2020/11/30

■踵がゲル状のもの

2、3時間歩いても脚はぜんぜん大丈夫。ただし、踵にくることがある。なので踵にクッションの入った靴が欲しかった。ってわけで、買った。

府中の地元で使えるお得な商品券があって(コロナ対策)、それを使ったぜ。

オニツカタイガーは大昔に履いたことがあるかもしれんが、アシックスは初めて。

たのしみ。

歩いてるうちに走り出しちゃう、なんてことは、ないか。ないな。



2020/11/29

■青空 小池康生句集『奎星』より

空はなぜ青いのか? この問いへの正答はなかなかややこしい。フィリップ・プレイト『イケナイ宇宙学』(好著!)に一章を割いての詳しい解説がある。かいつまむと、レイリー散乱と人間の網膜のしくみ、ということになのだが、科学用語に難渋する向きに喩えも示されている。軽い葉っぱは風に散らばり、思い木の実は地面に落ちる。青は葉っぱというわけだ。

ここでひとつ興味深いのは、眼のしくみがちがっていれば、空の色は紫だったという事実(紫は青よりもさらに葉っぱ的=軽い=波長が短い)。ま、それはさておき。

青空は微動だにせず囮籠  小池康生

青空はなぜ動かないか? この問いは、自然科学よりも論理学、文学の範疇のような気がするので、モノの本で調べることはしないでおく。

青空は動かない。

自明の理といっていいんでしょうか。掲句、口調によって伝わる心持ちを横に置くと、あたりまえの事実と季語で成り立っています。

そう。季語の話です。

あたりまえの事実だけではきほん俳句にも詩にもならない。それがなんと、季語というもの、不思議というか強力というか便利というとネガティブなので効率的なものか。季語が加わるとたちまち地味のある句になったりする。

こういう具体的で方法論的な事柄が、俳句と川柳を元も子もなく分かつと思っているのですが、それはさておき、季語のよく言われるところの「斡旋」、ここに作家の特質があらわれる。

囮籠。

景がくっきりとしますし、獲物を待つ静的な空気、鳥から連想される空、それも秋の澄んだ空(蛇足ながら囮籠は秋の季語)などのイメージを同時に喚起する。俗な言い方をすれば、囮籠いっぱつで作者の力量がわかるというもんです。

掲句は、小池康生句集『奎星』(2020年10月23日/飯塚書店)より。≫amazon


なお、自明の理+季語という作りはまずまず頻繁で、自作からも思い出しました。掲句と比ぶべくもありませんが。

物体に陰そなはりて毛糸玉  10key(『けむり』2011年)

斡旋の優劣とは別に、その人らしさ、その句集らしさが出るかたちでもあるようです。毛糸玉は「らしい」かな? と、つくったとき思ったことを、いま思い出しました。

ラヴ&ピース!










2020/11/26

■吸取紙

万年筆で縦書きに字を書いたりするので、吸取紙は必需品です。

むかしは便箋を買うと1枚目として吸取紙が付いていて、不自由はしなかった。ところが、このところ、吸取紙が付属していないことがとても多い。

しかたなく、手元の1枚をずいぶん長いことだいじに使っている。

なんとかなりませんかね? 伊東屋特撰便箋さん、満寿家の優雅箋さん、ほか。

……とボヤいていたら、なんと、丸善「WRITING TABLET」さんには、吸取紙が付いているではありませんか。ちょっと硬めだけど。

あっさり問題が解決した。

地虫出づ吸ひ取り紙に字のかけら 10key(句集『けむり』)



2020/11/25

■はらだとくろだ 播州散髪剃毛事情

昨日取り上げた『金曜日の川柳』(樋口由紀子)をめくっていると(手元に置いてぱらぱらしたい本です。最初から読むんじゃなくてね。例えばトイレに置いておくのもオススメ)、こんな句があった(ウラハイからの転載なので一度は目にしているはずなのですが)。

風がはじまる理容はらだのお顔剃り  北村幸子

解説によれば、姫路吟行での一句。

これで思い出すのは、週刊俳句(2016年7月10日号)での特集「BARBER KURODA」。


はらだとくろだは違うんだけど、同じ姫路だしね。

で、理容はらだを調べてみると、ありましたありました(≫画像)。この道(みゆき通り)、じつは私、千往復以上はしているのですが、大昔のことなので憶えていません。ですが、店のファサードの既知感・既視感たるや、そりゃあもう色濃い。

なんの話をしているのかわからなくなりましたが、掲句、出だしの《風がはじまる》から、後半、なんともいえぬ脱力へ。落差がたまらない句。

ああ、姫路にも行きたい、というか帰りたいなあとも、一瞬思いましたが、とうぶんかなわないのでしょうね。コロナな世情。




2020/11/24

■ずれる 普川素床の川柳

ごはんほかほか顔の左右の不思議なずれ  普川素床

前半は穏やかで幸せな事象。まあ、日常の明るい側面。そこから、後半、文字どおり「ずれ」て、少々不穏。

人間の顔は厳密な左右対称ではなく、左右でいくぶん違う。近頃は小さいときから片一方の奥歯でばかり嚙むんでいるせいで顎や輪郭が非対称になる人が増えたという話を聞いたことがあるが、それはそれとして、少々の非対称は美的にも問題がないだろう。むしろ魅力的だったりする。その話も置いておいて、この場合、《不思議なずれ》だから、あるとき、非対称を《不思議》に感じてしまったのろうか。

自分の顔なのか、ごはんをいっしょに食べる人の顔なのか、それで句の情景は変わってくるが、私は、一読、自分の顔と読み、そのあと、目の前の顔のほうが不穏さ・不思議さが増すように思うようになった。
ちなみに、この句は、樋口由紀子『金曜日の川柳』に収録されていて、樋口氏は、自分の顔と解している。


余談。

ほかほかのごはんというと、真っ白な炊きたてを想像するが、わが家では長らく胚芽玄米と白米を1対2なので、たまに真っ白なごはんを見ると、なんだか奇妙な気がするし、味もちょっと物足りなかったりする。習慣って大きいですね。

ラヴ&ピース!



2020/11/22

■虹と食パン 西橋美保「夏の川」より

はちみつのわうごんいろが食パンに垂れつつおもてとうらがさだまる  西橋美保

はちぐわつのこの世のほかの街にたつ虹がこの世の街にかさなる  同

西橋美保「夏の川」24首(『姫路文学』第134号・2020年9月)の冒頭と掉尾。ともにひらがなが効果的。

前者。トーストに蜂蜜をかける習慣はないのですが、ちょっと、してみたくなった。

後者。虹って、この世でない街に立つかんじがしますよね。あの根元はいったいどこなんだろう。

2020/11/21

■嫁はんのコンサートが無事終了

客席50パーセント以下という条件をぎりぎりクリアして(つまりたくさんの人に来ていただいた)、受付で検温やら手指消毒やら、終演後に会場外で出演者がお客さんたちに対面で挨拶というこれまでの習わしはナシだとか、いろいろいつもと違っていましたが。

ラヴ&ピース!



2020/11/19

■あやしい 『猫街』第2号より

中元のハム用に太らせておく  近江文代

豚を見る目が、人と違う。

蛇のため卵を買って帰ろうか  同

蛇、飼ってる。

この人、あやしくないですか。


『猫街』第2号(2020年10月)収録の近江文代「卵」30句は、奇妙な視点の句がいくつか。

自動販売機ぶつかりながらビール来る  同

ビール視点ではないのだけれど、見えない内部がありありと見えるような句。


それはそうと、駅のプラットフォームで飲料水の自販機の詰め替え(補充)・集金の作業にたまに出くわすと、まじまじと見てしまいます。作業員の挙措がよくこなれていて、手際よくムダがない。缶を放り込むしぐさが美しい。このあいだの人は、レシート(数値管理なんでしょうね)をたたむ指先もスタイリッシュで、ほれぼれしましたよ。

ラヴ&ピース!





2020/11/17

■事後の破片 『Picnic』第1号より

糊余るこの世に昆虫の破片  榊陽子

糊塗という語は良い意味では使われない。「この世」はとりあえず糊で貼り合わせておくこと、とりつくろうことが、とても多い。ふつうに考えてめちゃくちゃで、やってらんない。糊が大量に要る。

でも、せんぶの作業が終わったようだ。糊はちょっと余っちゃった。

昆虫の破片=破壊や壊滅のイメージは、さまざまな〈終わり〉のさらにその後だろうか。


掲句は『Picnic』第1号(2020年11月)より。ここに収められた榊陽子「糊余る」21句は、《秋牡丹西に傾く性交痛》やら、《ご覧なさいしっかり米が勃っている》になぜに「勃」の字を使うかなあ? とか、通常運転部分はあるものの、全体にエロ度は薄い。特定の作家に「エロ」ばかりを求めるのではないが(すでに八方から非難を浴びそう)、エロって、とことん素晴らしいので、ラヴ&ピース! ついつい求めてしまう。

ところで、こう、エロ、エロゆってると、掲句もそんなふうに見えてきた。

「糊」からの即物的な連想ではない。「昆虫の破片」に漂う事後のイメージ、ポストコイタス(postcoitus)のイメージ。


なお、『Picnic』は「5・7・5作品集」と冠されていて、柳人・俳人双方が参加の模様(詳細わたしには不明)。150mm正方形・リング綴じ・本文横組というユニークな体裁。


2020/11/16

■3日後のピアソラ

当初の今年の3月予定だった嫁はんのピアノコンサート、コロナで中止/延期となったが、この11月に客席50パーセント稼働で決行とのことで、それがいよいよ3日後に迫り、

≫こちらがチラシ(今で言うところのフライヤー)

わたしはというと、当日配布のプログラム(曲目解説)の作成を手伝うわけで、もうすぐ夜中にプリンターがじぃこじぃこと鳴り続けるはず。

それはそうと、ピアノ2台のピアソラは、自宅練習を居間から聴いているだけでも迫力。

ラヴ&ピース!

2020/11/15

■11月前半が終わる

ご恵贈いただきながら未読の句集が30cmを超えた。もうぼくはダメかもしれない。


タイガースの今季最終戦を観る。9回は能見投手。タイガースでの最後の登板でセーブ(キャリア2個目)がつく。ずっと長いこと能見が好きだったのは、ピッチングフォームが素人目にも美しいことはもちろん、マウンドでの表情が理由。馘首にする選手は他にもいるだろうに。残念。


陰謀論に陥ったトランプ信者が米国にたくさんいることはわかる。けれども、日本(おもにSNS上?)に少なくないこと、これがどうにも理解できない。彼らは何がしたいの? どんな自分でありたいの? まあ、世の中、不思議なことは、いっぱいある。


家の外で鳴いていた子猫(親からはぐれた? 捨てられた? とにかく切ない声で泣き続けたわけですよ)の捕獲作戦が成功(それ用の罠を獣医さんに借りた)。真っ黒な女の子。獣医さんところで健康チェックの終わった彼女を引き取り、月曜までウチで預かり、そののち新しい飼い主へ。それまで、ウチの猫たちの好奇の眼差しの中で過ごすはず。


といった脈絡のないさまざまに囲まれて、日々過ごしているわけです。いつもそうだけど。

ラヴ&ピース!



2020/11/12

■鏡

さいきん、鏡の句がふたつ、目にとまった。

ひとりずつ鏡に呼ばれ藪からし  倉本朝世〔*1〕

鏡よ鏡もうすぐ雪になるらしい  小林苑を〔*2〕

前者は川柳作家の俳句(句に添えられた解説に「俳句の句会」に参加したとき席題「藪からし」でつくった句とある)。「ヤブカラシ」はブドウ科の蔓植物で、初秋の季語。解説を読む前に「いかにも俳句的な」と感じたのは、この「藪からし」という季語が、ある程度経験や年数を経た俳人が使いそう(個人的な思い込みです)だから。前半の詩的なフレーズとの組み合わせも俳句的。

まあ、そうしたナニナニ的といったジャンルに関する不毛はさておき、鏡に呼ばれるという事態はなかなかに不思議。鏡の前に立てば、鏡のむこうにも「呼ばれ」た自分が立っているわけで、奇妙な同定作業のようにも思えてくる。

後者は、グリム童話の引用から天候の伝聞へ。質感と温度が句の芯にいっぽん通っている。

鏡の温度は低い。《死ぬならば夏いちまいの鏡のうへ 八田木枯『天袋』》。暑い夏も鏡の上はひんやりとして気持ちが良さそう。真夏の置かれた鏡にしても、カジュアルな景ならば、冷房のよく効いた室内を映している鏡がしっくりくる。熱帯雨林を映すよりも。

冬の温度は、鏡面の冷たさとよく合うんですよね。

ラヴ&ピース!


〔*1〕『あざみ通信』シークレット号2(2020年10月)
〔*2〕『みしみし』第7号(2020年秋)

2020/11/11

■びゅびゅっと川柳

ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む  川合大祐

以前、この句を取り上げて、意味了解性の希薄・喪失をもっぱら指摘したのですが、もう少しこまかく言うと、擬音めいた部分を取り除くと、岳の壁に挑む、といった内容で、きわめて明快。散文として意味が通り過ぎるくらい通る。そこに「ぐびゃら」「じゅじゅ」「びゅびゅ」が挿入されて、意味がとたんに溶解してしまうというわけで、この仕掛けはシンプルかつ強力。

この3つは、文脈からすると、順に固有名詞、動詞、副詞の役割を果たしており(別の受け取り方も可能だが)、このあたりの作りはとても周到。発想一発ではなく、操作的で練り上げられている。

ああ、やっぱりこの句、好きだわ、ってことで、再度取り上げた。

ラヴ&ピース!


〔参考〕柳本々々:こわい川柳 第五十話
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-844.html

ここにも、同様の指摘がある(記事中盤あたりの「ヒント」の部分)。ちなみに、私はこの句に怖さは感じない(柳本々々の言う「こわさ」は通り一遍の怖さではなく、機微を含むものであることは承知の上で)。脳天を突き抜けるほどの快楽・享楽を見る。世界の祝祭・ことばの祝祭。

掲句は川合大祐句集『スロー・リバー』(2016年8月/あざみエージェント)より。



2020/11/08

■大統領選とTVドラマ

米国大統領選の報道を横目で見ながら、TVドラマ『ファーゴ』や『ベター・コール・ソウル』を観る愉しみ。

前者の舞台はもっぱらミネソタ州。雪だらけ。後者はニューメキシコ州で、砂だらけ。風土の色濃いドラマはやはり面白い。

なお、TVドラマ版は、映画『ファーゴ』とは別の話が3篇(シーズン4がもうすぐらしい)。で、「ソウル」は人名。「ソウルに電話してネ」という広告文句。素晴らしくいかがわしい弁護士が主役。こちらの完結シーズンは来年の模様。

一方、大統領選を太平洋越しに眺めて面白いかといえば、ぜんぜんそうではない。うんざりの種は増すばかり。





2020/11/04

■瀬戸正洋『亀の失踪』の人名句

瀬戸正洋句集『亀の失踪』には人名句が3句並んでいる箇所がある。

春の暮ジャッキー吉川が死んだ  瀬戸正洋

大阪や石原ユキオは女である  同

夕立や映画の中の樹木希林  同

ジャッキー吉川が亡くなったのは今年4月20日。石原ユキオ、樹木希林については詳細を省く


くわえて、これにも人名が隠れている。

八月のあんどうなつの油かな  同




瀬戸正洋句集『亀の失踪』2020年9月/新潮社 ≫amazon

2020/11/03

■父と夏木マリ 『みしみし』第7号より

夏木マリ的な午後だと父が言う  瀧村小奈生

人名句は、おおむね二者が基本。人名の持ち主(登場人物)と作者。

ところが、この句、父が介在することで不思議な広がりを見せた。

その午後がまさに句の現在であり、父と作者がまさに其処にいるという設定で、喩としての「夏木マリ」がはるかなものにも感じられる。


掲句は『みしみし』第7号(2020年秋)より。


2020/11/02

■象と老眼鏡 『みしみし』第7号より

一喝に象は座りて冬はじめ  岡村知昭

暖冬や老眼鏡は踏まれたる  同

『みしみし』第7号(2020年秋)に収録された岡村知昭「花子」10句の最後の2句。こう並ぶと、象が老眼鏡を踏んだ(それも足ではなく尻か胴体で)として思えない。一句ずつだと、まったくそうは読めないが作者の意図だと思う。

躾けられた象、皺だらけの胴体、老眼鏡、それらすべてが冬とよく合う。冬はモノを古びさせるのかもしれない。

そうなると、この2句の前に置かれたこの句も、なんだかとても不穏なのだ。

筋弛緩剤の空瓶暮の秋  同


2020/11/01

■ローラーコースター 瀬戸正洋『亀の失踪』より

秋の暮ジェットコースターは落ちる  瀬戸正洋

ジェットコースターが落ちるの既定の事実であって、また、落ちるだけでなく登ったり曲がったりするものなのですが、俳句効果と言うんでしょうか、「秋の暮」と付くと、なんだか味わい深く、これはきっと「釣瓶落とし」が横から響いてくるせいです。


瀬戸正洋句集『亀の失踪』2020年9月/新潮社 ≫amazon