2018/01/22

■週末は俳句その他

ウラハイで「週末俳句」というシリーズを始めた。

初回はこちら↓
http://hw02.blogspot.jp/2018/01/blog-post_21.html

日曜正午更新。土曜から日曜午前に起こったこと(起こりそうなこと)を書く。はじめのうちは私が書きますが、そのうち書き手をひろげてゆきたい。

日曜大工ならぬ日曜俳句でもいいんだけどね。

「こんなゆるい内容でいいのか?」と心配される向きもあろうかと思いますが、書き手が変われば、内容もスタイルも筆致も変わります。



小津夜景 文芸評論とはフリースタイルである・中編

私が考えるのは、

1 リファレンスはだいじよ

記事・論文の体裁というだけでなく、実質的な「論拠」という意味でも。

リファレンスとは、誠実で有意義な仕事と水平・垂直の関係を誠実にとりむすぶってことですからね。

2 評論には幅やヴァリエーションがあっていい

いろいろでいいんです。批評的エッセイというのもあるしね(≫こちら)。

ハードル(1のこと)をクリアしなくちゃいけないという縛りを設けると、批評は全体として萎む。言説に優劣はない(社会的標本と捉えればなおさら)ので、いろいろあっていいと思う。

私は、1のゆえ、小津夜景さんとは見解を異にし、2のゆえ、堀切克洋さんとも若干見解を異にする、つうことになる、おそらく。



黄土眠兎句集『御意』(2018年1月/邑書林)を読んでいたら、こんな句があった。

 結論は先に書くべし冬木の芽  黄土眠兎

ほんと、そう。

蛇行しまくって、結局、言いたいことがどこにあるのか、言いたいことが何なのか不明な記事が、このところの俳句界隈に多い。結論をまず書くというスタイルにすれば、記事だけでなく、思考も変化すると思う。

ラヴ&ピース!


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