2015/01/31

■八つ手と洗濯機


 
Kodak PKR - Olympus OM4
撮影場所・撮影日:不明(忘失)

2015/01/30

■冬季映画 :勝手に組句

M列六番冬着の膝を越えて座る  榮猿丸

映画の死者にまた葬送の楽おなじ  林田紀音夫

接吻もて映画は閉ぢぬ咳満ち満つ  石田波郷

エンドロール膝の外套照らし出す  柘植史子

映画出て火事のポスター見て立てり  高浜虚子


2015/01/29

■ラック・オヴ・アフロは、ファースト・アルバムも、とても良かった

ラック・オヴ・アフロがとても良いので、他のアルバムも買ってみました。

そうしたら、もう、当たりも当たりで。

Press on(2007)は、このあいだ聴いたMusic For Adverts(2014)に比べて音の感触が荒削り。とくにドラムがバッタンバッタン言っています。これはこれでとても良い。ほんと気に入ってしまいました。




この曲、ボーカル部分は、スティーヴ・マリオット(スモール・フェイセス)をサンプリング。

Love is all around me
Everywhere
Love has come to touch my soul
With someone who really cares


元歌はこちら↓↓↓





2015/01/28

■悪魔のように句をつくり天使のように句を語る

句会での私の行動原理、というよりも理想は…

悪魔のように句をつくり天使のように句を語る」。

それだけ。

ところがこれが、どちらも、とても難しい。


このところずっと長いあいだ、どちらも出来ていない感じ。

それが悲しいし悔しいので、なんとかせねばと思っているのですよ。

 ●

「天使のように句を語る」とは、良いところばかりを優しく口当たりよく語るという意味ではけっしてありません(為念)。

2015/01/27

■蝸牛の秘密

『儒艮』第10号(2015年2月)より。

原型を留めておりし蝸牛  曾根毅

コトバの一節はしばしば逆やら裏やら対偶を連想させる。だからそこには一瞬にして「原型を留めない蝸牛」の存在が浮かぶ。

それってどんな?

蝸牛の中身(それはナメクジではないらしい)の「原型の留めなさ」ならすぐに了解できるが、蝸牛のあの殻はどうなのだろう? いろいろと変化するものなのか?(色や柄なら変化しそうな趣がある) 硬いはずの殻が?

そうこうするうちに、殻の渦巻きがぐにゃぐにゃと変型しはじめる。

だが、気づくと、やはり蝸牛は「原型」から変わることなく、そこにいる。かくして、私たちの読みは、句の「原型」へと帰着するのです。









■きのふよりの、いはゆるへびろて



ラック・オヴ・アフロは、イギリス人、アダム・ギボンズのひとりユニット、だそう。

ボーカル(ゲスト)の入った曲も(↓↓↓)。




ジャケットも溺愛対象。


2015/01/26

■無意味な菅井きんの歌

〈関係の関係〉といふややこしき菅井きん式電気工学

とある日のランチメニューに「菅井きんコーヒー付き」は手違ひですね

「菅井きん日和」と名付け南へと川は流れて河口へ海へ

菅井きん曰く衆生よどこまでも無意味な歌を唱へ続けよ


月曜日なわけです。

2015/01/25

■旅の始まり

しろながすくぢら最終便となる  小津夜景「わが部屋をめぐる旅」より

切れをどう読むかによって、さまざまな解釈がありそうですが、ただ、そんなことは置いておいて、ここには、はるかな旅の始まり(の感触)があると感じるだけで、読者である私は満たされます。


しろながすくじら愛好家としても、たいへん結構な句であります。



2015/01/24

■蝶とトンネル

『蒐』第14号(2014年12月)より。

トンネルが人を吸ひ込む蝶の昼  太田うさぎ

トンネルの闇と昼の光があざやかな対照。座五の展開力が生み出す効果。

ついでに蝶も吸い込まれていく。これは読み手の幻視。だけど、幻視を誘うのも句の手柄。


2015/01/23

■蛤のあぶく

『蒐』第14号(2014年12月)より。

蛤のあぶくは雀のこゑらしき  馬場龍吉

「雀蛤となる(雀大水に入り蛤となる)」は七十二候のひとつで晩秋の季語。そこからの連想で成立した句。

こういう下敷きからの展開は粋ですね。「季語の説明」という無粋とどう一線を画すかが決め手でもあるわけですが。

「あぶく」が見える句。微細なものへの視点もよいです。



■「さるまた」と「さるすべり」 取り合わせにおいて称揚されるべき一様相について

5音7音の12音が出来た。さて、あとの5音は? というクラシックな話題。

取り合わせがどうの、ツク・ツカナイ・ツキスギがどうの、「季語の斡旋」(業界用語)がどうの。いろいろと技術的なことはありますが、あまりに鹿爪らしく、したり顔でわかったような議論は、なんだかなあというところがあります(それがだいじなケースももちろん多々あるのですが)。

そんなもん、ちゃらんぽらんでいいよ、ということも、おおいにあります。

新しき猿又ほしや百日紅  渡邊白泉

「さるまた」? さる? じゃあ「さるすべり」で。

てなかんじだったにちがいありません。製作過程は。

さるすべりも猿が滑るからさるすべり。猿から猿、ということで、音だけではない繋がりもあるにはありますが、つまりは「さる」だから「さる」です。

安易。素晴らしい安易。

こういう態度は、俳句においてとてもだいじだと思うのです。


2015/01/21

■蟹とゆふぐれ

ゆふぐれが見知らぬ蟹を連れてくる 10key》(『けむり』2011)という句の「蟹」をタラバ蟹とか松葉蟹と解する人がいらっしゃって、それだと美味しそうな句になる。


「蟹」がいつの季語かという話題もちょっとあった。鍋に入れたりテレビ通販で売っているような蟹は冬でしょうね。沢蟹は夏。

では、「蟹」とだけあったら?

文脈による。


子供の頃、蟹といえば川や石垣で見かける蟹。蟹とは動くもので、ちょっかいを出すと泡を吹いてよこすもの。茹で上がって美味しそうな蟹は、もっぱらオトナになってから(瀬戸内育ちなのでワタリガニは食卓に上ったが、昼間遊んでいるときに見た蟹とは連続しない。別物。『けむり』には《赤坂で田端の人と蟹にする 10key》(2011)といったオトナの句もあって、これは冬季。


ちなみに前掲句、元のかたちは《見も知らぬゆふべを蟹が連れてくる》だった。「見も知らぬ」という言い回しや「ゆふべ」という語がしっくり来ず、「蟹」と「ゆふべ」の作用を逆にした。いまは元のほうがいいような気がしているので、どこかにこのかたちで収めたい。


消火器が凶器にかはる寸前のバロック的なゆふぐれだつた 荻原裕幸『あるまじろん』

2015/01/20

■消印のこと

消印についてまったく知識がないのですが(郵便全般が好きなのに)、京都にはいろいろとシブい消印があるらしい(≫参照)。

で、実際にもらうと、すごく、うれしい。


2015/01/19

■ロックな菅井きんの歌

菅井きん以降世界に出口なしバケツの中で叫ぶブルース 10key

collaborated with Kevin Ayers


これは短歌ではありません。菅井きんの歌です。

2015/01/18

■You May Ask Yourself

中嶋憲武さんの新シリーズ。炎環からの転載がもっぱら。週俳での掲載は季節に合わせることにしたので、炎環での掲載順ではありません。

初っ端は「哀愁くん」
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/01/blog-post_18.html

Once In A Lifetime ネタですな。

■散歩の友

携帯端末のデジタル画面では、やはりダメなのです。


2015/01/17

■悪魔のように句をつくり悪魔のように飲み且つ喰う、くにたち句会〔1月〕のお知らせ

2015年1月25日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:いつものキャットフィッシュ(予定)

席題10題程度

句会後の飲食もよろしければどうぞ(会費アリ)

2015/01/16

■放尿と放心

猫はおしっこするとき、なんとも言えない表情をします。眼の焦点を合わせるでもなく、遠くを見るでもなく、なにかを思うでもなく、思わないでもなく。

放心というのが近いかもしれません。

尿も、心も、放つ、という感じか。

猫以外もきっとそうでしょう。けれども、ニンゲンを観察するわけにも行きません。ヘタすると犯罪。公衆トイレの男同士は他人の視線を少しは意識するので「その表情」にはなりません。

放尿の駱駝の瞼秋高し  藤田かをる

瞼が見えるのですから、閉じているか半眼か。ともかく、このときの駱駝の表情も、きっとなんとも言えないものでしょう。もともと哲学的な趣がありますから、よけい。


掲句は『舞』第55号(2014年新年特別号)より。


2015/01/15

■Love So Fine



音楽は有無を言わせず幸せな気分にしてくれることがあります。

モードとか、ヘンなガールも、そうかも。



2015/01/14

■ロングピロピロ

東都生協のチラシ。コクありすぎ。

2015/01/13

■賢者タイム post coitus な句?

鳥栖なおこさんが『かばん』2014年11月号で拙句集『けむり』に言及してくださっている。ありがたいことです。

記事中、《冷麦のいつぽんのおるおほりみづ》《家壊されて明るくなつて羽抜鶏》等の句を引き、「賢者タイム的冷淡さがあこにある」との評。
蚊柱のざわめき、みんなでつついた冷麦、おかしな出来の福笑、美味しいランチ、非日常的な解体シーン、それらが消失したあとに残された景色(…)
作者本人(私)、なるほどなあ、と感心してしまった。慧眼。

性交後(の虚脱)をさす語 post coitus はふだんあまり使われない用語のようだ。カタカナで検索してヒットするのは、京都のおしゃれなバー(今は元田中にあるそうだが、むかし河原町ではなかったでしたっけ?)のみ。いまどきの「賢者タイム」とは、この post coitus のことだろうと思う。

ま、それはそれとして(性的比喩にこだわる年齢ではない)(賢者という比喩もおこがましい。キャラではない)、私が作る句は「体温が低い」と評されることもある模様。そのへんは自分ではよくわからない。良い意味でも悪い意味でもなく、自分は自分の感じでしか句を作れない(誰もがそう)。

で、リアルの私は、体温はふつうだと思う。血圧は低い(上が100に届かない)。これからも低血圧俳句で行くしかないと、腹をくくろうと思います。






2015/01/12

■帰ってきた菅井きんの歌

「ただいま」 と玄関先に菅井きんここはあなたの自宅でせうか 10key

七二億人が息吸つて吐く地球を菅井きんの睥睨

菅井きんもどきのあまた湧きいづる感傷的な雨後の東京

菅井きん以外がいいといふ人は手を挙げたまへ樹々より高く


みなさん、年明けて二度目の月曜日ですよ。

2015/01/11

■去年の話になってしまうのですが

この牡蠣(≫これね)は、ここ(↓↓↓)の牡蠣なのです。

http://koueimarusuisan.ocnk.net/


ステマっぽいけど。

2015/01/10

■火星から

火星からの通信にはあらざるにせよ震へやまざるいま街路樹は  荻原裕幸『甘藍派宣言』1990

箱庭に火星のひかり届きをり  雪我狂流


火星は夏が似合います。


一月にこんな話をして、なんですが、寒い時期にサルサを聞きたくなるみたいなものです。


2015/01/09

■レンタルビデオが2本続けて大当たり。ウェス・アンダーソン『ムーンライズ・キングダム』が最高。


■温室

温室へ扉の硝子押せば雨季  花谷 清

「温室」を冬の季語とする歳時記もあるようですが、当面それは無関係。この句は夏の句。

夏の温室の中というのはむせ返るようだったりします。きちんとした大きな温室(植物園にあるような)なら、温度管理・湿度管理されているので、そうでもないのでしょうが、個人の庭にあるような温室の夏は、そう。熱帯雨林の雨季とは、ひょっとしてこんな感じかと思うくらい。

ちょっと懐かしい気持ちにもさせる句であります。


掲句は『GANYMEDE』第62号(2014年12月)より。


2015/01/08

■便器句

毎日最低でも1回は目にするものなのに、便器を詠んだ句は少ない(≫ウラハイ「便器」)。

膝折れば便器まばゆき九月かな  遠藤 治(『鏡』第14号・2014年10月)

膝を折って目に便器が近づくから見えるまばゆさなのか。

膝にあたる便器の冷たさから、まばゆさが際立つようにも思える。


便器句はもっとあっていい。


拙句。

これもあのデュシャンの泉かじかめり  10key(『けむり』2011年)

■映画LIFE!(原題THE SECRET LIFE OF WALTER MITTY)でビデオで観ました。そうしたらもう最高でございましたよ。 


2015/01/07

■カルタつながりで……

むさし野は男の闇ぞ歌留多翔ぶ  八田木枯

八田木枯「庚寅歳旦」(週刊俳句・第141号・2010年1月3日)より。

この句を思うのですよ。


(ぎりぎり、お正月モード)

2015/01/06

■ある日、上毛かるたが

昨年12月にここに書いた記事「群馬」をお読みになった方が、上毛かるたを贈ってくださった。突然のプレゼントで吃驚するやら恐縮するやら有難いやら。

実際に目にするのは初めて。いやおうなく気分が上がる。いわゆるアゲアゲ、であります。


2015/01/05

■菅井きん、まだお休み中

駆け抜ける岩下志麻な金曜が首都高速の芝のあたりを 10key

われわれの社会がジミー大西に帰着するならそれもまた良し

街角はいろいろなもの見ゆる場所あれはチャーリー浜の残像

外に居てふと訪れるゆふぐれが若尾文子にちよつと似てゐる


みなさん、今年最初の月曜日ですよ。


岩下志麻 ≫こちら
ジミー大西 ≫こちら
チャーリー浜 ≫こちら
若尾文子 ≫こちら

2015/01/04