2018/01/31

■ひとつ足りないときは

…ちょっと詰めたり、分け合ったりすればいいのです。

海鼠腸や四人の席に五人座し  岡田由季

譜面台二人にひとつ春近し  同

ラヴ&ピース!

掲句は『儒艮』第23号(2018年2月1日)所収・岡田由季「X脚」より。

2018/01/30

■前田吟の歌:ジャイアント馬場忌

ジャイアント馬場忌まぢかに午後二時の京王線がわたしを揺らす  10key

ジャイアント馬場(1938年1月23日 - 1999年1月31日)


2018/01/29

■圧倒的(でもないが、ぜんぜん悪くない)日曜日

くにたち句会、無事終了。牡蠣の取り寄せが間に合わず鮟鱇鍋。数名様がお帰りになってからディスコタイム。


週刊俳句・第562号に、

のうのうと暮らす 野口裕句集『のほほんと』の一句

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】第35回  クリトリック・リス「バンドマンの女」

〔今週号の表紙〕第562号 飲み屋街


↓ディスコタイムの数曲目。これも盛り上がったnegicco「圧倒的なスタイル」。20代から70歳までの数名が、夜遅くに、この曲で踊ってる(振り付けは違うよ)、って、ちょっとステキでしょ?

2018/01/28

■白の効果 『絵空』第22号より

白い壁はさんで咳が聞こえ来る  茅根知子

壁のむこうから咳が聞こえる、という日常的であたりまえの散文的事象に「白い」を加えただけで、なんだか雰囲気が出る。

「白」は、たまに、魔術を起こします。

ラヴ&ピース!

掲句は『絵空』第22号(2018年1月)より。

2018/01/27

■マリコのチャーハン

そのチャーハンはちょっと変わった味がしました。美味しいのですが、よくあるチャーハンと少し違う。あ、これは玉ねぎだ、と。見ると、米粒のあいだにありました、玉ねぎの微塵が炒まったのが。

それは昨晩の話。そのせいかどのせいか、きょうの昼、チャーハンを食べたくなって、作りました。卵と葱と(ここまではいつもどおりです)ブロッコリー(冷蔵庫に茹でたのがあった)。チャーシューのたぐいはあまり入れません。ヴェジタリアンズ・チャーハン(卵はいいの?)。素晴らしく美味しかったです(自画自賛)。

ところで、昨晩のチャーハンは中野での出来事。そのまえには句会がありました。持ち寄りも含め10句ほどつくったのですが、例えば、

地底人マリコがすこし火事ですか 10key

こういう、日本語がしゃべれない人、日本語を知らない人がつくったような句が、いつもできるといいのですが、なかなかできません。日本語を中途半端に知っている悲しさですね。

ラヴ&ピース!



2018/01/25

■冒頭集:真剣師

 アマチュア将棋界の異端の強豪といわれていた小池重明は平成四年五月一日の午後四時二十分、茨城県石岡市の医師会病院において死亡した。肝不全による死亡だが、生命線のパイプ管を自分で引きちぎったというから自殺したことになるのかもしれない。享年四十四歳であった。
団鬼六『真剣師 小池重明』1995年/イースト・プレス

2018/01/24

■なにしてくれんねん、滋賀県


角川短歌・角川俳句のパーティーに出かけたところ、陽子さん(from西陣)から、おみやげにいただいた。

こわくて、あけられない。

2018/01/23

2018/01/22

■週末は俳句その他

ウラハイで「週末俳句」というシリーズを始めた。

初回はこちら↓
http://hw02.blogspot.jp/2018/01/blog-post_21.html

日曜正午更新。土曜から日曜午前に起こったこと(起こりそうなこと)を書く。はじめのうちは私が書きますが、そのうち書き手をひろげてゆきたい。

日曜大工ならぬ日曜俳句でもいいんだけどね。

「こんなゆるい内容でいいのか?」と心配される向きもあろうかと思いますが、書き手が変われば、内容もスタイルも筆致も変わります。



小津夜景 文芸評論とはフリースタイルである・中編

私が考えるのは、

1 リファレンスはだいじよ

記事・論文の体裁というだけでなく、実質的な「論拠」という意味でも。

リファレンスとは、誠実で有意義な仕事と水平・垂直の関係を誠実にとりむすぶってことですからね。

2 評論には幅やヴァリエーションがあっていい

いろいろでいいんです。批評的エッセイというのもあるしね(≫こちら)。

ハードル(1のこと)をクリアしなくちゃいけないという縛りを設けると、批評は全体として萎む。言説に優劣はない(社会的標本と捉えればなおさら)ので、いろいろあっていいと思う。

私は、1のゆえ、小津夜景さんとは見解を異にし、2のゆえ、堀切克洋さんとも若干見解を異にする、つうことになる、おそらく。



黄土眠兎句集『御意』(2018年1月/邑書林)を読んでいたら、こんな句があった。

 結論は先に書くべし冬木の芽  黄土眠兎

ほんと、そう。

蛇行しまくって、結局、言いたいことがどこにあるのか、言いたいことが何なのか不明な記事が、このところの俳句界隈に多い。結論をまず書くというスタイルにすれば、記事だけでなく、思考も変化すると思う。

ラヴ&ピース!


2018/01/20

■あほらしいことを言ってる俳句がよろしいです




文語体やら歴史的仮名遣いにかぎらず、俳句が備えている定型とか音数とかは、「あほらしいこと」を言うのに最適(と思ってます、私は)。

「あほらしいこと」に加えて、寝言みたいなこと、呆けたことetc。

逆に、もっともらしいこと、えらそうなことを言おうとすると、すごく恥ずかしい。それでこけたりしようものなら(だいたいこける)、もっと恥ずかしい。もう立ち上がれないくらい恥ずかしい。そんな形式です、俳句という形式は。

2018/01/19

■昆布のこと 『晴』創刊号より

私は素直なので(バカとも言う)、句に書かれていることをそのまま像にする〔*〕

かんぶにもこんぶにもよくいいきかす  広瀬ちえみ

だから、こんな句だと、かんぶ(幹部)はともかくとして、こんぶ(昆布)によくいいきかせている図をありありと想像して、おかしくてたまらなくなる。

この場合(私の場合)、こんぶが家の中(事務所の中)に横たわっている。海の中でいいきかせている図ではない。句の前の位置に「幹部」があるからだと思う。

もちろん、昆布には聞こえない。だから、反応もない。


なお、いわゆる言葉遊び(シニフィアンの戯れ)においても、律儀に絵・像・図を思う。

ついでにいえば、慣用句においても、絵を思い浮かべる。例えば、「脱帽です」と書いているのを読むと、書き手が帽子を脱ぐ絵を思い、どんな帽子かを想像し、可笑しくなって笑いそうになることがある。

掲句は、川柳誌『晴』創刊号(2018年1月15日)より。


〔*〕像を結ばない句もあるにはある。例えば、作者の思い+季語、警句・標語+季語みたいな句は、像を結ばない。したがって、関心も興味もあまり起きない。


2018/01/18

■書かれていないことを読み取った者勝ちの世界

 承前≫■書かれていることだけが、そこにある

だいぶ前に、歌人さんたちも参列する変則的な歌会・句会に出たときのこと、合評になって、俎上の短歌について、象徴作用や隠喩を(かなり無理筋で)読み取り「隠れた意味」を滔々と語るのを見て、それが歌人一般のスタイルとは思わないにせよ、「こりゃだめだ。私にはムリ」と思いましたよ。

ムリというのは、いろんな意味。

「書かれていないこと」をどこまで推理(?)分析(?)できるかが鑑賞・批評の勝負であるかのごとく、力(りき)の入ったその語り口を目の前にして、「ああ、俳句でよかった、自分は俳句がいいや」と。

俳句の領分防衛とか俳句への帰依に聞こえたら、心外ですが、俳句って潔い、と心底思ったのですよ。

(短歌が潔くない、とは言ってない)(その方だけのスタイルかもしれないですしね)


俳句は、ぜんぶが蓋で出来ていて、すべての蓋があいている、と言いました(≫こちらの過去記事)。それは、隠された意味・書かれていないことを、読者が見て取る構造ではありません(もしそうなら、俳句は、中の見えない箱)。あけすけで、どこからも、どの読者からもまる見えということ。読みは多様になりますが、それらはすべて、そこに書かれていることなのです。


2018/01/17

■書かれていることだけが、そこにある

俳句をつくるとき、象徴作用や隠喩〔*〕が働かないようにしている、と告げても、理解してもらえない人に、さらに、どう説明すればいいのか。これはかなり難しい。

俳句は、書かれていることだけが、そこにある。書かれていないことは、そこにない。それが俳句の潔さ。そう思うから、俳句を続けている。

こう説明しても、きっと納得してもらえない。彼ら/彼女らは、《書かれていないことを読み取る》ことこそが、良き読み方であると信じているので。


〔*〕見立てとして機能する隠喩を除く。

2018/01/14

■〔わかる・わからない〕はどうでもいいこと

 言葉にならないもの、言語化や概念化をすりぬけて入ってくる「入力」だけが、人を「いっぱいいっぱい」にすることができる。
 だから「分る句」「分らない句」の区別などは、人の感動にとって、わりとどうでもいいことだ。分るも分らないも、表玄関の話であって、言葉にならないものは、いつも、裏口を開けてかってに入ってくるから。

上田信治 成分表 18 あふれる

承前
■私の彼はわからない いわゆる難解句の周辺
■俳句に「そのココロ」を求める人たち

2018/01/13

【お知らせ】1月のくにたち句会

2018年1月28日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。


アフター句会はディスコタイム(居間ディスコ)。
  ×俳句世間の噂話やらゴシップ
  ×小賢しい俳論




2018/01/11

■俳句に「そのココロ」を求める人たち

NHKに『72時間』という定点観測ドキュメンタリー番組があってですね、ファンも多いと思います、年の暮には、人気ベスト10的に長時間にわたって再放送するわけ。クラゲの回は観ていなかったので、観たのですが、途中、男性老人グループが出てきて、「クラゲは夏の季語なんです」とかおっしゃるので、あ、これは、一句出てくるな、と思っていたら、やっぱり出てきた。でね、一句言い終わると、そばにいた男性が「そのココロは?」と問うたわけです。

ああ、そうかぁ。そういう人がいるんですね。

俳句SNS界隈では、句が「わかる」だの「わからない」だの、どうでもいいような話題が年を跨いでちらほらしておりましたが(それも、初心者じゃなく何年か俳句をやってそうな人たちのあいだで)、この人たち、つまり「わかる」とか「わからない」とか言ってるのは、「そのココロ」を求めてるんじゃないか、と思いましたよ。


【過去記事】
■私の彼はわからない いわゆる難解句の周辺

2018/01/09

■読者の多様性:俳句=蓋がぜんぶあいた箱

とうぜんながら言語体験(それは語彙、語にまつわる知識・イメージetcを含め)は人によってじつにさまざまで、

まだレクラムの星のどれみふぁ空すみれ  加藤郁乎

こうした句についてだけでなく、シンプルで了解性の高い句においても(読者の)多様性が読みに反映されるわけですが、この句を例にとりましょう。

レクラム文庫を指すと思しき「レクラム」について、これを親しく過ごした人、名前だけ知っている人、一読なんのことかわからず調べてわかった人、それぞれにこの句はいくぶん違ったふうに届く。

」と「すみれ」の二語から、星菫派に思いが到る人とそうでない人とでも、《読み》は違ってくる。

さらには、「どれみふぁ空すみれ」という音階風の一節を、どうアタマのなかで再現するか。ドレミファソラシミレを、〔A〕等拍で奏でる人、違う拍を割り当てる人、〔B〕ドレミファと歌ってそれから空を思い菫を思う人、〔A〕〔B〕をオーバーラップさせる人。ここでも《読み》は違うでしょう。

《読み》に対するに、句は開かれている。そのとき、句は、蓋でだけ出来た箱の蓋がぜんぶあいた状態、空想幾何みたいな箱。

ただ、だいじなのは、読者の多様さ(読みの多様さ)が句の価値を減じるのではないこと(同時に、念のために言っておくと、「どう読んでもいい」といった不遜傲岸ではまったくなく、読者は、句=作品の用意した受け皿、ふところの深さに、みずからの固有性=多様性のなかのひとつを委ねる)。

読者は、それぞれの資質や経験の差異によって分断されるのではなく、おたがい違う者も、みな、「おお!」と、句に反応すればよいだけの話。

たとえば、曲がかかって、「ここはあのR&Bのイントロの引用」だとか、シンコペーションだとか、13度のテンションだとかいった楽しみ方をする人も、そんなことぜんぜんわからない人も、曲に反応して踊りだせば、みんな一緒。

(掲句が音楽的・音的だから、こうした喩え、話の広げ方になるわけですが)

句意とか解釈とか鑑賞とか、とりあえずどうでもいい。からだが動くか動かないか。

(だから、俳人さんたちには、まえから言ってる。「ごじゃごじゃ言ってないで、踊れば?」)

(話が違うかも)



そんなわけで、読み方が人によってさまざまであることは当然だけど、そんなこと、おかまいなしに燦然とかがやく、あるいはやさしく囁いてくれる句は、たくさんある、って話です。

ラヴ&ピース!


音楽への喩えでもうひとつだけ。掲句のアタマの「まだ」。この2音によって、上の句が7音になっているわけですが、ここ、大好き。

前の小節の最後の一拍からメロディーが嚙んで入る感じで、この「まだ」は大好き。

もういっちょ、ラヴ&ピース!

2018/01/08

■炬燵の風景 北大路翼編『アウトロー俳句』より

パンクスに両親のゐる春炬燵  五十嵐筝曲

モヒカン刈りで皮ジャンパーの青年(女性でもいいのだけれど、男性のほうが滋味が増す)が両親と向かい合わせで炬燵に坐っている図。

なさけなくもあたたかく、尖鋭にしてレイドバック。いい光景だなあ、ほんと。

会話は聞こえないけれど(無口がよろしい)、表情は見える気がする。

「パンクス」と複数形だけれど、世界のパンクスと連なるひとりの青年と解すればいい。

掲句は北大路翼編『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」 アウトロー俳句』(2017年12月/河出書房新社)より。

2018/01/07

■並ぶ 『舞』第85号より

上履き・下履きという言い方もあります(いまはあまり使わない?)。

暖房やスリッパは上靴は下  山西雅子

もちろんルールの話ではなく、上にスリッパが、下に靴がある/並んでいる光景でしょう。

ふつうのお家ではなく、公民館かなにかの玄関を思い浮かべました。ふつうのお家は玄関にまで暖房が効いていることはあまりない。全館冷暖房の施設でしょう、やはり。


掲句は『舞』第85号(2018年1月10日)より。

2018/01/05

■2017/2018

12月、押し詰まった日程での「くにたち句会」。句会後は飲食とディスコタイム。たくさん踊った。最後の曲は、浅野ゆう子「セクシー・バス・ストップ」。



アフター句会は、
×小賢しい俳論
×俳句世間の噂話やらゴシップ
◎踊る


年賀状は最低限。俳句関係はお出ししない方針を徹底(失礼つかまつります)。気が向いたら寒中見舞いやら「はがきハイク」やらでご挨拶いたす所存。


蒲鉾って、お正月だけ活躍しますよね。


豪快に、厚さが違う。


2018年は、散歩と自転車、本と音楽、だいじなひとをだいじにする。そんなところで充分です。

ラヴ&ピース!

2018/01/04

■ネジのこと、雨のこと

「切れ」は俳句だけのものではなくて、どんな分野にも、「切れ」がハマったときの快感があるみたいですよ。

フライパンの取っ手のネジのゆるむ雨  八上桐子

「ゆるむ」で切れて、俳句なら/俳人なら、2音に季語を宛ててしまいそうです。「雨」は、川柳ならでは、かもしれません。ここ、ほんと、快感。

世の中のここかしこに「切れ」はある。あるいは人のアタマのここかしこに。

2018/01/03

■行列の社会学

近くの神社に出かけたら、駐車場待ちのクルマが長蛇の列。参道は拝殿まで人の列。恐ろしく大量の人の列。

もちろんどちらにも並ばない。

ひとびと(日本人?)はなぜにこんなにも並ぶのが好きなのか? 社会学的あるいは文化人類学的考察があれば、読みたい(ありそう。きっとある)。


三が日が終わります。

ラヴ&ピース!

2018/01/01

■謹賀新年


お雑煮、超美味。yuki氏、ナイス!