相子智恵さんの「月曜日の一句」で紹介されていた、
身に馴染むものに微熱も晩夏光 近江満里子
という句。
よくやるのは「微熱と晩夏光」という処理で、この句は、そうはせず、「も」として、切れを作った。
どちらがいいとか悪いとかいう話ではなくて(句集は句会ではない〔*〕)、それが作者の決断・結論なのだ、ということ。
一字のこと、音ひとつのことが、句を読むときの大きな要素になり得るわけで、こうした細かいことが、俳句を読むときの愉しみのひとつとなります。けっして技術論ということではなく。
〔*〕句会の読みと句集の読み
句会と句集は、読者の態度という点でまったく違う(というか、区別すべき)。
句会は、句の途中。だから合評のとき、いいの悪いのと勝手なことをしゃべり、代替案も口にする(添削の巧いメンバーもいる)。気が置けない仲間同士の句会から、なおさら。
一方、句集(あるいは媒体掲載の連作)は、作者の《結論》なのだから、読者は、ただそのとおりに読み、反応(あるいは無反応)を示せばよい。
句会と発表句でまったく別の読み方をするというのは、他人様の句の愉しみ方に二通りあるというか、二度愉しめるというか。俳句はやはりなかなかおもしろいですよ。
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