以前、句集の最初の句について話しました。
こちら≫http://sevendays-a-week.blogspot.com/2016/08/16.html
今回は最後の句について。
一句目ほどではないが、最後もだいじ。とはいえ、これは読者にとって、よりもむしろ、作者/著者がこだわる部分という気がする(編年体だと無頓着な人もいそうですが)。
ちなみに、拙句集『けむり』では、
空に雲ありしは春の名もなき日 10key
ぼぉっとしたかんじ、おとなしく、あかるくめでたいかんじを狙いました。歌仙の36句目(挙句)みたいなかんじ。
さて。
手元にある句集から、拾ってみます。
永き日の椅子ありあまる中にをり 安里琉太
『式日』(2020年2月)。所在なく、〈作者〉にフォーカスして(にをり)終わる。
梟や息の終わりのきれいな詩 田島健一
『ただならぬぽ』(2017年1月)。美しい句にあふれたこの句集のなかでもひときわ美しい句。「詩」で締めた点、句集全体を俯瞰、あるいは自己言及っぽくもあります。
この丘の見ゆる限りの春惜しむ 太田うさぎ
出たばかりの『また明日』(2020年5月)から。開放感+哀感。視界を広げて終わる。映画っぽい。
猫去って曖昧な闇残したり 笠井亞子
『東京雪柳』(2008年4月)。消えて、残る。ふわっと句集を了える。
やわらかいかまきりのうまれたばかり 福田若之
『自生地』(2017年8月)。ビルドゥングスロマン的第一句集のラスト。最初に戻るかんじ。自己言及的でもあります。
デレクおやすみキンミズヒキもルリチシャも 金原まさ子
第3句集『遊戯(ゆげ)の家』(2010年10月)。デレクはデレク・ジャーマン(これ、「ガーデン」の章の最後の句なので)。耽美かつ愛に溢れる掉尾。
手をつなぎながらにはぐれ初夜(そや)の雁 八田木枯
第3句集『あらくれし日月(じつげつ)の鈔』(1995年11月)。艶かしくも哀感。
眠き夢なり月見草まで這ふ夢なり 山田耕司
『大風呂敷』(2010年1月)。ある種古典的芳香をもって、一巻すべて夢であることよ的な締め。
んんん、キリがない。続篇やろうかな。
ラヴ&ピース!
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