2020/09/09

■〈非=五七五〉を愉しむ・その1

〈非=五七五〉。こなれない言い方ですね。耳慣れない呼称だと思います。

五七五定型からはずれた音数構成をもつ俳句のことを「破調」と呼んだりもするようですから、「破調」と言えばいいじゃないかという向きもありましょう。

しかしながら、この「破調」、見ていると、どうも定義・運用が定まっていないかんじです。対象の幅が語を使う人によって違う。

広義では、句跨りも破調に入れてしまうケースがあるようです。極端なケースでは、《愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子》など、どう見ても五七五にしか思えない句も、人によっては破調になってしまう。

そんなわけで、〈非=五七五〉と言わせていただくわけですが、まずもって私の〈五七五定型〉の幅はかなり広い。

句跨りはもちろん、上の字余り(例:《人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太》)も下の字余り(例:《朝起きてTシャツ着るやTシャツ脱ぎ 榮猿丸》も五七五定型のうち。上下いずれも字余りというケース(例:《入歯ビニールに包まれ俺の鞄の中 関悦史》)も同様。

中八も五七五のうち。例えば、《春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎》。五八五は昭和には意外に多い。好悪は別にして、槍投げの句を非=定型とする人はいないでしょう。

字余りと中八が同時に起こっている句。《蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ 小澤實》も五七五定型とみなしてしまう。繰り返しますが、私の捉え方ですよ。

そのうえで、五七五定型とはいえない句を見つけ(もちろん、俳句ではあります)、楽しもうというわけです。

探す場所は『豆の木』第22号(2018年5月)。

ではさっそく行きますね。

逃げ水を追う喋り方講座  三宅桃子

5-2/5-3。最後に2音あれば、五七五定型ですが、ない。寸足らず感が素敵です。追って追いきれない感じ。「喋り方講座」の胡散臭さ・安物感・バッタモン感が、前半の詩的な行為と対照されて滋味深い。

かはほり廻り闇を守る団地  宮本佳世乃

4-3/3-3-3。短句(七七)の字余りともとれるような性急な韻律。333の畳み掛けって、俳句的ではないけれど、歌のような効果も。

「守る」の主体が「かはほり」とも「団地」ともとれるので、明瞭な景ではないが、ある種、民俗的な雰囲気も醸す。

あたらしい記憶きつと鶫だらう  山岸由佳

5-3/3-3-3。後半が前の句と同じ333ですが、促音と「らう」の伸びる感じを含むせいで、畳み掛ける感じはない。前半と53のセットと後半のセットの2段重ね。意味了解性は低いが、前半=後半という構造で、後半のいわば「回答」に裏切りを持たせた作り。

しかしコーヒーうまいねセーターに穴
  柏柳明子

3-4-4/5-2。前半はセリフの引用。後半は叙景。こうした場合、どちらが主眼なのか判然としないが、どちらが前景でどちらが後景なのか、というより、時間軸で線的に書かれているように思える。


〈非=五七五〉の句、おもしろい。韻律(グルーヴ)はたしかにあって、そのうえに意味の遊戯が乗っかっている。

『豆の木』第22号から、もうすこし拾ってみようと思います。

(つづく)

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