2020/11/17

■事後の破片 『Picnic』第1号より

糊余るこの世に昆虫の破片  榊陽子

糊塗という語は良い意味では使われない。「この世」はとりあえず糊で貼り合わせておくこと、とりつくろうことが、とても多い。ふつうに考えてめちゃくちゃで、やってらんない。糊が大量に要る。

でも、せんぶの作業が終わったようだ。糊はちょっと余っちゃった。

昆虫の破片=破壊や壊滅のイメージは、さまざまな〈終わり〉のさらにその後だろうか。


掲句は『Picnic』第1号(2020年11月)より。ここに収められた榊陽子「糊余る」21句は、《秋牡丹西に傾く性交痛》やら、《ご覧なさいしっかり米が勃っている》になぜに「勃」の字を使うかなあ? とか、通常運転部分はあるものの、全体にエロ度は薄い。特定の作家に「エロ」ばかりを求めるのではないが(すでに八方から非難を浴びそう)、エロって、とことん素晴らしいので、ラヴ&ピース! ついつい求めてしまう。

ところで、こう、エロ、エロゆってると、掲句もそんなふうに見えてきた。

「糊」からの即物的な連想ではない。「昆虫の破片」に漂う事後のイメージ、ポストコイタス(postcoitus)のイメージ。


なお、『Picnic』は「5・7・5作品集」と冠されていて、柳人・俳人双方が参加の模様(詳細わたしには不明)。150mm正方形・リング綴じ・本文横組というユニークな体裁。


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