2009/07/16

いいときは短い

句会というのは、長く続いても、いい時期というか最盛期、まあ、これは自分にとって「すごくおもしろい時期」ということですが、それほど長くはない。長く続くバンドも、光り輝く期間は短い。それと同じ。

中山宙虫さんのブログで連載されている「おじさん履歴書」の第12回と第13回は、宙虫さんが東京に出かけ句会を初体験するという回。
http://musinandanikki.at.webry.info/200907/article_14.html
http://musinandanikki.at.webry.info/200907/article_15.html

このとき私も一緒させてもらっている(もう7年も経つんですねえ)。それまでインターネットの掲示板で知り合いだった宙虫さんとリアルに初めてお会いしたのだ。この記事で宙虫さんが「今でも、この日の句会のことを最高の句会だと思っている。」と書いているのを読んで、とても嬉しかったが、自分のこととして振り返ってみても、当時の、あのあたりの句会は「最高」のひとつだったです。

でも「最高」は長くは続かない。同じようなメンツ、同じような場所であっても。

自分が変わっていくからなのか、句会が変わっていくのか。そのへんはよくわからない。

けれども「最高の句会」の経験が、そのあと長く俳句を身近にさせるというところがある(宙虫さんも、そんなことを書いている)。

 

基本、句会はおもしろいものなのだ。「ひゃあ!」と驚く句(語の連なり)が生起するのを、目のあたりにするおもしろさ。これは他の遊びにはない。

だから、持ち寄りというスタイルは、私にとっては「句会」ではなく「選句会」。それはそれで意味があるが、句会の興奮・興趣とはちょっと違う。二の足を踏んでしまうところがある。ふだん句をつくらないほうなので余計です。句会は句を作る場所というアタマ。

このところは月に1回か2回ペースの句会、やはり自分にとっては貴重な数時間ざんす。

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