2014/09/30

■『はハ(はがきハイクの略)』第10号に「ロボット」5句

『はがきハイク』第10号に「ロボット」5句を寄せております。

「ロボット」というタイトルは亞子さんによるものです。「はがきハイク」はメンバーがたった2名なのですが、「どの句がよろしいんですかね?」とか「句の順番はどっちがいい?」とか、相談しながら、という局面もあるのですよ。



■なぜかバナナ



このあいだの句会のとき、獅子文六のことを「お笑いの人だと思っていた」という方がいらっしゃいました。

しかし、なんでまた、そんな人が話題にのぼったのか。憶えていません。そのとき、「獅子文六なら『バナナ』がおもしろいですよ」とオススメしました。

あしたから十月けふまでのバナナ  10key


2014/09/29

■句会とアフターアワーズ 「この世に俳句がある」という以外に何を望むことがありましょう?

某日。くにたち句会、無事終了。

席題はヘンテコなもののほうがむしろ句が作れたりする(出来栄えはさておき)。今回のヘンテコ題は葉月さん、すなわち自称「美しすぎる俳人」(このキャッチフレーズ、うろ覚え)〔*〕、南仏出身、初めてお目にかかった頃はポルシェ944に乗っていたことが今では信じられない葉月さんによる「土嚢」。「嚢」という字が書けるようになっただけでも収穫でした。

  ゆく秋のこゝろに土嚢つむ遊び 10key(以下同)

  板の間にむかし円鏡いま蟋蟀

  色鳥やスプーンであける紅茶缶

  食べられる茸と思ふ食べにけり



句会後のちらし寿司は、団扇であおぐ、具を並べる、焼き海苔をハサミで切るが私担当、その他嫁はん担当。今回も角上魚類さんのお世話になりました。

話題はどす黒い方向にも…。私までむりやり黒い領域に持っていかれそうになりましたが、真っ白です。

俳句世間の離合集散、被害妄想と妬み・憎しみの連鎖(思い当たる人が多くて、ごめんね)と無縁に、俳句を楽しんでおります。

俳句は私にとってピースフルでヘヴンリーなもの。人間関係とか誰が認められただとか誰が苦手だとか結社がどうたらこうたらとか、申し訳ないがまったく興味がない。

いったいぜんたい、「この世に俳句がある」という以外に何を望むことがありましょう?


というわけで、皆さんがお帰りになってから、大好きな「ひとり夜中の洗い物」で句会のシメ(嫁はんはソファでスヤスヤ)。

after hours

  うつくしきあをき土嚢よ秋の声

  ともだちと白いきのこを見比べる

  カトリーヌ土嚢ヴさうかさうなのか



〔*〕正しくは「美貌と扱いやすさが売り物」でした。ここに訂正してお詫び申し上げます。

■ふたたび菅井きんの歌

この「菅井きん成分」をひとしづく世界に垂らす効き目ばつぐん 10key


月曜日は短歌の日です=錯乱。

2014/09/27

■はがきハイク 第10号

業界最小最軽量、制作費最安・郵送費最安の俳誌。

昨日投函しました。国内は今日から週明けにかけて届くのではないかと。

宛名をそれほどきっちり管理できていないので、お届け漏れはあると思います。ご興味のある方、また、「あれ? 今回は届かないな。届けば見てやるのに」という方は、tenki.saibara@gmail.com までご連絡ください


なお、ひとつお願いなのですが、全面のイメージをインターネット上に掲載するのはお控えください。ネット上でご返事いただくのはたいへんありがたくうれしいのですが、「はがき大」の関係上、全面イメージだと全文が晒されてしまうことになり、私としてはちょっとフクザツな心境です。おひとりおひとりへの私信のような感じ(「元気で暮らしております。俳句も作ったりしています」という近況報告な感じ)ということもあって。

こういうかたちならオーケーよ!


では!


追伸:愛してるよ、みんな。


天気 拝

2014/09/26

■まがまがしき〈妊娠・出産・誕生〉 きゅういち句集『ほぼむほん』冒頭

茶化してはいけない、あるいはドス黒い心持ちで扱ってはならない不可侵の「聖域」の一つとして、妊娠・出産、人の誕生、ということがあります。この「聖域」度というのはかなり高い。

不思議なことに、セックスはさかんに笑い・嗤いのネタになるのに、その結果ととしてのヒトの誕生という現象を嗤うのは不謹慎とされます。

ところが、そうしたタブーなど知らん顔といった風情も、ないわけではない。

子宮内砂漠に月の満ち行くや  きゅういち

砂漠=不毛を子宮に結びつけるのは、大昔の伝統社会でもタブー。

代理母に白湯を注げば午後のキオスク  同

頬杖に舫う脱法物の母  同

意味はよくわからないが、まがまがしさは強く伝わります。

発注と違う嬰児よ安らかに  同

「発注と違う」まではアイロニー。

で、「安らかに」?

なんか凄いこと言ってませんか、この人。

どう解釈するか、何通りかの解釈の選択肢があると思いますが、不謹慎や黒い冗談くらいでは済まないところにまで足を踏み入れた感があります。



上に掲げた句は、きゅういち句集『ほぼむほん』(2014年9月1日)の冒頭部分。もともとはまとまった10句として川柳誌『ふらすこてん』に発表されたものだという(小池正博による解説)。句集では独立させず、次の句へとページが進んでいく。川柳には「連作」という体裁があまりないと聞いたことがある。この10句は「連作」として提示したほうがよいのではないか、と、読者として思う。「嫁ぐ」ところから始まり、10句の最後は「発注と違う~」の句で終わる。

世間一般では聖域化した〈妊娠・出産・誕生〉を、このようにどす黒く、まがまがしく扱った文芸を、あまり知らない。その点だけとってもユニーク。人によっては不快かもしれない。けれども、〈妊娠・出産〉を世間一般の常識の範囲で、好ましく、ポジティブな感情のうちに扱うばかり(俳句における妊娠・出産・誕生ネタはこの範囲)が文芸ではない。

テーマへと踏み込んだ句群だなあ、と、この『ほぼむほん』の冒頭あたりを読んだときに思ったことでしたよ。 



余録的に。

〈妊娠・出産・誕生〉のポジティブな扱いの一例として、大島弓子『バナナブレッドのプディング』(1977年)のラストにある主人公の独白を挙げておきます。


おかあさん ゆうべ 夢を見ました

まだ生まれてもいない 赤ちゃんが わたしにいうのです
男に生まれた方が 生きやすいか 女に生まれた方が 生きやすいかと
わたしはどっちも同じように 生きやすいということはないと 答えると
おなかにいるだけでも こんなに孤独なのに
生まれてからは どうなるんでしょう
生まれるのがこわい
これ以上 ひとりぼっちはいやだ というのです

わたしはいいました
「まあ生まれてきて ごらんなさい」と
「最高に素晴らしいことが 待っているから」と

朝おきて 考えてみました
いったい わたしが答えた 「最高の素晴らしさ」って なんなのだろう
わたし自身もまだ お目にはかかっていないのに

ほんとうに なんなのでしょう
わたしは 自信たっぷりに 子どもに答えて いたんです


『ほぼむほん』冒頭と大島弓子のこれと、趣がまったく違いますが、別のことを言っているわけではなくて、同じひとつの「生まれること」について、2つのアプローチのようでもあります。

すべての「不思議」や「不可解」は、私(たち)がなぜかこの世界に「生まれてきたこと」から始まっているのですからね。







■チャンドラーによればね、《さよならをいうことは、少しだけ死ぬことだ》ってよ

柳本々々さんが『けむり』からプールの句を取り上げてくださっています。
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-331.html

いつもながら、句がどうとかを超えて興味深い。





2014/09/25

■いとし・こいしの漫才のような

本日は夢路いとし忌。

いとし・こいしについて書いた短文を『鏡』創刊号(2011年7月)から転載。


2014/09/23

■岡田由季さん第一句集『犬の眉』刊行記念パーティーに紛れ込みました。

刊行おめでとうございます。

くりまる君は元気かしらん?)

とても雰囲気のいい集まりでした。


パーティー後、「生を謳つて俗へ傾くことをおそれない人間探求派」で知られる女流俳人らと飲んでいたら、ついつい遅くなり、京王線終電近く(?)、南武線はもうなくて、分倍河原から歩こうかとも思ったが、タクりました。

運動しないとダメなんですけどね。


【参考】
岡田由季句集『犬の眉』を読む:週刊俳句

小野裕三 「見過ごしがち」と「当然に見過ごす」のあいだ
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/08/blog-post_91.html

西原天気 16=2の4乗
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/09/1624.html

2014/09/22

■バス停:西田雅子句集『ペルソナの塔』の一句

バスを待つ秋は遅れているらしく  西田雅子

今年は夏が早めに切りあがり、秋が長いようですが(それでも今日は夏のように暑い昼間でした)、いつまでも暑さが残る年があります。

でね、バス停では、駅よりもどこよりも季節を感じたりするのですよ。


掲句は西田雅子句集『ペルソナの塔』(2014年8月1日・あざみエージェント)より。

句集『ペルソナの塔』は文庫サイズ、本文40頁のコンパクトな句集。カラー写真が多数配される。
≫お問い合わせはあざみエージェント・ウェブサイト

■ピアノの歌

毎日のやうに蓋あけ蓋とづるピアノは妻の商売道具 10key


月曜日は短歌の日です。……(錯乱)




某日コンサート(2pianos 8hands)のアンコールナンバー。終わってからの拍手が長いので適当に視聴を終わってください。

2014/09/21

■鉛筆の匂い:鶴岡加苗句集『青鳥』の一句




書くまへの鉛筆にほふ十三夜  鶴岡加苗

木が匂う・芯が匂うのは、削りたてだから、と解してしまうと、つまらない。「にほふ」のは、鉛筆を握るこの人にとっての未来、これから何かを書くという未来があるから。未来が鉛筆を通して香りを放つのだ。


掲句は鶴岡加苗句集『青鳥』(2014年7月)より。

■「悪魔のように句をつくり悪魔のように飲み且つ喰う」くにたち句会〔9月〕のお知らせ

2014年9月28日(日) 14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所 いつものキャットフィッシュ(予定)

席題10題程度。

句会後の飲食もよろしければどうぞ(会費アリ)。


資料映像

2014/09/20

■先週末は葉山で過ごしました

葉山に行きました。

葉山マリーナのある葉山。御用邸のある葉山です。

友人と山を歩いたり、げんべえでTシャツを買ったりしたのですが、ふたつ、食がらみでオススメがあります。

1 恵土の蕎麦懐石

2 旭屋牛肉店の葉山コロッケと皮パン

超オススメです。ご興味のある方は、ググれ、もとい、おググりください。




2014/09/19

■聴き比べ:空が気持ちいいので So Far Away


曲を書いたキャロル・キング(オリジナルってことですか)によるライブ。




クルセダーズ。ゆったりと10分以上。

■本日は子規忌 自分関連リンク集

子規式 馬糞に始まり糸瓜に終わる 西原天気
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/09/blog-post_18.html

金玉の寂しさ Balls Gold & Blue
或いは子規居士の睾丸供養
by 神学者でないロビン・ギル robin d. gill
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/07/blog-post_392.html

俳句の自然 子規への遡行 橋本直 (連載継続中) ≫こちら

週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』(草思社)秘話
上田信治×西原天気×江渡華子×神野紗希×野口る理
http://spica819.main.jp/yomiau/5267.html

2014/09/18

■樋口由紀子「おかしな物語」がおかしい

『MANO』第19号の樋口由紀子「おかしな物語」20句がおもしろかった。

一晩だけ預かっている大きな足  樋口由紀子

に始まり、

こんな事もできますという長い爪  同

で終わる身体部位の物語は、看板どおり、かなりおかしい。

単に「足」ではなく「大きな足」なのが、おかしい。長い爪が自己アピールしているというのもおかしい。

「おかしい」は「ストレンジ」であり「可笑しい」であり「可怪しい」。

もう一句だけ引いておきますね。

ばかばかしい展開になる大腿骨  同



こうした20句は、読者(現代川柳に不案内な読者)にも親切です。なにしろ「おかしな」と銘打ってあるから、そこに入っていきやすい。身体部位の詠み込みという一貫性は、「読み」を気持ちよく牽引してくれます。

こうした一種の設えを、「親切すぎる、わかりやすすぎる」とする見方もあるかもしれません。しかしながら、「読み」の門戸を広めに開けてみるのも重要なことなんじゃないですかね。

例えば、読者がいない(少ない)と嘆く、そのそばから読者を拒絶するかのような韜晦や編集上の不親切、というパターンをよく見るような気がします。川柳にも、俳句にも。それはちょっと違うんじゃないかと。

読者に媚びるのではありません。媚びるとは(テクストが)読者に愛されようとする態度。そうではなく、(テクストが)読者を愛そうとする。そういうのが、私は好きだな。


■またまた菅井きんの歌

あの菅井きんふと思ふそれはジミ・ヘンドリックス忌の朝のこと 10key


本日はジミ・ヘンドリックス忌です。

2014/09/17

■俳句について、そして俳句じゃないことについても若干、ツイートしましたよ

こちらです↓
http://togetter.com/li/720287

イメージ映像。記事内容とは関係がありません。

■手で書きますよ、宛名は

『斧』2014年9月号で、中村遥さんが「はがきハイク」を取り上げてくださっている。そのなかで、
私が最もこの俳誌に惹かれる点はすべてが印刷の昨今にしては非常に珍しく宛名がブルーインクで手書きである事、そして切手がはられている事だ。
ここに注目していただいたことは、とてもうれしい。それと同時に、興味深いのが、宛名の手書きと切手について「非常に珍しく」と書いてあるところ。そういえば、宛名は、賀状などを含め「宛名印刷」が多くなりましたね。

「はがきハイク」にも「宛名印刷」を使えばいいじゃないか、という意見もありましょうが、ノー。使わない。

商用その他のダイレクトメールならともかく、私信に「宛名印刷」はとても抵抗がある。「はがきハイク」は「私信のような俳誌」という位置づけなので、宛名の手書きは当然。手書きがめんどうになったら、廃刊すると思う。宛名以外はぜんぶ印刷だだけど宛名は手書き。これが基本。

ちなみに「はがきハイク」 では、「どうすれば紙っぽいか」が(私の)考え方のひとつの柱。紙っぽくあるためには、料金別納のスタンプよりも切手がいいし、印刷は印刷所に頼むのではなく、個人のプリンターで印刷。少々粗い印刷がむしろ紙っぽいかもしれませんが、昨今は、個人用の小さなプリンターでもとてもキレイに仕上がる。

ま、そんな感じですが、次は第10号。秋が終わらないうちに出す予定。鋭意進めている最中でございますよ。ごめんね。

■イレギュラーな突発句会を楽しみましたよ

連休最後の日の朝、ふと「今日はどこかで句会やってないかなあ」と句会に行きたくなってきたところへ、「急遽、句会をやることになった。来ないか」というメール。あらま、ラッキー。いそいそと出かける。

席題11題。ヘンテコリンな題も混じっている。

【クラス会】
クラス会幹事がすこし桃くさい
養老の滝にふたつのクラス会  :夏季
【やだ】
あらここはどこかしらやだ竈馬
なにもかもぜんぶいやだと蛇穴に
【くちびる】
がまぐちの硬きくちびる天の川
【パイ】
パイオツに歴史のありて牛蒡ひく
【飯】
立葵それは飯場に似合ふ花
【廊下】
秋の夜は若干ながくなる廊下
【道】
人の道はづれる秋のおばあさん
そのをんな道路工事の音がする
国道はまつすぐ 燕帰る日の
【昔】
蓑虫がむかしの色でぶらさがる
【殻】
にはとりの秋めいてゐる牡蠣の殻
地虫鳴く地殻変動後の田無
【固茹で】
固茹での月が出てゐる板橋区
【シルエット】
シルエットさへも秋めくおばあさん
水澄みてジュディオングのシルエット

清記のない句会なのでメモしたぶん+思い出したぶん。

シルエットという題からは人名が出てきやすい(他の人にも同工異曲)。そういえば、人から言われて思い出した、人名句集『チャーリーさん』には、

良夜ふと村田英雄のシルエット

を入れている。

句会後はいつもの中華屋さんで飲み食い。連休のシメとして、なかなか良い午後でありました。

2014/09/16

■ぐっと秋らしくトム・ウェイツなども



この曲の入ったMule Variations(1999年)の確認のためウィキを覗くと、横っちょのほうの「チャート最高順位」に興味深い情報。1位(ノルウェー)、2位(ベルギー・フランデレン地域)、4位(ドイツ)。ノルウェーっておもしろい国ですね。

ついでに、「初の全米トップ40入り(最高30位)」ともある。それまでのアルバム、ぜんぜん売れてなかったというわけです。これはちょっと意外。

■さらなる菅井きんの歌

ほら菅井きんがテレビのすみずみに染み入るやうに溢るるやうに 10key


月曜日以外も短歌をほざきます(錯乱)

2014/09/15

■菅井きんの歌

もし菅井きんが増殖して数多はしりだしたらキミはどうする? 10key


毎週月曜日は短歌の日です(先週は抜けました)。

■不自然に美しい

一時期、花や葉を、家の中でばかり撮っていました。自然光ではなく蛍光灯などの部屋の明かり。背景はテレビ画面や雑誌の表紙(細部は映らず色だけになります)。デジカメではなくフィルムカメラ。

花や葉がとても不自然なかんじで、おもしろい。 不自然に美しい、と言ってもいいかもしれない。また、やってみたいのですが、まず、部屋に花や葉を見つけること。そこからですね。








2014/09/12

■長谷川四郎の歌

「歌」は、「詩」「ポエム」とも「短歌」とも違う。歌詞ともちょっと違う。それらと関連はあるんだけれど、「うた」という大きなものがある。

潾二郎つながりで、長谷川四郎。

『原住民の歌』(1972年・晶文社)に入っている歌は、メロディーもつく感じの歌です。このところ近くに置いて、何日かに一度、ページをめくる。そんな感じで愛しております(いちどきに読むのは1~2ページ)。

引いてみます。



病人の歌(全)  長谷川四郎

ひとがいう
おまえは熱が七十七度
おまえの目はみどり色
おまえの舌はまっきいろと
まっくろの
ダンダラジマ
おまえは病気だ
おまえはくたばり
かかっているよ
いや
ぼくはぼくの暴風
ぼくはぼくの難破
ぼくはぼくの暗礁
ぼくはぼくの漂流
ぼくはぼくの
つかまっている木片
そしてぼくはぼくの
朝凪ぎだ



昼ごはん前のひととき、こういうのを読むと、もう、なんか、とてもいいかんじになってしまうのですよ。

「自分は自分で行くよ。ごめんな」てなかんじで。


過去記事≫余白は余白のまま
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2014/07/blog-post_12.html



絵もなかなかよろしいのです。どの絵も「ぼくはぼくの漂流」な感じで。


2014/09/11

■天使とヒゲオヤジの空

こちらは(↓↓↓)、まあ、手塚治虫でよく見る俯瞰・全体図ですが……


これ(↓↓↓)、すごくないですか?



見開きに、これですよ。

両方とも「幽霊男」という手塚治虫が1945年(戦時中)に描いた漫画のシーン。

この時点で、「天使」とおぼしき生き物は女性に近い容姿。アトムでは天使=アトム。男児の容姿となった。このあたりも興味深いところですが、この見開きを初めてひらいたときは、ちょっと頭がクラっとしましたよ。

■静かな長谷川潾二郎

O津Y景さんとお話していて(メールでですが)、長谷川四郎(大好きな作家なのですよ)の次兄、長谷川潾二郎(画家)のことを知り、ドハマりしております。




静かです。

画文集『静かな奇譚』のタイトルは納得です。

静かで、悦ばしく、豊かです。


O津Y景さんに深く感謝であります。


俳句もこうありたいもいのです。って、なんでも俳句に結びつけるのは、ほんと、よくないです。ごめんよ。




2014/09/10

■「アーティスト」とか「世界観」とか

いつからか、ミュージシャン、シンガーのことを「アーティスト」と呼ぶようになった。

「世界観」という(元来は集合的な観念を指していた)語を、やがて、個人の創作物の設定やフンイキを言うのに気軽に使うようになった。

そういうノリにはまったくなじめないので、そういう場所とは距離をとっておこうと決めたのでした。かなり前に、すでに。

つまり、世の中が「アーティスト」たちのさまざまな「世界観」で溢れていることは知っているし、否定も批判もしないけれど、そういう捉え方は、自分とは無縁だよ、ということです。ごめんよ。




2014/09/09

■郵便受けに放り込まれたIKEAのカタログ、あるいは満月

(例によって、タイトルの一部は記事内容といっさい無関係です)

さて、2014年9月9日のウラハイ



色の一致。

「月曜日の一句」は満月色だったのですね。

■俳句甲子園、2年前の記事から

久留島元「俳句甲子園に期待しない」(週刊俳句・第385号)に参考記事として挙がっている拙記事「俳句甲子園を安全に語る方法」。

http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2012/08/blog-post_21.html

2年前の記事。

元になったtogetter「俳句甲子園のレベル?」 の閲覧数は12,000を超えていて、当時の注目度の高さがわかる(プチ炎上?)。



拙記事のハイライトは、記事の内容よりもむしろ、「しばしばヒステリックな反駁に遭う」と書いたそばからヒステリックなコメントが書き込まれた、コントのような展開。
匿名 さんのコメント... 非難するなら じかに 俳句甲子園観戦するか 選考委員になって 会場で非難するだけの勇気はないのか! 正々堂々 有馬朗人先生にもの申せ! 陰口たたくな! 2012年9月7日 11:05 

「陰口たたくな!」と「匿名」が叫ぶという、全身全霊のギャグですか? を含め、ひじょうに興味深い展開を見ました。

(一部の)関係者にとって、褒め称える以外はすべて「非難」「批判」に思えてしまうという(拙記事には非難も批判もない)、ある種の被害妄想は、思いのほか深刻かもしれません。2年で状況は変わったのかどうか。

おそらく、ですが、俳句甲子園がらみで湧いて出るこの手の人たち、ナニな人たちは、当の高校生やOBOGではなく、周辺のオトナなのでしょう(まあ、そう信じたい、というところもある)。

なお、匿名コメントにある「有馬朗人先生」とはエネルギー・原子力政策懇談会(原子力ルネッサンス懇談会)会長。この年の俳句甲子園に審査委員として招かれた模様。2011年3月の原発事故から1年半しか経っていないこの時期(時間が経てばいいというものではないですが)、呼ぶほうも呼ぶほうなら、のんきに審査をしに出かけるのもどうなんでしょう? と、いまさらながら。


〔参考〕俳句甲子園の歌
http://hw02.blogspot.jp/2014/08/blog-post_23.html

2014/09/08

■某日日記:日本橋室町とか洗足池とか

おソロのポーズ。


ムク(写真右)の脚(大腿骨骨折)はずいぶん良くなりました。大ケガしたことがほとんどわからないくらい走りまわり飛びまくっております。


さて、某日。

日本橋室町はすっかり変わってしまいました。COREDO室町という商業ビルが3本も建ち、休日の人出で溢れかえっておりましたよ。

2007年6月に閉店した蔦カレー屋さん。さらに蔦な状態に。


某日。

洗足池には初めて行った。とても気持ちのいい場所。一周1.2kmは散歩コースとして最適。

池を律儀に一周していたら見逃してしまうかもですよ。

近くの鳳凰閣。メンテがあまりよろしくなく、かえってフォトジェニックな物件に。

小雨のなか、たくさん歩きました。洗足池から電車で戸越銀座に出て、商店街を往復、さらに中原街道を五反田まで。途中、小公園の葡萄棚の葡萄(マスカット系)が予想に反して甘くて美味、また志賀昆虫普及社を眺めるだけで通り過ぎるなど、ぶらぶら度の高い散歩。

この日は古い友人と久しぶりに再会。数人で、途中の喫茶店で「句会」もやりましたよ。

  はつあきの小さく雨の降る日かな 10key

そういう気分の一日。

2014/09/07

2014/09/06

■「やたら『先生』と呼ぶのは、人を小馬鹿にして生きてるからなんだよ」という説明…

…は、ぜんぶがぜんぶそういうんじゃないとは思ったが、ある程度、腑に落ちたのだった。

誰かをほんとうに尊敬したことがない。誰にもほんとうの敬意を払わない。だから誰にでも『先生』を使えるんだ

なるほど。

俳句世間にも、これは多い。

先生だらけというのは、いたたまれない場所、気持ちの悪い場所であります。

もっとも、ビジネスの部分では、営業的に無難だから、ということで、例えば郵便物の宛名に「先生」を使う〔*〕。「先生」に、それほど重い意味はない。


それにまた、俳句教室で実際に「先生」をしている人も多いからね。

ほんと、そう。この人がいったい俳句の何を教えるんだ?という人まで講師だったりする」とその知人。

んんん、人が俳句を習いたいという場合、いろいろなニーズがあるし、それに、俳句に限らず世の中には「教えたがる人」とそうじゃない人がいる。前者の人たちの「教えたい」ニーズを満たすためのものでもあるのではないかなあ。


って、これは、 俳句世間における「先生」呼称とはまた別のことだった。ごめんよ。


〔*〕以前聞いた話では、あるときある俳人を「様」付けしたところ、激怒。「なぜ先生ではないのだ!」と。以来、俳句総合誌では一律に「先生」となった。というのはたぶんに都市伝説っぽいのですが、いかにもなエピソードではあります。

2014/09/05

■22穴の電気たこ焼き器、あるいは地下鉄

タイトルの一部は内容とまったく関係がありません。


Kip Hanrahan - At The Same Time As The Subway Train

■ピート・タウンゼントはギターを壊したかったわけではなく壊してたことを50年後の今知り、ザ・フーを一日中聴いていたい気分になっている

曰く。最初は天井にぶつけてしまったのがきっかけ。心から愉しいわけがない。モノが壊れる。それだけのことだし。そのうち新聞記者が「今夜も壊してくれたら一面記事にするかも」と。でも自分なりの理由もあったと思う。その頃ぜんぜん弾けなかったから。いい音楽や演奏は聞いているし知っているのに、自分は出来ない。フラストレーション。そのぶん見かけで補う、みたいな? …うんぬん。

1968年9月14日『ローングストーンズ』誌インタビュー




2014/09/04

■賞に応募することと句集をもつということ

短歌クラスターのツイッターで、歌集を出しているような人が賞(角川短歌賞)に応募するのは、どーなの? といったことが話題にのぼっていました。

角川短歌賞は新人賞という側面をはっきり打ち出している点、角川俳句賞とは違うようです。同じには語れません。

そのうえで、私は、「句集をすでに出している人が角川俳句賞その他に応募するのはみっともない」という考え。自分の句集をもつということを重く見る考え方です。

でも、受賞者のうち多くがすでに句集をおもちの方みたいですね。今年の柘植史子さんを含め。

つまり、人それぞれ、考え方は、いろいろです。

2014/09/03

■上京悲話【再】【転載】



『鏡』第2号(2011年10月1日)より転載。『鏡』(寺澤一雄発行)には創刊号と第2号のみ参加。不義理をいたしました(当時、私の中で「所属の断捨離」が流行っていた)。

「上京悲話」は「上京秘話」のほうがよかった、と、今になって思う。句集に収めるときは(いつの話だ?)「秘話」にしましょう。

八田木枯さんは、まだご存命で、この号には、「六十六年目の夏」14句。

  昼寝して夜は夜でねむることかなし

  老年が蝶の鬱金をなぶりをる

ほかがある。

そうそう、木枯さんがあるとき「性病院」で連作を作りたいと、本気なのか冗談なのか、おっしゃった。千駄ヶ谷にある赤い大きな看板文字「性病科中央医院」に触発されての思いつきだったらしい。「それ、週刊俳句にください」とお願いしたところ、「そんなん載せたら、『木枯のやつ、アタマおかしなったんちゃうか』と言われる」とかわされてしまい、木枯さんからは、なかなか「性病院」俳句が出てこなかった。それでというわけでもないのだが、フライングのように安易に作ってしまったのが7句目。

なお、12句目の「紐」が「鞭」に変わり季節が変わり、「走れ変態」中の一句となった。

それにしても、木枯さんが在籍した同人誌で、俳句はまあ自分の俳句しか書けないからしかたがないとしても、下段に、こういう日記風のだらだらしたメモ。これもまあしかたがない、と諦めることにする。人生は諦めの連続ですな。

■「で」でつなぐ

性格が八百屋お七でシクラメン  京極杞陽(≫参考

コンビニのおでんが好きで星きれい  神野紗希(≫参考

鬼太郎のような男で年始客  斉田仁

「で」文体、というか「で」語法、というものがありますね。きわめて口語的。

2014/09/02

■金魚好き

夏の季語ですから(俳句に毒されてをります)、ちょっとね、遅いんですけれどもね。



金魚大鱗夕焼の空の如きあり  松本たかし

金魚らに夕焼けといふ未来あり  高山れおな

金魚玉舐めて味なきむかし哉  同


2014/09/01

■あとひとふんばり悪魔のように

さて。 

八月がぜんぶ終つたので九月 10key



昨晩はくにたち句会でした。喫茶キャットフィッシュで席題10題。

「ビン」で。

秋暑しビンゴと叫ぶおばあさん 10key

おばあさんシリーズは継続中であります。といっても、まだ実はこれが3句目くらいで、ぜんぜん溜まらない。


おじいさんシリーズも併行して続けていますが、こちらはまだ1句。シリーズとはいえません。


句会後、飲み喰い、かつBSでモンティパイソン。観ながら、テリー・ギリアム監督「フィッシャー・キング」とかいろいろ。例によって話があっちへこっちへ。

みなさま、お疲れさまでござりました。

「悪魔のように句をつくり、悪魔のように飲み且つ喰う」がテーマの句会ですが、みな、すこしずつ年をとってきて、このところは、「将来は、老人ホームで句会やろうぜ!」が合言葉(私がひとりで言っている)。

飲み食いはもう悪魔とは行きませんが、句作はまだ「悪魔のように」と行きたいものです。

■横浜ドリームランドの歌

ハンガリー狂詩曲にて閉園の横浜ドリームランドさよなら 10key


毎週月曜日は短歌の日です(錯乱)。