「麦」という俳句の会に所属していた頃、毎月、句誌(結社誌)が届くとすぐにめくるのが池禎章さんの5句。禎章さんは、もっとも敬愛する俳人のひとりであった。明治45年(1912年)生まれだから、その頃、すでに90歳を超されていた。
私コスモスいつも離陸路着陸路 池禎章
この句、1981~1983年の作というから、70歳前後のときの句だ。高知県南国市の禎章さんを、知人(先輩俳人)とともに訪れたとき、空の低いところを旅客機が何度も飛んだ。この句は、禎章さんの暮らしそのものなのだと、そのとき知った(それまではファンタジー的なイメージで捉えていた)。
実際にお会いした禎章さんは、とても典雅で都会的な感じのする人だった(都会的か田園的か、住んでいる場所では決まらないようだ)。また飄々として軽やか、人への優しさに格別の気品が漂った。私はまず俳句に魅了され、そしてお会いして「リアルの池禎章」に魅了された。
余談めくが、この句が収められたのは『河口原』(1989年)。77歳にして第一句集という事実はすがすがしく、「そろそろ句集などを」と考えなくもない私に、ある種の自制と自省をもたらす。
第二句集は2001年、『卒寿』の書名のとおり、90歳を機にまとめられた。『卒寿』より気ままに数句。
鮫食って棕櫚一本の枯れる景 池禎章(以下同)
試みにゆすれば散ず辛夷のばか
バイク売り払って手ぶら鳥渡る
ハフハフと泳ぎだす蛭ぼく音痴
蟷螂の七勝二敗ほどの斧
見つづける時々アラヨッとて落花
抱擁の出来そうに冬夕焼ける
池禎章さん、まだお元気だろうか。賀状のやりとりなどあるものの一昨年に「麦」を脱会した私には近況を知る術がない。禎章さんのことがふと気になりはじめている。
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