2022/04/27

■危険なたべもの

金沢は、ものが美味しいので、危険です。とりわけきんつばは危険。

東京なら一元屋。金沢は、買って帰ったこの中田屋を好いております。

ラヴ&ピース!


2022/04/25

■金沢へ

金沢一泊。尾山神社になぜか蛙。由縁、あるいは狙いがあるのかもしれない。


街全体がコンパクトだし、散歩して気持ちのいい街です。やはり金沢は。

ラヴ&ピース!

2022/04/19

■あはれダリア 中原道夫『橋』より

回文に「ダリアもありだ」幸彦忌  中原道夫

※「回」は旧漢字

攝津幸彦の忌日は10月13日。ダリアの花期(晩夏から秋)とぴったり一致とは行かず、

 南浦和のダリヤを仮りのあはれとす 攝津幸彦

からの変奏の側面の強い句。

私は、南浦和駅を通ったことはある、降りたことがあるかどうか定かではない、歩いたことはないような気がする。つまり、南浦和にとくだんの思い入れはなく、ダリアの花も同じ。特徴のある花だとは思うが、とくべつ好きな花でもない。なのに、どうしてこんなにこの句が好きなのか。

〈好き〉に理由はなく、理由のある〈好き〉はそれほどの好きでもないとも思うので、それは、というのはつまり理由については、あまり考えることも語ることもなくはやばやと切り上げるのですが、摂津幸彦には、ほかにもダリアの句がある。《押入れのダリヤの国もばれにけり》なんてのも、悪くない。

ついでに、掲句、インターネットで引用を見ると、「仮り」と「仮」、両方の表記がある。正しくは前者の模様。

で、ついでついでに、この句の入った句集『鳥子』(1976年)のひとつ前、最初の句集『姉にアネモネ』(1973年)には、

 喉元を過ぎて四谷の椿かな 同

があり、地名+花として、自分の中ではペアになった2句。

あ、そうそう。掲句。

回文の「仮」感、ことばとしてどこへも行かない感、ことばがことばとしてそこにとどまる感も、考えてみればそうとうなもので、となると、いろいろな接合部でもって、攝津幸彦へと繋がる句。

掲句は中原道夫第14句集『橋』(2022年4月1日/書肆アルス)所収。



2022/04/15

■青空 『奎』第21号より

青空の句は、その空がどれくらい青いかで、句の成否が決まる。

しやぼん玉いくど割れても青い空  小池康生

この空、めちゃくちゃ青いです。

掲句は『奎』第21号(2022年3月)より。




2022/04/05

■桜 相子智恵『呼応』より

今年の桜、見頃の時期が短かったような気がします。

さて。

ゴールポスト遠く向きあふ桜かな  相子智恵

ゴールポストの向き合う種目はいくつかあるが、やはりサッカーをまず思い浮かべる。〈ポスト〉とあるので、ネットはない。競技場よりも学校だ。おまけに〈桜〉なのだから、これはもう、学校のグラウンド以外にない。だって、桜と学校は、卒業式・入学式と桜の満開とは季節がほぼ一致するからだろう、風景としてワンセットになっている。そして、多くの人にとって懐旧のにじむワンセット。

ゴールポストを主役にすることで、人の影が消えている。そこにいるのは作者のみ。時間によっては人がたくさんいそうな場所で、作者ひとり。

写真などで言うところの「抜けのいい」句。

掲句は相子智恵『呼応』(2021年/左右社)収録。

ところで、学校の桜は、街路や川沿いの桜よりものびのびと大きく枝を張っているような気がする(気のせいかもしれない)。スペースが充分なので、根の張り方が違うのもしれない(ちがうかもしれない)。


くにたち大学通りの桜。ごつごつとして古木めいた貫禄がある。

2022/04/03

■花の雨

昼間でも摂氏10度を切る冷たい花の雨。お隣の保育園はひっそりと静か。



■『そら耳のつづきを』のつづき

≫承前

ツッコミ待ちのボケと(も)とれる句を今回も。

あのひとおふろに龍のしゃつきてはいったはる  湊圭伍

シャツじゃなくてそれは刺青(しせい)だろう、というのが、言わずもがなの、ツッコミ。

「はいったはる」は「はいってはる」ではない点、ディープだし、こだわりを感じる箇所。ついでに言えば、上記、「入れ墨」ではなく「刺青」と記した点、自分のこだわり。当該業界に詳しいわけではないが、入れ墨は罪人の腕に入れるもので、いわゆる倶利伽羅紋紋は刺青と呼ぶ、と、ものの本(松田修)で読んだので。

この句など、伝統的な川柳の系譜に置いても、りっぱな川柳のような気がします。

2022/04/01

■ガラス屋の運ぶガラス 湊圭伍『そら耳のつづきを』より

ガラス屋の軽トラの荷台のデュシャン  湊圭伍

マルセル・デュシャン(1887 - 1968)の代表作のひとつ、通称「大ガラス」の正式(?)名称が「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」だということは、この際、あまり関係がなくて、問題は大きさ。軽トラの荷台に載るのか? 載らんだろう、というくらいに大きい。名前のとおり大きい。2018年に東京国立博物館で見たときも、想像を超えて大きかった。

この句、「大ガラス」とは限定していないので荷台に積める作品はたくさんある。たいていのものは積めそう。なんなら、デュシャンも積める(道交法違反? 想像すると、かなり可笑しい)。それでも、どうしたって、「大ガラス」を思い浮かべる。

つまりは、「載るのか? 載らんだろう」という、いわゆるツッコミ待ちの句なのだろう。

ボケとして成立する句は、わけのわかるボケもわからないボケも(この句は前者)も好き。ちなみに、ツッコミの句も好き。どちらも、他者と関わる意思のある句だから。

ラヴ&ピース!

掲句は、湊圭伍『そら耳のつづきを』(2021年5月/書肆侃侃房)収録。