トーンがいい、句のもつ口吻というか、口調というか。明度がいい。…といったようなことは言えますが、それ以上具体的な文言が思い浮かばないたぐいの好きな句は、あるものです。悪あがきして、評言をでっち上げることもない。そのまま、好きというだけにしておきます。
句集『旧の渚』(2012年4月/ふらんす堂)を気持ちよく拝読しました。
集中、話題に上りやすいのは、《さいごまであたまの味の目刺かな》あたりでしょうか。質のいい機知・おかしみのある句は、ほかにも《人乗つて重たくなりしハンモック》《無花果は簞笥の色をしてゐたり》など数多く、このラインが、この句集の主調音なのかもしれませんが、私がとりわけ好いたのは、掲出のような、比較的なにげない句、大向こう受けのしない句でした。
なお、高山れおな氏が「違和感」を表明するところの《縦書きの詩を愛すなり五月の木》《十月や詩を詠む空をひろくとり》の2句には、あまり興味が湧きません。句集について語るのにネガティブな物言いは不要かもしれませんが、一人の俳人には複数の路線があり、好悪それぞれということはあるものとして、許していただきましょう。
この2句は「詩」という語の(あまりに率直な)使用への抵抗感もありますが、それよりももっと漠然と、「歌い過ぎている」「詠い過ぎている」感。鼻歌、小唄が私の好み、というに過ぎないのですが。
なお、上田信治さんによる句集評は、こちら。≫彼の世界の主人公:週刊俳句・第274号
作者とはつまり、句にその名が書き込まれる人、匿名の書き手の時代を通過して、個性化を果たし終えた人のことだと言ってもいいでしょう。
句集『旧の渚』の世界は、時に軽妙に時に謎めいて、なんとも楽しい。人事の句はもとより、叙景句あるいは自然詠と見える句にも、中心に主人公がいて、その世界を感じている気配がある。
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