2012/10/30

某日日記 フルグラやら植木屋やら

それ用サーバーを「半額」に惹かれたyuki氏が買ったのがきっかけで水出しコーヒーが我が家でブーム。水で落として8時間置くと完成。てことで、夜中に入れて朝に飲むという生活のリズム的飲料。

で、もうひとつのブームがフルーツ入りグラノーラ。シリアルの一種らしく、これもyuki氏が突然買ってきて、私のブームに。

我が家は前触れもなく突然ブームが始まる。始めるのはいつもyuki氏で、ハマるのが私、飽きるのも私。

十月某日。くにたちで席題句会。10題で20句ほど作る。おみやげに焼き栗やらもあって、秋深し。

十月某日。週刊俳句の当番・ムラコシ君がアップ作業で不明な点アリとのことで拙宅に再研修に訪れる。手作り簡単浅漬ピクルス(これは今年のブーム)やらスパゲティやら。トマトがおいしい。イタリア人はえらいなあと感無量。不明点は難なく解決。アップ作業も終わり、ムラコシ君と俳句について熱く語り合い(ホントです)、真夜中になって彼も帰っていったあと、週刊俳句の目次を見ていると、記事は少なめ。1本足したくなって、前から書きたかった油布五線句集の紹介文を書く。

く、く、くろい 油布五線句集『蘚苔類』を読む

十月某日。友人の植木屋が来る。例年なら年末だが、今年は白蟻工事が始まるやも知れず(出たんです、白蟻)、それで早めに来てもらう。京都はいいっすねえとか、永平寺ももう観光地だったとか、10万キロ以上走ったレガシーが2万円で売れたとか、有馬記念3連単とったとか、そういう話を男二人でする。

今年も終わっていきますね。って、ちょっと気が早い。

2012/10/26

くにたち句会 10月のお知らせ

2012年10月28日(日)

14:00 JR国立駅南口集合

句会場所:いつものキャットフィッシュ (予定)

席題10題程度。よろしければ句会後の飲食も(会費アリ)。

ご常連様も、久しぶりの方も、初めての方も、よろしくどうぞ。

2012/10/24

糸大八200句抄、よいです

『円錐』2012臨時増刊「追悼 糸大八」(2012年9月25日)は、今年3月9日に亡くなった糸大八に捧げた一巻。抄出の200句が素晴らしい。


  睡蓮やにはかに飯の噴くことも

  洪水はわが白桃に至らむと

  文芸にたたみ鰯のけぶりかな

  忘却の河のはじめの金魚玉

  天高く帽子の箱を持ち歩く



関連
関悦史:安らかなグロテスク・リアリズム 糸大八句集『白桃』


2012/10/21

ちんどん屋、席題句会、薩頂頂など

千駄ヶ谷駅に30分ほど遅れて到着。道にちんどん屋が。クラリネットはなくテナーサックスで My Favorite Things なものだから、ちんどん色が薄い。鷗外展は、谷根千あたりの写真今昔。「夕焼だんだん」そばの富士見ホテルあたりからの景色が、昔は、ひらけていて、まさに富士見。鷗外の観潮楼からも海が見えたわけだし、ああ隔世の感。

数人連れ立って根岸までぶらぶら歩く。谷中墓地をかすめて上野桜木から日暮里へ、言問通りを根岸へ、という経路はクルマでは何度も通っているが、それでは見えないものが、歩くと見える。当然だけれど、歩かなくちゃね。散歩の愉しみ。

根岸・西念寺では、百句会スタイル(作った句は席題ごとに読み上げるだけで撰はしない)。席題は、音階、砂、後ろ、土、タガログ語、根、猫、毎、揺れる、和の10題。タガログ語とか、もう大変な席題ですわ。15句から20句くらい作ったと思う(短冊は持ち帰らないし控えがないので正確な数はわからない)。以下、改稿やら、いま新しく作った句やら。

  なしぶだうもも音階のはにほへと 10key(以下同)

  蛇穴に入る後ろから別の蛇

  雀落ちて化す蛤はタガログ語

句会後は中華屋さんで飲み食い。帰り際に狂流さんにもらったコンピCD。帰宅してから聞く。きゃりーぱみゅぱみゅがエスニック(ワールド・ミュージック)の流れの中にあって(おお、こういうコンテクスト!)、なんともしっくり来る。ハナレグミという人は聞いたことがなかったが、「サヨナラ COLOR」という曲が懐かしく良い感じで、その他、知らない曲がほとんどで収穫多大。なかでも薩頂頂(サーディンディン)のこの曲(↓)。胸がざわつきます。



2012/10/20

特別ではない土曜日

なんとなく、こういう…



気分の土曜日です。

南房総・千倉行きの予定が流れて、午後は、千駄木あたりの散歩から根岸・西念寺での(突発的)句会?

しなければいけないこと、やりたいことは多いはずで、となると、やらなくてもいいこと、やりたくないことの見極めが大事かもしれず、とりあえず、目の前の雑事と対面し、いやんなりそうな自分を宥めつつ。

2012/10/15

聞き比べ ダニー・ハザウェイの演奏モノ

ダニー・ハザウェイ(1945年10月1日 - 1979年1月13日)は歌モノの人気が高いようなのですが、歌のない演奏モノ(インストゥラメンタルつうやつですな)をたいそう愛していまして、これさえあれば一生生きていけるというくらいに愛しています。 で、その演奏モノのなかから、Valdez in the Country

まずはスタジオ録音。




次は同じダニー・ハザウェイのライブ。Recorded Live at Newport in New York ステージなので、ちょっと元気な演奏です

 


で、Cold Blood のカヴァー。スタジオだけど、わりあい元気。




おまけ。ジョージ・ベンソン。ファンキーよりもメローが強い。どうでもいいことですが、ジョージ・ベンソンを聞くと、バブル期を思う。この曲が1977年、よく売れた「Breezin」が76年。バブルよりもずっと前なのに、なぜか、思ってしまう。単なる勘違い?


2012/10/14

小鳥のような

いいな。



小鳥のように暮らしたいです。

オッサンが何ゆうとんねん!と罵られようとも。


この句、いいですね。俳号込みで。

2012/10/12

アンディ・ウィリアムス逝く

アンディ・ウィリアムスが亡くなったのは2012年9月25日。もはや旧聞に属す。84歳。そういえば、このまえの句会で狂流さんと、このことをしゃべったのだった。NHK放映の「アンディ・ウィリアムス・ショー」のこととか、元妻のクローディーヌ・ロンジェのこととか。


2012/10/11

毎日が呪術

若いとき走れた1000メートルが今は走れない。けれども、200メートル走っては休む、なら、1000メートルを走れる。

と、これは仕事(労働)の話。


パソコンに向かうことが作業の相当を占める。わたくしの場合、そういうたぐいの仕事(労働)。で、はかどらないなあ、というときにやるのが、「手を洗う」こと。石鹸で、ていねいに。

手を洗うことと、指が思うようにキーを叩いて作業が進むこととは、合理的な関連はない。でも、やる。

これは、いわば呪術。


獣の足跡を槍でつついて逃げ足を遅くするという、あの有名な事例。フレイザーの古典に出てくる感染呪術。


「休み休みならアタマも動く」という合理と「手を洗う」呪術を組み合わせながら、これからも労働していくことになるのですよ。


2012/10/10

「すこし離れて」型で遊ぶ

このところ、俳句自動作成ロボットの嵐が吹き荒れておりますが(≫参照)、このほど山田露結さんがお作りんなった「すこし離れて俳句」。これも一種のロボットと言えるわけです。

×××××すこし離れて△△△△△ という俳句の型。上と下に5音が放り込まれる。

この型は、かなり収まりが良いようでして、




 


このままどこかに投句しようかと思うくらい。

(しないけどね。真に受ける人がいて怖い)



作者名で遊ぶと、



いや、これはないでしょう。電子辞書って、あなた。

でも、三流SFタイムマシンものと思えば。ね。


 

これは、なんだか出来すぎの感も。


まあ、軽い遊びとして。

まじめなことを言うと、型(パターン)に何を放り込むかを考えるよりも、型(パターン)を考えるほうが面白いのですよね、俳句って。

2012/10/08

消息 2012年10月初旬

週刊俳句に
俳風昆虫記〔夏の思ひ出篇〕99句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/09/99.html


愛の言葉 雪我狂流句集『恥はかくもの』の一句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/09/blog-post_5593.html

星の虚実 金子敦句集『乗船券』の一句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html


ウラハイに
〔ぶんつぼ〕『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』
http://hw02.blogspot.jp/2012/09/roadside-japan.html

2012/10/07

「こんなところ」パターン・ふたたび

今週の週刊俳句、小林苑をさん「空蝉の部屋 飯島晴子を読む〔 7 〕」が「こんなところに」パターンを取り上げている。
私達は普段「こんなところに」と聞けば、「どんなところ?」と反応する。既成の体系にのっとって、ということだろう。一方で、俳句の中で語られれば、その違和感だけをすんなりと受け入れる。もう「こんなところに」が使い古されたあとに私達はいる。

このブログで昔取り上げたこともあって。

「こんなところに」型

そこでも少し触れたが、「こんなところに」のうしろに「何を持ってくるか」 に、人名という選択もあるわけです。なんでも人名に行っちゃうのは、よくない性癖ですが。

季語+こんなところに+5音の人名

その記事に挙げたのは、笠井亞子(はがきハイクの相棒につき例示を許されよ)、瀬戸わんや(なぜか獅子てんやは出てこない。俳味という点で難があるのか)、越智道雄(翻訳家)。政治家は越智通雄。選挙カーで「下から読んでも越智通雄」と連呼していたとか。目黒区在住・祐天寺大将がよく言っていた。

5音の人名なら、他にいくらでもある 。

ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、郷ひろみ、多湖輝。なんか古い。なんとかミクというのも5音ではなかったか。俳句世間では、spicaが暗刻状態(神野紗希、江渡華子、野口る理)。大御所で宇多喜代子。

というわけで、三島ゆかりさん、俳句自動作成ロボットを作ってくれないかしらん。プログラムとしては、上中下の位置が決まっているので単純だろう。もっとも、「自動」のおもしろみは薄いかもしれない。

 

で、ちょっとバリエーション、いま思いついた。「そんなところ」パターン。

××××のそんなところが△△△△△

  例 伯母さんのそんなところが竈馬

ま、これは「に」でもいいわけです(句意も趣向も違っちゃうけれど)。


バレ句になっちゃあ、つまらないので、そこのところ注意を要す。

でも、これではウケないので、パターンとして広まることも定着することもないだろう。

2012/10/03

ピーほか 〔備忘録〕

2012/10/02

手ぶらな句

俳句は、きほん、「まるごし」、あるいは「手ぶら」がいいです。

これにはいろいろな意味があるのですが、例えば、表記。

  さよなら、ウォーホル 丸ごとのトマトを齧る  福田若之〔*〕

読点とか1字アキとか、いらないですよね。

《さよならウォーホル丸ごとのトマトを齧る》。ほら、このほうがいい。少なくとも、見た目、すっとしている。


それから、カギ括弧「  」。

不要でしょう、という句がほとんど(≫例


手ぶらで、すっと、あるいは、ぼぅっと立っている、という風情が、きほん、よろしいです。



〔*〕 「さよなら、二十世紀。さよなら。」;週刊俳句 第276号 2012-8-5

「Haiku of the Dead」連載スタートを祝して


石原ユキオさんの連載はこちら↓
http://spica819.main.jp/tsukuru/tsukuru-ishiharayukio






「ゾンビ」(Dawn of the Dead ジョージ・A・ロメロ監督/1978年)もいいけど、「ショーン・オブ・ザ・デッド」(Shaun of the Dead エドガー・ライト監督/2004年)もね!


2012/10/01

暴風句会

十五夜に颱風直撃。予定していた句会を中止にすることなく決行。

少し早い目に散会(といっても10時を回っていた)。外に出ると、暴風のなか、きれいな満月が見えた。

  真つ向に名月照れり何はじまる  三鬼

いえ、いろいろ終わって、もう、みなさん、お帰りんなる。

電車が動いているのかなど心配ではありましたが、いちおう誰一人遭難することもなく無事ご帰宅された模様。 お疲れ様でございました。