2020/08/16

■とある日のマネキン

マネキンをばらばらにして春のシャツ  小野義江

ばらばらしてから、マネキンにシャツを着せるのか(工程的に不自然)、マネキンが着ていたシャツを脱がせるのか(こっちのほうがありそう。店員的に)。

ある種凶々しさをかすかに連想させる《ばらばら》から、《春のシャツ》の開放感へ。転換にコク。

掲句は『川柳木馬』第165号(2020年7月)より。

2020/08/15

■賜り物

封筒で郵送されてきた梵天椿。

鉢と土を手に入れなくては。

それと、うちの猫たちは、家の中の葉っぱを食べ物(サラダ)とみなすので、どこに置くか考えないと。


2020/08/11

■〈12音+季語〉調査 最後は『水界園丁』

承前≫http://sevendays-a-week.blogspot.com/2020/08/12_10.html

〈12音+季語〉の頻度や浸透度について、実際の句集で見ていっているわけですが、少々飽きました。〈12音+季語〉の句は、句としてマジョリティにはあるのですが、それ以外もたくさんあるよ、ということがわかれば、それでいい。

なので、最後の句集にします。

いやあ、出てこないなあ。かなり少ない。というか、ぜんぜん、ない。ってのが、生駒大祐『水界園丁』(2019年6月/港の人)です。

やっぱり? という人もいれば、意外だ! という人もいるでしょう。10句目に《声のある家を覗けば枯芙蓉》、11句目に《鱈驚く中華麵より湯を切る音》がありますが、どちらも季語の「斡旋」て感じじゃありません。なにしろ《鱈驚く》ですから。こっちが驚いちゃいますよ。

34句目の《針山の肌の花柄山眠る》が形としてそうですが、「山」の相同/転換で遊んでいるので、あとから《山眠る》を持ってきたわけではないでしょう。ただ、〈12音+季語〉の特徴、いわゆる「季語が動く」(きらいな言い方です。二句一章はそりゃ動きますよ。「これは動かない」なんて、したり顔でおっしゃられても、ねえ。動かそうと思えば動きますよ)ということでは、《山笑ふ》でもいいだろう。でも、それでは句として賑やかすぎる。《山粧ふ》はツキすぎるし、《山滴る》は液体が針とぶつかりすぎる。こう考えていくと、《山眠る》は、いわゆる「動かない」「正解」としてよさそうです。よく出来てる。

というわけで、『水界園丁』もまた〈12音+季語〉パターンがとっても少ない句集でした。

生駒くん、おめでとう!

って、何がめでたいんだか。

ラヴ&ピース!




2020/08/10

■セルフチェック 〈12音+季語〉の頻度

承前≫http://sevendays-a-week.blogspot.com/2020/08/12.html

〈12音+季語〉という作句手順と思しき句の出現度合いを、実際に句集で見ているわけですが、他人様の句集にあたるまえに、自分のをちょっと見ておきます(怖いけど)。

『けむり』(2011年10月/西田書店)。

最初からめくっていくと、4句目に《白南風や潜水服のなかに人》。早くも登場。んんん、たしかに、これ作ったとき、中七下五を思いついて、まあ海だし、ってことで、わりあい安易に一瞬で「白南風」を持ってきたように覚えています。

しかし、さらにめくってみて、〈12音+季語〉はそれほどの頻度ではありません。

冒頭からの50句で拾ってみると、《朝顔やべつべつに干す紐と靴》《しまうまの縞すれちがふ秋の暮》《冬ざくら空のはじめは大むかし》《レコードのかすかなうねり山眠る》の4句を加えて5句。ちょうど1割。ただ、このうち3句目は《冬ざくら》から考えを進めたように記憶しています。ほかも、「斡旋」というより、ほぼ同時に季語がくっついた感じ。

1割が多いのか少ないのかわかりませんが、作風としてわりあいフツウの句集なので(アヴァンギャルドでもチャレンジングでもない)、意外に少ないと言っていいかもしれません。

句会などで、とくに席題の即吟では、〈12音+季語〉という作句手順をよくやります。でも、自分で残す句は、句会への投句とはまた別の経路で考えているフシがある。だから、『けむり』には〈12音+季語〉がそれほど多くない。それと、いわゆる「一句一章」「一物仕立て」を好むせいもある。

というわけで、世の中には、〈12音+季語〉が溢れているように見えて、そうでもないのかも、ですよ。


画像は、柳本々々さんから無断で拝借しました。http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-148.html

2020/08/09

■胡瓜の使い途

家庭菜園な日々でもあるのですが。われわれのこのところの日々は。

こちら≫http://sevendays-a-week.blogspot.com/2020/06/blog-post_17.html

7月は雨や曇天が続き、日照がぜんぜん不足。でも、育つものは育つ。

ミニトマトはナマのほか、パスタにもなるし、使い勝手がいい。



どの野菜も量は知れているが、二人で食べるには充分すぎるくらいで、各所にさしあげても余る。とくに胡瓜は、ナマ(サラダ関連)と糠漬け以外に何か食べ方はないかと模索(中華でよくやるような炒めも試したが難易度高し)。そこでyuki氏がご友人から教えてもらったのが、おろす、という使い途。冷奴にのっけると、あらま美味! さわやか。ここに七味を振っても、また美味。

2020/08/07

■世の中〈12音+季語〉ばかりじゃないよ、という話:実証的に

≫承前
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2020/07/12.html

12音をつくって、季語をプラス、という作句手順は、初心者向け、と言いました。実際そうなんですが、入門期を過ぎても、これ、やります。私た私の周りを見ていると、これをやらないという人はいない。誰でも、これ、やるんです。でも、これ一辺倒じゃないって話で。

12音をつくって、季語をプラス、という作句手順が広く普及しているわけですが、一方で、「え? なに、それ?」という人たちも、いるにはいます。そういう発想がない、という人たち。

例えば、「季題」との用語が身についた俳人(季語じゃなく季題ね)は、〈12音+季語〉という発想はしないと思います。季題/季語が先立つので。

とはいえ、出来上がった句は、季題の人たちと〈12音+季語〉の人たちとでそう変わらなかったりもする。過程は違うが、結果は似る、という現象。

季題の人(そんなことばないけど)以外にも、〈12音+季語〉の発想が薄い人たちも、きっといる。と、思う。

そこで、実際に、どのくらい、この〈12音+季語〉の手筋・指跡の見える句が、世の中に存在するのか。句集で見ていこうと思います。


〈12音+季語〉だらけの句集はたしかにあります。めくってみると、予想していた以上に多い、という句集が、ある。やっぱり、このパターンって、多いのです。

例えば、気持ちや境涯+季語、どこどこでなになにしたよ+季語、これってこういうもんだよね(概念化・うまいことまとめる化)+季語。言い換えれば、作者が言いたいことを言う俳句。言いたいことを12音にまとめて、季語が動員される(斡旋というやつです)。そういう句が多い句集ってのは、ほんと多い、とことん多い。おのずと〈12音+季語〉だらけになる。

一方に、そうじゃない句もたくさんあるはず。〈12音+季語〉パターンの少なそうな句集ということでメドを付けて、あたってみましょう。1ページ目から見ていきます。

あくまでメドなので、ドキドキしますよ。少ないだろうなと思ってページをめくったら、あらま、こんなに多い。ということになったら、どうしようって感じで、ドキドキする。

(なお、切れとの関係など、難しくて微妙な問題は置いておいて、語の構成・句の構造として、12音に季語がくっついた「感じ」の句を見つけていきます)

はい。まずは、関悦史さんの第2句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』(2017年2月/港の人)。

ページをめくりました。なかなか出てきません。

8句目の《女児同士ほとに頭突きや花の中》という、刑法的にちょっと危ない句が、〈12音+季語〉といえばそうなのですが、それほど〈+季語〉っぽくはない。さらに読み進むが、これぞ〈12音+季語〉はなかなか出てこない。数十句読んで、ほとんどない、と言っていい。

これはもう、俳句の作り方(の道筋)が、〈12音+季語〉とはまったく別のところにあるということだろう。ちなみに、無季句はほとんどない(まったくないかもしれない)。

次。

田島健一ただならぬぽ』(2017年1月/ふらんす堂)。

いかにもなさそうな句集を選んでるな、と思ったでしょ? それはそうなんですが、わかりませんよ。意外に多いかも。

さて、行きます。

8句目。《目があるから独りになれずあまがえる》が形としては〈12音+季語〉っぽいですが、《あまがえる》からの発想のようにも思える。10句目の《爪切りにぐっとかたちのある薄暑》が、季語「薄暑」を〈斡旋〉したっぽいですが、純然たる〈12音+季語〉とは言い切れない。

結論的には、田島健一さんも、〈12音+季語〉の発想のない人です。きわめて、ない、と言っていいかもしれません。

次。

小津夜景フラワーズ・カンフー』(2016年10月/ふらんす堂)。

ぜんぜん出てこない。

無季句がちらほら混じるせいもありますが、〈12音+季語〉成分はほんと少ない。11句目《ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵》が、かろうじて「花の宵」斡旋っぽい。さらに読み進んでも、出てこない。

小津夜景さんは、俳句のキャリアが短い人ですから、ひょっとしたら〈12音+季語〉発想にまったく染まらず、俳句を作り続けているのかもしれません。

で、意外なことに、無季句がそこそこあるにもかかわらず、きほん、季語から出発している(季題発想)ような気がします。んんん、興味深い。


というわけで、3冊見てきました。

〈12音+季語〉といった組成の句をほとんど作らない(発表しない)という作家も、たしかにいることがわかりました。

関悦史さんは1969年生まれ。田島健一さんと小津夜景さんは1973年生まれ。ほぼ同世代の作家のそれぞれとびっきり個性的な句集でした。

〈12音+季語〉じゃない句が読みたいときは、この3冊をめくればいいです。


句集渉猟はもうすこし続けます。違う世代の作家も取り上げなくっちゃ、ね。

ラヴ&ピース!

(つづく)