2009/12/15

再開

以前使っていたブログ「俳句的日常」を再開します。
http://tenki00.exblog.jp/

こことあそこ、記事内容というより気分でどちらかに書く予定です。

2009/12/14

ゲラゲラ

ウラハイの「俳諧スピーチバルーン・シリーズ」第2弾はマニアックな少女漫画篇。

  ヒロポンを飲んでゲラゲラお正月  長谷川裕

楽しそうだなあ。

仲良し手帖」は読んだ記憶がないが、長谷川町子の描く「大笑い」の顔は、「ゲ」とか「ラ」の字のかたちとよく似ている。

2009/12/13

消息:勉強会レポートとアンケート集計

週刊俳句第138号
●現俳協青年部勉強会「俳人とインターネット」のレポート・幸せになれるって保証も約束もないんですよね〔前篇〕(タイトル長い!)
今年最も注目された俳人は? 『俳壇』2009年12月号を読む
…を書かせてもらってます。

2009/12/12

小津安二郎忌

こうした娘の結婚をめぐる大人達の「やれやれ」を描いている小津安二郎に対し、同じく50年代から60年代に、結婚した娘、しなかった娘の「その後のやれやれ」を描いたのが成瀬巳喜男である。
小津と成瀬の「やれやれ」と結婚詐欺女:Ohnoblog 2
今日は小津安二郎忌



土手…。

2009/12/11

東京タワー

東京タワーの1階にある大食堂が年内いっぱいで閉店するそうだ。

行かなくちゃ。

東京(といってもその西郊)に超してきておよそ35年になるが、東京タワーには行ったことがない。え!と吃驚されそうだが、案外、そういう人は多いのではないか。…多くないか。

ともかく、一度は行っておきたいので、今年中にぜひ出かけたい。

先般、墨田区をクルマで走っていたら、突然、どでかい建物が現れた。建造途中の新東京タワーだ。周辺は低い建物ばかりなので、かなり異様。まだ上には伸びておらず、塔の根元の比較的太い部分(それだけでも高い)なので、余計に異様。

ともかく、旧東京タワーに、出かけないと。

ユキオ短歌

石原ユキオはもうすこしモテていいと思う。:ねこの森に帰る

短歌をあまり読んだことがなく、とりたてて短歌に興味のない私にも、石原ユキオ氏の短歌はおもしろい。

短歌に専門化したほうがいいんじゃないの、などと無責任なことは言えないが、言ってみたくなる。

2009/12/10

赤星引退

赤星憲広 背番号53 引退:自称阪神タイガース評論家

赤星選手引退によせて:ネガティヴ ドラゴンズ

ツイッターは

特定の人の「おつぶやき」を読むだけなら、フォローする必要も、加入する必要もありません。ブックマークしておけばすむことで。

≫オススメ http://twitter.com/kadokawaharuki

2009/12/09

赤インク

…に関しては少し詳しいです。

書いたとき明るく透明感がある(ベタっと真っ赤にならない)のはペリカンとLAMY(ラミー)です。


Olympus E510+Zuiko 50mm macro(MF)

2009/12/08

ツイスター?

ツイスター、ツイスターと、ラジオやらネットからさかんに聞こえてくるので、なんで、いまどきツイスター? そんなものが流行ってるのか?と驚いた。

よく聞いてみると、ツイッターでした。

あ、ツイッターか、と。

それなら、少し前に、とりあえず登録しました。でも、いまだに、ぜんぜんわかりません。使い方が。どう面白がればいいのかが…。そのうち誰かに教えてもらおう。

今のところ、リンクの参考にしています。これとか→http://twitter.com/torakare

リンクのない他人様の「御つぶやき」は、どう楽しめばいいのか。電車で隣に坐った人がひとりごとを言っている、それを聞いていると思えばいいかもしれません。

自分がツイッターに書き込むのも、もっぱらリンクです。http://twitter.com/saibaratenki つぶやけって言われても、ふだんから、むかしから、つぶやくクセなどないので、つぶやけません(このブログで、つぶやいているのか)。

でも、これからクリスマス・お正月にかけては、やっぱりツイスターでしょう。特に若者はツイッターなんてやってないで、ツイスターをやりなさい。


2009/12/07

協賛記事:リトル・フィート

週俳・第137号・haiku mp(今週の動画)はリトル・フィート

ドラムのセカンドラインという箇所になぜか反応して↓


プロフェッサー・ロングヘアにはセカンドラインがたくさん出てきます。

信治さんの記事には、ニッポンとの絡みでサザン・オールスターズが出てきますが、その前か後か、鈴木茂のファーストソロ「バンドワゴン」(1975年)のバックアップにリトル・フィートのメンバーが多数入っていて、そこを聴くだけでも価値のあったアルバム。人から聞いた(あるいはラジオで聴いた)話ですが、アメリカ録音が決まり、バックをどうするかの話になって、「ザ・バンドは?」と鈴木茂が所望。ギャラが高くてぜんぜん無理。それでは、と、リトル・フィートほかのメンバーに決まったという。ザ・バンドが高いのはわかるが、リトル・フィートは安いのか!と当時びっくりした覚えがある。


2009/12/06

消息:ピリオドの描き方

週刊俳句第137号に「『俳句空間−豈』第49号・特集「俳句の未来人は」を読む ピリオドの描き方」を書いています。

2009/12/04

アル・スチュワート爺

1970年代に現役だったミュージシャンが30年経って今、という動画がたくさん見つかる。30歳だった人は60歳に。

アル・スチュワート(1945年生まれ)も「おじいちゃん」になってしまった(↓↓↓)






1977年(32歳)

2009/12/03

googleの日本語入力ソフト

…いいみたいですね。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1345757.html

でも、ATOKに辞書登録した語が大量(特殊語のほか、定型挨拶文、メアド、URL等々)。それが、インポートできるんでしょうか。できるんなら、乗り換えます。

1995

1995年を時代の分岐点とする意見が巷には多い。どう分岐なのか、深く、かつ明快に論じてくれるものには、まだ出会っていない(私の怠慢というだけ)。

この記事(↓)は、深くはないが、手っ取り早く便利。
超円高の1995年はどんな時代だった!?

もっともwikipediaをまとめただけの感じもあるにはある。

俳句教養講座

俳句教養講座・全3巻が刊行された。
http://www.kadokawagakugei.com/topics/special/haiku-kyouyou/

いくつか読みたい記事があります。例えば第三巻の「俳句の著作権問題」(筑紫磐井)。筑紫氏はかねがね俳句に著作権は「ない」という立場であり(一例:『俳句界』2009年2月号俳句界』座談会)、ここでどんな論述が展開されるのかには興味がわく。

といっても、読みたい記事は多くない。図書館に行くことにしましょう。

2009/12/02

事業仕分けと科学者

事業仕分け結果に、ノーベル賞受賞者らが批判声明(11月25日)。
それに反応して、kikulogのログ(進行中)

科学への投資を誰に理解してもらいたいのか 2009/11/27
若手研究者支援 2009/11/28
運営費交付金 2009/11/29
東大物理のアピール 2009/11/30
中村桂子さんの意見 2009/12/1

要は、「科学は大事なんだから、カネ寄こせ」だけじゃあダメなんじゃないの?という話。

フォークソング嫌い

フォーク・ソング:Rocket Garden~露結の庭~
http://yamadarockets.blog81.fc2.com/blog-entry-286.html
孫引きになるが、「殺意に近い憎しみ」を感じながら、「努力してFM放送なんかを繰り返し聴くことがあるのですよ。井上陽水、岡林信康、その他高名なフォーク・シンガーのを。」という塚本邦雄は、ヘンな人だなあ、と思う。「くだらない」のひとことで済ませられるのに、努力して繰り返し聴くわけだから。

私は世代的に「フォーク・ソング」を他人事では済ませられない立場にある。複雑な気分。

中学生のときの深夜ラジオ(1970年前後という大昔ですね)には、このフォーク・ソングがやたら流れていて、夜中3時を過ぎると、宵っ張りの学生もさすがにもう眠るということで、突然、トラック運転手をコア・ターゲットにした演歌番組が始まるというプログラム。

そんなだから、ある種のフォーク・ソングを好んで聴いていた時期が、短期間とはいえ、ある。白状したくないけれど、たしかにある。けれども、フォーク・ソング全般がどうかといえば、はっきりと苦手。ただし、塚本邦雄のように「言語感覚の貧しさ」がその理由ではない。理由は「音楽感覚の貧しさ」である。

音楽としての退屈、気恥ずかしくなる生硬さ、お手軽さ、そうした貧しさが詰まっている。これはフォークソング出自の「ニュー・ミュージック(新・歌謡曲)も同様。

(ちなみに、音楽を聴くときに、「言語感覚」を取り沙汰する気があまりない。音を邪魔しない程度の言語でいい、というくらい。フォーク・ソングの多くが、言葉の貧しさが、音の貧しさに輪をかけてしまうということはあるにしても)

そんなわけで「くだらない」と無視していればいい音楽ジャンルなのだが、しかし、ところが、最近になって、十代の頃、あれほど嫌いだったガロというグループの曲を聴き、たしかに「言語感覚」は語るまでもなく最貧で、「音楽感覚」も豊かとはいえないけれど、こういうのもアリに聞こえたりして、困っている。

フォーク・ソングの貧しさから解放されるわけではなく、とても複雑な気分なのだ。

2009/11/30

忌日観・俳句観

週刊俳句のスピンオフ・サイト「毎日が忌日」。一週間に一度いろいろな方が担当する「選」の記事。執筆者それぞれの忌日観、俳句観が出ていて、おもしろいです。

くにたち句会、無事終了

あっしは20句弱、捻る。

 炬燵にて岩下志麻な日曜日

 びつしりと若尾文子な霜柱

ほか。

(人名俳句以外もつくりました。当然ながらほかの方はもっとりっぱな俳句をたくさん作られていらっしゃいました)

世界が岩下志摩と若尾文子で作られていたとしたら、ほかに何もいらない。

あ、句会後はてっちりを美味しくいただきました。雑炊の最後の一粒一滴まで。

2009/11/28

猫が…

スティーヴ・ミラー「ジョーカー」のカヴァー。猫が、まあ、なんというか…



…かわいい。

ところで、この「ジョーカー」という曲、あらためて、いい曲だなあ、と。スティーヴ・ミラー・バンドは、この少しあとの「フライ・ライク・アン・イーグル」の入ったアルバムをよく聞いていた。知名度や人気、やってる音楽が「いい意味で中途半端」(なんだ、それ?)。これから老後に向かって安心して部屋に流しておける音ざんす。

せっかくなのでオリジナル版。

2009/11/22

11月くにたち句会のお知らせ

11月29日(日) 14:00 JR国立駅南口
句会場:キャットフィッシュ ※句会場に直接でも結構です。

題詠(10題程度)ののち選・合評。お時間のある方は飲み食いも。

携帯電話etc連絡先はページ左・profile に。

おきギ・第3回 B.B.キング

一音聞いただけで、その人とわかるギタリストは、B.B.キングのほかに思い浮かばない。

弦を押さえる指は、きほん、(第一関節から先が)立っていなければいけないと言われるのだが、B.B.キングのぶっとい指はべたっと寝ているように見える。指の力がよほど強くないとできない技。

もちろんのこと歌唱も、めっぽう、よござんす。


↓スボンをたくし上げるところが、キュート。



おきギ=お気に入りギタリストの略

2009/11/19

準備

アンヴィルを観るなら、スパイナル・タップ(1984年)を観ておかなくちゃ、という意見が多いので、ツタヤ・ディスカスで借りた。

ヘヴィメタは、まったく聴いたことがないが、この映画は観たい。

2009/11/17

死語と皆の衆パターン

句友で漫画家のかまちよしろうさんの句が話題にのぼったものの、全部が思い出せない。何人かで必死に思い出そうとしたが、結局ダメだったことがあった。

  ××××はもう死語ですか皆の衆

この「××××」が思い出せない。俳句ではあるが、季語ではなかった(有季? あはは、糞くらえ!)。

思い出せないなら、適当に何かを入れてしまえばいいわけで、ウラハイの記事を読んでいたら、ちょうど「ノリノリ」という語が出てきた。

  ノリノリはもう死語ですか皆の衆

そのまんまだけれど、まあ、いい。

元の句が名句選に入ることがなくとも、「もう死語ですか皆の衆」パターンは長く残るだろう(私個人のなかで)。

2009/11/16

北九州



青山真治監督の北九州サーガ、『Helpless』『EUREKA』『サッド ヴァケイション』、最近になってまとめて観る。どれも良。きわめて良。

2009/11/15

銀色の裏地


  コピー機のひかり滑りぬ冬の雲  中嶋憲武

冬の雲に、その裏にある太陽光が美しく映えることがある。なめらかにすべるように。

Every cloud has a silver lining. 

裏側は見えないけれど、冬雲の縁(ふち)が、裏側から洩れた光でまぶしく輝くことがある。

この人の句の哀しさと可笑しさ(どちらもなにげない)は、雲の裏側の明るさ、なんだなあ、と思う。


掲句は週刊俳句・落選展2009出展作品「昧爽」より。「住処」と併せ、この100句、いいです。昨年の50句よりも色合いが沈潜して洗練を増した気がします。

2009/11/14

30年

すごい。まだやってたんだ!

ジェームズ・チャンス、55歳のパンク↓↓↓




当時↓↓↓ およそ30年前

2009/11/13

新参に厳しく内輪に甘い

月評担当の中堅俳人先生たちも相手が句歴が浅いと見るやたちまち上から見下ろすように「まだ俳句の体になっていないのが惜しまれる」なんてことを言うていますが、(…)
俳人劣化のなげき:かわうそ亭のコメント欄
≫http://kawausotei.cocolog-nifty.com/easy/2009/11/post-7511.html
月評に限らず、「中堅」に限らず、「先生」に限らず、よく目にします。

新参に厳しい。これはいいのです。しかしながら「俳壇」とやらの内部、内輪には、甘い。ハードルの高さがぜんぜん違う。全部が全部というのではないのですが、その傾向が顕著。これは昔からよく言われていることです。

「俳壇」の成員にはパーティやらで顔を合わすことがあるが、新参者にソレはない、といったアタマがあって、大きな差になるのでしょうか。あるいは、包装紙ですでに予見が与えられてしまうのでしょうか。

個人として見れば、そんなに尊大な人ばかり、厚顔な人ばかり、通俗ばかりではないと思うのですが、なんでこうなっちゃうんでしょうね。「俳句を語る」という機会や場に、歴史的に醸成された空気があるのかもしれません。どのように?かは、また考えてみることにします(「選」や「評価」から始まり、そこから抜けられないとか、いろいろ)。

いずれにせよ、批評が不在のまま、評価、それも狭量でナマクラな評価が蔓延しやすいところです。俳句世間というのは。

1980年代半ばの東京

http://www.youtube.com/watch?v=4efWMjC2LNE

外国人が撮ると、見慣れた風景がエキゾチックに映る。不思議な作用だ。

2009/11/11

最近のこと、ふたつ

むかしは「祗園」の「祗」がワープロ(PC)で出なくて、「祇園」とするしかなかったのに、いつのまに? 世の中は進歩しているんですね。

「足カバー」とあったので、「そくりょく・バー」って、どんなバーだ?と。…落ち着いて読んだら、「あし・カバー」だった。

で、こうしたこととは無関係に、「ホテル・ソング」(映像は、ルームメートなんでしょう、女の子ふたりの静止画アニメーション)。いい曲。



気持ちのいいこと、楽しいことを探して暮らすのがいいです。あたりまえだけれど。



ついでにレジーナ・スペクターをもうひとつ。

2009/11/10

おきギ・第2回 エイモス・ギャレット

第2弾はエイモス・ギャレットです。ブラックっぽいのを続けると、路線が決まってしまいそうなので、初回のデヴィッド・T・ウォーカーから、うんと離れたところへ。

「幼少の頃から酒と音楽に親しみ…」といったプロフィール(biography)をむかしどこかで読んだような聞いたような。

子どものときクラリネットを手にしたのが音楽との関わりのスタート、といった記述も、どこかで読んだような聞いたような。もし、そうなら、独特のフレーズ(他のギタリストでは聞けないような)の理由がわかる気もする。などと、むかし友人としゃべった気がする。

観客、もんのすごく少ない↓


ポールバターフィールドのベターデイズというバンドでの演奏を評価する人が多いでしょうし、ジェフ・マルダー、マリア・マルダーのアルバムでの演奏が好きな人も多いでしょう(私も、そう)。




露結さんとこで、いか爺(いかしてる爺さんの略)が始まりました。
http://yamadarockets.blog81.fc2.com/blog-entry-259.html

「いか婆」もやってほしいです。

2009/11/09

無聊

畳が広い。自分がちっちゃくちっちゃくなっていく。

秋は、こんな感じですね↓
http://kachinas.exblog.jp/12204601/

河童の三平。貸本版というところに、強烈なこだわりが。

消息:いわゆる一句鑑賞

週刊俳句・第133号〔週俳10月の俳句を読む〕にちょこっと書いています。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/11/10_4199.html
上田信治さんがタイトルを付けてくださいましたが、遠慮があったのでしょうか、もっとヘンテコなので良かったのに(「かなしみのハマグリ」とか「悪漢カウチポテト」とかw)。

落選展は、目次の下のほうから4つ、コメントを付けました。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/11/2009.html

いわゆる「一句観賞」(ぜんぜん鑑賞じゃないけど)が続きました。

2009/11/08

ナイスでございます

漁師と海猿、そしてまたもや酒井法子さまと剛竜馬のことなど:muranishi BLOG
http://muranishi-ch.com/new/news/blog.cgi?mode=main&no=89

ことばの力。それから、日本版「レスラー」のことなど。先頃亡くなったプロレスラー剛竜馬の話が泣かせます。プロレスはずいぶん長いこと(30年くらい)観ていないので、名前さえ知らないレスラーですが、あの映画とダブります。

村西とおるのブログ、いいです。
http://muranishi-ch.com/new/news/blog.cgi

職業柄、シモネタは義務のように繰り出されるのですが、それが苦手という人は、そこを飛ばして読めばいいわけで。ともかく、この人、語り口がいい(ございます文体)。言ってることに「義」がある。これ大事。「義」のない言説は、いかにクリアカットであろうと、実用主義的に強力であろうと、価値は薄い。

2009/11/07

チェ・ゲバラ

Tシャツを干せばはためくゲバラの忌  露結  サイト「毎日が忌日」より
チェ・ゲバラの忌日は10月9日。革命の英雄も日本ではもっぱらTシャツの柄。それをとやかく(例えば苦々しく)言うのではない。ゲリラ戦も共産革命も日本からは、はるかなイメージしかない。いま、ここでゲバラ忌を詠むとしたら、これしかない、と思う。私も「ゲバラ忌」で俳句をつくったことがあるが、それとは比べものにならないくらい、この句は、いいですね。

イコンとしてのゲバラはTシャツばかりではないようで、ホテルの喫煙具売場で、ゲバラ柄の灰皿を見つけた。値段を見ると、2万円だか3万円だか。ひゃっ、高い。いくらダビドフ製とはいえ、なんの変哲もない白くて四角い灰皿にゲバラの顔が描いてあるだけなのに。

 

そういえば、だいぶ前の日曜日はNHK-BSで「俳句日和」という生放送をやっていたそうな。たくさんの応募俳句から賞が決まるという趣向で、結果は番組ホームページにあります。

 大賞 広場から革命生まる星月夜  神奈川県・寺田篤弘さん
 
選ばれた過程は観ていないのでもちろん知らないのですが、この手のファンタジーを「良い」と思うセンスは、いったい、社会や歴史とどのような距離感を持てば生まれるのだろうか? と、不思議です。

広場って、どこの広場だ?w

例えば、この句をキューバかどこかでの海外詠と解するにしても(つまり「世界遺産観光」の一句)、また、いいとか悪いとかの話ではなく、さらにまた、俳句とかそういう分野の事情を超えて、ただ単に、たいへん不思議。

 

ソダーバーグ監督の「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳別れの手紙」は地味な良さを持った映画と思った。無用なドラマをつくらないことで、陳腐化を避けたと見た。

「革命」という語、それから「チェ・ゲバラ」といった固有名詞が、どうしたら陳腐化を免れるのか。そこは困難だが、かなり大事。

というか布団って…

http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/10/2009_788.html?showComment=1257478583529#c6009896753116366651
…貧乏くさいほど、俳句になるんですよね。

  蒲団屋の命の果てのやうな柄 山口東人

2009/11/06

おきギ・第1回 デヴィッド・T・ウォーカー

突然ですが、お気に入りギタリスト・シリーズです(略して「おきギ」。
古い人ばかりになります。 順序はランクとは違います。

最初は、David T Walker ざんす。



男は、禿げてからが勝負ですね。


おすすめアルバムは断然「Press On」。

小唄のような 小川春休『銀の泡』

炬燵欲し炬燵欲しとて自転車漕ぐ  小川春休
小川春休句集『銀の泡』(タカトープリントメディア・2009年10月1日)には、小唄のような気持ちのいい句がたくさん。

俳句というのは、どうしたって交響曲にはなりえないのですが、うまくすれば、泥臭いブルースだったり、きれいなバラードだったり、バッハっぽかったり、あるいはテンションいっぱいの現代音楽だったりもするわけです。

(演歌だったり大漁節だったりもしますが、そういう句集は、個人的にはあまり読みたくありません)

音楽の好みからしても、私は、小唄が好きで(声を張り上げるのはあまり、ね)、例えば、初期ライ・クーダー。古い小唄を軽い調子でリラックスして唄う。生成りのようなピュアなところもあって、少し泣かせて、きほん微笑んでしまう。『銀の泡』は、そんな小唄の感じ。

以下、「おひねり 十一月」の章から気ままに。
新藁の山の崩れて降りつづく

茸狩の人やリムジンのぞき込み

澄む水をかためてさしみこんにやくよ

焼き上がる鯛焼のみなこちら向き

天井の隅つこの暮早きこと

靴底に枯野の小石はさまりぬ
「新藁」の句は、子規「あたたかな雨が降るなり枯葎」を思い出しますね。

2009/11/05

レヴィ=ストロースの死

10月30日に死んだそうだ。「まだ生きていたのか?」が正直な感想だが、100歳(!)。

11月1日、句会後の与太話のなかに、なぜかレヴィ=ストロースの話も出てきた(訃報はまだ知らなかったはずなのに)。どんな話題かといえば、『悲しき熱帯』の話。とりわけ上巻は極上の旅行文学。人類学(民族学)に興味のない人でも興奮しながら読める(川田順造訳・中公版がよい。講談社版「悲しき南回帰線』は翻訳が異様というか拙くて読んでいられない)。

最初にレヴィ=ストロースを読んだのは、ジョルジュ・シャルボニエ『レヴィ=ストロースとの対話』(みすず書房1970)。著作ではなくインタビュー本というところが変則。まだ20代前半(ニュー・アカデミズム流行時代のさなか、だったような)で、その手の素養も思考スタイルも身についていない私にも平易でわかりやすく、魅力的な語り口だった(翻訳だけど「語り口」を確かに感じたのだ)。

その本の内容でいまでも印象的に憶えているのは、現代西欧社会を蒸気機関に、いわゆる「未開」社会を精緻な時計に譬えて対照させた箇所。大袈裟にいえば、「相対化」ということが「常に為されるべき作業・一過程」として自分の中にしっかりと据え付けられた瞬間だったように思う。

(いま『レヴィ=ストロースとの対話』を調べてみると、翻訳がなんと多田 智満子(!)。他著作のほとんどは人類学者によるものだから、多田 智満子訳レヴィ=ストロースはおそらく唯一。そのときは知らずに読んでいたが、最初の出会いに多田 智満子訳で読めたとは、なんという幸せだろう)

その後、翻訳ばかり相当数を読んだが、大部の「神話論理」シリーズ翻訳刊行が始まるはるか以前に、自分の読書領域からは外れた。



大理論(グランド・セオリー)に向かうレヴィ=ストロースの仕事は、民族誌的事実からの反証を「例外」と片づけがちで、人類学/民族学全般からその点を批判する声も多かったが、正確で破綻の少ない中理論(ミドルレンジ・セオリー)よりも、少々乱暴でも大理論のほうが夢がある。

学問的知識に乏しく好奇心旺盛な末端の読者(例えば私)にまで夢を与える、スターのような存在。それがレヴィ=ストロースだったような気がする(専門家にしてみれば、噴飯物のねじ曲がった捉え方かもしれないことは承知しつつ)。


追記
●小田亮による追悼文 http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091104#1257337628
構想主義の「構造」の意味は、これでもまだ伝わらないと思うが(誤解のきわめて多い概念。ろくすっぽ読まずに想像で「構造」を口にする人がいかに多いかの証左)、コンパクトで、びしっとした追悼文。

●内田樹による追悼文 http://blog.tatsuru.com/2009/11/04_1227.php
パリのアカデミー(知の世間)とレヴィ=ストロースの(想像上の)回顧。パリじゃなくニューヨークだよん、という上記・小田亮の指摘と重ねると興趣。

2009/11/04

稲垣足穂

少年愛の世界、と言ってもあのマントヒヒのような容貌で、と、思って以来作品は読んでいない。
http://kijitsu-haiku.blogspot.com/2009/11/20091025-1031.html
女性にとっての少年愛は、どうしてもいわゆる「やおい」に傾くわけでしょうか。容貌の美醜は、愛されるのに少しは関係があっても(これもきつい話ですね。自分ではいかんともしがたいのに)、愛するには無関係。とはいえ、鑑賞するとなると、それはまあ、マントヒヒより美少年のほうがいいか。ふつう。

しかしながら、この世に生まれながらタルホを読まずにいるのはなんとももったいない話です。

一篇挙げよと言われたら、「弥勒」でしょうか。

でね、もちろんのこと、タルホは、少年愛ばかりじゃあないです。天文、映画、ヒコーキ、天守閣、機械…。いろんな事物の、コクの濃いーところがちりばめられています。

2009/11/03

呪術と科学

疑似科学への嫌悪感(拒絶の態度)は人並み以上に強いと自認していますが、池内了『疑似科学入門』(未読です)への人類学者・小田亮さんの批判には深く納得しました。
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091101#1257091870

「科学」を標榜・自称していないもの(占いなど)まで「疑似科学」に含めるのは、おかしかろう。それは「科学者による「疑似科学」カテゴリーの創出」だろうという指摘は、なるほどです。このあたりのこと、人類学的話題とからめて、小田亮さんはこう書きます。
科学者としてのアイデンティティを純粋化するためという理由だけで、「第一種疑似科学」のような科学を装っているわけではないものまで「疑似科学」「ニセ科学」というカテゴリーに入れてしまうのではないでしょうか。そして、自分たちより低位のそのカテゴリーに属するものは自分たちがコントロールすべきだという態度(「未開」に関して言えば、それが植民地主義の態度です)も、このアイデンティティ・ポリティクスで説明できるでしょう。
占いが「科学」とは別に、私たちにとって必要な説明であることも、わかりやすく書かれています。科学的説明とは別に「非科学」的説明というか「科学の外にある」説明も必要なことが往々にしてあるのですね。

予測ということに関して(ここからは私の世間話です)、明日の夜明け時刻を辻占い師に数千円払って訊く人はいない。新聞に出ている。50年後の地球の平均気温を占い師に訊くこともない。関連科学者が研究し、討議すればいいことです。来週の株価を占い師に訊く人はいるかもしれないけれど、有能な相場師には思えない。

でも、金運や結婚運のヒントを、気象庁や経済研究所に求めるわけにはいかない。占い本読んだり、占い師に手相を見てみらったりするわけじゃないですか。

呪術(占いや神託を含む広義の呪術)は、科学の下にあるのではない。科学「以前」でもない。分担が違うのですね。

参考 ≫kikulogで池内了『疑似科学入門』に触れたエントリ
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1211820517
もっぱら科学者からの見方。ざっと見たところ、小田亮さんが示した観点は欠けているようです。なおkikulog自体はたいへんおもしろく、ためになるブログです。



言うまでもないことですが、みずからを科学と言い張る呪術は、タチ悪です。

2009/11/02

リンク●自分の俳句

このブログの右下付近に、自分の句のリンクを貼りました(さいばら天気の俳句、中嶋憲武×さいばら天気)。いずれも週刊俳句に掲載してもらったものです。

さいばら天気の俳句
* チェ・ゲバラ 10句  2008-09-28
* 贋札 7句 2008-12-28
* 値段俳句 七五〇〇円 10句  2009-04-26

中嶋憲武×さいばら天気
* 真夏の出来事 2007-08-12
* 毛皮夫人×毛皮娘 2008-02-03

30年前のビデオゲーム

以前、週刊俳句にシューティングゲームについての回想(というには朦朧すぎる心許ない記事)を書いた。その後、K-Toさんという方のご親切なコメントのおかげで、思い出したかったビデオ(アーケード)ゲームの端緒を掴んだ。

副産物で、懐かしい潜水艦ゲームの動画も見つかった。



これ、よくやったなあ。飽きもせずに。

2009/11/01

さてと

ワイルド・サイドって、どのサイドなのだ?


Lou Reed - Walk On The Wild Side

どっちのサイドかというと、そっちを歩いていたい。

消息:週俳

週刊俳句・第132号に「政治と文学性結社と俳句世間のジレンマ 『俳句界』2009年11月号を読む」を書いています。

俳人さんたちがさかんに「私淑」「私淑」と使うアレ、なんとかなりませんか。
(といった些末だけど、すぐになんとかなるだろうってなことを書いたり)
あるべきはずの参照を欠いた記事。これも俳句世間には多いですよ。別の常識で廻っているのではないか、と思うくらい。
(といった、こんなもん基本だろうよ、ってなことに触れてみたり)

で、今週は「後記+プロフィール」を長めに書いています。

で、haiku mp(動画)は、渾身の選曲となっております。

2009/10/31

政治を信じてはいけない

DIAMOND ON LINEで進行中のシリーズ、「若手学者が激論する!-経済学・政治学・社会学のコラボレーションで日本を変える」が、ひどくおもしろい。

昨日読んだのが「二大政党制は時代遅れ?「政権交代」の先にあるもの――あるべき政党政治とデモクラシーとは」。その締めが…
丸山眞男の言葉を借りれば、政治とは「悪さ加減の選択」にしかすぎません。政治に過大な期待をかけないこと、政治でもって世の中すべてがよくなると思わないこと、自分の実存を政治に明け渡さないこと。でも社会の利害を調整するために必要な営みとして政治を捉えて声をあげていくこと。きわめて当たり前のことのことですけど、でもこれが実は一番難しいんですよね。
「政治不信」という語が頻繁に使用されるのを、なんだかヘン、とずっと思っていた。選挙のとき、政治家もマスコミも、政治不信を嘆き、「信頼を取り戻す」と言う。こっちからすれば、それはぜんぜん違う。「え? 政治を信頼・信用していいの?」という感じ。信頼なんてしちゃあダメでしょう。

悪さ加減の選択。そういうことなんですね。すっきりした。

うっとり

オリベッティ・ラヴァーとしては、たまらなく嬉しい記事。
オリベッティ アーカイブス その1:東人雑記

「その1」とあるから続くんですね。にこにこ。

着るものに美しさを感じることはない(いいかんじとか、かわいらしいとかは思うけれど、「美」とは違う)。絵画(ファイン・アート)には、「ほおー!」とか「わっ!」と反応することがある。ある種のインダストリアル・デザインには、うっとりしてしまうのだ

2009/10/30

備忘録:価値と古典

http://saki5864.blog.drecom.jp/archive/504

尻のふさがっている沼


藻琴=アイヌ語の「ムク、トウ」が転訛したもので、意味は「尻のふさがっている沼」。≫Wikipedia藻琴駅

2009/10/29

虹の摩周湖


歌謡曲のような摩周湖に、歌謡曲のように虹がかかる。そんなこともあるだろうという風景。

加藤和彦の死

すでに各所で話題になっているが、菊地成孔による追悼記事。

加藤和彦氏逝去
http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=091019025452
我々は、アンチエイジングなどしている場合ではない。大人という、非常に贅沢な演技が全うでき、老人という、非常に贅沢な本質が全うできる社会を取り戻すために、全セクション総力を上げて闘って行かねばならないのです。
自殺を「病」として社会が受け止めるべきこと、この社会における成熟・老いについて再考(再構築)すべきこと、このふたつを骨子として、いわめて示唆深いわけですが、傍系の話題として、加藤和彦のソロ三部作をいま聞いてみて、その成熟の「なさ」に気づくくだり、そのうちの1枚である「パパ・ヘミングウェイ」はよく聞いていただけに、個人的に興味深かったです。

2009/10/28

幸福はしばしばホラー


幸福駅(帯広市)保存駅舎の内壁・天井に、旅行者の貼り付けた紙片がびっしりと。

狂気じみてかなりホラーな景色。

2009/10/27

くにたち句会のお知らせ

11月1日(日) 14:00 JR国立駅南口 集合

通常の「月の最終日曜日」からズレ込みました。
当日は天下市(大学通りがお祭り状態)なので、そこを散歩。
たまには吟行句っぽく? 題詠もやるでしょう、きっと。

句会場所は、当日、なんとか、なんとなく。

ではでは。お気軽に参加ください。

(携帯電話etc連絡先は左上のprofileをクリック)

フランク永井

Woman(1982年)は名唱です。
http://kijitsu-haiku.blogspot.com/2009/10/1027.html

2009/10/26

ジェイルハウスな散歩


博物館網走監獄 入場料:大人1050円

2009/10/22

陰惨な対立

つまり、です。
格差が問題ではない。分断されつつあることこそこの国の深刻な問題である。
で、どういう分断かというと…
正社員vs派遣
専業主婦vs働く女性
子持ちvs子無し
老人vs若者
ワーキングプアvs生活保護受給者
公務員vs民間労働者
B層ネット右翼vs市民団体、労働組合、日教組
真のエリート支配層に利用されている
なるほどです。陰惨な対立。

「分断」がそれほど意図的とは思えないし、「支配層」が目に見えるわけではないが。

いろいろと静かに考えなくてはならないことがあります。それで、どう?と問われると困るのですが、ともかく、いろいろ。

歳時記・秋

いまひとつ秋らしくならないまま秋が過ぎていくような気もします。

2009/10/21

言説のトレイサビリティ

実名匿名論争じゃないけど:切込隊長BLOG
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/10/post-eeb5.html
要は、ある書き手が過去に/他にどんなことを書いているか、トレイサビリティのようなものが示されれば、匿名にも、(品質)保証や安心感が伴う。辿れるという要素は重要だろう。

アマゾンの書評も、これが大きな参考になる。評者がほかにどんな本について書いているかを見られる仕組みなので、例えば、星5つで絶賛しているその本のほかに書評がひとつもないなら、仕込みの提灯記事であるとほぼ断定できる。

『俳句』11月号はもうすぐ発売

週刊俳句の来週号・第131号に恒例(って言ってもまだ3回目)の「落選展」が掲載される。その頃、『俳句』誌の11月号が発売となって、選考の模様が座談会スタイルで掲載されるはず。これ、この数年、読んでいるが、どんな作品にどのように決まっていくのかには、実は、あまり興味がない。

選考結果について「なるほど」と納得することもないし、逆に「そうかなあ」と疑問に思うこともない。「俳句」について見識を持った選考委員が決めることで、つまりは決まるところへと決まっていくという、なんだかヘンな言い方だが、その程度に読んでいる。

で、何に関心があるのか、言い換えれば、どこに目が行くのかというと、選考委員各氏の「言葉」だ。

  新人賞選考会の議事録の話し言葉の美しくなさ  桝野浩一

美しくない言葉で語られることは、こちらのからだに入ってこない。語られる対象である俳句作品にとっても不幸なことだろう。いかに美しい言葉、魅力的な話し言葉でもって、俳句が、候補作品が語られるのか。今回も、読むとしたら、見るのはそこだけ。

角川俳句賞というもの、俳句を始めてからも存在自体知らなかったが(案外、そういう人、多いのでは?)、数年前、ふとしたきっかけで当該の選考記事を読み、やはり同じように初めて読んだという句友と話したとき、この「言葉」に話題が及んだ。美しさを欠いた言葉のあまりの多さ、「話し言葉の美しくなさ」に愕然として、友人は「芥川賞のように、各選考委員が選評を書くスタイルのほうがいいのでは」と言った。座談会形式はナマのおもしろさを伝えるサービス精神だろうと解したが、たしかに気持ちのいい読後感とは行かない、その点で友人と同意見だったのだが、「これはいったい何なのだろう」と不思議な思いもした。

いわゆるダメ出しやら辛口批評が「美しくない」というのではもちろんない。評価のプラスやマイナスにはかかわらない。また、このことは角川俳句賞に限らない。どんな賞の選考についても、読者は、ごくごく当然ながら「言葉」を読む。「言葉の美しくなさ」を味わおうという読者はいない。

今年は、どうでしょう?

というわけで、おそらく買うと思います。11月号。

2009/10/20

新しいとか古いとか

温故知新:Rocket Garden▼
http://yamadarockets.blog81.fc2.com/blog-entry-228.html
ほんと、そうですね。新しいとか古いとか、徹底的にどーでもいい。

俳句に限らないんだろうけど、俳句の場合。

退屈か退屈じゃないかのほうがまだしもどーでもよくない。だいじ。

例えば小説もそうでしょうか。新しい小説が読みたいわけではない。おもしろい小説が読みたい。新しい俳句なんて、いらない。おもしろい俳句が読みたいだけ。

2009/10/19

消息:きのこ

ウラハイ= 裏「週刊俳句」に「暮らしの歳時記・きのこ」を書きました。
http://hw02.blogspot.com/2009/10/blog-post_19.html

2009/10/18

人みな忌日をひとつずつ

サイト「毎日が忌日」の「今週の一句」、振り子さんの記事。
http://kijitsu-haiku.blogspot.com/2009/10/20091011-1017.html

最初の2パラグラフ、「生き死にを地続きと思えば」から「忌日への接近は実に俳句らしい」までの2パラグラフ。なるほどなー、と感心してしまった。

この「今週の一句」、どなたの記事にも言えることだが、選評よりむしろ、忌日を、ひいては人の生き死にをどう捉えるか、筆者それぞれの見解や心持ちがあらわれていて、興味深い。

2009/10/16

チンドン50年

八田木枯「世に棲む日々」10句(「週刊俳句」第119号・2009年8月2日)の後半5句はすべてチンドン屋の句。そこで思い出したのが、この句。

  鳥交る世にチンドン屋ある限り  八田木枯

所載は『汗馬楽鈔』(深夜叢書社1988)。1947年から1957年まで10年間、20代の句が収められている。

20代でこの句をつくったのち、週俳の5句は、半世紀以上にわたって温められた、あるいは半世紀以上ぶりに復活した題材ということになろうか。八田木枯さんの頭か心かの片隅に、そんなにも長いこと、チンドン屋が存在しつづけたという事実が、俳句うんぬん以前に、ひじょうに興味深いです。

漂泊といえば漂泊。で、ちょっと情けないかんじ。チンドン屋の哀切の質は、やはり独特。


参照記事≫羽田野令・ちんどん屋:ウラハイ

2009/10/15

にほんごであそぼ

ルリちゃんののたまうコニちゃん、大井さんのコメントで正体がわかりました。
これですね→http://www.youtube.com/watch?v=b4VJA2LeRV8

しかしです。「にほんごであそぼ」という番組、YouTubeで垣間見るだけで、凄いですね。

カッコいいんですけど? すごく↓


機会があったら、観てみましょう。

教育テレビ 月~金曜日 午前 8:00~8:10(10分)【再放送】 午後 5:05~5:15(10分)

サイコなルリちゃん

中嶋憲武さんの「ルリちゃん」がおもしろい。
http://hw02.blogspot.com/2009/10/blog-post_14.html

自分への問いが、ルリちゃんのなかで、すべて「あなたは~ですか?」に置き換わる。

サイコな話として、憲武さんは書いている。

怖いといえば、怖い。

2009/10/14

関西空港



演歌とソウルをミックスさせた「エンソル」。

なんか、もう、むちゃくちゃwww

2009/10/12

消息:ゼビウスなど

週刊俳句第129号で、「シューティングゲーム(クラシック)」をコンピってます。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/10/haiku-mp_11.html

2009/10/09

夜型人間

ええっと、例によって、記事タイトルは記事内容を反映しているのか、いないのか、わからないようなタイトルです。

音楽に関して、かなり雑食です。ジャンルについて、これが好き、これをよく聞く、などということはなく、おもしろければジャンルは問わない。でも、なぜか邦楽はほとんど聞かない。

なのに、Little Creatures というバンドは、この数年、そうとうに気に入って、数枚のアルバムをそうとう回数聞いている。



ひとつには音の隙間におもしろさがあること。歌が、たどたどしいぶん、前面に出てこず、楽器の音が楽しめるのも、好みに合っている。音楽は「音」を聞くものというアタマ。言葉を聞こうとは思わない。歌声や歌詞も大事だが、それらがテーマではない。だからだろう、若い時分、フォークソングなるジャンルが流行ったが、大嫌いだった(自分のなかでは「音楽」の範疇には入れていなかった)。

雪我狂流さんが、「日本のは、ロックといっても、ほとんどがフォークロックだよね」と言っていたが、至言(歌詞うんぬんだけじゃなくて、音もそう。このあたりはちょっと複雑)。加うるに、「日本のヒップホップ」と呼ばれるもののほとんどは(あまり聞かないけれど)、フォークソングに聞こえる。

リトル・クリーチャーズという日本人の男の子3人のバンドは、英語の歌詞ばかり。少なくとも「フォークソング」をやる気はないようだ。音の美味しさで勝負している気がする。

あ、昔は夜型でしたが、このところずっと朝型です。

2009/10/08

本人が決めればいいこと

実名推進派は人の気持ちがわからない人が多い。:ひろゆき@オープンSNS
要は、
匿名派=匿名・実名どっちもアリ(選択を認める)
実名派=実名じゃなきゃダメ(選択を認めない)
…ということで、ネット書き込みに関して、私などは「どっちもアリでいいんじゃないの?」と思う。

ただ、実名を匂わせる匿名(例:このあいだ週刊俳句の俳句甲子園関連の記事へのコメント)は、心理的に引っ掛かるものがありますが…(つまり嫌悪感)。

ところで、「実名でしか書いちゃダメ」という実名推進派のなかには「筆名もダメ」という人がいるようで、その場合、現実にどう扱うのか(どうチェックするのか)。実名チェックなんて、できる? ネットに書き込むのに保険証や免許証を提示するわけにもいかないし。

で、話はどんどん飛ぶのですが、選挙。投票場で、本人確認は「無い!」んですよね。あれは大いに不思議。ハガキを持っていれば、本人じゃなくても投票券がもらえるわけだ。レンタルショップでさえ、免許証とか提示するんじゃなかったでしたっけ。

ついでにもうひとつ話を飛ばすと、選択を認める/認めないの話は、いまちょっとした政治テーマになっている夫婦別姓。

夫婦別姓賛成派=別姓もアリにしようよ(選択を認める)
夫婦別姓反対派=同姓じゃなくちゃダメ(選択を認めない)

これも、どっちもアリでかまわないと思う。自分で決めてもらうということで、なにか不都合が生じるのだろうか。

またまたついでにいえば、同性どうしの結婚。これもアリでいいんじゃないの? 同性婚を望む人がたくさんいて、それでみんなに迷惑がかかるというわけでもないんだから、選択できるほうがいい。本人が決めればいいことでしょう。異性婚か同性婚かなんて。

2009/10/07

鏡の温度

冷房の効きすぎてゐる鏡かな  村田 篠
『雲』2009年10月号より。

句誌(結社誌・同人誌)は投句時期と刊行時期の関係から、どうしても二、三カ月ずれた俳句が載る。それはしかたがないのだが、なんか、手がないのかな、と思う。そのあたり、ウェブマガジンのアドバンテージがある。

さて、掲句。鏡と持ってきた。冷えた温度にも、鏡にも、不思議な感触。シンプルな語の、シンプルな連なりから、えもいわれぬ感興が生まれる。

俳句の醍醐味ざんす。

2009/10/06

「や」の上五

「○○や」と上五を「や」で切る場合、どうしても○○には季語が入ってしまう。と露結さん。

季語じゃないケースも探せばたくさんあるのだろうが、「おさまり」という点からも、圧倒的に季語が多い。ひょっとしたらルールがあるのかもしれない。

むかし、俳句を始めて1年くらいのときにつくった句。

  洗脳や蛇口の下の秋野菜

脳と野菜を「洗」で繋ごうとしたわけではないだろうが、何を思ってつくったのか、まったく憶えていない(きっと「洗脳」という言葉が使いたかったのだ)。長谷川裕さんには「物質や」という凄い上五の句があるが、所収の句集『彼等』がすぐに出てこない。

いま、10年以上が経過して、自分のつくる俳句にほとんど進歩がないものの、慣れは人並みにあるので、季語以外の「や」付き上五はなかなか出てこない。進歩はないのに、ムチャはできなくなっている。ということは、はっきりと退歩である。あーあと、ため息。一生懸命、ムチャをやんなきゃ、ざんす。

2009/10/04

消息:無人音楽

今週の週刊俳句・第128号でコンピります。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/10/haiku-mp.html

2009/10/02

新聞記事の著作権

苦境の新聞業界、アメリカで救済法案が立ち上がる見込み
(…)新聞社の権利を守るのにネットでの引用を制限する著作権法の改正とかが議論されるよりはよっぽどましで現実的な流れだと思うんですわ。
この「流れ」というのはNPO法人化に関する論議。報道機関というよりむしろ報道企業ってな感じの現状を考えると、NPO法人化はアリかもしれません。

で、話題は飛んで、新聞記事の著作権。(社)日本新聞協会は1997年時点ですでに声明を出してます。

ネットワーク上の著作権について――新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に

このなかの…
著作権法で「著作物に当たらない」とされている「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」とは、死亡記事、交通事故、人事往来など、単純な事実を伝える記事だけであり、ほとんどの記事には著作権が働いています。
という部分。主観や個人の見解を含まないニュース記事にも著作権はあるぞ、というものですが、そうなると、妙なことが起きませんか?

政府答弁について伝える記事でも昨晩の火事を伝える記事でもいいのですが、A社の記事がB社の記事の著作権侵害にあたる、という事態が起きはしませんか?

いえ、ちょっとした疑問に過ぎませんが、ふと思いましたです、はい。

2009/10/01

コスモス 池禎章さんの俳句

「麦」という俳句の会に所属していた頃、毎月、句誌(結社誌)が届くとすぐにめくるのが池禎章さんの5句。禎章さんは、もっとも敬愛する俳人のひとりであった。明治45年(1912年)生まれだから、その頃、すでに90歳を超されていた。

  私コスモスいつも離陸路着陸路  池禎章

この句、1981~1983年の作というから、70歳前後のときの句だ。高知県南国市の禎章さんを、知人(先輩俳人)とともに訪れたとき、空の低いところを旅客機が何度も飛んだ。この句は、禎章さんの暮らしそのものなのだと、そのとき知った(それまではファンタジー的なイメージで捉えていた)。

実際にお会いした禎章さんは、とても典雅で都会的な感じのする人だった(都会的か田園的か、住んでいる場所では決まらないようだ)。また飄々として軽やか、人への優しさに格別の気品が漂った。私はまず俳句に魅了され、そしてお会いして「リアルの池禎章」に魅了された。

余談めくが、この句が収められたのは『河口原』(1989年)。77歳にして第一句集という事実はすがすがしく、「そろそろ句集などを」と考えなくもない私に、ある種の自制と自省をもたらす。

第二句集は2001年、『卒寿』の書名のとおり、90歳を機にまとめられた。『卒寿』より気ままに数句。

  鮫食って棕櫚一本の枯れる景  池禎章(以下同)

  試みにゆすれば散ず辛夷のばか

  バイク売り払って手ぶら鳥渡る

  ハフハフと泳ぎだす蛭ぼく音痴

  蟷螂の七勝二敗ほどの斧

  見つづける時々アラヨッとて落花

  抱擁の出来そうに冬夕焼ける

池禎章さん、まだお元気だろうか。賀状のやりとりなどあるものの一昨年に「麦」を脱会した私には近況を知る術がない。禎章さんのことがふと気になりはじめている。

怒りのステテコ

ステテコにポケットが無い握りこぶし  遠藤野放
長谷川裕さんの「柏原和男の一句」(週刊俳句・第127号)に引いてある句。句そのものが「握りこぶし」のようにゴツゴツしている。怒りが座五にこめられているのだろうが、それだけでは読者としては息苦しい。ステテコから来る愛嬌のようなものが成分として混ざることで「よろしき俳句」となっている。

愛嬌はだいじ。

テンションのなかの弛緩。怒りや哀しみのなかの笑い。

あるいは自己戯画化。

自己戯画化とは、自分との距離をとれること。自分との距離がとれない人が書くものは、息苦しいだけでなく、暑苦しく、またしばしば痛々しいだけの〝自慰〟に陥る。

2009/09/29

音楽の威力

怖い映画の怖いシーンらしいのですが…



BGMがこれだと、ぜんぜん怖くありません。

若い女の子が顔とからだになにか塗りたくって、階段でふざけているようにしか見えない。もうひとりの女性(おかあさん?)は、笑っていいのか叱っていいのかわらからず困っているようにしか見えない。

音楽の力は絶大です。

片桐はいり 一発の衝撃力

渚より片桐はいり来て笑う  近藤十四郎
あの、片桐はいりの顔が、渚から来るのですね。

1999年7月の句会が初出。このとき私は、「笑う」ではないほうがいいと思った。例えば「坐る」とか。つまり、笑わないほうがいい、なるべく何もしないほうがいいと思ったのだ。「片桐はいり」一発の衝撃力は認めつつも。

だが、今となって、さらに、その一発の衝撃力・破壊力は強大です。「笑う」も、いい。で、ふと、「渚より」にも、シブく衝撃力が隠されていると気づいたようなわけで。

出色の一句。

2009/09/28

バッティング

句会が重なる曜日がある。私の場合、現在のところ第3土曜(このあいだはどっちにも出ました。いわゆるハシゴ)
自分の勝手な都合で言えば、「あーあ、どうせなら両方とも一緒にやってくれればいいのに」などと思ってしまいますが(…)
週刊俳句第127号・後記・山口優夢
ふたつ一緒にしてしまえ、だなんて、むちゃくちゃ言っています(笑

2009/09/27

俳句自動生成スクリプト「ねここ ver.0.1」

三島ゆかりさんが犬猫短歌に触発されて開発した「ねここ ver.0.1」
こちら↓
http://www42.tok2.com/home/yukari3434/nekoko.html

こしのゆみこ「コイツァンの猫」から語を採ったらしく、語彙にかなりクセがあります。別の言い方をすれば、ロボットが自動で作り上げる「こしのワールド」。別語彙でver.0.2以降に期待(こしのワールドがイヤというのではありません)。

俳句自動生成スクリプトでは、季語の置きどころがひとつの問題になってくるのかもしれません。

贋ビートルズ

週刊俳句・第127号で「贋ビートルズ」
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/09/haiku-mp_27.html
コンピりました。

ラトルズ、ものまねのスティーヴ・リックス、中年ビートルズ、3つともイカサマ感が横溢。オススメです。

2009/09/25

勝手に副題

短歌自動生成スクリプト「犬猿短歌」の作成者、佐々木あらら氏のポッドキャスト(+仁尾智氏)がおもしろい。
フォレスト・ガンプ一期一会問題を弾劾する

つまり、ですね、なぜに「一期一会」なんて副題を付ける? 台無しだ、という話。まったくもってそのとおり。不要。そこで、いろいろな映画に四文字熟語を付けてしまおうというポッドキャスト企画です。どのネタもそうとうにおもしろい。必聴。

 

じゃあ、自分も、と考えてみるのですが…。

最近、レンタルで観たなかから「ファースト・フード・ネイション~肉食中心」とか、テレビでやっていた映画だと「おくりびと~葬儀下請」とか? あと、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド~石油成金」とか、「グラン・トリノ~頑固親父」とか?

んんん、むずかしいです。

どんな句がつくりたいか?

…という問いに。

1) 夢路いとしのような句

2) 寝言のような句 ;かなり「素」な答え

3) 十人に一人、くすっと笑ってくれる句(二人だと×) ;この答えは「素」の度が過ぎて、よろしくない。

4) トイレの20ワット電球のような句 ;昔の桂三枝のネタにあったような気が。

5) 二通りの意味で「調子のいい」句

6) 俳人さんには褒められず、嫁はん(非・俳人)が「いい」と言う句 ;いまだに読者の優先順位の高位に「俳人さん」を置いていない(感じ悪いですね)ことをあらためて自覚。

7) 砂に水撒くような句 ;俗に言う「屁のつっぱりにもならない」という。

8) あきらめのいい句


こんなところか。このうち、いずれかが当てはまればいいということで、ハードルが低いのか高いのか、よくわからない。

10年とちょっと俳句のようなものをつくっていますが、きほん、うまく行きません。むずかしいものです。

2009/09/24

備忘録:ダムと報道

政治の話題ふたつ(互いに直接の関連ナシ)。

八ッ場ダム、とめどなく溢れる思考停止報道:保坂展人

■記者クラブの話 宮台真司のブログ記事

2009/09/23

星野しずる

短歌自動生成スクリプト「犬猿短歌」
http://1st.geocities.jp/sasakiarara/index.html

短歌のことはよくわかりませんが、よく出来ています。

Food Fight

2009/09/22

0勝900敗

…でも、ぜんぜん問題ない。



Oh you've lost 900 baseballs games.
And we kids all love to call you names.
And you never learned to fly a kite.
And your penless so you cannot write.
And at lunch you sit alone and mope.
You're a wishy washy kinda dope.
Charlie Brown, Charlie Brown, you don’t have one hope!

2009/09/21

海と毛糸玉

海見たき日やまつしろの毛糸玉  大井さち子
アタマのなかの、思いのなかの、あるいは記憶のなかの海と、白くて丸い毛糸玉の照応。読むときの気持ちよさや言葉の作用から受け取る刺激について、いつものことながら、語るべきことはほとんどない。

掲句は『秋の椅子』(2009年9月・邑書林)所収。作者は1960年生まれ、「鷹」同人。

2009/09/19

くにたち句会9月のお知らせ

9月27日(日)14:00 JR国立駅南口集合

句会場:キャットフィッシュ
http://www.e-shops.jp/local/lsh/an/13/2687181.html

作句後、拙宅に移動。

悪魔のように句を捻り、悪魔のように飲み食いします(なつかしいフレーズ)。

初めての方もひさしぶりの方も御常連の方も、
御一報いただければ幸いです。(夜の兵站の関係上)

2009/09/18

雨の煙突

煙突に雨がいちにち花ずはう  田中英花
煙るような雨の日は、なんとはなしに煙突を眺めてしまう。低い屋根から突き出た湯屋の煙突やら、道の遠くからでも見える焼却炉の煙突やら。雨量が変わらずコンスタントにいちにち降る雨と煙突はなんだかよく似合うので、見てしまう。花蘇芳も、いちにち煙るように降り続ける雨によく似合う花。季節は春。

掲句は『じやがたらの花』(2009年9月・ふらんす堂)より。「だだびろき海を見ている金屏風」の取り合わせの妙、「涅槃図の小鳥に風の出てきたり」の虚、「横に割るはずの炭なり盾に割れ」の飄逸。いろいろな句を楽しく読ませていただいた。

作者の略歴には、1949年生まれ、元「火星」、現「椋」会員とある。

2009/09/16

観たい

『キャピタリズム:ア・ラブ・ストーリー』はキリスト教徒マイケル・ムーアの資本主義批判

マイケル・ムーアは信頼している。なぜかは、説明しにくい。

筋を通すというなかに、愛嬌や含羞があると感じるからだろうか。

2009/09/15

薄い

「うすい・・・・うすいぞ~~オレの自伝は・・・・家電の説明書に負けるぞ・・・・」
古谷実『わにとかげぎす』第1巻(2006年9月・講談社)p31
家電の説明書より分厚い人なんて、いるのだろうか?

ひょっとしたらいるかもしれないけれど。

2009/09/14

短歌と俳句

週刊俳句・第125号、久留島元氏によるレポート記事をおもしろく読む。
坪内 俳句は題詠を使って思いがけない発想をする。
たとえば僕の句、「かまきりと結ぶ友情星月夜」(*2)
かまきりと友情を結ぶんです。バカげてますか?(笑)
道浦 いえ、バカげてはいません。(…)
はい、まったくバカげてなどいない。スウィート、と思う。このスィートネスは、好悪分かれるところかもしれない。

道浦 やはり自分の眼で見たい。短歌はどこまでも自己陶酔。自分にしか興味がない、
どこまで自分の内部に切り込んでいけるか、自分探しの旅だと思っている。
5グラムほどあった〔短歌への関心〕が消し飛んで、皆無となった瞬間。

でも、まあ、短歌のぜんぶがぜんぶ、そういうものでもないのだろうと思い直し、2グラムほど回復。

2009/09/13

岩石岩男デビュー

ずっと待っていて、やっと上がってきた岩石岩男(がんせき・いわお)2安打

がんばれ。

川柳と俳句

含蓄です↓
地図を見ると国境線が引かれているけれど、現実の土地には線なんかないんだ。俳句界から川柳を見るんじゃなくて、境界領域に身をおいてみると、もっと違った風景が見えるんじゃないかな。
小池正博:『俳句界』2009年9月号「俳句と川柳の境界線」を読む
あまり知らない同士だと、俳句からは「サラリーマン川柳」しか見えず、川柳からは「おーいお茶」しか見えないのかもしれない。

2009/09/12

ペチモン

パチモンとも言います。関西の言い方。贋物とか紛い物のこと。まえまえからのペチモンへの関心が、このところ急激に高まってきました。

パクリジャケット part 1(part 2 もあります)

2009/09/11

別の草 加藤かな文句集『家』

別のところへ目を向ける、というか、同じ景色、同じフレームで、別のものに焦点を当てると、新しく格別の興趣が生まれる。

巻きついて昼顔の咲く別の草  加藤かな文

掲句所収の第一句集『家』には気持ちのいい句がたくさん。

平成5(1993)年から平成20年までの300句がほぼ編年で並んでいるのですが、経年の作品変化も感じました。ここは微妙で自信はないのですが、年を経ると、言い回しで虚をつく、はぐらかすような句が増える(ほとんど良い意味で、の話です)。例えば「大きくも小さくもなく初日あり」「露ほどの露と思ひぬ草の上」のような句(どちらも自分は好きですが)。初期は、生成(きなり)の美しさ、面白さを持った句が多いように思いました。一本筋の通った作風でありつつ、変化はしていくものなのかなあ、と。

他に好きな句を気ままに。

天幕の何覆ふなく春半ば  加藤かな文(以下同)

朝日から鳥の出てくる寒さかな

いつぱいの根に朝が来るヒヤシンス

立冬や鏡に乾く歯磨粉

毛布からのぞくと雨の日曜日

夏祭つまらぬものを買ひにけり

することのなくてしばらく春の風邪

鉄棒にもたれてをりぬ盆踊

棒なんぞあつて焚火を好きにする

踏切の開くときしづか霙降る


季節柄、昼顔の句を掲句としましたが、「いつぱいの根に」はほんとうにいいなあ、と思う。「朝日から~」は帯にもあり、代表句的な位置づけなのでしょう。「毛布から~」はいくつかのブログで評判になっている句。どれもいいですね。

2009/09/10

スーダラ節

ああ、なんて素敵な!

2009/09/09

金星

衆院選での政権交替は海外メディアの注目が高いようです。

まともな記事は山ほどあっても記憶に残るのは鳩山夫人の金星旅行

いわゆる一流紙がいわゆるタブロイド誌的な話題に絡んでいいとなって、通常とはひと味違う盛り上がり方をする、というのは、遠い海外のこととはいえ想像がつきます。

魂はどこへでも行けるんだから(巫女の例がそう)、騒ぎ立てることはないようにも思えますが、組織名(サイエントロジー)が出るとなると、話は別。今後に注目です。


2009/09/08

おつけもの

丸越」という屋号、本拠は名古屋。いずれにも、美味のイメージは(失礼ながら)ない。

なのに、美味。とても美味。とりわけ茗荷とか。

名前や出自で判断してはいけないことがある。

2009/09/06

忌日俳句

週刊俳句のスピンオフ第2弾、「忌日俳句をつくろう」がスタート。
http://kijitsu-haiku.blogspot.com/

私自身はふだん忌日俳句をまず作りません。とりたてて理由はないのですが、強いて挙げれば、「作る面白さ」みたいなものがピンと来ない。句会でいただくこともほとんどない。

でも、半面、楽しく作れそうな気もする。

  つばめむかしへ帰るチェ・ゲバラの忌  天気(旧作

余談ですが、この句のリズムについて訊かれたことがある。言うまでもなく七五五

  七  つばめむかしへ
  五  かえるちぇ(休符)
  五  げばらのき

…の定型。

備忘録:ネガティブ・キャンペーン(続)

どこかは知らないが広告代理店がつくった、低劣なアニメ、子供を使った見えすいたあてこすりのようなネガティブキャンペーンに、多くの国民は目を背けたに違いない。
こういった広告をつくる代理店も、それを作らせた政権の担当者も、この広告が示している低劣な当てこすりがどれほど国民をバカにした印象を与えることになるのか、どれほど自らの品位を毀損することになるのかについての想像力を徹底的に欠いていた。
このネガティブキャンペーンが、そのまま麻生太郎の顔に二重写しになってしまい、この政権が自分たちの代表であるということに耐えられないものになってしまったのではないだろうか。

日本人は自分らの代表が、自分たち以上に悪辣だったり、吝嗇好色だったりすることには寛容であり、むしろ国際社会の老獪な古だぬきと対抗するためには必要な資質であるとさえ思うものだが、自分たち以上に小粒であったり、品性に欠くものたちであることを容認しない。
敗北の理由。:カフェ・ヒラカワ店主軽薄


2009/09/03

オルタナティブはしばしば危ない

必読。2本。
JBpressのホメオパシー礼賛記事を笑い飛ばせない理由:幻影随想
ホメオパシーは世界で最も安全な医療?:kikulog
次期首相になるはずの鳩山さんは「代替医療」推進派です。(kikulog)
ありゃま。

健康とか医療とか、社会保障とからめて、たいへん重要なテーマなわけですが、前掲記事にあるように、「笑っていられない」深刻な事態を招きかねないということでしょうか。

オルタナティブへと、検証もなしにぐわっと傾いていくのって、かなりヤバいのでは?

代替医療と代替政権がイヤな感じでクロスした夜。

2009/09/02

雨乞い

おもしろいクイズが千野帽子氏の連載にあった。
某国の某村には、伝統的な雨乞いの踊りがある。/それをやると100パーセント雨が降る、と村人は口を揃えて言う。/いったいどんな踊りか?
「わかる」とは、因果関係をでっち上げることである。(前)
答えは当該記事をどうぞ。

これを読んで、関係のあるようなないようなことを思い出した。むかし人類学の先生から聞いたひとこと。

  乾季に雨乞いをする人たち(民族)はいない。

儀礼と因果論に関して、なかなかに示唆的です。

「つ」と「づ」

池袋駅にさしかかったとき、広告看板に「ものつくり大学」の文字。「ものづくり」だと思っていたが、「ものつくり」なのか。

ええっと、濁音便、正式には「音便の濁音型」というらしい、その話です。

「手作り」を「てつくり」とは言わない。なんだか別のものみたいに聞こえます。鉄栗? なお、罪作りは「つみつくり」です。

「ものつくり」なんて読み方がおおっぴらになっているとすると、濁音便は減少傾向にあるのかもしれません。宮仕えを「みやづかえ」じゃなく、「みやつかえ」と読んだり? お小遣いが「おこつかい」になったり? 金蔓(かねづる)が「かねつる」になったり?(蒲鉾メーカーみたいですね)。

ものつくり? 国語的にどうなのか知りませんが、ヘンなの。なんか、顔にデキモノをつくっちゃったみたいな感じです



さて、「春隣」という季語。人によって「はるどなり」と「はるとなり」に分かれるようです。

両隣(りょうどなり)、右隣(みぎどなり)と同様に、私は「はるどなり」と読んでいます。「はるとなり」だと「春となり」みたいに聞こえちゃうから、というのもある。「はるどなり」が「春怒鳴り」に聞こえることは、まあないだろうと踏む。

大辞林では「はるどなり 【春隣】 〔「はるとなり」とも〕…」とある。講談社大歳時記には「はるとなり」しか読みが示されていない。「春隣る(動詞)」は「はるとなる」としか読みようがないが、合成語の名詞と捉えるなら、濁音便が入っていいと思うが、どうなのだろう。俳句では「はるとなり」が主流なのか。

  叱られて目をつぶる猫春隣  久保田万太郎

2009/09/01

備忘録:だから「チャンネルを換えた」

でも、もう私たちは自民党に飽き飽きしていた。/麻生太郎があの見下したような目線で、記者の質問にまったく答えようとしない横柄な態度をこれからまたテレビで見せられるのかと思うとげんなりしたのである。/だから「チャンネルを換えた」のである。/いずれ似たような番組であることに違いはないのだが、こちらの役者にうんざりしたのである。違う芸風の芝居が見たくなったのである。
台風の予兆の中で:内田樹の研究室

2009/08/31

答え合わせ

例の選挙予測のカリスマ、和子夫人。8月20日時点の予想と結果を比べてみる。


いやいや、すごい的中といっていいんじゃないでしょうか。週刊誌各誌と比べても。

ひどいのがテレビ。開票が始まってからの予測がコレ

2009/08/30

twitter.com

いまのところ、あまり、つぶやきません。リンク中心。

http://twitter.com/saibaratenki

つぶやけ、って言われてもなあ。

突然つぶやきはじめたら、私になにか大変なことが起こったと思っていただいてさしつかえありませんです、はい。

2009/08/29

「こんなところに」型


  鳥渡るこんなところに洋服屋  髙柳克弘

俳句には数々のパターン(フレーズ)がある。「季語+こんなところに×××××」もそのひとつ。最初に見たのは「こんなところに道の駅」という句。次に見たのが「こんなところに崎陽軒」。戯れに「こんなところに笠井亞子」と詠んでみたりもした(瀬戸わんやでも、越智道雄でも、なんでもかまわない)。×××××には無数の事物が入る。そんななか、この「洋服屋」、じつに、その、なんというか、悪くない。

荻原裕幸氏はこの句を取り上げ、次のように書く。
この洋服屋から物語的な何かのはじまる予感を消すことはできない。饒舌になれば消えてしまうであろうその予感を、五七五という寡黙さが支えているようだ。
http://ogihara.cocolog-nifty.com/biscuit/2009/08/2009822-58d2.html
なるほどです。饒舌と寡黙のあんばいが「こんなところに」句の興趣の度合いを大きく作用する。だが、五七五そのものに寡黙さが備わっているわけではないと、俳句をかじっているからだろうか、思ってしまう。この句にちょうどよろしき寡黙があるとすれば、「洋服屋」というチョイスがもたらす声の調子、気分のトーンだろう。

「崎陽軒」は季語によらず饒舌だもの。これもおもしろいけどね。


掲句は『未踏』(2009)所収。

2009/08/28

ネガティブ・キャンペーン(続)

「ネガキャン」という短縮語が今回で定着しそうです。

で、自民党の動画で、党担当者が「手応えを強調」というニュース。

自民、ネットCMで巻き返し…再生回数22万回
http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/news/20090828ddm005010123000c.html

「担当者」が、効果アリと思いたいのはわかりますが、閲覧数=「賛同」数と誤解しているフシもある。

よほどおもしろいものでないかぎり、動画を最後まで観る人なんて、ごく一部。ぱっと見されるぶんには、民主党党首のイメージアップに繋がりそう(アニメのほうがすいぶん若く、男前)。ぜんぶ観た人も、どうだろう? これを観て投票を変更したり決定したりするのだろうか。

ネガキャンが裏目に出ないパターンは考えにくい。日本人は(と一般化していいのかどうか知らないが)、自分が誰かを揶揄するのはともかく、誰かが誰かを揶揄するのを見せられるのが好きではない。ネガキャンが効果を発揮するとしたら、おそらくネットよりもお茶の間のテレビだろう。テレビには「われわれ」感が醸成されているから、「誰かが誰かを」ではなく、「われわれが誰か」のベクトルが生まれやすい気がする。いわゆるバッシング。

してみると、ネガキャンが巧妙にもバッシングに繋がるとき、ちょっと怖いかもしれないですね。

現俳新人賞・落選展のお知らせ

ことしの現代俳句協会新人賞が決まりました(「現代俳句」9月号に掲載)。

週刊俳句では落選の30句を対象に、落選展を開催いたします。
参加される方は、tenki.saibara@gmail.com まで。
〆切:8月29日(土) 22:00 ※明日です。急な話です。

過去の落選展

2009/08/26

感傷のモード変遷

『第七官界彷徨』なんですが、はい、17歳のとき尾崎翠を読んだので、19歳で大島弓子に読んだときは、「これって尾崎翠ですよねー」と思いました。空気がほんとよく似ている。センチメント(感傷)の表出スタイルみたいなものがよく似ている。このふたつを読めば誰だって、そう思います。その手の研究も進んでいるはずです。≫google

(萩尾望都や竹宮恵子には、まったく尾崎翠を感じなかった。大島、萩尾、竹宮をセットで論じるものもあって、それにはそうとうな違和感)

尾崎翠は、時代の中の、流行の変遷の中の〝先駆的離れ小島〟みたいに思ったものですが(実際、文学史上どうなのかは知りません)、1970年代、少年漫画の基調が勝負・友情・努力の世界(少年ジャンプ。一部、少年チャンピオン「がきデカ」のエログロナンセンスはあったものの)だったことからすれば、大島弓子はまさに隔絶、何十年か未来のような隔絶を感じましたが、考えてみればそうではなくて水平的隔絶。進化論的な未来ということで(少年漫画=石器時代、大島弓子=20世紀)、先駆というのとはちょっと違う。むしろ「懐かしいセンチメント」を物語成分にもとめたのが大島弓子だったのではないかと、いま思い出す。なにしろ、「第七官界彷徨」が書かれたのは1930年頃のことなのだ。


ふんどし俳句

そのネイテイヴィズム(土俗主義?)、そのあたりを俳句で、ってのが、ご存じのとおり金子兜太なわけですよね。

いわば「ふんどし」です。

  みちのくの柚子ほどの艶ふぐりに欲し 兜太『両神』

でも、世の中のこのところの流行り(大衆の、とりわけ若年層の選好するテイスト)はいわば「着流し」的ではございませぬか。

2009/08/24

くにたち句会8月は…

オヤスミです。

9月はまたあらためてお知らせいたします。

ネガティブ・キャンペーン

日本人はネガティブ・キャンペーンが嫌い、拒否反応を示すという説がある。事実なのかどうか、研究成果・調査成果があれば、読んでみたい。

例:http://shadow-city.blogzine.jp/photos/uncategorized/2009/08/23/untitled.jpg
例:http://shadow-city.blogzine.jp/net/2009/08/post_62c4.html

2009/08/21

備忘録:主語の隠蔽

どのような政治的過失についても反省の弁を口にせず、すべての失態を他責的な言葉で説明し、誰に信認されなくても自分で自分を信認すれば足りる。/そういうわが風土病的欲望が行間から露出している。
マニフェスト :内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2009/08/20_1005.php

自己責任

(…)うまくいかなくなったとたんに、「努力してるのか?」、「甘えてないか?」、「死ぬ気になってるか?」と問われはじめる。(…)/もうひとつの共通点は、これらの自己責任論的問いにはいずれも答えようがない、ということだ。努力が足りないんじゃないかと言われれば、そうかもしれないとしか答えようがない。甘えてるんじゃないかと言われたときも、死ぬ気になってないだろうと言われたときも、同じ。
「上から目線」の自己責任論が、自分を責め抜き疲れ切っている弱者を黙らせさらに痛めつける
「甘えてない。死ぬ気になって努力している」と答えられる人なんて、いないでしょう。とりあえず「うまくいっている」人だって。

100メートル、200メートルで世界新のボルト選手なら、そう答えるのか。あるいは「いや、べつだん努力してないっすけど、俺、もともと早いんす」とか答えるだろうか。もっとも、どちらにしても自己言明のスタイル付けだから、あまり意味はない。練習していることだけはたしか、というだけ。

ところで、努力とは、才能のひとつだと思う。努力しようとしてできるものではない。それができたら、世の中、努力家だらけになる。でも、そんなことはない。努力とは、努力の才能を持っている人にしかできない行為なのです。

努力する人も、努力しない人も、それが才能に起因するとは気がついていない。だから、努力しない人に「なぜ努力しないんだ?」なんて問い詰めたりする。問われたほうは「じゃあ、努力しよう」と勘違いしたりする。

ただ、実際のところ、ほとんどの人は、そこそこ努力家で、そこそこ怠け者なのだろうと推察します。100パーセント努力の成分でできている人間はきっといない。100パーセント怠け者成分でできている人間もおそらくいない。それでうまくいったり(食べていける、とか)、うまくいかなかったり(食べていけない、とか)する。それが世の中。

うまくいく人が威張らない、うまくいかない人が恨まない。そんな社会が住みやすかろうと思うのですが、どうなのでしょう。

つまり、努力するとかしないとかという問題ではない気がします。「努力しろよ」と言っている人も、言われてカチンと来たり、しょげたりする人も、どっちもちがう。なにかをスタートさせて(例えば仕事でもなんでもいいのですが)それを持続させるのに、「努力」などという天賦の才が必要と思うから、しんどい。

からだとアタマを、生物としてフツーに動かしたり、怠けたり、これでなんでもやっていくしかないと思いますです、はい。

 ●

追記

「自己責任」という語、いつのまに、こんなに範囲が拡張されたのだろう。最初登場したときは、たしか「金融ビッグバン」の際、「株やって損しようが自己責任でっせ。やるなら、リスクとリターンを理解して、やってね」といった脈絡だったはず。それまで一般人は、銀行との付き合いがもっぱらで、元本保証の資産運営。元本割れ込みの商品に手を出すときは「自己責任でね。銀行に文句いわないでね」といった話。ところが、いまや、「自分のせい」程度にまで語の用途が広がっている。どうしたんでしょう。

考えてみるに、社会保障を薄く、という流れからの「自己責任」のようです。「老後に困るのは、アンタが稼いでこなかった報いだ」といった意味の自己責任なら、これはもうかなり、ハードボイルドな社会です。

選挙予測

なんにでもカリスマがいるこのたびは和子夫人の選挙の予測(短歌です。為念)
http://ugyotaku.hp.infoseek.co.jp/jiminRakusen/kazukoFujin.htm

30日を過ぎてから確かめたいので、メモ。

2009/08/19

じゃんけん主義


haiku&me 2009年8月18日 より
   
  後出しじゃんけんで負けて愛媛に生まれたの  岡本飛び地

まことにあっぱれな、レイシスト。

2009/08/17

ネット上の「私」

コメント欄が活発化することのほとんどない「週刊俳句」がめずらしく騒がしい。議論の展開や内容とは別に、不思議に思うことがある。コメントする人の「自己表明」のあり方が、三層に分かれていることだ。

現時点で…
A 佐藤文香さん、山口優夢さん、sumakoさん、猫髭さん:名前を出して語っている
B シキさん:佐藤さんと知り合いのような口調が随所にあるが、匿名
C キノコ さん、春休さん、peeweeさん、匿名さん、謝謝さん:どこの誰かがわからない匿名

※sumakoさんはハンドルネームだが、過去から一貫して固定。渡部州麻子さんと認識している(間違っていたら御容赦)
※B:「シキ」というハンドルネームがヒントなのかも、です。
※Cは私の判断範囲。

ふつう掲示板には三層もの「自己表明」が同居することはあまりない(例;2チャンネルは基本的に匿名ばかり、俳句掲示板の多くはハンドルネームを使っていても、身元が知れている)。

週刊俳句はその点変わっていて、騒がしくなるたびに(たしか古くは「十二音技法」のとき)、三層になる。

なにということもないのだが、こういう多層は、議論の秩序がどうしても生まれにくい。

2チャンネルのあの独特の秩序(あんまり知らないけど)を思うと、ネット上の空気、秩序の醸成は、匿名・非匿名では割り切れないようだ。

吉本新喜劇


栗飯と湯気と吉本新喜劇  野口る理

「週刊俳句」第121号掲載「実家より」10句より

2009/08/16

追悼レス・ポール

8月13日逝去。94歳の大往生。

「週刊俳句」第121号のhaiku mp(動画)で特集しています。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/08/haiku-mp_16.html

2009/08/15

ほんとにいいのか「ピー」という名で

ピー助とか、ピー太郎とか、ピーターとか?

いえ、あの、新しくやってきた猫の話。

ピーちゃん(新ネコ)が、サヤ氏(お向かいのマイ氏の御友人)のブログに登場。
http://ameblo.jp/opuutoosuu/entry-10316777263.html



今週つくった4句

めくつてもめくつても無いメロンの図

去勢後の猫のひと鳴き水中花

ドラムスの人だけ汗をかいてをり

前回のオクンチ句会。 お題の「八」「マスコミ関連」。なぜか「八」ができないできないと考えているうちに締切が過ぎた。できていたぶんのメモ(↓)

大衆を動かすちから扇風機

戦争の愚かしさ

「愚かしい戦争」のことを書くとき、 最低限、ふたつの留意点。
ひとつは誠実に書くこと。
ひとつは「愚かしく」なく、書くこと。

「戦争の愚かしさ」について、愚かしく書く人が、その愚かしさを繰り返さないはずがなかろう。

ふたつができなければ書かないこと。俳句も散文も。

2009/08/14

俳句甲子園

もはや旧聞に属しますが、俳句甲子園が終わりました。業界ニュースとして年々大きな存在になっていくようです。

愛媛県立松山中央高等学校が優勝。おめでとうございます。

個人最優秀賞は…

  琉球を抱きしめにゆく夏休み  中川優香(熊本県立菊池高等学校)

こういう句が句会に出てきたときの私のコメントは、ほぼテンプレート化している。

「JTBに高く売ろう!」

2009/08/13

キンクス「ヴィクトリア」

ブリキのおもちゃのような音だ。この頃のキンクス。

そうそう。中学生のとき買ったシングル盤はこのカンガルーのデザインだった。


アルバムには「オーストラリア」という曲も入っているから、カンガルーもあってよかったが、シングル「ヴィクトリア」だと意味不明。もっとも、堅いことは言わなかったのだろう、この頃の邦盤洋楽。

2009/08/12

定型メロン

定型のもたらす、おもしろさ。

まず、そのことです。

≫甜瓜図(野口裕) http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/08/blog-post_09.html

にじゅうさん/ぺえじのめろん/ずについて

おもしろい。

もしこれが五七五から一音でもずれていたら、おもしろいともなんとも思わない。俳句にせよ川柳にせよ、「これは五七五です」という前提がつねに背景として存在してくれてこそのおもしろさがあるようです(蛇足ながら、破調を否定するのではなく。否、まずもって破調こそが「五七五」あってこその破調)。

したがって「23」という数字は、それが「5音」であるという以外に、さしたる成分はない。

 

前掲。野口裕さんの記事には、川柳の人たちのこの句についてのコメントがリンクされている。そこで言われる「この句は何も言っていない」との指摘に、私は「ちょっと違う」と思ってしまう。俳句分野にいるからだろうか。「何も言っていない句」は俳句にもたくさんあるが、俳句では、こういう句を、そうは呼ばない。

じゃあ、どんな句か。そのだんでいえば、この「23ページのメロン図について」(森茂俊)という句は、「ふつうあまり言わないようなことを言っている句」だ。その意味で、批評的な句、既存の、あるいはよくある五七五に対する批評をまとった句(具体的な批評内容があるわけではない。基調に対して、それと異なる調子をもつとき、おのずと批評性をともなう、そのたぐいの批評)。

批評的であるからには、「何も言っていない」どころか、はっきりとモノを言っている句だ。

ただし、もし、川柳というものが(くわえて俳句が)「意味」と関係を(距離や位置関係はいろいろあるにしても)結ぶものであるとしたら、この句の「ノンセンス」的な味わいをもって、「何も意味しない」と見るぶんには納得できる。しかし、それにしても、ノンセンスとはセンスに対する批評そのものである。

(思うに、川柳のほうが俳句よりはるかに「意味」志向性が強い)

そして、ノンセンスとして批評的位置にこの句を立たせているのは…(ここで最初に戻る)…まぎれもない「五七五」というかたちにほかならない。

 

加えるに、この句、「ついて」という最後の三文字がクセモノなのだと確信するが、それはまあ、またの機会(が来るかどうかは知らない)。で、この「ついて」もまた、17音という定型がもたらした3音であることは間違いないのだ。

俳句を遊ぶとは、五七五に病むことだと、このところとみに思うざんす。

2009/08/10

花火


  打上花火に五重塔がじやま  雪我狂流

  花火見る大きな女前にいて  和田魚里

和田魚里ははじめて目にするお名前。冨田拓也氏の紹介記事(俳人ファイルⅩⅩⅩⅦ 和田魚里)を読むと、おもしろいです。

2009/08/07

×ガーリー ○ガーリッシュ

「ガーリー」ではない。「ガーリッシュ」じゃなきゃダメ、だそうです。序文のそれを読んで、納得。

千野帽子『文藝ガーリッシュ』(河出書房新社・2006)

紹介された69篇のうち、既読は、尾崎翠「第七官界彷徨」(大フェイバリット:ご多分に漏れず)、森茉莉「甘い蜜の部屋」、久生十蘭「キャラコさん」の3篇のみ。たった(!)3篇のみ。自分がその手の文学少女ではなかったことをあらためて実感。

端から全部、とまでは言わないが、「いますぐ読みたい」ものだらけ。ワンダフルなブックガイドでした。


2009/08/06

ネーミング

「みんなの党」ですか。

ネット上の冗談だと思いましたが、ちがうんですね。

2009/08/05

青春詠

つまり、いつか懐かしく振り返るため、だけものなのでしょう。高柳克弘『未踏』の当該数句か十数句か数十句も。

参照 ≫ ウラハイ2009-7-12


というわけで「つぶやき岩の秘密」より

いつか思い出すだろう♪ ↓



やがて高柳君は、波郷や湘子がそうしたように、青春詠の時代を遠い故郷として捨て去り、見晴るかす荒地に足を踏み出すだろう。(小川軽舟「序」;『未踏』)
ちなみに、この序文全体の、甘美すぎるかもしれない(賛辞です)美しい筆致は、この句集を読むときの空気をいくぶん決定づける。先に読んじゃダメです(笑


 

2009/08/04

歯車

人間のからだが機械だとして(機械論的人間観がどーのこーのは置くとしますよ。堅いこと言えば機械に還元なんかできないんだろうから)、その機械にも大きく分けてふたつのイメージがある。ひとつは蒸気機関のようなイメージ。ダイナミック。もうひとつは螺旋や心棒の寄り合わさった時計のようなイメージ。精密な感じ。

ものを食べて、それを熱に換えて、ということを思えば、蒸気機関のようでもあるが、夜など、ひとり静かに坐っているときなど、そういう動燃的なイメージにはならない。時計、というと、ちょっと上品すぎる、したがって自己愛的なものも絡みついてくるが、たしかに、そういう静かに動き続ける機械を、からだにイメージすることはある。

  体内に金の歯車雪がふる  秦夕美

金だと、高級感が増す、というより、精密さが増す。この句の歯車がくだんの時計のように複数ではなく、たったひとつの歯車と感じるのは何故だろう? 身体感覚をひとつの「金の歯車」が司っている。

だが、ここまでなら、数ある「体内に」俳句、「身の内に」俳句の1バリエーションに過ぎない。この句は、雪が降るのだ。「金の歯車」が降雪をも司っているような気がしてくる。歯車が静かに廻り(あるいは振動し)、そのことによって身体が存在し、身体を大きく包み込む空からは雪が降る。歯車が振らせる雪のような雪が降るのだ。

掲句は『孤舟』(2005年/文學の森)所収。


暑い真夏に雪の句を取り上げるというのも、よろしいのではないかと思いますです、はい。

ダーレン・アロノフスキー監督「π(パイ)」

(レンタルDVD)1998年、アメリカ

映画『レスラー』に、監督アロノフスキーの手腕を感じたので、旧作を観てみることに。

この「π(パイ)」はアロノフスキー29歳、低予算のデビュー作。

簡単にいえば、数字に取り憑かれた数学者の妄想。スタイリッシュなモノクロ画面。音楽も金属音中心でスタイリッシュ。

でもね、こういう妄想(幻想)映画って、「きっと現実のほうがむしろ幻想的だろうな」と思わせた時点で負けだと思うんです。つまり、難問に取り憑かれて一生を棒に振るような生き方をしてしまう天才数学者って、実際にいるわけで、その人の例えば1時間ドキュメンタリーのほうがよほどおもしろいだろうな、と、一瞬でも思わせたら、幻想・幻影としての映画の負け。劇場で観ていたら、違うのかというと、それほど違わないだろう。

星、1つ半。

この手のカッコいい映像というのは、観ていて、かなり恥ずかしい。たびたび繰り返しますが、「カッコいいって、なんてカッコ悪いんだろう」。

まあ、でも、この映画のモノクロ処理は、低予算のアラをカバーするための方策とも思え、その意味では、「クレバーな監督」という自分の中の評価は変わっていません。

『π』(1998年)から『レスラー』(2008年)へ、アロノフスキー監督も成長したんですね。子ども(若者)からオトナへ。

2009/08/03

おいしいところに…

さしかかりました。

ウラハイの連句。

歌仙「百年」≫http://hw02.blogspot.com/2009/03/blog-post_22.html
歌仙「百号」≫http://hw02.blogspot.com/2009/03/blog-post_8690.html

2009/08/02

「端居」という季語

軒下の床板に黒人の爺さんがくたっと坐っていて、ブルースハープとかボロいギターの音が聞こえてくる。それが「端居」という季語のイメージ。

Blind Willie Johnson Trouble Soon be Over


  端居してしみ・しわ・ほくろなど数ふ  高澤良一

2009/08/01

変なものは変なままに こしのゆみこのブルドッグ

分析理論やら読解の集積やら熟慮やら、それはそれで有意義な「読み」の道具を総動員するのも一手ではあろうが、それとは別にヘンテコリンなものをヘンテコリンなまま受け取る。その衝撃力を緩和することなく受け止めることも、たいへん意義深いことだと、これはもう本気で思っているのだが、比喩をめぐって【後編】とりはやし vs 野蛮の二物~こしのゆみこ句集『コイツァンの猫』を読むが「週刊俳句」に掲載されたあとも、その思いはじわじわと強まりつつある。終わった対話(+高柳克弘氏)を蒸し返すというのもなんだが、許してもらおう。もうすこし巧い強弁のしかたがあったなあ、と反省。

いや、こしのさんのこの句なんですが。

  朝顔の顔でふりむくブルドッグ  こしのゆみこ

首から上が朝顔のブルドッグに振り向かれたら、それはもう吃驚ではないですか? 

「喩」や「彩」を感じるまえに吃驚してしまう。こうした場合、句のスピード感、「喩」や「彩」へと思いを到らせる前に衝撃を与えてしまうようなスピードが最もたいせつなことで、この句の場合、中七の「顔でふりむく」のシンプルさ、直截さが、充分なスピードを生んでいる。

余計なことを言う、ぐだぐだ言い回す、本人は一生懸命描写している。そうした「手の跡」「指の跡」のようなものが、句のスピードを損なう原因になってしまうわけだが、この句は、すっきりそうしたものから逃れている。

句のスピード感というのは、実感的にはかなり重要なのだが、それ以上にうまく言えない。それは、まあ、今後の課題にするとして、この句。

とってもヘンだ、わけがわからないヘンだ、という衝撃。それは、何かを読む、何かを味わうえで、至高の価値のひとつだろう。

千野帽子・「わかりません。教えてください」とウェブ掲示板に書きこむ前に。
「あるある的な読み」だろうが「道徳的・教訓的な読み」だろうが「現代思想的な読み」だろうが、カフカの小説の字義のインパクトを削減し、未知のものを既知のものに置き換える作業になりかねない。(…)やっぱり、朝起きたら虫になってるって、変ですよ。(千野帽子・前掲)


ところで、喩というからには二者の間になんらかの類似・相同がないといけないはずだが、ブルドッグと朝顔って似ているか? 鶏頭のほうがよほどブルドッグに似ていると思うのだが。


朝顔とブルドッグって、「喩」でも何でもないんじゃないのか。

2009/07/31

ハイマとtwitter

ハイクマシーンのサイトは、いま流行りの twitter だったのですね。

2009/07/30

The Chicken

吉良常と名づけし鶏は孤独らし  穴井太

Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken
http://www.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc

2009/07/29

日産GTRvs弾丸列車

クルマと新幹線、どっちが早いか。

スタートが能登半島の千里浜渚ハイウェイ、ゴールが房総・鋸山という設定がなんともしぶい。イギリスBBCのクルマ番組Top Gearのこの番組、日本紀行として観ても楽しい。

URL http://www.youtube.com/watch?v=4OCm8eBvEPU&feature=PlayList&p=B056077CE06A46CA&index=0

動画は4で完結。2以降は適当にたどってください。

 

よくは知らないが、このGTRの凄いところは、たった(!)1000万円程度で時速300キロ以上を実現してしまうところらしい。しかも、直線よりカーブ、ワインディングで高性能を発揮する。日本人、やるなあ、という、よくある「ものづくり大国」的物言いに与するつもりはないけれど、やはり凄いことは凄い。

新幹線も同様。「弾丸列車」は戦前からの構想で、それが1964年、東海道新幹線として実現したもの。伝統的に日本の鉄道技術が素晴らしいことは、あまり話題にのぼることはないが(ダイヤ時刻どおりの運行ばかりが取り上げられる。これだって凄いことなのだが)、なかなかのものだったようです。

 

2009/07/22

くにたち句会7月のお知らせ

10題程度の席題句会です。いわゆる「悪魔のように句を捻り、悪魔のように飲んで喰う」句会

7月26日(日)

●第1集合……昼ご飯からいっしょするパターン
 12:00 JR国立駅南口集合
      →タイ料理1000円ランチバイキング バーンキラオ

●第2集合(句会場へ直接 14:00 ロージナ茶房・地階

(profileページに連絡先があります)

二人羽織

2009/07/19

消息 比喩をめぐって

週刊俳句・第117号(2009-7-19)に、高柳克弘さんとのダイアローグ「比喩をめぐって【前編】全開イナバウアー:小学生俳句の問題と課題」が掲載されています。

来週の【後編】は、こしのゆみこ句集「コイツァンの猫」をめぐって激突。乞う御期待。

 ●

ウラハイ=裏「週刊俳句」に〔ネット拾読〕1000円と信じていたのに1750円だった高速料金を書きました。

2009/07/18

ジョー・ライト監督「プライドと偏見」

(レンタルDVD)2005年・イギリス

ジェーン・オースティン『高慢と偏見』(Pride and Prejudice)は、残念ながら読んでいない。サマセット・モームの「世界十大小説」に入っているにもかかわらず。モームは好きであるにもかかわらず。

ヒロインが、なんだかんだあった末に玉の輿に乗る、というのがこの話の骨子。周辺エピソードも含め、「玉の輿」映画といっていい(原作も「玉の輿」小説なのだろう)。

18世紀のイギリス。登場人物はジェントリ=大地主階級(そういえば世界史の授業で、こんなの出てきました)。当時のイギリスでは女性に相続権がなく、金持ちに生まれても、裕福な人生を送れるとは限らない。どんな男と結婚するかで、暮らし向きが決まる。だから必死である。必死の素は裕福に暮らしたいという物質的欲望だから、現金な話なのだが、そのなかで現金じゃない、つまりガツガツしない女性が、最後は、いちばんの玉の輿に乗れる、という物語の王道。

ヒロイン(キーラ・ナイトレイ。パイレーツ・オヴ・カリビアンの人です)の家庭はジェントリの最下層。おっかさんが品なくて笑える。妹たちは無教育・無教養。最下層とはいえ、大地主階級。いくらなんでも、これはなあ、とは思うが、このへん容赦なく脂っこく描いているところがおもしろい(おそらく原作がそうなのだろう)。

で、そんな逆境にもめげないヒロインは、何が何でも結婚したいわけじゃないのに、とんでもない大金持ちの御曹司(ジェントリの上層)の心を射止めてしまう。そのへんがいかにも「お話」なわけだが、美貌という条件を忘れてはいけない。

女は顔。男は財力。

すがすがしいほどきっちり割り切れている。

映画はきちんと出来ている。まずもって絵がきれい。イギリスの田園って、行ったことないけど、こんなにきれいなんですねえ。ストーリーは冒頭で(というよりタイトルですでに)結末が読めるタイプのもので、そのわりにダレないのは、全体がよく整理されてもいるのだろう。

で、星は、2つ。

まずまずよく出来た映画であることはわかるが、この手の話は、映画が終わったとき、「で?」と、どうしても冷淡な反応になってしまう。筋がどう転ぼうが興味がないのだから、しかたがない。

ひとつ、貴族ではなくジェントリでも、上は、こんなに凄い金持ちなの?と、御曹司の邸宅を観て吃驚。貴族だと、どうなっちゃうんだろう。




 

2009/07/17

世界はYouTubeで出来てるわけじゃない

たしかに便利なんですが。


ところで、赤字だったんですね。

米グーグル傘下のユーチューブ、近い将来黒字化へ=CEO 
2009年 07月 17日 11:32 JS © Thomson Reuters

未踏・その後

高柳克弘句集『未踏』の青春詠について「つまらない」と書き、どこがどうつまらないかも少し書いた(いわゆる光熱費)。このネガティブな見解について、なんとまあ、御本人も、ある意味「同意」ということで(このケースでの「わが意を得たり」って、そういう意味ですね)

あはは、おもしろいパターンですねえ。

けなし方がうまかったのか、けなされ方がじょうずなのか。両方ということにしておこう。

ところで、句集を読んで、おもしろかった部分を書くのはいいとして、つまらないと思ったことまで、ブログに書きたくなったのは、もちろんのことこの句集がよほど楽しかったからなのだ。そこは繰り返し言っとかないと。

2009/07/16

いいときは短い

句会というのは、長く続いても、いい時期というか最盛期、まあ、これは自分にとって「すごくおもしろい時期」ということですが、それほど長くはない。長く続くバンドも、光り輝く期間は短い。それと同じ。

中山宙虫さんのブログで連載されている「おじさん履歴書」の第12回と第13回は、宙虫さんが東京に出かけ句会を初体験するという回。
http://musinandanikki.at.webry.info/200907/article_14.html
http://musinandanikki.at.webry.info/200907/article_15.html

このとき私も一緒させてもらっている(もう7年も経つんですねえ)。それまでインターネットの掲示板で知り合いだった宙虫さんとリアルに初めてお会いしたのだ。この記事で宙虫さんが「今でも、この日の句会のことを最高の句会だと思っている。」と書いているのを読んで、とても嬉しかったが、自分のこととして振り返ってみても、当時の、あのあたりの句会は「最高」のひとつだったです。

でも「最高」は長くは続かない。同じようなメンツ、同じような場所であっても。

自分が変わっていくからなのか、句会が変わっていくのか。そのへんはよくわからない。

けれども「最高の句会」の経験が、そのあと長く俳句を身近にさせるというところがある(宙虫さんも、そんなことを書いている)。

 

基本、句会はおもしろいものなのだ。「ひゃあ!」と驚く句(語の連なり)が生起するのを、目のあたりにするおもしろさ。これは他の遊びにはない。

だから、持ち寄りというスタイルは、私にとっては「句会」ではなく「選句会」。それはそれで意味があるが、句会の興奮・興趣とはちょっと違う。二の足を踏んでしまうところがある。ふだん句をつくらないほうなので余計です。句会は句を作る場所というアタマ。

このところは月に1回か2回ペースの句会、やはり自分にとっては貴重な数時間ざんす。

2009/07/15

たなばた

近恵氏は、七夕より棚ぼたのほうがお好きとのことです。

同じく。「棚ぼた」は好きな言葉ベストスリーに入る。で、時期的にどうなのかということはあるんですが、七夕って、7月7日なんですね、東京とか。他も、そお?

関西、というか田舎では8月7日でしたよ。こっちでしょう。

   七夕や秋を定むるはじめの夜  松尾芭蕉

この句が7月じゃあ、サマになりません。

ジュリアン・シュナーベル監督「潜水服は蝶の夢を見る」

(レンタルDVD)2007年、フランス。

『バスキア』の監督なんですね。



脳血管障害で倒れ左目のまぶたしか動かなくなったELLE誌編集長(実話が原作)。見えるし聞こえるが、自分からメッセージを発することができない(ロックトイン・シンドローム=閉じ込め症候群)。

重いテーマで陰鬱な映画にならないのは、絵の美しさ。絵のテンポ。音楽のよろしさ(特にトム・ウェイツ)。

ひりひりします。

星、3つ半。

 

ちなみに映画全般、

  「わっ」や「わー」がある

  ひりひりする

  滲みる

私の基準はこの3つくらいです(語彙・説明能力がなくて、すみません)。これが有るか無いか。

ただしこれはある程度きちんと出来ている場合の話。どうにもこうにもな映画もたくさんありますね、世の中には。


字幕はないけど、PC上でぜんぶ観られますね ≫YouTube


ただごと

上田信治「ただごとについて」の3回シリーズが、週刊俳句第116号で完結。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/07/blog-post_2660.html

尋常ではない(つまり、ただごとではない)おもしろさ!

最後の1行にある「ただごと者」は、自分のアタマのなかでは「タダゴティスト」と翻訳して読みましたですがね。ええ。

2009/07/14

そして20号を

帰ってきたのでした。

2009/07/13

佃島

クリックすると大きくなります


盆踊りを見に行ったのでした。
佃島盆踊りは、あの世の匂いがします。
すぐそばの大川もまた。
その向こうの東京の灯もまた。

今日は迎え火。

ゴンちゃん!

ちょっと遅いけど、ウラハイの「ペンギン侍」週刊俳句の「そんな日」
おなじみのかまちよしろうさんの
連載第1回の4コマ、静岡の知り合いが送ってくれた。

2009/07/12

消息 2009年7月中旬

ウラハイに「〔ネット拾読〕フエキ糊とアラビア糊それぞれの語感」を書きました。
http://hw02.blogspot.com/2009/07/blog-post_12.html

じつは本文よりタイトルを考えるのに時間をかけていたりします。

2009/07/11

サンデー

中嶋憲武さんの「日曜のサンデー」(週刊俳句・第115号)、ああ、いいですねえ。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/07/blog-post_4307.html

3行目でハマり、あとは気持ちよく、時間が流れる。掌編くらいの短さなのに、時間はゆったりと、けれども表情や空気は軽やかに変化していくわけです。いいですねえ。

シリーズ化を期待。ヒノコさんとぼくは固定で。

月曜とマンデー
火曜からチューズデー
水曜へウェンズデー
木曜ならサーズデー
金曜がフライデー
土曜でもサタデー

無意味だ。

2009/07/09

いわゆる光熱費 高柳克弘句集『未踏』

29歳、新進気鋭の俳人、高柳克弘第一句集『未踏』(ふらんす堂・2008年6月)をとても楽しく読んだ。「楽しく」という部分が不遜(いまどきで言えば「上から目線」)に聞こえるなら、それは誤解。いい句集はすべて「楽しい」ものだ。句集によって、またページによって、いくつかの賛辞の要素(感銘とか刺激とか不思議とか涙とか…)は存するものの、きほん楽しい。それらを引っくるめて楽しい。で、なかでも大好きになったのが、この句。

  梟や生きゐて嵩む電気代  高柳克弘

嵩むよなあ、電気代。生きているかぎり。

話を脱線させる。むかし学生の頃、友人と「ガス自殺」に話題が及び、「どのくらいガス代がかかるんだろう?」ということになった。「きっと、すごい」。爆発でもしようものなら桁違いに、ガス代が嵩む。「請求はやはり来るんだろうなあ」…。友人たちも私も四畳半か六畳の下宿住まいだった。不謹慎ではあるが切実だったのだ。その際の「ガス代」が。

さて掲句。

ゆるい達観が、心にゆるく響く。気持ちよく響く。「りっぱな達観」は、そりゃりっぱだけれど、心動かされないところがある。読むこっちがりっぱでないせいもあるが、「りっぱ」を志向した時点でそれはもう達観じゃないでしょ、というところもある。

電気代に着目した、ぜんぜんりっぱじゃない、どころか、ちょっと情けなさの漂う、いいふうに解釈すれば、のほほんとして飄逸なセリフは、素晴らしいことからはるかに遠いという意味で素晴らしい(ここは俳句のもつ倒錯・逆転のアドバンテージでしょう)。

ところが、こうしたフレーズが生起したとき、問題となるのは、季語の部分。取り合わせなどというと、イヤな話題になるが、この句は取り合わせになっているから、しかたない。ここで、句の成否が決まる。読者が気持ちよくなれるかどうかは、季語にもかかってくる。代替を提示して何かを論じるのは趣味が悪い。それはわかった上であえて、この部分について言えば、季語の選択がなかなかむずかしい。

例えば寒暖にまつわる季語など最悪だ。「涼しさや生きゐて嵩む電気代」…クーラーかよっw

時節や行事の季語もそれに類する興醒めを招く。それならブツ(例えば草花)はどうか。これも存外むずかしい。アウトドア系はなんだかわからない句になりそうだ。で、インドア系。うまく収まる気もするが、この句の「ゆるい達観」に自愛が出てしまいそうだ。つまり、部屋にいる作者が、季語部分(花瓶の花とか)を視線をくれながらの達観という構図が生まれてしまい、ちょっといやったらしい。ここは微妙なところだが、季語というのは、作者の位置や視線を規定する側面がある(それを無視して、乱暴に二物をぶつける流派もあるが)。

そこで「梟」。

このあんばいは抜群だと思った。部屋に梟を飼っている、などとは言わないが、梟の視線を感じるではありませんか。「生きゐる」人と「嵩む電気代」を大哲のような眼差しで見つめる梟の存在を、眼差しの存在をたしかに感じる。梟の、反・文化的また超越的な眼差しの中に置かれることで、このりっぱすぎない達観・感慨は、通俗に堕することなく、高踏に自惚れることなく、気持ちよくのほほんとこちらの気持ちに響いてくる。

 

句集『未踏』には、なにもわざわざ掲句(梟や~)を挙げなくてもよかろうに、という佳句、もっとみんなが誉めてくれるような佳句が数多い。けれども、それらをここで挙げることは、これから読まれる方のために避けるべきと思い、避ける。

2003年から2008年へと編年で並べられた句群のもっぱら前半には、いわゆる「青春詠」も目に付く。「序」で小川軽舟氏の挙げる「木犀や同棲二年目の畳」、山口優夢氏が「世界と彼の間に 『未踏』を読む」の冒頭に掲げる「蕪煮てあした逢ふひといまはるか」などがそれにあたる。「卒業は明日シャンプーを泡立たす」といったモロの句もある。

こうした「青春の詩」が私にとってどうなのかといえば、おもしろいとは思わない。それにはいくつかの理由がある。「木犀や同棲二年目の畳」では、句の中の〈私〉と作者の〈私〉の問題(イコールをデフォルトとする俳句の決め事:それってどーなの?)から、なんだか視点が定まらず、読者を安易にくすぐるようで、「巧いが、嫌い」なタイプの句だし、「蕪煮てあした逢ふひといまはるか」の甘さは、どの年齢の私も(つまり昔も今も)拒絶する甘さだ(いらんこと考えずに蕪を煮ることに集中せよ!)。

この句集のなかの「青春」ぽい句が全般に楽しくない(もちろん私にとってという話)のは、しかし、そのような枝葉の問題ではない。ひとつには「青春」という物語と〈私〉という物語、そのふたつの類型が、俳句では、どう巧く作られようが、否、うまく作れば作るほど、安定的にクロスしてしまい、物語をさらに強固に定着させる方向にしか向かわないことにある。

それは作者の高柳克弘が「未踏」に込めたチャレンジングな精神とは相反する。「形式の可能性を攻め続ける」(あとがき)ことと裏腹に、伝統的な叙情の鋳型(「青春」やら「私」やら)からは、手触りのよい良質のコモディティしか生まれない(それでも大したものなのだが)。

もうひとつには、青春というもの、それにまつわる叙情やらなにやらを引っくるめて、作者にとっても読者にとってもすでに「過去」である、ということだ。作者はそのことに充分に意識的だろう(句の並びに編年を採用した意味は、この句集の場合、大きい)。一方、読者についていえば、作者の青春を微笑ましく眺めてくれる読者もまた少なくないこと、つまり、「克弘くんの20代の思い出のヒトコマねっ、きゃっ」と好感をもって受け止める女性ファンも数多、とは承知しつつ、言いたくなる。それって、ぜんぜん「未踏」じゃないよね?

  ことごとく未踏なりけり冬の星  高柳克弘

読者は、過ぎ去ったものよりも、伝統として豊かに用意された入れ物に形よく収まった叙情よりも、あるいは詠まれた/読まれたとたんに安定化してしまう「今」よりも、この作者があえて気負ってみせる「未踏」へと、連れていってくれることを望んでいる。

ある種の読み物を前にしたときの期待は、どれも共通している。…Take me with you あるいは M'Amenez-y (私をそこに連れてって)。「未踏」という第一句集の作者に、言いたいことは、(ながなが書いたが)告げたいこと は、このひとことに尽きるざんす。

 

「未踏」という志に関しては、この句集に、いわゆる冒険が希薄と感じる読者が多いと想像する。たしかに、そうかもしれない。だが、冒険・チャレンジは人それぞれ、作者それぞれである。

未知の場所へと読者を連れていくのに、いくつかの道、方法がある。例えば、オカルト的に乱暴に…。あるいはシュールなドラッグ効果をもってして…。この作者はそれらを採択しない。採るのは、タネも仕掛けもある手品。その訓練され洗練された指遣いは、冒険的・チャレンジングな印象を伴わないものだ。

それにしてもこの「未踏」というタイトル、いつか私たちが目にすることのできる第二句集以降の句群をも、はっきりと照射することになる。なんと思いきった書名なのだろう。そんなこと言っちゃっていいの?と心配したくなるほどの。

でも、言っちゃっていいのだ。だって、この作者に覚悟があるからこそ、なのだから。


付記:2009-7-10 13:00
この句集を読んですぐのタイミングで、mixiに書いた感想も付記しておく。

後半の老成ぶった(と言っていいのだろうか)句が、とってもキュート。

≫過去記事:蛆の花
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2009/05/blog-post_25.html