2022/01/24

■もしなにかが身にしみたりしたら? 『舞』第111号の一句

身に入むやつてことあるんだか寝ぐせ  小川楓子

「身に入(し)む」という季語(三秋)。『日本大歳時記』山本健吉解説には、「平安朝なかば以後に和歌に愛用された言葉で、もともと染みるほど、あるいは濡れとおるほど、身に深く感じる意」とある。もともと秋限定ではなかった。そういえば、今の日常では「身にしみてわかった」など、季節と無関係に使われる。さらに解説には、「和歌で「哀れ」を主調としてこの語を用いたのに対して、俳諧ではもっと対象的、感覚的に感じとって、「冷気」を主にしていう」とある。

皮膚を突き抜けて身体に染みてくるような寒さというのは、わかるにはわかる。でも、それは、経験や実感というより、慣用句としての「身にしみる」が目で耳で繰り返された結果のような気がする。だから、「身に入むや」ってことが、、ほんとにあるんだかないんだか、わからない。実際のところ、寒さにせよ何かにせよ、身に滲みた経験も気持ちもない。

ところで、季語には、物事そのものではなく、先人の文彩(あや)や比喩によってすでに処理されたものが、「身に入む」のほかにも数多くある(すぐに思いつくところでは「色なき風」)。その手の季語には慎重なほうで、あまり使いたくない。使わない。まあ、それはそれとして、掲句。あるんだかないんだか、そんなことあるのねえ、と来て、最後、「寝ぐせ」。この展開・締めは、たいそう愉快。

他人の寝癖よりも自分ののほうがおもしろいので、鏡に、盛大な寝癖が映ったと解しておく。

ラヴ&ピース!

なお、歴史的仮名遣いにしても、この句では、ちっちゃい「っ」を使いたいところ。

掲句は『舞』第111号(2022年1月10日)より。

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