2021/02/17

■シュフ本に触発されて包丁を買う

アンソニー・ボーデイン『キッチン・コンフィデンシャル』はすばらしく面白かったわけですが、文中に出てくる(かつ彼が薦める)グローバルの包丁が無性に欲しくなって、妻に相談。買っちゃった。


使ってみると、なるほどよく切れる。切れすぎて、指を切ること2度。そんなにしょっちゅう使うわけではないので(料理はほとんど妻)、けっこうな指切っちゃう率です。

よく切れる包丁のほうが危なくない、むしろ切れないほうが危ない、なんてこと、聞いたことがありますが、あれは上手な人の話。ヘタクソが使うと、玉ねぎのついでに自分の指まで切れてしまいます。

要注意、かつラヴ&ピース!

2021/02/10

■さらう 小池康生『奎星』より

復習ふなり硝子に踊り映し込み  小池康生

ルビはない。「復習ふ」は「さらう」だろう。教わった踊りをビルのガラスに自身を映して(スタジオなら鏡なので、違う。これは閉店後の所業施設など、街なかの仮の練習場だ)、練習を繰り返す。

夜中によく見る風景。なにかをきちんと習ったことがなく、したがってきちんとさらったことがないので、「ああ、いいな」と羨望の眼差しで、若い子たちを見ている。

「さらう」という語もあまり身近にしなかったが、結婚して一緒に暮らす人が、小さい頃から「さらう」ことを日常にしてきた(そして今は若い人たちに「さらう」ことを教え伝えている)人なので、この語をふだんからよく耳にするようになった。

ところで、この句の「踊り」は、どう読んでも歳時記本来の踊り、すなわち盆踊りではない。そう読めなくもないが、読者たる私は、盆踊りとは読みたくない。したがって、無季として読む(といっても寒い時期とは思えないが)。無季だからといって、なんの不便もない。

俳句における「踊り」の語は、さいきんこういうケースが多いように思う。この話題については、またあらためて。

話を戻すと、ならう、さらう。いくつになっても、この愉しさを知り、味わうことができるのだろうか。

できると、いいな。

ラヴ&ピース!


掲句は小池康生『奎星』(2020年10月/飯塚書店)より。


2021/02/08

■梅ひらく

玄関横の梅もすっかりひらきました。ちょっと緑がかって香りが強い。品種名、何度か教えてもらいましたが、そのたび忘れる。梅と健忘症はセットのようです。



むかしつくった梅の句を取り上げていただいています(↓↓↓)。

この句(『けむり』2011年収録)、幾人か何度か触れていただいているのですが、いつも句評のほうが句よりもじょうず。句が愛されるというのは、そういうことなのだな、と、いつも思います。

ラヴ&ピース!

2021/02/07

■他人の曲がり角 『川柳 ねじまき』♯7より

ジャスミンの香り 人生曲がり角  丸山進

曲がってのち、どうなるか。もちろんわからないが、ここは本人にとって重大な局面なのだろう。対置されるのが〈ジャスミンの香り〉という、ある意味陳腐な、芳香剤のコマーシャルの欠片のようなフレーズ。この陳腐さが絶大な効果をもって、読者の微笑的感慨を誘う。他人の人生を、曲がり角を、笑っちゃいけないけれど、否、笑ってあげることこそが愛、なんだと、私などは思います。

ラヴ&ピース!

掲句は『川柳 ねじまき』♯7(2021年1月20日)より。



2021/02/04

■毛布 『閏』創刊号より

湯に浸るごとく毛布へ這入りけり  守屋明俊

「ごそごそっ」というより「むにゅむにゅっ」というかんじ。湯に浸るポーズからすると、ソファーに座ったポーズで毛布をまとったかんじかもしれないが、肌の感覚を重視すれば、寝床と読んでも間違いではなさそう。

あったかくしてくださいね。立春を過ぎたとはいえ、まだ寒い。

余談。「入る」は「いる」。昔の本などで、「はいる」は「這入る」との表記が多いような気がする(実感レベルに過ぎませんが)。

掲句は俳句同人誌『閏』創刊号(2021年2月1日)より。