2019/05/27

■あくあぱっつぁあ

くにたち句会、無事終了。


席題7つ。

 インテル®の入つていない扇風機  10key

2019/05/26

■ライブ(!)のお知らせ

老後の楽しみに、またボケ防止に、と、40年ぶりにギターを手にしたのが3年前。バンドでライブに出演するなどと、その時点では想像もしなかったのですが、なぜか、こういうことになりました。「ハザコ」というバンド名です。40年前の友人たちがメンバー。妻がピアノを弾きます。

気が向いたらお出かけください。お問い合わせ・チケットetc、5月いっぱい期限で天気(tenki.saibara@gmail.comまで。



出演は13時からの30分。

飲み食い自由。地下でライブ、1階で立食というスタイルです。

曲目:ボーカルがいないくて、いわゆるインストです。
intro:バッハ+グノー「アヴェマリア」
The Ghetto ダニー・ハザウェイの定番曲。
Soulful Strut 歌付きのAm I the Same Girlで知られる曲。
Liber Tango ピアソラの名曲
Together At Last Luck of Afro
Take Me With You サンタナの曲。むかし関西のバンド「しーちゃんブラザース」のボサノバ・サンバ・アレンジで。

2019/05/23

■実山椒の季節

…であります。

いつも箱で買います。実を取り外す作業。二人ががりでもかなりの時間がかかります。録りだめてあったビデオなどを観つつ。


外せました。枝は捨てるよりほかなし(だと思う)。


水に浸して、アク抜き。


このあと、ちりめん山椒になったりします(嫁はんがやるわけですが)。冷凍しておいて、そのままなにかにぱらぱら振っても美味。

2019/05/22

■巴里は雨 『棒』第3号の好井由江

同人誌『棒』第3号(2019年5月)の好井由江「右ひだり」20句が軽やか。

巴里は雨とよ人参を乱切りに  好井由江(以下同)

カリフラワー真白よ鳩が鳴いている

隣り合いセットになったかのような2句。巴里と鳩が2句をクロスして照応する。

夕やけ小やけ猫はなんども恋をして

恋猫は春だけれど、夏(夕焼)になっても次の恋、次の恋。

紙風船だれが突いてもこんなもん

冷静。

夏みかん抱えてなんとなくワルツ

なにはともあれラストは踊る。正しい態度。

そういえば、このあいだ、俳句関係の酒宴で、隣り合った人と句会の話になり、「うちは句会後に踊る」と申し上げると、目をパチクリしてらっしゃました。「わけわからん」らしいです。わかんないですよね。

ラヴ&ピース!

2019/05/20

■空とカメラ

数枚の夏空あした呑む胃カメラ  10key

ってわけで、明朝、検査です。異状・不調だからじゃありません。これまで怠ってきた健診の一環。


2019/05/18

■冒頭集:寝覚め

明け方に浅瀬の潮が引いていると、鷗のけたたましい鳴き声で目が覚めるのだった。加減の悪い朝は、自分が屍となって鷗に心臓を啄まれているような、そんな感じに襲われたものだ。(…)
ノーマン・メイラー『タフ・ガイは踊らない』1984(吉田誠一訳/1985年/早川書房)

2019/05/16

■ふとんの国

『奎』第9号(2019年3月)より。

布団から布団の見えてうれしかり  淺津大雅

めざめのかたちについて、ちょっと書いたのだけれど(≫こちら)、こうしたある種あざやかなめざめとは別に、「ああ、ふとん!」と目やからだ(皮膚)が、布団をうれしがるようなめざめも、たしかにあります。

ふとんの国の住人でずっとありつづたいような気分。冬だけでなく(布団は冬の季語)、春眠だけでなく、年中ずっと。


2019/05/14

■手仕事

『川柳木馬』第160号より。

ウォッシュレットかくて手仕事はすたる  内田万貴

尻を拭く、あれが「手仕事」というわけで、大仰な言いぶりも含め、これはかなり可笑しい。

2019/05/13

■相鉄の新車両は逆光のなか濃紺を超え黒光りしていた

某日、横浜へ。「街」主宰の今井聖さんが阿部完市を語るというので(講演ね)、面白い組み合わせだな、と。

ちなみに、阿部完市の句は、大好き。理由は、おしゃれでキュートだから。くわえて表面的(拙ブログ・表面主義俳句宣言関連を参照)で音楽的だから。

聖さんの話はその路線ではなくて(つまり、期待とは違って)、かみ砕いていえば、どんなふうにやれば「阿部完市風」の句が作れるのか、というレクチャー。

聖さんは、なんで、そんな講演をやるのか。つまり、目的。

慮るに、脱魔法/幻滅(disenchantment)? つまり、「ほら、コツさえつかめば、誰でも作れるんだから、そんなに(盲従的に)信奉するなよ、若者たち」ということのように思えた。

それがほんとに当たっているのか、というのはつまり、「阿部完市風」の《方法》が有効なのかどうかはさておき、さておいて、ですよ、誰かがなにかを大好きなとき、「ほら、それってじつは大したことないよ」と言ってあげる、忠告する、魔法のタネを明かして、幻滅させてあげるなんてことが(そんなことはできっこないと思うけど、たとえできたとしても)、それってはたして必要なのか? それを思いましたよ、むずかしいことわかんないけど、シンプルに。

このへんのこと、今井聖さんと話し合ってみたい気もする。数カ月後か数年後。


講演を聴き終えてから、いつものように、献血へ、散歩へ。

献血が終わって、最後に血圧を測るんだけど、上が「81」という数字が出て、看護婦さん、目を丸くして吃驚しちゃいまして、このまま帰すわけにはいきません、と。

しばらく横になったまま。再度計測。89。

私「もうひとこえ、ですか?」
看「そうですね」

きっと90以上が目安なんだろう。このままじゃ迷惑がかかると思い、測っているいあいだもしゃべり、冗談を言って、笑い合う。結果、めでたしめでたし、100を超えた。

散歩にはいい日。気温はちょうどいい。ああ、風が気持ちよかったぁ。

2019/05/12

■〔句集を読む〕はまだ続く

承前

目が覚める 大森藍『象の耳』を読む ≫読む

異形の傾(かぶ)きと軋み 佐藤りえ景色』を読む ≫読む

2019/05/10

【お知らせ】5月のくにたち句会

2019年5月26日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/05/05

■冒頭集:海底

一八八六年は奇妙な事件がおこった年である。それは説明されなかったし、説明をつけることもできないふしぎな事件で、きっと誰でもおぼえているにちがいない。港々の住民をさわがせ、また大陸の奥地の一般人までひどく興奮させた、とりどりのうわさは別としても、特別におどろいたのは海に関係のふかい人たちだった。ヨーロッパやアメリカの貿易業者、船主、船長、漁船長、あらゆる国の海軍士官、それからこれら両大陸の諸国の政府は、この事件を大いに重大視した。
ジュール・ベルヌ『海底二万里』1869:石川湧訳/1956/岩波少年文庫