2021/12/14

■If Not For You

中嶋憲武画伯とやってる音楽千夜一夜。盛り上がるときもあれば、そうじゃないときもある。それはしょうがないことです。世の中は。人生は。この日は、私がノッていけなくて、申し訳なかったのですが、これは単にオリビア・ニュートン=ジョンに興味関心がなくて、歌唱を聴いてもぜんぜんピンとこなかったせい。それはしょうがないことです。世の中は。人生は。

それと、「イフ・ノット・フォー・ユー」という曲がかなり好きなせいもあったのですね、この日のノリの悪さは。

というわけで、お気に入りのカヴァー・ヴァージョンを。


1976年のアルバム「The End Of The Beginning」収録。手元にないので、バッキングのミュージシャンは不明なのですが、洗練された腕っこきっぽい演奏です。

2021/12/13

■The Weight

某日曜。根岸で久しぶりの句会後、いつもの中華で打ち上げ。ここも久しぶりだったせいもあるのだろう、美味。箸が伸びる。

翌朝、体重計に載ると、若干増。

外食って、こわいね。


2021/11/27

■スティル・アライブ

「生存報告系個人誌」とのことで、佐藤りえさんが『九重』を創刊。

  忘れたり思い出したりする夕日

あのくたら人を仕舞っておく箱を記憶と呼んで森は震える  佐藤りえ

「あのくたら」は「阿耨多羅」だろうか。カタカナで書くと、アメリンディアンの儀式のようでもあります。ない?


ところで、こうしたブログ更新も「生存報告」の意味合いがいまや強く、つまり、長いこと更新がないと、「生きてるのかな?」「死んだんちゃう?」と思う人が数人はいそうで、これは、その数人に向かって、まだ生きてる、のサイン。それが、記事を更新する動機の、いまや大きな部分を占めている。ので、つねに、例によって、さしたる内容はなく、変わりなく暮らせていることを良しとし、感謝しつつ、ラヴ&ピース!

2021/11/23

■勤労に感謝する日の朝ごはん

7年前のこの日、短歌のようなものをここに書き、


1年前のこの日、真っ黒のチビにはまだ名前がなく、うちで飼うかどうかも決まってなかった。


朝食の話題はない。





2021/11/16

■前歯

前歯欠け気温三十九度三分  岡村知昭

寒くなってきたのに、こんな句で(って言うと、失礼か。でも、そういう意味じゃない。作者に失礼な意味の「こんな」じゃなくて)、申し訳ないです。

日本で39度超えは、ニュースになるレヴェル。そうとう暑い。暑いなか、前歯の欠けたこの人、たいへんだろうなあと思うと同時に、どんな人だ? と、やはり、その人の現状とか来し方とかに、無用にも深い興味を抱いてしまい、こう暑くては、こっちも汗だくですよ。

無季ではないし、韻律は律儀に五七五。でも、ヘンな俳句に仕上がっていて、ああ、素晴らしいなあ、と、これは、本気で、そう思ってる。

掲句は『豈』第64号(2021年11月)収録の岡村知昭「さみしい夜の象」20句のうちの一句。この句のうしろには、

象使いとはくちづけをしない仲  同

があり、もちろんのこと、句と句は別々なのだろうけれど、勝手に、前歯の欠けたくちづけを想像してしまい、前歯の欠けた相手とのキスの経験がないので、想像でしかない想像をしてしまい、あんがいマニアックな快楽なのかもしれんなあ、と。

ヘンな感じに、ラヴ&ピース!

2021/11/13

■このところ代打

…づいております。

月曜日の一句〔中村安伸〕西原天気

金曜日の川柳〔筒井祥文〕西原天気

金曜日の川柳〔兵頭全郎〕西原天気

2021/11/11

■映画三句 『猫街 』第4号より

同人諸氏の句会で「映画」というお題が出たのかな、あるいは、映画館吟行? と思ったのは、『猫街 NECOMACHI』第4号(2021年11月号)より、映画の句が離れた箇所にいくつかあったから。

単純な映画と紙コップのビール  杉山魯壜

映画館での行動様式の標準にでもしたいのか、東宝のシネマコンプレックスは、やたら、ポップコーンやドリンクを勧めてくる。込み入った映画でなければ、なにか飲みながら、というのも、リラックス感が増して愉しそう。《紙コップ》がいいですね、この句。

名画座に今日も来ている火取虫  近江文代

《火取虫》が《来ている》のではなくて、切れがあると読みました。「また火取虫(蛾)がいるよ、こないだもいた」のなら、この人も火取虫もどっちもまた来てるんだから、どっちでもいいだけどね。《火取虫》は、スクリーンの灯とつながって、愉しい。まさか、スクリーンにぶつかってくるわけではないだろうけど(昔の巡回映画なら、ありそうな景)。

映画観てからの干草は芳しく  きゅうこ

干草のシーンって、欧米の映画で頻繁に見るような気がします。映画『薔薇の名前』で干草小屋での合い挽き、もとい逢い引きとか(記憶違いなら、ごめんね)。干し草のシーンを見たから、なんてことは言わない。ある映画を観て以降の干し草は芳しく感じる。ふたつの距離がといもいい。映画もまた、かぐわしい感じ。

で、こんなことを言うと、顔をしかめる人がいるだろうけど、「の」あるいは「は」のどちらかナシにできなかったのだろうか。五八五を回避できるのに。〈えいがみて/からのほしぐさ/かぐわしく〉〈えいがみて/からほしぐさは/かぐわしく〉。「は」をトルと(前者)、《干草》で軽い切れが生じ、こちらのほうが好み。韻律もこっちのほうがいい。

ああ、映画館、行きたくなっちゃった。

2021/11/10

■70メートル

カーナビは操作した覚えのない画面が出てきて困ることもあるのだけれど、このあいだは現在位置の経度緯度、それと高さが表示され、へえ、ここは70メートルなのか、と、他人様からすれば、それがどーした的な感慨。

23区内でいちばん高い山は愛宕山で30メートルに満たず、最高地点は練馬区関町の57.8メートルであるらしく、ここ、私が住んでいるあたりは、じゅうぶんに高い。

2021/10/01

■奇妙なカステラ 飯島章友『成長痛の月』の一句

ゆくりなく鶏の声出すかすていら  飯島章友

そりゃあまあ、タマゴが材料だから、と、説明になっていないかもしれない「説明」や「解釈」が口をついてしまうのは、良否の如何は別にして、いたしかたのない事象、ありがちな読者の事情だと思うが、そうしたアタマの中の動きよりも先に、まず、カステラが鶏の声を出したその瞬間の驚きを驚きとして感じるべきなのであって、ああ、吃驚したぁ、〈書かれている〉ことを読む、それが読者の態度であり為すべき仕事なのではあっても、ここで、ちょっとした問題として持ち上がるのが、〈書かれていない〉ことは読まない、という潔さのそのとき、最初の話題に戻れば、カステラの材料に鶏卵が含まれる、重大に含まれるという事実は、はたして、ここに〈書かれている〉のか〈書かれていない〉のか? ということ。

これ、じつは多くの句において、わりあい微妙な問題なんですよね。

ところで、このカステラ、食べる気、します? 親子丼を突き詰めて考えると喉を通らなくなる(丼に乗った鶏肉とタマゴは実の親子ではないにしても)のと同じで、いや、違うか、カステラから鶏鳴がしたら、食べるどころではなさそう。

ラヴ&ピース!


掲句は飯島章友『成長痛の月』(2021年9月/素粒社)より。

2021/09/28

■ラーメン的な宇宙の組成

ラーメンに乗って助けに参ります  榊陽子

って句なんですが、ラーメン、乗りにくそう。出来上がりの前でも後でも。

よしんば(生まれてはじめて使った「よしんば」)乗れても、あんまり助けになりそうにない。

二重三重幾重にも、この人、情けない。それはつまり、素晴らしい! ということなのですが。

ラヴ&ピース!

掲句は榊陽子『虫だった4』より。

2021/09/19

■捻れた梯子 『LOTUS』第48号より

春ふかく梯子捩れしままつづく  三枝桂子

捩れるのだから縄梯子なのだろう。かなり長いやつ。

と、これは現実の景。

それとは別に、DNA構造を連想するので、そうなると、「ふかく」という時間を示す語が、さらにもっと大きな時間も連想させ、「つづく」の語もまた、モノばかりではなく、時間へとイメージが連結される。

具体的で即物的な景と同時にモデルや概念の像が、読者の目前に展示される。

掲句は『LOTUS』第48号(2021年8月)より。

2021/09/18

■水中花的睡眠

一身を眠りに委ね水中花  花谷清

眠るということ、ひとつとっても、いろんな言い方・表現があるんだなあ、と。このかんじの眠り。ほかでもない、このかんじの眠り方ってありますよね。

水中花は、まさに、この眠りに寄り添う/背景となる/演出するに最適な季語に思えます。

ラヴ&ピース!

ところで、俳句では大人気の水中花。いま、リアルに目にすることはほとんどありませんが、いろいろと売ってるようです

掲句は『藍』第563号(2021年9月号)より。

2021/09/17

2021/09/15

■葉やら花やら 『静かな場所』第27号より

からみたる花もろともに草取りぬ  藤本夕衣

花を抜くのはどんな花でも心理的抵抗がある。美醜の問題(つまり花は美しかったり可憐であったりする。一般に。葉や茎と比べて)ばかりではなく、花をつけ、品種によってはやがて実をつけるという過程を思う(つまり、比喩へも繋がる開花、結実)からかもしれない。

けれども、いちいち花を選り分けて、というわけにもいかず、「もろともに」引き抜くことになる。花摘みを楽しんでいるわけではなく、草むしりをやっているのだ。

引き抜く瞬間を詠んだ句ですが、その一瞬前の逡巡にようなものが読み取れます。

ラヴ&ピース!

掲句は『静かな場所』第27号(2021年9月15日)より。

2021/09/12

■壁時計

時計が壊れたので、IKEAに買いにゆく。デザイン的に、これ、いいね、と、値段を見ると、249円。

え? にひゃくよんじゅうきゅうえん?

ここに来るとときどき感覚がおかしくなる。






2021/08/31

■桃

桃は、冷やして食べるか、常温か。

私は後者。

まよなかをゆきつもどりつ冷し桃  八田木枯

がありますが、これはきっと水で冷やしたもの。冷蔵庫でキンキンに冷やした桃じゃないっぽい。

息の根をつかひ白桃すするなり  齋藤玄

ラヴ&ピース!



2021/08/30

■まっすぐに願う 佐藤文香『菊は雪』

雪降ればいいのに帰るまでに今  佐藤文香

末尾に2音くっついた「今」が句の解釈を難しくしていると思うのだけれど、帰るまでには降ってくれよ、いや、じゃなくて、いま降れ、というふうに読んだ(誤読かもね)。性急というのもあるけど、まっすぐな願い、希求。

まっすぐって、気持ちのいいものですよ。こういう場合。

『菊は雪』(2021年6月/左右社)には、(世界に向けた)まっすぐな願いがたくさんあるように感じました。

これは、ちょっと意外。自分としては意外な読後感。一句へのと仕上げる経緯には紆余曲折があるはずだし、方法論を外すこともするのだけれど、全体の仕上がりとして、爽快なほどまっすぐな願いが色濃い。

星々に雪ふる空を授けたる  同


いろいろな人がすでに豊かに論じている、またこれかも論じる句集だろうけど、私は気ままに頁から頁へとうろうろするつもり。「句集制作ドキュメンタリー」というユニークな付録もあって、これはこれからゆっくり読もう。

ラヴ&ピース!



2021/08/28

■もうひとりの自分が過去に

頁の合間から栞に使っていた電車のプリペードカードが出てきて、どのくらい昔の3月なのかわからないその印字をしばらく見つめてしまったのは、京急・池上駅にも京王・浜田山駅にも降りた記憶がまったくないから。

記憶力不足、と言ってしまえばそれまでだけど、過去の自分にこのように出会うとき、あまりにも見に覚えがないものだから、ひょっとして、自分の知らないもうひとりの自分がどこかで暮らして動いていたのでないかとさえ思うのですよ。

ラヴ&ピース!




2021/08/27

■夕暮れを愛す

夏、屋外に出たら、もう日が傾いているってときは、とりたてて美しい夕焼けなどなくても、ああ、いい時間だなあ、と、いつも思う。暑さがやわらいだという身体的事情だけではなくて。

夕暮れは、夏に限りますよ。だから、この歌も、夏の歌。

(ケチャップ+漱石)それもゆふぐれの風景として愛してしまふ  荻原裕幸


『甘藍派宣言』1990年より。

2021/08/22

■バナナの威力 『鏡』第40号より

バナナ食ふ鏡の中のあけた口  手嶋崖元

バナナを食べている自分を鏡に映して眺めるというのは、なかなかにめずらしい行為で、これは意図というより、たまたま鏡に自分が映っていたのだろう。

口があいている。いままさにバナナがかじられようとしている。

口に焦点があたっているはずなのに、バナナのほうが、鏡の中でめだつ。黄色が目を引く。

考えてみれば、食べられる瞬間まで姿を残す食材は、そう多くない。烏賊の丸焼きとか、林檎を切らずに丸かじりとか、最近の子どもは知らないだろう砂糖黍とか? パイナップルは切られて、元の姿の見る影もない。牛肉は牛の形をしていない。

バナナが素材として、というのは、俳句や文芸の素材として優れていることは、疑う余地がない。

掲句は『鏡』第40号(2021年7月)より。

2021/08/11

■遠?

大好きな百物語シリーズ、5巻で終わりではなかった。

増田書店をぶらぶらしていて新刊が目に止まり、即購入。四六版600頁近い。分厚いほど嬉しい(2000頁くらいの本が欲しい)。これはもう、りっぱに変態。



2021/08/04

■収穫

毎日なにがしか、というか、自分たちだけでは食べ切れなくてお裾分けできるくらいの量が穫れ、トマトもゴーヤもきっとからだに良くて、なによりも穫れたては美味。



2021/07/17

■そこから見える景色 『奎』第18号より

ふらここにゐるをすつかり忘れをり  小池康生

ぶらんこに腰かけて何か(特別なこと)をしているわけではないのだろう。それなら、むしろ、「ふらここにゐる」ことを強く意識するだろうから。つまり、

 鞦韆に腰かけて読む手紙かな  星野立子

こんなふうに。

だから、そこがどこかを忘れて、することといえば、なんとなく、ぼおぉっと景色を眺めるとか、そんなこと。

特別の景色ではない。ぶらんこが設置されているあたりにいわゆる「大自然」なんかないだろうし、電線が見え、団地とかが見えちゃって、せいぜい遠くに見慣れた山並みが見える程度。毎日、どこでも目にできるような景色なんだと思います。

ラヴ&ピース!

掲句は『奎』第18号(2021年6月)より。


2021/07/15

■6年前、7月の国立競技場


 この頃は、世の中がこんなことになろうとは、誰も想像できなかったはず。


ラヴ&ピース!

って言ってる場合じゃないけど。

2021/07/09

■雉子と蛇

昨日に引き続き、『円錐』第89号(2021年4月)を読んでいると、

蛇食ふと聞けばおそろし雉子の声  松尾芭蕉

この空を蛇ひつさげて雉子飛ぶと  高野素十

…の2句。それぞれ別の記事にあって、ふうん、どっちも伝聞なんだな、と。

で、ちょっと調べてみると、葛飾北斎にあるんですね。

https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=RMN00022331

2021/07/08

■航海

水仙の風で航海してをりぬ  糸 大八

すがすがしくて、おおらか。景色が広くて、深い。

この季節ではないですが、『円錐』第89号(2021年4月)で知った句。

2021/07/07

■またまた過去のこの日(七夕)

郷里では七夕は8月。ま、それはそれとして、×年前のこの日・企画は、安易とはいえ、なんだかおもしろい。過去を振り返るようになったら、人間、おしまいですが、おしまい上等。余生の先のオマケですので。

じゃあ、例によって、フェイスブックが教えてくれる過去のこの日、7月7日。

8年前のこの日

ものすごく久しぶりのメール句会に参加したところ、投句一覧のメールのアタマに「万事大人の対応にてお願いします」とある。何があったんだ?www 怖えぇよ。
どのメール句会なのか、まったく思い出せません。今でも続けているのもあるが、「久しぶり」とあるので、それとは違う。

映画『A』(森達也監督/1998年)、『A2』(同/2001年)をDVDで観る。

オウム真理教信者たち(事件後)を追ったドキュメンタリー。『A』は荒木広報副部長中心、『A2』は当時各地で起きた住民反対運動が中心。後者は99年・オウム新法(無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律)の前後となる。

興味深く最後まで観た。自分にとっての謎や疑問が解けたわけではないが、テレビ・新聞・週刊誌とはまったく別の視点(このドキュメンタリのカメラ)が見ている風景は、少なくともマスコミが伝えるものよりもはるかに事実の感触があり、ジャーナリスティックでもある。

ひとつ衝撃的なのは、警察、マスコミ、地域住民がそれぞれ醜態を晒すところ。人間て、こんなに醜いものなんだなあ(正確に言えば、こんなに醜くなれるものなのだなあ)と、これはいまさらながら衝撃的な実感。オウムに関わると、醜悪さが滲み出るということか。それこそがオウムの醜悪さであり根深さなのだろう。

このところ聞きませんね、オウム。

【7年前のこの日

入谷の朝顔市へ。洋食屋よしむら。今は少なくなったコロラドでコーヒー。この間ひとり散歩。根岸・西念寺での句会へ。二次会(錦華楼)。三次会(呑兵衛)。

異成分から成る句会(さまざまな出自・さまざまな所属の人が参加する句会)は、ひゃあ! おもしろい! 特に二次会以降。皆様、お疲れさまでした。 

7年前ですでに、吟行じゃなく「ひとり散歩」に切り替えていたのですね。協調性のないことで、どーも、すみません。

4年前のこの日

嫁はんの検査(4月の腸炎での入院後、定期的にやってるのの、今回がメイン。はじめてのカメラ。これまでは炎症後なので出来なかったらしい)は朝から夕方まで一日仕事。
結論からいえば、順調。悪いものは見つからなかった。ひと安心。

安心すると、人って、おもいっきりハグしますね(のろけてるんじゃないぞ、言っとくが)。

諸々の検査のあと、問診だったそう。

担当医「なにか不調は?」
嫁はん「さいきん胃がシャワシャワするんです」
担当医「??? シャワシャワ?」
嫁はん「はい。シャワシャワ」
担当医「どういうことかな?」
嫁はん「だから、シャワシャワ」

そのあと、医者が笑いが止まらなくて、問診が終了したそうな。

アタマのいい人は、感覚で理解してくれなくて困る、と、嫁はん、不満げ。

嫁はんネタ、この頃、多かったのかも。

3年前のこの日

私の頭、バリカンで刈れるかどうか、嫁はんがかかりつけの美容師さんに訊いたところ、大丈夫ですよ、ということで、やり方を聞いてきた。

まずは髪を留めるとこから始まるのですが、嫁はん「んんん、どこで留めるんだろう? よくわからん」。

え、わからない? じゃあやめといたほうがいいのでは?

うちの嫁はんは、よく言えば思い切りがいい、悪くいえば平気で無茶をやる。

「ここでいい……んだと思う」

ジョリジョリジョリジョリ。思い切りよく刈り込んでくれましたよ。

3年間、バリカンで通してますね。ときどきは美容院へ行っていまうが、きほん、プロ(美容師さん)に触ってもらうほどのアタマではない。ホーム・バリカンで充分。

【1年前のこの日

肉じゃが。茄子と獅子唐の油炊き。このうち茄子、獅子唐、ジャガイモが畑でとれた。ありがたや。

なお、前者は嫁はんが、後者は私が調理。ラヴ&ピース!


茄子にの油炊きは、このあいだ作ったばかり。奇遇、というよりも、季節って、そういうものなのですね。

色は悪いですが、おいしいんですよ。京都風(茄子の炊いたん)は油を使わないのかな? 郷里でよく食べたのはこの油炊き。エビジャコ(瀬戸内ではよく使いますが、こっちでは見ないです)が味の決め手なんですが、入手が難しいので(乾燥エビを戻して使う手もある。でも中華の安価なやつだと味が今ひとつ)、エビジャコ無しで行きます。それはそれであっさり仕上がります。このあいだのは鷹の爪をちょこっと入れて、ほんのりピリっとさせました。

なんだかんだ言ってますが、要は、夏は茄子。

繰り返しますが、ラヴ&ピース!

2021/07/05

■スティーリー・ダンのデューク・エリントン・カヴァー

今週の【音楽千夜一夜】は中村安伸さんをゲストに迎えています。

スティーリー・ダンの話が出てきます(ドナルド・フェイゲンだから当然です)。私が最初に買ったのは1枚目じゃなくて3枚目の「プリッツェル・ロジック」。紙ジャケのビニールレコード。CD登場以前ですから当然。

たいそう好いたアルバムですが、なかでも一番のお気に入りは、ちょっと変則で、このインスト曲。


ロックバンドがデューク・エリントンの曲をカヴァーするなんて、当時は、驚くべきこと。…のはずですが、まだ二十歳かそこらで、ジャズの知識・素養がありませんでした。オリジナルを知らず、ただ、「おお! マイナー(短調)なのに、メロディが愉快に笑ってる!」と、ひとり盛り上がりました。

オリジナル録音のトランペットによる主旋律ワウワウミュートを、ギターのワウで再現してます。

ちなみに、この「プリッツェル・ロジック」という可愛らしくも知的なアルバム・タイトル、邦盤では邦題「さわやか革命」だったことを最近知り、自分がレコードやCDをもっぱら輸入盤でしか買わなかったこと、正解だったと、つくづく。

邦題って、ジャンルによらず、ろくなことをしてこなかったです。

ファック・ユー。

2021/07/04

■かくかくかく、ご・ご・ご 『ぶるうまりん』第42号より

三角四角互角誤解の語音  東儀光江

「かく」で展開して、後半は「ご」へと転換。三、四ときて、五ではなく、互角に行ったのが、転換の契機。

いわゆる句意というものはなくて、読者の感情・感傷に訴える句でもない。ついでにいえば、季語は見つからない。

句意やら描写の趣向やらリリシズムに飽き飽きすることは、ふだん俳句(や川柳)に接していると、しばしば起きるので、こういう句は(私にとって)必要。


ちなみに、私は、俳句でも川柳でも短歌でも連句でも、他人様の句でも、自分の句でも、《音》を読みます。

実際に声に出すことはしなくても、アタマの中で声に出す。この句も「さんかく……ごおん」とぜんぶ音にして飲み込む。まあ、みんなそうしてるとは思うのですが、たまに、この人、目でしか読んでないのでは? と思うことがあるので。

掲句は『ぶるうまりん』第42号(2021年6月26日)より。



2021/07/03

■時節柄、河童

ときどきお邪魔している尻子玉句会が、BSの民放番組で取り上げられるというので録画しておいて、それを視聴。主宰の近姐さんの堂々たる応答ぶりに感心しつつ、「いろいろな句会がある」という番組の脈絡に、妄想を旨とする当句会は、どうなの? いいの? こんなんで、と。

(尻子玉と聞いて番組進行役の人たちが死体みたいな表情になっちゃうとこがとても印象的なひとときでした)。

そうこうするうち、というか、以上とはまったく無関係に私的な生活のひとこまとして、町田康の掌編小説集『テースト・オブ・苦虫1』を読んでいたら、「かっぱ」の3文字が、なんだこれ? という使われ方をしていて、ちょっと度肝を、もとい尻子玉を抜かれたわけです。


河童つながり。

ついでに、まえにつくった河童連作「流体力学」のリンクを貼っておきます。

7年も前なんですね。ずうっとバカやってきたわけです。

ラヴ&ピース!

2021/07/02

■帰途の…

…カーラジオ。https://youtu.be/CDt14uZDfTo から https://youtu.be/7ICwedaEzz8 への並びがとても気持ちよかったので、いい夜だ。

雨がよく降る。この日の昼間、雨の間隙をついて自転車で散髪へ。さっぱりする。

歩いたり漕いだりアクセルを踏んだり。

動くことはたのしい。

とりあえず動いていれば、なんとかなる。(なにが?)

ラヴ&ピース!

2021/06/28

■またまた過去のこの日 若之的・家具的

前にも書きましたけれど、フェイスブックの「△年前のこの日」という機能(突然現れる)、ふうん、そうだったのかということで、面白い(振り返るのは年をとった証拠ですね)。

7年前のこの日(6月28日)、こんなことを書いてる。
今夜、若さま(福田若之くん)がお越しになる予定。週刊俳句の当番をやってもらうのに、手順やら何やらをPC見ながら説明するのナイト。(OB諸君はみな、このイニシエーションを経たのですよ)

ご飯食べてから作業なわけだが、何にするの?と嫁はんに訊いたら、「パスタと、それから子どもだから(若いという意味)海老フライ」とのこと。子どもだとなぜに海老フライなのか。そこは謎。
若之氏、週俳の当番を務めて7年になるのですね。ずいぶん長い気もするし、もっと前からやってたような気もする。

で、6年前のこの日は、居間のテーブルと椅子を換えるので、青山のショウルームに出かけた(購入は別ルート)。ショウルームのサイトを見ると、そのおよそ9ヵ月後に閉店してた。諸行無常。



2021/06/25

■螺子のはたらき 『豆の木』第25号より

釣堀を固定している無数の螺子  田島健一

わたしたちの文明は螺子に支えられているといっても過言ではないので、何を固定していようが、驚くにはあたらない。

けれども、あの、人がいたらいたで暇そうな(人も場所も)、人がいなければいないで暇そうな釣堀というものを、螺子が固定しているのかいないのか(エンジニアリング的に、詩的に)。

固定といいながら、するする、ふわふわと逃げていくような景であること、まったくもって不思議です。

ラヴ&ピース!


2021/06/20

■変異・変容 『豆の木』第25号より

火曜日のたぶん紫陽花だつたもの  鈴木健司

火曜日というものがどんな曜日かというと、私にとっては、燃やすゴミの日であり、鳥たけさんの定休日。どの曜日も特別といえば特別だし、特別じゃないといえば特別じゃない。これ、あまり勧められない暮らし方です。

さて、紫陽花には似ても似つかないものなのだろう、目の前にあるのは。

「紫陽花だった」と断言できないところが、この世の難しさであり面白さにちがいない(この暮らし方はお勧めできる)。

作者は併載の短文によると、物理学に携わる人。この人だからこそ、「たぶん」と類推できるのだろうか。それとも、誰にでも可能な類推なのだろうか。














掲句は『豆の木』第25号(2021年5月)より。

2021/06/17

■スリッパの不思議 『豆の木』第25号より

朧夜へスリッパ置いてきたりけり  高橋洋子

スリッパという、まあ、おおむね「室内用」の履き物でもって、朧夜(という、おおむね外をイメージする場所・空間・時間)まで出かけて、そこに置いて帰っていたというのだから(裸足で、か)、ちょっと不思議な行動。読者には、不思議な後味が残る。

靴だとこうはならないし、ただ置いてあるという観察でもこうはならない。「スリッパ」であり「置いてきた」という行為であるからこその読後感だろう。


掲載の高橋洋子10句作品「夜盗虫」の表題句、《恍惚と壊れてゐたり夜盗虫》は、句そのものの話ではないのですが、「恍惚と」という部分、名詞+「と」で副詞用法となっているのを見て、「悄然と」「毅然と」となど「~然」の例はあるものの、そのほかに思い浮かばず、面白い用法だな、と。

従来的・正統的な文法/用法に、ちょっとした捻じれや曲げを加えている。それを面白がらずに、「誤用誤用」(御用御用のダジャレみたいになっちゃった)と口やかましい向きもあるのでしょうが、私は、ほら、ラヴ&ピース!な態度ですので。

掲句は『豆の木』第25号(2021年5月)より。




2021/06/16

■過去のこの日・再

承前

〔7年前のこの日〕

嫁はんが、テレビで、SNSのターゲティング広告の番組を観て、訊いてきたので、自分のFBのそれを見せる。

車買い取り
オーガニック美容室
アン・サリー コンサート

いつもは、強壮剤・バイアグラ系のも多くて、加齢の悲哀(モニター上のね。為念)を味わっているのですが。

しかしなぜ美容室?

〔4年前のこの日〕

ハービー・ハンコックのエレピが好きなので、嫁はんには、ハンビー・ハン子になってほしくて、YouTubeのURLをメールしたりして刺激を与えようと試みるも、なかなかそちらに意識が向いてくれない。私がコーネル・デュプ男になるよりは100倍可能性が高いと思うのですが、世の中、ままならない。夫婦での居間ジャムもとんとごぶさたのまま。

ちょっと怠けていた(興味が薄れていた)自転車にも徐々に復帰。走ると、夏、というかんじです。暑かったり雷雨があったり。
われわれ東南アジア系日本人としては、自分たちの季節がやってきたわけで。

労働して、走って、弾いて、読んで、聴いて、寝て、食べて。今年の夏も、それでほとんど埋まる。ほかに望みはないし、すこやかにほがらかに暮らせそうです。

〔2年前のこの日〕

ライブ完了。

ご来場いただいた方々、ありがとうございました。

由季氏は「すごい」といろんな人から言われてた(まあ、あれだけ弾けばね。実際すごい。本人は失敗も多く残念がってたけど)。

私はMCのこと、選曲のこと、それからギターの色(グリーン!)のことを言われた。夫婦でずいぶん違うものだ(役割分担)。

おもしろい偶然は、4年前のこの日、嫁はんにファンク方面を焚き付けようとしてままならない旨、記し、そのちょうど2年後のその日、ライブ(動画はこちら)が実現。4年前には想像もしていなかった。

なお、バンド名のハザコは、ハーヴィー・ハン子ならぬ、ダニー・ハザ子から。

ちなみに、去年6月、今年6月と、コロナ禍でライブは中止(延期)。世の中、いつになったら平穏を取り戻すのでしょうね。


2021/06/14

■夏は


昨日と同じように見えるかも知れませんが、こちらはポトフ。

ラヴ&ピース!

2021/06/13

■夏が



2021/06/12

■過去のこの日

フェースブックが勝手にむこうから、「×年前のこの日」、何を書いたかを知らせてくれる機能がありまして。

〔1年前のこの日〕

俳句について書くときは、仕事のようには書かない。

(いろんな稼業であるところのみなさんも同じだと思う。例えば、会社の報告書みたいには書きたくないでしょう? 俳句について書くのに)。

で、近年、ますます、できるかぎり変則に、気ままに、書きたい。自分のブログでも週刊俳句でも、またどこかの媒体からの依頼でも同様(居住まいやスタンスや心持ちが多少違うが)。

散文の決まりごとは、守りたいところは守り、破りたいところは破る。べつに何かどこかからの要請があって書くものではないので、勝手に書かせてもらう。なんだかむちゃくちゃな書きようであったとしても、それは、自分のそのときの精一杯のむちゃくちゃ。言い訳っぽいが、ほんと。

〔4年前のこの日〕

白石加代子はずるい。『ひよっこ』、ちょっと微妙だったんだけれど、白石加代子を見るために続けて見そう。なお、時代考証的にはちょっと難ありのところも多いようですが、ドラマだし。


5年前のこの日〕

結社についての原稿を書き始めたが、自分の書いていることがつまらなさすぎて、悶絶。

こういうときはさっさと切り上げるのが良策。書いた400字ほどはきれいさっぱり捨てて、次ののチャンスを待つ(って言っても、そんなに時間がないぞ)。

7年前のこの日〕

「投句もおもしろいのではないか」と、ふと思い立って始めた「麦」(むかし所属)への投句。1年限定のつもりが、半年の3期目(2年目)に突入。半年分の会費(6000円)の振込用紙を眺めていると、「まあ、付き合いも大事かな」と延長してしまった。

以前は悩み抜いて7句を書いていたが、それじゃもたないので、〆切ぎりぎりに(10日締切を10日投函)テキトーにイイカゲンに。


すっかり忘れていましたが、結社誌に投句していたんですね、1年半ほど。気まぐれにもほどがある。

が、投句、ちょっといいな、と、いま、2021年6月、あらためて気まぐれに。

ちょっと検討してみよう。

ラヴ&ピース!

2021/06/06

■ブツブツコーカン

収穫が始まりました。ぼちぼちです。

で、某日。

タカムラ家(yuki氏のご友人)の庭の枇杷の実+ヤングコーン
↓↑
我が家の赤玉葱+ジャガイモ

…という物々交換。

なんか、非対称にウチの恩恵が大、のような気も。



2021/05/08

■すくすく

 ちょっと密集させすぎのようですが、元気がよろしいです。ジャガイモ。


そのむこうにトマト、ナス、キュウリなどの夏野菜。まだ苗を植えたて。

そのむこうに、やはり元気がいいタマネギ。

ジャガイモもタマネギも収穫はもうすこし先です。

ラヴ&ピース!


2021/05/03

■音楽とミュージシャンの物語 カズオ・イシグロ『夜想曲集』

少し前の音楽千夜一夜でカズオ・イシグロ『夜想曲集』に触れたのだけど、この本、とてもおもしろかった。5篇の短篇が音楽というテーマで共通するだけでなく、アルバムで5曲を順に聴いていくような流れがある。場所も登場人物も違うんだけどね(一人だけ2篇に登場する。これも効果的)。巻末の解説にもあったけれど、よくある雑誌掲載などの寄せ集めではなく「書き下ろし」の5篇らしい。

それと、登場するミュージシャンがリアルと物語性のちょうどいいバランス。音楽ネタの小説ではしばしば、物語のためのミュージシャンってかんじに、現実にはこんな音楽家、どこにもいそうにない、ってことがあるんだけど、その手の脆弱さ(虚構としての脆弱さ)がない。かといって、based on a true story 的な造りでもない。ノンセンスや諧謔の成分も豊かだしね。巧みでセンスのある作家だなあ、と、あらためて思いましたよ。

ラヴ&ピース!

あ、そうそう。解説で知ったのだけど、小説の市場って、長篇>>>短篇、なんですってね。日本も欧米ほどではないけど、同じ傾向だそう。これはちょっと意外。

2021/04/04

■叫ぶ?

ピン呆けの蝶の写真を見て叫ぶ  阿部青鞋

叫ぶ?

え?

ってかんじで、そのあたりがこの句の興趣であり、この作家の面白いところなんでしょう。

ラヴ&ピース!


≫『阿部青鞋俳句全集』

2021/04/03

■猫が鳥を

…捕まえるのは、食べるんじゃなくて、遊びたいから。

ベランダから猫にくわえられて家の中にやってきた椋鳥が、なんとか猫から逃げて、私の部屋のレタースケールの上にちょこんと。


ふうん、70グラムか。

幸いにして深傷は負ってなかったらしく、このあと、窓から空へ。

ラヴ&ピース!

2021/03/29

■夏蜜柑だよ

某日某所、夏蜜柑の収穫。ちょっと手伝って、2袋いただいて帰る。

ラヴ&ピース!

夏蜜柑が春の季語か夏の季語かといった雑談・議論があったりしますが、成ってるときが、その季節。くだんの夏蜜柑は、2月から3月、1本の木に、1000個からの実がみごとにまるくふくらむ。

季語としてとか、春とか、夏とか、どうでもいいや。






2021/03/28

■句会だったよ

数人で集まって俳句を作ったり読んで選んだり、食べたり飲んだり。いわゆる句会と呼ばれる遊び。

このご時世、頻繁はムリ。たまの句会は貴重かも。

ラヴ&ピース!





2021/03/18

■アンプの身ぐるみを剝ぐ

キーボード・アンプで猫が爪を研ぐ。
筐体を覆っていた黒い繊維質のカバー(なんて呼ぶのか知らない)がもじゃもじゃに毛羽立ち、なんだかみっともなくなってしまう(猫を叱るわけには行かない。猫にはアンプもカバーもクソもない)。
外っ側をぜんぶ剝がす(ネジをいったんはずしたりしてかなり苦労した)。
前面の蓋(金網状)も取り外す。
なんだかロックな風貌に。


ちなみに元の風貌≫こちら

2021/03/16

■「俳句という文芸がもたらした害悪」by 小田嶋隆

小田嶋隆の俳句関連のツイート(≫こちら)。


小田島隆の記事はよくネット上で面白く読んでいる。「なんで俳句を話題にするのだろう? 時事を扱って巧みな人がわざわざ?」というのがとりあえずの感想ですが、俳人からの反応も若干あるようなので、私も(なんでだ? 暇か?)反応してみると…。

1 「季節感に触れてさえいれば、自動的に名文だと思いこんでしまう大量の読者」

え? ほんと? 大量? いるとしたら、「名文」の基準が低すぎなので、これは国語教育、文化その他、もっと大きな問題に属する。

2 上記が「俳句という文芸がもたらした害悪」であるとする点

俳句が原因ではないだろう。季節・季節感が嫌いという人はあまりいないし、話題がなければ季節の話をしとけばいいというところがあるし(「ようやく涼しくなりましたね」とかの挨拶)。どちらかといえば、俳句のいうジャンルが、季節・季節感=人に嫌われない話題というところに寄りかかっているかな?

3 「何かのアンケートで「日本が好きな理由」の回答としてかなり高い順位に「四季があるから」というのがあった。地球上のどこであれ、人間の居住環境には、固有の季節変化があると思うのだが、どうして自分の国の季節感だけを特権的に考えるのか不思議だった(…)」

うん、これは不思議。ヴィヴァルディが聞いたら、腰を抜かす。

4 「あれ、たぶん「歳時記」のせいだな。」

それは違うと思う。歳時記はそれほど各家庭に行き渡っているとは思えない。歳時記をめくってみたことのある人って、どれくらいいるのだろう。ずいぶんと少ないのではないか。

5 「「季節の変化への繊細な感覚」を日本人に特有な美点だと考えるのは勘違いだと思う。」

3と同じ。特有なわけがない。自民族中心主義(ethnocentrism)の一端ってかんじ。

6 「わが国民の季節への拘泥は、歴史や政治への無知の弁解になっている」

これはちょっと難しい。弁解にどう結びつくのか、私にはよく理解できない。「歴史や政治のことはよくわからねえが、春になったら、種さ撒くさ。夏になったら、花火見るべ」みたいなこと?(ポリコレ的に問題のある例示)

7 「俳句のレギュレーションが「季語必須」になっていることに対しては、「うっせえわ」と思っている。」

はい。そう思うこと、よくあります。でも、「季語必須」などいう「レギュレーション」、世間が考えるほど一般的じゃないです。特定流派、特定集団の決まりごとに過ぎないので、あまり気にすることもない。

8 「基本姿勢として、俳句には手を出さない。」

これは正しい。面白い散文を書く人なのに、五七五だと、なんでこんなにつまらないもの書くんだろう? という例を数多く見ているので、この態度は正解。


さっくり言って、季節・季節感さえ出しときゃいいわ、ってな散文ってどーなの? という点には首肯。それは散文だけではなく、俳句でも同じ。季語さえ入れとけば俳句、というわけには行かないのと同じ。

ただ、季節感バンザイな態度(の蔓延)が、俳句のいう文芸ジャンルのせいかというと、違う。

通俗的日本人論・通俗的日本文化論の長期にわたる膨大な積み重ねがもたらしたものだろう。

問題はむしろ(3の繰り返しになるが)、俳句がそうした日本人論・日本文化論のステレオタイプにもたれかかり、季語に対する自己愛的な賛美を伴いつつ通俗・凡庸の塗り重ねに終始するような事態のことです。こっちがもたらす「害悪」について考えること、意識的であることのほうがだいじかもね。

ラヴ&ピース!

2021/03/09

■クルアンビン、さらに。

週俳の音楽千夜一夜に登場のクルアンビン、屋外音楽のサイトにも出演。

 

ふつうの光の下では、さらに妖しい長髪髭にいさん。

≫NPR Music に関する前記事 

2021/03/07

■鉄と海鼠

『静かな場所』第26号(2021年3月15日)招待作品より。

海鼠匂ふ釘に当たつてゐる舌も  生駒大祐

海鼠は鉄や鉄錆と親しい。こんな句もあるし。

鉄を嗅ぐごとく海鼠に屈みたる  正木ゆう子

後者が喩(直喩)と視覚的見立てから成り、句意明瞭であるのに対し、前者は嗅覚と触覚。視覚がほとんど出てこない(海鼠の姿はではなく匂いだし、口内の釘も舌も見えない)。変な(いい意味です、この形容詞は常に)句です。

ラヴ&ピース!

2021/03/02

■変態的奏法

ウラハイの記事に動画を貼っています。

https://hw02.blogspot.com/2021/02/blog-post_18.html

ジャンゴ・ラインハルト、名前も演奏ももちろん昔から知っていますが、弾いているところを観たことがなくて、ソロを弾くとき左手の人差し指と中指2本だけで弾くの、恥ずかしながら初めて知りました(きっと有名)。吃驚仰天!

どんな教則本にも、こんな弾き方は載っていないと思う。

かたちじゃないんですね。結果(音)が良ければ。


変態的(いい意味です)な弾き方といえば、マーティ・フリードマン。テレビで観ることも多い。何が変則かというと、右手。



2021/03/01

■谷保天神の梅

そろそろ終わりです。

日があたたかくて、梅日和、散歩日和。


2021/02/17

■シュフ本に触発されて包丁を買う

アンソニー・ボーデイン『キッチン・コンフィデンシャル』はすばらしく面白かったわけですが、文中に出てくる(かつ彼が薦める)グローバルの包丁が無性に欲しくなって、妻に相談。買っちゃった。


使ってみると、なるほどよく切れる。切れすぎて、指を切ること2度。そんなにしょっちゅう使うわけではないので(料理はほとんど妻)、けっこうな指切っちゃう率です。

よく切れる包丁のほうが危なくない、むしろ切れないほうが危ない、なんてこと、聞いたことがありますが、あれは上手な人の話。ヘタクソが使うと、玉ねぎのついでに自分の指まで切れてしまいます。

要注意、かつラヴ&ピース!

2021/02/10

■さらう 小池康生『奎星』より

復習ふなり硝子に踊り映し込み  小池康生

ルビはない。「復習ふ」は「さらう」だろう。教わった踊りをビルのガラスに自身を映して(スタジオなら鏡なので、違う。これは閉店後の所業施設など、街なかの仮の練習場だ)、練習を繰り返す。

夜中によく見る風景。なにかをきちんと習ったことがなく、したがってきちんとさらったことがないので、「ああ、いいな」と羨望の眼差しで、若い子たちを見ている。

「さらう」という語もあまり身近にしなかったが、結婚して一緒に暮らす人が、小さい頃から「さらう」ことを日常にしてきた(そして今は若い人たちに「さらう」ことを教え伝えている)人なので、この語をふだんからよく耳にするようになった。

ところで、この句の「踊り」は、どう読んでも歳時記本来の踊り、すなわち盆踊りではない。そう読めなくもないが、読者たる私は、盆踊りとは読みたくない。したがって、無季として読む(といっても寒い時期とは思えないが)。無季だからといって、なんの不便もない。

俳句における「踊り」の語は、さいきんこういうケースが多いように思う。この話題については、またあらためて。

話を戻すと、ならう、さらう。いくつになっても、この愉しさを知り、味わうことができるのだろうか。

できると、いいな。

ラヴ&ピース!


掲句は小池康生『奎星』(2020年10月/飯塚書店)より。


2021/02/08

■梅ひらく

玄関横の梅もすっかりひらきました。ちょっと緑がかって香りが強い。品種名、何度か教えてもらいましたが、そのたび忘れる。梅と健忘症はセットのようです。



むかしつくった梅の句を取り上げていただいています(↓↓↓)。

この句(『けむり』2011年収録)、幾人か何度か触れていただいているのですが、いつも句評のほうが句よりもじょうず。句が愛されるというのは、そういうことなのだな、と、いつも思います。

ラヴ&ピース!

2021/02/07

■他人の曲がり角 『川柳 ねじまき』♯7より

ジャスミンの香り 人生曲がり角  丸山進

曲がってのち、どうなるか。もちろんわからないが、ここは本人にとって重大な局面なのだろう。対置されるのが〈ジャスミンの香り〉という、ある意味陳腐な、芳香剤のコマーシャルの欠片のようなフレーズ。この陳腐さが絶大な効果をもって、読者の微笑的感慨を誘う。他人の人生を、曲がり角を、笑っちゃいけないけれど、否、笑ってあげることこそが愛、なんだと、私などは思います。

ラヴ&ピース!

掲句は『川柳 ねじまき』♯7(2021年1月20日)より。



2021/02/04

■毛布 『閏』創刊号より

湯に浸るごとく毛布へ這入りけり  守屋明俊

「ごそごそっ」というより「むにゅむにゅっ」というかんじ。湯に浸るポーズからすると、ソファーに座ったポーズで毛布をまとったかんじかもしれないが、肌の感覚を重視すれば、寝床と読んでも間違いではなさそう。

あったかくしてくださいね。立春を過ぎたとはいえ、まだ寒い。

余談。「入る」は「いる」。昔の本などで、「はいる」は「這入る」との表記が多いような気がする(実感レベルに過ぎませんが)。

掲句は俳句同人誌『閏』創刊号(2021年2月1日)より。



2021/01/27

■バーナード・パーディ氏の件

「はがきハイク」に【最近のお気に入り】として「バーナード・パーディ」と書いたのですが、じつは、これ、最近でもなんでもなくて昔から大のお気に入り。聴くたびに「ひょっとしたら、この人のドラムがいちばん好きかもしれない。いやいや、待て、そんなに簡単に『いちばん』なんて言っちゃダメだろう。いや、でもなあ」とかね、それくらい大好きなのですが、例えば、キング・カーティスのバッキングとか。

ウラハイに友人の lugar comum さんが書いてくれた記事

当時の腕っこきがみんな年とってしまってのライブとか(円熟味)。↓↓↓


ちなみに、デヴィッド・T・ウォーカーも、ギタリストでいちばん好きかもしれないので、この映像はもう涎だけでは済みません。もうひとつちなみに、このライブはDVDで愛蔵しています。いいでしょ? あげないよ。

まあ、そんなこんなで、やっぱり音楽は愉しい。

ラヴ&ピース!

2021/01/25

■13か月ぶりの「はがきハイク」

新型コロナウイルスのせいでは、きっとない。ただ、なんとなく2020年は一度も出すことなく、時間が過ぎ去りました。

で、第22号。

投函しました。

ぼちぼち届いていると思います。

なお、業界最小最軽量の俳誌『はがきハイク』はこちらから勝手に送りつける御挨拶のようなもの。送り先の漏れは多々。これまで来てたのに今回は届かないぞ、というときは、「送れ」とゆってください。
tenki.saibara@gmail.com

知らない・見たことがない、ちょっと興味があるよ、という方も、同じメールアドレスへどうぞ。

【お願い】
はがき「全面」/俳句全部の写真、画像キャプチャー等を、ネット上に載せるのはご遠慮くださいますようお願い申し上げます。



2021/01/23

■ねむたさ

ねむたさの蠟梅に火のともりたる  くらげを

蠟の字を含むこの小さな花に火がともるという連想・幻想は、むべなるかな、なものであって、とくべつな意匠とはいえないが、気持ちよい軽さをもった趣向。それよりも句のアタマ。〈ねむたさのが〉、蠟梅にも、そして蠟の燃える炎にも掛かるように思え(あの花弁、あの蠟燭の炎、睡気を誘いませんか? ねむたがりすぎ?)、一句が、かんじよくまとまっています。

掲句は『連句誌 みしみし』第8号(2021年節分)より。

2021/01/18

■追悼フィル・スペクター

承前

フィル・スペクター、16日に亡くなっていたんですね。殺人罪(いちおう潔白を主張していた模様)で収監されていた刑務所で死亡。17日、音楽千夜一夜で「I Can Hear Music」を取り上げたときは知りませんでした。

大好きフィル・スペクターの音のなかで、この曲を。レナード・コーエンをプロデュースしたアルバム「Death Of A Ladies' Man(邦題:ある女たらしの死)」から。レナード・コーエンも2016年に亡くなったんですよね。


この二人が一緒にうつっているの、初めて見ました。かたや三つ揃いにサングラスで業界の大立者ふう。かたやステンカラー(?)のコートに葬式帰りのような白ワイシャツに黒ネクタイ。両方とも、いかにも、あやしくて、悪そうで、にやにやしてしまう。

ラヴ&ピース!

2021/01/17

■I Can Hear Music

よく続いております。【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】

今週は「I Can Hear Music」のビーチ・ボーイズによるカヴァー

なお、これ(↓↓↓)も捨てがたい。

2021/01/16

■川で迷う

川ラヴァーとして、ひところほどの頻度と距離ではないにせよ、いまも川を自転車で走っております。多摩川を中心として多摩川水系をあちこちということなのですが、川沿いのサイクリング道を走っていると、いつのまにか当初とは違う川に沿って走っているということが起こります。何度も走りよく知っている川と道ならそうはならないのですが、経路も決めずぶらぶらと、知らない景色・飽きていない景色に促されるように走っているので、こういうことが起きる。川には支流があるという当たり前の事実によって引き起こされる誤認、一種の事件(おおげさ)なわけですが。


このあいだも、ふと気づくと、この道、この川は知らないなあ、と。

表示を見ると、程久保川。はじめてではない気がしますが、あまり経験していない川です。気分が良くて、走れるだけ走りました(川沿いの道がどこまでも続くとは限らない。暗渠になったり、建造物や私有地にぶつかったりで)。

いい川でしたよ、程久保川。

よくわからずに動いていると、愉しいことが起こります。ひょっとしたら、よくわかって動くよりも、ずっと。

ラヴ&ピース!

2021/01/15

■沖からの 『奎』第16号より

鯨来る海より夜明け前の歌  下楠絵里

鯨好きなので鯨の句に目が止まってしまいがち。それはそれとして、「夜明け前の歌」とは? そんなタイトルの歌があるかどうか私には不明ということもあって、具体的な曲名ではなく、夜明け前にふさわしい歌、くらいの意味で、どんな歌だろうと思いだしてみると、これがそうと言い切るのはむずかしく、さあ、例えば、ロバート・ワイアットのあの不定形でぐにゃぐにゃした音と声が、自分にとって夜明け前かあ、などと。

鯨が〈来る〉方向から歌も来るように思え、これは、もう茫漠とした時間であり空気の震えだなあ、と。



掲句は『奎』第16号(2020年12月)より。

2021/01/07

■描くことにする

衝動買い。

使わないとゴミになるだけなので、絵を描くことにする。

何を描くか。ぜんぜんない。ぜんぜん思い浮かばない。それは大問題。描きたいものを探す/考える。まずはそこから。

ラヴ&ピース!

2021/01/05

■植物的インテリアとしての蚊帳

冬のさなかに蚊帳の話題で恐縮ですが。

蚊帳の天井草原を駈ける馬  加田由美〔*1〕

白蚊帳に森の匂ひの夜来たる  篠崎央子〔*2〕

蚊帳は素材(麻)からして、植物的なイメージが強い。いわば草に覆われているようなぐあいになる。

一句目。仰臥の視野を馬が駈ける。鮮烈で、すがすがしいイメージ。だが、蚊帳の効果だろう、しっとりとした心の肌理が備わる。

二句目。夜が蚊帳の外、蚊帳の遠くからやってくるわけだが、草の匂い、植物の匂いを伴う点、感興。


〔*1〕『翔臨』第99号(2020年10月31日)所収・加田由美「隣町」10句より。
〔*2〕篠崎央子句集『火の貌』(2020年8月/ふらんす堂)より。


2021/01/04

■悪漢シェフ?

リヴィングの本棚をふと見ると、買った記憶のない本。誰かにもらったのだと思うが、どなたかを思い出せない(失礼な話)。手にとって、数ページ、読んでみると、おもしろい!

アンソニー・ボーデイン『キッチン・コンフィデンシャル』

グルメには関心がないのですが、このベストセラー、どうも悪漢小説っぽくもある(ノンフィクションですが)。

というわけで、読み進める所存。

2021/01/02

■仔猫のその後

猫、とりわけ仔猫は好奇心旺盛なものなのだけれど、この冬、わが家に暮らしはじめた黒い仔猫(♀)は、ちょっと並外れて旺盛。猫見知りもせず、先輩猫に飛びかかって抱きついて舐め回して、そのたびにうざがられ、叱られるのだが、猫たちにかまうことをいっこうにやめない。真似もしてみる。先輩猫がらくらく飛び上がる場所へ、自分もできると思うのだろう、飛び上がり、届かず、落ちる。人見知りもしない。歩いていると、こちらの足を前肢で、ちょんちょんと、「ねえねえ」とでも呼びかけているかのように。つまり、今回の黒は、並外れて、かわいい。

歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて  福田若之

写真機に近づいてくる子猫かな  対中いずみ

好奇心とか〈知〉への志向というのは、世界(自分のまわりぜんぶ)との恋愛みたいなものだから、しばしば媚態をともなう。媚態のみがキュート、というわけではぜんぜんないんだけどね。

ラヴ&ピース!

≫黒い子猫のいきさつ


2021/01/01

■お正月

数年前、友人から教わって以来ずっと、黒豆にはマスカルポーネ。