なお「おとぼけ豆」に関して、どこがおとぼけなのか? 凝視してのち口に運んでみても、わからんかった。
とりあえず、ラヴ&ピース!
≫承前
切れているのか切れていないのか、かたちのうえでは判別できないケースについて話していたのですが、後篇は自分の句を例に。承前≫http://sevendays-a-week.blogspot.com/2020/10/blog-post.html
『藍』第552号(2020年10月1日)は花谷和子(1922 - 2019)の追悼号。花谷清抄出の「花谷和子の百句」を下六の観点から読んでみた。
手ばなせし家避け通る露にまみれ 花谷和子(以下同)
子供の日の頃の迅さで泥鰌遁げる
いま乾くとも炎昼の水打つ母
月光がいまてのひらに深夜の色
金魚の朱しずめ朝から瀟洒な雨
以上、1962年刊の第一句集『ももさくら』より。抄出とはいえ20句のうち5句だから、頻度は高い。昭和半ばには、男性俳人と限らず、下六が積極的に採用されていたのでしょう、きっと。
前掲のうち下五に収めることが容易にできそうな句も(例えば、露に濡れ、泥鰌逃げ、夜の色)、あえて下六。ここまで言うのだ、という覚悟のようなものが韻律に勁さを与えている気がします。
もっと下六が試みられていいように思います。
ラヴ&ピース!
商標の輝いてゐるバナナかな 太田うさぎ
Tシャツに曰くバナナの共和国 同
前者。バナナにぺたんと貼られたシールは、今でこそバナナも多様化しているようですが、かつては、というのはバナナが高価・高級ではなく手に入りやすい果物になっていった頃には、なんといってもチキータとドール。どちらも米国起源の国際巨大資本。実態は知りませんが、イメージ的には帝国主義・植民地・プランテーションを連想させるブランド。さんざ美味しくいただいておいて、何という言い草!
後者。カジュアル服のブランド「バナナ・リパブリック」もまた米国起源。私自身はあまり縁がない(ポロシャツを1枚持っていたことがある)。
つまり、バナナって、私(たち)の消費生活・消費社会と密接な事物のようでありまして、橋本直さんが見たバナナ山積みのバイク《幾らでもバナナの積めるオートバイ 橋本直》(生産の現地)から、世界資本主義的にグローバルな地球規模まで、3句を並べると、なかなかに滋味深いスケール感なのですよ。
ラヴ&ピース!
歌人、の定義、というのはほんとにややこしい感じを生むんだけれど、私は「歌壇がプロデュースしてる存在が歌人」というのでもいいと思ってます。こういう話で意見が違う人は違うというので全然構わないんですけどね。— 正岡豊 (@haikuzara) May 10, 2020