2016/06/28

■家族

すこしやわらかい林檎のような結婚  こしのゆみこ

ちょっと心配な感じ。でも、それが結婚の喜び? 微笑ましさ? 

歯ごたえのない結婚?

まあ、意味などどうでもいい。直喩がきちんと意味を伝えると(つまり「よくわかる」と)、むしろつまらない。ひざポンの直喩の賞味期限は一瞬。

わかったようなわからないような(すこし「わからない」寄り)。直喩は、それがよろしいです。

いずれにせよ、ムードと質感で読む句。


父の手に春の小川を流しけり  同

父モノの多い作者。これまでの父キャラと同様、〔ほんわか感+せつなさ少し〕の路線。「ちょっと~、起きてよ、おとうさん!」な感じ=《昼寝する父に睫のあり こしのゆみこ》はこれまでと変わらず。


掲句は『豆の木』第19号(2015年5月5日)より。


2016/06/27

■パイプは社会を映す鏡のようですよ、英子さん

某日。くにたち句会、無事終了。

句会後は、葉月さんのEUみやげのパスタ+わたくし製造のミートソースほか、わりあい肉々しいメニュー(嫁はんの仕業)。

デザートは、麗人川柳作家からの賜り物を、皆でいただく。わたくし、人生初カヌレ




句会は例によって席題。「パイプ」というお題に並んだ句を見て思ったのは、まず、鉄パイプなのかパイプ煙草なのか、判然としない句があるということ(文脈で指定しきれいないケースがある)。

また、偶然か必然か、清記用紙の中で、富裕と貧困、資本家と労働者がせめぎ合っていたこと(イギリスの老若、社会階層の分断・対立が、ニュースを通し、衝撃をもってこちらにも迫ってきたせいもあるのでしょう)、たいへん興味深い。

お金持ち(小金持ちを含む)俳句」をコレクションする身としては(≫参照)、そのへんにも目が行く。例えば、(他人様の句を引くわけには行かないので)拙句のオソマツサマになるが。

  月涼しかりけりパイプ磨きをり  10key

小金持ちっぽい。鉄パイプなら話は別だが。

  船底をパイプの走る溽暑かな  10key

こちらは労働。

パイプは社会を映す鏡のようですよ、英子さん〔*〕


ちなみに、前掲のカヌレは、正真正銘、お金持ちの香りがしました。芦屋の豪邸の香り(行ったことないけど)。


最後に今回のバカ句(おなじみの「おばあさん」シリーズ)。

  炎昼をパイプ担いでおばあさん 10key



〔*〕英子さん=今回、「それ誰?俳句」に登場した40代女性。

2016/06/25

■映画「インターステラー」と突然のブチッ

「インターステラー」(クリストファー・ノーラン監督/2014年)をレンタルビデオで観る。

景色の美しさでは、この監督(好きな監督)のなかでも一番かも。荒廃の景色、スペイシーな景色、異界の景色。

とりわけ、波が立ち上がるシーンには、「うおぉー」と声を上げた。

ほかにも見どころ、愉しみどころは多々ありまして、いよいよ映画の最後。あっ、「インセプション」(同監督/2010年)になっちゃうんだー! と、にんまりしていると、ブチッ。

ああ。もうちょっとで終わるのに。

このところウチのテレビは突然消えてしまう。故障だから修繕してもらわないといけないのだけれど、コンセントを入れ直すと(リセット効果?)、また生き返ったりするから、そのままになっている。

嫁はんは、「もし、直らなかったら、もっと大きい画面のを買ってやる!」と、ワケのわからない切れ方をしているのであります。

2016/06/24

【句集をつくる】第12回 出す出さないは大きな問題ではないという享楽面からの判断

このシリーズを読んでいる人から、「句集、出す気、ないでしょ?」と言われたことがあります。

「いや、そんなことはないですよ」と答えてみたものの、鑑みるに、自分が句集を準備しているということを想像するだけで、じゅうぶんに愉しい。実際につくらなくても、満足感は得られるものだなあ、などと、のんきに愉しんでいるフシが、たしかに、ある。

アタマのなかには、何十もの、あるいはそれ以上の「具体的な」ページが出来上がっている(句が出来上がっているというのではなく)。イメージはすでに、あるのだ(まだ誰も読めない、自分でさえ読めないけれど)。

句集づくりにまつわる愉しみの何割か(あるいは大半)はすでに味わっているような気さえする。

それに、前にも言ったけれど、「つくる」と「出版する」はべつもの。原稿を完成させた時点で、はい、終了、という選択もあります。これなら、自分や誰かは読める。

(Wordでいいじゃん! 検索できるし)

ただ、リアルの愉しみは損なわれる。版元をどうするか? 紙は? 装幀は? といった悩みも、句集づくりのお楽しみメニューの項目に入っている。それが味わえないのはつまらないという意見もあります。ま、いま決めなくてもいいことですね。



2016/06/23

■サクランボ、かんぺき

色といい、味といい、かたちといい、大きさといい、たたずまいといい、挙措といい、サクランボほど完璧なものは、そうそうない、との確信を深めつつ、夏を迎えました。


2016/06/22

■すじりもじり運動 『豆の木』第19号の一句

昨今はユーグレナ(Euglena)と呼ばれることが多いですね。商品として「ミドリムシ」じゃあ、あんまりなのか。

鞭毛は五感ミドリムシに夏  片岡秀樹

1音どこかに足して欲しい気もしますが、それは、まあ、どうでもいいこと。

微細なことを大げさに。これは俳諧の愉しさのひとつ。


掲句は『豆の木』第19号(2015年5月5日)より。


ミドリムシのことをちょっと調べてみたら、「すじりもじり運動」という語が出てきた。その語を見つめているうち、すっかり愛してしまった。



2016/06/21

■六月某週末、拾い読んだり、駅ビルだったり、河童だったり

ウラハイに
〔ネット拾読〕昼に何を食べるか迷ったらカレーという風潮
http://hw02.blogspot.jp/2016/06/2016.html

ひさしぶりの〔ネット拾読〕。「ちょっと黒い自分」のリバイバル。


週刊俳句・第478号に
【真説温泉あんま芸者】駅ビルという辺涯



佳人よりハッピーバースデーの電話。




このところブックスタンドが重宝。老眼だと、手に持つよりも距離が取れて、いい。



麻生財務相の発言、「90になって老後が心配とか訳の分からないこと言ってる人がテレビに出たけれど、いつまで生きているつもりだよと思いながら、テレビ見てましたよ」が物議。

90歳のお年寄りが「老後が心配」と口にするのは、うまいボケ、好きなタイプの冗談。その際、「いつまで生きているつもりだよ」は、正しいツッコミ。

論として、どう、という問題ではなく。

もちろん、いくつになっても「老後」は心配でしょう。冗談ではなく。

でも、「その歳になってから心配しても、もう遅い」というほうが残酷。



「この一年、あなたは何をしたか? あなたに何があったか?」と質問されたとしたら、「ひとつ歳をとった」が唯一の答え。

YUIMETALと同じ誕生日、上田馬之助、ショパン猪狩と同じ誕生日、レイ・デイヴィス(キンクス)と一日違いの誕生日を迎えて。


尻子玉句会で川越へ。



河童に出会えるかもしれない吟行だったわけですが、真夏日のピーカンでは、河童が姿を現すはずもありません。


それって、そんなに優しくないのでは?

いや、待て。290円! 198円!

これが「自分が困らない程度に優しい」の、このお店なりの表現なんですね、きっと。

2016/06/19

【句集をつくる】第11回 贈呈という大問題

タグ:句集をつくる

地獄のミサワの女に惚れさす名言集
惚れさせ1937「本屋」


さて、今回は句集がどのように読者の手に渡るのかという問題。

句集/自費出版句集には贈呈が付き物、というか、ほとんどが贈呈でハケるというケースのほうが圧倒的に多いでしょう。

ところが、北大路翼『天使の涎』(2015年5月/邑書林)は、この慣例を踏襲しなかった。
そして僕が一番こだはつたことはバラ撒かないことである。直接お世話になつた数名以外一冊も謹呈しなかつた。
http://furansudo.com/award/07/jyusyou.html(受賞者の言葉 北大路翼)
贈呈ということ、いま一度、考えてみていいように思いました。自分の句集の場合も。

理由は、しかし、『天使の涎』とは異なります。
(女の子には酔つ払つてだいぶあげちやつたけど)お金を払つてもいいといふ人にだけ読んで欲しいと思ふ。せこいと思はれるかも知れないが、金銭にこだはるのはあたり前のことだ。プロになる希望がなければ、後進が俳句に興味を持たないのは当然だらう。
http://furansudo.com/award/07/jyusyou.html(同)
私の場合は、こんな気高い観点ではありません。贈呈された側の気持ちの問題です。

句集を贈呈されて、はたしてうれしいのだろうか?

むしろ、気が重いのではないか。つまり、迷惑なのではないか?



私も、贈呈いただくことがあります。なかなか礼状を出せずにいることを気に病みはしますが、気が重いことなど、ない。言い訳・言い逃れではなく、正直、そう。

だから、贈呈が迷惑だなんて思いも寄らなかったのですが、けれども、誰もが自分と同じとは限らない。そのことに、ふと気がついた。

私の句集をもらって、喜ぶ人と気が重い(イヤな)人の比率は、どのくらいなのか(「何も思わない」という人は除くとして)。

5対5? いや、それは甘い。2対8?

このように考えていくと、こちらからの贈呈は、きほん、しない。ごく限られた数人だけ(言い換えれば、迷惑になっても許してくれそうな、気のおけない人たちだけ)にする、という結論に到りました。

次に出る句集では(出たとしてですが)、

1 興味のある人には、連絡をもらい、送る(リクエスト→贈呈)

2 句会のときなどに、好きに持って帰ってもらう

3 購入してもらう(オンラインショップ他)

この3つ。

「贈呈迷惑」を避けるには、このかたちがいちばん良さそうです。


2016/06/16

【お知らせ】6月のくにたち句会

2016年626日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

句会後の飲食もよろしければどうぞ(会費アリ)


ご参加の方は、メール(tenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。



■金魚ラヴァー

メール句会オクンチ。月に一度の当番をコロっと忘れていて、告知を遅刻。それもなんとか済ませた。

http://www3.ezbbs.net/03/0123/

9の付く日が投句締め切りという遠隔句会。ファクス時代から数えると、中断はあるものの、18年続いている。

皆勤で9句、月一参加で3句。このところあまり俳句をつくらない自分にとっては貴重な作句機会。

というわりに、投句3句に毎回難渋し、

  ドストエフスキーを知らぬ金魚かな 10key

とりあえず金魚でつくっておけばいい、という風潮。金魚が好きすぎる。


2012‎年‎3‎月‎10‎日 亀戸

2016/06/15

■句集づく

才媛にはさまれてゐるクリームパン  10key:ode to Ako Kasai


というわけで、

春はクリームパン 中山宙虫句集『虫図鑑』を読む ≫読む

週俳関係に、このところ句集評やらシリーズ「句集の読み方」やら。怠惰な私にしては健闘しております。

寝苦しい夜の扇風機 嵯峨根鈴子句集『ラストシーン』の一句 ≫読む

鉱物の時間・虹の時間 塚雅世句集『猫の町』の一句 ≫読む


ウラハイ・句集の読み方

その2・帯 http://hw02.blogspot.jp/2016/06/2.html

その2・帯〔続〕 http://hw02.blogspot.jp/2016/06/2_5.html

その3・署名 http://hw02.blogspot.jp/2016/06/3.html


まだまだ記事で触れたい句集があります。積み残しがごっそり。

■どっちがどっちか

ウォーホルとリキテンスタイン。
http://hw02.blogspot.jp/2016/06/blog-post_81.html

ちょっと似ているけれど、ハナショウブとアヤメとカキツバタよりは、区別がつくのであります。
















ついでにこれも貼っておく。≫Marilyn 1926-1962

2016/06/14

■熊立ち上がる

まばらなる観客に熊立ち上がる  平井岳人

曲芸か何かと読むのが順当でしょう。「立ち上がる」という下五から。

けれども、映画と考えても、おもいろいと思いました。大スクリーンに立ち上がる熊は、実際の熊よりはるかに大きいから。


掲句は『俳句』2015年1月号より。

過去記事 メモ:映画館



http://www.imdb.com/title/tt0074593/

2016/06/13

■アジサイとハナショウブ

週俳の表紙に2週連続で花のモノクロ写真(≫第476号 ≫第477号)。以下はもともとのカラー版。いずれも2008年夏。


2016/06/12

■某日日記:プリンvs自転車

某日。ロージナ茶房に入る。店主から「何名様でしょうか?」と訊かれる(いつも句会で使わせてもらっているので、そうなる)。「いや、ひとりです」と答え、着席。プディングを注文。完食。


越えてはならない一線を越えてしまった気がする。


それはそうと、プリンの味も、アイスコーヒーのカップ(硝子に金属製の把手)も、ミルクピッチャーも、すべてがシブく昔ながら。


自転車は、ペースは落ちたけれど、乗ってます。健康第一。


某日の旧鎌倉街道、西国分寺駅近く。むかしの街道は、道幅が狭い。東海道も、旧道を見ると、よくも、まあ、こんなとこを大名行列が通ったなあ、というくらい狭い。


プリンと自転車、カロリー的に相殺ってことでオーケーですか?

2016/06/11

【お知らせ】はがきハイク・第14号は女子回

私は、今回、お休み。淑女3名によるスペシャル回です。

ゲストに太田うさぎさん、近恵さん。笠井亞子さん(俳句とデザイン)は通常運転。

3氏からの郵送がすでにお手元に届いた方もいらっしゃると思いますが、私経由でも送らせていただきます。ご興味のある方は、tenki.saibara@gmail.comまでご連絡ください。



2016/06/10

■似た句が出てきたとき

備忘録的に。








どう似ているかの「どう」という部分が存外重要だったりします。少なからぬ句に、それと似た句がすでにあるだけに。

田島健一さん(@tajimaken)の一連のツイートはこのケースで順当。


一方、「似ている句があるよ」という指摘は、大いにアリ。「けしからん」との追及をくっつけるかどうかは別にして。

パターンをみなで確認するという意味でも。

その場合、具体例を以てするのが適切。具体例を挙げるまでもなく、「よくあるパターン」も、いわゆる類想もあるけどね:駅と訛り、表札と故人、等々、それはもうふんだんに。


俳句をつくる人は、似たようなことをやっているのだ、という認識というか覚悟が必要なんだと思っています。これは悲観でもネガティブでもなく。


余談01

似た句があるかないか、ではなく、新鮮かどうか。私はそこを考えているかなあ。取り上げられた句の場合、もし仮に、他に似た句がないとしても、新鮮かどうか、という点で、どうなんでしょう。新鮮じゃなきゃダメというわけではないですよ。為念。くりかえされて、俳句のレガシーを悦ばしく受け継いで気持ちのいい句もありますからね。

余談02

じゃあ、パターン(この句の場合、✕✕が贔屓の△△△。ほかにも当然たくさんある)は使ってはダメなのかというと、そんなことはぜんぜんなくて、《おとうとが贔屓の陰間茶屋残暑》とかなんとか、作風・芸風に合わせて、やってみればいいんです。俳句は陣取り合戦(誰が先に詠むか合戦)じゃないですし。

でも、パターンにあてはめるだけだと、持たないですよ。作る興味が持続しない。自分でおもしろくなくなってくる。


だいじなのは、それがパターンだってわかること。この、わかる・わからないが初心者とそうじゃない者を分け隔つ点でもあるでしょう。

2016/06/09

【組句】頭にのせる

ふくろふを頭にのせて考へる  吉田悦花

脳天もかび理髪師にまかせきる  有馬朗人

三島忌の帽子のなかのうどんかな  攝津幸彦

あたまのさきにかみさんをのせてあのひとはどこからきたのであらうか  武藤雅治〔*〕


〔*〕歌集『あなまりあ』(2016年5月/桃谷舎)

2016/06/08

■むせ返るほどのリアル アニメ映画「アノマリサ」

アカデミー長編アニメ映画賞にノミネートされるなど話題の「アノマリサ」(チャーリー・カウフマン、デューク・ジョンソン監督/2015年)をレンタルで観ました。

人形を使ったストップモーションアニメ。チャーリー・カウフマンは「マルコヴィッチの穴」「エターナル・サンシャイン」の脚本家。奇妙な話を書く人ですね。

「アノマリサ」もまたタイトルどおりアノマリー(異常、変則)ではあるけれど、前述2作とは異なる奇妙さ。

簡単にいえば、すべてに飽き飽きした男の1泊2日の物語。

映画の感触を、ひとことでいえば、リアル。

人形アニメなのに、リアル。むせ返るくらいリアル。

見ているあいだも、見終わったときも、気分が、ど~んと重くなりました。


考えてみれば、通常の映画、俳優さんたちが繰り広げる映画という物語は、どんなに日常的で現実的でスケッチ的でも、非リアルなのですね。りっぱな男優、きれいな女優がくりひろげる、という卑近な意味でも、映画という一種ファンタスティックな演出・編集という点でも。


2016/06/07

■ゆらゆら 竹井紫乙句集『白百合亭日常』の二句

竹井紫乙句集『白百合亭日常』(2015年9月/あざみエージェント)に、

世界中ゆらゆらにする装置買う  竹井紫乙

という句があったので、それは、やはり、ゆらゆら帝国のCDかなにかなんだろうなあ…



…と身も蓋もない(しかもきっと間違っている)反応をしたところ、その4ページあとに、もっと身も蓋もない句が。

揺れながら焼きそばパンを食べている  同


このゆらゆらな流れ、お気に入りです。



2016/06/06

【外階段】川に舟? 東京・押上あたり

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2016/06/05

■どんだけ長生きする気やねん、といった感慨 『川柳木馬』第148号より

生き抜こうシーラカンスが笑うまで  小笠原望

シーラカンスは「生きている化石」。種としては数億年生きながらえているんでしょ? すごい!

個体の寿命は100歳くらいらしい。これもかなりのもの。

ただ、シーラカンスと聞くと、やはり個体ではなく古生代以来ずっと地球に棲んでいるという、その種の時間の長さですよね。

そんなシーラカンスですが、笑う? 笑うイメージはない。きっと数億年、笑っていないと思いますよ。どちらかといえば仏頂面。

そいつが笑うまで生き抜こう、というのですから、ちょっと気の遠くなるような話。この先、どのくらいなのか? 数億年単位でしょう。

ここにある、生き抜く覚悟、というか意欲は、ちょっと想像を絶しています。スーパー。

わざわざ句にするなら、これくらいスーパーがよろしいです。


『川柳木馬』第148号(2016年4月)の巻頭は特集的に「作家群像 小笠原望」。60句が並ぶ。掲句はそのうちの一句。


2016/06/04

■組句:皿・妻・双子

秋風や模様のちがふ皿二つ  原石鼎

春風や模様のちがう妻二人  中村安伸〔*1〕

むかひあふもやうのちがふ双子かな  嵯峨根鈴子〔*2〕


パロディー、もじり、本歌取り、呼称はなんでもいいけれど、先行テクストの引用・編集・脚色・アレンジは、俳句の愉しみのひとつ。


〔*1〕『新撰21』(2010年1月/邑書林)

〔*2〕嵯峨根鈴子句集『ラストシーン』(2016年4月/邑書林)

2016/06/03

■仕掛けのある部屋 『オルガン』第5号の一句

雲丹のゐる部屋に時計の鳴る仕掛  鴇田智哉

海胆は生きているウニ、雲丹は加工品も含め食べるウニ、という区別をすることが多いようですが、この句の用字がその習わしにしたがっているかどうかは、ちょっと不明。「ゐる」だから、生きていると解することもできそうですが、そうとも限らない。

ともかく、あのウニが部屋にいる。それだけでなんだか尋常ではないです。で、何時ちょうどかわかりませんが、時計が鳴る。推理小説の一場面のようでもあります。

ウニをめぐる謎。

ウニベルシタス(universitas)の謎、と、オヤジダジャレをかましておきます。


掲句は『オルガン』第5号(2016年5月1日)より。


2016/06/02

■これも一種の空耳アワー 『街』第119号の一句

歩くたび種袋より「主は来ませり」  竹内宗一郎

シュハキマセリ。

種と紙の擦れる音から、そう聞こえて、不思議はない。

シュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリ……。

リュックの外ポケットに入れていたりして、一歩ずつ、背中から「主は来ませり、主は来ませり」と聞こえてくるとしたら、生きる励みになる?(ポジティブな読み)

あるいは、しだいに狂気の淵へと? 

どちらなのかは信心の有無にもよるのでしょう。


なお、この文言はクリスマスキャロル「もろびとこぞりて」を通して馴染みのあるもの。Wikipediaに原詞が2つ挙げられている


掲句は『街』第119号(2016年6月1日)より。



【外階段】青山あたり

ワイン付きの散歩。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/05/475_29.html

ある日、それは青山通りだったりします。



2016/06/01

■火事と蝶番 『豆の木』第20号の一句

この先は火事のひろがる蝶番  三宅桃子

蝶番が結界のような位置付けで、こちら側の非・火事の領野に作者は立つ。

蝶番のカジュアルな使用感、カジュアルな形状。頑丈な扉ではなく、簡素でペラペラの戸だろう。大火事のドラマ性に、かえってコクが出る。重厚な大扉の醸し出す大ドラマとはひと味違ったコク。

ところで「結界」と呼んでしまいった以上、聖俗が生じる(読み手=私のなかに)。聖は、ひろがる火事。「この先」、どこまでひろがる(ひろがっている)のか見当のつかない火事。

すごい、火事。








■芋畑のブースカ

あれからもう20年くらい経つだろうか。隣の芋畑に、ブースカが仰向けで寝ていた(捨てられたのか?)。嫁はんが連れて帰り、洗ってやるときれいになった。

そのブースカは、いまもピアノ部屋で元気に暮らしている。




御前田あなた 【真夜中のフィギュア】遊泳ブースカ・浮遊ブースカ
http://ameblo.jp/motokichi26/entry-12165773316.html