2015/03/31

■水に孔

『一粒(いちりゅう)』第73号(2015年3月20日)より。

水に孔あけて寒鯉すゝみけり  堺谷真人


鯉は一年中鯉なのに、寒鯉は硬質なイメージ句に詠まれることが多い。実際そんな気もします。

寒の時季には水も硬い。鯉のこの動作とこの句の措辞が、2つのものを硬質化するというわけです。

2015/03/30

■春のゆふべの菅井きんの歌

妹といふ想像上の生き物と菅井きんとが重なるゆふべ  10key

けふ菅井きんから染井吉野までありとあらゆる春の文物

うつくしき都に春の火事ひとつ思へば菅井きんのやうだね

2015/03/28

■今井聖主宰の啖呵が毎号おもしろい『街』誌

俳誌(結社誌)『街』に連載の今井聖「試行燦々 名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫」は、毎回取り上げられる句とは別に、啖呵を切るかんじがとてもおもしろい。

第112号(2015年4月1日)には、
 俳人にはとにかく自慢ばかりをうんざりするほど見せられてきた。
 息子が東大に入っただの親や亭主が銀行の「支店長」だの、平家の末裔だの。エッセーの中でこんな事書く俳人は山といる。
とあって。

え? え?(笑 ほんとですか? 「山といる」? 

私自身は、エッセーでも酒席でも、そういうの読んだことも聞いたこともない(まわりの俳人にマトモな社会人がいないせい? 最下層の人ばかりだから? おまえがそうだろ!と罵倒する声)。

書いてあることがほんとだとしたら、「今井さん、ご愁傷様です」としか申し上げようがありません。そういうところに近づかなかればいいのだと思いますが、結社の主宰ともなると、そうも行かないのでしょう。

 さすがに俳句で息子の学歴や亭主の職業まで言えないから自分は良妻賢母ですという句を作るようになる。子育て俳句では子と格闘する母を演じる。格闘するのは真実にしてもなんで通俗的に、老人に褒められるように格闘するのかなあ。誰もが同じようにケナゲな感じで。
 教師俳句を詠む男もそうだなあ。なんでそんなに良い教師になりたがるのかなあ。

おお! ノリノリ!

 かくして着物を着て銀座に出かけ歌舞伎座で海老蔵を見たあと鳩居堂で和紙などを買い夜は老舗の鰻屋か(具体的な店が思い浮かばないところが筆者の貧困な生活形態を露呈している)

軽く自虐も盛り込んで、ますますノリノリ。

(細かいことを言えば「和紙」では曖昧。「便箋」とか「一筆箋」でいかがでしょう? )


ね? おもしろいでしょう?

もっとも、間近ではなく遠目になら、「ありゃまなんとも俗物な!」な俳人さんは、誰でも見聞きするので、こういう典型例の挙げ方はなかなか楽しめる。


で、最後に、各所にツッコミを入れまくりの今井聖さんのこの記事に、一箇所ツッコミどころがあったので、それを。

「逢う」は俳句では異性と逢うということ。

え? 異性?

今井さんの視野に、同性愛は入ってこない。ここは「恋人と遭うということ」と書くべきでしょう。

《逢う=異性》という一直線の思考法は、今井さんが批判する側の人々に特徴的なような気もしますが、どうなんでしょうか。善良でケナゲで、社会的にはエスタブリッシュメントの端っこにいるような人々の。


ま、それはそれとして、この連載、まだまだ続きそうなので、楽しみなんですよね。



 ≫過去記事■冷し豚? 季語の本意・本情という問題

 

2015/03/27

■投票日とか日曜日とかバターとか

投票日ヨーグルトよくかき混ぜる  岡村知昭

その日は投票日です。アタマに入っているし、カレンダーに書き込んであったりする、マジックインキで。

で、ヨーグルトです。



はい、ヨーグルト、なのです。よくかき混ぜます(私はかき混ぜないで食べるのが好きですけどね)


麻紐によれば日曜日ではない  同

葉牡丹やバターは買ってあるはずが  同



掲句は『狼 RO』第42号(2015年3月3日)所収「バター」20句より。



■卒業シーズン

これよりは恋や事業や水温む  高浜虚子

虚子が東京高商(明治20年設立旧制専門学校)卒業生に贈った句。

卒業後は、恋も訪れるだろう、仕事もはじまるぞ、つうことで、なかなか洒落ている。硬い訓示ではなく「柔らかい」方面にも通じたオトナぶりがいいじゃないですか。

「事業」は起業にも解せる。今の時代のほうがむしろしっくりくるような句。


なお、東京高商が前身の新制大学・一橋大学の今年の卒業式は3月20日(金)だったらしい。この記事、ちょっと遅かったですね。

2015/03/26

■螺子のこと

わりあいムリクリの「冬の~」「春の~」というフレーズがありまして、正直、そんなに抵抗感がないです。好き嫌いは、まあ、句によるわけですが。

少しずつ雲の流れて冬の螺子  佐孝石画

冬の雲ならわかるが、冬の螺子ってなんやねん? 春の螺子とどう違うのか? などといった意見もありましょうが、句の中で語が軋むところがあってもいいと思うのです。え?と読み手が軽く立ち止まるような箇所。すらっと流れてしまう(一読、つくりや趣向が了解できる)というのではなく、え?と。

螺子の「静」(螺子が動くと不穏です)と雲の流れ。イメージの物理で2つが結ばれて、何気ない。胸やけや胃もたれものないすっきりした仕上がりのなか、「冬の螺子」がちょっと浮いている感じ。それが、興趣です。


掲句は『狼 RO』第42号(2015年3月3日)より。


2015/03/25

■BLとかそういうことよりも、まず

顔のサイズに圧倒されるのです。

これ→http://fundo.jp/wp-content/uploads/2014/10/fd141015b013.jpg


出典:【画像23選】最近の少女マンガが何だかとても大変なことになっていた

知らないうちに、世の中、すごいことになっているんですね。

2015/03/24

■竹岡一郎第2句集『ふるさとのはつこひ』の装幀・装画・造本が「攻め」ています




ビニールのカバーもこのところあまり見かけない。大和書房の「夢の王国」シリーズを思い出しましたよ(カバーに書名その他が印字されている点で「夢の王国」とは異なりますが)。

惜しむらくは背の文字が読みにくく目立たない点。もちろん、それを承知の装幀でしょうけれども。


購入その他はこちら↓
http://furansudo.ocnk.net/product/2098

■『セレネッラ』第3号

それぞれの個室に戻る朧かな  金子敦

あつけなき卒業Tシャツにドクロ  中山奈々

豆腐屋の豆蒸す匂ひ旧正月  中島葱男

『セレネッラ』第3号(2015年3月20日)。B4判片面に4色刷り。横組の俳誌はかなりめずらしい(ほかに見たことがない)。

2015/03/23

■修辞学的な菅井きんの歌

ああ菅井きんに始まり「ん」で終はる辞書などないがあつても買はぬ 10key


何をしようが、月曜日はやってきます。

2015/03/22

■大仰なものはちょっとカンベン

今のロック好きの中高年が若いとき全員レッド・ツェッペリンを聴いていたかというとそんなことはなくて、私はほとんど聴きませんでした。理由はべつにない。

耳に入ってきたりはしましたよ。例えば、たいそうヒットした「天国への階段」など。大袈裟で、演歌っぽいので、きらいでした。

大袈裟なものというのは、よほどピシっとしていないと、ダメですね。例えばベートーヴェン「皇帝」とかね。あれくらいピシっとしていれば、しびれます。

俳句にも大仰な句、演歌な句がありますけれど、だいたいは、ちょっとカンベン、というかんじです。


さて、レッド・ツェッペリンは、こういう曲(↓)が良いです。小粋。


■歌仙「時計」、満願

当初予定されていた連衆のおひとりが都合がつかなくなったということで、急遽代打として指名があり参加させていたいだいた歌仙「時計」が満尾。

http://8408.teacup.com/namubow/bbs/4880


歌仙はこのところ、きほんご遠慮しています。理由は、参加していること自体を忘れてしまうから。進行に支障をきたし、迷惑をかけるから。

前後不覚、はんぶん気を失いつつ暮らしています。

とはいえ、満尾は、いつもながらめでたいものです。

インド製の手巻時計。大昔に買ったもの。

2015/03/16

■そのとき菅井きんの歌

もうぜんぶことばが使い尽くされてそのとき菅井きんのみ残る 10key


またしても月曜日です。

2015/03/13

2015/03/11

■3.11直後の『週刊俳句』

第203号 2011年3月13日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/03/203-2011313.html

この判断が良かったと、今でも思っています。

用意した記事はあったので、選択肢は2つ。
1)通常通り(地震も津波もなかったかのように)
2)俳句はひとまず横に置いておく

当番同士ちょっとやりとりをして、2)に決めました。

2015/03/09

■菅井きんのゐない歌

霞ヶ関と霞ヶ浦をまちがへたままでしばらく話が進む 10key

みなさん、月曜日ですね。

2015/03/07

■まだもうすこしはやめないでいるつもりの『週刊俳句』

柳本々々 メディアとしての『週刊俳句』~つづけることは、やめないこと~
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-625.html

ありがたき幸せ。


続けること→何かが起きる(はず)→その「何か」が何なのかは誰にもわからない

週刊俳句をスタートさせるとき、アタマにあったのは、この一点でしたので、それにしたがってもろもろの設計があります。

柳本さん引用の「14のNO」はその設計を講演向きに具体例化したものなわけです。


これにいま、 15個目の「NO」を加えるとしたら、

NOひとり

かな、と。

運営が複数ということです。

100パーセント以上の確信をもって断言できますが、ひとりじゃ、絶対に続いていないし、やってておもしろくなかった。

運営を共にする人々(歴代を含め)感謝ですね。

2015/03/05

■枯野の冷蔵庫

『連衆』第70号(2015年2月)より。

冷蔵庫枯野にあれば口開けて  谷口慎也

冷蔵庫句の私的コレクションに加えました。

野積みの廃棄物と読めば、わりあい現実的。それはそれで手堅い興趣。一方、強引に、現役の冷蔵庫がとつぜん枯野に在るような読みも、それはそれで鮮やか。枯野=冷蔵庫の見る幻視。わたちたちはそれ(冷蔵庫と枯野の関係)を私たちの幻視として味わう。

「口開けて」が、意外なほど絶大な効果のようにも。

試しに「冷蔵庫 枯野」で画像検索すると(≫こちら)、冷蔵庫も枯野もまるで姿を現しません。この組み合わせが日常の脈絡から離れたところにあることの証左とも解せます。そこ(日常との乖離)にこそ俳句があるというわけです。


2015/03/04

■林檎はタテではなくヨコに切ったほうが美味しいことを最近になって知りました


■江越

江越には主催者から「ぶっかけうどん50人前」が贈られた。という一文が心を離れない。活躍した選手が主催者から何かもらうこと自体は珍しいことでもなんでもないのに。



http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2015/03/03/0007785974.shtml

2015/03/03

■豆雛

雪我狂流さん作。


2015/03/02

■月が変わった菅井きんの歌

三月は「サンキューガッツ!菅井きん」意味のわからぬことを言ひだす 10key

液体か気体か菅井きんといふふと流れだすものの正体

びつくりを通り越したる感情をスーパー菅井きんと名付けむ


みなさん、三月ですよ。