2017/05/27

■サキソフォニック 『クプラス』終刊号から

ゴーゴーバーとゴーゴー喫茶の違いは、ゴーゴーガールの有無。……かなあ。断言はできませんが。半世紀以上も前の話ですが。

サックスのぐるりに映り素足なる
  阪西敦子

ゴーゴーガールのミニスカート、あるいはパンタロンの中身が素足だったのかどうか。そういう問題ではないような気もしますが。

(だいたいにして、ゴーゴーなんて、この句のどこにも書いてないし)

サキソフォンの外観のテカリ・ヌメリ、音のノタウチに、素足(の動き)が乗っかる。

(「ぐるりに」がいいのです、きっと)

あっさりした作りなのに、サキソフォンのサキソフォンたるサキソフォン性が横溢。



そういえば、ヴァン・モリソンのライブ盤「ア・ナイト・イン・サンフランシスコ」の途中、いったいなんべん「キャンディー・ダルファー!」と叫ぶんだ? というくらい叫びまくる箇所が1曲ならずあって、つまりキャンディー・ダルファーのサックス・ソロのたびに叫ぶ。

むかし、この女性サックス奏者がデビューしたとき、金髪で綺麗なおねえさん、といったルックスのせいで、そうとう軽んじていた。どうせ見た目でデビューができて、人気があるのだろう、といった過小評価〔*〕。ところが、今になってみると、内実(音)がとてもいい。ヴァン・モリソンが名前を叫びたくなるのがわかる気がする。


〔*〕参照:『魅力的な容姿』の科学者 『能力が劣る』と思われやすい研究結果


2017/05/25

■夜の扁桃腺

扁桃腺腫らしてコレコソガ夜  瀧村小奈生

扁桃腺が腫れること=夜。この等式は、たいそうおもしろく、等号記号にあたる「コレコソガ」には、カタカナの使い途だなあ、と感心。

この句を掉尾とする8句連作のタイトルは「射干玉の」。ぬばたまを最後の句で受け止めるという構成。

≫瀧村小奈生「射干玉の」:川柳スープレックス
http://senryusuplex.seesaa.net/article/449482665.html

■甘酒ブーム継続中

嫁はんの甘酒ブームは継続中。

参照記事≫http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/05/blog-post_4.html

ただし、ブランドに関しては浮気性。


2017/05/23

■続篇が本篇よりも長大かつ面白いという倒錯 福田若之のオモテとウラ

このあいだ、福田記事のダメなところについてちかぢか書くと言いましたが、ウラハイに載った福田若之「〔ためしがき〕滑って転んじゃった話」

http://hw02.blogspot.jp/2017/05/blog-post_23.html

これが面白いので、私のはもうどうでもいいかな、と。

それに、「ダメ」というより、「こういうやり方は好きではない」と思った箇所は、週俳掲載時にはなくなっていた(楽屋話になるが、掲載の前に「読んでくれ」と言われて読んで、すこし感想を伝えた)ので。



ウラハイ記事の細かいところに反応しておくと、
天気さんは僕の書いたものに「《名誉欲にまみれた老人・中年 vs 俳句をことをマジメに愛する》という構図の絵」を見てとろうとしているけれど、これはあまりにもプロレス化しすぎじゃないだろうか。
たしかに、レッスルさせすぎの傾向。私んなかにある。認める。

でも、このツイートの「老人・中年」は、有馬朗人だけではく、その周囲の老人・中年(あるいは若年も含む)を指しています。だから、「有馬さんって(…)見境なしに夢を追っかけちゃってるだけ」(福田)という見方に反対はしない。迂闊な人なんだろうなあ、と想像します(良い意味でも悪い意味でも)。

4団体の人たち全員が、今回の「俳句を無形文化遺産に」の宣言と運動に連なる人たちではあるわけですよ。

現代俳句協会青年部は、今回の件をテーマにシンポジウムを開けばいいのに、ね。

たぶん行かないけど。


もうひとつ。
協会を抜けるというアクションを起こしていた四ッ谷龍さんについては追記して、そもそも協会に入っていない西原天気さんについては何ら追記しなかったのも、結局は、ひとえに僕個人のこの「不安」に関わってのことだったと今にして思う。そりゃ、たしかに「大笑い」だ)
これはもっと現実的にね、個々について「アクションを起こしていた」事実を知るたびに訂正していたら、大変だぞ、という意味合いのほうが強かった(誤解を招きやすいツイートだったですね。私は、いいんですよ。私が協会に入っていないことに、それほど意味はないし)。

それよりも、前の記事で書いたように、ツイート(さえずり)はアクションではない、と捉えるのは、私にはちょっとわからない。こちらのほうが重要。


もうひとつ。

有名人・言論人etcの人名への言及は、呼び捨てが原則。「氏」も「さん」も要らない。

このルール、最近、崩れちゃってるけどね(この話題はまたあらためて)。


最後に、ひとつ。
僕がなんでそんなに「個人の感想」にこだわるのかというと、結局、僕は、それが全体主義的なもの(忘れないでおきたいのは、それがしばしば善意の塊によって発生するということだ)の一切に対する反対物になりうると信じているからだ。
「個人の感想」という立脚点はだいじだと思うけれど、個人がどこを見ているかが重要、という考え方を、私はしちゃう。

「自分」を見ているぶんには、何に抗しても、ルサンチマンをひきずる。

「公共」を見るとき、個人の感想に「義」が宿る。私は、「義」のある見解を支持する。「義」が好き。

もっとも、福田若之はこれを全面否定するかもしれない。それこそが「善意の塊」として機能する全体主義なのである、と。

■続おるがん 『オルガン』第9号より

オルガンの奥は相撲をするせかい  鴇田智哉

やっぱり、オルガンは「野」なのだ。

掲句は『オルガン』第9号(2017年5月1日)より。

2017/05/22

■おるがん 『オルガン』第9号より

あたたかいオルガンのなか迷子になる  福田若之

オルガンに、同じ鍵盤楽器のピアノにはない温かさがあるのは、機構の違い。ピアノは叩き、オルガンは吹く。オルガンの内部に空気を感じるからだろう。

管もまた感じるので、迷子も、よくわかる。

オルガンは野、密閉された野にも似ているかも、ですね。

掲句は『オルガン』第9号(2017年5月1日)より。

2017/05/21

■白鳥✕白鳥✕白鳥 『豆の木』第21号より

『豆の木』第21号から白鳥の句を抜粋。

(暑い夏に向かうこの時季に、どうもすみません)

息深く吐けと白鳥渡り来る  鷲巣正徳

白鳥が来ているセブンイレブンの窓  こしのゆみこ

頭から外れて皿は白鳥に  近恵

身体の深部と飛翔の呼応。えらくカジュアルな窓と白鳥。最後は、脳天から白鳥が飛翔。

3句並べたら、1句1句とは違う、またそれぞれの10句作品とは別の感興が。

■終わり?

週刊俳句・第526号は、
まるごと『ku+ クプラス3号』(終刊号)
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/05/5262017521.html

揃った原稿を紙にせず、ウェブ(週俳)にして、終刊にすると、信治さんから聞いたときは、びっくりしました。難航はしても、第3号が出て、第4号以降があると思っていたので。

創刊当時のことを思い出すと、「なぜ同人制にするんだろう? 高山れおな+山田耕司+上田信治編集というスタイルのほうがおもしろそうなのに、動きも自由なのに」と、外から見て思ったように覚えています。

終わりの時期には思い出話が多くなります。いつかの「俳人地図」みたいな記事で、

  私「統治の欲望wですな」
  信治さん「意地悪を言いますね」

といったやりとりがあって、それを見た某ベテラン俳人が「信治さんと天気さんは、もうダメなのかしら(関係は修復しないのかしら)」と心配されていると聞き、自分ひとりで大いにウケたことでした。

あと、もうひとつ。「いい俳句」とかいうクソダサい特集を見て〔*〕、急遽、週俳で「悪い俳句」を特集したのも、いい思い出です。


いつか、『週刊俳句』が終わるときは、『終刊俳句』とダジャレかましてほしい、と、この号にある(終刊号)の文字を見て思いましたよ。

クプラスのみなさま、おつかれさまでございました。


〔*〕「悪漢俳句:断章」の最後のほうで『クプラス』の当該特集について言及しています。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/04/1986-2-2-1997-2-2-2-10-httpweekly-haiku.html



「まるごと」だけど、クプラス仕様のトップ写真はなく、前から用意していた私の写真。クプラスじゃない人間がひとり混じっちゃって、どうもすみません、という顔をしています、この石。

2017/05/20

■俳句の無形文化遺産登録にまつわる福田記事の良いところ

福田若之さんの記事、
有馬朗人氏に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/05/blog-post_14.html

この記事で私が良いと思うところは、内容ではありません。「週刊俳句に書いた」ということ。そこに意義があります。

新聞記事・有馬朗人インタビューを私はツイッターで知りました。ツイッターをやっていないけれど、福田記事で、これを知ったという人もいるでしょう。それ、だいじ。いろいろな場所で知る機会が生まれるのは、とてもいいことです。

だから、ツイッターで「言葉少なにつぶやくだけ」(福田)でも意義があると、私などは思うのですが、福田さんはそうは思わない模様(後述)。

ちなみに、「僕にはそのことが有馬氏の発言にもまして不穏なことに感じられる」という福田さんのセンスは、謎すぎて私には理解不能。不穏? 有馬氏の発言にもまして?(たしかに有馬氏は「不穏」というより、単に無邪気に名誉欲や権威に気持ちが向かう感じですが)

むりやり理解しようとすれば、この文言に続く内容、すなわち、つぶやいているだけじゃあダメ、「いいね」やリツイートしてるだけで「いったい何が変わるというのだろう」といった煽りを含む段と呼応しているのでしょう。

このあたりは、文言のクリシェ(紋切り型)というだけでなく、把握のクリシェ、反応のクリシェにも思えるのですが(ツイッターで不安や嫌悪をつぶやく・さえずるだけじゃダメだ! 行動に移さなきゃ! アンガージュマンだ! といった状況理解と提案・煽動のクリシェ)、それは、まあ、いいとして、さて、そこで、福田さんが、どう変えようとするのかが問題になる。

つまり、小津夜景さんが言うように(http://yakeiozu.blogspot.jp/2017/05/blog-post_14.html)「ネットで有志を募って、さっさと四協会に公開質問状出しちゃ」うことも選択肢に含めて(それがいいとは思わないし、私は「有志」にはならないけれど)、今後のこと。

言葉少なにつぶやくだけで済ませてしまっている」と言うのであれば、「言葉多めに書き連ねるだけで済ませてしまう」ことのないような、何か。

でもね、福田記事の結語に、「ひとりひとりがもっと多くの言葉を費やしていくしかないはずだ」とある。つまり、みんなも書いてね、ボクは書いたから、ということのようです。ありゃま、なんじゃこりゃ、へなへなへな(ここ吉本新喜劇とかで使っていたトランペット)となった人もいるでしょう(小津さんもそうだったんだろう)。

けれども、私は、それでも意義はあると思う。最初に書いたように、いろいろな場所に今回の件(無形文化遺産うんぬん)を知る機会が生まれれば。

ただ、ちょっとヘンだなと思うのは、ツイッターでの発言を「済ませてしまう」と表現し、その後を悲観的に捉える一方、ある程度の長文(例えば、今回の福田記事)を「済ませてしまう」とは考えていないように聞こえる福田さんの把握・理解。

いいかえれば、ツイート(広くはSNS?)への差別意識?(ちょっと大袈裟)

私は、週俳記事>ツイート、とは考えない。

例えば、福田記事は、定義が排外を招く、と要約できますが(我流すぎる要約? そんなことはない)、そのことはすでに四ツ谷龍さんがツイッターで簡潔に述べている(前掲福田記事の末尾にリンク)。

長く書くのがいいとは限らない、ということです。

と言いつつ、この記事、ずいぶん長く書いてしまったなあ、と反省。そろそろシメましょう。

週刊俳句に、福田さんが今回の記事を書いたことに大きな意義がある。最初に言ったように、これが要点。アクセス数も多いようで、たくさんの人が、有馬インタビューを知ることになりました。

福田記事のダメなところについては、また後日。

2017/05/19

■殺陣 『豆の木』第21号より

善人も悪人も粉雪のなか  吉田悦花

これはもうチャンバラですね。

句のどこにもそう書いていないけれど。

ところで、映画『十三人の刺客』(三池崇史/2010年)では、松方弘樹ひとりが異次元の刀さばきと動きを見せ、「おお! 東映の伝統!」と観衆はみな感動するわけですが、あの映画に粉雪のシーンはなかった。

掲句は『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

2017/05/17

■ドラッグ解禁


急な話なのではなく、うちではむかしから解禁です。

2017/05/15

【お知らせ】5月のくにたち句会

2017年5月28日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。

2017/05/14

■『蒸しプリン会議』をご希望の方に頒布いたします

『蒸しプリン会議』は、5月7日の「文学フリマ」に向けて拵えた緊急出版。B7判(91×128 mm)・8頁の小さな冊子。

http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/05/blog-post_4.html

(文フリには行かなかったけど、ちょっと興味ある、という方に朗報)

当日は頒価100円でしたので、やはり有料ということにさせていただきます。ご希望の方は、お名前と送り先ご住所を、tenki.saibara@gmail.com まで連絡ください。お支払い方法は返信メールにてご説明さしあげます。

(100円なら、ま、いいか。『オルガン』はあんなに薄くて1000円もするんだから、という方、いますぐお申し込みください)


色はこうしていろいろあるのですが、どの色をお送りするかはこちらにお任せください(色は選べないぞ、という話)。

『蒸しプリン会議』について、もうすこし説明しておくと、太田うさぎ、岡野泰輔、荻原裕幸、小津夜景、西原天気、鴇田智哉の6名が5句ずつ寄稿。今をときめく注目の俳人から短歌業界・俳句業界のビッグネームまで、豪華な面々に、なぜか私なんぞが混じり、ほんと、不思議なメンバー構成。

題字(小津夜景)や裏モノのビジュアル、そのへんの安物プリンターで出力したかのような印字、ずれてるとしか思えないレイアウト、1冊1冊仕上がりにバラつきのある造本、つまり、とてもキュートな冊子です。


■句会は必要か?

俳句をつくっていくうえで、句会が必要不可欠かどうか。

それは人による。

(あたりまえですみません)

『フラワーズ・カンフー』を読んでいて思うのは、句会って本当に必要なのかな、って。この人の句は句会を通過しているとは思えないから。
小倉喜郎ブログ「HAIKUMAN」2017年5月8日http://haikuman.seesaa.net/article/449698398.html

小津夜景さんの句会経験は私の知る限りリアルで1.5回(0.5回というのは私がご一緒した句会。時間の都合で途中までだった)、ネットで0回。『フラカン』に限らず、どの句も句会を通過していない。

句会をやらない俳人といえば、最近のわりあい近いところで、高山れおなさんと関悦史さんが思い浮かびます(正確な知識ではありません)。

この3人、高山れおな、関悦史、小津夜景に共通するのは、ひじょうにユニークな句集を出していること。ハードウェアをいうのではありません。句がユニーク。類を見ない。

3人の方の句作については評価・好みが分かれるでしょうが、「ほかにない」ということは共通して言える。

こうした事実を踏まえて、まえまえから思っていることなのですが、言語的運動神経が抜群で、卓越した理解力をもっていれば、つまり俳句のセンスが人並み外れて優れているならば、「句会」に出ないほういがいいんじゃないか



句会には、標準化の機能があります。

これによって、はじめは箸にも棒にもかからなかった句作のレベルを、ある程度まで引き上げてくれる。俳句をつくろうとする人の99.9%は人並み外れた俳句センスなど持ちあわせていないので、句会はとても有益です。

一方、標準化は〈ありきたり〉を量産します。真にユニークな句作には、なかなか到らない。

句会では、どうしてもウケる句をめざしがちです。人情として、他人の目・他人の評価を気にしてしまう。〈埒外〉の句が生まれにくい。

〈もともとは誰にも似ていないユニークなセンス〉があったとしても、句会の相互評価のなかでが標準化されていく。結果、うまく行っても、どこにでも一定数いる「俳句のそこそこじょうずな人」が出来上がるだけ。そんなケースが隠れているのではないかと思っているのですよ。

なお、句会を通過してユニークな句作に到達する人もいないわけではありません。為念。

付け加えるに、句会を経験しなければ、誰でもユニークな句が出来るかといえば、あたりまえだけど、まったく違います。他人の評価を濾過しない、箸にも棒にもかからないまま作りつづけることになります。

かなしいっちゃかなしいけれど、本人が楽しければ、それでいいんです。これは皮肉でもなんでもない。そして、本人が楽しいのがいちばん、というのは、句会も同じです。



というわけで、句会三部作っぽくなった。

句会は楽屋・ワークショップ
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2016/12/blog-post_14.html

葬り去る句 句会の濾過機能
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2016/12/blog-post_15.html


2017/05/13

■土竜と鍵盤 『豆の木』第21号より

もう鍵盤がない息のない土竜  宮本佳世乃

ピアノの鍵盤は通常88鍵。下はA、上はC。その範囲の外に行けば、「もう鍵盤がない」。

と解釈してみるものの、この句の前半が言わんとすることに近いかどうか心許ない。よしんば音域の話だとしても、だから何という明示はない。

けれども、この欠損の感触は、妙に身体に来るところがある。

「息のない土竜」の「息」は、声を媒介としてピアノとつながるといえばつながる。超低音域・超高音域まで行かなくとも、声や息が鍵盤についていける範囲は知れている。ここでも、不可能や欠損のイメージに覆われる。

けれども、息の話ではなかった。息絶えた土竜がごろりと転がっている。

俳句の描写がもっぱら対象としてきた景や感情とは別のものが、この句にはあるような気がして、アタマを離れない句。

対句に近いが「ない」の用い方でズレをつくっている趣向も、なかなかにオツ。


なお、宮本佳世乃の連作「おはやう」には、ほかに、《素数から冬の書店に辿りつく》《口中に光る雲雀の落ちてくる》など、いわゆるわかりやすさ・意味了解性を忌避する/から自由であろうとする句が大半。いずれもおもしろく、作者のこのところの充実ぶりが伝わる。しかしながら《鍵盤と土竜》の句に比べて、どこか既視感が漂うのは、前者が「素数」という概念の擦り切れ感、後者が季語の負の働きによるものか。

ついでに言うと、無季の句、

二階建てバスの二階にゐるおはやう  宮本佳世乃

は、田島健一《西日暮里から稲妻みえている健康》を思い出さざるを得ない作り。バカバカしいまでの健やかさという点で、勝るとも劣らず。


掲句は『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

【参考】土竜の句
http://hw02.blogspot.jp/2013/03/blog-post_14.html

2017/05/11

■湖のこと 『豆の木』第21号より

近づいて消えるみづうみ靴の底  山岸由佳

逃水の言い換えとも読める、この「近づいて消えるみづうみ」。「近づくと消える」ではなく「て」という軽い切れでつながれているので、散文的な意味の連なりから、すこしずれる。

いずれにせよ、湖が消えるという事態は尋常ではなく、そうした幻想的な事象のあとに来るのが「靴の底」。親しくカジュアルなブツは、前半との対照であると同時に、「近づいて」を受けて、主体の動きを強調する。

この「靴の底」、いいですねえ。

あるいは、スヴェン・ヘディン『さまよえる湖』で知られるロプノールもちょっと連想したりして、その場合も、「靴の底」へと、はるかなものから足下へと帰結する瞬間が、とてもおもしろいのであります。

掲句は『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

2017/05/10

■ソクラテスから人工知能へ 歌仙「自転車」解題〔4〕

七吟歌仙:自転車の巻

承前

さて。ちょっと間があいてしまいました。

恋から離れるところからです。

剝製のやうに無害なソクラテス  

前句《ふたりで金の孔雀を飼はう え》の孔雀から剝製。「やうに」ではなく、ソクラテスが無害な剝製になっちゃう、という作りでもよかったですね。

そういえば、根津から本郷方面へと降りていく坂の途中に剝製屋がありました。さすが東京大学のそば。由緒のある会社らしいです。

防腐剤から望月こぼれ  

秋・月の座。「剝製」から防腐剤。月から防腐剤がこぼれるという作りにもできますが、ここでは防腐剤から月。袋から満月がひとつころんとこぼれるようで、オツ。

猿酒を譲つてくれるかものはし  

なぜ、かものはしが猿酒を持っていたのか? 謎です。

謎はだいじ。とりわけ歌仙では。

長椅子にぽつねんと虫売  

「譲る」から、席、椅子。虫売りは、いつでもどこでもあやしいので、便利。歌仙のおけるユーティリティ・プレーヤー。「ぽつねん」はあまりに擦り切れた措辞ですが、まあ、許していただくとして、いよいよ、名残裏に突入。

歩を成らす人工知能負かすため  

長椅子から縁台将棋を発想。AI棋士は時事的でもあります。

(つづく)

2017/05/04

■甘酒プリン、および文フリ出展のお知らせ

最近の嫁はんのブームは甘酒。


ショットグラスでぐびっとひとくちで。

このブーム、いつまで続くことやら。

でもね、大正屋醤油店のこれ、ほんと、美味しいんですよ。



『蒸しプリン会議』は「文学フリマ」向け緊急出版。B7判(91×128 mm)・8頁の小さな冊子。頒価100円。

某日、これを自室で作る。レイアウトして安物のインクジェットプリンターで出力して、折って切って畳んで。

太田うさぎ、岡野泰輔、荻原裕幸、小津夜景、西原天気、鴇田智哉(アイウエオ順)という謎の構成メンバー。

だいたいにして「蒸しプリン会議」という名称がヘン〔*〕、冊子の体裁がヘン。掲載句もみんなちょっとヘン。

なお、5月7日(日)当日、週刊俳句のブースには、生駒くんと福田きゅんがほぼ常駐。私は開店の11時と閉店・撤収の17時には確実にいます。

17時以降、打ち上げを兼ねて、その場にいる人と句会・飲食がしたい。気が向いたら、17時の前に、会場へ、週俳ブースへ、おいでください。いっしょに遊びましょう。


〔*〕この名称、かなり好いております。

2017/05/03

■夏が

駅裏のへんな形にからまった自転車を見て泣いたはつなつ  佐藤りえ

夏が来ますねえ。

掲歌は佐藤りえ歌集『フラジャイル』(2003年11月/風媒社)より。


2017/04/30

■文フリ?

皆目見当がつかない新しい文化/文化流行というものが多々ありまして、「文学フリマ」もそのひとつ。

今年、週刊俳句も出展する運びとなり。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/04/57.html

興味津津で出かけます。


2017/04/29

■おはぎ日和(きなこ)

曇ってようが雨降ってようが、曲名(曲じゃないけど)はぜんぶ「~日和」。

2分43秒。ボリューム注意。+リズムボックス君。指弾き。E9th(ホ長調)。めざせ、ファンク。

2017/04/28

■梅と干満 『面』第121号より

梅ひらき干満ひそかなる敷居  渋川京子

梅と海からは、金子兜太の有名句に思いが到る(俳句愛好者の多くがそうだろう)。この句では、敷居(内と外の閾)が汀。梅ひらく「外」と家たる「内」。その境界に「干満」がある。現実とマボロシのあいだをしずかに往還するような句。

掲句は『面』第121号(2017年4月1日)より。

2017/04/26

■妖しい 鴇沢正道『トランス★フォルム 変換』

緑陰に少年は一本のフルート  鴇沢正道

秋風や罰の如くに蒙古斑  同

毬に化けてしばらく温き幼女かな  同

この3句だけを抜くと誤解を与えるかもしれない、と言いたいところだが、鴇沢正道『トランス★フォルム 変換』は、たしかに妖しいところのある句集。上掲一句目の隣には《夏痩せの少年抱けばシャボンの香》もありますし。

作者は1932年生まれ。第一句集のこの本の後半には論考も収められ、とりわけ「文学の中の数学用語」(およそ30p)は、俳句に多く見出される「ベクトル」等の用語にまつわる話題から、フランス現代思想での、言ってみれば安易な数学用語の援用(濫用・誤用)への科学者の批判(ソーカル事件)まで、広汎な視野。たいへん興味深い論考。

ついでに、ここに引かれた「数学俳句」も。

南柯がぽあんかれーらいすで恵比寿る  加藤郁乎

亀鳴くや双子素数をゆりかごに  鴇沢正道


2017/04/20

【お知らせ】4月のくにたち句会

2017年4月30日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。

2017/04/17

■とある四月の日曜日、暑いくらいの陽気のなか、週俳10周年記念オフ会に


足元にこだわりました。誰も見ていないところなので、そこに。

いつおろそうか考えていたグレーの靴。スエードだけど冬の感じじゃない。で、この日に。



承前

昼間の歌仙のお手伝い。誰が集まるのか把握していなかったのですが、若手の精鋭たちとオトナひとり(りえさん)を連衆に得ました。哲郎さん(なむさん)の捌きは、若い連衆の迸る才気を懐深く受け止め、なんということでしょう、終了の17時まで時間を少し残して、巻き終えました。

「挙句まで行きたいが、きっとムリだろう」と考えていたのですが、その予想・願望を成果が上回った。

この歌仙の模様は、週俳の来週号で。



懇親会ではいろいろな人にお会いできましたが、ご挨拶しそびれることも多く、そのだんの失礼はご海容いただきたく。


2017/04/15

■明日16日は『週刊俳句』創刊10周年記念オフ会

お知らせはこちら↓
http://hw02.blogspot.jp/2017/03/10416.html

参加表明なしで、ふらっと寄っていただいてかまいません。



昼間の連句(歌仙)は、佐山哲郎さん(烏鷺坊さん)を捌きにお迎えして、私は補佐します。別室で同時開催のいろんな句会も覗かせてもらおうと思っております。

あとね、句集とか置いています(販売なわけです)。

各著者からウチに送ってもらった句集たち。箱詰め途中↓

現代俳句協会が4月22日(土)にやる勉強会で取り上げる句集(『ただならぬぽ』『虎の夜食』『然るべく』『フラワーズ・カンフー』)。フラカンはサイン入り。

関悦史さんの最新刊2点、『花咲く機械状独身者たちの活造り』『俳句という他界』。

金原まさ子さんの『カルナヴァル』は、信治さんと私が編集した関係で置かせていただきます。

連句でお世話になる佐山哲郎さんの『娑婆娑婆』。

週俳が作った本3点、『俳コレ』『子規に学ぶ俳句365日』『虚子に学ぶ俳句365日』。それと、拙句集『けむり』(手元の残部僅少)も。

(上田信治さんの句集が間に合わなったのが、個人的にひじょうに残念)



あとは夜の懇親会に持ち込むワインなどを買えば、準備完了。

2017/04/13

■土手の桜


多摩川土手。福生付近。

2017/04/11

■コシノビルから孔雀へ 歌仙「自転車」解題〔3〕

七吟歌仙:自転車の巻

承前

私たちは産業革命以降の世界に生きているわけです。これは、じつに、もう、ほんとに。

  鉄球にびくともしないコシノビル  え

前句の羊から、「囲い込み」、さらに鉄へ。歌仙「自転車」は、名残表に突入。

コシノビルはデザイナー姉妹の自社ビルにも思えるし、地方の小ぶりなテナントビルにも思える。腰が強いという連想はさておくとして、鉄球でのビル解体、まだ実際に目にしたことはないのですが、壮観だろうなあ。



  重力の罪深き木星  之

鉄球から重力へ。鉄球も木星も球体だから、ここはツキスギだったかも。

さて、木星は「柄」的にかなり好きな星。重力についてもちょっと調べてみましたが、いろいろありました(よくわかっていないときの常套句「いろいろ」)。「罪深き」という語の古色蒼然ぶりがオツ。

  たはむれのはじめにめくるカレンダー  乙

木星からカレンダーへ、すっきりとみごとな付け方。シンプル(付け筋が明白)でいて、場面展開に軽い意表。

付け方はいろいろあるのですが、個人的には、ひとりの頭の中の連想を複数重ねるような、伝言ゲームで数人を経るような、ややこしい付け方は好みません。外部にあきらかなゲーム進行が好みです。

なお、「たはむれ」の部分は、具体的に何のはじめかを示す手もあったと思います。

さて、そこから突然、

  褌みせてくれるんでせう  オ

恋の座、それもBLの座。予定外でしたが、捌きとしては予定外は大歓迎。流れのままだと、歌仙ってつまらなくて、事件・事故があったほうがいい。

  汝が胸に吾が息 とほく泳ぎきて  気

ちょうど私の番だったので、思いきり愛し合ってみました。

  涼気を運ぶ短波放送  鯨

「遠」あるいは海から放送(英語 broadcasting が含む broad の部分が好きで、放送の翻訳語はここが欠けてるよなあと、いつも思います)。

恋の座のあとは、恋の気分を引きずらず、別の空気を持ってくるのがいいのですが、「涼気」はそれにかなっているような、別のほうがもっと離れるような。このへんのあんばいはむずかしい。また、個人の判断。

  恋文にじらさないでとだけ書いて  景

で、またすぐに恋、こんどはヘテロで、という捌きからの要望に、いっけん慎ましい。でも、これ、恋文という仕掛けがそう見せるだけで、内容は、ぜんぜん腰が引けていない。

  ふたりで金の孔雀を飼はう  え

恋の返しとして、ちょっと身をかわして、それでも前向き。この恋は結婚まで行きそうです。「金の孔雀を飼う」はどこかの国・どこかの文化のイディオムみたいな趣き。良い意味で虚構的な味付けがふんだんに施されました。

(つづく)

2017/04/10

■はがきハイク・その後

もともっちゃん、ありがとう!

https://twitter.com/anata_omaeda/status/847750751866597379

皆さんから、たくさんのお便りが。


はがきが届くと、はがきを書きたくなる、というのは、やはりあるみたいです。スネイル・メールもまた愉しき哉、であります。

余談。タイトルの「ねむれ巴芹」は、4句目から取ったものとお考えの方が多いようですが、逆で、タイトルを決めて、それから、それ含みのこの句をつくりました。「はがきハイク」はタイトルをまず決めて、ということが多いのです。数秒でつくったこの句が他に比べて人気が高いのは、皮肉というか、俳句はそんなもの、というか。

2017/04/09

■ぼやぼやカレーパン

ギターを買ってから15か月が過ぎましたが、まだ続けております。

習い事ができない性分で(単に怠け者)、運指がどうのこうのと言われても、そんなもんいまさら動かない。ピッキングという技術はとても重要で、難しいのですが、あるとき、「ピックを使わないのも面白い」と、妙なことを思いついて以来ずっとピック無し(最近、ピックの練習も始めました)。つまり、この年齢になって、楽器を楽しむのに、きちんと習い、きちんと練習するのももちろん素晴らしいのだけれど、それは人による。自分は、万事がそうですが(俳句も、そう)、テキトーで気ままがいい。

1 カレーパン日和

晩御飯の前に20分ほど、嫁はんと合わせました。時間は、これを超えると体力が持たない(自分でもびっくりするくらいひ弱)。

老後の娯楽として、晩飯前セッションというのは、わりあい良いのではないか、と。

キーだけ決めて(これはD)、嫁はんが好き勝手に始めて、私が適当に合わせるという段取り。セブンスっぽく伴奏を付けたら、嫁はんのほうが合わせてくれた。めざせ、ファンク。

いわゆるその場のアドリブですが、曲名があったほうがいいので、「カレーパン日和」にします。夜にやってるけれど、日和。ついでだから、フリー動画ソフトでカレー色にしてみました。




2 ぼやぼや日和

少し前(この1月)、ひとりで遊ぶのにちょっとステキなコード進行を思いついたつもりでいて、よくよく考えてみると、40年前にやった「Take Me With You」(サンタナ)のキー違いだった。「これがボケるということか?」と、ちょっと怖い思いを味わった一瞬でした。

曲名は、いいのが思いつかない。「ぼやぼや日和」(仮)。全体にぼやっとしてます。ぼやっと暮らしています。




3 Take Me With You

ついでだから、元曲を合わせてみましょうか、と、嫁はんにコード進行とリズム、4小節ぶんのテーマを説明。いきなりでも、サマにしてくるのがすごいなあ、と、音楽教育を受けていない私などは思うですよ。

2017/04/08

■あまり変わっていなかったりする




2016年8月28日 10時15分 撮影 ↓



2017/04/06

■失われた夏 『や』第70号より

バス降りて昔の道が炎天下  関根誠子

バスという日常的な言いぶりからすると、「昔の道」とは個人の記憶の中の道をさすのだろう(史跡や歴史的街道ではなく)。

夏、とりわけ炎天と懐旧が結びつくと、感慨は濃く深くなる。

(夏って、なんであんなになつかしく、また喪失感と直結するのでしょう?)


掲句は『や』第70号(2017年3月10日)より。

2017/04/05

■寂聴から羊毛へ 歌仙「自転車」解題〔2〕

七吟歌仙:自転車の巻

≫承前

第八句と第九句は、恋の座。

  いまふられたら寂聴になる  オ

寂聴には吃驚。次に付ける/恋を返すのは私でした。寂聴になられちゃあかなわないので、最大限の契り。

  離さない死ぬまでもとい次の世も  気

恋のセリフは既製品が多い。独創もいいけれど、伝統は尊重すべき。


はからずも、オーティス・レディングで踊る瀬戸内寂聴を頭に描いてしまい、とってもファンキーな気分になりました。

さて。

  宇宙の塵をさらふ蜘蛛の囲  鯨

恋の座からきれいに離れていただきました。「離さない」から蜘蛛の巣は巧み。

  はつなつの下宿でめくるトムキンス  景

宇宙からトムキンスはやや近いのですが(かつ、前句の種明かしのようにもなり、その点、少々まずいのですが)、下宿という外界中の外界にまで降りたところがよかった。

  神田川から酔拳の声  え

下宿と言えば、神田川。ですが、作詞:喜多条忠/作曲:南こうせつ、発売は1973年。りえさんはまだ生まれてなかったのでは?

そこでまったく余談的に思い出すのが、りえさんの「俳人と南こうせつは、妹といえば必ず『妹よ』」という名言・名指摘(たしかツイッター)。俳句で「妹よ」と出てくると、げんなりします。

私は下宿経験がたんまりありまして、最初は四畳半・家賃8,500円。寒かったですよ。石鹸ではなく歯が鳴りましたよ。

閑話休題。次は、冬・月の座です。

狙撃より確かで冴えてゐる月の  之

前句の酔からは、月の宴全般、いかようにも付くところでしたが、ここは酔拳から狙撃。「の」止めも次を促す、連句特有の収め方かもしれません。

俳句ではやらないようなことをやるのも、連句の楽しみ方のひとつですね。

  凍土の中を進むマンモス  乙

月の座、花の座のあとは、その季を2句ほど続けるのがマナー。狙撃対象が象牙目的の密漁ならぬマンモスというわけで、凍土とマンモスで手堅い冬の句。「中」がミソで、化石が動き出す感も漂います。

  留置所で教へてもらふのりピー語  オ

「いただきマンモス」って、もうみんな忘れているでしょうけれど、思い出せてよかった。ちょっと調べてみると、酒井氏の拘留期間はおよそ20日間だったみたいです。長い。司法制度、見直さないといけないですね。取調官がのりピー語を習得するのには充分な期間ですが。

  三日三晩を汽船に揺られ  気

三日三晩は72時間。勾留期限でもなく、なんでこれを付けたか、忘れました。捌きがいちばん無責任でちゃらんぽらん。

  国産みの火山にかかる花の雲  鯨

汽船の蒸気から火山。巧み。火山神いざなみの登場から、

  まづ新婦から羊の毛刈る  景

晩春の季語をもってきた新婦のこの行為、ほんとにどこかの儀礼にありそうで、おもしろい。そういえば、ニュージーランドも火山国ですよね。

ここまでで初折の表と裏が終わり、名残に突入です。

’(つづく)

2017/04/04

■俳句におけるカタカナとルビ

小津夜景さんが拙作「るびふる」の全句に言及という、おそろしいことをしてくださいまして。

http://yakeiozu.blogspot.jp/2017/04/blog-post.html

(大感謝であります。これであの10句も浮かばれます。往生できます)



カタカナはともかく〔*1〕、俳句にルビは、ないに越したことはない。

よほど差し迫った事情がないかぎりは。

難読語に振る、別の読み方をされては困るので振る、などが差し迫った事情でしょうか。

ルビは気軽に振ったりしちゃダメ。ルビは俳句にとって通常のものではない〔*2〕。だから、思いきり不自然に、過剰に(バロック的に)やってみたのが「るびふる」。

10句、まとめていて、楽しかったですよ。悪さをするって、いつでも楽しいものですよね。



〔*1〕コンビニとかよく例にあがるんですが、カタカナ語とは別に略語という問題があります。

「略すな。コンビニエンスストアと言え」「電卓は俳句では使えない。電子卓上計算機と言え」みたいな頑固親父な発言、わりあい好きです。

〔*2〕要らないルビのエピソード:
むかし結社的な句会に出ていて、清記用紙に「亡母」に「はは」とルビがあった。最悪。…なんて思いません。心清らかですから。でも、見渡して、お母様がご存命と思しき年齢の方はいらっしゃらない模様(ベテランばかりの句会だった)。「亡母なんて書かなくても、皆さんを見たら、わかりますがな」と心の中でツッコミを入れたことでした。

あと、「地球」に「テラ」のルビは竹宮恵子先生以外、やっちゃあダメだぞ。



https://www.jagat.or.jp/past_archives/content/view/3932.html

2017/04/03

■自転車からきのこへ 歌仙「自転車」解題〔1〕

七吟歌仙「自転車」を振り返ってみたいと思います。

http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/04/blog-post.html

なお、付け筋etcは私の解釈。おおまかなルールやノリも私が親しくしてきた歌仙に準じたもの(私は四童さんところで歌仙をおぼえたので、「四童流」と言っていいでしょう)。異なる見解もあるものとして、おしゃべりにお付き合いください。

発端は、これ。
https://twitter.com/10_key/status/830064468742721537

「連句未経験」というユキオに「じゃあやりましょう」とお誘いして、発句をいただき、歌仙が始まりました(連句と歌仙の違いについてはググってね)。

初折表 自転車で空港へゆく日永かな  ユキオ

自転車好きの私への挨拶も含むと勝手に解釈。愛車の写真を貼っておきます。



1998年製。色はチェレステ(空色)。空港にぴったりじゃないですか。

場所は多摩川の土手。このまま川を下って川崎まで行けば、羽田空港はすぐです(まだ行ったことがないけど)。

で、脇句。

  東南東の風をおでこに  天気

脇は同時刻・同場所で付けます。付句は全体に前句から展開させます。くっついてちゃダメ。そんななか、脇句は例外。発句に向かって「いらっしゃいませ」と挨拶するので、寄り添う。

東南東の風は、ほぼ東風(こち)と解してください。有季です。俳人協会の人、聞いてる? これ、有季です。

「おでこ」では、ユキオさんのかわいらしいおでこを思い浮かべた。ユキオさん、聞いてますか? ここ、喜ぶか照れるかするとこです。

さて、3人目以降の連衆は公募スタイルにしました。「どなたでもどうぞ」と呼びかけたところ、

  黒猫は麻雀卓をぬけだして  牟礼鯨 

第三句は、発句脇句の挨拶の応酬から離れます。みごとに離れていただきました。アウトドアからインドアへの転換もそうなのですが、自転車や空港の開放感から、小博打、黒猫の凝縮感へ。

「て」止め(ほかの止め方も含め)、勢いを付けるという意味。「さあ、行くぜ」って感じですね。

  洋梨パイの焼き上がる頃  夜景

麻雀牌の「牌」からパイへ。言葉遊び(ダジャレ)系の付け方、私は大好き。音の相同=シニフィアンの相同をテコに、シニフィエの飛躍を狙う(ここ、笑うとこです)。攝津幸彦も多用した手法。

  月代を盛るにはうすい玻璃の皿  りえ

焼きあがったパイが皿へ。月の座、うくつしい。

  蘆刈る舟のものがたりせむ  若之

皿と舟。かたちの相同。「ものがたりせむ」は歌仙的想像に加速を促すとも。

初折裏 アイコンのきのこが熟す指の先  紫乙

「アイコンのきのこが熟す」はビデオゲームを思わせ、物語と響き合っています。
 
これで連衆が出揃い七歌仙となりました。

(つづく)

2017/04/02

■具ふたつ

炒め物は、具ふたつが良い、という結論に達しました。つまり、みっつ以上にならないのがいい(私的、かつ例外ありそう)。

クレソン+ベーコン。


2017/04/01

■七吟歌仙:自転車の巻 満尾

歌仙「自転車」会場

初折表 自転車で空港へゆく日永かな  ユキオ
      東南東の風をおでこに  天気
    黒猫は麻雀卓をぬけだして  牟礼鯨
      洋梨パイの焼き上がる頃  夜景
    月代を盛るにはうすい玻璃の皿  りえ
      蘆刈る舟のものがたりせむ  若之
初折裏 アイコンのきのこが熟す指の先  紫乙
      いまふられたら寂聴になる  オ
    離さない死ぬまでもとい次の世も  気
      宇宙の塵をさらふ蜘蛛の囲  鯨
    はつなつの下宿でめくるトムキンス  景
      神田川から酔拳の声  え
    狙撃より確かで冴えてゐる月の  之
      凍土の中を進むマンモス  乙
    留置所で教へてもらふのりピー語  オ
      三日三晩を汽船に揺られ  気
    国産みの火山にかかる花の雲  鯨
      まづ新婦から羊の毛刈る  景
名残表 鉄球にびくともしないコシノビル  え
      重力の罪深き木星  之
    たはむれのはじめにめくるカレンダー  乙
       褌みせてくれるんでせう  オ
    汝が胸に吾が息 とほく泳ぎきて  気
      涼気を運ぶ短波放送  鯨
    恋文にじらさないでとだけ書いて  景
      ふたりで金の孔雀を飼はう  え
    剝製のやうに無害なソクラテス  之
      防腐剤から望月こぼれ  乙
    猿酒を譲つてくれるかものはし  オ
      長椅子にぽつねんと虫売  気
名残裏 歩を成らす人工知能負かすため  鯨
      虹のむかうに靴放り投げ  乙
    牛頭馬頭とヒッチハイクで品川へ  え
      もつとひかりを(レモンヱロウの)  之
    剝落の花となりたるフレスコ画  景
      千年かけてふらここを漕ぐ  オ

起首 2017年2月16日 19:00
満尾 2017年3月31日 13:17

2017/03/31

■コシヅカのコンビーフ+春キャベツ


最強の組み合わせでござんした。

いっしょに炒めるだけ(若干手を加える、そこは嫁はんに訊いてくれ)。


ブログに食べ物の写真を上げるようになったら、末期的。でも、すでに末世だからオッケー(これ、前にも言った)。

2017/03/30

■卒業 『なんぢや』第36号より

くにたちには大学通りというものがあって、大学通りというくらいだから、この時期、卒業式を終えた大学生をよく見る。男の子たちのイタにつかない背広姿、女の子たちの袴スタイル。

卒業の土手のはるばるあることよ  太田うさぎ

その特別な日、土手にいるなんて、なんてさわやかで晴れ晴れとした卒業でしょう。

ケレン味ゼロの、気持ちのいい句。

この句の卒業は、大学生ではないですね。もっと若い。大学卒業の時点で、はるばるといした土手なんて、もうすでに残っていないかも。

…なんてことを言うのは感じが悪いし、この句の土手が喩えみたいになっちゃいますね。失言でした。


掲句は『なんぢや』第36号(2017年3月10日)より。

2017/03/29

■前島密ふたり+はがきハイク


業界最小最軽量の俳誌『はがきハイク』第16号、リリース。そろそろみなさんのお手元に届く頃と思います。

タイポあります。誤字脱字は愛嬌。

あっしのタイトルは、ode to 金子光晴。

『はがきハイク』はこちらから勝手に送りつける御挨拶のようなもの。送り先の漏れは多々。届かないときは、「おい、こら、来てねえぞ。送れ」とゆってください。
tenki.saibara@gmail.com

見たことがない、興味がちょっとあるよ、という方も、同じメールアドレスへどうぞ。


【お願い】
はがき「全面」の写真、画像キャプチャー等を、ネット上に載せるのはご遠慮くださいますようお願い申し上げます。

理由は、

 恥ずかちいから。

というのはウソで、

1 はがき大という寸法の関係から全文引用(こんな語はない。転載ですな)になってしまう。

2 おひとりおひとりにお送りする意味がなくなる。それなら最初から私らが画像をネットに掲載すれば済む話で。

なんか、送りつけておきながら、こんなお願い、恐縮ですが、なにとぞよろしく。


なお、引用は大歓迎。

この句、好き、とか、叫びまくっていただきたい。句も私も喜ぶ。

2017/03/26

■ルジャドーゼ・オドローゼ 3月下旬の消息その他

ウラハイに「るびふる」10句を寄稿。

イロモノ、企画モノのたぐいですが、本気です、正気ですので、ご心配なく。


ひとつ、手術の句は17音にこだわりすぎました。

手術してもらふ紫雲英田のまひる と五六五(八八)のほうがよかった。入稿直後に改稿、痛恨。


本誌トップ写真は函館の早朝。

この直後に撮った写真。


2017/03/24

■桜

月満ちてゆく枝に花満ちてゆく  下坂速穂

美しいグラフィック。まるで花札のような。

掲句は『なんぢや』第36号(2017年3月10日)より。 


2017/03/23

■ジプシー



紙巻タバコはほとんどやりませんが、たまに気が向いたら買う。この日、かまやつひろし追悼でゴロワーズを買おうとして、隣にあったジターヌを。

なお、公共の場所での分煙には大賛成。家庭内分煙は、個々、家庭の問題。

なお、ジプシーは日本の放送/出版業界では差別語扱い。ロマって呼ぶ。

■新しい眼鏡ケース

チョコレートを食べ終えて新しい眼鏡ケースに。

2017/03/21

■「ねじ」について 『川柳ねじまき』第3号(2017年1月15日)より

「ねじを巻く」という言い方、あまりしなくなったような気がしますが、「ねじまき句会」という名称は、怠け者の私にはよくわかる。ふだんだらだら過ごしているが、ここはひとつアタマをしゃきっとさせて、句をつくろう、句を読もうという感じ。

ただ、一方で、ねじが1本抜けた句がよい(小川軽舟さんが言っていた)。

ねじがぜんぶきちんと締まっている句は、「がんばってる」句ではありますが、コクやら広い意味での面白みが足りない。

川柳は、どうだろう。

ねじが1本抜けた川柳、ヘンな締め方のしてある川柳、ねじの曲がった川柳が読みたい。



以下、『川柳ねじまき』第3号(2017年1月15日)より、御一人様御一句。

ふくろうとまめでんきゅうが鳴き交わす  なかはられいこ

安売りのチラシの上を走る8  中川喜代子

納豆の糸をひらひらさせちゃって  瀧村小奈生

きつねにばかされないようにいっぷく  妹尾凛

クリストファーと名付けたくなる朝がある  魚澄秋来

全面表示画面で覗く臍の底  安藤なみ

夕焼けにバケツを鳴らすウルトラマン  犬山高木

あの家も曇りときどき無計画  青砥和子

元彼が静脈瘤で待っている  米山明日歌

声になる手前の笑い桑畑  八上桐子

明朝体コチョコチョしても笑わない  三好光明

柿の木から落ちた客室乗務員  丸山進

もはやもう紅組でさえない幸子  猫田千恵子

雨脚のだんだん強くなる頭  二村鉄子



2017/03/19

■無事終了

≫嫁はんがライブやるです
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/03/blog-post_1.html
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/03/blog-post_48.html

たくさんの方に来ていただきました。ありがとうございます。

1 嫁はんが書いたプログラムの曲目紹介、とくに「動物の謝肉祭」が好評。

2 2台ぶんの響きは、やはり豊か。

3 最後の「カルメン」で、嫁はん、弦をぶち切る(私がステージを観た範囲で今回が三度目)。切れたまま、アンコールの「月の光」。

4 終演後、俳句関係の皆様と居酒屋。吾郎さんが事前に店を決めておいてくれる。さすがその道のプロ。


2017/03/18

■夜桜のこと 加田由美句集『桃太郎』の一句

夜桜も夜桜の図も音あらず  加田由美

現実とその写しの繰り返しによって夜桜の姿かたちが強調され、音を排除することで、視覚要素がさらに際立つ。


桜はもうすこし先ですが。


掲句は加田由美句集『桃太郎』より。



≫過去記事:おなじものとちがうもの

2017/03/17

■ハガキ、届く。

もともっちゃん、ありがとう。


2017/03/16

■明日に迫った嫁はんのステージ

嫁はんのピアノデュオリサイタルがいよいよ明日に迫り、プログラムをつくる(いつもながらいわゆる夫婦の仁義)。

原稿は演奏者のお二人。校正(変更)が多いので、フライヤーデザインの亞子さんのお手を煩わせず、あっしがMSワードで作り、プリンターでじーこじーこと印刷。


杉並公会堂小ホール
2017年3月17日(金)18:30会場 19:00開演


2017/03/14

【お知らせ】3月のくにたち句会

2017年3月26日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

句会後の飲食もよろしければどうぞ(会費アリ)


初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。

2017/03/13

■土砂降りの巴里 『丘ふみ游俳倶楽部 百五十号発刊記念句集』の一句

レコードの傷の土砂降り巴里祭  秀子

アナログ盤のスクラッチノイズはたしかに雨の音です(レコードが終わった後の音=雨、といった句を作ったことがある)。

この句は、雨どころか、土砂降りとまで言い切った。振り切れています。

季語・巴里祭からすると、シャンソンの古いレコード。革命記念日(7月14日)だからといって勇ましい曲と限定することもないでしょう。

掲句は『丘ふみ游俳倶楽部 百五十号発刊記念句集』(2017年2月)より。

土砂降りの映画にあまた岐阜提灯  攝津幸彦

こちらは視覚の雨。

2017/03/12

■今井委員待たねえし無季認めねえし 俳人協会新人賞の選考がおもしろい 

俳人協会報を紹介した神野紗希さんのツイートに反響。

無季への絶対的ダメ出し、カタカナへの相対的/場当たり的なダメ出しは、ずっと変わらず繰り返されてきたこと。それへの疑問・批判を含め、ほぼ定期的に話題にのぼる(≫参照)。

保守的(とはほんとは言えないんだど)で旧弊な規則遵守の態度、それへの拒否反応・批判。この双方にいまさら感は否めず、後者の硬直化がむしろ心配(カジュアルな寛容主義って排他主義・厳格主義よりも受け入れられやすいしね)。カギ括弧付きの「伝統」をめぐる見解や感想の対立は、常態化というより儀礼化した感。

個人的に、ツボは、むしろ「遅刻の今井委員を待たず選考」の部分。

へえー、待たないんだ。ちょっと吃驚。

ふつう待つでしょ?

俳句以外にすることなくも暇な(憶測です)老人たちなのに? と言ったら叱られるかもしれないけれど、交通渋滞の遅れくらいは待つでしょ?

(で、今井聖さん、その後、どうだったのだろう? こんど聞いてみよう)

つまり、きっと。

有季定型や外来語にまつわる判断基準も、定刻どおりスタートも、「考えるのがめんどう」だから、決めたとおり、ということなのでしょう。

めんどうなら、賞とかやめればいいのに、協会も解散すればいいのに、と思う。こういうことのほうがよほどめんどうそう。


くわえるに、待たなかった理由に「今井委員がいたら、めんどう」というのもあったんじゃなかろうか(憶測です)。

2017/03/11

■人はあまり読んではいない

朝日新聞に小津夜景さんの12句「胸にフォークを」。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12831866.html
(やがてリンク切れになるでしょう? 新聞記事って)

なかなかに自由奔放な12句。

それはそれとして、読んだ(見た)人の反応として、記事に付された著者近景〔*〕を見て初めて、夜景さんが女性であることを知った人もいらっしゃるようだ。

ということは、彼らは、角川『俳句』3月号も、北海道新聞のエッセイ「かもめの日の読書」も、『週刊俳句』の新春対談「〈身体vs文体〉のバックドロップ 格闘技と短詩型文学」も、夜景さんのブログも、どれも読んでいない。

あんがい(というかあんのじょう)、記事は読まれず、人名とその作品が世の中を漂うわけです。これは、読まないのはダメといった話ではなく、また今回個別の事情でもなく、記事というもの、全般に、あまり読まれていない。

書く→載る→読まれる、という過程と結果は、ともすると、自然に進行するように考えがちですが、誰かに読まれるという成果へと達するのはきわめて困難なことなのですね。



このところ、俳句について何か書くとき、「どうせそんなには読まれない」と、気楽に考えるようにしている。これは自分にとってはポジティブな方向性。

同時に、「前に書いたことがあるから」といって書かないでおくということもしないようにしている(このことも前にどこかで書いた)。「前に書いた」ものを読んでいる人はごく限られている。何度同じことを書こうが、初めて読む人がいる。

なお、読まれないから品質はどうでもいい、という話ではありません。書く以上は、どんな戯言でも片言でも、その時点でめいっぱいのベスト。


〔*〕この著者近影、私がお会いした夜景さんとはちょっと感じが違う。この写真だとしっかりした人みたいに見えますが、私の記憶では、いつ見ても道草くってる、あるいはわざと迷子している子どもみたいな人、という印象。明晰な散文とのギャップに驚く人は多いと思います。きっと、写真とは、いろいろな写り方をするもの、ということですね。

■田老と宮古〔震災以前〕



2017/03/10

■又読み

「又聞き」ならぬ「又読み」をすることが、俳句には多い。

俳句雑誌や句集を読んでいなくてもレビュー・評論に引かれた句を私たちは相当数読む。

掲載誌の連作を読む、句集本体を読む、レビューを読んで興味がわいて入手する、といった行動をとるのが良い読者、という見方もあるが、又読みも、カジュアルに句に接するという点で、それほど悪いことではないと思う。

外形的・量的にコンパクトな俳句は、とりあえず、作るに易く、発表するに易く、読むに易い。前二者についてはちょっと立ち止まって考えてみる必要があるが、手軽に読めるのは俳句の良いところでしょう。

と、ここまで書いて、俳句がなかなかマネタイズしないのは、このへんも関係がありそう。

例えば小説は、レビューを読んで面白そう→本・雑誌を買う、という行動は起きやすい。俳句は、そういう流れにならないんですね。又読みで済んじゃうところがあるから。

まあ、マネタイズなんて卑俗なこととは無縁に遊べる、というのも俳句の良いところでしょう。

2017/03/09

■夏蜜柑は春の季語

お向かいのミワタさんからいただいた夏蜜柑のマーマレード。

遠い親戚よりも、料理のじょうずなご近所、ですね。


2017/03/07

■岸辺のシロー 『川柳ねじまき』第3号から

『川柳ねじまき』第3号(2017年1月15日)より。

電柱と岸辺シローは出会えたか  なかはられいこ

どうだったのだろう? 出会えたのか? と必要以上に親身にマジメに「結果」に思いをはせてしまうのは、どうしてだろう。

掲句は「岸辺」。岸部シロー(岸部四郎)の岸部とは字が違う。けれども、どうしたって「きしべ・しろー」は彼のことなのだ。

(岸辺の用字は、水際の危うさを呼び寄せる)

岸部シローのことは、ザ・タイガースでタンバリンを手に、隅っこのほうに立っていたときから心配している。私などが心配してもしかたがないことは承知の上で心配していた。

電柱くらいに出会えないはずがない、きっと出会えたはず。そう思いたい。


なかはられいこの20句作品「ととととと」には、

魚の腹ゆびで裂くとき岸田森 同

質問の最後に神田うのを置く 同

人名俳句の泰斗として(冗談だから真に受けないように)、目を止めざるを得ないが、これはもう重症化しており、次の見開きの最後の句、

加茂茄子に紺を充填する真昼  中川喜代子

の「加茂茄子」を、「かも・なすこ」と、人名に間違えてしまうという、われながら重篤。

それはさておき、「ととととと」に戻ると、

サイレンと水母いっぱい室内に  なかはられいこ

くしゃみして猫はいっしゅん海になる  同

といった聴覚・視覚のマルチメディアによって、わからないようでよくわかる気がする〈この世の事態・世界のテクスチャ〉を伝える句が心に残りました。  


2017/03/06

■日曜俳句

1 俳句は、たくさん作りたいときはたくさん作る。作りたくないときは作らない。

2 俳句は、手書きで作る。パソコンで(タイピングで)作らない〔*〕

以上2点は、俳句を作ることが「作業」になってしまわないための、自分の中の取り決め。



きほん、句会でしか作らないのですが(かつもっぱら題詠)、このところ、週に一度、日曜日に、句会でも題詠でもなく、ひとりで句を作る時間を持つようになりました。自分でなかば義務化しています。作業的にはなりますが、作業そのものでない。作句スペースは紙1枚。そこから5句をいちおう仕上げる。ちょっと負荷がかかって、新鮮です。



〔*〕メール句会や入稿などは、手で書いたものをパソコンで入力して、それから並べ替えたりはします。

2017/03/05

■至上/最高

巻貝のくるりと至上見えている  清水かおり〔*1〕

巻貝は季語ではないが春の気配がみなぎる句。螺旋のその先はとうぜん至上・至高なわけで。

俳人なら、抽象語の「至上」ではなく、空にまつわる語をもってきそう、と思ったが、

うつうつと最高を行く揚羽蝶  永田耕衣〔*2

「最高」を用いてチョーサイコーの俳句があることを思い出した。


〔*1〕『川柳木馬』第150・151号合併号(2017年1月)

〔*2『天狼』第7号(1948年7月)

2017/03/03

■男雛+女雛+前島密ふたり


雪我狂流さんからむかしもらった豆雛。とてもちっこいけど、おんかんばせは、まことやんごとなき造作。