2017/09/18

■紫陽花が若手俳人のあいだで課題化?

福田若之 〔ためしがき〕自分の書いた句を読みなおす
http://hw02.blogspot.jp/2017/09/blog-post_12.html

こういう自句自解は感心しないけれど、それはまあいいとして、語順については、代替案も含め、どれもそれほど変わらないように思う。

語順によって〈散文的〉〈意味合い〉の差異はわずかに生じるが、〈韻文的〉〈効果〉に大差はない。


それよりも、上掲記事に並んだ紫陽花3句。若い作家3人の有名句。

てざわりがあじさいをばらばらに知る  福田若之

あぢさゐはすべて残像ではないか  山口優夢

紫陽花は萼でそれらは言葉なり  佐藤文香

3句とも、ノリがひじょうに近い。

よくいえば、理知的なアプローチ、悪くいえば、理屈っぽい。

よくいえばリリカル、悪くいえばポエミー。


若手で3人でこのように揃い踏みっぽいとなると、ひょっとして、紫陽花は、楽器の実技試験のおける課題曲のようなものなのでしょうか。

『天の川銀河発電所』あたりで紫陽花の句を拾ってみると面白いかもしれませんよ。

ラヴ&ピース!


2017/09/17

■裏面

画像をクリックすると大きくなります

2017/09/16

■本をあげる

「読み終えた文庫本、なんでもいいから、1冊くれませんか」と知人から言われて、おもしろい頼みごとだなと思った。

「貸して」と言われるよりはるかにいい。

「ください」「はい、あげます」

こういうのがいい。


ただし「なんでも」というのはやはり困る。考えたり探しまくったりしてもラチがあかない気がして、本棚のぱっと見える範囲で、種村季弘『好物漫遊記』。すごい愛読書(漫遊記シリーズはどれも大好きだけどね)。

こんなとき人間て、いまひとつだった本、まあふつうにおもしろい程度といった本は、選ばないみたいですね。

ラヴ&ピース!



2017/09/15

【お知らせ】9月のくにたち句会

2017年9月30日(土)14:00 JR国立駅改札付近集合

いつもは最終日曜日なのですが、今月は異例。

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。


2017/09/14

■深淵についてのきわめてスマートな処理

くろは『有害指定同級生』

  
こういうニーチェ形無しの処理法、好きすぎて、自分でも困ったものだ。

ラヴ&ピース!

2017/09/13

■燃やされたり叩き壊されたり。ギターもたいへんです

いろいろと面白い話が聞けました。

福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第1弾
歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/1_10.html

傍流の話題としてそこに出てくるザ・フーのギター壊し。

大好きなエピソードが『ローリングストーン』誌に残されています。

過去記事■ピート・タウンゼントはギターを壊したかったわけではなく壊してたことを50年後の今知り、ザ・フーを一日中聴いていたい気分になっている
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2014/09/50.html

ギター壊れません↓↓↓

2017/09/12

■その場で鳴っているはずのない季語の話

映画音楽を大きく分けると、ふたつあって、

1 シーンの中で実際に音楽が流れる

2 シーンで現実に鳴っていない音楽が付加される

ごくあたりまえの二分法です。

「1」は、酒場に入るとバンドが演奏していたりカーラジオから曲が流れたり。「2」は、例を挙げるまでもない。宇宙空間でシンセシザーが鳴るわけはないし、短距離走のバックに交響曲が鳴り響くわけはない。けど、そのシーンに音楽が足されたりする。

「1」は、実(じつ)の音。「2」は、虚の音と言ってもいい。

多くの映画は、「1」と「2」の両方が出てくる。

で、『地獄の黙示録』の「ワルキューレの騎行」のように、「1」と「2」の区別をうまく利用した趣向もありうるわけで。

ちなみに、昨日の記事、『ベイビー・ドライバー』は、タイトルバックあたりを除けばすべて「1」という点がとてもユニーク。ほんとシャレてる(昨日にひきつづきべた褒め)。


ところで、この「1」と「2」の区別から、季語へと思いが到ったわけです(俳人か?)。

例えば、上五中七に室内のことが書いてあって、下五がとつぜん「星月夜」、みたいな句は少なくないのですが、あれは、映画音楽における上記「2」と解せばいいのですね。ムードを出している。

場面転換にムリのある句ばかりではありません。いわゆる「取り合わせ」の多くが「2」のように思えてきました。

取り合わせで植物、花が出てくる句は、実際、その場にそれが咲いている・生えている、というより、ムードを出しているケースが多い。忌日や記念日も、そのものが詠まれることは稀で、もっぱら取り合わせ。これなど、ムードそのものです。

季語の使用、「1」「2」の両方があっていいのですが、私自身は、なるべく「2」の用法を避けていきたい所存。これはもう数年とか十数年のもくろみであります。

ラヴ&ピース!


2017/09/11

■最高な映画『ベイビー・ドライバー』

エドガー・ライトがつくる映画はどれも大好きなわけでして、『ベイビー・ドライバー』、やっとこさ観ました。立川シネマ2は爆音上映という幸運。

で、この映画、「最高!」を100回言っても足りないくらい最高。

音楽がツボりまくりということもありますが、そんな個人的な事情でなくとも、音楽が物語全体の重要な鍵になっている。

仕掛けが多彩で行き届いている(例えば「BABY」という愛称にもとうぜん意味がある)。構造がしっかりしている。進行にムダがない。スピーディ。なのに映画全体がキュート。

いわゆるクライム・アクションであり、音楽映画であり、恋愛もあり、そして、ひとりの青年の魂の救済であるところの『ベイビー・ドライバー』。極上です。

2017/09/10

■冒頭集:一年C組 榊原玲奈

大きな声じゃ言えないけど、あたし、この頃お酒っておいしいなって思うの。黙っててよ、一応ヤバイんだから。夜ソーッと階段下りて自動販売機で買ったりするんだけど、それもあるかもしれないわネ。家(ウチ)にだってお酒くらいあるけど、だんだん減ったりしてるのがバレたらヤバイじゃない。(…)
橋本治『桃尻娘』1978年/講談社


2017/09/08

■9月は結社勧誘のチャンスだそうです


というわけで、数日前、結社結社と、ツイッターの俳句関連タイムラインがうるさく、とっても気持ち悪かったのですが、若者たちにアドバイス。

「すばらしいことだらけ」と喧伝する結社には気をつけたほうがいいです。ブラジル移民/棄民を称揚した日本政府、北朝鮮を天国のように宣伝した一部メディア、カルトetc、歴史に学びましょう。

あと、特定結社について検討するときは、そこをやめた人の話がきっと参考になります。



結社の人にアドバイス。

学生は年会費タダにすれば(たしか「鷹」はそう)、誰か引っかかってくれるかも。



ところで、私は、前にも言いましたが、現在も未来も結社とは無縁。関心もない。

理由は、「くだらないから」でも、「自分に合いそうな結社がないから」でもありません。

おたがいにニーズがない。それに尽きます。

■愉快なイベントが

あるらしいです。

https://twitter.com/yukioi/status/902083714988965889



「ぺったん詩」ですと。



ぺったん句。

 県民だいすきひややかに放流 10key

 すきま白桃ベランダに備前  同

どこかに発表したい。

2017/09/07

■秋めく切手

切手もまた秋めかすことと、当方では相成っております。


2017/09/06

■昨夜までの枕頭(左)今夜からの枕頭(右)


柳本々々・安福望『きょうごめん行けないんだ』(2017年5月/食パンとペン)は、寝入りばな、半醒半睡状態でも、そうとうなスピード、この本に収められた会話よりも速いスピードで読める稀有な本。なんでだろう? はっきりとした「内容」がないせいかも。

いったいぜんたい、「内容」って何なんでしょうね?(と疑問を呈することでこの本を大いに称揚している)。

2017/09/05

■俳句の自由と不自由

自由律俳句が自由で、定型俳句が不自由だなんて考えている人は、さすがにもういないと思う。

不自由な自由律俳句もあれば、自由な定型俳句もある。vice versa(逆もまた同じ)

俳句の自由と不自由は、律とはまた別のところにある。

自由な句とはどんな句かというと、「とらわれない句」かな? 不自由な句とは「とらわれた句」。

何にとらわれない/とらわれるのかというと、それはもう、さまざまなことに。

その「さまざま」がなにとなにとなにかというと……それはもう、おのおのが自分で考えるべきなんでしょう(マジメにいえば、それでその人の俳句が、作家性が決まる)。

(何も言っていないに等しい記事になってしまい、誠に遺憾)

ラヴ&ピース!

なお、何にこだわるかも、ある。人それぞれ違っていて、これもまたなかなかに重要。

ついでに、もうひとつ。とらわれない/こだわる、その対象・テーマは、ひとりの作り手において、かなり流動的のようですよ。


余談。別の話になってしまいますが、ある自由律俳句の募集要綱に「575は自由律ではないのでダメ」とあるのを見たときは、これって、「ぜんぜん自由じゃないじゃん!」というツッコミ待ちのボケなんだろうな、と感心したことでした。

2017/09/04

■楽器の達者な禿は世界最強

というわけで、中嶋画伯との音楽千夜一夜は、血圧150~300の歌。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/15the-swinging-boppers-150300.html

2017/09/03

■もう、ね、ぜんぶがぜんぶ、かわいすぎる

≫「かわいいビル」はなぜかわいいのか
http://portal.nifty.com/kiji/170901200560_1.htm



↓こちらは「かわいい」というより、もっと「すっ」としたかんじかな?

2017/09/02

■「発電所」ってところがいいですね

発電所がなんでいいの? と訊かれても困るんだけれど。

『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(佐藤文香編著/左右社)。収録作家ラインナップを見て、読んだことがないのが多いなあ、という人は買うといいです。オススメ。

なお、外観は書籍(book)だけれど、中身はムック(mook)的。書籍を読み慣れない人にもとっつきやすい。足(賞味期限)は早そうだ。 



頁をめくっていて、引っかかるところが多かったのですが、それは私の感想としてね。「いい本か? よく出来ていると思うか?」と訊かれたら、首を縦に振れない。解説、対談、レイアウト、句群の扱い、作家の扱いetc、これでいいのか、ほかにやりようがなかったのかと思うところが多々。それらはハードウェア・ソフトウェア両面にわたる。

こうしたネガティブな感想・見解と記事冒頭の「オススメ」とは矛盾しそうだが、そうじゃなくて、オススメはするし、たくさん売れたらいいと思う。このあたりは自分で説明が難しい。

ちなみに、巻末の「収録作家分布図」のホット/クール、軽/重のマトリクスに、このアンソロジーをあてはめると、ホットかつ軽。編者・佐藤文香の作家としてのポジションに近い。編者の作家性が、アンソロジー全体の色合いを決めているということで、これは当たり前と言えば当たり前だが。

読者に託す部分があっていいのに(これはクールに属する)、どこまでも世話を焼く感じ。世話を焼きたいのか? 世話女房か?(脱線)

『天の川銀河発電所』は、編者が、よく言えば、がんばっている、悪く言えば、がんばりすぎた、気持ちを反映させすぎた。

でもね、世間は「がんばっている」のが好きなので、「気持ち」が好きなので、前述のように、好感されるだろう。

私の見解・好みはだいたいのところマーケットや俳句世間/世間から遠いので(これはこれで問題)、売れるだろうし(実際、初刷はすぐに売り切れて2刷が出るそうだ)、俳句世間/世間から好感されるだろう。とりわけ、編者や版元がいちばん手にとってほしいと考えているであろう「俳句の外」の人たちに。

繰り返すが、収録作家の多くが未読という人に特にオススメ。私も、まず開いたのは、読んだことがない人のページだった。

2017/08/31

■俳句賞・予備選の「闇」

野口る理さんが俳句の「賞」を取り上げた連載「ほどける冠」意外な結末を迎えたわけですが、途中(8月13日)、神野紗希さんが、さらっと、すごいことを言ってます。



http://spica819.main.jp/tsukuru/20587.html

いくつか要点があって、

1 予備選は編集部も関わるんですね。当然といえば当然ですが。

2 《~みたいな句が入ってると取れない(予備選を通せない)から気をつけて》って、それ、言っちゃうんだ!

後者には、ちょっとびっくりした。オフィシャルじゃなく、応募者個人に、選考基準(っていうほど大袈裟なものじゃありませんが)を、たまたまなのか、わざわざ「これ言っとかなくちゃ」なのかは不明ですが、また、編集部じゃなくて編集者個人ですが。



予備選の過程は、ふつう、公開されない。いわばブラックボックス。どんな作品が合格したかは誌上でわかりますが、どんな作品が落ちたかはわからない(もちろんそこをすべて公開するなんて物理的にムリ)。

ところが、落選展です。

週刊俳句が毎年催している「角川俳句賞」落選展で、予備選を落ちた作品のごくごく一部を読めるようになった。予備選を通過した作品と比較対照できるようになったわけです。これは大きい。ブラックボックスの真っ暗闇だった中身にほんの少し光が当たったわけです。

かすかに見えたものから、何を思うかは人それぞれです。自分の次回応募作の参考にする人もいれば、自分の俳句観との一致・相違を思う人もいる。いずれにせよ、落選展の意義のひとつは、予備選のかすかなる/朦朧たる可視化。これって、存外大きいことなんですよね。

ラヴ&ピース!

2017/08/30

■八月某日某句会

某日、くにたち句会、無事終了。

最初は人数が少なめだったので変則袋回し。

作句一句目は「鬼」の席題で、

  すこやかに三鬼忌を過ぎ夏を過ぎ 10key

時間が経過しすぎ(3~4か月)なので、夏を春に換えて、どこかに残そうと思います。

二句目以降は流れに乗って30句ほど。

途中、若者2名が句会とは知らずに来訪。来たからには作りなさい、というわけで、人数が増える。

句会後の
賜り物のワイン(佳人のたまふ「ラベル買いです。ステキでしょ」)と昨日のカレーを使ったドリア
フィジーリ
賜り物のワッフル




句会後の歓談中、床に置いた私のリュックの上にピーちゃんが坐っていた。すると、ジャーっという音。あらあらあら、おしっこ。ドアが締め切られていて(私たち夫婦の不注意)二階のトイレに行けなかったせい。ちょうど洗いたいと思っていたところなので、句会後、手洗い+洗濯機。とてもきれいになる。型崩れもないようで、さすがTUMI。ピーちゃん、サンキュー。


yuki氏、その日は6時起きで朝練(伴奏の準備)、シャワー、ガッコへ出かけるという強行スケジュール。伴奏をたくさんして、帰宅して、買い物に行って、句会で食べるもの作ってと、忙しく立ち働き(感謝)。

かつ、いつもどおりガンガン呑んで、はじめて訪れた若者(yuki耐性がない)の膝の上にむりやり坐る(こういうの凌辱って言うんでしょ、業界では)等、大暴れ。やがて、眠いのか酔っ払っているのか(きっと両方)、からだがクタっとなったかと思うと、寝室に直行・熟睡。

深夜の散会まで、缶ビールを手始めに、日本酒4合瓶2本、ワイン4本。少人数でこれだけの量。

みなさま、お疲れ様でした。次回はちょっと異例で最終土曜日の予定。

ラヴ&ピース!

2017/08/29

■まちがいを許せないはずがない




こんなアンケートがあったので、「許せる」に投票。

まちがいを「許せない」という選択は、自分にとってあり得ないので、とうぜん「許せる」。許容できる。

(バリバリの一般論です)

だって、誰もがなんらかにまちがうよ。

まちがいとまちがいじゃないものが混じり合った世界に、私たちは暮らしている。

ラブ&ピース!


なお、まちがいをまちがいと認めない態度については、NG。まちがいを指摘されると、攻め込まれているような気になるのでしょうか。「×××××」「それ、ちがいますよ」「え? そうだろうか。まちがいとは言い切れない。なんたらかんたら」「でも、まちがいはまちがいですから」「ぷぎゃー!」。こういうの、この世で何がしたいのかさっぱりわからない。

2017/08/28

■福田きゅんの句集『自生地』落掌

あのね、率直に言って、「自生地」という書名に決めたって聞いたときは、ピンとこなかったし、少し前、amazonにアップされた書影を見たときは、だいじょうぶかと思った(あまりにチャレンジングな帯デザインだし)。

で、昨夜、落掌。

中身より先に本の造りをいろいろと眺めたのです。本文レイアウトはもちろん、目次やあとがき、奥付の処理とか、それはもういろいろ。デザインだけじゃありません。手にどう収まるかとか、ページがどうめくれるかとか。指でなでまわしたりもしました。

おもしろい。

いい。

意識や気持ちの行き届いた造りです。担当編集さん、ナイス。

私は、本の意匠については保守主義なほう、伝統重視、機能が書物の美を促す派。『自生地』のそれは保守・伝統の部類ではないのですが、それでも、ナイスと思った。



帯の惹句を書店員さんたちでまとめたのは良いアイデア。ほかに例を知らない。

表紙の基調色は、amazonで見る書影よりもニュアンスのあるベージュ(個人的な趣味で言えばもっとニュアンスが欲しいけど。質感も含め)。



中身については、まだ途中までしか読んでいないので、またあらためて。

でも、ひとつ。

冒頭の1ページで、ちょっとぐっと来た。

こういう仕掛け方があったんだなーと。



ほかにないような句集ってことは、いろいろな面、いろいろな要素をもって確実で、この『自生地』の成功がほぼ見えた。

中身をこれから読み進めて、私がよい読者になれるかどうか、内容(句群)が私にフィットするか、それらは趣味嗜好やらの偶然に過ぎないから、それほど重大でもない。

ユニークであること。「本」として「書物」として、ほかとは違うこと。

句集はそれを軽視しすぎ、ちがう人の別の句集とページが混ざってもわからないような句集、多すぎ、と再三表明してきた。

『自生地』は、ハードウェア、ソフトウェア両面で、ほかと違う顔をしている。

福田くん、担当編集さん、ナイス!



2017/08/27

■これを外階段とは呼ばない


某日、友人夫婦の行きつけの焼肉屋、荻窪「やま元」で会食。最初にとったネギサラダから最後のハラミまですべて美味。

※写真は友人宅からの帰り道、天沼陸橋への石段。

■もうすぐ句会



句会のたびにまず思うのは「作れるのか?」。これ、ウソでも演出でもなく思う。「ひょっとして一句も作れないんじゃないの?」

だから、一句目を短冊に書いたとき、ちょっとほっとする。

柄にもなくかわいらしいことを言ってるみたいだけれど、こういう心持ちだから、まだ俳句/句会を続けていられるのかもしれませんよ。

ラブ&ピース!

2017/08/26

■ジェンダーなドラマ

『俳句』誌の「男のドラマ・女のドラマ」は、そのコーナー名からして、すごい。

ジェンダーフリー(gender neutrality)が社会テーマとして浮上している昨今、なんとも蒙昧というか、昔の一般週刊誌の埋め草的に下世話というか。

もっとも、俳句総合誌がコア読者を「70代以上・俳句歴が浅い」と設定する以上、こういう、悪い意味で「昭和」な企画もしかたがないのかも。

……と思っていたら、2017年8月号に榮猿丸さん。書き手が異性の物語を取り上げるコーナーとばかり思っていたのは間違いだった模様。同性もアリなんですね。

ナイス。

さらに9月号の小津夜景さんの引用句と文章が素晴らしい。「男のドラマ、女のドラマ」という、どうしようもなくくだらない枠組みに、乗っかるでもなく、乗っからないでもなく、絶妙なスタンス。「男のドラマ」「女のドラマ」といったくだらない枠組みを、こんなふうに無効化する手があったのですね。 

ナイス。

立ち読み、超オススメ。


2017/08/25

■黄色いほうも

昨日の記事に Lack of Afro のブルーの動画を貼ったら、黄色いのも、どうしても貼りたくなった。



ゲストで歌っているジュリエット・アッシュビーについての情報は少ない(私が知らないだけで有名?)。ロンドン郊外の生まれで、エイミー・ワインハウスと親交があった。YouTubeで聴くとレゲエ/スカっぽい曲が多い。この黄色いのは違うけど、とても魅力的な歌唱。

中嶋憲武画伯とやっている音楽千夜一夜に、と、ちょっと思ったけど、情報が少なすぎて、音楽そのものについて語ることになっちゃうのでNG。あれはネタ寄りの扱いだから。

ラブ&ピース!


2017/08/24

■作家アンソロジーに必要なもの

作家アンソロジーの編者/編集にもとめられるもの、というより、私がもとめるもの。

1 見識

最低限でいいんですよね、これは。

2 俯瞰

どうしたって遠近法になるけど、そこにどのくらい俯瞰を盛り込めるか(そこはセンスと覚悟と努力)。遠近法だけなら、結社内とか身内でやってればいい話。

3 誠意

公正はどだいムリ。編者が個人/個人の集まりである以上、個人の判断にゆだねられる。どう選んでも、いろいろ言われる。文句はつきます。そこでだいじなのが誠意。

誠意って具体的にこれこれこういうものって言えないんだけど、かなりだいじ。どんな本も、これがないとね。あ、そうそう、人も、誠意のない人は信用できないでしょ?

なお、「誠意を見せる」など、卑俗な用法と、ここに書いたことは無縁。誠意は見せるものじゃなくて、備わっているかいないか、といったたぐいのもの。


あ、そうそう、忘れるとこだった。最後にいちばんだいじなもの。

4 愛





2017/08/23

■抱き合うこと 『オルガン』第10号より

どこで切れるのかによって、見えるもの、伝わるものが変わってくる句というのがあって、

名のもとに滝ふたり抱き合う構成  田島健一

これもそう。

  名のもとに滝///ふたり抱き合う構成

なら、人がふたりで抱き合っている図。

  名のもとに///滝ふたり抱き合う構成

滝をひとりふたりと数えるかどうかは別にして、私はこちらで読みたい。

「構成」の語(構図ではないんですよね。通例からちょっとずつずらす手法)とのバランスで、滝が抱き合っているくらいのほうがいい。

けれども、ここで「名のもとに」が障る。雄滝雌滝が連想されて、説明っぽい。ううん、悩ましい。

ともあれ、じゅうぶんなワンダーと興趣ある質感を備えた句。

掲句は『オルガン』第10号(2017年8月8日)より。


2017/08/21

■人名って?

福田くんへのインタビューのあと、逆に質問される。私にとっての人名とは何か?

A 俳句における人名

地名みたいなものかも。山や川には固有名があったりするし。

そのものを詠んだり背景だったり、頌/賦(ode)だったり挨拶だったり。


B 菅井きんの歌前田吟の歌における人名

もっぱらナンセンス化のための道具。


C サイト「毎日が忌日」をつくった理由

忌日俳句には消極的・懐疑的。「ナントカ忌って持ってくるだけでムード出しちゃって、それでいいの?」と思う。千を超える忌日(アーノルド・シュワルツェネッガー忌とかレフ・トロツキー忌とか)を並べることで、既存の頻出忌日を相対化・稀釈。

私「忌日俳句が好きなんだろうと勘違いされるんだけど、逆」
福田「それはまた捩れてますね」


【関連】ウラハイ:人名俳句タグ

2017/08/20

■福田デー

某日、福田若之くん、来訪。

ギター(ストラトキャスター)を持って遊びに来たんだけど、ついでにインタビュー動画をつくっちまえということで。

福田若之第一句集『自生地』刊行直前インタビュー
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/08/blog-post_19.html

晩ごはんはお好み焼き(大好物だそうで、この選択は正解)。

で、福田くんの何が素晴らしいかって、ゴハンの前に手を合わせて「いただきます」をするとこ。




2017/08/19

■誰に向けて書くのか

何かを書くとき、私の場合、想定する読者はひとり。

シノギは別にして、きほん、ひとりに向けて書きます/つくります。

例えばこのブログ記事は、確実に読んでくれているはずのひとり。

(ふたり以上が読んでくれているという確証が得られないという事情もある)



例えば俳句は、自分ひとりに向けて。

「自分」は(物理的に)最初の読者でありますから。

享楽的で自由気ままな、すなわち信頼できる読者であるように、日々努めております。


ただし、句が人の目に触れるとき、連作などの発表時は、不特定の読者諸氏へと想定が切り替わる。この段階は、「書く」ではなく、編集。


俳句をつくる人と編集する人が、べつべつの役割と心持ちをもって同居していることになりますね(俳人は誰もがそうなのだと思います)。

■はや土曜となりたる前田吟の歌

ある日吉高由里子ほほえむCMと法人番号指定通知書  10key

渚まゆみのことが突然話題になる電波が降つてきたかのやうに 同

私性とか前田吟とかうどんとか短歌柳俳ややこしきもの  同


2017/08/18

■鰹のこと 『円錐』第74号より

一日が映画のやうでなく鰹  宮﨑莉々花

映画のような一日なんて、なかなかない(まだ、ないぞ、これだけの期間、生きてきて)。

句の帰着/展開先は「鰹」。どうしようもなく身も蓋もなく、鰹。

鰹のたたきでも食べてんだろうか。鰹は、どう調理しようが、あまり映画的ではない。


しらっと大胆に季語を置いた句は、かなり好みです。鰹も好きです。とくに戻り鰹。

掲句は『円錐』第74号(2017年8月10日)より。

■八月某日のトロワコント

1 一週間以上先の、ある日時にその件は電話で話しましょう、というアポイントがメールで成立。この悠長な、というか懐の深い感じ、わりあい好き。

2 森林太郎(もり・りんたろう)を一瞬「しんりん・たろう」と読んでしまった自分がなさけない、舌を噛み切りたい。

3 自撮りに挑戦。


2017/08/17

■山椒魚、あるいは濡れる話

ポケットはいつも山椒魚だった  榊陽子〔*〕

これはそうとう奇妙なポケット、かなりイヤなポケット。

山椒魚は夏の季語、ってことよりも、こんな句を思いましたよ。

ペダル踏む夜は濡れた服のようだ  近藤十四郎(1999年5月)


〔*〕出典
http://yoko575.blog.fc2.com/blog-entry-203.html

2017/08/16

■俳句の賞はぜったい必要、かつ関心ゼロ。

野口る理さんの連載「ほどける冠」クロイワくんの回が予想に反して(というと叱られるか?)おもしろかったので、このへんで、私が俳句の賞全般に関心ゼロである理由(前掲の記事を読んでる時点でゼロとは言えないんだけどね)を書いておいたほうがいいと思った。

以下、深慮なく、気ままに。

まず、誤解する人がいるといけないので、言っておくと、俳句の賞は、俳句にとって、俳句世間にとって必要なものです。

なんか、関心ゼロと言うと、賞全般を否定しているみたいに曲解する人がいるかもしれないが、ぜんぜん否定しない。必要なもの。でも、自分には関心がない。

そういうことって世の中にはいっぱいあるでしょう? 俳句関連では「結社」もそうかな? 自分とはいまも将来も無縁。たいして興味もない。でも否定なんてぜんぜんしない。結社も必要なもの。

で、賞の話。

関心・無関心にはふたつの局面があって、A:参加・応募、B:外から見て。

ひとつめのA。

応募/参加したことはある。結社の作品賞とか、豆の木賞とか、角川俳句賞(2回)。だいぶむかしにその手のものに出すのはやめていると思う(忘れていたら、ごめん)。理由は、個別にいろいろあるけれど、句集を出したことが大きい。

とくにオープンな賞(俳句総合誌etc)には、広く評価を問う、認められれば嬉しい(若者が最近よく使う承認欲求)、自作をまとめる楽しさ、まとめて読んでもらえる嬉しさなどの動機があるようなのですが、句集を出したら、そのへんのことは解決してしまった感。

自分の句集が「認められた」とは思わないけれど(人それぞれ好いてくれたりそうでなかったりのはず。それは受賞作も落選作も同じ)、俳句をやってて、あの時点(『けむり』は2011年)まででこんな俳句を作っていて、ああいうかたちにまとめました、ということで、気持ちが済んじゃった。

それと、承認欲求というのは、あまりよくわからなくて、世間に自分の存在を認められたい、ということかな? もしそうなら、そんなもん知ったことか、なわけです。この年齢になるまで、げんに喰ってきて、けっして多くはないだいじな人(たち)をだいじにしているつもりだし、まあまあだいじにしてもらっている。それ以外の「世間」はどうでもいい。

自分がつくる俳句に関しては、もっとどうでもよくて、まあ、おもしろがってくれている人もきっといるはず。

そう考えていくと、「承認欲求」というのは、若者のものかもしれませんね。この年齢になると、承認されなくてもされても、げんに死なずに、ここで暮らしている。しかも、たのしく。

話が長くなってまずいのですが、《どうでもよくない人たち》だけを見て、暮らしたい、俳句をやりたい、というのが、正直な心境で、《どうでもいい人たち》は、ほんと、どうでもいい、ということで、これはかなり「いけないこと」を言っています。

B。これがだいじかな。

参加せず外から見ても賞には関心がない、その理由は、(これもっぱらオープンな賞についてですが)、賞の結果が示す「良き俳句/おもしろい俳句」と、自分が思うそれが、そうとうに乖離していること。これは受賞作がダメということではなくて、自分の読みたいものを見つけるのに、賞が寄与してくれないということかもしれない。

つまり、どんな俳句が読みたいかという読者(=私)の欲求から、かなり遠く離れたところに数々の俳句賞がある、という感じ。

山口優夢が前掲連載で、《「その賞を取っていると読むに値する」と思ってもらえる》とうフレーズを口にしているが、自分の中でその指針が揺らいで崩れきってしまった。

付言すれば、高柳克弘が同連載で、《賞はいわゆる「市場」との関係性が濃くて、文学の評価基準としては明らかにおかしいような軸もしばしば入り込んできます。》と指摘する事柄も、私の無関心には関係がない。市場におもねること、政治が介入することはあたりまえ。それだから私の関心が遠のいたのではない。

それに、(これを言ったら話にならないけれど)もともと、俳句のAとB、句集AとB、どちらがいいか、といった問いの立て方に興味がない。どっちもいい、どっちもダメってことだって多々あるわけで、それでいい。

例えば、去年2016年に読んだ句集では岡野泰輔『なめらかな世界の肉』がほんとよかった。それと、例えば、このあいだ亡くなった金原まさ子さんの句集『カルナヴァル』、どっちがいい? と訊かれても、どっちもいい、どっちも好きと答えるしかない。その2つの句集に優劣を付けることに、いったいどんな意味がある? ないよね。そう考えると、どれがいちばんいいかを決める「賞」への興味はなくなっていくのでした。


AとBを総合すると(ちょっと飛躍があるよ)、俳句世間のマジョリティと親密であることは、自分が暮らすこと、俳句を愉しむことのささいな条件でさえありえない。まったくもって不要。これは年々思いが深くなった。

俳句の賞には、俳句世間的マジョリティのさまざまな部面(おもにニーズ)を集約したようなところがある。作風の潮流。承認欲求の受け皿。《読まれる》機会創出。サロンへの話題提供。

でも、それらは、自分にとって不要。であれば、関心も興味もなくなる。


で、もう一度、念のために言っておくと、私にはどうでもよくても、どうでもよくない人たちがたくさんいる以上、賞は必要です、ぜったい。

(もう1回くらい、軽く続くかも)

2017/08/15

■脚のこと 『オルガン』第10号より

空耳ならぬ空目という語が定着しつつある。老眼と老人ボケによる空目が私には増えてきたみたいで、

  虹が脚をつかひ隣にをりにけり

おっ、カッコいい句、と思って、よく見たら、

蚊が脚をつかひ隣にをりにけり  宮本佳世乃

だった。

ファンタジーじゃなくてリアルをいきいきと描いた句であったわけで、でも、私は、虹も蚊も、どちらも愛し、どちらとも共にある。蚊取線香を炊くか炊かないかの違いはあるけれど。


(締めをちょっと凝ってみたが、大失敗こいた模様)


掲句は『オルガン』第10号(2017年8月8日)より。

【参考】相子智恵 月曜日の一句
http://hw02.blogspot.jp/2017/08/blog-post_14.html

2017/08/14

■不穏

見た目、ボロボロなんですが、どうやら稼働中。

ひとつだけ闇を見せて、そこがとても不穏。

画像をクリックすると大きくなります

2017/08/13

■かもめ 紀野恵『白猫倶楽部』より

小振りなるこどものかもめ私より少しくものを知らないだけの 紀野恵

その人と子かもめしかいない世界。

掲歌は『白猫倶楽部』(2017年7月/書肆侃侃房)より。

【お知らせ】8月のくにたち句会

2017年8月27日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。

2017/08/12

■某日、山口優夢の胃におさまった鴨のパテ

小津夜景さんのおみやげを、その日。

2017/08/11

■精がつきますかね?

賜り物の猪ソーセージ。



みなさま、暑い日がまだまだ続きます。くれぐれもご自愛ください。

■非情なる前田吟の歌

オルガンを踏みつつ浜に来てしまふ耳には前田吟なる響き  10key

とことはに植木等のごとくあれ金魚たゆたふ東京メトロ  同

幾日も過ぎてさらなる日々の過ぐ野際陽子の死んだあの日を 同


2017/08/10

■ヘンな句を引かれてしまふ残暑かな






≫カーのおはなし。:ozu yakei flowers' kung-fu
http://yakeiozu.blogspot.jp/2017/08/blog-post_9.html

もちろんのこと、どの句も喜んでおります。感謝感謝であります。

〔原典〕
1 『増補版人名句集チャーリーさん』
2 『けむり』(2011年10月25日)
  ※初めて作った句を代表句にするのもよいかも。
3 「るびふる」http://hw02.blogspot.jp/2017/03/blog-post_25.html



2017/08/09

■某日:稲荷・下北沢・鐵砲洲

1 ××稲荷とかいってお稲荷さんのヴァリエーションがたくさんあるが、単なるお稲荷さんよりも美味しかったためしがない。単なるお稲荷さん偉大。

2 テレ東『下北沢ダイハード』が面白い。第3話は一幕劇をテレビドラマにしたような作り。

3 鐵砲洲から隅田川へ出る。左に中央大橋、右に佃大橋。川ラヴァー、橋ラヴァーには鉄板スポット。小雨のなか、傘をさしての散歩もまたオツ。

2017/08/08

■プチな万年筆

近所の文房具屋さんに白のサインペンを買いに行ったら、いいのがなかった。何も買わずに店を出るのはしのびなくて、ライトグリーンの簡易万年筆を購う。

ちっこい。

pilot petit 1。200円(税別)はうれしい。


2017/08/07

■瀬戸正洋の語尾 『里』第173号より

句の語尾はたいせつ。大きく意味を担うのではないけれど、たいせつ。

ワルツよりタンゴ雷が落ちた  瀬戸正洋

昼顔や遊動円木が折れた  同

過去形語尾のおもしろさ。

掲句は『里』第173号(2017年8月号)瀬戸正洋さんの7句より。ほかに、

鈴蘭やホテルに喫茶室はある  同



2017/08/06

■冒頭集:挨拶

柳本 でもあれもあそこにたっただんかいでおわったとおもって
はじめるためにおじぎしたしゅんかん、
おわったんですよ
もうあとは後始末というか。
安福 はじまったらおわりますもんね
(安福望×柳本々々『きょうごめん行けないんだ』2017年4月1日/食パンとペン)

■某日、祝婚

アヤカさんのウェディングパーティーへ。

1 シンジさんとジャケットがお揃いだった。

2 イコマくんがファンキーな眼鏡をかけていた。

3 アヤカ母とお話しているとき、アヤカ母が新郎友人たちに「アヤカの母です」と挨拶した流れで、「父です」と名乗りそうになった。

2017/08/05

■出会う読者はひとりでいい


句が読者を待ち、出会う。その数は、ひとりでいい。

ゴキブリは1匹見つけたら、何十匹何百匹いるって言うじゃないですか(ヘンな喩え)。だから、ひとり、あるいは数名でいい。

数を倚むと、だいじな人を逃すかもしれません(ヘンな喩えに走りそうなところを自制した)。

■句は何を待っているのか?

野口る理さんの現在進行中の連載「ほどける冠」は、俳句の賞に関する話題で、「なんでまたこんなややこしくて微妙なテーマを?」とおせっかいながら思ってしまうわけですが、だからこそ面白くなりそうな予感もあります(どうなるんだろうね?)。

なお、私自身は俳句の賞全般に興味関心がほとんどゼロ。自分が応募することはおろか(過去に応募・参加したことはある)、他人の受賞や落選にも関心がなく、つまり賞自体に関心がない〔*〕。知り合いが受賞すれば「おめでとう」は言いますが、それだけ。理由は、機会があれば書くかもしれませんが、当面、この記事には関係がないから、話を進めるね。

で、テーマとは別に、2017年8月5日の記事チャーリー・ブラウンの巻き毛に幸せな雪〉という句について「んなに×をつけられている中、谷雄介さんだけが◎をしてくれていた」とある。

へぇ、×? この句はよく憶えている。私は好きで、ウラハイで引用した。

http://hw02.blogspot.jp/2014/01/blog-post_14.html

柳本々々さんも、この句を大々的に取り上げている。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/09/blog-post_16.html


何が言いたいのかというと、人それぞれ、好みや見解が違うのだなあということはもちろんなのですが、そう焦って◯とか×をつける必要はない、ということ。

句は、◯×をもらうために生まれてきたわけでも、◯×のプラカードが上がるのを待っているのでもなく(とはいえ、そういう側面もある。判断や評価はだいじ)、読者を待っているのではないか、ということ。

句は、あわてずさわがず、読者を待っていればいいんだ。

そう考えると、つくるこちらとしても気が楽だし、じぶんのつくった句のことがかわいくなってきませんか?(子離れができない親というのではなく、「いい人が見つかればいいね」とやさしく見守る態度)。


〔*〕週刊俳句で賞を企画したときは、どうするんだろう(過去、週刊俳句賞の名で賞イベントをやった)。そのときは、他の人に担当してもらいます。

2017/08/04

■鍵穴その他 『里』第173号の喪字男

もつたいないほどの勃起や夏の雲  喪字男

勃起は神様からの授かりもの・賜りもの。失われつつあるいまはじめてそれがわかる(喪字男さんのことじゃないよ。為念)。


鍵穴を覆ふががんぼそれごと挿す  同

ががんぼの大きさが「覆ふ」によって的確に示され、「それごと」に確かな気分。全体に省略が効いて、ムダがない。


『里』第173号(2017年8月号)、喪字男さんの7句より。ほかに、

短夜をもつと短くする薬  同

なんだろう?


2017/08/03

■いま書くものは、いま以外に書けるわけがないのだから

「いましか書けないものを」などという空疎なフレーズを信じてはいけない、踊らされるなよ、ということかな? 短く言うと。

福田若之:いましか書けないもの

短く言ったり単純化したりしちゃいけないんだろうけど(だから、福田若之は937文字も費やした)、いま=かけがえがない=いまの直前・いまの直後・昨日・明日と代替不可能、ならば、何を書いても「いましか書けない」(いま書くものを昨日書けるわけがない;論理的に。明日書けるわけがない;もう書いてる)ものである、ということでもありましょう。


一方、今回の記事を歴史的に推理すると、若くして俳句を始め、「俳句甲子園」なる高校生イベントに参加した福田若之は、冒頭のような俳句クリシェ・文芸クリシェ・教育クリシェに、べったりとまとわりつかれて過ごしたはず。そら、いやにもなるし、警告も発したくなる(推理ですよ、類推ですよ)。くわえて、というか、だから、というか、彼の属した開成高校俳句チームが終始拒否してきたのが「高校生らしい俳句」なわけで、今回の記事は、そんな歴史的背景があると思うのですよ。

■外階段:恋ヶ窪あたり

東京西郊には「窪」の付く地名が多い。《さやうなら笑窪荻窪とろゝそば 攝津幸彦》の荻窪もそうだし、多喜窪通り、芋窪街道なんてのも、うちの近くを走る。

恋ヶ窪は「恋」入りで、ちょっと俳句にしたくなる地名じゃないですか?

(写真は窪とはまったく無関係なのですが)


2017/08/02

■思い病・思い信仰

思い病・思い信仰の蔓延は、俳句だけではなく川柳も同じ事情の模様。

http://senryusuplex.seesaa.net/article/452295459.html


あなた(作者)の「思い」なんぞに、わたし(読者)はなんの興味もない。

そのことを、何度も繰り返し伝えていかないと、思い病・思い信仰はなくならないのでしょう。

そもそも、なんでまた、自分(作者)の思いに他人(読者)が興味があるなんて思うのか。これはそうとうに不思議です。

追記:
なお、佳人のみなさまに置かれましては、「思い」を、川柳・俳句ではなくリアルに伝えていただければ幸甚に存じます(おっさんは要らんぞ)。

2017/08/01

■終電のこころもち 『街』第126号より

終電の吊り広告の青田かな  今井聖

俳人協会的には無季の句、大丈夫なんですか。聖さん、理事でしょう?

ってつまらない戯言は置いといて、終電の都会・夜と青田の田園・昼の対照があざやか。終電は、帰宅の列車。遠い場所へ意識がうつろう、その心理的な対照も伝わる。

掲句は『街』第126号(2017年8月1日)より。

2017/07/31

■夜の広場

日に少なくとも一度はブリュッセルに思いを馳せるわけです。

ぜんぜん知らないし、それほど興味があるわけではないんだけどね。

つまり、ブリュッセルでなくてもいし、グランプラスでなくてもいいのです。この版画の中の夜に思いを馳せるわけです。

浜田知明 グランプラス 10/20

2017/07/30

■室外機の風景 『奎』第2号より

蠅生まるビル一面に室外機  小池康生

ビルの裏面は、蠅の生誕地としていかにもふさわしく、また室外機が襞のように覆うコンクリートの一面もまたふさわしい。

『奎』第2号(2017年6月12日)より。

なお、室外機はときとしてフォトジェニック。カメラを向けたくなることがある。

東京・湯島付近。2015年3月17日15時30分撮影。

■インディアン・ライスの昼

こういう写真を載せると、食通っぽい(違う?)。


ダバクニタチというおしゃれなインド料理店。信治さんに教わったよ(「おしゃれ」は私の領分でも担当科目でもない)。

店名に「くにたち」とあるけれど、国立駅北口からちょっと行ったところなので、住所は国分寺のハズ。付近に「くにたち」感もない。

私たちが知っているカレー屋さん・インド料理屋さんはどうも北インドらしい。この店は南インド料理ということで、味がとても優しい。キーマとインド米のこのひと皿はサラダのような食べ心地。ふわっと軽い。

2017/07/29

■平日の噴水 『絵空』第20号より

平日を見てゐる噴水のまはり  茅根知子

視界にあるのは「噴水のまはり」。それはすなわち「平日」という、かたちがなく見えないものを「見てゐる」ことになる、と解した。

噴水の近くを歩く人、腰かける人の種類・様相は、平日と休日でずいぶん違うのだろう。オフィス街の広場の噴水とかだとね。

軽い意表から切り込んで、「まはり」への着目・ていねいな記述で、その場そのときの空気や明度が伝わる。

掲句は『絵空』第20号(2017年7月15日)より。

なお、同誌掲載の茅根知子「他人」12句には、次のような句も。

五月来る梯子があればのぼりたし  

遠雷や手にざらついてくる卵  

錆びた音たててくちなは進みけり  

暗がりに金魚が息をしてゐたる  

2017/07/28

■釣堀へ 『鷹』2017年8月号より

釣堀や帰る家ある者ばかり  小川軽舟

ホームレスは釣堀になんぞ行かないのかもしれない。

みな家がある。数時間も経てば家に帰っていく人たち。とはいえ、あの漂泊感(坐り続けているにもかかわらず!)。あの far from home 感。

家に帰りたくない。会社に行きたくない。釣堀に居たいのではなく、どこかに居たくない人たちのようにも、こちらの勝手な思い込みながら、見えてしまうことも、奇妙な漂泊感の理由かもしれません。

掲句は『鷹』2017年8月号より。

東京・市ヶ谷駅から見下ろす釣り堀。撮影日時そうとう前の夏。

2017/07/27

■茄子です(脚韻)


茄子の炊いたん。

しぎ焼きとは違います。油は使いますが、煮含めるのに出汁と醤油に足す干し海老がポイント。田舎で食べてたのを嫁はんが再現。

焼き茄子も大好きですが、皮を剝くのに指の先が熱すぎるので、「作って」とは頼めない(自分で作れという話)。

あ、そうそう。以前、「焼き茄子」とメニューにあるので注文すると、しぎ焼きが出てきて、大いにあきれ、納得がいかなかったことがあります(食べたけど)。

2017/07/26

■《作者主義/読者主義/いいね主義》by 斉藤斎藤

≫斉藤斎藤さん @saitohsaitoh による「作者主義/読者主義/いいね主義」
https://togetter.com/li/1133663

発端になった「歌会こわい」騒動、これはまあ、どうでもよくてね、例えば俳句の場合、「句会こわい」という人がいたら、もっと怖がるようなエピソードを教えてあげて、おもしろがればいいんです。夜中の怪談話のノリ。それに、自作を評されたり無視されたりを怖がったり、読解をたしなめられるのがイヤという人は、句会に行かないほうがいい。俳句に向いてもいないと思う(俳句の場合ネ。短歌は知らない)。別の遊びを探すほうがいい。

そんなことより、ここで示された《作者主義/読者主義/いいね主義》という三元(trialism)の設定が鋭く、簡潔・明快。

でね、いちおう私の立場を示すと、きほん、作品主義。

一読してすぐ「いいね」を押せる」ものがいいとは、句会という即断を迫られる場においても思わないし(お笑いネタと同列に扱わない)、「一つの単語から連想をひろげ、(作者の意図をはずれた)自由な読みを披露する」ようなことは、「自宅でひとりでやっててください」と思う(だから、例えば「BL読み」に対しては、つまらない冗談を聞いているような態度でしかいられない。「BL俳句」は作者がやりたいのだろうから当然ながら認め、句ごとに反応する)。

作品主義は作者主義に近い(この見解にもまあまあ近い)。

作品主義が作者主義とどう違うかというと、ちょっと微妙かつ観念的・空想的になるけれど、「テキストから「作者がやりたかったであろうこと」を推測する」のではなく、「作品がこうありたいと思うところ/こうあるところ(実現)」に目を向ける。

作品の実現したものは、作者の意図から遠くてもかまわない(作者主義とは異なる)。かといって、読者たる自分の欲望の受け皿にはしない(読者主義とは異なる)。

句(作品)はいわば言語的事実。それは(ちょっと飛躍するようだが)社会的事実/世界の現実と変わらない。(なかば喩えになってしまうが)社会/世界は私(読者)が欲する姿をしてくれるわけではないし、社会/世界の事実を個人的/集合的に作り上げる行為者の意図どおりでもない。

なお、作品主義の態度は、つねに読者たる私の「解脱」を要求するところがあって、自省が必須。同時に、俳句世間的〈内部知〉=作句の抽斗をいったん横に置くという態度も要る(擦り切れた読者に陥らないような努力)。



ところで、読み手たる私は、句会において、句集などを読むにおいて、このふたつでかなり違った態度をとる。

句会は楽屋あるいはワークショップと捉えるので(句会は発表の場じゃないよ)、技術論にもなり、代替案・選択肢もときとして提示する。作者主義に近づく。

そして、大いに反省すべきことに、読者主義者さながら、句を曲解し、茶化すことがないとは言えない。たまにある。いや、もう、ほんと、ごめんなさい。

一方、連作・句集は、楽屋ではない。すでに舞台だから、悦楽・愉楽する気満々で臨む。楽しめない句は心に残さず捨て去り、愉しめる句については、その瞬間瞬間、悦楽・愉楽に身を任せ、ときに悦楽・愉楽の謎に思いをいたらせたりする(レビューを書くときは後者を増幅させ、文章化に努める)。

句会で読むときと、連作や句集を読むときは、まったく異なる態度になるわけですよ、ダンナ。

(ダンナって誰だ?)

2017/07/25

■ペンチ

ペンチがあると、何かないか、と探してしまいます。なんでもいいから、ペンチしたくなる。すなわち、バチンバチン。あるいは、グリングリン。

かわいいよ、マイ・ペンチ。


2017/07/24

■誕生日だけが万人に平等なのかも

誕生日のない人はいないし(わからない人はいるだろう)、誕生日が2つ以上って人もいない。

ほかに平等なことってひとつもなく、誕生日だけ、ということかもしれません。だから、フェースブックで誕生日おめでとうだの、ありがとうだの、鬱陶しいことこのうえないものが飛びかうのでしょう。

ちなみに、嫁はんはフェースブックに登録したものの(私が強く薦めた。ごめん)、誕生日メッセージが並ぶのを見て、即やめた。「こりゃ、ダメだ。耐えられん」

わかる。気持ち悪いもん。

でもね、食べるものやらの暮らし向きに貧富があり、社交に格差があっても、誕生日だけは誰にも年に一度。だからこそ、同調と差異化のゲーム・フィールドたるSNSで、誕生日が重宝なのかも、ですね。

2017/07/23

■居間音楽

居間でふたりセッション。2コード循環、ベースラインと主メロディーだけ前提。テキトーに合わせる(いわゆるアドリブ)。途中に掛け合いめいた箇所も出て、老夫婦の週末、数十分の娯楽としては、なかなか良いものです。

エレピの鍵盤の不具合やら夫婦の会話やらもはさんで10分ほどの録音。




なお、ギター(エピフォン・カジノ)を買って17か月が経過。まだ続けられそうです。めざせ、ファンク。

関連過去記事≫ぼやぼやカレーパン

■いまさらですが、祝フラカン

昨晩のフラカン・パーティーは、いい雰囲気でした。

食べ物も美味しかったし、出席者は、この夜の主役・小津夜景さんと愉しい時間を過ごした(と思います)。



ところで、小津夜景『フラワーズ・カンフー』の歴史は「手のひら返し」の歴史でしたね。

俳壇(大笑い)の、俳句世間の、版元の。


小津夜景の名も『フラカン』も、知らないし、注目もしていなかった。ごく一部を除いては。

出版されると、ネット上でレビューが頻発(わいも書いたで)。それでも、みんな、あんまり知らない状態が続き、やがて、『俳句』誌の鼎談で結社主宰2人が取り上げて、この頃から、いろんなところで手のひらが返り始める。

で、田中裕明賞。これで「手のひら返し」のクライマックス。

読んでもなかった人たち、贈呈されながら頁をめくりもしなかった人たちが、受賞を知ったとたん、賛辞を送り始める。ギャグですか?

俳句世間の評判、エラい人や他人の評価、受賞、どれも、句集と自分(読者)の関係にとって、まるっきりどうでもいいことないのにね(好きなものは好き)。


というわけで、今夕でかける田中裕明賞受賞式@飯田橋では、上に書いたようなことは、ひとことも口にせず、上機嫌で談笑し、飲み食いするつもり。

では、行ってまいります。

2017/07/22

■夕陽の蟇

口中に夕陽まるごと呑んで蟇  三枝桂子

スケール大。蟇には、こうした、のうのうとして泰然たるところがありますね。実景としても、畦か小川のほとり、日がまさに沈まんとするそのときのこと。

掲句は『SASKIA』第10号(2017年6月1日)より。

2017/07/21

■タコ

キーマカレー≫キーマカレー、のあとのタコライス。超絶美味。

(なお、サルサソース:嫁はん特製)


2017/07/18

■夫婦の仁義

某日、嫁はんの生徒さんの発表会、無事終了。


私はプログラムを作り(ワードとエクセルによる原始的製造法)、当日は運転手。夫婦の仁義を通すでございます(年に1回だから自慢にならない)。



■小津夜景×関悦史イベントの速報とか

イベントレポートは都合であいにく行けなかった人には便利かつ親切。速報ならなおさら。

ただし、チェック無しの聞き書きは、聞き間違い、言い間違い、文脈の誤解etcが、どうしても起きる。読むほうに、その心積もりが必要。

ちなみに私は出かけれられなかったので、以下のふたつ、ありがたく拝読いたしました。

togetter 御前田あなた @anata_omaeda さんによる「小津夜景×関悦史「悦子の部屋」イベントで心に残った言葉」
https://togetter.com/li/1131092

かものはし(佐藤文香)小津夜景『フラワーズ・カンフー』イベント「悦子の部屋」のことや極私的なこと
http://aiaccare.blogspot.jp/2017/07/2017718.html

2017/07/17

■鼻のこと 『ぶるうまりん』第34号より

鼻ずるり池の氷が鈍く溶け  井東泉

「氷解く」は初春の季語。

A=Bという構造を嫌う向きもありますが(この句の場合、「鼻ずるり」という現象と氷が溶けることがなんらかの相同で結ばれ、互いに説明し合うような構造)、かなり突拍子がないともいえる身体の出来事と、この季語とのぶつかり具合には、少なからず驚かされました。

それに、切り込み方が図太くて、気持ちがいい。

掲句は『ぶるうまりん』第34号(2017年6月24日)より。

2017/07/15

■大木vs黒揚羽 『なんぢや』第37号より

大木に吸はれてゆくは黒揚羽  下坂速穂

受動態の構文は、黒揚羽の受動と大木の能動を同時に伝え、動きの中で二物があざやかな対照を成す。景の、叙述のシンプルさが心地よい。

世界に(視界に)それとそれしかない/世界はそれとそれで成立している、と思わせる切り取りの明快さは、俳句のあきらかな美点のひとつ。

『なんぢや』第37号(2017年6月10日)より。

2017/07/14

■このところいちばんのお気に入りは

チンアナゴです。

Heteroconger hassi

あまりに好きなので学名まで調べてしまいました。


2017/07/12

■豆本展に行ってきました

佐藤りえさん(歌仙「自転車」連衆)が参加するグループ展「豆本の宇宙 2017」に行ってきました。
https://twitter.com/sato_rie/status/883337818973413376

おもしろかったぁ。

実用から程遠い趣味・審美の豆本には、もともと興味があったのですが、先入見を覆すバリエーションの豊富さ、アイデア、仕上がりのキュートさ。


佐藤りえ作、蝶の詞華集。
同じく佐藤りえさん作。和綴。

カメラ裏蓋を開けるとページが。風古堂製。

飛び出す豆本。マスダユタカ作。

関川敦子作。第二もあるんだろうか?



2017/07/11

■前田吟の歌

気配だけして透明の前田吟八重洲あたりの夏のゆふぐれ 10key

菅井きんの歌が途絶えて久しい。

気になっていましたが、そのまま復活させるのではなく、菅井きんから前田吟へ、ドラマチックでロマンチックな展開を試みようと思います。

俳句を書いていたら(句会じゃなく書いているのです、たまの週末)、前田吟の歌がとつぜん現れたので、スタートさせる次第。


2017/07/07

■蛇と人 月犬句集『鳥獸蟲魚幻譜抄』

洋封筒入り・A6版・20頁(表紙まわり含む)。手のひらサイズの月犬句集『鳥獸蟲魚幻譜抄』。


タイトルのとおり、鳥獸蟲魚のいずれかを詠み込んだ句群。

穴を出て蛇まだ人と遭はぬまゝ 月犬

穴を出ることは、人界へ身を晒すことなのかもしれません。蛇視線が興趣。

2017/07/06

■す~ゔに~るのかいも~の

切手、売ってるんですよ。郵政博物館。

承前≫

紫陽花は来年の6月用です。25円、15円は7円との組み合わせで62円、82円ぴったりにもできて、重宝。余らせてもいいのですが(65円分とかネ)、ぴったりもまた気持ちがよろしいのです。


2017/07/05

■某日、郵政博物館

東京スカイツリーは水族館がよく知られるところですが、郵政博物館がなかなかシブい。小ぢんまりで足が疲れない。人が少なくゆっくり楽しめる。

日本と世界の切手を年代別に整理。見やすい収納・展示。

その数膨大で、何日通っても見きれないであろうほど。

前島密ひとり。切手の肖像と似ていない。