ゆるい。
2022/07/23
2022/07/17
【句集をつくる】第27回 自作との距離
自分のつくったものを「まるっきりつまらないというわけでもない」と思えるには、ある程度の時間が必要だったりする。
偶然、瀬戸正洋さんの《雑感「かの夏を想へ」》という記事
を見つけたとき、そう思ったわけで、となると、句集にまとめる、というか、一冊の句集の中に、この「かの夏を想へ」を置いてみたくなった。
を見つけたとき、そう思ったわけで、となると、句集にまとめる、というか、一冊の句集の中に、この「かの夏を想へ」を置いてみたくなった。
前回・第26回から2年近くが過ぎちゃったけど、これ、第27回。
自作との時間的隔たりということでいえば、じつは、このところ、ほとんど俳句をつくらない暮らしが続いていて(コロナ以降、句会がめっきり減ったせいも、あるにはある)、多くの自作について時間的な隔たりが出来上がった状態だ。いま、自作を並べて、眺め、いろいろと編集してみるのに、いいタイミングかもしれない。
余談だけど、自分のつくったものを「まるっきりつまらないというわけでもない」と思える機会は、冒頭に言ったのとは別にもうひとつある。対照的なのだけど、時間的隔たりがまったくない瞬間、つまり作った直後だ。
最初の読者、第一の読者は自分、という考えなので、俳句をつくるとき、まずは自分を喜ばせることを考える。誰だかわからない(あるいは存在しないかもしれない)第二以降の読者のことを考えないのが最良だ。でも、考えちゃうけどね。
話が大きく逸れたようでいて、それほど逸れていない。句集を編むという作業は、作り手である自分と第一の読者である自分が対面しての作業だから、読者=自分の存在が確認できないかぎり、始まらないのだ。
2022/07/16
■転倒な日々
ひとり畑に行って、ちょっと世話して、じゃがいも、きゅうり、トマトを収穫したビニル袋と、ハサミ等園芸七つ道具入りのエコバッグを左手に提げて、自転車で帰宅しようとしたとたん、大粒の雨、ありゃりゃ。
と、行程半ばで、提げた袋のたぐいがスポークにからまり、前輪がロック。自転車ごと転倒して、顔からアスファルトへ。
土砂降りのなか起き上がれず。激痛激痛。人通りはなく、フィルム・ノワール的にしばし倒れておりました。
血は少しですが、目の上のたんこぶ(比喩ではない)がかなりでかい。上瞼のパープルな陰翳や頬の血のにじみは、男の子的に、ちょっとお気に入り。
精密検査はしておりません。脳の中はだいぶ以前からあちこち壊れているので。
後日。
目の上のたんこぶ、正確には右眉の上のたんこぶがしだいにしぼむにしたがい、鬱血が下に降りる法則らしく、右瞼の紫色がどんどん濃くなる。
yuki氏(嫁はんです)より、「左にアイシャドウ塗ったげようか。左右を揃えよう」とのご提案。
謹んでお断りする。
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本日は、毎年恒例のピアノ発表会。いつものごとくプログラム作成などを手伝う。今回はいつもお願いしているカメラマン氏の急な体調不良というアクシデントがあったものの、なんとか事なきを得る。人のつながりって、だいじよ。
雨の中、世の中に連休が始まるも、例によって、連休も平日もない。曜日や祝祭日よりも天候を気にする暮らし。なにしろ、畑があるので。
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それはそうと、日本社会はどんどん悪い方向へ行きますね。私たちはもうすぐこの世におさらばするからいいけど、若い人は大変ですよ、ほんと。
ラヴ&ピース!
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