2013/07/31

■あなたの見ているインターネットと私が見ているインターネットは、違う

当たり前すぎて忘れそうになるのだけれど、私が見ているインターネットとあなたが見ているインターネットは違うものだ。インターネットで何を見ているかは、全員がそれぞれ違う。

ある人にとってインターネットは遠い外国の情報がたくさんがあるところであり、またある人にとってインターネットは罵倒や憎悪に満ちた場所であり、またある人にとってインターネットは手軽な辞書・事典であり、またある人のインターネットには性器が溢れている。

(インターネットは、自分を映す鏡。おお、怖)

見ているものは、みんな違う。だから何かの折に「インターネットは……」と口にだすとき、それは常に「私が見ているインターネットは……」という意味を何パーセントか含んでいる(もちろんいちいち断りを入れる必要はないのですが)。ところが、どうもそれを忘れて語りがちのようなのです、私たちは。

(あなたが見ている世の中と私が見ている世の中は違う、というのと同じで、こんなことを言ってみてもしかたがない一方で、「違う」ということをまったく忘れてしまうと、これまたヘンなことになります)


ちなみに、『俳句』2013年8月号の座談会「超世代で語る俳句のスタンス」でも、インターネットの話題がちょこちょこ出ています。インターネット全般を語るような内容がとても多い。みなさん、よほどよくインターネットをご覧になっていて一般化できるほどに通暁していらっしゃる、ということは考えにくいので、上記のような誤解、つまり「みんながインターネットで同じものを見て、同じような体験をしている」という大きな誤解があるのかもしれません。



【過去記事】
2009年12月 現代俳句協会青年部勉強会「俳人とインターネット」 レポート

後篇より 「週刊俳句は、インターネット的ではない」

前篇より

2013/07/29

■消息:7月後半あたり

後衛の魅力 澤田和弥句集『革命前夜』を読む:「週刊俳句」第325号 2013年7月14日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/07/blog-post_5979.html

ふたつの遠く離れた現実 好井由江句集『風の斑』の一句:「週刊俳句」第326号 2013年7月21日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/07/blog-post_20.html

鴇田智哉インタビュー ボヤンの在り処:「週刊俳句」第327号 2013年7月28日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/07/blog-post_8467.html


3週続けて「週俳の仕事した」感。

しかし、残っているもの、しかもかなりぶっといの、あるので、まだ心は安らがない。

2013/07/27

■こわいところを 宮本佳世乃句集『鳥飛ぶ仕組み』

「豆の木賞」という、「豆の木」の同人の互選で決まるイベントがある。20句作品を互いに評して賞を決める。私も数回参加した。2008年、宮本佳世乃さんの作品評で、こんなことを書いている。
感銘句に選んだ「三角巾の頂点は秋エヂンバラ」のほか、「ひまはりのこはいところを切り捨てる」(これは人気の集まりそうな句ですね)、(…以下略)
果たして、「ひまはり~」の句は、もっとも点数を集め、「豆の木の一句賞」を獲得。私は、自分の予想が当たったことをひとり喜んだ。

俳句を作る人たちの集団(結社や同人、もっと小さくは句会)には、選好の傾向が現れる。私は同人「豆の木」にそれほど長くいたわけではないが、「豆の木」好みの傾向をふんわりと把握していた。本格・大仰は好まれない。口語は比較的受け入れられやすい。意味了解性が高すぎてもダメ。わからなすぎてもキツい(このへんは俳句世間一般とほぼ同様)。あらためて、この句、

  ひまはりのこはいところを切り捨てる  宮本佳世乃

句集『鳥飛ぶ仕組み』にも入っているこの句、いいあんばいに「豆の木」好みだと思う。

で、その枠をとっぱらっても、面白い句ですよね。 わかるようなわからないような、〔わかる〕と〔わからない〕のあわい、明示と暗示のあわいで、うまい具合に成り立っている。なおかつ、読者にややこしい作業を強いることをしない。「ひまわりのこわいところって、どこなんだろうね?」と、句を繰り返していればよいだけ。してみると、これは、幼児にも愉しめる句かもしれない。前述のセリフを、母親から幼児に向けたものと考えても、そのまましっくり来る。

「豆の木」好みに、もうひとつ、イノセント(無垢)の要素を加えてもいいのかもしれません。

なお、この句については、増俳で三宅やよいさんが紹介していらっしゃいます

 ●

句集『鳥飛ぶ仕組み』から気ままに何句か。

  洗濯を終へて秋めくおばあさん

  パラフィン紙夏の名前を考へる

  いつまでも涙を流す鯨かな

かと思うと、

  ぼうたん崩る一本の針銜へ

  鷹わたる光を運ぶ鏡たち

といった清冽な句も。前者などは、故・八田木枯さんがこれを読んだら少なからず嫉妬したのではなかろうか(反論は大いに認める)。

2013/07/25

■サシャ・バロン・コーエン

サシャ・バロン・コーエン(1971~)はイギリスのコメディアン。コーエンが主演・脚本・製作の映画2本。

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習(2006年)

ブルーノ(2009年)

それぞれコーエンがカザフスタン人のジャーナリスト、オーストリア出身のゲイのファッション評論家に扮する。といっても純然フィクションではなく、ノンフィクションの手法が基盤。コーエンが特定のキャラクターをまとって現実社会に出かけていき、映画の素材を集める。といっても純然ノンフィクションではなく、ドキュメントを素材に物語が組み立てられる。

などと堅苦しい言い方になってしまうが、2本とも「とんでもなくバカ、下品、ヒドい」としか言いようがない。それでいて、結果、「最高やね」。

出かける先々がムチャクチャなことになってしまう。笑える。いや、まったく笑えないほどヒドい部分も多々。

見る順番は挙げた順がオススメ(つまり「ボラット」から)。「ブルーノ」のラスト近くは笑いっぱなしで、ラストのラストは大笑い。映画を見ていて大笑いすることなどほとんどない私が、です。


ボラット・画像検索  ≫ブルーノ・画像検索

■『鏡』第九号

『鏡』第九号(2013年7月1日)。気ままに何句か。

  花散るは胸の四隅へ寄るやうに  羽田野 令

  黄泉比良坂駆け上がり来て今年竹  谷 雅子

  犀かたく右側面を見せてゐる  佐藤文香

  薔薇赤し問はれなければ答へざる  寺澤一雄

  性夢かと思へばこむらがへりかな  村井康司

2013/07/24

■本日はたこ八郎忌

本日はたこ八郎の命日。
たこ八郎観音 空も海も夏  西原天気

人名句集『チャーリーさん』(2005年)所収。近藤十四郎さんから散文を寄せてもらってもいる。
 たこ八郎と仕事をした。
 外波山文明や椿組の面々といっしょにアダルトのビデオに出てもらった。
 その後も幾度か、雑誌の付録のソノシートでゴジラの吐く炎に「あちあち」と言う声をお願いしたりなどした。
 いつも外波山さんが連れて来てくれる。たこちゃんは、自分では待ち合わせの場所と時間に来られない。
 大久保に部屋があるとのことだった。起きると定食屋に行って、お酒を飲んでしまいます。
 区役所ウラの「小茶」のように思うが、ごはん食べなきゃだめだよみたいなことを言ったら、
「ごはんを食べるとチンチンが立つからダメ」と言った。
 たこちゃんはお金を持っていない。なのでお酒を出すということは、おごるということなのでした。
 メイワクカケテアリガトウ。
(近藤十四郎「ひととしてたことして」)


2013/07/23

■現代俳句協会新人賞、決まる

現代俳句協会新人賞は、たしか資格が50歳未満。会員でなくても応募(30句)できる点がユニークか。今年の結果は、

http://www.gendaihaiku.gr.jp/news2.cgi?a=view&id=2012072001

近恵さんが受賞。岡田由季さんが佳作。存じ上げている方がお二人、栄誉を手にされました。おめでとうございます。

岡田由季さんは受賞を逃したかっこうですから、「おめでとう」ではないかもしれませんが、まあ、そこは、ね。

なお、お二人とも、結社「炎環」、同人「豆の木」です。


さて、近恵さんの受賞作「ためらい」は、上記サイトで拝読できます。タイトルの「ためらい」が近恵さんらしくないように思えるのは置いておいて、せっかくだから、ひどすぎる句を挙げておきましょう(ほかは素晴らしいという意味と解していただいてさしつかえない)。

  耳かきが鼓膜に触れて秋の暮  近恵

あんた、いったいなにやってんの? ダメだよ、危ないよ。

なんともまあ、審査員の皆さんがあとで困るような句、責任を問われるような句、現代俳句協会の存在意義を問われるような句ですね。


ともかく、あらためて、おめでとうございます。


2013/07/20

■前向きに

気の滅入ることがすぐそこまで来ていることが確定的なので、こういうときこそ前向きに。



望んでも手に入らないことばかりなんだけど?

けれども吉田美奈子は、やっぱり、すごくいい。とりわけ2:30の箇所。

ちなみにもともとは、これ(Niteflyteがオリジナル



2013/07/19

■馬車

句を2つ並べる遊び。

  それよりも深夜南瓜に逢ふのです  佐山哲郎〔1〕

  かぼちゃですから発車できません  樋口由紀子〔2〕


〔1〕佐山哲郎句集『じたん』(2001年/西田書店)
〔2〕川柳同人誌『MANO』第18号(2013年7月1日)

川柳をジャンルではなくエコールとする石田柊馬説を、私もとりたい。

2013/07/18

■暗澹たる気持ちに

タイガース二軍の守備といい…



東京選挙区の情勢といい…



暗澹たる気持ちになりますよ、これは。

2013/07/17

■棒立つ句

『里』2013年7月号より。

  玉葱のやうな男や質店の前  瀬戸正洋

  瓶のなか蝶とぶすごく大きな瓶  上田信治

  ペーパーバック・ライターのすててこ素敵  なかやまなな

前後左右との関係を断って、棒立ちのような句。

2013/07/15

■澤田和弥「一魁の肉」から『革命前夜』へ

@rockets_yamada さんのツイートのおかげで、澤田和弥氏の落選展2008作品「一塊の肉」を再読できた。深謝多謝。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/10/blog-post_8267.html

コメント欄が興味深い。私もコメントしている。このときの感想と、先日、週刊俳句に書いた「後衛の魅力 澤田和弥句集『革命前夜』の一句」 とがほぼ連続しているのは、進歩がないのか一貫性があるのか(せっかくだから後者と思っておくことにする)。

「一魁の肉」50句中、

  修司忌の廃墟が僕の胎内に  澤田和弥

は寺山修司の名台詞「おかあさん、もう一度ボクを妊娠してください」が下敷きか。今回の句集に入っていない。惜しい気がする。

  水番の叔父と女体を語り尽くす 同

も句集には入っていないと思う。この句に「叔父」が登場していることに、そしてこの叔父が「ぼくの伯父さん」的な叔父であることに、少々驚いた。私にとっては不思議な符合。

 ●

ひとつ、週俳の記事には書き忘れたのだけれど、この句集、読んでいて、「だれだれの句に似ている」という感じはもたなかった。これがいちばんかも、ですね。

せっかくの俳句、せっかくの句集で、誰かの句の雰囲気だったり、何かのラインだったりするなんて、つまらないから。

2013/07/12

■浮間・赤羽

浮間舟渡の浮間公園を歩き、埼京線を2駅戻って赤羽の公民館で句会。集合時間に遅れたので、ひとりちょっと迷いながらゆっくり歩く。迷ったおかげで荒川沿いの公団住宅(ダンチストにはちょっと垂涎では?)やらも見られた。浮間公園はひろびろとしてきれいだけれど人工そのもの。コクはない。

句会後の飲みは、赤羽の一番街シルクロードにある「とんぼ」。優良店。すぐ近くのおでん屋「丸健水産」が有名店らしいけれど、大勢は無理ということで。



赤羽から高円寺まで走るバスがおもしろそうなので、近氏、yuki氏(例によって二次会に合流)と3名で乗り込む。到着。終電までまだ時間があるので(週刊俳句は気になるが、自分の当番ではない)、どこかで飲もうということになり、近氏なじみのうどん屋「さぬきや」。ここがまた優良店。手打ちうどんが美味。

 

7月6日はサラダ記念日であることを知り、一句作る。

  サラダ記念日こころが病んでいくやうな  10key

2013/07/11

■SNSの「おともだち」

ヘースブックでAさんから「友達申請」が来る。

お名前(アルファベット)に心当たりがない。

けれども、自分のよく知っている人たちがたくさん、Aさんの「友達」として名を連ねている。

「Aさんて、どんな人なの?」と、知り合いのひとりに訊いてみる。

知り合い「それがね、よくわからないんです」

え!w

ヘースブック、フリーダム!!!




2013/07/10

■良夜かな……ん? カンカン照りorz


夏に秋の句を寄稿する・寄稿させるのはよくあることのようです。

去年(あるいはもっと前)の秋に作った句を出せば、問題はない。作った句は、ある程度期間、寝かせたほうがいいですしね。

と、句の整理がすこぶる悪い私が言う。

 ●

一方、秋に夏の句を作る・作らせることに何の痛痒も感じない人が、「季題が…」「季感が…」と、したり顔で言ったりすることもあるようで、これはそうとうイイカゲン。

いえ、イイカゲンが悪いというのではありません。イイカゲンさを自覚してしゃべるべき、ということなのです。

 ●

で、だ。結社誌/同人誌の、あの、きっちり2~3ヶ月遅れの感じ(4月の句を4月に投句して掲載が6月とかになる、あのパターン)はどうなのかというと、それはまた別問題ですが、投句で成り立っているのだから、あれしかないのでしょう。同人間・会員間の回覧の役割を果たすものですし。

ただ、それで、「外の人にも読んでほしい」という高望みは、ちょっと虫が良すぎるかも、ですね。


2013/07/09

■応仁の乱



  応仁の乱も半ばに仮縫いへ  小池正博

  応仁の乱と言ひ張り毛虫焼く  佐山哲郎

小池正博は川柳、佐山哲郎は俳句。

前者は「詩」、後者は「俳」、という対照もできるでしょうが、私にはどちらも「俳」、に見える。

 

出自を無視すれば(現実には無視できないが、あえて)、そして「俳句」というジャンルにもっと度量があったなら(言い換えれば、もっとイイカゲンで融通無碍で自由であるなら)、「現代川柳」を、大きく俳句と呼んでしまっていいと、これは、俳句側からの身勝手な言い分であることはじゅうじゅう承知の上で、また川柳の人は「とんでもない!」と怒るだろうなあとは思いつつも、思う。


参考≫小池正博「柳俳交流史序説」

2013/07/08

■富士山へ

富士山が話題です。山開きは先だっての7月1日。例の、ほら、世界遺産とかで。

日の出を見るなどのスペシャリティがあれば別ですが、ただ登っても「運動になる」程度かも、です(登ったことのない私が言っている)。

その富士山まで行かなくても、東京にたくさんの富士山があることは意外に知られていないようです(≫参考:都内の富士塚)。

それほどたくさんの富士山に行ったわけではない私がオススメするのは、品川富士。海が近く展望が気持ちいいです。

  品川の富士もくぢらもいまむかし  10key 句集『けむり』より

富士山が「文化」遺産なら、全国の富士講が「うちも」「うちも」と名乗り出て、おかしくない、こともないか。


2013/07/07

■今月7月のくにたち句会は7月21日(日)

いつもは最終日曜を原則にやっておりますが、今月7月は、7月21日(日)とさせていただきます。

日程がころころ変わって申し訳ありません


7月21日(日) 14:00 JR国立駅改札から南口へ出た付近
句会場所:いつものキャットフィッシュ
席題10題程度。

よろしければ句会後の飲食も(会費アリ)



2013/07/06

■花かつお×花かつお



はつなつの男がつかむ花かつお  斉田仁

天井から降ってきたのは花かつお  樋口由紀子


斉田仁句集『異熟』(2013年2月20日/西田書店)、『MANO』第18号(2013年7月1日)より。

並べると、最高ですな。


2013/07/05

■ジャンルの価値?

承前:(笑)という編集処理

編集処理としての(笑)の話をしましたが、これは、上田信治「時評というもの 筑紫磐井『21世紀俳句時評』をめぐって」(週刊俳句・第323号)の本線ではありません。この記事に書かれているのは…

1. 時評とは反応である。

2. 時評(評論全体?)の主体は、ジャンルの価値である。

3. 否定(選別)が批評の主流だった時代もあったが、筑紫磐井氏は「肯定」の手法を選んだ。

4. 筆者(上田信治さん)は、価値を代弁して書くことはできない。反応はするけど。

ざっと、こんなところです。


時評の主体、言い換えれば、時評の書き手が何を拠り所とするか。そこは微妙なのですが、突き詰めていけば、ジャンルの価値、俳句の価値としか言いようがないのかもしれません。美しい結論だし。

けれども、これ、使い方によっては、危ないところがあります。大正義になってしまう。

下世話な例示ですが、例えば、仮に、私が、無季・自由律撲滅運動の片棒を担ぐ人だとしたら、「なぜダメなの?」との問いには、「俳句というジャンルの価値を損ねるから」と答えておくでしょう。

時評を書くことは、さらに広く批評することは、俳句の価値を代弁することなのだ、という認識が、覚悟であり、自制に働くぶんにはもちろんいいのですが、思い込みや党派的言説の後ろ盾になってしまう危険性だってあるわけです。

しかるに……
はじめに、当欄について「「時評」を僭称」と書いたのは、自分にはジャンルの「価値」を代表して書くようなことはできない、と思ったからなのですが。

では、当欄は通りすがりの人間の代弁者として、それ、へんじゃないすか、とか、そういうことを主に言って、あれこれ「反応」していきたいと、考える次第です。
こうした上田信治さんのスタンスはきわめて健全な姿勢ではないかと思うのであります。


2013/07/04

■ヘースブック、その後のその後

承前:ヘースブック、その後

まだ使っています。「ノート」という機能を日録(備忘録)、ネタ帳として。後者は、ここに書いておいてから、このブログや週俳、あるいは別媒体の記事にするというもの。この「ノート」がネタ帳としていいのは保存・編集ができること、クローズド設定なので、世界に向かって発信しちゃうこともない。そんならSNSを使わずにPCのハードディスクに溜めておけばいい、という意見もありましょうが、数人の目に触れるということで軽い義務感が生まれ何かとネタをメモにしておく気になります。ブログとかもそうですが、こういう「場」がないと、何も書かなくなる(書かなくてもいいという意見は置くとして)。

「友達」申請はしていません。この人、申請してくれないのかなと、ひそかに待っているところも若干あり、田舎駅のプラットフォームで素敵な人に声を掛けられるのを待っている女子中学生の気分も、なかなかにコク深く味わっています。自分から申請しないのは、シャイだからと解釈してくれる人がいて、ありがたい。実のところは、備忘録・ネタ帳なので、他人様に関係を「申請」するようなものではないという判断です。



使ってみると、「怖えぇよ、その顔」というプロフィール写真がランダムに現れるところが、まずもって、怖い。

巷間いわれるように、「充実しちゃってる、ミーのライフ」な情報がずらずら並びまくるということは、あまりないです。ノマド・ワーカー(大笑) が自己啓発セミナーや異業種交流会で人脈広げまくってます、てな御報告もない。これはまあ、年齢も年齢だし、俳句関係ということもあり、「タイムライン」の色合いは枯淡とまでは行きませんが、地味めです。

想像するに、若者が学校関係・仕事関係の人間関係をここに持ち込むとなると、地獄の様相を呈することもあるのではないかと……。俳句の付き合いは、実社会ほどは生臭くないので、良いですね。



承認してないひとから承認ありがとうございますってメッセージきたから承認していないのでお礼にはおよびませんって返信していいかな; 石原ユキオ (@yukioi)July 4, 2013

これはいいんでしょうね。


あとね、ずらっと表示されてる広告がうさん臭いの、FBは。— ホメスウィートホメ (@rockets_yamada) July 4, 2013

はい。例えば、これ(↓)なんか、アウトなんじゃないの?というくらい、あやしい。

2013/07/03

■肯定

もうこれで行くしかないから、これで行く。これでいいんだ、という。

「肯定」というか、前に向かって進んでいくよ、いろいろあるけどね、といった態度が、やはりいいと思います。

Earth, Wind & Fire - Thats the Way of the World


Negicco - 圧倒的なスタイル

2013/07/01

■(笑)という編集処理

座談のこのくだり。

上田信治「時評というもの 筑紫磐井『21世紀俳句時評』をめぐって」(週刊俳句・第323号)にも取り上げられています。

(笑)という箇所がキモのようで、これがあるからこそ、ここが「燦然と輝いて」(上田信治)見える。

これがただ「この方は「これから俳人」という感じですね」だけなら、そのまま受け流す箇所でしょう。あるいは、「この方は「これから(が期待される)俳人」という感じですね」と、省略を補って読むことも、(前後の文脈をある程度無視すれば)できなくはないのですが、(笑)があると、そうは読めない。


ところで、この(笑)、対談記事、座談記事にはお馴染みで、そうとうに古くからごくごく一般的に用いられる。これがないとニュアンスが間違って伝わることもあり、なくてはならない編集処理ともいえる。どんな表情でセリフを吐いたか等、文字だけではどうしても伝わり切らないので。

例えば、過去、週俳に掲載された「『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会(3)」には、(笑)が19回登場します。
あらかじめ相談の余地を作っておいたわけです。相談の余地があるということは、編集部の介入する余地もあるということで(笑)、場合によっては若干の相談や調整があった、というかんじです。
 この(笑)は、「介入」の語のもつ機微を支えているわけで、ここに(笑)が入らないと、ちょっと感じの悪いセリフ、すごいことを言っていることになってしまう(なくても、雰囲気を察し理解してくれる読者はいますが)。

どの(笑)にもすべて機能があるとはいいませんが(それほど必要ではなく手が滑って(笑)を入れてしまうこともある)、わりあい大事な道具なのですね。


そこで、はじめの(笑)ですが、この一発で、発話者の、さらにいえばその場に蔓延する「したり顔」のようなものが如実に伝わる結果になってしまった(全体の流れとは無関係に、というのが怖ろしいところです)。

ああいう場(俳句総合誌!の合評!)では、どうしても「したり顔」が出やすい状況でしょうけれど、これは他人事ではない。他人の句を評するとき、誰もが陥りやすい。 自戒を込めて、というやつです。


なお、インターネットのコメントでも、(笑)というのをよく見かけます。掲示板ではお年寄りほど、これをよく使うという傾向が見えたものですから、wwwなども使ってみたりしますが、これはこれで難しい。雑誌の縦組では使えませんし。

それでは、と、

  この方は「これから俳人」という感じですね(*^▽^*)

顔文字を使ってみると、愛嬌があっていいのですが、縦組ではやはり無理です。


というわけで、これからも雑誌記事から(笑)がなくなることはなさそうです。


(つづく)


【余談】
合評、そして上田信治さんの記事にある、

  白梅と思ふ拙き木と思ふ  生駒大祐

からは、どうしても、

  咲くまでの梅を不思議な木と思ふ  正木浩一

を思い出す。だから、悪い(類想とか)というのではまったくなく。

見ようとしているものが違うかもしれないが(あるいは近いかもしれない)、視線のありように共通したものを感じる。

個人的には、「拙き」よりも「不思議な」を採るし、調べも後者がメロー感やビート感で優ると思う。(いや、ここはやはり「思ふ」でしょう? という茶々、許す)