2017/10/31

2017/10/30

■雨の妙見島

葛西駅方面から橋を渡ってまず在るのが「HOTEL LUNA」。



偽の月がのぼる。

「月光」旅館
開けても開けてもドアがある  高柳重信

産廃処理施設やら工場やら、すべて大雨の中。




2017/10/28

■はがきハイク余話

口から何が出てるのか、非常に気になる。

2017/10/26

■遠藤賢司をもうすこし

不思議だ。こんな曲が好きだったりする。



遠藤賢司のアルバム『満足できるかな』は持っていた。当時、フォークソングはほとんど聴かなかったのに。

この曲、扇風機がぶーんぶん♪という箇所が特に好きでしたよ。いま聴いても雄弁な歌唱。なぜかザ・バンドを思ったりする。音の組成は違うのに。


一般論ですが、語るように歌えるシンガー(シャウトしてもバラードでも)、歌うように演奏できるプレイヤーは素晴らしい。そう思ってます。


2017/10/25

■遠藤賢司逝去

遠藤賢司が亡くなった。

デビューから知っているわけですが(世代的に)、想い出深いのは2本の映画(ドラマ)。

ひとつは、NHKドラマ『さすらい』(1971年/佐々木昭一郎演出)。雨の日比谷野外音楽堂で無人の客席に向かって「カレーライス」を歌うシーンは、全篇べたべたに感傷的なこのドラマの中でも特に印象的で、それこそ湿気たっぷりにスーパー感傷的なシーン。

もうひとつは、映画『ヘリウッド』(1982年/長嶺高文監督)。敵役・悪漢役で登場する遠藤賢司は、このなかで「東京ワッショイ」を歌い「歓喜の歌」を歌う。日本一カッコいいロックスターなんじゃないか!(と今でも少し思っている)。

でね、付け加えると、ギタリストとしての遠藤賢司も好きだった。アコースティックでアルペジオを弾くときも(カレーライスのギターはほんとうに美しい)、ロックするときも。

合掌。


真説温泉あんま芸者 第8回 サブカルの夜明けあるいは/しかし映画「ヘリウッド」再見



2017/10/24

■冒頭集:子規

 正岡子規は俳句を文学にまで高めたという。
 しかしそのとき、子規にとって「文学」とは何であったのか。
 子規が俳句について語り始めたころ、日本の「文学」は、ようやくその内実を整え始めたところであった。人々は、一方で戯曲、小説、詩という西洋の文学のジャンルを日本語で表現するための、その新しい日本語を模索していた。
 また一方で、人々は日本の伝統のなかに、その「文学」と呼びうるものを探し求め、どうやら日本古来の詩歌や物語も「文学」と呼びうるもののようだと認知されていくなかで、俳諧ばかりは最後まで疑惑の目を向けられつづけていたのである。
 子規はその俳諧を背負う。そして「文学」の坂道を登り始める。

秋尾敏『子規の近代 滑稽・メディア・日本語』(1999年7月30日/新曜社)

2017/10/22

■雨の林檎 『天の川銀河発電所』より

りんご採る手に雨粒のなだれ込む  堀下翔

劇的なクローズアップ。

それ(とそれ)しか見えない、といった感興を句がうみだすとき、そこにはフレーミングの妙というだけではない、ある種の気概のようなものがある(気概をそれほど大げさに捉える必要はない)。

ところで、少し前に、劇中音楽に2種類があって、

 ≫その場で鳴っているはずのない季語の話

という話をしましたが、この句の「りんご」は、実際に鳴っている音ですね。

ラヴ&ピース!


掲句は、佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(2017年8月31日/左右社)より。



2017/10/16

■雨

よく降りますね。

高きより雨落ちはじむ桐の花  飴山實

きのう若い俳人の口から飴山實の名が出たので引いてみました。

ラヴ&ピース!


2017/10/13

■アイロンのこと星のこと

アイロンの胎内に水春の星  柴田千晶

たしかに水が入っている(入ってないのもあるよ、もちろん)。「胎内」の語で鉄の塊に性が宿る。「春の星」との照応は垂直。構図としてめずらしいものではなく、意図の明瞭さをきらう向きもあろうが、水がやがて水蒸気となり、その一部は空気中へ、空へと、霧消することを思えば、この垂直性は多声的。

それよりも、この湿度。春の星は、四季を通じて最も濡れていそうなのだ。

掲句は『hotel 第2章』第40号(2017年5月10日)より。



ところで、擬人法とアニミズムはときとして似ている。

作句作法上、忌避あるいは慎重を要請される擬人法。特定の句において称揚の脈絡で用いられるアニミズム。その境界は、それほど明確ではない。

アイロンに命が宿る/が命を宿す、という把握は、擬人法なのかアニミズムなのか、といった判断に、おそらくそれほどの意義はない。

擬人法だからダメ、アニミズムだからオッケー、といったオートマチックな判断二分法って、つまんないよね。

ラヴ&ピース!

2017/10/11

■業界最小最軽量「はがきハイク」発送

第17号をお届けしています。

ご興味のある方は、tenki.saibara@gmail.com までお知らせください。すぐにお送りします。

送り漏れも多々。「あれ? 届かない」という方も上記メールアドレスまで。

なお、はがき全体の画像をインターネット/SNSにアップするのはご遠慮ください。なにしろ小さいので全文転載になっちまいます。

2017/10/10

■二円切手 『川柳木馬』第152号の一句

二円切手肩甲骨へ貼ってある  萩原良子

切手代にはじめて半端が生まれたのは1989年4月。消費税3%が導入されて、ハガキが40円から41円へ、封筒が60円から62円へ値上げ。41円切手、62円切手が登場した。以降、切手代は60円ぴったりだとか62円だとか82円だとか、変転を繰り返す。古い切手も手元に残っているので、1円切手、2円切手が活躍する場面が増えた。

掲句、肩甲骨という位置が絶妙で、その斜め上具合(位置の話です)が、それほど突拍子ないものでもなく(実は突拍子ないのですが)、貼る位置として正しいような気になってきます(錯覚です)。

もっとも二円だけではどこにも行けないわけですが。

掲句は『川柳木馬』第152号(2017年4月)より。


2017/10/08

■リアル夫婦喧嘩 山口優夢「殴らねど」10句がナイス

山口優夢「殴らねど」10句(週刊俳句・第539号・2017年8月20日)がとてもいい。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/08/10_58.html

夫婦喧嘩の連作なんて見たことないぞってこともあるのだけれど、その筆致。大雑把にいえば写実主義/自然主義の描写。これ、もちろん、ここに詠まれていることが「事実」「実話」かどうか、ではなくて、実話っぽく書かれているということ。

(俳句のリアルに関して重要なのは、事実かどうかの裏とりではなく、書きぶり・描き方、だと思っている)

夏痩せの妻と喧嘩や殴らねど  山口優夢

冒頭で連作の主旨を明示している点、行き届いている。父母を夫婦の参照としているところも効果的。

妻から指をつないで帰る墓参かな  同

おしろいや終はつても済んでない喧嘩  同

ラス前でハッピーエンド(収束)を言っておいて、ラスト「終はつても済んでない」と含みを持たせた構成も心憎い。


ところで、山口優夢には、新妻懐妊を詠んだ「戸をたたく」10句、第一子出産を詠んだ「春を呼ぶ」50句がある。

後者掲載号の後記で、私はこう書いた。
新婚生活を詠み(デレデレ)、お子を授かる喜びを詠む……。/とかく俳句世間には、吾子俳句、孫俳句が毛嫌いされる傾向があります。理由は例えば、そんなこと、こっち(読者)は知ったこっちゃない。/しかしながら、私は、そういう句(ついでにデレデレ句も含め)、アリと思っています。賛成派です。我が身に起こる出来事を句にすること、句にしたいと思うことは自然だし、それって、アリです。/ただし。/ただしです。/万万が一、例えば「離婚」というようなことに、このさきなったとき(仮にです。万万が一です)、そのときは「離婚」を詠んでいただきたい。そこを怠るようでは、俳人の名が泣きます。
離婚詠はさておき、夫婦喧嘩もきっちり10句へまとめあげた山口優夢には、俳人としての(良い意味の)業(ごう)を感じざるを得ない。

ナイス!

2017/10/07

■俳句的ゲシュタルト崩壊

ゲシュタルト崩壊のカジュアルな例として、ある字をじっと見つめ続けていると、「この字、こんなだったっけ?」と、認識が崩れてしまうのが挙げられるんだけれど、俳句にも、ときどき、それに似た崩壊が起きる。

「この句、なんでここに花の名前があるんだろう?」「なんで秋の風なの? なんで豊の秋なの?」。季語だとか取り合わせだとか切れだとか、そんな約束事に実体が感じられなくなると、奇妙な文字の連なりにしか見えなくなる。

別の角度から言えば、一種のジャメビュ。俳句というものが「そんな」かたちをとることをじゅうじゅう承知しているはずなのに、初めて見る異形のように思えてくる。

でもね、それって、身体(読者の身体)の事故でもなく、不幸でもない。潜在する違和感や不審・不信が、身体や感覚に現れたものだと思うのです。

ラヴ&ピース!

2017/10/05

■太陽系と銀河系 『鷹』10月号より

『鷹』という結社誌は、表紙のイラスト(谷山彩子)がいつもキュートで、手にとるだけでちょっと気分がよくなります。


これから寒くなっていくという時季、靴下はうれしい。

ただ、掲載句は、投稿誌/結社誌の常で、夏の句。

銀河系にて太陽に日焼せり  小川軽舟

事実は、太陽系にいるから、なんでしょうけれど、それでは句としてあんまりなので、ちょっとずらして「銀河系」。あたりまえ(A)から半歩離れたA′(エーダッシュ)へ。

ツーシームでボール半個、バットの芯をはずす感じ。

ラヴ&ピース!

2017/10/04

■SLEEPWALK:東京都中央区


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2017/10/02

■窓

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長野県松本市。

2017/10/01

■十月へ

九月が終わった。NHK「ひよっこ」も終わった。たのしく(録画を)観たが、なにしろ登場人物全員が「いい人」で、すべてがハッピーエンド。現実にはあり得ない。

一方、「ウツボカズラの夢」という民放のドラマは、世俗の欲にまみれたどろどろのドラマ。

このふたつを観ることで、精神的なバランスがとれた。あたりまえだけど、世の中、どっちかだけじゃないので。



ウェブサイト「スピカ」9月の連載、小津夜景「かたちと暮らす」も終了。楽しめた。

http://spica819.main.jp/category/tsukuru/tsukuru-ozuyakei

なにがいいって、明るくて、風通しがよいところ。

「明るい」の対義語は「蒙い」。明るさとは、ものごとによく興味をもち、よく知り、よく愛すること。

風通しのよさは、自由。なにごとからも自由。《自分》からも。つまらない因習からも。鈍重な枠組からも。



9月のくにたち句会、無事終了。ときどき思い出したように銘打つ「悪魔のように句をつくり、悪魔のように飲み且つ喰う」だが、みなさんの加齢とともに、また成員の緩やかな入れ替わりによって、悪魔成分が薄まり、アダルトでラヴ&ピースな進行。

句会後は、きのこ鍋メインにいろいろ。きのこ鍋はいろいろなきのこを入れるのがよろしいです。きのこはそれぞれ良い出汁が出ますが、ブレンドの度合いが高まると、なおいっそう美味。