2009/06/06

半年

山本勝之が死んで半年が経った。去年12月6日に亡くなり、その病院から深夜帰宅して、そのままパソコンに向かい、週刊俳句のアップ作業。ちょっと迷ったが、後記で訃報を伝えた。そこにコメントを付けてくれた宙虫(そらん)さんの、そのコメントに返答を書くことができなったことを、自戒とともに思い出す。

「谷中の墓地を一緒に歩いたこと」は、私もよく憶えている。私は宙虫さんとも山本勝之とも同い年。宙虫さんとはネット上で知り合ってはいたものの実際に会うのははそのときが初めて。なのに、昔からの友だちのように感じた。山本勝之も同じだったろう。スカンポを言葉(季語)でしか知らない私に、宙虫さんも山本勝之も憐れみのような微笑を浮かべていた、その表情や挙措を、ありありと憶えている。その谷中の墓地の近くに、それから数年後に山本勝之が住むようになるのも、なんだか奇縁だ。

山本勝之を思い出すことは、ふだんそんなにない。けれども、週刊俳句や自分のブログに何か書くとき、ある種のものについて、「山本勝之なら、喜んでくれそうな記事だ」とか「言い方だ」とアタマのなかで想像している自分がいて、彼の生前、彼を読者に想定して書いていた記事があることを気づいた。何かに毒づく記事、ちゃかす記事。山本さんは同調し、楽しんでくれるだろう、と楽観的に期待しながら書いていた記事が、たしかにあった。

今日これから、相模湖に句会に出かける。相模湖の奥にある貧相な休憩所の婆さまと、山本勝之は何度か吟行の折に立ち寄るうち、親子のように親しくなっていた。あるいは山中に暮らすヒッピーの相手になったり、得体の知れないキノコを持ち帰り、食べ、からだをおかしくしたり(おかしくなりたくて食したのだが、別の方向におかしくなったらしい)、相模湖は、山本勝之にとって、ちょっと特別な場所だったと思う。

その相模湖に、半年後の命日というのがあるのかないのか知らないが今日6月6日、山本勝之を知る友人たちが集まるというのも、奇縁だ。

  揚羽蝶飛んで世界は始まったばかり   山本勝之

大袈裟だなあ。なにドラマチックしてるんだよ。でも、忘れない一句。

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