2021/03/29

■夏蜜柑だよ

某日某所、夏蜜柑の収穫。ちょっと手伝って、2袋いただいて帰る。

ラヴ&ピース!

夏蜜柑が春の季語か夏の季語かといった雑談・議論があったりしますが、成ってるときが、その季節。くだんの夏蜜柑は、2月から3月、1本の木に、1000個からの実がみごとにまるくふくらむ。

季語としてとか、春とか、夏とか、どうでもいいや。






2021/03/28

■句会だったよ

数人で集まって俳句を作ったり読んで選んだり、食べたり飲んだり。いわゆる句会と呼ばれる遊び。

このご時世、頻繁はムリ。たまの句会は貴重かも。

ラヴ&ピース!





2021/03/18

■アンプの身ぐるみを剝ぐ

キーボード・アンプで猫が爪を研ぐ。
筐体を覆っていた黒い繊維質のカバー(なんて呼ぶのか知らない)がもじゃもじゃに毛羽立ち、なんだかみっともなくなってしまう(猫を叱るわけには行かない。猫にはアンプもカバーもクソもない)。
外っ側をぜんぶ剝がす(ネジをいったんはずしたりしてかなり苦労した)。
前面の蓋(金網状)も取り外す。
なんだかロックな風貌に。


ちなみに元の風貌≫こちら

2021/03/16

■「俳句という文芸がもたらした害悪」by 小田嶋隆

小田嶋隆の俳句関連のツイート(≫こちら)。


小田島隆の記事はよくネット上で面白く読んでいる。「なんで俳句を話題にするのだろう? 時事を扱って巧みな人がわざわざ?」というのがとりあえずの感想ですが、俳人からの反応も若干あるようなので、私も(なんでだ? 暇か?)反応してみると…。

1 「季節感に触れてさえいれば、自動的に名文だと思いこんでしまう大量の読者」

え? ほんと? 大量? いるとしたら、「名文」の基準が低すぎなので、これは国語教育、文化その他、もっと大きな問題に属する。

2 上記が「俳句という文芸がもたらした害悪」であるとする点

俳句が原因ではないだろう。季節・季節感が嫌いという人はあまりいないし、話題がなければ季節の話をしとけばいいというところがあるし(「ようやく涼しくなりましたね」とかの挨拶)。どちらかといえば、俳句のいうジャンルが、季節・季節感=人に嫌われない話題というところに寄りかかっているかな?

3 「何かのアンケートで「日本が好きな理由」の回答としてかなり高い順位に「四季があるから」というのがあった。地球上のどこであれ、人間の居住環境には、固有の季節変化があると思うのだが、どうして自分の国の季節感だけを特権的に考えるのか不思議だった(…)」

うん、これは不思議。ヴィヴァルディが聞いたら、腰を抜かす。

4 「あれ、たぶん「歳時記」のせいだな。」

それは違うと思う。歳時記はそれほど各家庭に行き渡っているとは思えない。歳時記をめくってみたことのある人って、どれくらいいるのだろう。ずいぶんと少ないのではないか。

5 「「季節の変化への繊細な感覚」を日本人に特有な美点だと考えるのは勘違いだと思う。」

3と同じ。特有なわけがない。自民族中心主義(ethnocentrism)の一端ってかんじ。

6 「わが国民の季節への拘泥は、歴史や政治への無知の弁解になっている」

これはちょっと難しい。弁解にどう結びつくのか、私にはよく理解できない。「歴史や政治のことはよくわからねえが、春になったら、種さ撒くさ。夏になったら、花火見るべ」みたいなこと?(ポリコレ的に問題のある例示)

7 「俳句のレギュレーションが「季語必須」になっていることに対しては、「うっせえわ」と思っている。」

はい。そう思うこと、よくあります。でも、「季語必須」などいう「レギュレーション」、世間が考えるほど一般的じゃないです。特定流派、特定集団の決まりごとに過ぎないので、あまり気にすることもない。

8 「基本姿勢として、俳句には手を出さない。」

これは正しい。面白い散文を書く人なのに、五七五だと、なんでこんなにつまらないもの書くんだろう? という例を数多く見ているので、この態度は正解。


さっくり言って、季節・季節感さえ出しときゃいいわ、ってな散文ってどーなの? という点には首肯。それは散文だけではなく、俳句でも同じ。季語さえ入れとけば俳句、というわけには行かないのと同じ。

ただ、季節感バンザイな態度(の蔓延)が、俳句のいう文芸ジャンルのせいかというと、違う。

通俗的日本人論・通俗的日本文化論の長期にわたる膨大な積み重ねがもたらしたものだろう。

問題はむしろ(3の繰り返しになるが)、俳句がそうした日本人論・日本文化論のステレオタイプにもたれかかり、季語に対する自己愛的な賛美を伴いつつ通俗・凡庸の塗り重ねに終始するような事態のことです。こっちがもたらす「害悪」について考えること、意識的であることのほうがだいじかもね。

ラヴ&ピース!

2021/03/09

■クルアンビン、さらに。

週俳の音楽千夜一夜に登場のクルアンビン、屋外音楽のサイトにも出演。

 

ふつうの光の下では、さらに妖しい長髪髭にいさん。

≫NPR Music に関する前記事 

2021/03/07

■鉄と海鼠

『静かな場所』第26号(2021年3月15日)招待作品より。

海鼠匂ふ釘に当たつてゐる舌も  生駒大祐

海鼠は鉄や鉄錆と親しい。こんな句もあるし。

鉄を嗅ぐごとく海鼠に屈みたる  正木ゆう子

後者が喩(直喩)と視覚的見立てから成り、句意明瞭であるのに対し、前者は嗅覚と触覚。視覚がほとんど出てこない(海鼠の姿はではなく匂いだし、口内の釘も舌も見えない)。変な(いい意味です、この形容詞は常に)句です。

ラヴ&ピース!

2021/03/02

■変態的奏法

ウラハイの記事に動画を貼っています。

https://hw02.blogspot.com/2021/02/blog-post_18.html

ジャンゴ・ラインハルト、名前も演奏ももちろん昔から知っていますが、弾いているところを観たことがなくて、ソロを弾くとき左手の人差し指と中指2本だけで弾くの、恥ずかしながら初めて知りました(きっと有名)。吃驚仰天!

どんな教則本にも、こんな弾き方は載っていないと思う。

かたちじゃないんですね。結果(音)が良ければ。


変態的(いい意味です)な弾き方といえば、マーティ・フリードマン。テレビで観ることも多い。何が変則かというと、右手。



2021/03/01

■谷保天神の梅

そろそろ終わりです。

日があたたかくて、梅日和、散歩日和。