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牡鹿のほうにころがる銀の蓋 こしのゆみこ
事情がまったくわからない句は、しばしば魅力的だ。
意味のわからない、いわゆるシュールな句も、事情は、よくわかったりする。例えば、ここでこうわかりにくくしたいのだな、とか、こう舞台をつくって、こうドラマやりましたね、とか。
掲句。牡鹿は「おじか」だと字足らずで不思議な韻律(私は「おじかの」の後に一拍置いて読んだ。おじかの/●/ほうにころがる/ぎんのふた)。けれども、そこが事情不明なのではない。全体が不明。言い方を換えれば、この句に前後左右がない。前後とは経過、あるいは語の出自、余韻。左右とは比較(広義の比較)可能なテクスト。
俳句の歴史からも地平からも隔絶したかのような孤立。べつだん感興も湧かないこの句は、感興とも無縁という意味でさらに、なんだかわからず、したがって、とてもいい。素晴らしく面白いのだ。
『豆の木』第13号(2009年4月)より
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