2019/12/29

■組句:しあわせについて

ヒヤシンスしあわせがどうしても要る  福田若之

ヒヤシンスじゃあどうすればよかったの  八上桐子

ヒヤシンスと未来と過去。

ところで、シアワセとかフシアワセについて考えたことがあるかないかといえば、あるのですけれど、否、考えるというほどはっきりしたものではなく、不定形に、なんとなくふわっと、思いのようなものに包まれるといったほうがいいか。

自分の中にシアワセがあるのか、シアワセの中に自分がいるのか。ずいぶんとスウィート過ぎる設問だが、このへんは実際ややこしい。シアワセは、生まれるものなのか、やってくるものなのか。

あるとき、これからさき、いつか、シアワセになるんだろうなあ、とか、このさきシアワセが訪れることはないんだろうなあ、とか、心情的には真逆のふたつのことが、しかし、それほど逆でもなく、日に日に移り変わったりする。

いまシアワセかどうかを訊かれて、イエスと答えようがノーと答えようが、どっちでもいいような気がして、とすると、この問題は大問題のようでいて、じつは、かなりどうでもいいことなのかもしれない。あくまで私にとって、ですが。

一方、あのとき、どうしていたら、いまは、いまよりシアワセだったのか。そういう問題の立て方も、あるにはあるが、これは、ちょっとせつなすぎるかもしれないですね。

前掲。2句とも、せつないにはせつない。

2019/12/28

■はがきハイク・第21号

業界最小最軽量俳誌『はがきハイク』第21号が今日あたりからぼちぼち皆様のお手元に届くと思います。


『はがきハイク』はこちらから勝手に送りつける御挨拶のようなもの。送り先の漏れは多々。届かないときは、「おい、こら、来てねえぞ。送れ」とゆってください。
tenki.saibara@gmail.com

見たことがない、興味がちょっとあるよ、という方も、同じメールアドレスへどうぞ。

なお、年末年始の御挨拶も兼ねて「12月」となっていますが、届くのが2020年になってしまうこともあろうかと存じます(私の動き出しが遅かった。反省)。ご海容のほど、よろしくお願い申し上げます。

【お願い】
はがき「全面」/俳句全部の写真、画像キャプチャー等を、ネット上に載せるのはご遠慮くださいますようお願い申し上げます。

2019/12/20

■組句:非常口の人


非常口に緑の男いつも逃げ  田川飛旅子

白靴の脱げかけてゐる非常口  浅沼璞〔*〕

靴が脱げかけているのは、生身の人間と解すべきだろうが、こう並べると、あのピクトグラムの男の靴、と思えてきて、諧謔が増した。

(靴はいてるのか、どこが靴だ? という問題はさておき)。


〔*〕浅沼璞『塗中録」(2019年11月/左右社)

2019/12/19

■大野泰雄句集『むつつり』ああ軽妙で巫山戯ている

このあいだから読んでる大野泰雄句集『むつつり』がおもしろい。

ちょっと無頼で、軽妙。いいかんじに巫山戯た句も多い。佐山哲郎さんの諸句集にも通じるかも、です。

いいかんじに巫山戯るのは存外難しくて、こっちが引いてしまっては、その巫山戯は失敗。

※句集『むつつり』については、またどこかに書きます(おそらく週刊俳句)。


ところで、軽妙とか飄逸とか巫山戯は、オトナの所作。なぜかというと、暮らすことの重苦しさ、つらさ、かなしさ、ばからしさを知っているから。

重苦しいから、重い句を書くんじゃなくて、むしろ、というね。そんな人が多いんだと思いますよ。

若い人(と十把一絡げにすると叱られるけど)は、まだ、そのへん知らないくていいです。わからなくていいです。

ラヴ&ピース!


2019/12/17

〔連鎖〕27-b なかはられいこ

承前〔これまでの連鎖も見る〕

〈26〉にふたつ付きました。次の28は、〈27〉27-b〉双方を受けて、付けてください。


27-b なかはられいこ 2019-12-17


明け方ちかくに夢をみた

深い森のなかにいた
(これはゆめだ)
足裏にひんやりとやわらかい苔の感触がある
(ああ、はだしだね)

膝の辺りにばさばさと熊笹の葉ががあたる
(ゆっくり、ゆっくり)

行くべき場所はわかっている
(だって、ゆめだし)
沼があるのだ
こっちのほうに
(ふるいみずのにおいがする)

ピーッっと一声鳴いて鳥が視界を横切る
気がつくと地面はアスファルトに変わっている
(たいおんみたいにあたたかい)

沼はまだか
(ぬるいみずぬるいどろなつかしいにおいの)
沼はまだか
(こもれびをはんしゃしてひかる)
沼はまだか
(しんだようにしずかな)

感ずることのあまりに新鮮すぎるときそれをがいねん化することはきちがひにならないための生物体の一つの自衛作用だけれどもいつでもまもつてばかりゐてはいけない 宮沢賢治 『青森挽歌』より

このあとに「つなぐ」という方は tenki.saibara@gmail.com までご連絡ください。

2019/12/16

〔連鎖〕27 川合大祐

承前〔これまでの連鎖も見る〕



27 川合大祐 2019-12-16

・・・・・を説明するために用いられた最も重要なモデルは、死や拷問や殉教のモデルであった。悔悛の理論と実践は、自分の信仰を傷つけたり棄てたりするくらいならむしろ死を選ぶ、そうした人間の問題をめぐって磨きあげられていた。殉教者が死に直面するその仕方が悔悛者にとってのモデルである。堕落した者・・・・・・・世界との断絶の、装いである。・・・・・・死に直面して死を受容できることを示す方法である。罪の悔い改めは、何らかの自己同一性の確立を目標とするのではなくて・・・・・・ Ego non sum,ego〔過去のわれはもはや存在せず、存在するのは新しいわれである〕・・・・・・自己明示は同時に自己破壊である。
(ミシェル・フーコー『自己のテクノロジー』より抜き書き)




このあとに「つなぐ」という方は tenki.saibara@gmail.com までご連絡ください。

2019/12/15

〔連鎖〕26 西原天気

承前〔これまでの連鎖も見る〕



26 西原天気 2019-12-14



The night was so young and everything still
The moon shining bright on my window sill
I think of her lips, it chills me inside
And then I think why does she have to hide

Is somebody going to tell me why she has to hi-i-ide
She's passing it by, she won't even try
To make this love go where it should

The sky's turning gray, there's clouds overhead
I'm still not asleep, I'm in my bed
I think of her eyes and it makes me sigh
I think of her voice and it makes me cry

Is somebody going to tell me why she has to lie-i-ie
She'd be so right to hold me tonight
Love was made for her and I

It's three o'clock I go to my sink
I pour some milk and I start to think
Is she asleep or is she awake
And does she think of the love we could make

Wake up, call me baby call me tell me what's on your mi-i-ind
I've got a car and you're not too far
Please let me come over to you

The night was so young and everything still
The moon shining bright on my window sill
I think of her lips, it chills me inside
And then I think why should she hide



「つなぎたい」という方はtenki.saibara@gmail.comまでご連絡ください。

2019/12/14

【お知らせ】12月のくにたち句会

2019年12月29日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題8題程度

事前兼題2題(当日お持ちください) 注 動物〔テーマ〕

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。



2019/12/13

■他人の音楽にニヤニヤする


音楽の趣味がいい(という言い方が感じ悪いなら、自分と趣味が合う)友人がつくってくれたコンピレーションはとても愉しい。初めて聴く曲も多いし、チョイスはもちろん並び順にもにんまりしてしまう。

某俳人からこのあいだもらった2019年のアラカルトは、知らなかった曲・大好きな曲が多く、同時に、その人がその年齢になってもなお自分の好事・趣味をアップデイトしていることに感心・尊敬。私ももっといろんなものを聴かなくちゃ、という気になりましたよ。



ラルフ・カステリ(≫spotify)は今回始めて聴く。なんの予備知識もないけれど、今様のレイドバック? ズボンやベルトの位置がおしゃれ。なんか、たらっとリラックスできて、ラヴ&ピース!

2019/12/12

■shape of things


ゆうべのスパゲッティを保存容器のままレンジで温めて、ひっくり返すと、別の食べ物みたいに。

混ぜると、同じなんだけどね。

ラヴ&ピース!

2019/12/05

■『水界園丁』、現る @近所

嫁はんから、近所の書店の棚に生駒くんの句集がぁぁ! というメールと写真。


ふむ。それは行ってみないと、というわけで、出かけたら、出版社「港の人」のフェアの模様。

今回、ふたつ吃驚したこと。ひとつは、俳句・詩歌限定の企画ではないところに、この本がラインナップされたこと。もうひとつは、嫁はんがこの本に気づいたこと。

ラヴ&ピース!




2019/12/04

〔連鎖〕25 小津夜景

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25 小津夜景 2019-12-4






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2019/12/03

〔連鎖〕24 喪字男

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24 喪字男 2019-12-3




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2019/11/30

■冒頭集:悪夢のはじまり

設計を担当した者の安易な発想が、丸窓、分かりにくい位置にあるエレベーター、空間効率の悪い階段などに表現される、当人にすりゃあ奇抜、通常人から見りゃあ陳腐な外観の、しかしよく見るとところどころいかにも安手の材料・材質・施工、しかも、管理運営がきちんとなされていないせいか、ペンキは剝落し錆が浮き建物全体が埃にまみれて薄汚れた集合住宅。なかなかやって来ぬエレベーターに業を煮やした自分は、駅から歩いて足が棒のようになっているのにもかかわらず、遅刻を恐れた自分は、背後の階段を四階まで一気にかけ登った。
町田康『実録・外道の条件』(2000年/メディアファクトリー)



2019/11/28

〔連鎖〕23 川合大祐

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23 川合大祐 2019-11-28

カール・セーガンのアップルパイのつくりかたを調べていたら、「軛」という文字が出てきて、さてその記号を前にわれら何をするべきや、われら何処より来たるや、われら何者なるや、と自問しつつ、レシピに戻れば、「軛」の文字がいっそう増えていて、これならばアップルパイも自動的に生成されるだろうと慶賀していたところ、魔法使いの弟子状態と言うべきか、「軛」、レシピをあふれ、リノリウムにぽちゃぽちゃとみちあふれ、団地をあふれ、市境をあふれ、惑星をあふれたところで、漢和辞典を引くに、「軛」、一切の辞典から消え失せていて、それが宇宙の法則だと悟ったのも束の間、アップルパイは完成したものの、「軛」のないアップルパイは、もう午後の紅茶にはなにかしら物足りないのだった。



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2019/11/27

■ひとの球・露の玉 『奎』第11号の一句

ボウリングをときどきひとの球や露  有櫛くらげ

ボールには見えない通り道があってシート近くのボール溜まりに並ぶ。色や重さは違うのだけれど、うっかり他人の球を持ってしまう/投げてしまうことはありそう(って、こんなにまわりくどく書かなくても、状況はよくわかる)。でも「ときどき」は頻度高すぎるだろ?

助詞「を」を上6音承知できちんと入れた点、好感。ここは助詞要るだろうってとこも省略してむりくり5音にしている句をよく見かける(纏足的5音と呼ぶ)。

季語の「露」はえらく唐突だ。あまり意味はなくて、ほんと唐突。2音しか余らなければ使える季語は限られる。いいかげんな動機、フマジメな態度が垣間見え、そこも好ましく、「露の玉」からの連想、あるいは「露の玉」が見え隠れしている句と解すのも愉快。

掲句は『奎』第11号(2019年9月12日)より。


2019/11/26

〔連鎖〕22 西原天気

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22 西原天気 2019-11-22

 もはやお忘れであろう。或いは、ごくありきたりの常識としてしかご存知ない方も多かろう。が、試みに東京の舗装道路を、どこといわず掘ってみれば、確実に、ドス黒い焼土がすぐさま現れてくるはずである。
阿佐田哲也「麻雀放浪記」:『色川武大 阿佐田哲也全集7』福武書店1992



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2019/11/25

■散歩とチーズ

くにたち句会、無事終了。

句会後は、フルさんの欧州みやげ、各種チーズ。


句会の前に、散歩。


学園祭をやっていたので、構内へ。「Sing, Sing, Sing」の野外演奏はジャズ研と吹奏楽部の合同とのこと。

ラヴ&ピース!



2019/11/23

■空と町 『Υ(ユプシロン)』第2号より

蚊喰鳥空と町との間より  岡田由季

コウモリに「間」はぴったり(鳥と獣の間)なのですが、それよりも、距離感。それほど遠くないけれど、近くでもない、高くではない、かといって低すぎない箇所から現れる/飛んでくるコウモリ。

町はシルエットになっているわけです。夕暮あるいは夜間の。

掲句は『Υ(ユプシロン)』第2号(2019年11月1日)掲載の岡田由季「亀と鴨」より。


2019/11/22

■ピーマンとくらげ 『Υ(ユプシロン)』第2号より

ピーマンに南南西の風の吹く  中田美子

ピーマンは夏(晩夏)の季語らしい。唐辛子は秋の季語らしい。何が言いたいのかというと、そのへんのことはわりあいどうでもいいということ。ちなみに昨晩、ピーマンを食しました(もっとどうでもいい)。

南風は夏の季語。では、南南西の風は? 「ほぼ夏」の季語? このあたりも含め、やっぱりどうでもよくて、だいじなのは、この句の明るく気持ちのいい風のこと。それでいて、図太く言い放った感があるところ。

ロールシャッハ第三図版海月浮く  同

これはなぜか、遠い沖、よりもさらに遠く南方の海原。なぜそう思うかは不明。

でもまあ、この世には、私には、わけわかんないことのほうが圧倒的に多いんだから、ぜんぜん気にしない。

掲句は『Υ(ユプシロン)』第2号(2019年11月1日)掲載の中田美子「歯車」より。


2019/11/21

〔連鎖〕21 小津夜景

承前〔これまでの連鎖も見る〕



21 小津夜景 2019-11-21

薬をずっと使っていると、それがどのくらい効くのかってことがわかんなくなっちゃいますよね。

ええと、あるとき、わたしのマンションにハードコア・パンクの男の子が遊びに来たんですけど、それが少し頭のおかしい子で、部屋に入るやいなや、そのへんの抽斗をいきなりあけたんです。もうびっくりして、やめてよって叫んだんですけどやめてくれないの。さらに下着の入ってるとこもあけて、お、と一瞬止まったんです、で、くるりとこっちを向いて、なんやねん、じぶん、なんでこんなええもん持ってるん? とにやにやしながら言うんですよ。

ずっと使ってるからだよ。

少し分けてくれへん?

好きにしたら。でも、あなたが想像してるほど効かないし、それ。

……って感じの会話をしましてですね、はい、その子はたっぷり薬を持って帰りました。そのあとは部屋で楽しむのかなと思ったら、わざわざ国会議事堂前に出かけて、デモやりながら噛んで、ものの十分でふらふらになったところを国家権力に引っぱられてましたね。まあハードコア・パンクな人なんで、二十日間完黙してくれましたけど。

ええ、あんなかんたんにキマッちゃうって知ってたら、もちろんあげませんでしたよ。死ななくて良かったです、ほんと。



「つなぎたい」という方はtenki.saibara@gmail.comまでご連絡ください。

2019/11/19

〔連鎖〕20 喪字男

承前〔これまでの連鎖も見る〕

長らく途絶えていましたが、1年半ぶりに再開します。つないでいくゲーム。「つなぎたい」という方はtenki.saibara@gmail.comまでご連絡ください。



20 喪字男 2019-11-19

WHOの秘密機関によると、●●●●はガンの次に多い死因であり、2013年には1000万人の患者が発症し200万人が死亡した。●●●●による死者の95%以上は低中所得者層であり、28-59歳男性のトップ5死因に入るが、日本では公開されていない。

WHOは2017年にも1500万人が新たに●●●●と診断され、240万人が死亡したと推定している。このままでは国際連合が持続可能な開発目標で掲げる「2020年までの●●●●流行終息」達成が難しいとして各国の対策強化を求めている。また世界では30万人の0-14歳児童が●●に罹患しており、2013年では12万人が死亡した。また鬱患者はリスクが28-36倍となり、鬱患者の4人に1人は●●●●で死亡している。

感染様式は●●●●を含む思考や感情の吸入によると言われ、●●●●キャリアからの唾液、不燃ごみよる感染も指摘されている。世界人口の4分の1が●●●●に感染しており、毎秒の単位で感染患者が発生している。

治療法として高速で行う連続後転を推奨するという研究もあるがその効果は疑問視されている。

2019/11/18

【お知らせ】11月のくにたち句会

2019年11月24日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題8題程度

事前兼題2題(当日お持ちください) 電 切る〔動詞・活用アリ〕

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/11/17

■イベント「句の景色」


イベントをやってるらしいです。荻窪駅から徒歩10分のとこで昨日から12月2日(月)まで。
https://www.title-books.com/event/7059

2019/11/15

■梅の筆跡 『Υ(ユプシロン)』第2号より

梅三分茅舎の筆跡の丸み  仲田陽子

川端茅舎の字を調べちゃったわけですが、ネットで気軽に探そうったって、そううまくいきません。あんまり出てこない。それでも、なんとか、これとか(→画像)。

なるほど、いい字だ。ってわかったようなことを言ってしまいましたが、訂正。好きな字。

字と梅は相性がいい。とりわけ墨の字だと、ダイレクトに梅の絵へと意識がいざなわれる。「三分」の固さは、やわらかな字のかたちに隣り合う紙の硬質や字の中の直線を想起させ、いいあんばい。

掲句は『Υ(ユプシロン)』第2号(2019年11月1日)掲載の仲田陽子「日にち薬」より。

冬から秋へきちんと並んだ連作50句には、

木枯は微かに錆の匂いして 同

といった比喩の駆使から、

誰かから抜けたる羽毛水温む 同

といった飄逸、

ワゴン車の定員満たし潮干狩 同

といった何気なさまで、モチーフやアプローチは幅広い。全体を通して、季語の坐りの的確さ、バランスの良さを思う50句。品質キープ力に長けたアルチザン的俳人さんなんだなあ、と思ったことですよ。






2019/11/14

■滝の輝き 『Υ(ユプシロン)』第2号より

いちにちの果て月光を着たる滝  小林かんな

「果て」は直接的な文脈では時間の範疇。けれども、滝があることで、地理的な「果て」もかすかに響く。

いろいろあったかなかったか、ともかく、その一日が終わり、道程の終わり、月光に輝く滝。

「着たる」の擬人法がそれほど気にならず、浴びる、帯びる、包まれるといった、より擬人から遠い措辞よりもむしろ効果的に思えるのは、滝の〈立ち姿〉が美しく現前化するからだろう。

掲句は『Υ(ユプシロン)』第2号(2019年11月1日)掲載の小林かんな「一分動画」より。

同作品の、

長時間露光鯨の裏返る  同

もまた前掲句と同様、美しく輝く景。


2019/11/05

■外階段:東京都(おそらく)中央区

川に出れば川面を眺め、橋があれば渡る。ならば、陸橋があれば渡る。散歩の流儀(というと大げさ。習性ですね)。


渡ったついでに外階段をゲット。


2019/11/04

■此岸にかえる

このところ、京極夏彦と平山夢明をたてつづけに十数冊読んでいて、うわっ、まずい、この世に戻ってこられなくなるのではないか。ということで、ここは、なにかほんわかして健全なものを1冊、と思ったが、振れ幅が大きすぎるのも、それはそれで危ないと思い直し、色川武大/阿佐田哲也の未読のものを漁る、ということに決めた。

ラヴ&ピース!

(上記すべて、ピースじゃないけど、ラヴ)


2019/11/03

■外階段:善福寺川と神田川

地下鉄方南町駅から中野富士見町駅へぶらぶら(例によって吟行の散歩部分に混ぜてもらう)。

川のある散歩は、やっぱり、いい。



2019/10/31

■電線 辻村麻乃『るん』の一句

石川美南歌集『架空線』の架空線は、架空(fiction)の線ではなくて(そう思わせるところもきっと仕掛け)、空を走る電線その他のこと。一般に、電線と言えば、それを思い浮かべるけれど、考えてみれば、地中を走るライフラインもあるわけで。

さて、架空線。電柱をつなげる電線その他。この秋の颱風被害もあって、地中化の話がちらほら出た。日本の空に電線が張り巡らされたこの状態を、美観の観点から嘆く声は以前からあった。

ところが、その一方で、電線と電柱を日本の原風景として「残すべき」との声もある。

日本人「電線のある風景の方が風情があってかっこいい」
https://www.pinterest.jp/pin/44121271335268251/
電柱なくそう団体の写真コンテスト 美しい電柱風景の作品投稿が殺到し論争

https://www.j-cast.com/2017/09/09307591.html?p=all

まあ、見た目とかを言うと嗜好の話になるから、なくせ・なくすな、の両方が出てくる。

 

電線の多きこの町蝶生まる  辻村麻乃

どの町にも電線は多いが、その町ではことに多く感じたのだろう。「蝶生まる」の直前に《切れ》があり、電線の風景と蝶の誕生に因果関係はないが、一句の中で同居すると、電線を伝わる電気・信号の中から蝶が生まれるとの事象もまた見えてくる。電気羊ならぬ電気蝶。

読みとして妥当かどうかは知らないが、そうした幻視は、一句の中の二物の提示によって、読者(私)の中では容易に起きてしまう、快楽的に起きてしまうのだから、しかたがない。

ラヴ&ピース!

掲句は辻村麻乃句集『るん』(2018年/俳句アトラス)より。

わが家の近くも電線だらけ。

2019/10/28

■水辺に始まる 石川美南歌集『架空線』

石川美南歌集『架空線』(2018年8月/本阿弥書店)を読み始めた。冒頭の連作「川と橋」がとっても良い。川ラヴァー・橋ラヴァーとしてもうれしいかぎり。

日本橋ほか、川というか東京の運河というか水辺を散策し、1964年五輪も去来する。歌から歌へ読み進めると、名著『私説東京繁昌記』(小林信彦+荒木経惟)も思い出したり。

以降の連作も、しっとりと、じわっと、来る。

部屋じゃなくて、外で、例えば電車の中で、ゆっくりページをめくっていこうと思います。

ラヴ&ピース!


2019/10/27

■餡

ドーナツのカロリーは真ん中に集まる、ゆえにドーナツは、カロリーゼロ、とはサンドウィッチマン伊達氏(漫才師)のカロリーゼロ理論。この理論、とても好きで、自分でも、餡は野菜、ゆえに餡パンはオッケー、そう信じて、さっき食べました、餡パン。

体重コントロールはだいじ。健康はだいじ。

でも健康のために生きているわけではないので。

ラヴ&ピース!


2019/10/23

■黴が

主体、作中の主体(行為者・観察者)については、たびたび触れてきたのだけれど(最近では、この記事)、これって、俳句その他短詩特有の問題なわけで、比較対照として他の文芸ジャンルでもいいけれど、あえて、ここは音楽。作曲者や編曲者が「作中主体」なんてものを頭に浮かべたりするはずがなく、演奏者にしても、そう。当たり前といえば当たり前なんですが、一人称やら視点視座やらが俳句と違って出てこないから当たり前、と言ってしまっていいのかどうか。

というわけで、黴が主体の句。

黴が感じるときおり黴を撫でる風  福田若之

黴が俳句を書くわけがないで、書いたのは作者・福田若之なわけですが、この句に彼はいない(めずらしいことではない)。黴が何かを(ここでは風を)感じるかどうか、という問題について、俳句は科学でも法律でもないので、「感じる」わけです。なぜなら、作者がそう断じたから。

俳句における主体は、仕組みや仕掛けのたぐいでしかない、と、私などは考えていますよ。うまい仕組み・仕掛けかどうかが問題。そこで、この句ですが、黴の(風を感じる)触覚は、たいそう発達していそうで(黴は触覚のみで出来ているとさえ思えてくる)、奇妙なリアル感があるんですよね。

ラヴ&ピース!

掲句は『豈』題62号:福田若之「渚」12句より




2019/10/22

■千葉から賜り物

茹で。


2019/10/17

■某日某所の「や」

「や」と見るや反射的に切字と思ってしまうのは、重篤な俳病・俳炎・俳癌かもしれません。

小鳥来る炭酸水や天然水  羽田野令

けれども、この句がちょっと新鮮なのは、連綿たる〈や=切字〉精神史があったればこそ、みたいな部分もあって。

ラヴ&ピース!

掲句は『鏡』第33号(2019年10月1日)より。

一方、作者本人は切字のつもりで「や」を使っていても、これ、どう見ても、関西弁の「や」でしょう、というケースもあって、でも、まあ、切字の「や」と関西弁の「や」は同根というウワサもあるので、ね。

2019/10/16

■連濁



「あけぐち」ではなく「あけくち」? これには、かなり抵抗感がある。言いにくいじゃないですか。あけくち。

複合語の後半が濁るのは「音便」だと思っていたら、音便には含まれず(音便はウ音便、イ音便、撥音便、促音便の4つ)、便宜上、「濁音型の音便」と、まあ、亜種的な捉え方らしく、一方、「連濁」という言い方が正式らしい。

で、何が言いたいのかというと、この連濁、どんどん少なくなっていっているのでは? という話。

これを強く思い始めたのは、以前、例えば「ものつくり大学」というネーミングを見たとき。「ものづくり」じゃなくて「ものつくり」。何か意図があるのかもしれないけれど(新コンセプトとか)、抵抗感・違和感があった。

辞書では、清音・濁音を読み方として両表記の語も多いようだけれど、それにしても優勢な読みはどちらかなんだろう。

この種の語の変化、ことばの変化、どこかに研究がありそう。そういうものに出会えるといいな(なりゆきまかせ)。誰か教えてくれるとうれしいな(他人まかせ)。

ラヴ&ピース!

2019/10/15

■カタログ

花瓶を倒す

チェストに水がこぼれる

抽斗の中のものが濡れる

えらいこっちゃ 水ふきとろう

存在を忘れていたものが出てくる

…というわけで、フリッツ・ハンセンのカタログ。ちっさい!



てのひらサイズ、ちいさめの手帳サイズ。

左肩のパンチ穴は、ゴム紐で家具本体と繋がっていたと記憶。タグみたいなかっこうで、パンフが付随してたはず。

ラヴ&ピース! な小冊子。

2019/10/14

■手で撮る

週刊俳句の写真。

https://weekly-haiku.blogspot.com/2019/10/651.html

ほとんど加工していない。手動ピントのマクロレンズ(アナログカメラ向けの瑞光)で撮って、ちょっと変わった味わい。

これは(↓)は大きく加工した。モノクロに近い。枯れ感は、このパターンでも面白い。加工の有無にかかわらず、また手で撮ってみようと思ったことでしたよ。


2019/10/13

■恋歌

たったひとりを選ぶ 運動場は雨  倉本朝世

あざみエージェントのカレンダーより。同社を運営する川柳作家・倉本朝世の有名句。

情感たっぷりながら、毅然とした句。

句と言ったけれど、これ、私の中では川柳ではなく、ましてや俳句ではなく、歌。広義での歌。

恋と読みたいので、いっとう素敵な恋歌。あくまで私の中では、ね。


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2019/10/07

■振るぜ!

買っちゃった。


振るとしゃかしゃか音が出る。マラカスの変型版。簡単そうだけど、手にとってやってみると、それなりに難しく、管の中の粒粒の位置によっても音やビートが変わる。奥深いぞ、これ。

1500円くらいで、そうとう楽しめそう。

ラヴ&ピース!

2019/10/04

■仲田陽子の監獄俳句

訴状に始まり生中継に終わる仲田陽子「此岸」10句(『みしみし』第3号/2019年10月)。

 独房に蛇口と便座冬の鵙  仲田陽子

等、監獄が舞台と思しく、もしも作者=作中主体(作中視点)との立場をとれば、社会的存在としての作者に収監・服役等の経験がない以上(詳しくは知らんけど、そんな話は聞いたことがない。でも、ひょっとすると、そうじゃないかもしれないので、そのときは、ごめん)、あるいは、刑務所見学の経験(これは、あって不思議じゃない)がなければ、フィクションということになるが、作者=作中主体(作中視点)との立場をとらない私としては、同時に、フィクション禁止との教義に与しない私としては、この監獄10句、読者として、大いに楽しんだ。だって、よく出来てるんだもん。

前掲のリアリズムから、

 着膨れて微罪ばかりの閻魔帳  同

と、軽妙に世故へと跳ぶところも、気が効いてる。この句の主人公は、収監された人じゃなくて、面会の弁護士や家族と解したい。

なお、タイトルの「此岸」は「しゃば」と読みたいところ(ルビは振ってないけどね)。


ところで、俳句のノンフィクション・フィクションという問題は、少々ややこしい要素もあるので、横に置くとしても(興味のある方は「フェイク俳句」でgoogle)、ちょっと言えば、私も「フィクション絶対ダメ~!」とは思わない一方、「なんでもアリ」というわけではない。フィクションにはそれなりの趣向が要るし(前掲の「此岸」は行為・視点が弁えられていて、《私》が服役中とは決めつけられない)、作者(俳人)の生物的社会的属性からまったくフリーに詠むことには抵抗がある。例えば、私は、想像妊娠は詠めても、妊娠や出産を詠むとなると、自分でも引く。周囲はもっと引く。これは大いに引いていい。

まあ、そんなふうにいろいろあるわけで、しかしながら、「ノンフィクション主義(造語)を厳格に推し進め、作句現場の逆アリバイ(そこにいたという証拠)を求めていく態度が、俳句世間に根強く在るのは承知の上で、それにしては、全体に「厳格じゃないよな~」という例が多い。例えば、少なからぬ俳人が、見たこともない季語を、まるで目の前にあったかのよう詠む。俳句を読んでると、日本の夜ってこんなに暗かったっけ?(星月夜や銀河の頻出)とか、第1産業従事の人口比率、めちゃくちゃ高いなあとか(実際いは現在4パーセント以下)、その手の《フィクション》は、とても多い。

まあ、俳人って、不真面目なんですよ。融通無碍。

それは、悪い意味ばかりじゃなく、むしろ良いことでもあってね、その作品(俳句)に接するにも、人として付き合うにも、ちょっと不真面目なところがあったほうがいいんですよ(私だけかもれないけど)。

退屈な事実しかクチにしない人が、だいじなところで誠実とは限らないし、人に優しいわけじゃない。誠実や心優しさは、俳句以外で発揮してくれたほうがいいです。私は、そんなふうに考えて、暮らしていますよ。

なんだか話がへんなほうに行っちゃったけど(なおかつ理路がとっ散らかってるけど)、ラヴ&ピース!


なお、連句誌『みしみし』にご興味の方は、こちら(https://twitter.com/officemisimisi)にアクセス。


2019/10/02

■冒頭集:キャラメル

 その日、その時、昼の公園。おれは女にビンタをされていた。
 女が誰で、どこに住んで、いくつなのか見当もつかなかったが、殴らせておく他なかった。
 おれは彼女の店で、森永のキャラメルを万引したのだ。
(平山夢明「いんちき小僧」;『デブを捨てに』文藝春秋/2015年2月)


2019/10/01

■朝はオクムラさんから

ツイッターで【本日のオクムラさん】を再開。

https://twitter.com/10_key

毎朝8時に一首あがります。

奥村晃作を知ってしまった者には、その歌を人に伝えていく使命が生じる。

(↑断言)

ラヴ&ピース!

2019/09/30

■手づくり

こんな記事を書いたとたん、カレー鍋が〈きしめん〉でした。たのしい偶然。

ところで、

1 らっきょうを漬ける

2 えのき茸を出汁醤油で煮る

3 ちりめんじゃこを炒め、山椒と和える

4 生姜を甘酢で漬ける

何を並べたかというと、どれも出来上がりを売っているものだが、嫁はんは材料から作る。

すると、ですねえ、売ってるものよりおいしいんですよ、これが。

売ってるものは、各社が長年のノウハウと品質管理を駆使したもの。なのに、うちで作るほうがおいしい。

考えられる理由は、

1 愛情がこもっているから(冗談です)

2 材料も調理(製作)も新鮮だから

3 単なる思い込み(舌がバカ)

まあ、どれがほんとの理由だってかまわない。

ラヴ&ピース!&サンキュー嫁はん! 


〔参考記事〕
≫実山椒の季節
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2019/05/blog-post_23.html
≫今年も辣韮の季節と
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2018/06/blog-post_10.html

2019/09/29

■浮く

絵葉書をいただいたら、壁に貼る。先日届いたマグリット「ゴルコンダ」を土星の上にピンすると、浮遊感が増幅されたような気になったですよ。

ラヴ&ピース!


2019/09/28

■KISHIMEN(意味なくローマ字)

連句誌『みしみし』は、ネット上で巻かれた歌仙とその解説(編集人・三島ゆかりによる)を収め、後半は連衆個々の作品(短歌、川柳、俳句)が並ぶ。その後半から、昨日の流れで川柳作家の一句。

きしめんは太い平たいやるせない  瀧村小奈生

上中は順当。最後で軽く往(い)なす・躱す。

投球でいえば、ベース上で小さく落ちて、バットの芯を少しはずす。演奏でいえば、最初から弾きまくるのではなく、たらっと流しておいて最後の2拍くらいでちょっとフリーキー(freaky)なフレーズを効かせる。

こういうの、好みなんですよ、わたし。川柳に限らず、俳句においても。

ラヴ&ピース!

2019/09/27

■現代川柳はおもしろいのか?

「おもしろい」は広義で用いています。いつも広義で用います。(日本語、じゃまくせえ!)

さて。

樋口由紀子『めるくまーる』について書きました。

≫頻発するカタストロフ
https://weekly-haiku.blogspot.com/2019/09/blog-post_20.html

かなり思いきって書きました。それだけに心許ない。

記事は(つづくかもしれない)で終えたので、現在、続篇を構想中です。


ところで、必要があって週刊俳句のバックナンバーを漁っていたら、こんなもの(↓↓)が出てきた。

≫川柳大会の選句をしました
http://weekly-haiku.blogspot.com/2014/12/blog-post_38.html

600句近い応募川柳を読んで、70句余りを選句。自分が適任かどうかははなはだ疑問ですが、やりました。読んでみると、おもしろい句がたくさんある。自分で選んだ句、というのを差し引いても、おもしろい。

現代川柳は、やっぱりおもしろいのだ。そう信じることにします。

こう書くと、信じていないようだけど、ちがうよ。

ラヴ&ピース!


でね、上記とは無関係に、Lack of Afro はやっぱり最高だなあ、ということで。ジュリエット・アシュビーはゲスト・シンガー。Lack of Afro(Adam Gibbons)は歌わない模様。

2019/09/26

■教えたい・教わりたい

下書きから発掘することがあります。ブログをやっている人の「あるある」?

さて。



そやね。

でもね、教えたい人・教わりたい人がとても多い。だからこそ俳句業界・俳句世間が成り立っている(俳句教室も結社も?)。

俳句を不幸にしない語り方を、私たちは、日々探しているわけですが、どうなんでしょう?

2019/09/23

■やすむ

颱風颱風ゆってたわりには、晴れ間もあった、連休中の葉山。


友人夫婦と遊び+バンドの新曲の打ち合わせ。アイデアが出たら、google music でその曲を鳴らす(便利な世の中!)。置いてあるキーボード(友人が弾く)と持っていったギターでざっとなぞったりもしながら、絞る。6月にやったライブからメンバーが少し替わるのですが、輪郭が見えてきたような気がして、ラヴ&ピース!

2019/09/20

■郷里へ

某日、郷里へ。母の七回忌、父の二十五回忌。

ふだん使っていない家での法要。掃除がさそかしたいへんだったろう。弟くん、義妹さん、ごくろうさま。

ちなみに、ここが、拙句集『けむり』の1ページ目にある《きらきらと仏間をよぎる金魚かな》の舞台。


2019/09/19

【句集をつくる】第21回 連作の効用?

タグ:句集をつくる

先日、兼題「席」で、

  空席を跨いで虫の音をこぼす 10key

という句を投句。合評で、「虫の音をこぼす」の部分にいろいろな解釈が出たのは、まあ、曖昧な言いざまなので当然として、「空席を跨いで」もまた、どんな席かについて大きく異なる読みがあるとわかって興味深かったわけですが、つまり、劇場の椅子と思った人もいれば、座敷の座布団と思った人もいる。

俳句はしばしば、言い足りずに解釈が定まらない。これを問題とするか(つまり技術的な不備)どうかは別にして、例えば、前後の句の内容で、解釈を限定していくという手はあるようです。

こんどの句集は連作の集合体にする、というのは何度か書きました。前掲句の場合、映画をとっかかりにした連作のなかに置けば、映画館の椅子と読んでもらえそうです。

例えば、俳風昆虫記から、

  銀幕に斃れし人よ眼から蛆

  モスラ対ゴジラ観て来し夜のシャワー

を持ってきて、いつぞやの「豆の木」にたしか載せた(うろ覚え)、

  (上五失念)八月が濡れ砂が濡れ

を加え、さらに他から拾い、さらには新しく作って、映画連作にする。

連作の脈絡から解釈を限定してもらうという方法の良し悪しはさておき、こういう手もある、と思うと、句をまとめるのが愉しくなりそうです。

ラヴ&ピース!

2019/09/18

■LOVE 13

某日、「やまもと」でねぎ焼きを食したのち十三を散歩。

ディープ。

ディープすぎて、ディープあたりしたけど、この街、好きになった。


2019/09/12

■星空

雪我狂流さんから、手作り句集(何冊目になるんだろう? 数えられない)『アラバマの月』とクルト・ワイルのコンピレーションをもらった。


句集を楽しく読み、「アラバマ・ソング(別名:アラバマの月)」と「セプテンバー・ソング」だらけのコンピを楽しく聴いた。

で、秋らしい曲、このコンピには入っていないのを、ボーカル入りとボーカル無しで。



2019/09/09

■丸焼けて

さまざまな語法・用法の誤りはむかしから指摘されていて、あ、俳句の話ね、間違いを間違いと言うのはいいんですが、問題はその先でね、誤り・間違いから生まれるものもある。これは《表現》の話なんですから。

法律の条文や契約書の文面ならともかく、俳句は文芸。表現についてうんぬんするのに、誤用かそうでないかの判断は、入り口のひとつにはなりますが、出口じゃない。

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり  三橋鷹女

こんな有名句で、「夏痩せて」は間違い、「夏痩せ」と名詞でしか使えない、と言ってみたところで、なにか愉しいことが始まる気がしない。「夕焼けて」じゃなくて「夕焼け」。この指摘は正しいけど、正しいことが良いとも限らない。

 丸焼けて豚ころ 10key

なんか違う話題をついでに引き寄せた「ここで一句」になってますけど。

ラヴ&ピース!


ちなみに、私は気が弱くて、豚の、あの目をつぶった顔からしっぽまでこんがり焼けた丸焼きは、ぜんぜん正視できなくて、食べるなんてもってのほかです。むかし友人宅の食卓に子豚さんが丸焼けて出てきて、ほかのものも喉を通らなくなったことがあります。

2019/09/06

■おもしろかった江口ちかる「海と影」

川柳作家・江口ちかるさんの第14回内田百閒文学賞優秀賞・受賞作「海と影」を読んだ。

ラブシーン、というと軽くなるけれど、つまり、恋情がほとばしりそして潰えるシーンがクライマックスと解していいのでしょう、ひさびさに胸にきました。ドキドキだったりジワッだったり、つまり胸が反応しましたよ。

叙事・叙景にも滋味があり、とても好きな短篇小説。


2019/09/02

■靴紐の話

靴のあと、また靴。それはどうなの? という向きもありますが、靴ときたら靴なわけです。


で、なんの話かというと、靴紐は、そのまま使うんじゃなくて、換えたいときは換えればいい。カスタマイズ。もともとは白い紐靴が付いてたんですが、紺を買って、換えた。250円。散歩がてらスニーカー屋さんまで行って。

茶とかも渋いかもれませんね。「おしゃれさん」と呼ばれるかも(保証ナシ)。

ちなみに、これ、ツェハというメーカー。東ドイツ由来の会社らしい。どうりでオールドスクールなデザイン。いまどきっぽいスニーカーよりも、こういう古臭いのが好きなんです。

そして、どういうわけか、クソ安く売ってたりする(ネットで買います。店舗では見たことがない。誰かが履いているのもこれまで一度しか見たいことがない)。

まあ、デザインや値段はさておいても、足に合うというか、履きやすいので、同デザインで色違いをもってたりします。メッシュなので夏ですが、この色だと秋も行けそうです。

って、世界一ヒマそうで、世界一どうでもいいこと、書いてますよ。

ラヴ&ピース!

2019/08/30

■あむねじあ


納戸の奥から見覚えのない靴箱が…。あけてみると、見覚えのない靴が…。

こんなのいつ買ったんだろう? 1ミリも思い出せない。

買い物をたくさんする人なら、何を買ったかいちいち覚えていないでしょうが、そんなにモノを買うほうではない。

ううむ。

このあいだ、近くにあるロシア料理店に行ってみたい(ピロシキが食べたい)と嫁はんに告げたら、「むかし行ったよ」。

え? 行った? 1ミリも思い出せない。

そのときの写真もあるという。私が嫁はんを撮ったもの。その写真を見ても、なにも思い出せない。

どちらも、「ああ、そういえば」と、ぜんぶは思い出せなくても、記憶のかけらくらいは見つかるものだと思うが、それが、ない。

こういう話をすると、周囲も齢をとっているので、「そんなの、よくある話」と片付けられそうですが、自分では、納得が行かない。

原因として、ふたつ考えた。

1 脳の一部が壊れている。

2 ある時期、別の人間が「私」として暮らしていた。

2は、そのあいだ私はどこにいたのだ? という疑問は残るが。


あ、そうそう。靴は、もうすこし涼しくなったら履こうっと。

ラヴ&ピース!

2019/08/28

■今井家の事情

今井家の墓を洗ひて疲るるよ  今井杏太郎

全句集から、まず引く句が、これなんか? と言われそうですが、こういう苗字の使われ方もめずらしい。

ほんと、疲れたんだろうな、と。

人を食ったような句は、じっさい多いのですが、そうとばかり言い切れないところもあって、ページをめくりつつ水を飲むような喉越しもある。こんなにすらっと読み進める「全句集」もめずらしいかもですね。

ラヴ&ピース!

2019/08/27

■火星

いろいろな場所(オフライン・オンライン)でカジュアルに句会が開催されていて、例えばこんなツイート。

https://twitter.com/sore_nan/status/1166106375929286656

赤い砂火星の夏休みが終わる

句会の途中だから作者の名はまだあいていない。

火星での出来事だとファンタジーだけど、「赤い砂」を地球上で目にしたと解せば、起こり得る出来事。おもしろい句ですよね。

ラヴ&ピース!


ウラハイ 火星

2019/08/22

■ピーマンと横田基地 関猫魚句集『昭和』

ピーマンの中まで静か月明かり  関猫魚

俳句世間/俳句業界でピーマンといえば《ピーマン切って中を明るくしてあげた 池田澄子》なわけですが、掲句は、音。

無音をピーマンの皮が包み、月光が包む。


関猫魚句集『昭和』(2016年3月20日/私家版)は2015年11月に亡くなった関さんの遺句集として句友諸氏によって編まれた。

関さんは、私が、また関さんが俳句を始めるはるか以前からの知人。長く付き合っていただいた。住処が近かったので、亡くなる直前もお目にかかり、それまでと同じような会話をかわし、同じように笑いあった。

一時期、関さんの店(喫茶店)を句会場所に使わせてもらったが、関さんが私たちの句会に加わることはなかった。それを別にしても句会をともにしたことは数度しかない。関さんがどんな句をつくっていたか、なんとなく知ってはいたが、こうして一冊の句集が私の手元に残され、まとめて句を読めることに感謝。

同句集より、気ままに。

低空のキチキチバッタ横田基地  関猫魚

火男のお面すらして缶ビール  同

高圧線グラジオラスの燃え盛り  同



2019/08/20

【お知らせ】8月のくにたち句会

2019年8月25日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/08/19

【句集をつくる】第20回 サルヴェージ


ふだんつくった句の整理をぜんぜんしていない。几帳面な人はまとめて記録、例えばエクセルに入力しておくなどをしているのでしょうが、ぜんぜんしない。おまけに、パソコンではつくらないので(メモやら短冊)、ハードディスクに残っていることもない。

しかしながら、句会の折の清記、その複写はなんとなく残っている。部屋を片付けるついでに、かき集めた。ここから自分の句を原稿用紙に書き写していく。

ダメダメな句も含めてすべて書き写す。選んでいたら、その時間がムダなので、機械的に筆写する。捨てたり換えたりは、あとの作業でよい。

なかには「こんなのつくったっけ? ほんとに? 私が?」という句も(多々)あって、物覚えの悪いことです。

原稿用紙4枚ほど、書き写したところで、疲れた。あとはまた今度にする。体力・知力のないことです。

ラヴ&ピース!



作業中に聴いていたザ・トランプス。

このところまた、フィリーソウルばかり聴いています。

ドゥ・ザ・ハッスル!

2019/08/14

■続・金魚好き

散歩。七年前の。


2019/08/12

■Don't Follow Me, I'm Lost Too

大好きなパール・ハーバーのロックンロール・アルバムに「Don't Follow Me, I'm Lost Too」というのがあって(1980年)、「私についてこないで。私も道に迷っちゃってるんだから」といった具合。

前を歩いている人が道をわかって歩いてると思ったら大間違い。自分と同じく迷子だった、というのは、なかなか素敵な状況です。



むりやり俳句に持っていくこともないんですが、俳句というもの、作者がいつだってわけがわかってつくっていると思ったら大間違い。自分でもわからないような句に、豊かさがあったりしますから、数多くの「わけのわかる」句のなか、たまに出現する「自分でもわけのわからない」句にために、俳句を続けているようなもの、というところがある。

だから、読んで「わからない」という感想を抱いてしまったとしても、それをネガティブに捉えることもない。「作者はわかって作っている」という前提に立つから、私(読者)の「わからなさ」にとまどったりいやになったりする。

作者も読者も迷子、前後不覚でわけがわからない状態、とは、たぶんに理念的ですが、そういうことがあっても(いや、それだからこそ)、愉しいはず。

わかったもの・わかるものをはさんで、作者と読者が向かい合うだけの遊びだとしたら、ええっとつまり、俳句がね、そんなものだとしたら、すぐに飽きてしまうでしょう。たくさんのオトナがこんなに長く遊べるはずがない。

ラヴ&ピース!(ひさしぶり)

2019/08/11

■金魚好き

散歩。何年か前の。


2019/08/08

■冒頭集:本を集める

 本を集めるという発想は、日本では意外に古くから存在した。九世紀といえば平安初期の儒者で官僚だった滋野貞主(しげのさだぬし)(七八五~八五二)が、儒者仲間と諮って貴重文書一〇〇〇巻を集め、分類をほどこし『秘府略(ひふりゃく)』と称したが、間もなく散逸し、今日わずか二冊しか伝わっていない。貞主はまれに見る学識の持ち主で、かつ良吏でもあったため、毒瘡に斃(たお)れたときには時人のことごとくが嘆き悲しんだという。このような人柄であるから、国政に資するための文献収集を考えたのであろうが、いまだ理解者に乏しかったことは、簡単に散逸してしまった事実からもわかる。
紀田順一郎『日本博覧人物史 データベースの夜明け』(1995年/ジャストシステム)

2019/08/06

■冒頭集:パンク

 街道沿いの茶店に牢人(ろうにん)が腰をかけていた。
 晴天であった。
 牢人は茶碗を手に持ち往来の人を放心した人のように眺めていたが静かに茶碗を置いて立ち上がると、茶店に面して道幅が広がった広場のようになったあたりに生えた貧相な三本の松、その根元の自然石に腰掛けて休息している巡礼の父娘に歩み寄った。
町田康『パンク侍、斬られて候』2004年/マガジンハウス

2019/08/05

■レビューの日没



一句をとりあげることにそれほどの意義を感じていない点では私もそうだし、だいたいにして「鑑賞」という前時代的な態度が「批評」からはるか遠く後退した位置にあるものとも思うわけですが、それでも、一句について、書く。それは「紹介」ではあっても、「批評」ではない(繰り返し)。

水の被膜 辻内京子遠い眺め』の二句 ≫読む

三月のカブトガニ 加藤知子櫨の実の混沌より始む』の一句 ≫読む

意義の薄い雑文を、性懲りもなく、書き、週刊俳句に載せてもらっているのは、ひとつには、エネルギー的にも時間的にも能力的にも限界(かなりすぐに来る限界)があるということ。

その一方で、期待や望みはあって、それは、自分の雑文を読んだ人が、この句集を読んでみたいと思ってくれること。だから、引用句は最小限にしている。

そして、きほん、いいことしか書かない。ほら、批評じゃないよ、こんなの。

彼/彼女が、手にとる句集を、結果、気に入るか愛するかそれほどでもないか、そこまでは知らない・わからない。手にとるかどうかもわからないけれど、句集や句へとアクセスしようという気持ちが読者の中に1ミリでも生まれれば、私のレビューは成功といえる。

というわけで、来週号(8月11日号)にも、句集から一句をとりあげて書きます。

ラヴ&ピース!


2019/08/04

■湘子百句をぱらぱらと

小川軽舟『藤田湘子の百句』をぱらぱらめくって愉しむ。こういうものはアタマから読むものではないと個人的に思っているので、近くにおいてあるあいだ、ぱらぱらと。

愛されずして沖遠く泳ぐなり  湘子

が、26歳の作なのか、へぇー。青春回顧じゃなくて、ほぼ青春じゃないか!(すでにはんぶん回顧という意見のありましょう。26歳って年齢はどうなんでしょう?)とか、句の周辺情報もときとして愉しい。

ラブホテルなども眺めや鯉幟  湘子

とか。俳人協会をはじめとする俳句自警団の方々から忌み嫌われるカタカナ語、しかもラブホテル。湘子もその師・秋櫻子も「詩にならない卑俗な材料を好まないところがあった。(…)しかも湘子の嫌いなカタカナ語だ」と著者・小川軽舟も驚いている。「一日十句」の賜物らしいので、多作は、毀れる・毀す働きがあるのかも。とか。

酢海鼠や大阪女かはいらし  小川軽舟『手帖』

は、

坂東の血が酢海鼠を嫌ふなり  湘子

への応答なのか? とか。


△△の100句といった選集は自選を含めたくさんあって、分量的にも手軽。がっつり全・句集あるいは全句・集を読むのもいいけれど、エネルギーや時間には限りがある。CD・レコードでいうえばベスト盤も、いいものだ、と思うんですよね。

ラヴ&ピース!


2019/07/31

■なぜひとはこんなにもくらげにこころひかれるのか



冷房にゐて水母めくわが影よ  草間時彦

2019/07/28

■あわれ 『や』第74号より

ゴールデン街のあわれは昼の三の酉  中村十朗

花園神社はゴールデン街から目と鼻の先。夜ではなく昼の、初酉でも二の酉でもなく三の酉。これはもう、まさに「あわれ」。

(…)かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。 紫式部

2019/07/27

【句集をつくる】第19回 再開

もう、自分でも忘れかけていた【句集をつくるというシリーズ。読み返してみると、あんがいおもしろくて、こりゃあこれからつくるかもしれない句集よりも、おもしろいんじゃないの? と、ちょっと自嘲気味に、ますます、新しい句集の完成から遠のくわけですが、なかなか腰が上がらないのは、つまり、現実の制作へと作業を移せないのは、「読む人、読みたい人、いるのかなあ?」という、これは謙遜でもなんでもない疑問。この手の話になると、「いますよ、いますよ」という答えが返ってはくるけれど、そこには気遣いもあるし、そう応えるしかないわけです。

想定読者という話題はすでにしたと思いますが、数人なら、紙やらインクを使う必要もない(実際、ふだん1人なし数人を頭を置いている。ゼロというのはむなしすぎ・かなしすぎなので)。デジタルデータ(例えばPDF)でよさそう。

でもね。リリースのスタイルは、横に置いておきましょう。まずは、まとめるという作業。それが、現在、私にとって、どれくらいおもしろいか。確かめてみるのも悪くないと、思い始めましたよ。

ラヴ&ピース!

2019/07/26

■氷河期のつづき

氷河期がつづく回転ドアのなか  飯島章友

地球史の転倒・混乱。

ところで、ふと、回転ドアの歴史に思いが至ったのですが、ちょっと調べてみると、19世紀末くらいまで遡れるらしい。ともかく古いんですね。ひょっとしたら、20階規模の高層ビルの始まりと同じくらいかもしれません(誰か調べてください)。

ラヴ&ピース!

掲句は『川柳スパイラル』第6号(2019年7月25日)より。


2019/07/25

■ホカホカねえさん

無 ホカホカねえさん以外すべて虚無  川合大祐

いったいぜんたい「ホカホカねえさん」って誰だろう? 何だろう?

どんな人なのか、どんなモノなのか、まったく想像ができず、けれども、なにかただならずファンキーな存在のような気もするし、こちらの精気をぜんぶ奪ってしまうくらい無意味な事象のような気もするし、そのブラックホール然とした超越的バカバカしさこそが虚無であり、それ「以外がすべて虚無」などとのたまうこの句は、さらに虚無的で、ほんと、途方に暮れてしまうほどに素晴らしい一句。

冒頭の「無」のあとの全角1字ぶんの空白が、とてつもなく無。とか言う人がきっといるだろう。私も言っておく。

ラヴ&ピース!

掲句は『川柳スパイラル』第6号(2019年7月25日)より。