2012/07/31

「虫の生活」31日間

俳句系ウェブサイト「スピカ」での「虫の生活」31日間、本日が千秋楽。
http://spica819.main.jp/tsukuru/tsukuru-saibaratenki

毎日、俳句と短文ということなのですが、写真やら引用やら、スピカ担当者様にはお手数をかけました。



スピカといえば、ご承知のとおり、かわいらしいお嬢さん3名が運営するサイト。その他の書き手も若手中心です。そんななか、あっしのような(突然職人口調)おっさんが、という部分は、申し訳なくもあるのですが(お怒りのおじいちゃん、全国に多数と見た)、ほら、俳句って、ひとつの世代やひとかたまりの知人で固まっちゃあ面白くない。流派という蛸壺、世代という蛸壺、居住地という蛸壺、知り合い同士という蛸壺、いずれにしてもつまらない。異物がたくさん混じったほうがいいのですよ。

つまり、虫ですな。へんな虫も害虫もいてこそ、森。滅菌消毒したメルヘンの中の森よりも、現実の森のほうがよろしかろうと。



6月、準備にあたって、俳句は、まあ、虫というテーマで31句くらいはできるだろう、と。問題は短文の部分です。自分の文章だけでは31日間が埋まるはずがない。それよりも、ここを見る人が、そんなものを31日間読まされてもたまらんだろうということで、写真と引用。当初は引用ばかりも考えたのですが、それだと、なんだかすごい読書家みたいで恥ずかしい。実際に読者家ならいいのですが、ぜんぜんそうじゃないから恥ずかしい。そこで写真も混ぜながらにしました。

終わってみて、読者(少しはいらっしゃったはず)に、この「虫の生活」がどんなだったか。そのへんはよくわかりません。自分としては楽しみました(ただし、それはもっぱら俳句の部分。俳句以外の部分は、正直、難渋しました。ネタ不足というよりネタ選別という意味で)。

スピカのみなさん、ならびに読者のみなさん、あらためてありがとうございました。

2012/07/29

さくらんぼ

さくらんぼ日のあるうちに雨はやみ  小池康生

トーンがいい、句のもつ口吻というか、口調というか。明度がいい。…といったようなことは言えますが、それ以上具体的な文言が思い浮かばないたぐいの好きな句は、あるものです。悪あがきして、評言をでっち上げることもない。そのまま、好きというだけにしておきます。

句集『旧の渚』(2012年4月/ふらんす堂)を気持ちよく拝読しました。

集中、話題に上りやすいのは、《さいごまであたまの味の目刺かな》あたりでしょうか。質のいい機知・おかしみのある句は、ほかにも《人乗つて重たくなりしハンモック》《無花果は簞笥の色をしてゐたり》など数多く、このラインが、この句集の主調音なのかもしれませんが、私がとりわけ好いたのは、掲出のような、比較的なにげない句、大向こう受けのしない句でした。

なお、高山れおな氏が「違和感」を表明するところの《縦書きの詩を愛すなり五月の木》《十月や詩を詠む空をひろくとり》の2句には、あまり興味が湧きません。句集について語るのにネガティブな物言いは不要かもしれませんが、一人の俳人には複数の路線があり、好悪それぞれということはあるものとして、許していただきましょう。

この2句は「詩」という語の(あまりに率直な)使用への抵抗感もありますが、それよりももっと漠然と、「歌い過ぎている」「詠い過ぎている」感。鼻歌、小唄が私の好み、というに過ぎないのですが。


なお、上田信治さんによる句集評は、こちら。≫彼の世界の主人公:週刊俳句・第274号
作者とはつまり、句にその名が書き込まれる人、匿名の書き手の時代を通過して、個性化を果たし終えた人のことだと言ってもいいでしょう。

句集『旧の渚』の世界は、時に軽妙に時に謎めいて、なんとも楽しい。人事の句はもとより、叙景句あるいは自然詠と見える句にも、中心に主人公がいて、その世界を感じている気配がある。

2012/07/28

はがきハイク、略して「はハ」第6号

日本最小・最軽量(当社調べ)の俳誌、「はがきハイク」第6号を各所にお送りいたしました。

ツイッターやメールその他、ごていねいに「届いたよ」メンションをいただいております。誠にありがとうございます。

私からは、ざっとお送りしましたが(亞子さんは亞子さんで送っていらっしゃいます)、洩れがあると思います。「届いてないが、もらってやろうじゃないか」という方、tenki.saibara@gmail.com までご連絡いただければお送りいたします。

ちなみに、私の5句には、宇能鴻一郎が紛れ込んでいます。

2012/07/27

夏の夜が凄いことになっている

こんなツイートを見つけ…








ほんまかいな、と、ツイッター検索してみると、出るわ出るわ。→こちら

ついでにグーグルも→こちら


ここは、私が知っている地球ではなく、かつて私が暮らしていた社会でもないということのようです


発端のツイートに戻ると、「読書コミュで」ってところが壮絶。

2012/07/26

手塚マンガ、ベスト5

『日蝕狩り ブリクサ・バーゲルト飛廻双六』の著者、武村知子に『どろろ草紙縁起絵巻』という著書もあることを知り、中古本を入手。ところが、届いてみると、もっぱらアニメを論じた本のようで、ちょっと目当てと違った。テレビアニメ(?)の「どろろ」は知らないなあ。観たことがあるようなないような。

冒頭付近に、数ある手塚治虫マンガのベスワンに「どろろ」を選ぶファンが少なくない、とあり、ちょっと意外なな気がしたが、半面、わかる気もする。

自分はそれほど数を読んでいるわけではないが、思い入れは、ある。ベスト・ワンは?と考えてみて、なかなか決められないが、ベスト5くらいなら、と。

どろろ
W3(ワンダースリー)
アトム大使
鉄腕アトム・海蛇島の巻
鉄腕アトム・赤いネコの巻
(順不同)

アトム関係で3つも入れてしまったが、まあ、いいでしょう。

「どろろ」は、単行本にして4巻程度の中編。100の部位を妖怪から取り戻すまで連載が続いてほしかった。

「W3」は、ベストワンに挙げる人が多いようですね。ラストの泣ける感じ、胸がいっぱいになる感じは、ジュブナイルとしての王道。

「アトム大使」は鉄腕アトムとしてシリーズ化されることになった第一作(もともとは単発の予定?)。むかし『ユリイカ』かどこかで四方田犬彦がラカンの鏡像段階などを援用しつつカッコよく論じていました。アトム・シリーズに一貫して流れる諦観、ペシミズムが、この宇宙人遭遇物語で、すでに。

「鉄腕アトム・海蛇島の巻」は1958年(1953年「アトム赤道を行く」のリメイク)。夏の浜辺、瓶詰の手紙、夜遊びのように夜ごと家をでるアトム、シリーズ中唯一とも言えるアトムの恋情と失恋、アトムの女装(トランヴェスティスム)・しかも衣装交換、等々、見どころだらけ、全編が夏の光に包まれたような物語っす。

5つ目は揺れそうです。別の日ならほかのが入ってくるかもしれません。「鉄腕アトム・赤いネコの巻」は、今で言うエコロジー。武蔵野の森(手塚治虫は関西の人なので、きわめて虚構的な森です)とマッド・サイエンティストの配合は、なかなかのものです。


結局、思い出話のようになってしまいますが、また、何かを読み返す機会があって、別の作品が上位に来るかもしれない。ベストテンまで広がるかもしれない。楽しみにしておきます。


【 補記】手塚治虫関連で、歌仙を巻いたのを思い出しました。

≫四吟歌仙・アトム連句 赤いネコの巻  満尾2003年03月18日
http://www.asahi-net.or.jp/~xl4o-endu/renku6.htm

≫七吟手塚治虫歌仙「淡雪の巻」  満尾:2012年 3月12日
http://8421.teacup.com/namubow3/bbs/144

みなさん、よくやるわ。数奇者がまわりにいっぱいいてくれる私は幸せ者です。

2012/07/24

消息 蠅その他

週刊俳句に、池禎章さんについて書いています。

第1回 鮫食って棕櫚一本の枯れる景
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/07/1.html
第2回 蛇と偶う日も出会わざる日もどきり 
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/07/2.html

あと、2~3回は続く予定です。


俳句サイト「スピカ」での「虫の生活」31句+短文は、残すところ一週間。
http://spica819.main.jp/tsukuru/tsukuru-saibaratenki

2日目の「蠅蠅蚊蚊蚊」は、もう誰もわからないかも、ですね。
≫参考 http://sooda.jp/qa/283346



映画「ハエ男の恐怖」はYouTubeで全編観られます。暇な人はどうぞ(≫こちら

2012/07/23

かまちよしろうさんの『犬サブレ』

このあいだの金曜日、ウラハイその他でもお世話になっているかまちよしろうさんの『犬サブレ 赤』の出版記念会に出かけました。


たくさんの有名漫画家と、有名か有名でないかで言えばけっして有名とは言えない俳人さんたちが挨拶に立つ。

散会時、おみやげでもらった袋の中に、食べられる犬サブレ。主人公の犬の顔の形したサブレなんですが、食べてみると、胡椒が効いている。甘くない。「お酒のお供に」の意味がわかった。

袋には、「かまちよしろうの俳句」という栞も。

  蛇口から白蛇インディアンサマー  かまちよしろう

蛇・蛇の言葉遊びと小春(季語)の照応がみごと。かまちさんは、「日本でいちばんいい俳句を書く漫画家」の地位をすでに築いたかもですね。

で、その『犬サブレ』なんですが、


このネタ、好き。



犬サブレ音頭(YouTube)

2012/07/22

くにたち句会〔7月〕のお知らせ

2012年7月29日(日) 14:00
JR国立駅南口集合

句会場所:キャットフィッシュ(いつもの喫茶店) ≫地図

席題10題程度。句会後の飲食(会費アリ)もよろしければご一緒に。

2012/07/21

アカシア

名曲の名唱。



ネオンが明るいと星は見えにくいのですが、星明かりを鏤めたような夜景は、この歌に合わないこともない。歌詞に「あなたの囁きはアカシアの香りよ」とあるので初夏の歌です。

  ともすればアカシアの花匂ふ夜ぞ  上村占魚

2012/07/20

「も」と「と」

相子智恵さんの「月曜日の一句」で紹介されていた、

  身に馴染むものに微熱も晩夏光  近江満里子

という句。

よくやるのは「微熱晩夏光」という処理で、この句は、そうはせず、「」として、切れを作った。

どちらがいいとか悪いとかいう話ではなくて(句集は句会ではない〔*〕)、それが作者の決断・結論なのだ、ということ。

一字のこと、音ひとつのことが、句を読むときの大きな要素になり得るわけで、こうした細かいことが、俳句を読むときの愉しみのひとつとなります。けっして技術論ということではなく。


〔*〕句会の読みと句集の読み

句会と句集は、読者の態度という点でまったく違う(というか、区別すべき)。

句会は、句の途中。だから合評のとき、いいの悪いのと勝手なことをしゃべり、代替案も口にする(添削の巧いメンバーもいる)。気が置けない仲間同士の句会から、なおさら。

一方、句集(あるいは媒体掲載の連作)は、作者の《結論》なのだから、読者は、ただそのとおりに読み、反応(あるいは無反応)を示せばよい。

句会と発表句でまったく別の読み方をするというのは、他人様の句の愉しみ方に二通りあるというか、二度愉しめるというか。俳句はやはりなかなかおもしろいですよ。

2012/07/19

脳レゴ

このところ、
脳レゴ脳レゴ脳レゴレゴレゴ
…という一行が妙に頭に取り憑いて離れません。

続いて、
脳レゴ脳レゴ脳レゴレゴレゴ
脳レゴ脳レゴ脳レゴレゴレゴ
何が生えてる僕の木から じゃ
なくって ええと 頭から?
何が根を張る 折り紙脳に?
ほう ほう 放って くれ 斧を!
うんうんうんうん よし ずしん!
これ、パンクバンド、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの歌詞の一節。武村知子日蝕狩り ブリクサ・バーゲルト飛廻双六』という本をめくっていて、ここに立ち止まってしまった(ほかにも立ち止まる箇所だらけではあるのですが)。

ブリクサ・バーゲルトは、ノイバウテン(って略して言ってました、当時)のリーダー。バーゲルト愛(それはもうあふれるような)が1冊の本になったのがこの本で、歌詞の邦訳、バーゲルトの発言、著者によるインタビューが成分。わかりやすくはないけれど、めくるところめくるところ、いちいち不思議な刺激物にぶつかる、というか、踏んじゃう、というか。

著者による詩的コラージュのようにも見えるので、通しで読まず、手元に置いて、ときどきパラッとページをめくっている。




YouTubeで探すと、脳レゴの動画、あった。

2012/07/18

観くらべ 第16番 妻と夫

予約したDVDをTSUTAYAが2本ずつ郵送で送ってくれるサービス。その2本に勝ち負けを付けるという、ヘンテコリンなシリーズの第16弾。

過去の観くらべは、こちらに適当に。


テルマ&ルイーズ リドリー・スコット監督/1991年/アメリカ



哀しき獣 ナ・ホンジン監督/2010年/韓国


「テルマ&ルイーズ」は女性2人が週末旅行でちょっとハメをはずすつもりがとんでもないことに(殺人罪その他)。といっても、それほどシリアスではなく、笑いもありの逃亡記。いろいろ見せ場はあるが、なんといっても、フォード・サンダーバード1966年型。これを駆っての逃亡なのですが、映画の主役はこのクルマといってもいいくらい(荷物を積み込む旅のはじまりから、ラストシーンに至るまで)。


色もこれです。アメリカの砂漠の中のまっすぐな道、土埃にまみれたドライヴインに、まあなんとよく合うことか。当たり前といえば当たり前ですが、アメリカ車はアメリカを走るべき。

この映画、理屈を言えば、女性の抑圧(いろいろな意味のひどい目)からの解放、その挫折ということで、そのへんの押さえ方(シリアスな背景の作り方)がきちんとしていて、いわゆる「いい映画」。ただ、ちょっときちんとし過ぎている。

前半はややかったるく、主婦テルマが一皮むけて、ワルになっていく後半がおもしろい。ラストは、「おお、こう来るか。まあ、これしかないか」と。



一方、この邦題、どうにかならんかな?という「哀しき獣」(原題はYellow Sea 黄海)。しばしば最悪・最低の邦題ってありますよね。したたがないのか。いちおうその分野のプロ(配給会社?)が頭を捻ってるんでしょうけれど。

ナ・ホンジン監督の第2作で、デビュー作「チェイサー」は、とてもおもしろかった。監督の手腕も感じた。で、このいわゆるクライム・サスペンスも期待して観た。

韓国映画はだいたいそうなんですが、暴力シーンがエグい。

この「哀しき獣」、依頼殺人が鍵で、途中、抗争・乱闘シーンも多いのですが、ピストルや拳じゃないんですよね。ナイフ(というか、もっと長い。出刃包丁のもっと凶悪な感じの包丁)。それから斧。

斧、ですよ、斧。

まあ、それはそれは血がハデに出る。殺されるほうも殺すほうも、血まみれです。そんな返り血ばっちり、生傷だらけの顔で街を歩いていたら、不審尋問されるだろ?というくらい、ブラッディです。

まあ、しかし、おもしろい。映画全体として、観ているこっちを引っ張っていってくれる感じ、吸引力、駆動力がとても大きい。サスペンス(謎と謎解き)部分は、ちょっと凡庸ですが、ともかく、破壊と暴力の迫力がすごい。

さっきまで食っていた骨で撲殺(原始時代!)、クルマの潰れ方もすごい(グシャグシャ)、主人公は逃げる逃げる、走る走る(こんなタフな走り、見たことがないくらい走る)。

第1作「チェイサー」と比べたら「チェイサー」のほうがきちんとまとまっています。推測するに、デビュー作で得た「優等」の評価に居心地の悪さを感じて、映画上の「やりすぎ」や「やんちゃ」や過剰・暴走をあえてやってやるぜ、という、そんな感じもあります。「じょうず」と褒められたら、「じょうずだけじゃない」ところを見せたい。そういう監督、そういう人って多いんじゃないでしょうか。

第1作の「チェイサー」のほうが出来がよく、観ていておもしろい、それはそうでしょう。しかし、「哀しき獣」の、めいっぱいさ加減、みたいなものは、愛してしまいたい。



で、勝敗ですが、「テルマ&ルイーズ」のほうが「いい映画」なんだろうと思いますが、「哀しき獣」のほうが、長い時間(140分)とりあえず目が離せないということで、こっちの勝ち。



ところで、今回はとりわけ奇妙な組み合わせのように見えて、やはり共通項は見つかります(不思議ですね)。それは「男女(夫婦)」という要素。

「テルマ&ルイーズ」における女性たちの鬱屈・不幸は、男性(愛する/愛される男性)から来ている(わかりやすくいえば、テルマのにとって最低の旦那)。「哀しき獣」の主人公の行動の動因になっているのは、妻の不貞。

いわゆるコインのウラオモテかも、です。今回の2本は。

人間のつがい、男性と女性、その関係というのは、しばしばきわめて困難。悩みの種。元凶にもなり得るのですね。


2012/07/17

ああ暑い

…ので、サンバなど。



セルジオ・メンデスといえば、ブラジル66。かつては米国ヒットパレードを賑わしたポップ・グループの親方。観光地的な薄さ・軽さは、とくだん悪い意味ではなく、実際、ブラジルの曲を米国に紹介する観光大使的な部分はあったわけです。

ところが、2006年の「Timeless」というアルバムはヒップホップとの融合とやらで、ゲストは豪華、音はそうとう渋い。

66年型の軽佻浮薄か(でも洒落てはいましたぜ)、06年の「再読み込み」型か(民族音楽ブームを経てのちのセルジオ・メンデス)。これはどちらがいいというものではなく、「豊かですね、音楽伝統」「更新されますね、モード」。伝統と現在が一挙両得の仕事と見ていいのでしょう。

それにしても、この「タイムレス」というトラックの電気ピアノの音には、ほんと、惚れてしまいます。フェンダー社製ではなくウーリッツァー社製っぽいぞ、と、これは合っているか間違っているか知りませんが、そんなふうに微に入り細に入り愉しめる音という話なわけで。



1966年。ばりばりにエキゾチック。









67年、さらにエキゾチック。傘がそそります。

2012/07/15

某日日記 亀十ほか

七月某日。

憲武画伯が近々引っ越すことになり、ついては狭くなるその部屋に収納しきれそうにない絵と額縁を預かってもらえないかという、前々からあった相談、「あいよ、うちも広くはないが、どこかに押し込んでおくことはできるだろう」と、これはyuki氏が答えたもので、いよいよ憲武画伯の旧宅へのクルマを走らせる夜。

言問通りのここを右折という、その目印のガソリンスタンドが消え(不景気なご時世ですな)、勘を頼りに曲がった角がちょうど正解。飼い猫のランちゃんに、じゃあちょっと行ってくるね、と。

額縁を積み込み、画伯、yuki氏、私の3人で西へ。晩御飯でも、と、甲州街道のイタリアンなファミレス。ジローという私たちの年代には懐かしいレストラン(御茶ノ水にあったよね、憲武さん、画材屋のレモンとかもよく行ったでしょ? ああ、やっぱり)の新業態店。

そのうち雨が降り出した。3人いっしょに荷を下ろすつもりだったが、濡れたら悪いのでそれは明日の作業にして、画伯を最寄り駅の武蔵小金井まで送って差し上げる。

で、憲武さんからいただいた浅草・亀十のどら焼。これだけの量を私が全部食べたら確実に死に至るので、各所におすそ分け。ひとつは夫婦(めおとと読む)で、はんぶんこして食す。

憲武さん、ありがとう。うまい。

七月某日。

yuki氏の生徒さんのピアノ発表会が近づく。今年もピアノ先生4名で8手ピアノの演奏、その練習が階下から聞こえる。

七月某日。

ウェブサイト「スピカ」での一日一句「虫の生活」(≫ link )が折り返し点を迎えつつあり、何日分か先に入れている原稿の、その短文ネタに詰まる。詰まりまくる。テーマは決めていないので、何を書いていいようなものの、やはりそこは考えてしまい、それでも、なんとか頭をヒネる。途中、もう少し物騒なことを書いたほうがいいのか、とも考えたが、今回は穏当な流れで。

七月某日。

ウラハイに「おんつぼ Love of Life Orchestra」(≫ link)を書く。懐かしい音だが、CDの音(YouTubeの音)は、当時聴いていたビニール盤の音とは違う。