2013/11/29

■小さい音楽

朗々と歌い上げるヴォーカルとは対照的な、いわば「小唄」的な魅力に溢れた歌がある。例えば、ライ・クーダーのヴォーカル。

音楽(ヴォーカルだけではなく音全体という意味)にも「小」を冠したくなる音楽がある。例えば、Tot Taylor と Mick Bass の Music for the Left Handed というアルバムは、「小」音楽という感じなのであります。





2013/11/26

■「今」のあかるさ 徳永政二フォト句集 3 『くりかえす』

『くりかえす』(2013年10月25日/あざみエージェント)は、徳永政二(川柳)と藤田めぐみ(写真)による「フォト句集」の第3弾。

  向こうにも今がいっぱいあるらしい  徳永政二

シンプルこのうえないこの句が心に残った。


問い合わせ・購入等は「あざみエージェント」のウェブサイトへ。
http://azamiagent.com/modules/myalbum/photo.php?lid=26&cid=1


2013/11/24

■白の官能w

「紅灯の巷」という言い方がありますように、性愛と「赤」は、よく結びつきます。けれども「白」もなかなかなのです。

  レズビアンバーの真白き曼珠沙華  北大路翼

ツイッターより。≫http://togetter.com/li/593396


こんなのも、あります。

  とつくりセーター白き成人映画かな  近恵

炎環新鋭叢書シリーズ5『きざし』(2010)より。
参考記事 
≫拙記事 http://tenki00.exblog.jp/15175961/
三宅やよいさんの記事


白とこの手のネタが組み合わさると、赤とはまた違った興趣。

2013/11/23

■10月から11月の5首

ここは日々の出来事を短歌で綴るサイトです。

ウソです。


テレビで見る窓用バキュームクリーナー見ているだけで買うに到らず

「強」に戻すウォッシュレットの水勢を誰かがきのう「中」にしたのを

こんなかんじでどお?とPDF添付「はがきハイク」の亞子氏のメール

コンビニの「まろやか6Pチーズ」などバカにしてたがあんがい旨い

七句選と言われて清記用紙にマルをつけたらなんと ぴったり七句

2013/11/22

■溶け込む

可笑しい。

≫溶け込む事に幸せを感じるんだ…中国のリウ・ボーリン氏の背景溶け込みっぷりが凄い(39枚)
http://alfalfalfa.com/archives/6949720.html

目新しくはないのだけれど、なんかね。


これ、廃墟化したデトロイト(↓↓↓)で、やってほしい。
http://blog.nakatanigo.net/ruins-of-detroit


2013/11/21

■純子て

誰だ?

…という。ふうに思わせたら、もう、こっちのものなわけです。

海峡を純子の耳が通過する  山田露結


勝手気ままで、いいかげんな句(というと作者は怒るかもしれませんが、褒めてます)が、世の中には、あったほうがいいです。リキ入りまくった句やら、上手に形の出来上がった句ばかりでは息苦しい。


この句、シュールというには演歌すぎる。これ、美点。

「泳ぎきる」ではなく「通過」なので、レーダーのまるい画面を「純子の耳」が点滅しながら過ぎていく景が浮かぶ。とすれば、「純子の耳」は軍事的な符牒かもしれません。


掲句は「カットアップ試作5句~その3」より。

2013/11/20

■本日はロバート・アルトマン忌


ロバート・アルトマン(Robert Altman 1925 - 2006)



■本日はジョルジョ・デ・キリコ忌

ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico 1888 - 1978)。

  望の夜の迷ひ込むならキリコの絵  角谷昌子

掲句は角谷昌子句集『地下水脈』(2013年9月/角川書店)より。



2013/11/19

■家の中で何かの




狐啼く箪笥の環に手をかけて  八田木枯



キツネと同定されたわけではもちろんないのですが、ツイートと俳句のコンピ。



掲句は八田木枯句集『鏡騒』(2010年10月/ふらんす堂)より。

2013/11/18

再掲■11月のくにたち句会は…

…ナシということで。

(個人的な事情です)

12月以降は、また、ここに告知させていただきます。


2013/11/15

■今日は二の酉

東京だと、鷲神社とか花園神社とか。

  二の酉を紅絹一枚や蛇をんな  太田うさぎ

紅絹(もみ)は真赤な薄地の平絹。


ところで、むかしは初酉がもっぱら、一の酉なんて言い方は武田麟太郎『一の酉』(昭和10年。青空文庫で読めます)の影響で広まったもの、という指摘をどこかで読んだ記憶があります。

どこで読んだのかまったく憶えていないので確かめようがない。11月になると、そのことが気にかかってしかたがない。


ところで、大好きな掲句。

俳句は「粋」を忘れちゃあダメですね。

2013/11/14

■太郎のこと

異称の一部としてしばしば用いられる「太郎」。

  風が出る拝み太郎に月が出る  ふけとしこ〔*1〕

拝み太郎は蟷螂の異称。おおらかで土俗的な雰囲気が出る。蟷螂という言い方では出ない味。

  蘆咲くと坂東太郎油凪  橋本榮治〔*2〕

こちらも「利根川」では、「あぶらなぎ」のコッテリ感に負けてしまう。「坂東太郎」ならでは。

  濁流を土用太郎の主食とす  油布五線〔*3〕

土用太郎は土用の一日目。主食に対応した擬人が効果的。

ほかにも、河童の異称「川太郎(がたろ)」、「牛太郎(妓夫太郎)」(客引きや護衛をしながら夜鷹などについて歩く男。また、遊女屋で客引きをする若い男。:辞書)などたくさんあるのだろうが、俳句ではまだ見たことがない。


〔*1〕『ほたる通信Ⅱ』(2013年11月)より。
〔*2〕参照サイト≫http://taka.no.coocan.jp/a1/cgi-bin/haikukensaku.html
〔*3〕『油布五線句集』1981年/八幡船社

2013/11/12

■カメラと時計

20世紀に生まれたからには、好きなカメラ、好きな腕時計のひとつやふたつ、ないことには、人生の何割かを損すると思うのですが、それはそうではなくて人それぞれかもしれない。

  白牡丹ネガフイルムに黒く咲く  小林幹彦

  秒ごとに音する時計桜桃忌  同

フィルムを使うカメラも、秒針のある時計も、もうあまり見ない「過去」の「懐かしい」ものになってしまいました。どちらもいまはデジタルがもっぱら。

2句とも、そしてこの2句をワンセットにして、大好きです。

アナログカメラにはいつか戻りたいし、音はせずとも針の動く腕時計を愛用している(いま使っているのは主にみっつ。ひとつは自動巻き、ひとつは手巻き、それと乾電池)せいばかりではなく。

「きれいな風が吹いている句」です(すみません。誰にも通じない自分だけの言い方で)。


ところで、2句目。なぜ桜桃忌なのか。

「音」だから、オートー、桜桃。

もしそんな発想なら、うれしいかぎりですが、きっと違いますね。


掲句は『雷魚』第96号(2013年11月1日)より。

2013/11/10

■〈場所〉のテクスチャ 小津夜景「出アバラヤ記」

小津夜景さんの「出アバラヤ記」(第2回攝津幸彦記念賞・準賞受賞作・『豈』第55号掲載)を読んだ。

句の前の位置に付された散文は、詞書と称されているものの、ひと続きの物語になっている。始まりは、「ふみしだく歓喜にはいまだ遠いけれど、金星のかたむく土地はうるはしく盛つてゐる。」という一文。終わりは、「私はそこを離れ、それが思ひ出せない。」に始まる一節。読みごこちとしては、(作風や筆致、内容、散文部分の長さは異なるが)柴田千晶さんの『生家へ』(2012年10月・思潮社)に近いものを感じた。

50の句(賞の性格上こちらがメインのはず)は、物語を辿る際の道標、といってもあくまで非・明示的な謎含みの道標のようにも見える。

さて、この作品の大きな魅力は、「出アバラヤ記」(このネーミングそのものが飄逸)というタイトルに違わず、トポスにまつわる感触に溢れていることだ。

空間的な限定、そして時間的な浮遊(しばしば思い出と呼ばれるもの)、このふたつが一定のトーンのなかに織り込まれている。

この「出アバラヤ記」、とりわけ「べつに俳句だけが読む愉しみじゃないし」という人(例えば私)向きの読み物。

  雑音の白くなりゆく臓器かな  小津夜景



一読をオススメするでがんす。


『豈』第55号 web shop 邑書林

2013/11/09

■入れ替わる 渋川京子の2句

海鼠と〈私〉。虹と〈私〉。

  思わざる長さ海鼠のすべる喉  渋川京子

  冬の虹あれよあれよと紐解ける  同

たくさん並んだ句のなかで、この2句に目が止まり、愛した、その理由。というよりも、それは一瞬の出来事なので、むしろ根拠と言うべきかもしれない。愛する根拠について考えた。

それは「入れ替わる」から。互換のおもしろさだ。

1句目。「長さ」とはきっと「喉」の長さだろう(あるいは「海鼠」という意見もあろう)。それが「思わざる」ものだったという。

それでは、この「思わざる」は誰が「思わざる」なのか。というと、まあ、順当に読めば、「喉」の持ち主だ。

ところが、「海鼠」が「思わざる」とも読める。喉を滑っていく海鼠にとって、その喉は思いのほか長かった、というわけだ。

喉の持ち主と海鼠が、「思わざる」という行為を支点にして、入れ替わる。少なくとも、私には、どちらが行為の主体なのか判然としない(海鼠が「思う」わけがないという意見はとりあえず無視しておく)。判然としないので、ぐるぐると入れ替わる。

2句目。「あれよあれよ」と驚く/呆れるのは誰か? 順当な読みは、作中主体(句の書き手)ということになろうか。

ところが、「虹」が驚いて/呆れているようにも読める(そんな擬人法は無理があるし、つまらないという向きがあることを承知しつつ)。

このとき、書き手と対象(虹)が反転するように、入れ替わる。

 

俳句のなかでは、しばしば、主体(subject)は同定も定位もされない。

自明の前提として「主語(subject)は隠れている、主語が書き手である」とする読みの一方で、それを揺るがすようなことが起こる。

 

海鼠が私(書き手)を、虹が私(書き手)に行為を及ぼす。この反転・逆転、入れ替わり。これは、もう、おもしろいとしか言いようがないではありませんか。

2013/11/08

■某日日記:銃・散策・暴言

十月某日。

「あまロス」(私は重症ではないが)対策のため、「タイガー&ドラゴン」の「三枚起請」(2005年1月9日放映。シリーズ化される前の2時間の単発スペシャルドラマ)DVDを借りて観る。

効果覿面。

十月某日。

矢川緑地を吟行。矢川駅南口からのアプローチ、これが失敗で遠回り。だが、これまで歩いたことのない道(矢川の流れ沿いの小道)を経験できて、これはこれで良し。

ここは気持ちがいい。いっしょに歩いた人たちも「気持ちがいい」と。季節をかえて、また来たい。

句会後は鴨鍋その他。美味。

そして歓談、また歓談。ハヅキさんがセキエツさんをあまりに絶賛するので、「結婚すれば?」と暴言を吐く。

日曜日のくにたち句会 7首

十月某日。

『俳句』2013年11月号をめくる。週刊俳句・第340号の後記で、角川俳句賞のことに触れたなりゆき。

秋ゆふべ五句に絞つてくれないか  10key



十月某日。

『地獄でなぜ悪い』(園子温監督)を府中のレイトショウで。

誰も悪いと言ってない。

のはともかくとして、ハズレ。

園子温監督作品は、『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』がおもしろかったが、そうじゃない映画が多い。相性が悪い。

十月某日。

『そして父になる』(是枝裕和監督)を有楽町で。 とても良い。

十月某日。

『トランス』(ダニー・ボイル監督)を日比谷で。とても良い。

十月某日。

『Lock, Stock and Two Smoking Barrels』(ガイ・リッチー監督1998)DVDをレンタル。最高。



2013/11/07

■衝動買い

ノートを衝動買い。


104×140×22mm。メモ帳並みに小さく、書籍みたいに分厚い。

すでにノートも手帳もあるし、こんなにページがあっては、一生かかっても埋め切れない。それはじゅうじゅうわかっているのに、買ってしまう。まさに衝動買い。