「かく」で展開して、後半は「ご」へと転換。三、四ときて、五ではなく、互角に行ったのが、転換の契機。
いわゆる句意というものはなくて、読者の感情・感傷に訴える句でもない。ついでにいえば、季語は見つからない。
いわゆる句意というものはなくて、読者の感情・感傷に訴える句でもない。ついでにいえば、季語は見つからない。
句意やら描写の趣向やらリリシズムに飽き飽きすることは、ふだん俳句(や川柳)に接していると、しばしば起きるので、こういう句は(私にとって)必要。
ちなみに、私は、俳句でも川柳でも短歌でも連句でも、他人様の句でも、自分の句でも、《音》を読みます。
実際に声に出すことはしなくても、アタマの中で声に出す。この句も「さんかく……ごおん」とぜんぶ音にして飲み込む。まあ、みんなそうしてるとは思うのですが、たまに、この人、目でしか読んでないのでは? と思うことがあるので。
掲句は『ぶるうまりん』第42号(2021年6月26日)より。
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