さて、架空線。電柱をつなげる電線その他。この秋の颱風被害もあって、地中化の話がちらほら出た。日本の空に電線が張り巡らされたこの状態を、美観の観点から嘆く声は以前からあった。
ところが、その一方で、電線と電柱を日本の原風景として「残すべき」との声もある。
■日本人「電線のある風景の方が風情があってかっこいい」
https://www.pinterest.jp/pin/44121271335268251/
■電柱なくそう団体の写真コンテスト 美しい電柱風景の作品投稿が殺到し論争
https://www.j-cast.com/2017/09/09307591.html?p=all
まあ、見た目とかを言うと嗜好の話になるから、なくせ・なくすな、の両方が出てくる。
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電線の多きこの町蝶生まる 辻村麻乃
どの町にも電線は多いが、その町ではことに多く感じたのだろう。「蝶生まる」の直前に《切れ》があり、電線の風景と蝶の誕生に因果関係はないが、一句の中で同居すると、電線を伝わる電気・信号の中から蝶が生まれるとの事象もまた見えてくる。電気羊ならぬ電気蝶。
読みとして妥当かどうかは知らないが、そうした幻視は、一句の中の二物の提示によって、読者(私)の中では容易に起きてしまう、快楽的に起きてしまうのだから、しかたがない。
ラヴ&ピース!
掲句は辻村麻乃句集『るん』(2018年/俳句アトラス)より。
わが家の近くも電線だらけ。 |
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