2019/10/17

■某日某所の「や」

「や」と見るや反射的に切字と思ってしまうのは、重篤な俳病・俳炎・俳癌かもしれません。

小鳥来る炭酸水や天然水  羽田野令

けれども、この句がちょっと新鮮なのは、連綿たる〈や=切字〉精神史があったればこそ、みたいな部分もあって。

ラヴ&ピース!

掲句は『鏡』第33号(2019年10月1日)より。

一方、作者本人は切字のつもりで「や」を使っていても、これ、どう見ても、関西弁の「や」でしょう、というケースもあって、でも、まあ、切字の「や」と関西弁の「や」は同根というウワサもあるので、ね。

2019/10/16

■連濁



「あけぐち」ではなく「あけくち」? これには、かなり抵抗感がある。言いにくいじゃないですか。あけくち。

複合語の後半が濁るのは「音便」だと思っていたら、音便には含まれず(音便はウ音便、イ音便、撥音便、促音便の4つ)、便宜上、「濁音型の音便」と、まあ、亜種的な捉え方らしく、一方、「連濁」という言い方が正式らしい。

で、何が言いたいのかというと、この連濁、どんどん少なくなっていっているのでは? という話。

これを強く思い始めたのは、以前、例えば「ものつくり大学」というネーミングを見たとき。「ものづくり」じゃなくて「ものつくり」。何か意図があるのかもしれないけれど(新コンセプトとか)、抵抗感・違和感があった。

辞書では、清音・濁音を読み方として両表記の語も多いようだけれど、それにしても優勢な読みはどちらかなんだろう。

この種の語の変化、ことばの変化、どこかに研究がありそう。そういうものに出会えるといいな(なりゆきまかせ)。誰か教えてくれるとうれしいな(他人まかせ)。

ラヴ&ピース!

2019/10/15

■カタログ

花瓶を倒す

チェストに水がこぼれる

抽斗の中のものが濡れる

えらいこっちゃ 水ふきとろう

存在を忘れていたものが出てくる

…というわけで、フリッツ・ハンセンのカタログ。ちっさい!



てのひらサイズ、ちいさめの手帳サイズ。

左肩のパンチ穴は、ゴム紐で家具本体と繋がっていたと記憶。タグみたいなかっこうで、パンフが付随してたはず。

ラヴ&ピース! な小冊子。

2019/10/14

■手で撮る

週刊俳句の写真。

https://weekly-haiku.blogspot.com/2019/10/651.html

ほとんど加工していない。手動ピントのマクロレンズ(アナログカメラ向けの瑞光)で撮って、ちょっと変わった味わい。

これは(↓)は大きく加工した。モノクロに近い。枯れ感は、このパターンでも面白い。加工の有無にかかわらず、また手で撮ってみようと思ったことでしたよ。


2019/10/13

■恋歌

たったひとりを選ぶ 運動場は雨  倉本朝世

あざみエージェントのカレンダーより。同社を運営する川柳作家・倉本朝世の有名句。

情感たっぷりながら、毅然とした句。

句と言ったけれど、これ、私の中では川柳ではなく、ましてや俳句ではなく、歌。広義での歌。

恋と読みたいので、いっとう素敵な恋歌。あくまで私の中では、ね。


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2019/10/07

■振るぜ!

買っちゃった。


振るとしゃかしゃか音が出る。マラカスの変型版。簡単そうだけど、手にとってやってみると、それなりに難しく、管の中の粒粒の位置によっても音やビートが変わる。奥深いぞ、これ。

1500円くらいで、そうとう楽しめそう。

ラヴ&ピース!

2019/10/04

■仲田陽子の監獄俳句

訴状に始まり生中継に終わる仲田陽子「此岸」10句(『みしみし』第3号/2019年10月)。

 独房に蛇口と便座冬の鵙  仲田陽子

等、監獄が舞台と思しく、もしも作者=作中主体(作中視点)との立場をとれば、社会的存在としての作者に収監・服役等の経験がない以上(詳しくは知らんけど、そんな話は聞いたことがない。でも、ひょっとすると、そうじゃないかもしれないので、そのときは、ごめん)、あるいは、刑務所見学の経験(これは、あって不思議じゃない)がなければ、フィクションということになるが、作者=作中主体(作中視点)との立場をとらない私としては、同時に、フィクション禁止との教義に与しない私としては、この監獄10句、読者として、大いに楽しんだ。だって、よく出来てるんだもん。

前掲のリアリズムから、

 着膨れて微罪ばかりの閻魔帳  同

と、軽妙に世故へと跳ぶところも、気が効いてる。この句の主人公は、収監された人じゃなくて、面会の弁護士や家族と解したい。

なお、タイトルの「此岸」は「しゃば」と読みたいところ(ルビは振ってないけどね)。


ところで、俳句のノンフィクション・フィクションという問題は、少々ややこしい要素もあるので、横に置くとしても(興味のある方は「フェイク俳句」でgoogle)、ちょっと言えば、私も「フィクション絶対ダメ~!」とは思わない一方、「なんでもアリ」というわけではない。フィクションにはそれなりの趣向が要るし(前掲の「此岸」は行為・視点が弁えられていて、《私》が服役中とは決めつけられない)、作者(俳人)の生物的社会的属性からまったくフリーに詠むことには抵抗がある。例えば、私は、想像妊娠は詠めても、妊娠や出産を詠むとなると、自分でも引く。周囲はもっと引く。これは大いに引いていい。

まあ、そんなふうにいろいろあるわけで、しかしながら、「ノンフィクション主義(造語)を厳格に推し進め、作句現場の逆アリバイ(そこにいたという証拠)を求めていく態度が、俳句世間に根強く在るのは承知の上で、それにしては、全体に「厳格じゃないよな~」という例が多い。例えば、少なからぬ俳人が、見たこともない季語を、まるで目の前にあったかのよう詠む。俳句を読んでると、日本の夜ってこんなに暗かったっけ?(星月夜や銀河の頻出)とか、第1産業従事の人口比率、めちゃくちゃ高いなあとか(実際いは現在4パーセント以下)、その手の《フィクション》は、とても多い。

まあ、俳人って、不真面目なんですよ。融通無碍。

それは、悪い意味ばかりじゃなく、むしろ良いことでもあってね、その作品(俳句)に接するにも、人として付き合うにも、ちょっと不真面目なところがあったほうがいいんですよ(私だけかもれないけど)。

退屈な事実しかクチにしない人が、だいじなところで誠実とは限らないし、人に優しいわけじゃない。誠実や心優しさは、俳句以外で発揮してくれたほうがいいです。私は、そんなふうに考えて、暮らしていますよ。

なんだか話がへんなほうに行っちゃったけど(なおかつ理路がとっ散らかってるけど)、ラヴ&ピース!


なお、連句誌『みしみし』にご興味の方は、こちら(https://twitter.com/officemisimisi)にアクセス。


2019/10/02

■冒頭集:キャラメル

 その日、その時、昼の公園。おれは女にビンタをされていた。
 女が誰で、どこに住んで、いくつなのか見当もつかなかったが、殴らせておく他なかった。
 おれは彼女の店で、森永のキャラメルを万引したのだ。
(平山夢明「いんちき小僧」;『デブを捨てに』文藝春秋/2015年2月)


2019/10/01

■朝はオクムラさんから

ツイッターで【本日のオクムラさん】を再開。

https://twitter.com/10_key

毎朝8時に一首あがります。

奥村晃作を知ってしまった者には、その歌を人に伝えていく使命が生じる。

(↑断言)

ラヴ&ピース!

2019/09/30

■手づくり

こんな記事を書いたとたん、カレー鍋が〈きしめん〉でした。たのしい偶然。

ところで、

1 らっきょうを漬ける

2 えのき茸を出汁醤油で煮る

3 ちりめんじゃこを炒め、山椒と和える

4 生姜を甘酢で漬ける

何を並べたかというと、どれも出来上がりを売っているものだが、嫁はんは材料から作る。

すると、ですねえ、売ってるものよりおいしいんですよ、これが。

売ってるものは、各社が長年のノウハウと品質管理を駆使したもの。なのに、うちで作るほうがおいしい。

考えられる理由は、

1 愛情がこもっているから(冗談です)

2 材料も調理(製作)も新鮮だから

3 単なる思い込み(舌がバカ)

まあ、どれがほんとの理由だってかまわない。

ラヴ&ピース!&サンキュー嫁はん! 


〔参考記事〕
≫実山椒の季節
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2019/05/blog-post_23.html
≫今年も辣韮の季節と
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/06/blog-post_10.html

2019/09/29

■浮く

絵葉書をいただいたら、壁に貼る。先日届いたマグリット「ゴルコンダ」を土星の上にピンすると、浮遊感が増幅されたような気になったですよ。

ラヴ&ピース!


2019/09/28

■KISHIMEN(意味なくローマ字)

連句誌『みしみし』は、ネット上で巻かれた歌仙とその解説(編集人・三島ゆかりによる)を収め、後半は連衆個々の作品(短歌、川柳、俳句)が並ぶ。その後半から、昨日の流れで川柳作家の一句。

きしめんは太い平たいやるせない  瀧村小奈生

上中は順当。最後で軽く往(い)なす・躱す。

投球でいえば、ベース上で小さく落ちて、バットの芯を少しはずす。演奏でいえば、最初から弾きまくるのではなく、たらっと流しておいて最後の2拍くらいでちょっとフリーキー(freaky)なフレーズを効かせる。

こういうの、好みなんですよ、わたし。川柳に限らず、俳句においても。

ラヴ&ピース!

2019/09/27

■現代川柳はおもしろいのか?

「おもしろい」は広義で用いています。いつも広義で用います。(日本語、じゃまくせえ!)

さて。

樋口由紀子『めるくまーる』について書きました。

≫頻発するカタストロフ
https://weekly-haiku.blogspot.com/2019/09/blog-post_20.html

かなり思いきって書きました。それだけに心許ない。

記事は(つづくかもしれない)で終えたので、現在、続篇を構想中です。


ところで、必要があって週刊俳句のバックナンバーを漁っていたら、こんなもの(↓↓)が出てきた。

≫川柳大会の選句をしました
http://weekly-haiku.blogspot.com/2014/12/blog-post_38.html

600句近い応募川柳を読んで、70句余りを選句。自分が適任かどうかははなはだ疑問ですが、やりました。読んでみると、おもしろい句がたくさんある。自分で選んだ句、というのを差し引いても、おもしろい。

現代川柳は、やっぱりおもしろいのだ。そう信じることにします。

こう書くと、信じていないようだけど、ちがうよ。

ラヴ&ピース!


でね、上記とは無関係に、Lack of Afro はやっぱり最高だなあ、ということで。ジュリエット・アシュビーはゲスト・シンガー。Lack of Afro(Adam Gibbons)は歌わない模様。

2019/09/26

■教えたい・教わりたい

下書きから発掘することがあります。ブログをやっている人の「あるある」?

さて。



そやね。

でもね、教えたい人・教わりたい人がとても多い。だからこそ俳句業界・俳句世間が成り立っている(俳句教室も結社も?)。

俳句を不幸にしない語り方を、私たちは、日々探しているわけですが、どうなんでしょう?

2019/09/23

■やすむ

颱風颱風ゆってたわりには、晴れ間もあった、連休中の葉山。


友人夫婦と遊び+バンドの新曲の打ち合わせ。アイデアが出たら、google music でその曲を鳴らす(便利な世の中!)。置いてあるキーボード(友人が弾く)と持っていったギターでざっとなぞったりもしながら、絞る。6月にやったライブからメンバーが少し替わるのですが、輪郭が見えてきたような気がして、ラヴ&ピース!

2019/09/20

■郷里へ

某日、郷里へ。母の七回忌、父の二十五回忌。

ふだん使っていない家での法要。掃除がさそかしたいへんだったろう。弟くん、義妹さん、ごくろうさま。

ちなみに、ここが、拙句集『けむり』の1ページ目にある《きらきらと仏間をよぎる金魚かな》の舞台。


2019/09/19

【句集をつくる】第21回 連作の効用?

タグ:句集をつくる

先日、兼題「席」で、

  空席を跨いで虫の音をこぼす 10key

という句を投句。合評で、「虫の音をこぼす」の部分にいろいろな解釈が出たのは、まあ、曖昧な言いざまなので当然として、「空席を跨いで」もまた、どんな席かについて大きく異なる読みがあるとわかって興味深かったわけですが、つまり、劇場の椅子と思った人もいれば、座敷の座布団と思った人もいる。

俳句はしばしば、言い足りずに解釈が定まらない。これを問題とするか(つまり技術的な不備)どうかは別にして、例えば、前後の句の内容で、解釈を限定していくという手はあるようです。

こんどの句集は連作の集合体にする、というのは何度か書きました。前掲句の場合、映画をとっかかりにした連作のなかに置けば、映画館の椅子と読んでもらえそうです。

例えば、俳風昆虫記から、

  銀幕に斃れし人よ眼から蛆

  モスラ対ゴジラ観て来し夜のシャワー

を持ってきて、いつぞやの「豆の木」にたしか載せた(うろ覚え)、

  (上五失念)八月が濡れ砂が濡れ

を加え、さらに他から拾い、さらには新しく作って、映画連作にする。

連作の脈絡から解釈を限定してもらうという方法の良し悪しはさておき、こういう手もある、と思うと、句をまとめるのが愉しくなりそうです。

ラヴ&ピース!

2019/09/18

■LOVE 13

某日、「やまもと」でねぎ焼きを食したのち十三を散歩。

ディープ。

ディープすぎて、ディープあたりしたけど、この街、好きになった。


2019/09/12

■星空

雪我狂流さんから、手作り句集(何冊目になるんだろう? 数えられない)『アラバマの月』とクルト・ワイルのコンピレーションをもらった。


句集を楽しく読み、「アラバマ・ソング(別名:アラバマの月)」と「セプテンバー・ソング」だらけのコンピを楽しく聴いた。

で、秋らしい曲、このコンピには入っていないのを、ボーカル入りとボーカル無しで。



2019/09/09

■丸焼けて

さまざまな語法・用法の誤りはむかしから指摘されていて、あ、俳句の話ね、間違いを間違いと言うのはいいんですが、問題はその先でね、誤り・間違いから生まれるものもある。これは《表現》の話なんですから。

法律の条文や契約書の文面ならともかく、俳句は文芸。表現についてうんぬんするのに、誤用かそうでないかの判断は、入り口のひとつにはなりますが、出口じゃない。

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり  三橋鷹女

こんな有名句で、「夏痩せて」は間違い、「夏痩せ」と名詞でしか使えない、と言ってみたところで、なにか愉しいことが始まる気がしない。「夕焼けて」じゃなくて「夕焼け」。この指摘は正しいけど、正しいことが良いとも限らない。

 丸焼けて豚ころ 10key

なんか違う話題をついでに引き寄せた「ここで一句」になってますけど。

ラヴ&ピース!


ちなみに、私は気が弱くて、豚の、あの目をつぶった顔からしっぽまでこんがり焼けた丸焼きは、ぜんぜん正視できなくて、食べるなんてもってのほかです。むかし友人宅の食卓に子豚さんが丸焼けて出てきて、ほかのものも喉を通らなくなったことがあります。

2019/09/06

■おもしろかった江口ちかる「海と影」

川柳作家・江口ちかるさんの第14回内田百閒文学賞優秀賞・受賞作「海と影」を読んだ。

ラブシーン、というと軽くなるけれど、つまり、恋情がほとばしりそして潰えるシーンがクライマックスと解していいのでしょう、ひさびさに胸にきました。ドキドキだったりジワッだったり、つまり胸が反応しましたよ。

叙事・叙景にも滋味があり、とても好きな短篇小説。


2019/09/02

■靴紐の話

靴のあと、また靴。それはどうなの? という向きもありますが、靴ときたら靴なわけです。


で、なんの話かというと、靴紐は、そのまま使うんじゃなくて、換えたいときは換えればいい。カスタマイズ。もともとは白い紐靴が付いてたんですが、紺を買って、換えた。250円。散歩がてらスニーカー屋さんまで行って。

茶とかも渋いかもれませんね。「おしゃれさん」と呼ばれるかも(保証ナシ)。

ちなみに、これ、ツェハというメーカー。東ドイツ由来の会社らしい。どうりでオールドスクールなデザイン。いまどきっぽいスニーカーよりも、こういう古臭いのが好きなんです。

そして、どういうわけか、クソ安く売ってたりする(ネットで買います。店舗では見たことがない。誰かが履いているのもこれまで一度しか見たいことがない)。

まあ、デザインや値段はさておいても、足に合うというか、履きやすいので、同デザインで色違いをもってたりします。メッシュなので夏ですが、この色だと秋も行けそうです。

って、世界一ヒマそうで、世界一どうでもいいこと、書いてますよ。

ラヴ&ピース!

2019/08/30

■あむねじあ


納戸の奥から見覚えのない靴箱が…。あけてみると、見覚えのない靴が…。

こんなのいつ買ったんだろう? 1ミリも思い出せない。

買い物をたくさんする人なら、何を買ったかいちいち覚えていないでしょうが、そんなにモノを買うほうではない。

ううむ。

このあいだ、近くにあるロシア料理店に行ってみたい(ピロシキが食べたい)と嫁はんに告げたら、「むかし行ったよ」。

え? 行った? 1ミリも思い出せない。

そのときの写真もあるという。私が嫁はんを撮ったもの。その写真を見ても、なにも思い出せない。

どちらも、「ああ、そういえば」と、ぜんぶは思い出せなくても、記憶のかけらくらいは見つかるものだと思うが、それが、ない。

こういう話をすると、周囲も齢をとっているので、「そんなの、よくある話」と片付けられそうですが、自分では、納得が行かない。

原因として、ふたつ考えた。

1 脳の一部が壊れている。

2 ある時期、別の人間が「私」として暮らしていた。

2は、そのあいだ私はどこにいたのだ? という疑問は残るが。


あ、そうそう。靴は、もうすこし涼しくなったら履こうっと。

ラヴ&ピース!

2019/08/28

■今井家の事情

今井家の墓を洗ひて疲るるよ  今井杏太郎

全句集から、まず引く句が、これなんか? と言われそうですが、こういう苗字の使われ方もめずらしい。

ほんと、疲れたんだろうな、と。

人を食ったような句は、じっさい多いのですが、そうとばかり言い切れないところもあって、ページをめくりつつ水を飲むような喉越しもある。こんなにすらっと読み進める「全句集」もめずらしいかもですね。

ラヴ&ピース!

2019/08/27

■火星

いろいろな場所(オフライン・オンライン)でカジュアルに句会が開催されていて、例えばこんなツイート。

https://twitter.com/sore_nan/status/1166106375929286656

赤い砂火星の夏休みが終わる

句会の途中だから作者の名はまだあいていない。

火星での出来事だとファンタジーだけど、「赤い砂」を地球上で目にしたと解せば、起こり得る出来事。おもしろい句ですよね。

ラヴ&ピース!


ウラハイ 火星

2019/08/22

■ピーマンと横田基地 関猫魚句集『昭和』

ピーマンの中まで静か月明かり  関猫魚

俳句世間/俳句業界でピーマンといえば《ピーマン切って中を明るくしてあげた 池田澄子》なわけですが、掲句は、音。

無音をピーマンの皮が包み、月光が包む。


関猫魚句集『昭和』(2016年3月20日/私家版)は2015年11月に亡くなった関さんの遺句集として句友諸氏によって編まれた。

関さんは、私が、また関さんが俳句を始めるはるか以前からの知人。長く付き合っていただいた。住処が近かったので、亡くなる直前もお目にかかり、それまでと同じような会話をかわし、同じように笑いあった。

一時期、関さんの店(喫茶店)を句会場所に使わせてもらったが、関さんが私たちの句会に加わることはなかった。それを別にしても句会をともにしたことは数度しかない。関さんがどんな句をつくっていたか、なんとなく知ってはいたが、こうして一冊の句集が私の手元に残され、まとめて句を読めることに感謝。

同句集より、気ままに。

低空のキチキチバッタ横田基地  関猫魚

火男のお面すらして缶ビール  同

高圧線グラジオラスの燃え盛り  同



2019/08/20

【お知らせ】8月のくにたち句会

2019年8月25日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/08/19

【句集をつくる】第20回 サルヴェージ


ふだんつくった句の整理をぜんぜんしていない。几帳面な人はまとめて記録、例えばエクセルに入力しておくなどをしているのでしょうが、ぜんぜんしない。おまけに、パソコンではつくらないので(メモやら短冊)、ハードディスクに残っていることもない。

しかしながら、句会の折の清記、その複写はなんとなく残っている。部屋を片付けるついでに、かき集めた。ここから自分の句を原稿用紙に書き写していく。

ダメダメな句も含めてすべて書き写す。選んでいたら、その時間がムダなので、機械的に筆写する。捨てたり換えたりは、あとの作業でよい。

なかには「こんなのつくったっけ? ほんとに? 私が?」という句も(多々)あって、物覚えの悪いことです。

原稿用紙4枚ほど、書き写したところで、疲れた。あとはまた今度にする。体力・知力のないことです。

ラヴ&ピース!



作業中に聴いていたザ・トランプス。

このところまた、フィリーソウルばかり聴いています。

ドゥ・ザ・ハッスル!

2019/08/14

■続・金魚好き

散歩。七年前の。


2019/08/12

■Don't Follow Me, I'm Lost Too

大好きなパール・ハーバーのロックンロール・アルバムに「Don't Follow Me, I'm Lost Too」というのがあって(1980年)、「私についてこないで。私も道に迷っちゃってるんだから」といった具合。

前を歩いている人が道をわかって歩いてると思ったら大間違い。自分と同じく迷子だった、というのは、なかなか素敵な状況です。



むりやり俳句に持っていくこともないんですが、俳句というもの、作者がいつだってわけがわかってつくっていると思ったら大間違い。自分でもわからないような句に、豊かさがあったりしますから、数多くの「わけのわかる」句のなか、たまに出現する「自分でもわけのわからない」句にために、俳句を続けているようなもの、というところがある。

だから、読んで「わからない」という感想を抱いてしまったとしても、それをネガティブに捉えることもない。「作者はわかって作っている」という前提に立つから、私(読者)の「わからなさ」にとまどったりいやになったりする。

作者も読者も迷子、前後不覚でわけがわからない状態、とは、たぶんに理念的ですが、そういうことがあっても(いや、それだからこそ)、愉しいはず。

わかったもの・わかるものをはさんで、作者と読者が向かい合うだけの遊びだとしたら、ええっとつまり、俳句がね、そんなものだとしたら、すぐに飽きてしまうでしょう。たくさんのオトナがこんなに長く遊べるはずがない。

ラヴ&ピース!(ひさしぶり)

2019/08/11

■金魚好き

散歩。何年か前の。


2019/08/08

■冒頭集:本を集める

 本を集めるという発想は、日本では意外に古くから存在した。九世紀といえば平安初期の儒者で官僚だった滋野貞主(しげのさだぬし)(七八五~八五二)が、儒者仲間と諮って貴重文書一〇〇〇巻を集め、分類をほどこし『秘府略(ひふりゃく)』と称したが、間もなく散逸し、今日わずか二冊しか伝わっていない。貞主はまれに見る学識の持ち主で、かつ良吏でもあったため、毒瘡に斃(たお)れたときには時人のことごとくが嘆き悲しんだという。このような人柄であるから、国政に資するための文献収集を考えたのであろうが、いまだ理解者に乏しかったことは、簡単に散逸してしまった事実からもわかる。
紀田順一郎『日本博覧人物史 データベースの夜明け』(1995年/ジャストシステム)

2019/08/06

■冒頭集:パンク

 街道沿いの茶店に牢人(ろうにん)が腰をかけていた。
 晴天であった。
 牢人は茶碗を手に持ち往来の人を放心した人のように眺めていたが静かに茶碗を置いて立ち上がると、茶店に面して道幅が広がった広場のようになったあたりに生えた貧相な三本の松、その根元の自然石に腰掛けて休息している巡礼の父娘に歩み寄った。
町田康『パンク侍、斬られて候』2004年/マガジンハウス

2019/08/05

■レビューの日没



一句をとりあげることにそれほどの意義を感じていない点では私もそうだし、だいたいにして「鑑賞」という前時代的な態度が「批評」からはるか遠く後退した位置にあるものとも思うわけですが、それでも、一句について、書く。それは「紹介」ではあっても、「批評」ではない(繰り返し)。

水の被膜 辻内京子遠い眺め』の二句 ≫読む

三月のカブトガニ 加藤知子櫨の実の混沌より始む』の一句 ≫読む

意義の薄い雑文を、性懲りもなく、書き、週刊俳句に載せてもらっているのは、ひとつには、エネルギー的にも時間的にも能力的にも限界(かなりすぐに来る限界)があるということ。

その一方で、期待や望みはあって、それは、自分の雑文を読んだ人が、この句集を読んでみたいと思ってくれること。だから、引用句は最小限にしている。

そして、きほん、いいことしか書かない。ほら、批評じゃないよ、こんなの。

彼/彼女が、手にとる句集を、結果、気に入るか愛するかそれほどでもないか、そこまでは知らない・わからない。手にとるかどうかもわからないけれど、句集や句へとアクセスしようという気持ちが読者の中に1ミリでも生まれれば、私のレビューは成功といえる。

というわけで、来週号(8月11日号)にも、句集から一句をとりあげて書きます。

ラヴ&ピース!


2019/08/04

■湘子百句をぱらぱらと

小川軽舟『藤田湘子の百句』をぱらぱらめくって愉しむ。こういうものはアタマから読むものではないと個人的に思っているので、近くにおいてあるあいだ、ぱらぱらと。

愛されずして沖遠く泳ぐなり  湘子

が、26歳の作なのか、へぇー。青春回顧じゃなくて、ほぼ青春じゃないか!(すでにはんぶん回顧という意見のありましょう。26歳って年齢はどうなんでしょう?)とか、句の周辺情報もときとして愉しい。

ラブホテルなども眺めや鯉幟  湘子

とか。俳人協会をはじめとする俳句自警団の方々から忌み嫌われるカタカナ語、しかもラブホテル。湘子もその師・秋櫻子も「詩にならない卑俗な材料を好まないところがあった。(…)しかも湘子の嫌いなカタカナ語だ」と著者・小川軽舟も驚いている。「一日十句」の賜物らしいので、多作は、毀れる・毀す働きがあるのかも。とか。

酢海鼠や大阪女かはいらし  小川軽舟『手帖』

は、

坂東の血が酢海鼠を嫌ふなり  湘子

への応答なのか? とか。


△△の100句といった選集は自選を含めたくさんあって、分量的にも手軽。がっつり全・句集あるいは全句・集を読むのもいいけれど、エネルギーや時間には限りがある。CD・レコードでいうえばベスト盤も、いいものだ、と思うんですよね。

ラヴ&ピース!


2019/07/31

■なぜひとはこんなにもくらげにこころひかれるのか



冷房にゐて水母めくわが影よ  草間時彦

2019/07/28

■あわれ 『や』第74号より

ゴールデン街のあわれは昼の三の酉  中村十朗

花園神社はゴールデン街から目と鼻の先。夜ではなく昼の、初酉でも二の酉でもなく三の酉。これはもう、まさに「あわれ」。

(…)かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。 紫式部

2019/07/27

【句集をつくる】第19回 再開

もう、自分でも忘れかけていた【句集をつくるというシリーズ。読み返してみると、あんがいおもしろくて、こりゃあこれからつくるかもしれない句集よりも、おもしろいんじゃないの? と、ちょっと自嘲気味に、ますます、新しい句集の完成から遠のくわけですが、なかなか腰が上がらないのは、つまり、現実の制作へと作業を移せないのは、「読む人、読みたい人、いるのかなあ?」という、これは謙遜でもなんでもない疑問。この手の話になると、「いますよ、いますよ」という答えが返ってはくるけれど、そこには気遣いもあるし、そう応えるしかないわけです。

想定読者という話題はすでにしたと思いますが、数人なら、紙やらインクを使う必要もない(実際、ふだん1人なし数人を頭を置いている。ゼロというのはむなしすぎ・かなしすぎなので)。デジタルデータ(例えばPDF)でよさそう。

でもね。リリースのスタイルは、横に置いておきましょう。まずは、まとめるという作業。それが、現在、私にとって、どれくらいおもしろいか。確かめてみるのも悪くないと、思い始めましたよ。

ラヴ&ピース!

2019/07/26

■氷河期のつづき

氷河期がつづく回転ドアのなか  飯島章友

地球史の転倒・混乱。

ところで、ふと、回転ドアの歴史に思いが至ったのですが、ちょっと調べてみると、19世紀末くらいまで遡れるらしい。ともかく古いんですね。ひょっとしたら、20階規模の高層ビルの始まりと同じくらいかもしれません(誰か調べてください)。

ラヴ&ピース!

掲句は『川柳スパイラル』第6号(2019年7月25日)より。


2019/07/25

■ホカホカねえさん

無 ホカホカねえさん以外すべて虚無  川合大祐

いったいぜんたい「ホカホカねえさん」って誰だろう? 何だろう?

どんな人なのか、どんなモノなのか、まったく想像ができず、けれども、なにかただならずファンキーな存在のような気もするし、こちらの精気をぜんぶ奪ってしまうくらい無意味な事象のような気もするし、そのブラックホール然とした超越的バカバカしさこそが虚無であり、それ「以外がすべて虚無」などとのたまうこの句は、さらに虚無的で、ほんと、途方に暮れてしまうほどに素晴らしい一句。

冒頭の「無」のあとの全角1字ぶんの空白が、とてつもなく無。とか言う人がきっといるだろう。私も言っておく。

ラヴ&ピース!

掲句は『川柳スパイラル』第6号(2019年7月25日)より。

2019/07/23

■冒頭集:宛名

 アボガドが書く宛名はいつも中途半端であてにならなかった。
 脳味噌をトロトロのアイスクリームにさせる陽射しのなか、俺は穴ぼこみたいな自分の影と一緒に埃っぽい田舎道をゆらゆら移動していた。時折、立ち止まってアボガドのメモを確認したが、焼いた煉瓦並みに陽炎をおっ立てている田舎道でB1だかB3だかの鉛筆で撫でくった文字を解読するのはとても大変なことだった。
 アボガドは五十過ぎのデブで俺は奴の水の飲みっぷりから糖尿だろうとふんでいた。(…)
平山夢明『メルキオールの惨劇』200年/ハルキ・ホラー文庫

2019/07/21

■俳句な人々・俳句な交遊

某日。実家での所用のため西へ。京都で途中下車して一泊遊ぶ。京都在住の俳人諸氏に感謝。所用を終えての帰り、神戸で散歩。その前の晩の写真を、週刊俳句に。

https://weekly-haiku.blogspot.com/2019/07/639.html




某日。鷲巣正徳さんの句集が出来上がり、発送作業(≫その模様 ピンぼけ御容赦)。

某日。若手俳人2名が来訪。たのしく過ごす。

対談を撮影。「週刊俳句」次号に掲載予定。乞う御期待。

投票へ。

投票率は低そう。どうなるんでしょうね。わが国は。

2019/07/19

■冒頭集:厭だ

「厭だ」
 同僚の深谷が、突然溜め息と聞き違えるかのような声を発した。喘ぎ声である。視線を向ける。カウンターに突っ伏しているので表情までは窺えない。ただ、肩の線といい項の覗き具合といい、まるで倦怠感の塊のように、ずっしりとしていて重苦しい。
京極夏彦「厭な子供」;『厭な小説』2009年/祥伝社

2019/07/17

【お知らせ】7月のくにたち句会

2019年7月28日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/07/16

■中階段

透けて見えるので、外のようでいて、中。


撮影場所:神戸市中央区

2019/07/15

■水界園丁をめくる



生駒大祐『水界園丁』は、本好きなら、ぜったいに入手したほうがいいです。そして、ひらきましょう。ページをめくってみましょう。

自然現象のような美しさが、本文ページに、あります。

(どうもわかりにくいな。つまり、雨や雪、光、風といったものが、あるんですよ。物理的に、というか視覚的に)(もっとわかりにくくなった)

(俳句には興味があっても書物には興味がないという人には、ちょっともったいないかも)

ブックデザインは、吉岡秀典。

この本は、ひとつの幸運や幸福以上のものかもしれません。ブックデザイナーにとって、著者・生駒大祐にとって、版元にとって、そして読者にとって。


2019/07/09

■プラネタリウムその他 小川軽舟『朝晩』

「週刊俳句」第637号に、

 ガスの火のあとさき
 小川軽舟句集『朝晩』の一句……西原天気 ≫読む

を書きました。

この句集、ほかにも好きな句があって、例えば、

プラネタリウム急に暮れたる弥生かな  小川軽舟

人工・虚構の日没なので「急」は当たり前なのだけれど、なんだかなまめかしい都市風景。「弥生」がいいのかもしれません。隣席同士が異性でも同性でも親子でも、いずれにしても艶がある。

あと、

汐干狩馬穴が汐に浮きはじむ  同

も大好きな句。満潮が訪れ、汐干狩が終わりに近づく。なつかしく明るく哀しい。


〔過去記事〕
職場という自然 小川軽舟第三句集『呼鈴』

2019/07/08

■躑躅について 『川柳ねじまき』第5号より

『川柳ねじまき』第5号(2019年1月)より。

これからが躑躅やんかというときに  瀧村小奈生

そうそう。これからが△△というときにかぎって、ふだん起こらないようなことが起きたり、とつぜん心変わりしたり、社会変動・天変地異に襲われたり。

セラヴィ、セラヴィ。

ところで掲句の「やんか」に滋味。へなっとリラックスしますね、関西弁は。


〔過去記事〕そんなこんなで
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2019/04/blog-post_26.html

2019/07/05

■あかるさ  『豆の木』第23号より

『豆の木』第23号(2019年6月1日)より。

あきらめのあかるさ昼顔の真昼  月野ぽぽな

あきらめきれないでいるときのうじうじから、あきらめてしまえば、ぱっと気分があかるくなる、あるいは視界があかるくひらける。

というと、箴言めくが、実際、箴言に季語をくっつけたような俳句が多いなか、そこをどう逃れるか。五七五の固定的定型からちょっとずらす、例えば掲句のような韻律の組み上げるのも一手の模様。

「昼顔の真昼」の昼のリフレインが、あかるさを増幅させる。



2019/07/03

■鈴の音

生駒大祐氏の句集がもすぐ出るとのことで(≫こちら)、《六月に生まれて鈴をよく拾ふ 生駒大祐》という大好きな句を、いまさらのように思い出しているのですが。

http://sevendays-a-week.blogspot.com/2015/12/blog-post_10.html

「ちりん」ですよ、「ちりん」。

で、ふと立ち寄った本屋さんで買った文庫本、京極夏彦『巷説百物語』。とたんにやみつきになり、シリーズ4巻を夢中で読み、あとは「西」を残すのみ。そのなかでね、

りん。

と鳴ったら、小股潜りの又市の登場というわけで、鈴の音で、2019年夏のふたつの出来事がつながった。






2019/07/02

■獏然とページをめくる 『みしみし』第2号

連句誌『みしみし』第2号は2019年6月刊行。不定期を謳いつつ、創刊号が4月だったから、ずいぶんなペース(いい意味です)。

連衆(歌人、柳人、俳人)の個別作品が読めるのがうれしい。

ぱっと適当にページを開くと、岡村知昭「獏十景」10句が素っ頓狂で愉しめる。

非常用獏のおります雨上がり  知昭

友達に食われし獏よ万緑よ 同

こう言われると、獏にしっかりとした実用があるかのような、食べて美味しいような気になってきます。

ちなみに、10句中に夢は出てきません。かろうじて短夜が一度出現するのみ。夢や眠りはきちんと避けられております。

ラヴ&ピース!


A5判、本文76頁。頒価1,000円。
連絡先≫みしみし舎 https://twitter.com/officemisimisi


2019/07/01

■そのツッコミじゃない 上田信治発通俗論議の傍流的話題

ウラハイに【俳誌拝読】『鷹』2019年7月号を書きました。
http://hw02.blogspot.com/2019/06/20197.html

この号の編集後記は、話題沸騰の上田信治「ふたたび通俗性について」(週刊俳句・第636号)で触れられています。
そういえば、小川は、出たばかりの「鷹」2019/7月号の編集後記で〈子にもらふならば芋煮てくるる嫁〉が「俳句」6月号で神野紗希の批判を受けたことについて、こう書いている。
作者としては、「今どきそんな娘いるわけないだろ」とツッコミを期待したユーモアのつもりだったので、「そうか、やっぱり芋煮てほしいのか」と真に受け取られると当惑する。しかし、政治家の失言の大半も受けを狙って社会的な配慮を忘れた結果ではなかったかと反省も頭をもたげる。社会的な配慮は文学の表現の首を絞めかねない。しかし、文学が人を傷つけることは本意ではない。境界線は時代とともに変わるのだろう。
じつに行き届いたコメントだけれど、やっぱり、ウケを狙っていたんだ、ということが感慨深い。
小川氏の〈注釈〉〈言い訳〉で私が興味深かったのは、《「今どきそんな娘いるわけないだろ」とツッコミを期待した》という部分。

世の中には、その期待どおり、そうツッコんでくれる人もいるだろうけれど、そうじゃなくって、「へえー、今どき息子の配偶者にそんなことを期待する父親がいるんだー」というツッコミも多いはず。これは《「そうか、やっぱり芋煮てほしいのか」と真に受け取》るのとはちょっと違う。「自分の嫁に煮てもらえ」「自分で煮れば?」という〈ツッコミ〉には近いかもしれない。

芋を煮る娘さん、芋をじょうずに煮る若い女性は、「今どき」もいる。たくさんいる。「いるわけない」はずがない。ツッコミどころは、そこじゃないだろう。

って、これ、上田記事のテーマ(ジェンダーと通俗、ジェンダーではなく通俗)とは無関係なようでいて、そうでもない気がしている。



さて、今回問題になってるジェンダーは社会的話題、通俗はより文学的な話題。きっと、後者のほうが手強い。上田信治はその手強いテーマにあえて切り込んでいるわけだけれど、どう手強いかというと、ジェンダー論がなんらかの合意(充分ではなくともなんらかの合意)や共通理解に達する可能性があるのに対して、通俗論は、おそらく話が通じないままに終わる。

通俗は誰もが内に抱えていて(それを表現する・表明するかどうかは別にして)、多くは無自覚である一方、他者の通俗には敏感だったりするので(逆だと平和なのにね)、お互いに会話が通じなかったりする

例えば、「今どきそんな娘いるわけないだろ」とツッコ〉む人と、「今どき息子の配偶者にそんなことを期待する父親がいるんだー!」とあきれる人とが、この話題について話し合うことは難しい。というか、お互い別々の婚姻観、男女観、社会観をもってるんだね、と、違いを確認するにとどまる。

だから、その人がどうなのか、は、さておくのがいい。作品(俳句)に限定したほうがいいですね、最低限。通俗が作品に染み渡っているかどうかを問題にする。

とはいえ、作者のキャラを前面に押し立てて書く人、演出的か素(す)かは別にして、句の一人称=作者という書き方・読み方をする人が多いだけに(ついでにいえば、上田信治さんは、このタイプなんだろうなあ、フェイク俳句うんぬんについての考え方を見るかぎりにおいては…。このくだり、気になる人はググってください)、人と句の峻別は困難を極める。



あとひとつ。上田記事の「野蛮」とか「蛮族」に、心情的に反応する人が多いかもしれないけれど(ある種の罵倒や軽蔑を読み取る反応のしかた)、ちょっと直截でナイーヴすぎると思いますよ。これは、まあ、バーバリアン・キャピタリズムみたいな用法を参考にしつつ、社会科学的に、価値ニュートラルに受け取るのがよいと思っています(信治さんの意図は知らないけどね。いや、もう、露骨に煽りたいのかもしれないけどね)。

ちなみに、「バーバリアン」の語源は、わからない異国語をしゃべる人ってことらしいので、ここでくだんの話題(会話が通じない)につながったりする。

ラヴ&ピース!


上田信治 時評のようなもの5 それは通俗性の問題ではないか?

2019/06/28

■Tokyo Whale 『豆の木』第23号より

とっくにおわかりでしょう。このところ、『豆の木』第23号をぶらぶら逍遥しているわけです。

ラヴ&ピース!(位置が新しい)

首都閑散梅雨のくじらは海たたく  中嶋憲武

東京と沖の鯨は、雨でつながっている。静かな街路と巨大な尾が海面をたたく大音響(ついでに派手な水しぶき)とが、滋味豊かに対照。

でね。

なんだかね。閑散を通り越して、もうすでに人間が死に絶えたかのような一種神話的な光景(二分割画面で同時に映し出されたかのような対照的な光景)。


2019/06/26

■羽抜鶏にまつわるラディカルな問い 『豆の木』第23号より

羽抜鶏夜より昼の眠たくて  齋藤朝比古

夜更かししているからだろう、とか、昼寝という季語が隠れているとか、いろいろなことはあるのだけれど、昼の倦怠・懈怠は、よく伝わる。それは「夜よりも」という比較(論理)もあるにはあるけれど、「羽抜鶏」という季語(俳句的/大きく括れば詩的な作用)による。

ところで、このような読者側の快楽は、俳句というムードにまずは浸って読む、俳句という枠組みを認めて受け止めるという手順が必要だったりするわけですが(もちろん手順抜きに味わう/味わえる、のでもかまわない)、これを作品と読者の弛緩した関係、俳句の国での安住と、いくぶんネガティブに解するのか、弛緩・安住こそを、俳句(を読むこと)の始まりであり到達であるとするかは、人によるという以上に根本的な問題だったりするのかもしれません。こうと態度を決めるのではなく、揺れる、ぶれる、ということを含め。

繰り返される話題ですが、俳句的虚構の扱い。

羽抜鶏なんて、私の子供の頃の、ドいなかの農家の庭ならまだしも、あるいは、養鶏場でもいいのですが(それは興醒めでしょう)、ともかく、いまどきなかなかお目にかかれる
ものでもない。雪渓やら赤富士(ともに夏の季語)といった観光的季語よりもむしろ見る能わずな事象かもしれません。けれども、一定頻度で句に現れる。それだけ使い勝手がいいともいえるし、強力な季語ともいえそう。そのことをどう捉えるかという問題でもあるんですよね、上に書いたことは。

蛇足ですが、これは、見たことのないものを詠むな、といった愚鈍な「体験主義」とはまったく別の問題として、ね。

とりあえず、ラヴ&ピース!

掲句は『豆の木』第23号(2019年6月1日)より。

2019/06/22

■夏の景色



イギリスに行ったわけでもないのですが。

「パッケージ買い」と言うと、別の意味になってしまいそう。いわゆる「ジャケ買い」です。中身を知らず、外装で買ってしまった。

チョコレートは、いただきもの。見た目で、もう、盛り上がってしまいます。食べてみると、美味。知らなかったのですが、モンロワールは神戸・岡本が本店で、東京にもいくつか店舗があるんですね。

2019/06/21

■海と皮膚 『豆の木』第23号より

寒卵海の近くに肌がある  楠本奇蹄

皮膚と冬の海の照応ということで、《水枕ガバリと寒い海がある 西東三鬼》を思い出したりもする。

小さな固体(=卵)と大きな液体(=海)の対照がまずあって、そこに肌が寄り添う。三鬼句よりも複雑な構造。

海を近くするという人間側の感覚ではなく、海から距離が出発するという軽い転倒もあって、さらに念入りな構造。

掲句は『豆の木』第23号(2019年6月1日)より。

2019/06/20

■ライブ無事終了

あいにくの雨となりましたが、ライブ無事終了。

gororinが撮ってくれた動画。※興味のある方はどうぞ。
https://31.gigafile.nu/0623-f59780f4360f9717c77ec3fb92e2a96f6
※ダウンロード期限: 2019年6月23日(日)

充分な準備とは行きませんでしたが、泣いても笑っても当日はやってくる。「ともかく楽しもう」と臨み、結果、リラックスした音になったと思います(観客の皆さんが温かかった)。

考えてみれば、この年齢になって、バンドなんかやって、好きな音楽を鳴らし、おまけにライブに出られるなんて、願ってもない幸せ。ということで、いろいろなことに感謝することにします。

2019/06/19

■尖鋭とポップ 『豆の木』第23号より

こしのゆみこの俳句は、ときとして尖鋭的に前のめりでありながら、全体には、いい意味の弛緩、キュートさを失わないところが魅力。奇妙な喩えだけれど、張りつめた脚の筋肉と強靭な膝とは裏腹に、膕(ひかがみ)の柔らかさが見えるところ。そんななかから、ポップな、というのは、多くの人に素直に愛されるような句が生まれる。

小鳥来るための額を空けておく  こしのゆみこ

野遊びのくるぶし鈴の音させて  同

句会での戯れに「どこに出しても恥ずかしくない句」などと申すのですが、この2句あたりは、どこに行っても愛されそう。

でも、そんなばっかじゃ本人が照れるのだろう。10句作品の掉尾は、これ。

きょお!きょお!水のしたたりやまぬ音  同

これにしたって、出るとこに出れば、大いにウケるであろう句。

25年前、『豆の木』創立当時は若手、今は中堅かベテランの作家こしのゆみこの今後ますますの充実を楽しみにしている読者の一人なんですよ、私は。

掲句はいずれも『豆の木』第23号(2019年6月1日)より。

こしのゆみこ作の猫オブジェが変わらず『豆の木』の表紙を飾る

【お知らせ】6月のくにたち句会

2019年6月30日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/06/18

■夜の洗濯 『豆の木』第23号より

『豆の木』第23号(2019年6月1日)より。

夜濯や別の地球にゐるごとし  柏柳明子

昨日の記事と直喩という点で同じなのは偶然です。

さて、「夜濯(よすすぎ)」という季語、本来は、夜、涼しくなってからの洗濯、昼間に汗した衣服をその夜に洗うといったことから夏の季語。曲亭馬琴編『俳諧歳時記栞草』には見当たらないので、新しい季語かもしれないですね。

電気洗濯機がもっぱらになった現在、夜の洗濯は、昼間は勉学やら遊びで忙しい学生が下宿で夜更けに洗濯機を回し、近所から叱られる、というイメージ(あくまでイメージ)。やはり手で洗う洗濯が、この季語に似つかわしい。

掲句。やはり洗濯機よりも手。欲を言えば、外での洗濯。

もうひとつの地球というネタはSFでしか見ないけれど、別世界というのではなく(気分はそうかもしれない)、わざわざ地球と言ったことで、なんだか、地球の表面(総表面積は約1億平方キロ!)にぺたっと貼り付いた衣服や少量の水を想像させる。きっと、夜の地球のしずけさ、あるいは遠い喧騒とはまた別の地球の音が聞こえている。

2019/06/16

■喩を愉しむ 『豆の木』第23号より

『豆の木』第23号(2019年6月1日)より。

中指を滝のごとくに摑まるる  大石雄鬼

指は墓になったり〔*〕滝になったり、たいへんです(この「たいへん」は多義的)。

中指が滝のようかというと、そうでもないような、そうなような。

滝を摑むことができるかどうかというと、できないような、できるような。

二重の親和・違和、二重の納得と不思議があって、滋味深い。

俳句世間・俳句業界には、直喩に慎重な、あるいは直喩を嫌う、あるいは軽んじる傾向があって、杓子定規に教科書的に俳句を扱うなら、それも得策。けれども、「よくわかる」で終わる比喩は、直喩であろうと暗喩であろうと換喩であろうと、それはそこまでのことなわけで、直喩かどうかが問題なんじゃない気がする。滋味が出るのは、そのむこう、つまり、「わかる」と「わからない」のあわいのような箇所。

大石雄鬼は、そうした〈わかる/わからない〉の識閾にある微妙な痛点・快楽点をつく句が多い。直喩に限って、今回、『豆の木』第23号所収の「目玉」10句と拾遺的な「二〇一八年作品」から拾えるだけでも、掲句のほか、

牡蠣殻はつも怒つてゐるごとし

菜の花をまさぐるやうに夜が明ける

五月雨の肋のやうに街覆ふ

ハンカチを明りのやうに男干す

夕菅や根つこのごとき子を抱けり

とぎ汁の津波のごとき盛夏かな

など、かなりの数・かなりの頻度。

1句目はわかりやすさに堕した感はあるものの、2句目は光や映像とともに微細な音まで聞こえてきそう。


〔*〕《秋風やひとさし指は誰の墓・寺山修司》

2019/06/09

■さまざまなこと思い出す梅雨入りかな

週刊俳句で追想的な記事2本。

路上の鴉
天野伸子馬の目』の一句……西原天気 ≫読む

中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
〔追悼〕ドクター・ジョン「スタッカリー」 ≫読む

2019/06/03

■意匠がだいじ

菓子に意匠はだいじ。外装も、そのものも。

ときどき、とてもキュートなのを見つけて、うれしくなる。

このお干菓子は賜り物。口に入れてみたら、やっぱり甘すぎて、こんなに小さいのに、3回に分けて食べることになりそう。



2019/06/02

■ミシェル・セール逝く

昨日、6月1日、ミシェル・セール(1930-2019)が亡くなったそうだ。

〔過去記事〕


2019/05/27

■あくあぱっつぁあ

くにたち句会、無事終了。


席題7つ。

 インテル®の入つていない扇風機  10key

2019/05/26

■ライブ(!)のお知らせ

老後の楽しみに、またボケ防止に、と、40年ぶりにギターを手にしたのが3年前。バンドでライブに出演するなどと、その時点では想像もしなかったのですが、なぜか、こういうことになりました。「ハザコ」というバンド名です。40年前の友人たちがメンバー。妻がピアノを弾きます。

気が向いたらお出かけください。お問い合わせ・チケットetc、5月いっぱい期限で天気(tenki.saibara@gmail.comまで。



出演は13時からの30分。

飲み食い自由。地下でライブ、1階で立食というスタイルです。

曲目:ボーカルがいないくて、いわゆるインストです。
intro:バッハ+グノー「アヴェマリア」
The Ghetto ダニー・ハザウェイの定番曲。
Soulful Strut 歌付きのAm I the Same Girlで知られる曲。
Liber Tango ピアソラの名曲
Together At Last Luck of Afro
Take Me With You サンタナの曲。むかし関西のバンド「しーちゃんブラザース」のボサノバ・サンバ・アレンジで。

2019/05/23

■実山椒の季節

…であります。

いつも箱で買います。実を取り外す作業。二人ががりでもかなりの時間がかかります。録りだめてあったビデオなどを観つつ。


外せました。枝は捨てるよりほかなし(だと思う)。


水に浸して、アク抜き。


このあと、ちりめん山椒になったりします(嫁はんがやるわけですが)。冷凍しておいて、そのままなにかにぱらぱら振っても美味。

2019/05/22

■巴里は雨 『棒』第3号の好井由江

同人誌『棒』第3号(2019年5月)の好井由江「右ひだり」20句が軽やか。

巴里は雨とよ人参を乱切りに  好井由江(以下同)

カリフラワー真白よ鳩が鳴いている

隣り合いセットになったかのような2句。巴里と鳩が2句をクロスして照応する。

夕やけ小やけ猫はなんども恋をして

恋猫は春だけれど、夏(夕焼)になっても次の恋、次の恋。

紙風船だれが突いてもこんなもん

冷静。

夏みかん抱えてなんとなくワルツ

なにはともあれラストは踊る。正しい態度。

そういえば、このあいだ、俳句関係の酒宴で、隣り合った人と句会の話になり、「うちは句会後に踊る」と申し上げると、目をパチクリしてらっしゃました。「わけわからん」らしいです。わかんないですよね。

ラヴ&ピース!

2019/05/20

■空とカメラ

数枚の夏空あした呑む胃カメラ  10key

ってわけで、明朝、検査です。異状・不調だからじゃありません。これまで怠ってきた健診の一環。


2019/05/18

■冒頭集:寝覚め

明け方に浅瀬の潮が引いていると、鷗のけたたましい鳴き声で目が覚めるのだった。加減の悪い朝は、自分が屍となって鷗に心臓を啄まれているような、そんな感じに襲われたものだ。(…)
ノーマン・メイラー『タフ・ガイは踊らない』1984(吉田誠一訳/1985年/早川書房)

2019/05/16

■ふとんの国

『奎』第9号(2019年3月)より。

布団から布団の見えてうれしかり  淺津大雅

めざめのかたちについて、ちょっと書いたのだけれど(≫こちら)、こうしたある種あざやかなめざめとは別に、「ああ、ふとん!」と目やからだ(皮膚)が、布団をうれしがるようなめざめも、たしかにあります。

ふとんの国の住人でずっとありつづたいような気分。冬だけでなく(布団は冬の季語)、春眠だけでなく、年中ずっと。


2019/05/14

■手仕事

『川柳木馬』第160号より。

ウォッシュレットかくて手仕事はすたる  内田万貴

尻を拭く、あれが「手仕事」というわけで、大仰な言いぶりも含め、これはかなり可笑しい。

2019/05/13

■相鉄の新車両は逆光のなか濃紺を超え黒光りしていた

某日、横浜へ。「街」主宰の今井聖さんが阿部完市を語るというので(講演ね)、面白い組み合わせだな、と。

ちなみに、阿部完市の句は、大好き。理由は、おしゃれでキュートだから。くわえて表面的(拙ブログ・表面主義俳句宣言関連を参照)で音楽的だから。

聖さんの話はその路線ではなくて(つまり、期待とは違って)、かみ砕いていえば、どんなふうにやれば「阿部完市風」の句が作れるのか、というレクチャー。

聖さんは、なんで、そんな講演をやるのか。つまり、目的。

慮るに、脱魔法/幻滅(disenchantment)? つまり、「ほら、コツさえつかめば、誰でも作れるんだから、そんなに(盲従的に)信奉するなよ、若者たち」ということのように思えた。

それがほんとに当たっているのか、というのはつまり、「阿部完市風」の《方法》が有効なのかどうかはさておき、さておいて、ですよ、誰かがなにかを大好きなとき、「ほら、それってじつは大したことないよ」と言ってあげる、忠告する、魔法のタネを明かして、幻滅させてあげるなんてことが(そんなことはできっこないと思うけど、たとえできたとしても)、それってはたして必要なのか? それを思いましたよ、むずかしいことわかんないけど、シンプルに。

このへんのこと、今井聖さんと話し合ってみたい気もする。数カ月後か数年後。


講演を聴き終えてから、いつものように、献血へ、散歩へ。

献血が終わって、最後に血圧を測るんだけど、上が「81」という数字が出て、看護婦さん、目を丸くして吃驚しちゃいまして、このまま帰すわけにはいきません、と。

しばらく横になったまま。再度計測。89。

私「もうひとこえ、ですか?」
看「そうですね」

きっと90以上が目安なんだろう。このままじゃ迷惑がかかると思い、測っているいあいだもしゃべり、冗談を言って、笑い合う。結果、めでたしめでたし、100を超えた。

散歩にはいい日。気温はちょうどいい。ああ、風が気持ちよかったぁ。

2019/05/12

■〔句集を読む〕はまだ続く

承前

目が覚める 大森藍『象の耳』を読む ≫読む

異形の傾(かぶ)きと軋み 佐藤りえ景色』を読む ≫読む

2019/05/10

【お知らせ】5月のくにたち句会

2019年5月26日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/05/05

■冒頭集:海底

一八八六年は奇妙な事件がおこった年である。それは説明されなかったし、説明をつけることもできないふしぎな事件で、きっと誰でもおぼえているにちがいない。港々の住民をさわがせ、また大陸の奥地の一般人までひどく興奮させた、とりどりのうわさは別としても、特別におどろいたのは海に関係のふかい人たちだった。ヨーロッパやアメリカの貿易業者、船主、船長、漁船長、あらゆる国の海軍士官、それからこれら両大陸の諸国の政府は、この事件を大いに重大視した。
ジュール・ベルヌ『海底二万里』1869:石川湧訳/1956/岩波少年文庫

2019/04/28

■句集を読む

週刊俳句に毎週1本以上、句集レビューを書くという目標を課して、3回は続いた。

命長ければ 雪我狂流『春の海鼠』を読む ≫読む

薔薇と軍艦 金丸和代『半裸の木』を読む ≫読む

壺 橋本薫『青花帖』の一句 ≫読む

俳句って、がんばるもんじゃないけど、いちおうがんばる。

来週も書ければ、ラヴ&ピース!

2019/04/26

■そんなこんなで

『川柳ねじまき』第5号(2019年1月)より。

こんな日があって井村屋あずきバーがある  なかはられいこ

どんな日なのか、人にはわからない。具体的な事情が、という意味で、わからない。けれども、それを伝えることがいいとも思えない。その人(作者)にとっての「こんな日」は、あるのだ。あると言うのだから、あるのだ。

雷電の錦絵なんといふ九月  佐藤りえ『景色』2018年11月

どんな九月だったのか、人にはわからない。ずいぶんと違う句のように見えるが、共通する気分があるような気がする。

うまく言えないけれど、ああ、そんな日を、そんな九月を、(どんな日だか、どんな九月だか知らないけれど)、誰かは、その人(作者)は過ごしているのだなあ、と、私(読者)は、具体という近さとは別に、遠くから、しかし親しく、人を、他人を感じる。それは、かなり気持ちよく、ラヴ&ピース!な事柄なのですよ。


2019/04/25

■冒頭集:夢山

 甲斐の国に夢山という名の山がある。
 紅葉の紅と松の緑と、影と光と霞と雲と、とりどりの彩が渾然一体となり、山だか夢だか、真に朦朧模糊として、仰ぐ者見る者は、一様に夢夢(くらくら)と彼岸を感得し、分け入る者歩く者は、ただ眩眩(くらくら)とするうちに、生き乍ら隈路(くまじ)に誘(いざな)われたが如き心持ちになる。昼尚昏き闇こそないが、其処此処の現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の境が蕩けていて、故に夢山と呼ぶのである。
(京極夏彦「白蔵主」:『巷説百物語』1995) ※ルビは適宜省略。



2019/04/23

■夜空のこと 『鏡』第31号より

啓蟄の窓は夜空を繰り返し  佐藤文香

啓蟄(今年は3月6日)は「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)の意だから、俳句に使われると、視線は下/地面に行きがちなのだけれど、この句は、窓や夜空。啓蟄と合わさることで、夜空がなまめかしく有機的な肌合いをもっていますよね。

ラヴ&ピース!

掲句は『鏡』第31号(2019年4月)より。

2019/04/22

■はがきハイク・第20号

もうすぐお手元に届きます。業界最小最軽量の俳誌『はがきハイク』第20号。

『はがきハイク』はこちらから勝手に送りつける御挨拶のようなもの。送り先の漏れは多々。届かないときは、「おい、こら、来てない。送れ」とゆってください。

tenki.saibara@gmail.com

見たことがない、興味がちょっとある、という方も、ご遠慮なく、同じメールアドレスへどうぞ。お送りいたします。

【お願い】
はがき「全面」の写真、画像キャプチャー等を、ネット上に載せるのはご遠慮くださいますようお願い申し上げます。



2019/04/21

■かまちよしろうさんの古希イベント

某日、漫画家かまちよしろう・俳人かまちんの古希祝いのイベント(@大森)へ。

前半はトークショー。谷岡ヤスジのアシスタントしてた時代の話など、たいそうおもしろかった。後半は歌と演奏。



なお、かまちんさんのペンギン侍(未完!)はウラハイの黄金コンテンツ(≫こちら)。

俳句作品は、こちら。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2011/10/20_7470.html



大井さち子 はなれたりくっついたりして

2019/04/20

【お知らせ】4月のくにたち句会

2019年4月28日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/04/18

■溶ける

昨日、ツイッターで、これ

https://twitter.com/SH1BUYAMELTDOWN/status/1118370912124981249

を見て、即座にアカウントをフォローした。

https://twitter.com/SH1BUYAMELTDOWN

渋谷でメルトダウンしちゃった人々を撮影。可笑しいような哀しいようなコレクション。

今和次郎・考現学の系譜といえなくもないし、小林泰彦イラスト・ルポの末世ヴァージョンといえなくもない。

2019/04/17

■連句誌『みしみし』拝読

連句誌『みしみし』創刊号(2019年4月)は冒頭、2巻の歌仙を掲載。編集人・三島ゆかりによる「評釈」も付いて、ここがなかなか良質な読者サービス。発句《溜め池に立つや大波春嵐 由良》については、
俳人であれば、切れ一箇所というセオリーでまず「溜め池に大波立つや春嵐」とすると思うが、「溜め池に立つや」で何が立ったのだと読者に思わせつつ、一気に「大波」「春嵐」と畳みかけたことにより、「大波」のインパクトが強くより印象的になっている。
といったぐあい。

連衆(歌人、柳人、俳人)の作品も併載。結果、多分野のフュージョン的誌面となり、これもうれしい。

A5判、本文66頁。頒価1,000円。連絡先≫こちら

ラヴ&ピース!


2019/04/11

■冒頭集:木曜日

ロンドンのサフロン・パークという郊外は、ロンドンで日が没する方に、夕日の光を受けた雲も同様に赤く、きれぎれになって広がっていた。そこの建物は皆、真っ赤な煉瓦でできていて、建物が空に描く輪郭はおよそ奇妙なものであり、この郊外の平面図も決してまともなものではなかった。ここを設計した土建屋は空想家で、芸術にもいくらか関心を持ち、建物の様式をエリザベス時代風といったり、アン時代ふうといったりして、エリザベスとアンを同じ一人の英国の女王と思っているらしかった。(…)
G・K・チェスタトン『木曜の男』1908(吉田健一訳/1956年/創元社)


2019/04/03

■外階段:某日某所

どこで撮ったかも忘れた。はんぶん気を失いつつ暮らしております。


2019/04/01

■ぐづぐづ 『なんぢや』第44号の一句

ぐづぐづの昼のうすらひ波なせり  鈴木不意

こんな場合、「ぐづぐづの」は、名詞をひとつ飛ばして「うすらひ」にかかるのだろうけれど(意味からして)、同時に「昼」が「ぐづぐづ」のようにも響く。ひとつの名詞にかかって意味を鮮明にする必要は、かならずしもないのだから(実用文じゃないから)。

名詞ふたつのどちらにかかるかは、形式上の規定ではなく、意味によることがもっぱら。むかしむかし《無口であった父のきんたま》という中下の句を投句したとき、「息子の知らない一面もあるよ」という感想/指摘をいただいた。その人は、「きんたま」が無口であったか饒舌であったかは、うかがいしれない、と言いたかったのだろう。私としては、〈無口な父〉と書いたつまりだったので、その人の読み方/捉え方には少々驚いたが、じっさい、どこにかかるかは(両方にかかることも含め)、確定し得ないことが多い(繰り返すが、実用文じゃないので)。

閑話休題。昼やら薄氷の「ぐづぐづ」感が、この句のなかでたゆたい、「波なせり」がその揺れをしっかりと増幅する。くわえて、語尾「なせり」の格調のようなものにも、私は大いに惹かれるのであります。

掲句は『なんぢや』第44号(2019年3月10日)より。

2019/03/30

■毛布から

地球とかメツボウしないかな 毛布  八上桐子

同タイトルのブログ記事より。

散文的な意味で筋道をつけるなら(それが句にとって良いことかどうかはまったく別として)、出だしから中盤までのセリフを、毛布にくるまった人が、あるいは毛布の中から口にしている、と読める。

毛布は、世界と対峙するときの殻(衣服よりも要塞感が強い)なわけで(頻繁に使用されるモチーフ)、「メツボウ」(カタカナ表記、いいなあ)を願う/望むに最適な道具立て。

そんなふうに《意味を通してしまう》ことをしても、私にはじゅうぶん面白いのだけれど、最初に言ったように、辻褄を合わせる読みが良いのか悪いのか、いまのところ不明(将来も不明?)。

毛布からのぞくと雨の日曜日  加藤かな文(句集『家』2009年8月)


それにしても寒い。花冷えは毎年のことだけれど。