閉園時間の迫る夕暮れどきには、うらぶれた音が合うよなあ、などと、ちょっと感傷。ひととき懐旧に浸ったのでした。

ラヴ&ピース!

2018/07/01

■冒頭集:両方の眼玉が

「いったい飲食と推理小説と、どんな関係があるのか」--前に、ある女子大の同窓会で、たのまれて講演したことがある。推理小説の話は受けそうもないから、「人類は発生当初、何を食っていたか」てなことを話した。昼食のあとだったから、まだよかったが、話はしぜん悪食の方へむいてゆく。のみ、しらみ、蛆むしまで食う話。エスキモーは馴鹿(となかい)を殺して、胃の中に残っているツンドラの苔(リケン)を食い、ビタミンCを補給する。北極探検のアムンゼンも、ためしに食ってみて、なかなかイケルといった、などと話が進んでくると、いちばん前に坐っていた物がたそうな賢夫人らしい小母さんの、両方の眼玉が、きゅーッとまんなかに寄って来たので、講演者の方があわててしまった。
日影丈吉『味覚幻想 ミステリー文学とガストロノミー』(1974年/牧神社)