いや、こしのさんのこの句なんですが。
朝顔の顔でふりむくブルドッグ こしのゆみこ
首から上が朝顔のブルドッグに振り向かれたら、それはもう吃驚ではないですか?
「喩」や「彩」を感じるまえに吃驚してしまう。こうした場合、句のスピード感、「喩」や「彩」へと思いを到らせる前に衝撃を与えてしまうようなスピードが最もたいせつなことで、この句の場合、中七の「顔でふりむく」のシンプルさ、直截さが、充分なスピードを生んでいる。
余計なことを言う、ぐだぐだ言い回す、本人は一生懸命描写している。そうした「手の跡」「指の跡」のようなものが、句のスピードを損なう原因になってしまうわけだが、この句は、すっきりそうしたものから逃れている。
句のスピード感というのは、実感的にはかなり重要なのだが、それ以上にうまく言えない。それは、まあ、今後の課題にするとして、この句。
とってもヘンだ、わけがわからないヘンだ、という衝撃。それは、何かを読む、何かを味わうえで、至高の価値のひとつだろう。
≫千野帽子・「わかりません。教えてください」とウェブ掲示板に書きこむ前に。
「あるある的な読み」だろうが「道徳的・教訓的な読み」だろうが「現代思想的な読み」だろうが、カフカの小説の字義のインパクトを削減し、未知のものを既知のものに置き換える作業になりかねない。(…)やっぱり、朝起きたら虫になってるって、変ですよ。(千野帽子・前掲)●
ところで、喩というからには二者の間になんらかの類似・相同がないといけないはずだが、ブルドッグと朝顔って似ているか? 鶏頭のほうがよほどブルドッグに似ていると思うのだが。
朝顔とブルドッグって、「喩」でも何でもないんじゃないのか。
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