2009/06/14

ダーレン・アロノフスキー監督「レスラー」


泣いた。ラスト近くからラストにかけて、号泣とまでは行かなかったけれど、大いに泣いた。

ミッキー・ロークといえば、なんたってあの「猫パンチ」である。1992年6月23日、両国国技館のメーンイベント、1ラウンドで相手を撫でるような「猫パンチ」でKO。テレビ中継もされていたので会場のみならず、日本中の失笑を買った。80年代を人気俳優(セックスシンボル!)として過ごしたミッキー・ロークが趣味だか道楽だかのボクシングで、負けるならまだしも、勝っちゃったから、しかも猫パンチだったから、これほど無様な茶番はなかった。

おまけにこのメーンイベントの前の試合がユーリ(勇利)・アルバチャコフの世界初挑戦。ムアンチャイ・キティカセム(タイ)を8回KOに降しWBC世界フライ級王座を獲得した、その素晴らしい試合のあとの「猫パンチ」だから、ボクシングファンにはたまらない(こんな劣等な興行を組んだ興行主やテレビ局が悪い)。この日、ミッキー・ロークを「男として最低ランク」に位置づけた人は、私だけであるまい。

それからはミッキー・ロークの名前は聞かなくなった。ボクシングは道楽以上のものだったのか何試合かをこなし、顔が崩れ、その整形でさらに顔が崩れ、二枚目俳優としての生命は断たれた。私生活でもトラブルが多く、仕事も干され、かつての栄光が見る影もない落ち目として長い時を過ごした。

そこで、この「レスラー」の主演である。主役の老レスラーは、20年前の人気と名声を引きずり、スーパーのパートタイムで糊口をしのぐ。家族からも見離され独居生活。老レスラーとリアルのミッキー・ロークはいやでも重なる。ボクシングとプロレスの違いはあっても(ミッキー・ロークのボクシングには過去の栄光などない、という違いはあるにしても)、落ち目ということでは、これはもうミッキー・ロークのドキュメンタリー。

映画の作りは、そのへんきっちり押さえてあって、カメラワークやセリフの処理など、劇映画というよりドキュメンタリーのタッチ。ミッキー・ロークの演技も抑制がきき、良い意味の「地で演ってる」感が滲み出ている。

「その人しか為し得ない一作」というのはたしかにあって、老ミュージカルスターをフレッド・アステアが演じた「バンドワゴン」などがそう。リアルを虚構で、虚構をリアルに、という多層構造をもった、この1回限りの大ネタは、素晴らしい映画になるしかなく、もし素晴らしくできなかったとしたら、監督は腹を切って、主役(フレッド・アステアやミッキー・ローク)に詫びるしかない。彼らはみずからのリアルをその映画1本に賭けさせられるわけで、撮り直しは効かない。

果たして、この映画の監督ダーレン・アロノフスキーは、知らない名前だけれど、凄い。プロレスのバックステージ(試合のダンドリ)から試合まで、数々の美味しいところを、アラの出ない見せ方できちんと見せてくれ、しかもムダがない。ひゃあ! この監督、じょうず! と感嘆。

助演の女優ふたりもいいが、たくさんのレスラー(本職なんでしょう)が演技者としてナイスな存在感。プロレスラーは、アスリートなんぞではなく、やはり(素晴らしい)アクターなのだといまさらに実感。

で、ミッキー・ロークはといえば、からだはレスラーを演じるのに充分とはいえずとも老境のレスラー肉体ではある。顔は前述のようにガタが来ている。そこに老眼鏡を掛けさせたり、スーパーの肉売場で透明のキャップをかぶらせたりと、外観を「情けなく」見せる演出がよく効いている。つまり、老レスラーは老レスラーであって、スターでもなく、カッコよくもない。それでもリングに上がっていくさまは、やはり美しい。

「猫パンチ」から16年を経て、映画「レスラー」へ、人気絶頂のセクシー男優から、老残を地で行ける一俳優へ。この落差(カッコいいことの無様さから、カッコ悪いことの輝きへ)が、泣ける理由の背景にある。

星4つ。

2 件のコメント:

shino さんのコメント...

うわあ、観たいです。
もう、天気さんのレビューを読んだだけで、
ちょっと泣けてきそうw

tenki さんのコメント...

良か映画でした。

次は新宿で「マン・オン・ワイヤー」。
号泣してきます(ほんとか?)