2022/12/26

■組句:映画の前後

M列六番冬着の膝を越えて座る  榮猿丸

エンドロール膝の外套照らし出す  柘植史子

コロナ以降、映画館からすっかり足が遠のきました。危機意識よりも予約うんぬんの煩わしさのほうが主因。億劫がっていては愉しみをたくさん逃してしまうことはわかっているのですが……。

2022/12/05

■続・インクの色

というわけで、インクは混じちゃっても問題ないのがわかりましたから、大昔に貰って、そのままロクに使わずガビガビになっているインクを探し当てました。使おうと思います。


2022/12/04

■インクの色 予測不能の事件のような

赤のカートリッジを挿したままインクが空っぽになったパーカー万年筆(安価)が出てきたので、洗わずにそのまま青インク(ペリカンの4001みわゆるロイヤルブルー?)に浸けて書いたら、あらま、赤+青=紫ではなくて、褐色に。なんだか見たことのないインク色。

万事いいかげんにやってると、たまに素敵なことが起こる。


2022/11/20

■『川柳木馬』に寄稿

俳句関係の記事は、このブログにしても週刊俳句にしても取っ散らかして殴り書くようにしている。いつ頃からは忘れたし、なぜなのかはわからない(たんに気分?)。

紙媒体でも、きほんそれは変わらない。少し前に、『川柳木馬』という同人誌に、八上桐子さんの川柳について寄稿する機会を与えられ、書いたときも、取っ散らかろう、暴れよう、と意識はした。けれども、なかなかそうは行かず、何割かは意図どおりにしても、あとの何割かは、やっぱり「ちょっと正座なかんじ」になってしまった。

退屈なお行儀がちょっと残ってしまった理由のひとつは、苦労したこと、難渋したこと。苦しすぎて、乱暴に書くどころじゃなかった。依頼をお引き受けする時点で、苦しむことは見えていたとはいえ(好きな作家だから何か書きたいが、だからこそ何をどう書けばいのか、とても難しい)、締め切りまでずいぶんと日にちがあったにもかかわらず、締切の前日だかに、「遅れそうです」と泣きを入れた。最後は、自分へのニーズ、つまり川柳をやっているわけではない自分に、まっとうな作品論を期待するわけでもなかろうから、俳句と対照させながら、なんとか書いた。

(『川柳木馬』の当該号=第173号・174号は、八上桐子さんの60句、ならびに暮田真名さんの作家論を掲載。手元の残部はなくなったので、ご興味のある方は、木馬の連絡先 kaorimokuba0522@gmail.com までどうぞ)



2022/11/19

■くにたち句会:11月のお知らせ

2022年11月27日(日)14:00 JR国立駅改札付近に集合
句会場所:未定
披講とか句会後の飲食は、おそらく拙宅でのんびり。

※このところ少人数です。大人数がよいという方には不向きです。

詳細を知りたいという場合、また当日の連絡先携帯電話番号etcは、 tenki.saibara@gmail.com まで。



2022/11/06

■菊たべる

畑に行ったら、帰りのタイミングが同じになったおじさんが「菊、たべる?」。

菊膾にするざます。

(もらってきたのは私で、膾にするのはきっとyuki氏)







2022/10/30

■赤玉葱の未来

区画借りの家庭菜園に、赤玉葱の苗を植えました。前日までに畝を3本つくり、苗150本。150本というと、ずいぶんと多いと思うかもしれませんが、はい、なかなかに多かった。

昨年も赤玉葱を植えたのですが、今年は、植え方のテキトーさ、素人ゆえのテキトーさをいくぶん改善し、本に書いてあるとおり20センチ間隔でラインを引き(棒を地面に押し当てて溝をつくる)、スコップの尻で2センチ目安の穴を押し開ける。すこしだけ手間をかけたわけです。

すると、不思議。去年までよりも、作業がラク。

テキトーよりも、すこしテキトーじゃないほうが、すこしだけ効率が上がり、作業がラクになるのですね。人類があたりまえのようにやってきたことですが、それを空の下、土の上で実感するのは、わりあい愉しいものです。

ラヴ&ピース!

こちら↓↓↓は過去作

2022/10/17

■くにたち句会:10月のお知らせ

2022年10月30日(日)14:00 JR国立駅改札付近に集合
句会場所:未定
披講とか句会後の飲食は、おそらく拙宅でのんびり。

※このところ少人数です。大人数がよいという方には不向きです。

詳細をお知りになりたいとき、また当日の連絡先携帯電話番号etcは、 tenki.saibara@gmail.com まで。



2022/09/23

■いろいろな朝ごはん

起床時間が違うので朝ごはんは嫁はんとべつべつに各自食べたいものを食べる習わし。私はきほんトーストとバター(と3食毎食のトマトジュース)とシンプル。たまに何かが加わったり、ぜんぜん別のもの(お茶漬けや卵かけご飯)になったりする。

あるときふと、いただきものの葡萄を眺めつつ、kiri のクリームチーズといっしょにサンドイッチにしてみるという思いつきがアタマに浮かび、それ用の8枚切り食パンを入手。実行。


果たして、おそろしく美味。かつ、おそろしく手軽。


2022/09/21

■東京散歩

新宿駅と東京駅って、歩くとどのくらいかかるんだろう?

まえまえからの疑問というか興味です。

東京駅周辺で待ち合わせの用ができたので、歩いてみることにしました。

これまでも新宿から四谷、御茶ノ水から水道橋など、部分部分の駅間は散歩したことがあるのですが、都心と副都心、べたっとぜんぶ歩くのは初めて。

新宿駅下車。〈とっとことっとこ〉と〈ぶらぶら〉のあいだくらいの歩調で新宿通りを東へ東へ。

脇道にそれることもせず(いつもなら荒木町とか、ふらふら分け入ってるはず)、休憩もナシ。

新宿通り沿いには、小さな自転車屋さんが点在するという発見。3軒は見た。需要あるんでしょうね。

四谷駅手前から北に上り、市ヶ谷駅、飯田橋駅。このへんの駅間はわりあい近い。水道橋駅から御茶ノ水駅へは、坂が大きい(知ってた)。さらに東へ。神田駅へは向かわず、途中で南下。

東京駅近くで写真を撮る。それが週刊俳句の表紙に使ったこちら。

で、結局、何分かかったかというと、おおおそ130分。2時間強。

もっとゆっくり、3時間以上かけて、ぶらぶらを楽しむ手もある。お店で飲み物だとかね。ランチをはさむプランもある。

こんどは、自宅から2時間歩いて、どのへんまで行けるか試してみようとも思いますが、郊外だと、それほど遠くへは行けないと思う。つまり駅間が長い。東京の街なかは、やっぱり近いですね。街と街がぎゅっと詰まってる。

なお、今回の経路は、ほぼ総武線に沿ったので、だいぶ北に遠回りする。四谷からまっすぐ東へ向かえば、2時間を切りそう。

2022/08/09

■波郷

西村麒麟さんによる波郷百句。


『俳句界』2022年8月号・特集「俳人たちの暮らした町」では、麒麟さんが、石田波郷の砂町を執筆。ご自身も現在暮らしているだけあって、いきいきとした記事。

波郷は、《バスを待ち大路の春をうたがはず》の開放感、《朝刊を大きくひらき葡萄食ふ》の充足時間も好きだけれど(どちらも初期ですね)、なにげないけど、あとでじわっとくる《鰯雲甕担がれてうごき出す》もいいですね。

ラヴ&ピース!

2022/08/03

■かき氷

世の中で一番、とまでは言わないけれど、最上級に贅沢なものに、宇治ミルク金時がある。

子どもの頃はこう言っていた。標準語で言えば、抹茶+あずき+練乳のかき氷。私にとっては、超豪華三点盛り。

街なかの上品な店で頼めば、それなりの代金。でも、これは、コープ(スーパーマケット)で入手可能。味はきっとそんなに変わらない(上品な店で食べたことがないから比べようがない)。


ラヴ&ピース!

2022/08/02

■エミコ

5音の語を見つけると、上に置くか下に置くか、考えをめぐらせてしまうのは、俳句に長く親しんでいる人間の性(さが)というか業(ごう)というか。

だから、八上桐子さんの


を見ると、

義母エミコ!

と(心の中の)大声で反応してしまう。

一連のツイートはリアル実話だろうから、こうして取り上げること自体、不謹慎とのお叱り・誹りを受けるかもしれないが、ま、そのへんは、どうでもいい。

八上桐子さんは俳句ではなく川柳の人だけど、5音・7音の使い手であるにはちがいない。それも名うての使い手だから、カタカナを用いた、この5音処理には、さすが、と称賛するしかない。

巧い演奏家は、楽器をすっと一動作するだけで素敵な和音・素敵なフレーズを奏でる。それと一緒なんですよ、この5音は。

はたして、義母エミコが、壮大な連作へと結実するか、ただ、ツイッター上の閃光としてだけ・2022年夏の出来事としてだけで終わるのかは、ぜんぜん知らんけど、なんか、まだまだ、いろいろ面白いなと思ったのでした。

このクソ暑いなか。

ラヴ&ピース!

2022/08/01

■繭の鼓動 『街』第156号より

白繭の微かな鼓動つらなれり  鷲巣正徳

なぜだか夜を思う。蚕が光を嫌うわけでもなさそうだし、どこにも夜とは書いていないのだけれど、「白」の効果かもしれない。

鼓動が連なると、白も連なる。その背景、というか、舞台は、やはり夜がいいということかも。

読者にも微動が伝わるような、美しい句。

掲句は『街』第156号(2022年8月1日)より。


2022/07/23

■COOL IN THE POOL 9年前の今日

こんなもの書いてた。

ゆるい。

でも、材料にはなる。


2022/07/17

【句集をつくる】第27回 自作との距離

自分のつくったものを「まるっきりつまらないというわけでもない」と思えるには、ある程度の時間が必要だったりする。

偶然、瀬戸正洋さんの《雑感「かの夏を想へ」》という記事


を見つけたとき、そう思ったわけで、となると、句集にまとめる、というか、一冊の句集の中に、この「かの夏を想へ」を置いてみたくなった。

前回・第26回から2年近くが過ぎちゃったけど、これ、第27回。

自作との時間的隔たりということでいえば、じつは、このところ、ほとんど俳句をつくらない暮らしが続いていて(コロナ以降、句会がめっきり減ったせいも、あるにはある)、多くの自作について時間的な隔たりが出来上がった状態だ。いま、自作を並べて、眺め、いろいろと編集してみるのに、いいタイミングかもしれない。


余談だけど、自分のつくったものを「まるっきりつまらないというわけでもない」と思える機会は、冒頭に言ったのとは別にもうひとつある。対照的なのだけど、時間的隔たりがまったくない瞬間、つまり作った直後だ。

最初の読者、第一の読者は自分、という考えなので、俳句をつくるとき、まずは自分を喜ばせることを考える。誰だかわからない(あるいは存在しないかもしれない)第二以降の読者のことを考えないのが最良だ。でも、考えちゃうけどね。

話が大きく逸れたようでいて、それほど逸れていない。句集を編むという作業は、作り手である自分と第一の読者である自分が対面しての作業だから、読者=自分の存在が確認できないかぎり、始まらないのだ。



2022/07/16

■転倒な日々


某日。

ひとり畑に行って、ちょっと世話して、じゃがいも、きゅうり、トマトを収穫したビニル袋と、ハサミ等園芸七つ道具入りのエコバッグを左手に提げて、自転車で帰宅しようとしたとたん、大粒の雨、ありゃりゃ。

と、行程半ばで、提げた袋のたぐいがスポークにからまり、前輪がロック。自転車ごと転倒して、顔からアスファルトへ。

土砂降りのなか起き上がれず。激痛激痛。人通りはなく、フィルム・ノワール的にしばし倒れておりました。

血は少しですが、目の上のたんこぶ(比喩ではない)がかなりでかい。上瞼のパープルな陰翳や頬の血のにじみは、男の子的に、ちょっとお気に入り。

精密検査はしておりません。脳の中はだいぶ以前からあちこち壊れているので。

後日。

目の上のたんこぶ、正確には右眉の上のたんこぶがしだいにしぼむにしたがい、鬱血が下に降りる法則らしく、右瞼の紫色がどんどん濃くなる。

yuki氏(嫁はんです)より、「左にアイシャドウ塗ったげようか。左右を揃えよう」とのご提案。

謹んでお断りする。


本日は、毎年恒例のピアノ発表会。いつものごとくプログラム作成などを手伝う。今回はいつもお願いしているカメラマン氏の急な体調不良というアクシデントがあったものの、なんとか事なきを得る。人のつながりって、だいじよ。

雨の中、世の中に連休が始まるも、例によって、連休も平日もない。曜日や祝祭日よりも天候を気にする暮らし。なにしろ、畑があるので。


それはそうと、日本社会はどんどん悪い方向へ行きますね。私たちはもうすぐこの世におさらばするからいいけど、若い人は大変ですよ、ほんと。

ラヴ&ピース!

2022/06/07

■蜘蛛の囲

だいぶ年齢が行ってからなんですが俳句を愉しむようになって、それまで知らなかった語を知ったりする。まあ、ほとんどは季語なんですが、「蜘蛛の囲」というのもそのひとつ。

それまでは「蜘蛛の巣」って言ってましたが、あれが巣? どうもそんなかんじがしないまま、かといって「蜘蛛の罠」なんて呼ぶのもむりがある。そこで、「蜘蛛の囲」。なかなかよろしき言い方ではないか、と、感心したわけです。

で、最近読んだ句集から2句。

葉先より蜘蛛の一糸や下の葉まで  相子智恵

草の蜘蛛ふはりと何もなき方へ  森賀まり


相子智恵句集『呼応』左右社/2021年12月
森賀まり句集『しみづあたたかをふくむ』2022年4月/ふらんす堂

2022/06/06

■人生初はんだ、へ

この年齢まで一度も経験がないものなんて数限りなくあって、それをぜんぶやりたいなんて思わないけれど、そのうちのひとつにふと気持ちが向いて、「やってみよう」と決心することがあります。そういうのって、良いことだと思ってる。

で、はんだ付け、です。

はんだ付けに心躍らない人はこの世にいないと思うのですが、わたくし、恥ずかしながら、まだ経験がない。

そこで、入門キットを購入(不安になるくらい安い)。


さて、方法はネットで調べて、問題は何を「付ける」のかです。じつは、そこはもう決めています。付けるものがないのに、はんだを買いました、というわけでは、いちおう、ない。

楽器ケーブルの断線(プラグ部分)を修繕、くっつけちゃおうと思います。さて、うまく行くのか。商業ウェブサイトなら、かならず、続き、結果報告があるのですが、そこはどうなるかわからない

でも、とりあえず、ラヴ&ピース! やるぜ、はんだ付け。

2022/06/02

■『そら耳のつづきを』のつづきのつづき

≫承前

セブン&アイ・ホールディングスの小さな愛なんだ君は  湊圭伍

持株会社を世間でこんなにも頻繁に目にするようになったのは、そんな昔じゃないような気がする。調べてみると1997年に解禁らしいから、新しくもないが、古くもない。で、このセブン&アイ・ホールディングス、資本金500億円、従業員数およそ14万人(間163時間換算の臨時従業員含む)、売上は6兆6000億円を超える。

これはデカいです。こんなにデカいセブン&アイ・ホールディングスだから、ほんの「小さな愛」を注ぐだけで、「君」は成立してしまう。

このことが悲しいか嬉しいか、そのへんは置くとして、きわめて21世紀初め的な字面だなあ、と。

ラヴ&ピース!



2022/05/19

■パンキッシュな情景

パンクヘッドと呼ぶことにした。新しく買った束子(タワシ)。


元祖亀の子束子の西尾商店製です。ネットで買ってみたところ、想像したのの半分くらいの小ささ。かわいい、と同時に、使いやすい。鍋やフライパンの隅やらコップやらには、小さいほうがよろしいようです。

ラヴ&ピース!

2022/05/10

■変身・変容のパラダイス 現代川柳の成果

暮田真名《川柳は(あなたが思っているよりも)おもしろい》は、現代川柳と、サラリーマン川柳を代表とするいわゆるポピュラーな川柳とを対比して、明快。

当該記事はこちら≫https://note.com/sayusha/n/n314331e4c333
サラリーマン川柳の「笑い」を支えているのはおびただしいほどの固定観念と規範意識である。
対して、現代川柳に顕著な変身・変容の要素。
川柳は人を絶え間ない変身に駆りたてる。川柳のなかで、私は「春の小川」になったり、「気体」になったりする。温度の変化によってかたちを変えていく水のように、少しの条件の違いによって。
おそらく、〈私〉〈作中主体〉〈作者〉のそれぞれの部面で、変身・変容は起こっていて、ざっくりいえば、アイデンティがぐらぐら揺れたり、どろりと融解したりするケースがとても多いのが現代川柳、ということは言えそうで。

コンビニの傘に生まれてはや二年  なかはられいこ

この句などは、ビニール傘に、主体も景色も物語もフォーカスしきっていて、クール。

短詩ジャンルの多くの作品につきものの叙情、それもちょっと冗長な叙情を突き抜けたかたちを、いっとうすぐれて成果で見せるのは、川柳(現代川柳)というジャンルかもしれませんね。

掲句は『What's』第2号(2022年4月25日)より。


あ、そうそう、変容といえば、先々月、ウラハイで取り上げた《液体国の液体人が死んでいる きゅういち》もまた好例です。

2022/05/09

■勝手に組句:潜水服

黒南風や潜水服の護謨匂ふ  相子智恵

白南風や潜水服のなかに人  10key

内からと外からと。

〔*1〕相子智恵『呼応』(2021年/左右社)
〔*2〕西原天気『けむり』(2011年/西田書店)

2022/04/27

■危険なたべもの

金沢は、ものが美味しいので、危険です。とりわけきんつばは危険。

東京なら一元屋。金沢は、買って帰ったこの中田屋を好いております。

ラヴ&ピース!


2022/04/25

■金沢へ

金沢一泊。尾山神社になぜか蛙。由縁、あるいは狙いがあるのかもしれない。


街全体がコンパクトだし、散歩して気持ちのいい街です。やはり金沢は。

ラヴ&ピース!

2022/04/19

■あはれダリア 中原道夫『橋』より

回文に「ダリアもありだ」幸彦忌  中原道夫

※「回」は旧漢字

攝津幸彦の忌日は10月13日。ダリアの花期(晩夏から秋)とぴったり一致とは行かず、

 南浦和のダリヤを仮りのあはれとす 攝津幸彦

からの変奏の側面の強い句。

私は、南浦和駅を通ったことはある、降りたことがあるかどうか定かではない、歩いたことはないような気がする。つまり、南浦和にとくだんの思い入れはなく、ダリアの花も同じ。特徴のある花だとは思うが、とくべつ好きな花でもない。なのに、どうしてこんなにこの句が好きなのか。

〈好き〉に理由はなく、理由のある〈好き〉はそれほどの好きでもないとも思うので、それは、というのはつまり理由については、あまり考えることも語ることもなくはやばやと切り上げるのですが、摂津幸彦には、ほかにもダリアの句がある。《押入れのダリヤの国もばれにけり》なんてのも、悪くない。

ついでに、掲句、インターネットで引用を見ると、「仮り」と「仮」、両方の表記がある。正しくは前者の模様。

で、ついでついでに、この句の入った句集『鳥子』(1976年)のひとつ前、最初の句集『姉にアネモネ』(1973年)には、

 喉元を過ぎて四谷の椿かな 同

があり、地名+花として、自分の中ではペアになった2句。

あ、そうそう。掲句。

回文の「仮」感、ことばとしてどこへも行かない感、ことばがことばとしてそこにとどまる感も、考えてみればそうとうなもので、となると、いろいろな接合部でもって、攝津幸彦へと繋がる句。

掲句は中原道夫第14句集『橋』(2022年4月1日/書肆アルス)所収。



2022/04/15

■青空 『奎』第21号より

青空の句は、その空がどれくらい青いかで、句の成否が決まる。

しやぼん玉いくど割れても青い空  小池康生

この空、めちゃくちゃ青いです。

掲句は『奎』第21号(2022年3月)より。




2022/04/05

■桜 相子智恵『呼応』より

今年の桜、見頃の時期が短かったような気がします。

さて。

ゴールポスト遠く向きあふ桜かな  相子智恵

ゴールポストの向き合う種目はいくつかあるが、やはりサッカーをまず思い浮かべる。〈ポスト〉とあるので、ネットはない。競技場よりも学校だ。おまけに〈桜〉なのだから、これはもう、学校のグラウンド以外にない。だって、桜と学校は、卒業式・入学式と桜の満開とは季節がほぼ一致するからだろう、風景としてワンセットになっている。そして、多くの人にとって懐旧のにじむワンセット。

ゴールポストを主役にすることで、人の影が消えている。そこにいるのは作者のみ。時間によっては人がたくさんいそうな場所で、作者ひとり。

写真などで言うところの「抜けのいい」句。

掲句は相子智恵『呼応』(2021年/左右社)収録。

ところで、学校の桜は、街路や川沿いの桜よりものびのびと大きく枝を張っているような気がする(気のせいかもしれない)。スペースが充分なので、根の張り方が違うのもしれない(ちがうかもしれない)。


くにたち大学通りの桜。ごつごつとして古木めいた貫禄がある。

2022/04/03

■花の雨

昼間でも摂氏10度を切る冷たい花の雨。お隣の保育園はひっそりと静か。



■『そら耳のつづきを』のつづき

≫承前

ツッコミ待ちのボケと(も)とれる句を今回も。

あのひとおふろに龍のしゃつきてはいったはる  湊圭伍

シャツじゃなくてそれは刺青(しせい)だろう、というのが、言わずもがなの、ツッコミ。

「はいったはる」は「はいってはる」ではない点、ディープだし、こだわりを感じる箇所。ついでに言えば、上記、「入れ墨」ではなく「刺青」と記した点、自分のこだわり。当該業界に詳しいわけではないが、入れ墨は罪人の腕に入れるもので、いわゆる倶利伽羅紋紋は刺青と呼ぶ、と、ものの本(松田修)で読んだので。

この句など、伝統的な川柳の系譜に置いても、りっぱな川柳のような気がします。

2022/04/01

■ガラス屋の運ぶガラス 湊圭伍『そら耳のつづきを』より

ガラス屋の軽トラの荷台のデュシャン  湊圭伍

マルセル・デュシャン(1887 - 1968)の代表作のひとつ、通称「大ガラス」の正式(?)名称が「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」だということは、この際、あまり関係がなくて、問題は大きさ。軽トラの荷台に載るのか? 載らんだろう、というくらいに大きい。名前のとおり大きい。2018年に東京国立博物館で見たときも、想像を超えて大きかった。

この句、「大ガラス」とは限定していないので荷台に積める作品はたくさんある。たいていのものは積めそう。なんなら、デュシャンも積める(道交法違反? 想像すると、かなり可笑しい)。それでも、どうしたって、「大ガラス」を思い浮かべる。

つまりは、「載るのか? 載らんだろう」という、いわゆるツッコミ待ちの句なのだろう。

ボケとして成立する句は、わけのわかるボケもわからないボケも(この句は前者)も好き。ちなみに、ツッコミの句も好き。どちらも、他者と関わる意思のある句だから。

ラヴ&ピース!

掲句は、湊圭伍『そら耳のつづきを』(2021年5月/書肆侃侃房)収録。

2022/03/28

■はなどきの句会

某日。桜のなかを散歩のち句会。

  駅舎から始まるさくらさくらかな 10key

席題いくつかと嘱目で10句前後つくる。「セル」の席題で、

  蜃気楼からセルラー社の電波 10key

句会後はパエリアその他。

翌朝、訂正のメール(アンナ・カリーナはベルギーではなくデンマークの出身であること、「ミリオンダラー・ベイビー」はチェリーパイではなくレモンパイであること)が届く。雑談はだいじ。句会のあとの雑談は、ひょっとしたら合評よりだいじ。



2022/03/22

■7年前のこの日

https://www.facebook.com/tenki.saibara/videos/376408549209594

もうひとつの動画を観ると、5番マートン、6番福留、7番梅野という打順が映り、マートン! なつかしい!

https://www.facebook.com/tenki.saibara/videos/376414515875664

その7年後の今日は、雨が降っています。

ラヴ&ピース!

2022/03/20

■はじめてのメルカリ

ぽちっとしちゃった。

理由:
安価。冒険して悔いのないくらい安価。
独特の改造やペインティングが施されている。
ストラトキャスター型に興味があった。

届いてみると、カラーリングは思ったよりもシブい・地味め。もっとトンデモなくてもオーケーでしたのに。赤系のサンバーストに、ゴールドをラフにスプレー。エスニック味も出てます。


穴ぼこはボディーの鳴りを狙ってのものらしい。裏面の穴は、銃痕を思わせ、ワイルド。


さてここからちょっとした手入れです。全体をきれいに拭いてから、フレットを磨いて、くすみを取る。この工程はピカールが大活躍。仏具にも椅子の脚にも楽器にもピカール。優秀な子です。


オクターヴを調整しました。サドル(弦の末端を支える枕みたいなもん)をねじ廻しで動かして、ピッチを合わせていく。チューニングマシーン大活躍。耳だけに頼ってこれが出来る人はそう多くない。きわめて少ない。機械バンザイ、文明バンザイ。


で、弾いてみると、あれれ? すごく良いのでは? 音、良いのでは? 私との相性、良いのでは?

ただ、不具合もあります。ミドルピックアップのトーン(3つあるノブの一番うしろ)が利かないことが判明。でも、気にしない。ボリューム・ノブが利かないと不便だけど、トーンは、ね。固定と思えばいいだけの話。

ラヴ&ピース!

〔追記〕
KURE・エレクトリッククリーナーをぷしゅーっとやると、トーンが利くようになりました。この子も優秀です。

2022/03/16

■ホカホカねえさん・その後

2019年7月25日のブログ記事で取り上げた《無 ホカホカねえさん以外すべて虚無 川合大祐》という句が、いまだに気になってしかたがない。

≫過去記事はこちら↓↓↓
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2019/07/blog-post_25.html

焦点は「ホカホカねえさん」の正体なわけで、あたらめて検索してみると、ヒットした。

https://cookpad.com/kitchen/931982

レシピ披瀝サイトのアカウントなのだけれど、ちょっと不思議なのは、レシピが1個のみ、菜の花のチーズ焼きのみであること。2009年1月20日の日付で、この句の発表は『川柳スパイラル』第6号・2019年7月25日。たった1個のレシピをアップしただけのアカウントを、作者・川合大祐は知っていて、この句が誕生したのか、あるいは、偶然の一致か。わからないけど、謎は深まっちゃんですよね。クックパッドなるものの浮上によって。

ラヴ&ピース!

付記:

さらに不思議なものが検索に引っかかった。


何がなんだからわからない画像でずが、「青空のぼる」とか「サルでも描けるマンガ教室」といった語が鍵の模様。

この本、読んだことがない(相原コージは読んだことあるよ)。読んでみるしかないのかもね。

ふたたび、ラヴ&ピース!

2022/03/12

■毎年恒例の夏蜜柑の収穫

根岸・西念寺にお邪魔してきました。今年も1本の木から600個以上を収穫。すごいね。


2022/03/08

■旅 時実新子の一句

手の甲に浮く静脈のひとり旅  時実新子

生きていることと旅がイコール。「の」によって、静脈そのものが移動しているかのようなイメージが生まれているようです。

切実かつ清新な旅。

掲句は『Rereading 時実新子』vol.8/2022年2月(妹尾凛・八上桐子発行)より。



2022/03/06

■焼芋のトレンド

焼芋にはホクホクとネットリのふたつの大区分があって、私はどちらかというと前者が好きなのですが、近頃は圧倒的に後者が多い気がします。

JR国立駅近くの果実屋さん「フルーツ・ムラキ」の焼芋も後者。でも、とても美味しい。しかも安価。優良店ですね。

よく伸びて石焼いもの発条秤  守屋明俊

『閏』第7号(2022年2月)

2022/01/24

■もしなにかが身にしみたりしたら? 『舞』第111号の一句

身に入むやつてことあるんだか寝ぐせ  小川楓子

「身に入(し)む」という季語(三秋)。『日本大歳時記』山本健吉解説には、「平安朝なかば以後に和歌に愛用された言葉で、もともと染みるほど、あるいは濡れとおるほど、身に深く感じる意」とある。もともと秋限定ではなかった。そういえば、今の日常では「身にしみてわかった」など、季節と無関係に使われる。さらに解説には、「和歌で「哀れ」を主調としてこの語を用いたのに対して、俳諧ではもっと対象的、感覚的に感じとって、「冷気」を主にしていう」とある。

皮膚を突き抜けて身体に染みてくるような寒さというのは、わかるにはわかる。でも、それは、経験や実感というより、慣用句としての「身にしみる」が目で耳で繰り返された結果のような気がする。だから、「身に入むや」ってことが、、ほんとにあるんだかないんだか、わからない。実際のところ、寒さにせよ何かにせよ、身に滲みた経験も気持ちもない。

ところで、季語には、物事そのものではなく、先人の文彩(あや)や比喩によってすでに処理されたものが、「身に入む」のほかにも数多くある(すぐに思いつくところでは「色なき風」)。その手の季語には慎重なほうで、あまり使いたくない。使わない。まあ、それはそれとして、掲句。あるんだかないんだか、そんなことあるのねえ、と来て、最後、「寝ぐせ」。この展開・締めは、たいそう愉快。

他人の寝癖よりも自分ののほうがおもしろいので、鏡に、盛大な寝癖が映ったと解しておく。

ラヴ&ピース!

なお、歴史的仮名遣いにしても、この句では、ちっちゃい「っ」を使いたいところ。

掲句は『舞』第111号(2022年1月10日)より。

2022/01/20

■島田様 『トイ』第4号より

島田様たびたび泣きにやってくる  樋口由紀子

これは困ったことです。一度ならず「たびたび」だから、断れていない。あるいは、心優しく受け入れているのか。度量。

「様」がコクの源泉になっていて、つまり、関係がよくわからない。「さん」だと近所のおじさん/おばさんっぽい。「くん」だと年少の知人。島田くんは、ちょっとかわいい。「ちゃん」もおもしろいが、営業マン口調(営業の人って、知り合ったばかりの同僚や仕事仲間を「ちゃん」で呼ぶ。距離を一挙に詰めようという算段なのか)、句としては、ちょっと目立ちすぎ。

「様」。いいですね。

島田様の姿がぼんやり見えたとしても、いわゆる作中主体が杳として見えない。

んんん、誰なんだ? やってこられる人は。

お店なのかもしれない、詠んでいるのは。デパートや高級和菓子店にたびたび泣きにやってくる島田様。不思議な人だ。

ラヴ&ピース!

掲句は『トイ』第4号(2021年4月)より。

2022/01/18

■ライブ 中止のお知らせ

ここで以前に、128s(イチニッパーズ)ライブの告知をしたのですが、感染の蔓延で事態が急速に悪化。中止・順延となりました。



■インキ

インクは、かつてインキと呼ばれたような気がする。かなりどうでもいいことなのですが、このインキって呼び方、いかにもカタカナ的で、好きです。

(ヨードチンキと同じノリを感じますが、出自は違ってそうです。これら、ふたつの「キ」)

ところで、字を書く機会はどんどん減っている。パソコンのタイピング、いまどきはスマホの文字入力。ペンや鉛筆をまったく握らずに暮らしている人も多そうです。でも、アナクロでもなんでも、字を書くことをめんどうがらず、字を手で書くことを好いていたいという気持ちなので(なんでなのか、自分でも理由はよくわからない)、なるべく手を動かしている。手紙(と言ってもほとんどは簡単なハガキ)を書いたり、手帳に予定を書き込んだり。

万年筆は、便利/不便という基準でいえば、けっして便利なものではないけれど、使うことはやめたくない(なんでなのか、自分でも理由はよくわからない)。ここでインキの話題に戻るわけですが、このところメインに使っているのは、パイロットの「月夜」とLAMYのターコイズ。ペンはペリカン。月夜充填のほうはかなりの太字。どちらも、そろそろペン先の調整に出したい(出したことないけど、一度試してみたい)。

ラヴ&ピース!




2022/01/05

■はがきハイク・第23号

業界最小最軽量の俳誌『はがきハイク』。第23号がみなさまの手にもうすぐ届くはずです。

『はがきハイク』はこちらから勝手に送りつける御挨拶のようなもの。送り先の漏れは多々。届かないときは、「送れ」とご用命ください。
tenki.saibara@gmail.com

見たことがない、興味がちょっとあるよ、という方も、同じメールアドレスへどうぞ。

なお、俳句部分の「全面」を写真等でネット上に掲載するのは避けていただきたく存じます。特定個人への郵送の意味がなくなりますので。