2019/02/25

■梅日和

この時期、くにたち句会は、谷保天満宮に梅を見に行くのが恒例。


咲いてました。今年は早い。

狛犬が、いいかんじに苔の帽子をかぶっています。



りっぱな神鶏。

天満宮を裏から出て、崖線や畑を歩く。外階段のフォトジェニック物件も押さえて、散歩散歩散歩。ずいぶん歩きました。


2019/02/14

■料金メーター

タクシーの中で二時間対話して春日井建の人に打たれた  奥村晃作

いったいいくらになるんだ? と料金メーターばかりに気が行ってしまう。つくづく貧乏性。

奥村晃作第17歌集『八十一の春』(2019年2月15日/文芸社)より。

2019/02/13

【お知らせ】2月のくにたち句会は梅見

梅が咲いている頃です(予定)。

2019年2月24日(日)14:00 JR谷保駅(南武線)改札付近集合

句会場所:未定

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/02/11

■妙 『オルガン』第16号より

『オルガン』第16号(2019年2月7日)より。

行く年を船と思えば海に沖  福田若之

妙な理屈は、俳句においてしばしば愉しい。もちろんこれは、妙のいう部分がたいせつという前提のもとで。

掲句。過ぎ去る年を「船」と思うのは、奇妙ではなく順当(陳腐と断じる向きもあろう)。一年=船の置き場所として「海」は妥当(過剰に妥当)。海に「沖」があるのも当然。

この句に「妙」を感じるのは、どうしてだろう。勘違いかもしれぬことを含め、な~んか妙なのだ。

海という許容範囲を問い直す  内田万貴 『川柳木馬』第159号(2019年1月)

ラヴ&ピース!


2019/02/08

■硝子のむこう 『街』第135号より

冬木まで硝子二枚を隔てたる  今井 聖

二重サッシなどというトボけてひねくれた読みもできないではないが、やはり、広いガラス窓のむこうにやはり広いガラス窓、そのまたむこうに枝だけの冬木が見えると解したい。住宅なら、ちょっと豪邸。それよりも公共の建物が思い浮かぶ。

一枝一枝がくっきりと、硝子の硬質とあいまって、たいへんに寒そう。

隔てているのは、作者/句の行為者。「自分」はきちんとあるのだが、これは心などではなくて、眼球たる我。

眼球なりてのひらなり(触覚)、作者は1個の感覚器と化す。これまた俳句的愉楽の大きなひとつ。

ラヴ&ピース!

掲句は『街』第135号(2019年2月1日)より。


立春を過ぎても寒いですね。大寒波襲来の週末。