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2026/07/04

■川合大祐句に片っぽうをあてがう旅 『リバー・ワールド』篇

川合大祐『リバー・ワールド』2021年/書肆侃侃房



失った世界ガソリンスタンド忌  川合大祐

たましひの須田町眠る半分忌  忌日くん「をととひの人体」

世界がすべて失われるよりも、半分だけのこるほうが、ずっと怖ろしい。


無 ホカホカねえさん以外すべて虚無  川合大祐

泣いて無意味な兄も素敵な土用波  竹岡一郎「バチあたり兄さん」

こっちの俳句岸は、虚無虚無虚無。虚しいよ。そっちの川柳岸はどうですかー、川合さーん。


京大の麻婆丼がうつくしい  川合大祐

東京の美しき米屋がともだち  阿部完市

学食はたまた百万遍の王将なのか? 本郷あたりの米穀商なのか?


猿に似た長方形を持ち歩く  川合大祐

寝てしまふ猿を起して猿廻し  下田実花

眠っているあいだは、誰によらず何によらず長方形。かもしれないよ。


実在に全力もって小池歯科  川合大祐

島田様たびたび泣きにやってくる  樋口由紀子

「どこやねん句」に「それ誰句」を。


草を食む宇多田ヒカルに似せた牛  川合大祐

馬齢噓こき矢野顕子総入れ歯  西原天気〔回文〕

自作をそっと忍び込ませる。掏摸の手際。


「山本リンダ」  川合大祐

布施明「君は薔薇より美しい」  西原天気〔未発表〕

同上。あるいはレディメイド。すでに失われ、すでに虚しく、すでに美しい。


(『ザ・ブック・オブ・ザ・リバー』へと、つづくかもしれない)

2026/06/26

■川合大祐句に片っぽうをあてがう旅 『スローリバー』篇

川合大祐『スローリバー』2016年/あざみエージェント

            献句 ひかるなり川も柳もゆつくりと 10key


満月を開ければ 何もない廊下  川合大祐

満月の裏はくらやみ魂祭  三橋敏雄

廊下をさらに行けば、きっと裏。この廊下、「何もなさ」加減が尋常ではない。ちなみに、三橋敏雄は「府中くらやみ祭」を知っていたのだと思う。季語「魂祭」はそこが誘引。


図書館が燃え崩れゆく『失われ  川合大祐

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ

『失われた時を求めて』が消失の途中。字が意味を離れてブツ化していながら、「失」という表意文字は最後まで残る。後者は、2001年アメリカ同時多発テロ(9.11)の3か月後に発行の『WE ARE!』第3号所収、という意味でも21世紀を代表する句に。ともに、カンバスにブツとしての文字を、あるいは宙空にオブジェとしての文字を配したような句。


我思う「これは川柳ではない」と  川合大祐

我思ふ故に猫あり春の小火  攝津幸彦

前者、デカルト+マグリット。後者、恋猫を連想させる(ぶん、飛距離はそこそこ?)。上五が同じなだけで、句の方向が違う。けど、これはこれで、並べて眺めていると、気分がふわっとしてくる。


ウルトラの制限時間超えて滝  川合大祐

ウルトラマンを脱ぎ捨てて俺栗の花  佐山哲郎 『じたん』2001年

ふたつ並べると、滝と汗がつながって、これは、並べたらあかん組み合わせかも。


潰すまえ仮に水母と言っておく  川合大祐

渾沌をかりに名づけて海鼠かな  正岡子規

「仮」つながりで選んだが、なんだか「存在のありよう」みたいなところでつながる感。


年を以て巨人としたり歩み去る  高浜虚子

巨人立つその後の便座もてあます  川合大祐

ここだけ句の順を換えた。一年が終わったあとの世界には、便座が似合うので。

(つづくかもしれない)





2026/06/22

■4音代入のための上野葉月的構造の試み

試みとか書いとけば何やってもいいわけじゃないんですけどね。




みたらし 10句

 ※まごのて、かさぶた、他、代用可

噴水の私立みたらし女学院  原句ママ

みたらしであれば常に西日である

妹はみたらし愛のあるごとし

みたらしは受話器のやうに置かれをり

みたらしに少し似てゐる軽水炉

紅葉かつ散るみたらしの純潔種

みたらしの解釈がコペンハーゲン

みたらしな植物学者ド・フリース

みたらし呼吸に定評ある阪西

みたらし忌をとこの乳首ゆるされて

─────────────────────

原句:上野葉月『enjoy』(2025)より

噴水の私立みたらし女学院

踏切であれば常に西日である

妹は滝壺愛のあるごとし

月影は受話器のやうに置かれをり

秋茄子に少し似てゐる軽水炉

紅葉かつ散る柴犬の純潔種

霜月の解釈がコペンハーゲン

有名な植物学者ド・フリース

腹式呼吸に定評ある阪西

2026/06/19

■榊陽子的わかめ構造主義

榊陽子 ふるえるわかめ 10句
週刊俳句・第442号・2015年10月11日

10年以上前の作品をきょう取り上げるのは、週刊俳句がもうすぐ第1000号を迎えることと関連しないこともない。10年のあいだ、わかめはふるえながらふえつづけた。かどうかはわからないが、ともかく、この10句。

作品タイトルの直後にある、

(なな子、社長ほか代用可)

が決定的に重要。

つまり、「わかめ」でなくても、いっこうにかまわないと宣言している。これはたいへんなことですよ(©岡田彰布)」。
「代用可」ってことは、この川柳連作はふえて/ふるえているのは「わかめ」だけでなくて、〈川柳〉もふえているということになります。
柳本々々が当時指摘するように、ふえるのはわかめだけではない〔*〕。わかめどころではない。10句単位で、たちまちにして、川柳が、句が無限に殖えてゆく。ふるえるなな子10句、ふるえる社長10句……。

読者は、読者からとつぜん多作の作者に姿を変え、別の3音を探す旅に出る。


「わかめ」に意味はない。どんな3音でもいいのだから。

天才か。

どんな3音でもいいけれど、この無限川柳製作機械のプロトタイプとして「わかめ」を選んだのは最適に近い。レディメイド的に、安っぽく、俗っぽく「ふえる」もののとして「わかめ」を選んだ目の確かさ。

天才か。


句がどのような部品で出来上がっているかは、たいていの場合の重要です。でも、そんなものはなんだっていい。3音でありさえすれば。

(もちろん、どの3音かで、10句全体のおもむきは大きく異なる。なにを選ぶかで、(とつぜんバカみたいな言い方をするが)「センス」の如何を問われることになる。だが、そんなことは枝葉末節)

要素(語)が無限に可変なら、意味(文節)もまったくもって定着しない。

ここには「わかめ」がひつこく示されているようでいて、じつはそうではなく〈構造〉が展示されているわけです。
(…)わたしたちはふだん川柳に対して「気楽」に意味を待っています。できあがった川柳からわたしたちの意味の冒険は始まっています。ところが榊さんの川柳では、まだ靴の準備さえできていない。なにしろ、不確定なわかめですし、ふるえるわかめですから、わかめ以外の可能性もありうる。だとしたら、まだ意味の組立はできないのです。
(略)
(…)わたしたちは、率先して、わかめの森をかきわけ・かけぬけて、代入しなければならない。これは、行為です。行為が、問題になっているのです。意味は、その《あと》です。意味は、あとからやってくる。あなたを、待っている。
意味を待つをやめよ、と、榊陽子は、柳本々々はゆっている。

2015年当時、私たちはかくもエクセレントな10句と、かくも豊かなレビューに出会えたわけです。


〔*〕ただし、柳本々々氏は、代入の例示に4音の「もともと」を使用。惜しい。「意味を待っている」読者という、この論考の後半にある示唆に富む切り口がいくぶん揺らいでしまった(それはわかめだから、というオチなのだろうか)。「ふるえるわかめ」の構造にとって音数は断固として動かせない。動かない。

2024/04/23

■虎から図書館へ

虎がバター、バターが図書館になるまで  湊圭伍

「ちびくろサンボ」のエピソードが、図書館に発展するわけですが、この世界的大ヒット絵本、人種差別問題から絶版、書店から回収という経緯のなか、いちはやく(日本の)図書館から姿を消したのではなかろうか、と。

出版物がこの手の憂き目にあう(と言っていいのかどうか)のは、まずは学校の図書室、次いで公共の図書館、という気がする。データや根拠はありません。なので、この句の《図書館》は、ごくすんなりと、句の中に収まる。

その「すんなり」感と、バターと図書館の「物質的」な距離の遠さ(どうやったって、バターが図書館になることはない)、〈とんでもなくもない〉と〈とんでもない〉の同時発生といってもいいし、〈わかる〉と〈わからない〉の共存といってもいいのですが、それが一句の中に並び立っているところが妙味。

掲句は『川柳木馬』第179号(2024年4月)より。

2024/01/10

■熊とか火事とか

宝くじ熊が二階に来る確率  岡野泰輔

のど飴を口にふくめば遠い火事  なかはられいこ

「宝くじ」の句は俳句の句集から。「のど飴」は川柳作家の作。諧謔とか叙情とか、そういう大雑把な要素でジャンルの区別を言うのではなく、何が俳句で何が川柳といったことは、少なくとも自分にとっては、もうどうでもいいや、ということであって、どちらの句も好き、という呆けた地点から、まだ一歩も出ていないし、これからさきも出ないかもしれない。

掲句は、岡野泰輔『なめらかな世界の肉』(2016年7月/ふらんす堂)、なかはられいこ『現代川柳の精鋭たち』(2000年7月/北宋社)より。

なお、熊も火事も冬の季語。俳句にも歳時記にも興味のない人は、「なんで?」と思うだろう。私もすこし思う。思うけど、そう決まっているのなら、それを利用しない手はない。

利用、というのは、いくつかの意味。

例えばひとつは、熊=冬、火事=冬との(誰かの)思いのかたわらに立って、句をつくったり読んだりすること。

あるいは、なにかの句について「無季ですね」との(したり顔の)指摘の発生を減らすこと。

熊穴に入るまへに見る景色かな 10key(大昔作・句集未収録)

黒柳徹子のやうな火事でした 10key(人名句集『チャーリーさん』2005年)



余談。

月涼し生まれ変つて会へる率  南十二国『日々未来』2023年9月

熊が二階に来る確率と、どっちが高いんだろう?


2023/12/30

■川柳と俳句@自分事情

年末らしい話題、というわけではないのだけれど、このあいだ、ふと思ったことを。

私は、わりあい長いこと、俳句の近くに身を置いているのだけれど、短詩という同じジャンルにある川柳も、たまに読む。読むだけでなく、それについて書いたりする。ウラハイの「金曜日の川柳」で樋口由紀子さんの公休日(第一金曜日)に代打したり、なぜか依頼があって川柳作家・八上桐子さんの作品について川柳雑誌に寄稿したり。

川柳について書く。俳句について書く。頻度はちがってもどちらもやる。でも、このふたつには決定的なちがいがある。そのことに、このあいだ、ふと思い当たったのだ。

それはつまり、川柳をつくるノウハウについて、私は、これっぽちも持ち合わせていないという点。

俳句については、程度や質は置くとして、なんらかのノウハウを知っている。理解している。否、信じるところがあるという言い方が、いちばんしっくりくる。ところが、川柳については、まるっきり。

「入門書を読んでみれば?」「川柳教室に通えば?」といった声があるかもしれないが、いや、川柳のノウハウを学びたいと言ってるんじゃないんですよ。俳句と川柳における、自分の中の決定的な違いを、いまさらのように気づいたという雑談? 自分以外、関心がないであろう閑話(ひまばなし)。

でもね、川柳について書くとき、このノウハウ皆無状態は、良い面もあると思っている。確信じゃないけど。

だって、俳句について書くとき・語るとき、ときとして作句ノウハウが邪魔になったりする。俳句について書くこと・語ることは、評価や審査じゃないので。評価や選句は句会でやればすむことでね。

そんなこんなで、川柳をどうつくればいいのか、皆目わからない状態のまま、ひとさまの川柳作品を快楽しつづけるつもりなので。


では、良いお年を!

年末年始、私は、うれいしいことに労働に勤しみます。正月をだらっと過ごすのは好きではないので(ふだんだらっと過ごすのは大好き)、正直、「うれしいことに」なのです。

2023/11/21

■出会い、なおせる? 『Pegazine 04』の一句

川と川なんどでも出会いなおせる  八上桐子

川って、そんなものなのだろうか? 合流して、支流となって、また合流して。

あついは、俳句における「切れ」をこの句の読みに用いて、《川と川/なんどでも出会いなおせる》、つまり、「なんどでも出会いなおせる」は川ではなくて、例えば私たち(人と人)のことである(けれども、そこで切れたとしても、川のイメージは句の最後までついてまわるのだけれど)。

ところで、私は、この点について悲観的で、「出会いなおせる」とは、あまり思っていない。小さな失敗や軽い摩擦が尾を引く。んんん、なかなかに悲しい。

でも、「なんどでも出会いなおせる」と言ってもらうと、そういえば、もう一度会ったとき、前とは違う感じの時間が過ごせたりするような気もする。いや、同じ感じに、というのが、そもそも難しいそ、などと、考えがもう一方に振れたりする。

ああ、しかし、こんなことをうじうじ考えていること自体、ダメだ、意味ない! 川を見に行ったほうが、ずいぶんとマシだ、と、いま、自転車を乗ろうとしているところです。

掲句は『Pegazine 04』(2023年10月14日)より。

2023/10/24

■広瀬ちえみさんの『What's』誌に出かけてるよ

川雑誌と銘打ってはいないものの、なにしろ川柳作家・広瀬ちえみさんが編集発行人、また会員諸氏もほとんど川柳の人と思しき『What's』第5号に、なぜか、ほんと、なぜなんだかわからないまま「招待」を賜り、10句を掲載していただいています。

川柳誌の中で浮かないのか? という心配・危惧は消せないので、どうせなら、とことん浮こう、ということで、俳句、それも希釈系・低血圧系の句に、ちょこっとだまくらかしの句を混ぜた10句にしました(川柳方向へと寄せることはしなかったという意味)。

それと、なんか記事を、というリクエストに答えて、『What's』前号の句のもろもろ、既存の俳句を並べた「二句陳列」という見開きの記事も載せてもらってます。これ、ほとんど句が並んでいるだけだから、面白いです。

以上、消息のようなものですが、2部、手元に余っています。ご興味の方は、tenki.saibara@gmail.com まで。



2023/03/16

■皮フ科のフ

夕ぐれの立看板の皮フ科のフ 時実新子

違和感とまでは行かなくて、ちょっと目のとまってしまう「フ」という用字。〈夕ぐれ〉の妖しさがそうさせるのか、「フ」が夕ぐれを妖しくするのか。

ともかく、そういうものを目にする愉しみですね、散歩は。

掲句は小型のリーフレット型の発信『Rereading 時実新子』第9号(妹尾凛・八上桐子発行)より。



2022/11/20

■『川柳木馬』に寄稿

俳句関係の記事は、このブログにしても週刊俳句にしても取っ散らかして殴り書くようにしている。いつ頃からは忘れたし、なぜなのかはわからない(たんに気分?)。

紙媒体でも、きほんそれは変わらない。少し前に、『川柳木馬』という同人誌に、八上桐子さんの川柳について寄稿する機会を与えられ、書いたときも、取っ散らかろう、暴れよう、と意識はした。けれども、なかなかそうは行かず、何割かは意図どおりにしても、あとの何割かは、やっぱり「ちょっと正座なかんじ」になってしまった。

退屈なお行儀がちょっと残ってしまった理由のひとつは、苦労したこと、難渋したこと。苦しすぎて、乱暴に書くどころじゃなかった。依頼をお引き受けする時点で、苦しむことは見えていたとはいえ(好きな作家だから何か書きたいが、だからこそ何をどう書けばいのか、とても難しい)、締め切りまでずいぶんと日にちがあったにもかかわらず、締切の前日だかに、「遅れそうです」と泣きを入れた。最後は、自分へのニーズ、つまり川柳をやっているわけではない自分に、まっとうな作品論を期待するわけでもなかろうから、俳句と対照させながら、なんとか書いた。

(『川柳木馬』の当該号=第173号・174号は、八上桐子さんの60句、ならびに暮田真名さんの作家論を掲載。手元の残部はなくなったので、ご興味のある方は、木馬の連絡先 kaorimokuba0522@gmail.com までどうぞ)



2022/08/02

■エミコ

5音の語を見つけると、上に置くか下に置くか、考えをめぐらせてしまうのは、俳句に長く親しんでいる人間の性(さが)というか業(ごう)というか。

だから、八上桐子さんの


を見ると、

義母エミコ!

と(心の中の)大声で反応してしまう。

一連のツイートはリアル実話だろうから、こうして取り上げること自体、不謹慎とのお叱り・誹りを受けるかもしれないが、ま、そのへんは、どうでもいい。

八上桐子さんは俳句ではなく川柳の人だけど、5音・7音の使い手であるにはちがいない。それも名うての使い手だから、カタカナを用いた、この5音処理には、さすが、と称賛するしかない。

巧い演奏家は、楽器をすっと一動作するだけで素敵な和音・素敵なフレーズを奏でる。それと一緒なんですよ、この5音は。

はたして、義母エミコが、壮大な連作へと結実するか、ただ、ツイッター上の閃光としてだけ・2022年夏の出来事としてだけで終わるのかは、ぜんぜん知らんけど、なんか、まだまだ、いろいろ面白いなと思ったのでした。

このクソ暑いなか。

ラヴ&ピース!

2022/06/02

■『そら耳のつづきを』のつづきのつづき

≫承前

セブン&アイ・ホールディングスの小さな愛なんだ君は  湊圭伍

持株会社を世間でこんなにも頻繁に目にするようになったのは、そんな昔じゃないような気がする。調べてみると1997年に解禁らしいから、新しくもないが、古くもない。で、このセブン&アイ・ホールディングス、資本金500億円、従業員数およそ14万人(間163時間換算の臨時従業員含む)、売上は6兆6000億円を超える。

これはデカいです。こんなにデカいセブン&アイ・ホールディングスだから、ほんの「小さな愛」を注ぐだけで、「君」は成立してしまう。

このことが悲しいか嬉しいか、そのへんは置くとして、きわめて21世紀初め的な字面だなあ、と。

ラヴ&ピース!



2022/05/10

■変身・変容のパラダイス 現代川柳の成果

暮田真名《川柳は(あなたが思っているよりも)おもしろい》は、現代川柳と、サラリーマン川柳を代表とするいわゆるポピュラーな川柳とを対比して、明快。

当該記事はこちら≫https://note.com/sayusha/n/n314331e4c333
サラリーマン川柳の「笑い」を支えているのはおびただしいほどの固定観念と規範意識である。
対して、現代川柳に顕著な変身・変容の要素。
川柳は人を絶え間ない変身に駆りたてる。川柳のなかで、私は「春の小川」になったり、「気体」になったりする。温度の変化によってかたちを変えていく水のように、少しの条件の違いによって。
おそらく、〈私〉〈作中主体〉〈作者〉のそれぞれの部面で、変身・変容は起こっていて、ざっくりいえば、アイデンティがぐらぐら揺れたり、どろりと融解したりするケースがとても多いのが現代川柳、ということは言えそうで。

コンビニの傘に生まれてはや二年  なかはられいこ

この句などは、ビニール傘に、主体も景色も物語もフォーカスしきっていて、クール。

短詩ジャンルの多くの作品につきものの叙情、それもちょっと冗長な叙情を突き抜けたかたちを、いっとうすぐれて成果で見せるのは、川柳(現代川柳)というジャンルかもしれませんね。

掲句は『What's』第2号(2022年4月25日)より。


あ、そうそう、変容といえば、先々月、ウラハイで取り上げた《液体国の液体人が死んでいる きゅういち》もまた好例です。

2022/04/03

■『そら耳のつづきを』のつづき

≫承前

ツッコミ待ちのボケと(も)とれる句を今回も。

あのひとおふろに龍のしゃつきてはいったはる  湊圭伍

シャツじゃなくてそれは刺青(しせい)だろう、というのが、言わずもがなの、ツッコミ。

「はいったはる」は「はいってはる」ではない点、ディープだし、こだわりを感じる箇所。ついでに言えば、上記、「入れ墨」ではなく「刺青」と記した点、自分のこだわり。当該業界に詳しいわけではないが、入れ墨は罪人の腕に入れるもので、いわゆる倶利伽羅紋紋は刺青と呼ぶ、と、ものの本(松田修)で読んだので。

この句など、伝統的な川柳の系譜に置いても、りっぱな川柳のような気がします。

2022/04/01

■ガラス屋の運ぶガラス 湊圭伍『そら耳のつづきを』より

ガラス屋の軽トラの荷台のデュシャン  湊圭伍

マルセル・デュシャン(1887 - 1968)の代表作のひとつ、通称「大ガラス」の正式(?)名称が「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」だということは、この際、あまり関係がなくて、問題は大きさ。軽トラの荷台に載るのか? 載らんだろう、というくらいに大きい。名前のとおり大きい。2018年に東京国立博物館で見たときも、想像を超えて大きかった。

この句、「大ガラス」とは限定していないので荷台に積める作品はたくさんある。たいていのものは積めそう。なんなら、デュシャンも積める(道交法違反? 想像すると、かなり可笑しい)。それでも、どうしたって、「大ガラス」を思い浮かべる。

つまりは、「載るのか? 載らんだろう」という、いわゆるツッコミ待ちの句なのだろう。

ボケとして成立する句は、わけのわかるボケもわからないボケも(この句は前者)も好き。ちなみに、ツッコミの句も好き。どちらも、他者と関わる意思のある句だから。

ラヴ&ピース!

掲句は、湊圭伍『そら耳のつづきを』(2021年5月/書肆侃侃房)収録。

2022/03/16

■ホカホカねえさん・その後

2019年7月25日のブログ記事で取り上げた《無 ホカホカねえさん以外すべて虚無 川合大祐》という句が、いまだに気になってしかたがない。

≫過去記事はこちら↓↓↓
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2019/07/blog-post_25.html

焦点は「ホカホカねえさん」の正体なわけで、あたらめて検索してみると、ヒットした。

https://cookpad.com/kitchen/931982

レシピ披瀝サイトのアカウントなのだけれど、ちょっと不思議なのは、レシピが1個のみ、菜の花のチーズ焼きのみであること。2009年1月20日の日付で、この句の発表は『川柳スパイラル』第6号・2019年7月25日。たった1個のレシピをアップしただけのアカウントを、作者・川合大祐は知っていて、この句が誕生したのか、あるいは、偶然の一致か。わからないけど、謎は深まっちゃんですよね。クックパッドなるものの浮上によって。

ラヴ&ピース!

付記:

さらに不思議なものが検索に引っかかった。


何がなんだからわからない画像でずが、「青空のぼる」とか「サルでも描けるマンガ教室」といった語が鍵の模様。

この本、読んだことがない(相原コージは読んだことあるよ)。読んでみるしかないのかもね。

ふたたび、ラヴ&ピース!

2022/03/08

■旅 時実新子の一句

手の甲に浮く静脈のひとり旅  時実新子

生きていることと旅がイコール。「の」によって、静脈そのものが移動しているかのようなイメージが生まれているようです。

切実かつ清新な旅。

掲句は『Rereading 時実新子』vol.8/2022年2月(妹尾凛・八上桐子発行)より。



2022/01/20

■島田様 『トイ』第4号より

島田様たびたび泣きにやってくる  樋口由紀子

これは困ったことです。一度ならず「たびたび」だから、断れていない。あるいは、心優しく受け入れているのか。度量。

「様」がコクの源泉になっていて、つまり、関係がよくわからない。「さん」だと近所のおじさん/おばさんっぽい。「くん」だと年少の知人。島田くんは、ちょっとかわいい。「ちゃん」もおもしろいが、営業マン口調(営業の人って、知り合ったばかりの同僚や仕事仲間を「ちゃん」で呼ぶ。距離を一挙に詰めようという算段なのか)、句としては、ちょっと目立ちすぎ。

「様」。いいですね。

島田様の姿がぼんやり見えたとしても、いわゆる作中主体が杳として見えない。

んんん、誰なんだ? やってこられる人は。

お店なのかもしれない、詠んでいるのは。デパートや高級和菓子店にたびたび泣きにやってくる島田様。不思議な人だ。

ラヴ&ピース!

掲句は『トイ』第4号(2021年4月)より。

2021/10/01

■奇妙なカステラ 飯島章友『成長痛の月』の一句

ゆくりなく鶏の声出すかすていら  飯島章友

そりゃあまあ、タマゴが材料だから、と、説明になっていないかもしれない「説明」や「解釈」が口をついてしまうのは、良否の如何は別にして、いたしかたのない事象、ありがちな読者の事情だと思うが、そうしたアタマの中の動きよりも先に、まず、カステラが鶏の声を出したその瞬間の驚きを驚きとして感じるべきなのであって、ああ、吃驚したぁ、〈書かれている〉ことを読む、それが読者の態度であり為すべき仕事なのではあっても、ここで、ちょっとした問題として持ち上がるのが、〈書かれていない〉ことは読まない、という潔さのそのとき、最初の話題に戻れば、カステラの材料に鶏卵が含まれる、重大に含まれるという事実は、はたして、ここに〈書かれている〉のか〈書かれていない〉のか? ということ。

これ、じつは多くの句において、わりあい微妙な問題なんですよね。

ところで、このカステラ、食べる気、します? 親子丼を突き詰めて考えると喉を通らなくなる(丼に乗った鶏肉とタマゴは実の親子ではないにしても)のと同じで、いや、違うか、カステラから鶏鳴がしたら、食べるどころではなさそう。

ラヴ&ピース!


掲句は飯島章友『成長痛の月』(2021年9月/素粒社)より。