2009/12/15

再開

以前使っていたブログ「俳句的日常」を再開します。
http://tenki00.exblog.jp/

こことあそこ、記事内容というより気分でどちらかに書く予定です。

2009/12/14

ゲラゲラ

ウラハイの「俳諧スピーチバルーン・シリーズ」第2弾はマニアックな少女漫画篇。

  ヒロポンを飲んでゲラゲラお正月  長谷川裕

楽しそうだなあ。

仲良し手帖」は読んだ記憶がないが、長谷川町子の描く「大笑い」の顔は、「ゲ」とか「ラ」の字のかたちとよく似ている。

2009/12/13

消息:勉強会レポートとアンケート集計

週刊俳句第138号
●現俳協青年部勉強会「俳人とインターネット」のレポート・幸せになれるって保証も約束もないんですよね〔前篇〕(タイトル長い!)
今年最も注目された俳人は? 『俳壇』2009年12月号を読む
…を書かせてもらってます。

2009/12/12

小津安二郎忌

こうした娘の結婚をめぐる大人達の「やれやれ」を描いている小津安二郎に対し、同じく50年代から60年代に、結婚した娘、しなかった娘の「その後のやれやれ」を描いたのが成瀬巳喜男である。
小津と成瀬の「やれやれ」と結婚詐欺女:Ohnoblog 2
今日は小津安二郎忌



土手…。

2009/12/11

東京タワー

東京タワーの1階にある大食堂が年内いっぱいで閉店するそうだ。

行かなくちゃ。

東京(といってもその西郊)に超してきておよそ35年になるが、東京タワーには行ったことがない。え!と吃驚されそうだが、案外、そういう人は多いのではないか。…多くないか。

ともかく、一度は行っておきたいので、今年中にぜひ出かけたい。

先般、墨田区をクルマで走っていたら、突然、どでかい建物が現れた。建造途中の新東京タワーだ。周辺は低い建物ばかりなので、かなり異様。まだ上には伸びておらず、塔の根元の比較的太い部分(それだけでも高い)なので、余計に異様。

ともかく、旧東京タワーに、出かけないと。

ユキオ短歌

石原ユキオはもうすこしモテていいと思う。:ねこの森に帰る

短歌をあまり読んだことがなく、とりたてて短歌に興味のない私にも、石原ユキオ氏の短歌はおもしろい。

短歌に専門化したほうがいいんじゃないの、などと無責任なことは言えないが、言ってみたくなる。

2009/12/10

赤星引退

赤星憲広 背番号53 引退:自称阪神タイガース評論家

赤星選手引退によせて:ネガティヴ ドラゴンズ

ツイッターは

特定の人の「おつぶやき」を読むだけなら、フォローする必要も、加入する必要もありません。ブックマークしておけばすむことで。

≫オススメ http://twitter.com/kadokawaharuki

2009/12/09

赤インク

…に関しては少し詳しいです。

書いたとき明るく透明感がある(ベタっと真っ赤にならない)のはペリカンとLAMY(ラミー)です。


Olympus E510+Zuiko 50mm macro(MF)

2009/12/08

ツイスター?

ツイスター、ツイスターと、ラジオやらネットからさかんに聞こえてくるので、なんで、いまどきツイスター? そんなものが流行ってるのか?と驚いた。

よく聞いてみると、ツイッターでした。

あ、ツイッターか、と。

それなら、少し前に、とりあえず登録しました。でも、いまだに、ぜんぜんわかりません。使い方が。どう面白がればいいのかが…。そのうち誰かに教えてもらおう。

今のところ、リンクの参考にしています。これとか→http://twitter.com/torakare

リンクのない他人様の「御つぶやき」は、どう楽しめばいいのか。電車で隣に坐った人がひとりごとを言っている、それを聞いていると思えばいいかもしれません。

自分がツイッターに書き込むのも、もっぱらリンクです。http://twitter.com/saibaratenki つぶやけって言われても、ふだんから、むかしから、つぶやくクセなどないので、つぶやけません(このブログで、つぶやいているのか)。

でも、これからクリスマス・お正月にかけては、やっぱりツイスターでしょう。特に若者はツイッターなんてやってないで、ツイスターをやりなさい。


2009/12/07

協賛記事:リトル・フィート

週俳・第137号・haiku mp(今週の動画)はリトル・フィート

ドラムのセカンドラインという箇所になぜか反応して↓


プロフェッサー・ロングヘアにはセカンドラインがたくさん出てきます。

信治さんの記事には、ニッポンとの絡みでサザン・オールスターズが出てきますが、その前か後か、鈴木茂のファーストソロ「バンドワゴン」(1975年)のバックアップにリトル・フィートのメンバーが多数入っていて、そこを聴くだけでも価値のあったアルバム。人から聞いた(あるいはラジオで聴いた)話ですが、アメリカ録音が決まり、バックをどうするかの話になって、「ザ・バンドは?」と鈴木茂が所望。ギャラが高くてぜんぜん無理。それでは、と、リトル・フィートほかのメンバーに決まったという。ザ・バンドが高いのはわかるが、リトル・フィートは安いのか!と当時びっくりした覚えがある。


2009/12/06

消息:ピリオドの描き方

週刊俳句第137号に「『俳句空間−豈』第49号・特集「俳句の未来人は」を読む ピリオドの描き方」を書いています。

2009/12/04

アル・スチュワート爺

1970年代に現役だったミュージシャンが30年経って今、という動画がたくさん見つかる。30歳だった人は60歳に。

アル・スチュワート(1945年生まれ)も「おじいちゃん」になってしまった(↓↓↓)






1977年(32歳)

2009/12/03

googleの日本語入力ソフト

…いいみたいですね。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1345757.html

でも、ATOKに辞書登録した語が大量(特殊語のほか、定型挨拶文、メアド、URL等々)。それが、インポートできるんでしょうか。できるんなら、乗り換えます。

1995

1995年を時代の分岐点とする意見が巷には多い。どう分岐なのか、深く、かつ明快に論じてくれるものには、まだ出会っていない(私の怠慢というだけ)。

この記事(↓)は、深くはないが、手っ取り早く便利。
超円高の1995年はどんな時代だった!?

もっともwikipediaをまとめただけの感じもあるにはある。

俳句教養講座

俳句教養講座・全3巻が刊行された。
http://www.kadokawagakugei.com/topics/special/haiku-kyouyou/

いくつか読みたい記事があります。例えば第三巻の「俳句の著作権問題」(筑紫磐井)。筑紫氏はかねがね俳句に著作権は「ない」という立場であり(一例:『俳句界』2009年2月号俳句界』座談会)、ここでどんな論述が展開されるのかには興味がわく。

といっても、読みたい記事は多くない。図書館に行くことにしましょう。

2009/12/02

事業仕分けと科学者

事業仕分け結果に、ノーベル賞受賞者らが批判声明(11月25日)。
それに反応して、kikulogのログ(進行中)

科学への投資を誰に理解してもらいたいのか 2009/11/27
若手研究者支援 2009/11/28
運営費交付金 2009/11/29
東大物理のアピール 2009/11/30
中村桂子さんの意見 2009/12/1

要は、「科学は大事なんだから、カネ寄こせ」だけじゃあダメなんじゃないの?という話。

フォークソング嫌い

フォーク・ソング:Rocket Garden~露結の庭~
http://yamadarockets.blog81.fc2.com/blog-entry-286.html
孫引きになるが、「殺意に近い憎しみ」を感じながら、「努力してFM放送なんかを繰り返し聴くことがあるのですよ。井上陽水、岡林信康、その他高名なフォーク・シンガーのを。」という塚本邦雄は、ヘンな人だなあ、と思う。「くだらない」のひとことで済ませられるのに、努力して繰り返し聴くわけだから。

私は世代的に「フォーク・ソング」を他人事では済ませられない立場にある。複雑な気分。

中学生のときの深夜ラジオ(1970年前後という大昔ですね)には、このフォーク・ソングがやたら流れていて、夜中3時を過ぎると、宵っ張りの学生もさすがにもう眠るということで、突然、トラック運転手をコア・ターゲットにした演歌番組が始まるというプログラム。

そんなだから、ある種のフォーク・ソングを好んで聴いていた時期が、短期間とはいえ、ある。白状したくないけれど、たしかにある。けれども、フォーク・ソング全般がどうかといえば、はっきりと苦手。ただし、塚本邦雄のように「言語感覚の貧しさ」がその理由ではない。理由は「音楽感覚の貧しさ」である。

音楽としての退屈、気恥ずかしくなる生硬さ、お手軽さ、そうした貧しさが詰まっている。これはフォークソング出自の「ニュー・ミュージック(新・歌謡曲)も同様。

(ちなみに、音楽を聴くときに、「言語感覚」を取り沙汰する気があまりない。音を邪魔しない程度の言語でいい、というくらい。フォーク・ソングの多くが、言葉の貧しさが、音の貧しさに輪をかけてしまうということはあるにしても)

そんなわけで「くだらない」と無視していればいい音楽ジャンルなのだが、しかし、ところが、最近になって、十代の頃、あれほど嫌いだったガロというグループの曲を聴き、たしかに「言語感覚」は語るまでもなく最貧で、「音楽感覚」も豊かとはいえないけれど、こういうのもアリに聞こえたりして、困っている。

フォーク・ソングの貧しさから解放されるわけではなく、とても複雑な気分なのだ。