2017/12/30

■ことば 『ぶるうまりん』第35号より

ことばは落葉ことばは枯葉うつくしい  土江香子

ことば(言葉)はたしかに「葉」です、いまさらながら。

(「ことのは」という情緒過多な言い方は好きではないけれど)

ことばという「葉」の、若葉ではなく、緑の盛る葉でもなく、紅葉でも照葉でもなく、「落葉」「枯葉」である様態、それが「うつくしい」。なんだかわかる気がする。過程を経てきたもの(と理屈をつけると無粋だけれど)へのまなざし。

掲句は『ぶるうまりん』第35号(2017年12月19日)より。


「ことば」が「うつくしい」といいですね。このさきずっと。たまに、で、いいから。

ラヴ&ピース!

2017/12/29

■金閣 『奎』第4号より

金閣寺六十年をずつと火事  小池康生

三島由紀夫『金閣寺』の発表は1956年(昭和31年)。以来、ずっと火事。

燃えている金閣寺と燃えていない金閣寺。私たちには二通りの金閣寺が存在するわけです(足を運べば、燃えていない金閣寺が見られるはず)。こういうことって多いですよね。世の中には。

異なる何層かの属性をもつ事物が、たくさんある。コンテクストはたいていの場合、複数なわけで。

京寒し金閣薪にくべてなほ  中村安伸


掲句はそれぞれ、『奎』第4号(2017年12月)、中村安伸句集『虎の夜食』(2017年2月/邑書林)より。

■チクワその他

週刊俳句・第557号に「抱擁」5句を寄稿しています。ご笑覧ください。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/12/55720171224.html



チクワは使い勝手が悪い。というか、あまり食べませんよね。いったい何のためにあるのだろう? と一瞬考えて、次の瞬間、おでん種のなかでチクワはかなり上位クラスに好き、ということに気づいた。

それから、もうひとつ思い出した。粕汁のチクワも、いい。

というわけで、きのうyuki氏がつくった粕汁が美味。

おでんと粕汁のためにだけ、チクワは存在する。これはそうとう粋でオシャレな事実。

2017/12/27

2017/12/26

■よくわかる川柳

現代川柳、あるいは今の川柳といえば、総じて「ぶっとんだ」印象があるが、それがメインストリームかと言えば、そうではないらしく、飯島章友氏による引用を見ると、

≫聖夜とクリスマス:川柳スープレックス
http://senryusuplex.seesaa.net/article/455781369.html

ぶっとんでない川柳、意味のよくわかる川柳が並ぶ。

しかし、これでは、陳腐の見本市。

門外漢の私よりも、柳人のみなさんのほうが大きな溜め息をついておられるのではないか、と、おせっかいに。

わかりやすさと陳腐が直結するわけではない(為念)。わかりやすさを実現しながら、陳腐を免れるという点では、俳句のほうに分があるかな?(というと、川柳の人が怒りそう)

ラヴ&ピース!

2017/12/25

■好きに暮らす


お茶漬けは、昨日のゴハンにお茶を濃い目に。おかずは自分で焼いた卵焼きと塩昆布。それを至福の食事として、今年も暮らしてきたわけですが、これは、それが好きだからというに過ぎない。たいした意味はありません。

 春蜜柑そうしてたくてそうしてます  佐藤智子

ラヴ&ピース!

2017/12/24

■今年もあと少しですね

中嶋憲武さんと週刊俳句でやっている「音楽千夜一夜」も、今年はいよいよあと2回。

第31回 アーサ・キット「サンタ・ベイビー」

なお、クリスマスだからと言って、ウチでは、櫛と時計の鎖をプレゼントし合うこともないし、ケーキを食べることもない。パーティーもない。

ふたりとも無関心。

あ、シュトーレンは食べます。20日頃から少しずつ。

2017/12/22

■菓子袋 『セレネッラ』第14号より

『セレネッラ』第14号(2017年12月20日)より。

からつぽの菓子袋飛ぶ枯野かな  金子敦

スウィーツ俳人とも呼ばれる作者。枯野に飛ばすのも、ただの袋ではダメなのだ。菓子袋じゃないとダメなのだ。

業(ごう)を感じた。


2017/12/21

■冒頭集:サマセット

 ウィーリー・チャンドランはある日父親にこう尋ねた。「僕のミドル・ネームは、なんでサマセットっていうの? その名前を知ったとたん、学校のみんながからかうんだ」
 父親は難しい顔で答えた。「偉大なイギリスの作家の名前から取ったんだ。家に何冊か本があるだろう」
「でも、読んだことはないよ。そんなに好きな作家だったの?」
「どうかな。わけを話すから、自分で考えなさい」
 それからウィーリー・チャンドランの父親は物語を語りはじめた。そして長きにわたって語りつづけた。ウィリーが成長するにつれ、物語は形を変えた。多くのことがつけ加えられ、ウィリーがインドを離れてイギリスに行くころまでには、物語はおおよそ次のようなものとなっていた。
V.S.ナイポール『ある放浪者の半生』2001(斎藤兆史訳/岩波書店/2002年)


2017/12/20

■冒頭集:錯誤と創造性

 錯誤、勘違い、へま、失策、間違い、誤解、思い違い、とり違い、曲解、過ち、誤算、誤謬、ポカ、しくじり、失態、ドジ、錯乱、不条理、まやかし、幻想、妄想、幻覚、無分別、幻視、駄洒落、駄弁、世迷い言、迷論……。
 こうした言葉は、原則的には、科学と正反対なものである。
 しかし、当然のことだが、研究者も時には間違うこともある。それなのに科学の歴史や教育はずっと長いあいだ、科学者のおかす間違いをぜんぜん問題にしてこなかった。教科書では研究の成果は示されるが、それがどんなふうにして獲得されたかまでは伝えない。歴史物語は模範的な成功や成果や天才のことばかり語り、誤謬という、このちょっと胸のむかつく副産物にはまったく触れないか、触れることがあるとしても長いピンセットの先でつつくくらいだった。
ジャン=ピエール・ランタン『われ思う、故に、われ間違う 錯誤と創造性』1994(丸岡高弘訳/産業図書/1996年)

2017/12/18

■オーロラの家 『俳句新空間』第8号より

オーロラの家たくさんの鍵を持つ  小野裕三

「持つ」の効果だろうか、この家、開放的な感じがする。寒冷地で開放的なはずはないが、イメージ、ね。

開ける鍵(比喩としての鍵)がたくさんあって、内部/秘密へと到達可能。

「オーロラの家」という省略の効いた語句のロマンチックな印象も相俟って。


掲句は『俳句新空間』第8号(2017年12月10日)内の企画「世界名勝俳句選集」より。

2017/12/16

■冒頭集:チェスタトン

《昇る太陽》という名のその宿屋は、「沈みゆく太陽」といったほうがしっくり似合う外観をしていた。この宿屋は、狭い三角形の庭に立っていたが、庭は緑色よりも灰色が強く、崩れ落ちた生垣が、メランコリックな河芦とまじりあい、屋根も腰掛もともに潰れた暗く湿っぽい四阿があり、薄汚れた、水の出ない泉のほとりには、雨風に色あせた水の精の像が立っていた。G・K・チェスタトン『詩人と狂人達』(福田恆存訳/国書刊行会/1976年)

なんだかこなれない翻訳(ビッグネームなのに!)。だけど、情景描写が終わって物語が動き出すと、すんなり話に入っていけますよー、みなさん。

ラヴ&ピース!

2017/12/15

■12月のくにたち句会のお知らせ

2017年12月30日(土)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

最後の日曜日が恒例ですが、今月は変則です。

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2017/12/14

■似ていなくもない

某日曜日。友人夫婦、来訪。

yuki氏(私の現在の嫁はんです)へのクリスマスプレゼントは奈良美智のポストカードブック。彼らにとって、yuki氏は奈良美智キャラのイメージなそうな。似ていなくもない。


2017/12/12

■わかったふうな選評・鑑賞が行き交う句会、じつは不毛

昨日の記事は、あながち冗談ではなくて、本気。

「わかったふうに選評する・鑑賞する」という行為は句会レベルから俳人・俳句愛好者に浸透しています。句会だからそれでいいのですが、なんだかなあ、といった事態も招きます。

ある句会で、ある句を採らなかった理由を訊ねられて、「おもしろいと思ったのですが、選評をもとめられたら、うまく言えそうになかったので」と答えた人がいました。これ、一度ならず遭遇しています。

採った理由がうまく言えないから採らない? はぁ? なんじゃそりゃ。

これはもう、本末転倒も甚だしいのですが、異常行動と解されているフシはない。

かくして、ある人々のあいだでは(けっして少なくない人々のあいだでは)、わからない句、どこがおもしろいのか説明しにくい句は、「選」から外され、わかる句、いいところ・気に入った理由が説明しやすい句が選ばれることになる。

選評は、句によっては「好き」のひとことでいいと、本気で思っています。あるいは「ヘン」のひとこと

ある句に魅力を感じたとき、まずはパクリとゴクリとその句をからだに入れて、快楽することが第一で、同時にほぼすべて。

だから、うまく選評を言おうなんて考える必要はまったくないのですよ。

(わかる句・いいところを指摘しやすい句で、魅力的な句もあります。為念)

なお、選句は、あたりまえですが選がほぼすべて。どんな句を選ぶかが大事。



いろいろわかったふうな解釈・鑑賞が行き交う句会が「良い句会」とされる向きがありますが、経験上、選評や鑑賞の長い句会は、クリシェをえんえんと繰り返す人がいる句会です。「わかる句」の称揚のしかたについては、プロトコルがもう出来上がっていて(その手のプロトコルは簡単に身につきます)、句会経験の多い中堅・ベテランの多くはそれに乗っかって滔々と話す。これ、じつはぜんぜん生産的ではないです。初心者には有益と思うかもしれませんが、俳句世間の慣習を覚えるにすぎず、クリシェの積み重ねを鑑賞・批評と思い込まされるにすぎません。。

(批評は批評で真剣に取り組めばいいです。悩んだり葛藤しつつ。草の根批評運動は不要。カジュアルに、批評ごっこ=クリシェの合成物を繰り返しても無為。鑑賞の「類想」が量産されるに過ぎません)



そこで、これです。

http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/12/blog-post_10.html

わかる、うまく説明できる。それって、たいして重要じゃないです。

Don't think. Feel !


「わかる・わからない」についてはもうすこしダラダラ続きます。きっと。

2017/12/11

■わかるとか理解するとか解釈するとか、いったんやめてみたらどうですかね?

『ストップ・メイキング・センス』の監督ジョナサン・デミが亡くなったそうです(2017年4月26日・73歳。旧聞に属する)。

この映画、見どころは数限りないのですが(ギター1本とラジカセのドラム音で歌うオープニングアクトから、もう)、Burning Down The Houseを貼っておきます。

2017/12/10

■私の彼はわからない いわゆる難解句の周辺



蛭子能収に『私の彼は意味がない』という名タイトルの著作があることはさておいて、ある種の俳句が「わからない」という話。

ツイッターでちょっとやりとりがあったわけで、誰か togetter にまとめてくれるとありがたいんだけれど、それはそれとして、この件、7月にもちょっと触れたんですよね。

「わからない」というコメントはよく耳にするんですが、なにがわからないのかがわからない場合が多くて、ただ「わからない」とだけ言ってるなら、無視するのがいいと思います。なにがわからないのかがわからないと、話が展開しない。

これって、「わからない」のなかに「どこがおもしろいのかわからない」「どこがいいのかわからない」という低評価の言い換えが含まれているので、ややこしくなる。

それを除外すると、解釈できない、なに言ってるのかわからない、意味がわからない系の「わからない」になるわけですが、これにもいろいろな成分・いろいろな層がある。これを腑分けするのは、すこしは生産的かもしれないです。

ただ、なかには、この単語、知らない、わからない、というのもあって、それには「辞書引けや、ボケ」としか言いようがない。

それも除外すると、いわゆる難解句に対する俳人、一般俳句愛好家の態度としての「わからない」が残る。

俳句は、韻文とか詩とか言われながらも、たぶんに《散文的》に意味を摑もうとすることが多い。句の側も、《散文的》に意味が通った句が多い。圧倒的に多い。「発見」とか「共感」とかといったある種緩くて甘い鍵語で語られる句もそれに含まれます。機知の句も同様。

それらに対して、散文的には意味が通らない。省略や倒置や比喩や、そういうものを考慮しても、意味が通らない。そういう句、たしかにあります(意味が通るのが俳句とも、通らないのが俳句とも、私は思ってない。為念)。

ここで言っておかないといけないのは、わかる句が良いとか悪いとか、わからない句が良いとかってことを言いたいのではないってことです。

私の関心はそこじゃなくて、《わかる・わからない》と《良い・悪い》が読者のなかでどのように関連しているのか、ということです。

(つづく)

2017/12/09

■生プリン、焼きプリン、蒸しプリン。そのなかから蒸しプリンが選ばれたことの重要性

『蒸しプリン会議2017秋冬』をつくっていて、表紙のメンバーの並びと、本文の並びが違っていることは途中で気づいた。

表紙を直せばいい話だけれど、「間違っているほうがいいんじゃないか。あれ?と思ってくれる人がいるほうがいい。気がつかない人は気がつかないけれど、気がついた人にはその《あれ?》あるいは《あ、やっちゃってる》が一種のオマケになるんじゃないか」と思い、そのままにした。

良い子はマネしちゃダメだけど、一般に制作物では間違いを放置しないんだろうけど、《間違い》はサービス、私からあなたへの贈り物だったりもするわけです。


なお、この冊子、ポートレートと6名の作者名とを照合する箇所もない。誰が誰だか、知らない人には皆目わからない。そこから、素敵な間違い・素敵な人違いが起こることも期待している。

ラヴ&ピース!


2017/12/08

■鳥類と人類

『鏡』第26号(2017年12月1日)より。

人類の上を鳥類秋の暮  八田夕刈

大きな景。秋の空気の澄みきった感じ、夕暮の空のひかりにも、よく合う。

この句で思い出したのが、

夕焼や千年後には鳥の国  青本柚紀

俳句甲子園(2013年)の最優秀句。この句、ツイッターで初めて読んだとき、「千年後じゃなくて今でも鳥の国だよな」と思ったのですが(切れてはいても上五に夕焼とあるのでね)、そのあとすぐ、人間はもういないことが含意されているわけで、そこがこの句の眼目、っつうことで納得したわけです。

はじめの句に戻ると、人類が人類になったとき、棲処は地表。「木から降りたサル」だったわけです。鳥とも、樹上のサルとも棲み分けはできていた。そのうち、空も人間の手の届く範囲になっちゃって、そこで、『大日本天狗党絵詞』(黒田硫黄)のような事態となるわけです(空をめぐる鴉とヒトの抗争)。

なにが言いたいのかわからなくなりましたが、つまり、ああ、ここは地球なんだな、ってことです。

ラヴ&ピース!


2017/12/07

■冒頭集:ソフトマシーン

船乗りと介抱ドロやっててあがりは悪くなかった。並みの夜で15、午後に万引きこいて日暮れは操短で自由の国からちょろまかす。けどおれは血管が干上がりだしてた。W.S.バロウズ『ソフトマシーン』1961(山形浩生+曲守彦訳/ペヨトル工房/1989年)

2017/12/06

■無臍忌 9年前のこの日亡くなった山本勝之に

本日は無臍忌。山本勝之が亡くなった日です。

なぜ「無臍忌」というのか? 話せば長くなるので、ここではしません。知りたい人にはまたいつかお話しします。

もう9年も経つのですね。リンクを貼って、彼を偲ぶことにします。

私が書いた文章ふたつ。

亡くなった病院から夜中に戻って、週刊俳句・更新の作業をして、書いた「あとがき」(2008年12月7日)
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/12/085_07.html

『百句会報100号記念特別号』(2006年9月16日)に書いた一句評(山本勝之論)
http://tenki00.exblog.jp/4116418/

それから、山本勝之自身の文章と中嶋憲武による一文。

山本勝之が週刊俳句で連載してくれた「暮らしの歳時記」。歳時記として世界一・史上最悪にふざけた内容。
goo.gl/8qEDw9

中嶋憲武 マスク鳥(2008年12月8日)
http://hw02.blogspot.jp/2008/12/blog-post_08.html


2017/12/05

2017/12/03

■兄妹のこと 『街』第128号より

押入れに入ると兄ゐて夏の果  小久保佳世子

姉妹がいないので、異性のきょうだいというものについて、よくわからない(世に虚構の妹は無数に存在するようだが、それは自分の感覚の参考にはならない)。

ともあれ、強烈に近親相姦的、甘美にイケナイ句であることは一読して判然。

夏の終わり、まだ暑さが残るのであれば、押入れの中の出来事は、なおのこと。

掲句は『街』第128号(2017年12月1日)より。


余談だけれど、送り仮名。俳句は辞書的正則に縛られることはないが、押入、押入れ、押し入れの三者択一なら、押入がうれしい。「夏の果て」を「夏の果」と用字するなら。

2017/12/02

■とりあえず揚げてみるという、世界への接近法 『guca』第1号より

揚げ物にしてよしアラクニド・バグズ  佐藤りえ

アラクニド・バグズってなんだろう? 「バグ」が虫ってことはわかるけど、アラクニドって? 科学用語っぽい。

あれこれ考えるのも愉しいが、調べてみることに。

ロバート・A・ハインラインの『スターシップ・トゥルーパーズ』(映画はポール・バーホーベン監督/1997年)に登場する「昆虫型宇宙生物」(の総称?)なんですね。この映画、未見。そこで、そのアラクニド~を画像検索。

ひえぇ~、気持ち悪ぃ~(≫画像)。

でも、揚げたら、煎餅みたいになって、意外にイケるのかもしれない。鯛の皮もカリッと二度揚げすると美味なんですよね。

ラヴ&ピース!


掲句は『guca』第1号(2017年11月23日)より。


2017/12/01

■無人島に持っていく3冊

…という、よくある話題。

国語辞典。

地図帳。

2冊はすぐさま決まる。

どの国語辞典か? 『広辞苑』を選ぶ人も多そうだけれど、重すぎるし厚すぎる。コレというこだわりはそれほどないので、エンタテイニングな『新明解』あたり、いいかも。

地図は大きなものが欲しい。


さて、もう1冊は、となると、ううむ、漢和辞典?

国語辞典があるのだから漢和は要らないだろうという意見が正しいか、いやそうでもないか。悩ましいところ。

あるいは、なにか写真集?

飽きないということなら写真集がいいかもしれない。ノンフィクションなやつ、ね。

3冊目は難しいです。

ラヴ&ピース!


2017/11/29

■蒸しプリン会議へのお便り

柳本々々さんより礼状が届く。恐縮多謝。


ポイント:

1 ツイッターに上げたときは反転複写?

2 ゴチック体が似合う俳号が多い(含:わたし)。

3 ツイッターには「嚔」の字を読めない人が多そう(バカにしている)。ふりがなを入れとけばよかった。

4 柳本さんの自署「々々」の筆跡が「QQ」しか見えない。そのうち柳本QQ(やぎもと・きゅうきゅう)と名乗るのかもしれない。


残部あります↓
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/11/blog-post_26.html

2017/11/28

■ビ、ル、が、く、……『俳句界』アンケート

『俳句界』2017年12月号にアンケート結果。「平成を代表する句」として、川柳作家の句、

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ

を挙げた人がおふたり(筑紫磐井氏、橋本直氏)。印象深い。


2017/11/26

■プリンのこと

蒸しプリン会議 2017秋冬

参加メンバー:太田うさぎ・岡野泰輔・小津夜景・笠井亞子・西原天気・鴇田智哉
装画:夜景
意匠:亞子
B7判・全8頁
頒価100円

文学フリマ(去る11月23日)で販売。残部あります。

入手方法1 メンバーから直接

入手方法2 tenki.saibara@gmail.com まで送付先をお知らせください


2017/11/25

■外階段:芝浦

文学フリマは搬入と撤収に顔を出し、そのあいだ数時間の空き時間に、原宿へ、中嶋憲武さんたちの個展を見て、原宿をゆっくり散歩しても、まだ時間が余る。そこで、浜松町から会場の流通センター方面へ歩いてみることにした。

モノレールを頭上に見上げつつ、路線に沿って、また路線から離れ、蛇行し、折れ曲がる道を、土地勘まるでなく、ぶらぶら。水があれば水を眺め、川があれば川を眺める「水ラヴァー」「川ラヴァー」としては大興奮の散歩コース。海に近い川、というか運河ですね、潮の匂いがきついのが新鮮。

で、目的地まで歩けたかというと、まったくダメ。遠い。一駅先の天王洲アイルの手前で、道の見当がつかなくなり、力も尽きました。

川沿いの倉庫ビルは「裏ラヴァー」にも垂涎

室外機が慎み深く収まる裏側

2017/11/24

■原宿のギャラリーへ中嶋画伯らの個展を見に

中嶋憲武画伯夫妻+ご友人のユニット「ANY」の個展に行ってきました。

原宿。デザイン・フェスタ・ギャラリーは「ほぅ! なるほどー!」。いかにも+驚きのギャラリー複合体。



山岸由佳さんは写真を展示。


中嶋画伯は各種絵画。テーマの「エロス」が70年代スタイルで炸裂しておりました。

2017/11/23

【再掲】11月のくにたち句会のお知らせ

2017年11月26日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2017/11/21

■うごく福田・しゃべる若之

『オルガン』第11号(2017年11月8日)より。

苔的に九月の雨に自生する  福田若之

第一句集『自生地』刊行でますます注目の高まる福田若之さんのイベントが相次ぎます。

11月25日(土)のこれとか、12月3日(日)のこれとか。

週刊俳句では刊行記念インタビュー3本。音楽、本、アートと、福田若之がぞんぶんに語っております。

1 歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。 聞き手:西原天気
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/1_10.html

2 しびれることです。感電すること。それと、本っていうのは物体です。 聞き手:小津夜景
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/2_17.html

  ≫12月8日(金) 五味太郎と、俳句をこわす。

3 怪獣・色彩・低解像度 聞き手:小津夜景
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/3_23.html


2017/11/19

■文フリとか蒸しプリン会議とか

週俳、文学フリマへ。春に続いて出展。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/11/in.html

『塵風』バックナンバーとか貴重だと思いますよ(僅少出品予定)。高野文子インタビューとか、つげ義春の写真での参加とか、俳誌の範疇を超えちゃってます。

あと、『MANO』終刊号とか、福田若之『自生地』に付いてくるオマケの第二句集もね。

で、このまえの文フリ向けに「蒸しプリン会議」という小冊子が出たのですが、今回「秋冬」を鋭意制作中。今朝、自分ぶんの5句をようやくまとめた。

判型は前と同じB7判(てのひらサイズ)。仕様と紙質が異なります。

※下写真は5月に出た「蒸しプリン会議 2017春夏」


2017/11/17

■蘭鋳 『奎』第2号より

よちよちとらんちうの来て縁に沿ふ  クズウジュンイチ

そういえば、ランチュウは泳ぐというより水の中を這う感じがする。「縁」は金魚鉢の内側だろうか、あるいは水槽の底の置き物だろうか。ともかく、それに身を沿わせる。

状態・行動そのものを詠んで、キュート。さすが、金魚。何をさせてもキュート。

掲句は『奎』第2号(2017年6月)より。


2017/11/16

■『オルガン』は純文学



『オルガン』の句を取り上げると、オルガンの動画を載せられるので、うれしい(ヘンなうれしがりかた)。

楽器としてのオルガンにはいろいろあるのですが(演ってる音楽もいろいろ)、貼っているのはもっぱら、ソウル/ジャズ系。だからといって、俳誌『オルガン』がソウルフルあるいはジャジーかというと、そうでもない。

同人誌というもの、メンバーによって作風が異なる(結社誌のほうが均一でしょうね、道理的には)。だから、ジッパヒトカラゲにソウルフルとかジャジーとか形容詞をあてはまめることにはムリがある。それは承知しながらも、自分なりにざっくりその俳誌を言い表す語について思案したりする。でね、昨日、思いついたのは「純文学」という語。

『オルガン』って、純文学だよな。と、ひとりごちたわけです(声にはしません、アタマの中で)。

俳句全般、純文学とエンタメ(昔なら中間小説・大衆小説と呼ばれていた分野)という二極をもって位置づけることができるかもしれない。

もちろん洩れてくる句/作家、どちらなのか迷う句/作家もあるでしょうけど。

というわけで、『オルガン』は純文学。


では、エンタメに属する句は?

例えば、このあいだ週俳にレビューを書いた大野泰雄『へにやり』なんかが、そう(私の決め方です。いまさらの為念)。

あ、そうそう、サブカル的な句群は、純文学じゃないほう、エンタメに入れていいかもしれません。例えば、だいぶ前に週俳にレビューを書いた岡野泰輔『なめらかな世界の肉』


どれが良いとか悪いとかではなく、俳句は、豊かなバラエティーをもっているということ。

「俳句とはこういうもの」「そんなのは俳句じゃない」とか偏狭なことを言わずに、ひゃあぁ、いろいろあるなあ、ニコニコ、でいいんじゃないかと思います。

ラヴ&ピース!


『オルガン』ウェブサイト

2017/11/14

■案山子と死 『オルガン』第11号より

ぶさいくな案山子に思い出せない死  田島健一

案山子はたいがい不細工。田圃であれを見ると、なんだか悲しい気持ちになる。死もまた悲しい死が多いわけですが、その悲しみとは大きく違う。「思い出せない死」となれば、その悲しみは透明感を増す。こうとは言えない、いまひとつ自分でとらえられないという意味での透明。

ここにあるふたつの事物はおおむね対照的。助詞「に」が問題となるが、場所や所以を示す格助詞よりも、並列助詞(と=and)で読みたくもなる。前者で読むと、案山子の顔と死者の(思い出せない)顔がリンクしすぎるのだ。

掲句は『オルガン』第11号(2017年11月8日)より。



2017/11/13

■勝手に組句:プロペラ

プロペラの句は意外に少ない。

ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵  小津夜景『フラワーズ・カンフー』 

プロペラ機までの日傘をひらきけり  山尾玉藻

胸に聴くプロペラの音夏は来ぬ  10key「東京タワー」


2017/11/12

【お知らせ】11月のくにたち句会

2017年11月26日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。


2017/11/10

■木枯の季節(というにはまだちょっと早い?)

人が来て木枯しが来てインターホン  伴場とく子

「来て」で対句となった「人」と「木枯し」は、最後の「インターホン」で、どちらも音だったことがわかる。

音も、映像も、クローズアップ。

句としての構成がきちんと設えられています。

掲句は『現代俳句』2017年11月号より。


2017/11/09

■失恋じゃなくて失婚の話のようですね スピカの今月の連載

スピカでの一か月連載、織田亮太朗「まいにちがしつれん」。連載の途中での「謝罪」が入りました。異例ですよね。

2017年11月8日
http://spica819.main.jp/tsukuru/21150.html

スピカ賞 受賞発表
http://spica819.main.jp/tsukuru/21154.html

年寄りがこういうテーマについてなんだかんだ言うのはみっともないし、どうでもいいっちゃどうでもいいのですが、どちらの記事にも「表現」についての謝罪が入っている。

《今後はそういった表現の無いように》《スピカ運営からも不適切な表現の掲載についてお詫び申し上げる》

これを見て、急遽、ちょっと書いておこうと思いました。表現が問題なのか? 違うだろう、ということで。

私が(あるいはSNS上では何人かの人が)違和感を持ったのは、おもに次の二つの記事。

http://spica819.main.jp/tsukuru/21130.html

http://spica819.main.jp/tsukuru/21132.html

違和感をざっくりかいつまめば、前者:句会は婚活の場かよ? 後者:結婚は幸せのゴールかよ? ということ。

(付け加えれば、ご自分の恋愛観・女性観・結婚観を、ややうざったいかんじに周囲に振り撒きまくっていると思しき言動)

いわば、織田氏の考え方やスタンスへの違和感です。表現じゃない。

なぜ、スピカ運営も、織田氏も、表現が不適切だったなんて言い方をするのでしょう(失言政治家がよく言う「誤解を招いてしまった」というのに似ている。いや、誤解してないですから)。

表現なんていう政治的な逃げ方をするんじゃなくて、こんなふうに抗弁あるいは補足するべきなんじゃないか?

A「句会を婚活と考えて何が悪い?」

B「結婚は幸せ(の一形態、一手段)でしょ? ちがう?」

(あえて悪ふざけ気味に付け足せば、「私たちスピカ3名は、俳句で伴侶を見つけ、幸せだ。どんなもんだい? なにか文句ある?」)

Aについては、私も、悪いと思わない。そういう魂胆があっていいでしょう。でも、織田さん、それを公言してしまうのはねえ、戦術的にどうなんでしょう?

句会を、恋愛を、結婚を、どう考えるかは人それぞれですが(私もそんなに道徳的な人間じゃないし)、連載を読んで、「この人、他人を好きになったことがあるだろうか?」とはちょっと思いました。ご自分の幸せのことはわかったけど、相手の幸せはどうなんですかね? ということ。

タイトルは「まいにちがしつれん」となっていますが、これ、失恋じゃなくて、失婚の話ですよね。

Bについては、幸せな結婚もあるし、そうじゃない結婚もある。幸せなときもあるし、そうじゃないときもある、と想像いたします。

まあ、そんなこんなで。

織田氏ができることは、一部読者の(想定される)非難・怒り・違和感を「謝罪」でなだめるのではなくて、以降の連載で自虐芸に磨きをかけること。

読者の何人かが得た教訓は、自虐ネタはむずかしいということ。

スピカ運営がすべきだったのは、著者を守ること(上記選考基準の記事である程度は守ろうとしている)。


ちなみに、どうでもいい話ですが、私は既婚者で、現在も婚姻状態にあります。結婚がいいか悪いかと訊かれたら、「いい結婚、ましな結婚になるよう、それなりにいろいろと努力みたいなものはしているつもりですが、むにゃむにゃ」と答えておきます。

2017/11/06

■合体





2017/11/05

■外階段:相模ダム


相模湖へ(ウチからクルマで近いんですよね)。いわゆる吟行なわけですが、外階段ハンターとしては当然それが目に入る。



2017/11/03

■夕餉のミサイル

夕飯の味噌汁にいくミサイル  柳本々々〔*1〕

味噌汁の具になりにゆくような滑稽味。刻む前の長葱をそのまま椀に突っ立てたような、ね。

俳句だと、この句を思い出す。

空爆や鍋焼うどんに太い葱  下村まさる

奇しくも五七五からは逸れた、いくぶん破調な二句(前者574、後者585)。この手の兵器+食べ物(料理)の句には、《人類に空爆のある雑煮かな 関悦史》もあるけれど、こちらは事象寄り。ミサイルや爆弾のブツ感は薄まる。


〔*1〕『川柳スパイラル』創刊号(2017年11月25日)より。



2017/11/02

■黄緑色

買いたかったものはなかったけれど、その文房具屋は狭く、帳場の主人との距離があまりに近かったために、何も買わずに店を出るのもはばかられ買ってしまった、黄緑色のインク入りの簡易万年筆はあんがい、持っているだけの飾りには終わらず、使ってみましたよ。


2017/11/01

■卵生の石部明

奇想、と述べるだけでは、その一句を語ったことにならない、と言われそうだけれど、奇想そのものに価値があると思っているし、それにね、「きちんと奇想」ってのは生易しくはない。奇譚も同じ。奇想・奇譚を狙ってはいても、結果、「あれれ? それってそんなに『奇』でもないですよ。わりあい順当」という場合も多い。

ボクシングジムへ卵を生みにゆく  石部明

ヒト、卵生、場所の用途。それらが大きくずれ合って、奇妙な世界。伝統的なポエジーからもはみ出す。

掲句は『THANATOS 石部明 3/4』(2017年9月/小池正博・八上桐子)より。

ほかに、

靴屋来てわが体内に棲むという  同

句末の「という」で事態が未来のこと(靴屋の意思)となり、「わが」の私が微妙に軋む。

軍艦の変なところが濡れている  同

軍艦が身体性・有機性をまとい、奇妙にエロティック。



2017/10/31

2017/10/30

■雨の妙見島

葛西駅方面から橋を渡ってまず在るのが「HOTEL LUNA」。



偽の月がのぼる。

「月光」旅館
開けても開けてもドアがある  高柳重信

産廃処理施設やら工場やら、すべて大雨の中。




2017/10/28

■はがきハイク余話

口から何が出てるのか、非常に気になる。

2017/10/26

■遠藤賢司をもうすこし

不思議だ。こんな曲が好きだったりする。



遠藤賢司のアルバム『満足できるかな』は持っていた。当時、フォークソングはほとんど聴かなかったのに。

この曲、扇風機がぶーんぶん♪という箇所が特に好きでしたよ。いま聴いても雄弁な歌唱。なぜかザ・バンドを思ったりする。音の組成は違うのに。


一般論ですが、語るように歌えるシンガー(シャウトしてもバラードでも)、歌うように演奏できるプレイヤーは素晴らしい。そう思ってます。


2017/10/25

■遠藤賢司逝去

遠藤賢司が亡くなった。

デビューから知っているわけですが(世代的に)、想い出深いのは2本の映画(ドラマ)。

ひとつは、NHKドラマ『さすらい』(1971年/佐々木昭一郎演出)。雨の日比谷野外音楽堂で無人の客席に向かって「カレーライス」を歌うシーンは、全篇べたべたに感傷的なこのドラマの中でも特に印象的で、それこそ湿気たっぷりにスーパー感傷的なシーン。

もうひとつは、映画『ヘリウッド』(1982年/長嶺高文監督)。敵役・悪漢役で登場する遠藤賢司は、このなかで「東京ワッショイ」を歌い「歓喜の歌」を歌う。日本一カッコいいロックスターなんじゃないか!(と今でも少し思っている)。

でね、付け加えると、ギタリストとしての遠藤賢司も好きだった。アコースティックでアルペジオを弾くときも(カレーライスのギターはほんとうに美しい)、ロックするときも。

合掌。


真説温泉あんま芸者 第8回 サブカルの夜明けあるいは/しかし映画「ヘリウッド」再見



2017/10/24

■冒頭集:子規

 正岡子規は俳句を文学にまで高めたという。
 しかしそのとき、子規にとって「文学」とは何であったのか。
 子規が俳句について語り始めたころ、日本の「文学」は、ようやくその内実を整え始めたところであった。人々は、一方で戯曲、小説、詩という西洋の文学のジャンルを日本語で表現するための、その新しい日本語を模索していた。
 また一方で、人々は日本の伝統のなかに、その「文学」と呼びうるものを探し求め、どうやら日本古来の詩歌や物語も「文学」と呼びうるもののようだと認知されていくなかで、俳諧ばかりは最後まで疑惑の目を向けられつづけていたのである。
 子規はその俳諧を背負う。そして「文学」の坂道を登り始める。

秋尾敏『子規の近代 滑稽・メディア・日本語』(1999年7月30日/新曜社)

2017/10/22

■雨の林檎 『天の川銀河発電所』より

りんご採る手に雨粒のなだれ込む  堀下翔

劇的なクローズアップ。

それ(とそれ)しか見えない、といった感興を句がうみだすとき、そこにはフレーミングの妙というだけではない、ある種の気概のようなものがある(気概をそれほど大げさに捉える必要はない)。

ところで、少し前に、劇中音楽に2種類があって、

 ≫その場で鳴っているはずのない季語の話

という話をしましたが、この句の「りんご」は、実際に鳴っている音ですね。

ラヴ&ピース!


掲句は、佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(2017年8月31日/左右社)より。



2017/10/16

■雨

よく降りますね。

高きより雨落ちはじむ桐の花  飴山實

きのう若い俳人の口から飴山實の名が出たので引いてみました。

ラヴ&ピース!


2017/10/13

■アイロンのこと星のこと

アイロンの胎内に水春の星  柴田千晶

たしかに水が入っている(入ってないのもあるよ、もちろん)。「胎内」の語で鉄の塊に性が宿る。「春の星」との照応は垂直。構図としてめずらしいものではなく、意図の明瞭さをきらう向きもあろうが、水がやがて水蒸気となり、その一部は空気中へ、空へと、霧消することを思えば、この垂直性は多声的。

それよりも、この湿度。春の星は、四季を通じて最も濡れていそうなのだ。

掲句は『hotel 第2章』第40号(2017年5月10日)より。



ところで、擬人法とアニミズムはときとして似ている。

作句作法上、忌避あるいは慎重を要請される擬人法。特定の句において称揚の脈絡で用いられるアニミズム。その境界は、それほど明確ではない。

アイロンに命が宿る/が命を宿す、という把握は、擬人法なのかアニミズムなのか、といった判断に、おそらくそれほどの意義はない。

擬人法だからダメ、アニミズムだからオッケー、といったオートマチックな判断二分法って、つまんないよね。

ラヴ&ピース!

2017/10/11

■業界最小最軽量「はがきハイク」発送

第17号をお届けしています。

ご興味のある方は、tenki.saibara@gmail.com までお知らせください。すぐにお送りします。

送り漏れも多々。「あれ? 届かない」という方も上記メールアドレスまで。

なお、はがき全体の画像をインターネット/SNSにアップするのはご遠慮ください。なにしろ小さいので全文転載になっちまいます。

2017/10/10

■二円切手 『川柳木馬』第152号の一句

二円切手肩甲骨へ貼ってある  萩原良子

切手代にはじめて半端が生まれたのは1989年4月。消費税3%が導入されて、ハガキが40円から41円へ、封筒が60円から62円へ値上げ。41円切手、62円切手が登場した。以降、切手代は60円ぴったりだとか62円だとか82円だとか、変転を繰り返す。古い切手も手元に残っているので、1円切手、2円切手が活躍する場面が増えた。

掲句、肩甲骨という位置が絶妙で、その斜め上具合(位置の話です)が、それほど突拍子ないものでもなく(実は突拍子ないのですが)、貼る位置として正しいような気になってきます(錯覚です)。

もっとも二円だけではどこにも行けないわけですが。

掲句は『川柳木馬』第152号(2017年4月)より。


2017/10/08

■リアル夫婦喧嘩 山口優夢「殴らねど」10句がナイス

山口優夢「殴らねど」10句(週刊俳句・第539号・2017年8月20日)がとてもいい。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/08/10_58.html

夫婦喧嘩の連作なんて見たことないぞってこともあるのだけれど、その筆致。大雑把にいえば写実主義/自然主義の描写。これ、もちろん、ここに詠まれていることが「事実」「実話」かどうか、ではなくて、実話っぽく書かれているということ。

(俳句のリアルに関して重要なのは、事実かどうかの裏とりではなく、書きぶり・描き方、だと思っている)

夏痩せの妻と喧嘩や殴らねど  山口優夢

冒頭で連作の主旨を明示している点、行き届いている。父母を夫婦の参照としているところも効果的。

妻から指をつないで帰る墓参かな  同

おしろいや終はつても済んでない喧嘩  同

ラス前でハッピーエンド(収束)を言っておいて、ラスト「終はつても済んでない」と含みを持たせた構成も心憎い。


ところで、山口優夢には、新妻懐妊を詠んだ「戸をたたく」10句、第一子出産を詠んだ「春を呼ぶ」50句がある。

後者掲載号の後記で、私はこう書いた。
新婚生活を詠み(デレデレ)、お子を授かる喜びを詠む……。/とかく俳句世間には、吾子俳句、孫俳句が毛嫌いされる傾向があります。理由は例えば、そんなこと、こっち(読者)は知ったこっちゃない。/しかしながら、私は、そういう句(ついでにデレデレ句も含め)、アリと思っています。賛成派です。我が身に起こる出来事を句にすること、句にしたいと思うことは自然だし、それって、アリです。/ただし。/ただしです。/万万が一、例えば「離婚」というようなことに、このさきなったとき(仮にです。万万が一です)、そのときは「離婚」を詠んでいただきたい。そこを怠るようでは、俳人の名が泣きます。
離婚詠はさておき、夫婦喧嘩もきっちり10句へまとめあげた山口優夢には、俳人としての(良い意味の)業(ごう)を感じざるを得ない。

ナイス!

2017/10/07

■俳句的ゲシュタルト崩壊

ゲシュタルト崩壊のカジュアルな例として、ある字をじっと見つめ続けていると、「この字、こんなだったっけ?」と、認識が崩れてしまうのが挙げられるんだけれど、俳句にも、ときどき、それに似た崩壊が起きる。

「この句、なんでここに花の名前があるんだろう?」「なんで秋の風なの? なんで豊の秋なの?」。季語だとか取り合わせだとか切れだとか、そんな約束事に実体が感じられなくなると、奇妙な文字の連なりにしか見えなくなる。

別の角度から言えば、一種のジャメビュ。俳句というものが「そんな」かたちをとることをじゅうじゅう承知しているはずなのに、初めて見る異形のように思えてくる。

でもね、それって、身体(読者の身体)の事故でもなく、不幸でもない。潜在する違和感や不審・不信が、身体や感覚に現れたものだと思うのです。

ラヴ&ピース!

2017/10/05

■太陽系と銀河系 『鷹』10月号より

『鷹』という結社誌は、表紙のイラスト(谷山彩子)がいつもキュートで、手にとるだけでちょっと気分がよくなります。


これから寒くなっていくという時季、靴下はうれしい。

ただ、掲載句は、投稿誌/結社誌の常で、夏の句。

銀河系にて太陽に日焼せり  小川軽舟

事実は、太陽系にいるから、なんでしょうけれど、それでは句としてあんまりなので、ちょっとずらして「銀河系」。あたりまえ(A)から半歩離れたA′(エーダッシュ)へ。

ツーシームでボール半個、バットの芯をはずす感じ。

ラヴ&ピース!

2017/10/04

■SLEEPWALK:東京都中央区


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2017/10/02

■窓

画像をクリックすると大きくなります
長野県松本市。

2017/10/01

■十月へ

九月が終わった。NHK「ひよっこ」も終わった。たのしく(録画を)観たが、なにしろ登場人物全員が「いい人」で、すべてがハッピーエンド。現実にはあり得ない。

一方、「ウツボカズラの夢」という民放のドラマは、世俗の欲にまみれたどろどろのドラマ。

このふたつを観ることで、精神的なバランスがとれた。あたりまえだけど、世の中、どっちかだけじゃないので。



ウェブサイト「スピカ」9月の連載、小津夜景「かたちと暮らす」も終了。楽しめた。

http://spica819.main.jp/category/tsukuru/tsukuru-ozuyakei

なにがいいって、明るくて、風通しがよいところ。

「明るい」の対義語は「蒙い」。明るさとは、ものごとによく興味をもち、よく知り、よく愛すること。

風通しのよさは、自由。なにごとからも自由。《自分》からも。つまらない因習からも。鈍重な枠組からも。



9月のくにたち句会、無事終了。ときどき思い出したように銘打つ「悪魔のように句をつくり、悪魔のように飲み且つ喰う」だが、みなさんの加齢とともに、また成員の緩やかな入れ替わりによって、悪魔成分が薄まり、アダルトでラヴ&ピースな進行。

句会後は、きのこ鍋メインにいろいろ。きのこ鍋はいろいろなきのこを入れるのがよろしいです。きのこはそれぞれ良い出汁が出ますが、ブレンドの度合いが高まると、なおいっそう美味。


2017/09/30

■地雷の話

佐倉色(さくら・しき)『とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話』(2017年6月9日/飛鳥新社)は、新人漫画家がトンデモない担当編集にぶち当たってしまい、恐ろしくひどい目にあうという実話。業界暴露というよりサイコホラーとしておもしろく読んだ。

登場する担当編集やその上司(編集長)はいかにもいそうで、リアル。マンガという分野、出版という業界に限らず、いわゆる「地雷」被害、この手のサイコホラーな被害と、誰もが無縁ではないということなんだろうと思います。



それはそうと、この本、「字の多いマンガ」と思って読んでいましたが、括りとして、「マンガ形式のエッセイ」らしい。どうでもいいっちゃいいことなんですが、へぇと思いました。

話は飛ぶんですが、福田若之『自生地』。世間では「句集」ということになっているようですが、私の捉え方は「俳句のたくさん入った自伝的青春小説」。


2017/09/29

■ふたつのロゴタイプ

画層をクリックすると大きくなります

2017/09/28

■野麦街道の山栗とかナメコとか

道んとこに置いてあって、箱に代金を入れるタイプ。1袋350円。家で茹でたら、とても美味。


「道の駅」状のとこで買った原木ナメコで、きのこ鍋(舞茸は近所で買った)。こちらもびっくりするほど美味。

秋に中央高速道を走ると、いろいろ美味しいものが手に入るのであります。


【再掲】【お知らせ】9月のくにたち句会

2017年9月30日(土)14:00 JR国立駅改札付近集合

いつもは最終日曜日なのですが、今月は異例。

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2017/09/27

■外階段:歯科グラフィティ


長野県松本市。

2017/09/26

■鯨はとても大きいという事実 『連衆』第78号の2句 

鯨はとりあえずでかいので、どこにやってきてもインパクトがある。存在感がすさまじい。

天網よりどすんとまっこう鯨かな  谷口慎也

墜ちてくる鯨はかなりめずらしいと思う。

隠喩として機能する句もあるだろうが、そうした喩をしばしばふっ飛ばしてしまう鯨の大きさと重量感に、私(読者)は、ほぉとただ呆けてしまうのだ。

掲句は『連衆』第78号(2017年9月)より。同じ号に、

天の川青い鯨が涕きました  柿本多映

「涕く」は「なく」。

そういえば、句集『仮生』(2013年9月1日・現代俳句協会)に、

  水平に水平に満月の鯨  柿本多映

もありました(≫拙記事:週刊俳句・2013年11月10日号)。



■外階段:奥


長野県松本市。

2017/09/23

■倒れた人 『連衆』第78号の岡村知昭

つまりあのつまり倒れて雨の朝  岡村知昭

のっぴきならない様子。8音を「言い淀み」に使い、なにかと思えば「倒れて」。それはたいへんだったろう。

ふつうこの箇所に季語を持ってきて、だいたいは中途半端になるんだけれど(ちょっと剽軽にまとめたりとかね)。この句は「雨の朝」。〈季語どころじゃない〉かんじが、とてもよく伝わる。で、「雨の朝」がじわじわと長く、こちら(読者)の側頭部あたりに効いてくるのだ。

掲句は『連衆』第78号(2017年9月)より。

2017/09/22

■バーコードの威力 飯田良祐句集『実朝の首』より

バーコードにみじん切りにされました  飯田良祐

刃がより合わさったような、凶暴なかたちを、そういえば、している。

20世紀以降の消費社会、とか言うと、興ざめ? かもしれなくても、換喩としてのバーコード、被害者としての自分。

掲句は飯田良祐句集『実朝の首』(2015年1月/川柳カード)より。


■初

お名前は存じ上げておりましたが、お目にかかるのも食するのも初めてのような気がいたします。


2017/09/21

■屋根の空

画像をクリックすると大きくなります

2017/09/20

【句集をつくる】第17回 詞書のことなど

前記事で紫陽花の句のことを話したのですが、山口優夢句集『残像』が出た直後だったと思う、ふだんあまり行かない句会にお邪魔して、

あぢさゐはむしろ残響ではないか 10key

という句を投句したところ、向かいに坐ってたおばちゃんに、ものすごく怖い目で睨まれた。優夢くんのファンだったのかもしれません。あるいはその手のもじりに不寛容だったのか。あるいは、ただただつまらないと思ったのか。

ところで、こういう句も、何かの拍子で句集に入ってしまう可能性(危険性)が大いにあって、その場合は、詞書で《ode to あぢさゐはすべて残像ではないか 山口優夢》とかなんとか添えるわけです。

詞書はしばしば愉しい。自分にとって、ということだけれど(≫流体力学10句)。詞書を効果的に配した句集もたくさん見るようになった。


というわけで、ひさびさの【句集をつくる】。ひさびさだけあって、ぜんぜん進んでいません。実際の作業どころか、頭の中でも。

ラヴ&ピース!


九月に紫陽花の話題で、ごめんね。

2017/09/18

■紫陽花が若手俳人のあいだで課題化?

福田若之 〔ためしがき〕自分の書いた句を読みなおす
http://hw02.blogspot.jp/2017/09/blog-post_12.html

こういう自句自解は感心しないけれど、それはまあいいとして、語順については、代替案も含め、どれもそれほど変わらないように思う。

語順によって〈散文的〉〈意味合い〉の差異はわずかに生じるが、〈韻文的〉〈効果〉に大差はない。


それよりも、上掲記事に並んだ紫陽花3句。若い作家3人の有名句。

てざわりがあじさいをばらばらに知る  福田若之

あぢさゐはすべて残像ではないか  山口優夢

紫陽花は萼でそれらは言葉なり  佐藤文香

3句とも、ノリがひじょうに近い。

よくいえば、理知的なアプローチ、悪くいえば、理屈っぽい。

よくいえばリリカル、悪くいえばポエミー。


若手で3人でこのように揃い踏みっぽいとなると、ひょっとして、紫陽花は、楽器の実技試験のおける課題曲のようなものなのでしょうか。

『天の川銀河発電所』あたりで紫陽花の句を拾ってみると面白いかもしれませんよ。

ラヴ&ピース!


2017/09/17

■裏面

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